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第24話 図書室の居場所探し
文月瑠璃乃が世界で一番好きなものは、本である。
瑠璃乃の栄養分はほとんどが本だと言っても差し支えはないだろう。もしも世界から本が消えたら自分は栄養失調で死んでしまうだろうと自覚している。本があるから、瑠璃乃は生かされているのだ。
本を瑠璃乃と同じぐらい愛している女子大生が本のない世界に転生し、その世界で本を作るという某ラノベがあるが、瑠璃乃は彼女に感服した。自分なら本がないという事実を知った瞬間に絶望で死んでいただろう。もし生き永らえたとしても、瑠璃乃には周りの人と協力しながら本を作れるようなコミュニュケーション能力はない。
文月瑠璃乃が世界で一番嫌いなものは、|現実《リアル》に生きる人間である。
瑠璃乃は本の中の登場人物は、心から愛している。本を開いた瞬間に、彼女はもう瑠璃乃ではない。登場人物と一心同体となり、精巧に作られた美しいフィクションの世界を駆け回っているのだ。
物語の世界の彼らは、瑠璃乃を裏切らない。
しかし、瑠璃乃は現実の人間を軽蔑している。
万物の霊長とはなんだ。どこまで自らを|驕《おご》れば気が済むのか。神が地球の生き物を創ったならば、人間こそ最大の失敗作ではないか。
人間は賢く、深く豊かな感情を持っている──そんな言葉を聞くたびに、瑠璃乃は吐き気がする。賢い? どこが。この醜い生き物のどこが。無駄な感情を持ち合わせたせいで、人間は互いを無意味に傷つけ、嘲笑う。溢れ出る気持ちを制御しきれるほどの知能は人間にはない。賢いどころか世界一愚かな生き物だと、瑠璃乃は薄く笑みをを浮かべる。瑠璃乃が嘲笑うのは、特定の人ではなく|人間《**・・**》だ。そして人間である、自分自身のことも。
両親はまだマシな方かもしれない。大学で古典文学の教授をしている父は、瑠璃乃の理解者だった。瑠璃乃が本を好きになったのは父の影響もあるかもしれない。大手出版社の編集者をしている母は仕事ができ料理が上手く、人間にしては賢いほうだ。しかし夫婦仲はそこまで悪くはなくても良くはなく、瑠璃乃はたびたび起こる夫婦喧嘩を傍観しながら、所詮は父も母もこんなものかとどこか冷めた目で悟っていた。また二人とも、忙しさに家にいないことが多く、瑠璃乃が心からの思いを打ち明ける相手とはならなかった。
瑠璃乃を生かす栄養分を作るシェフとも言える「作家」はとてつもなく崇高で素晴らしい存在だ。だが瑠璃乃が敬愛するのは、「本を書く人間」ではなく「作家」としての彼らである。その作家の作品は調べても、その作家について知ろうとはしない。母から担当する作家の愚痴を聞かされているうちにわかった。作家も結局はただの人間だ。ならば余計なことを知って、瑠璃乃の中の崇高で潔白で清廉な神のような作家のイメージをわざわざ壊す必要はない。
日本の戦争は終わった。しかし、人間の中でも愚かで無知で残酷な子供が無差異に詰め込まれた学校の中は、戦争のようだとも言えよう。勝ち抜かなければ上に上がれない。弱者は圏外や三軍や隠キャと呼ばれ、ひっそりと、目立たないように、逃げ回るネズミのように生きるしかない。
「上」の彼らは──明らかに、瑠璃乃を弱者を見る目で笑った。彼女は馬鹿らしいと思った。上がなんだ。下がなんだ。そんなものを作ることでしか、お前たちは自分の居場所を確保できないのか。
私は弱者ではないと、瑠璃乃は思っている。影口を叩かれようと、避けられようと、手を洗われようと──瑠璃乃は自らの顔になんの感情も浮かばせない。悲しさや怒りさえ、すでに瑠璃乃の中にはない。瑠璃乃はいつからか知らないが、どこか遠くから世界を見ている。やっぱり人間は愚かな生き物だと、静かに思うだけだ。
学校という残酷さの塊の中で、瑠璃乃が唯一好きな場所は図書室である。
放課後、閉まった引き戸を開けると、ふわりと紙の匂いがする。中は空いていて、カウンターに図書委員が二人と、司書の先生が座っているだけ。瑠璃乃は思う。学校の中で、ここの空気だけは澄んでいると。
図書委員に本を差し出し、返却の手続きをしてもらう。図書委員は事務的にバーコードを読み取り、本を預かる。それだけだ。なのに──夕焼けの絵が描かれた表紙を最後に見た刹那──思い出してしまった。
──どんな内容? 表紙綺麗だね。
明里ハル。
いきなり教室に乱入してきて、知っているはずもないのに「瑠璃乃!」と叫んだ、瑠璃乃の読書を意味不明な方法で妨げた少女。
その彼女が──今日、転校生として瑠璃乃のクラスにやってきた。
おかしな転校生なんぞに興味はない。
それなのになぜか、彼女の言葉に本を読むふりをしつつも聞き耳を立ててしまった。
なんでも、一度親と転校予定のこの学校にきた時にトイレに行こうとして迷ったらしい。
聞いていた女子は素直に納得していたが、そんなわけはないだろう。いくら馬鹿でも、教室に飛び込むなんてあり得ない。
それにあの女子は私の名前を叫んだのだ──瑠璃乃、と。
一瞬で皆と仲良くなって見せた彼女──それだけで彼女は瑠璃乃とは無縁。
で、あるはずなのに、瑠璃乃はなぜか、彼女のことを考えている。クラスメイトの名前などひとりも覚えていないのに、はつらつとした声で挨拶をした彼女の名前ははっきりと覚えている。
明里ハルです。得意なことは運動で、柔道とサッカーが特に好きで得意です。
──これからも、よろしくお願いします!
これからも?
**明里ハル──彼女は一体、誰なんだ?**
ゴン、と頭に衝撃が走って、瑠璃乃ははっと我に返った。考え事をしていたら壁に激突したようだ。
私は何を考えているんだろう。人間のことを考えたって、時間の無駄になるだけなのはわかりきったことなのに。
瑠璃乃は苦笑し、棚の本に手を伸ばす。
「ねえ、文月さん」
後ろから突然声をかけられ、瑠璃乃は危うく本を落としそうになる。
ゆっくりと後ろを振り向くと……そこにはショートボブの髪に丸メガネをした女子が立っていた。上履きのラインの色は青だ。二年か。
“ゴミ月“ に、何の用だろうか。
「わたし二年の|浪江《なみえ》|京子《きょうこ》。図書委員の委員長だよ、覚えてる?」
覚えているはずがない。確かに瑠璃乃は図書委員だが、クラスメイトの名前さえ覚えていないのに、ましてや委員会の委員長の名前なんて。
瑠璃乃が答えぬ間に、彼女は勝手に喋り続ける。
「居場所が欲しいの?」
瑠璃乃はギョッとして手元の本を見る。その本には確かに、「居場所のつくりかた〜悩む人々へとっておきの五つの方法を〜」といかにも胡散臭いタイトルが書いてあった。こんなのを読んで居場所ができる人がどこにいるのか。
しかし瑠璃乃は少なからず動揺していた。背中を冷や汗がつたう。言い訳がましく、瑠璃乃は考える。そう、私はたまたまこの本を手に取っただけ、それだけ。まだ読んだことがなかったから。
瑠璃乃の返事を待たずに、浪江はとっておきのことを言うように、声をひそめた。
「教えてあげる。──居場所っていうのは、そんなの読まなくたって、思いがけないところからできるものなんだよ」
彼女は言い終えて満足したのか、踵を返し図書室から出ていってしまった。図書室の入り口のところで彼女を待っていたらしい、わずかに足を引きずっている男子に話しかけられ、嬉しそうに笑っている。
瑠璃乃は唖然として突っ立ったままだった。今だけは──本を読む気分にもなれなかった。
私は居場所なんていらない。絶対にいらない──できるはずかない──なぜか明里ハルの顔が頭に浮かぶ。
いつか誰かが、瑠璃乃に言った。
──青春楽しもうよ!
私はそんなものに興味は──ない。
そう……そのはずなのだ。
明里ハルが自分の唯一無二の親友であったことを文月瑠璃乃は忘れていた、しかし確かに彼女の心はどこかで──。
瑠璃乃目線ですね。
ハルと久遠以外の人物目線は三人称で行きます。
書き方が違いすぎ……ます?
まあ、瑠璃乃がこういう人なので(誤魔化した)
浪江京子と足を引きずっている男子については、私の短編集「青の欠片」の「飛べない小鳥と、遥かなる空の色」を読めばわかりますよ!(宣伝)