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コーラ
|檜《ひのき》は今日も仕事に行った。行き先は病院。檜は外科医だ。
遠ざかる後ろ姿を眺めながら、なぜか甘い飲みものが飲みたくなった。
突然だけど、私は宇宙人だ。
宇宙人と言っても、人間が想像するような不思議で神秘的な存在じゃない。ただ地球以外の場所で生まれたというだけ。
私は透視もできないし、念じるだけでものを浮かせることもできないし、他人の考えていることを言い当てることもできない。私にできて人間にできないことは、三つある。
自由に見た目を変えることと、死なないでいることと、人間を不死に変えることだ。
三年前、私は地球に落ちてきた。
住んでいた星で大きな戦争があって、戦いたくなかった私は、一人で逃げてきた。
行き先は地球、すぐに決まった。青と緑できれいだから。それに、知的生命体がたくさんいるという話も聞いていた。
地球に落ちてきたとき、私の右腕がとれていた。
右腕がとれたところで死にはしないけれど、不便だな、と思いながら、傷口から溢れる緑色の血を眺めていた。
檜に会ったのは、そのときだ。
檜は私が落ちた山に、ハイキングに来ていた。一人で。一人でハイキングをする人間は珍しい、と、後から知った。知ったらもっと、檜を好きになった。だって、みんなと同じところが多い人間より、違うところが多い人間の方が、覚えやすい。
檜は私を見て驚いていた。山に一人で倒れている女がいれば、誰でも驚くものらしい。しかもその女が、肩から緑色の血を流しているのだから、尚更だったそうだ。
それでも檜は、私を連れて帰った。
その場で応急処置を施し、夜中に自分の勤務する病院にこっそりと入りこみ、私の手術をした。
檜のおかげで、私の右腕はくっついた。いえ、半分くらいは私の自然治癒力のおかげなのだけど、それでも残りの半分は、確実に檜の力だった。
檜には感謝している。だから私は、お礼になにか一つ、あなたの望みを叶えてあげると言ったのだ。そうしたら檜は、少しも迷わずに答えた。
「俺と一緒に暮らしてほしい」
少し驚いた。お金がほしいとか、偉くなりたいとか、そういうことかと思っていたのだ。仮にそういうことを望まれたとして、私に叶える術はなかったのだけど。麻酔の効いていた頭は、少しおかしくなっていたのかもしれない。
だけどとにかく、私は檜の望みを叶えることにした。つまり、一緒に暮らしはじめた。
檜の言い分はこうだった。
俺は昔から宇宙や宇宙人に興味があった。緑色の血や異常な治癒力で、君が人間でないことは確認済みだ。君も地球での生活は慣れないだろうから、誰かと暮らした方がいいだろう。こんなに都合のいいこともない。
人間の常識や思考のパターンがある程度わかってきた今となっては、檜の考えが「酔狂」であることはよくわかった。それでも、私は檜が好きだ。
だって檜は、私に大好きと言ってくれるし、私の容姿を褒めてくれるし、私を養ってくれている。
大好きの中身の何割かが未知なる生物への好奇心だったとしても、檜の好きな私の容姿が簡単に変えられるものであっても、養ってくれるのが好きな理由に入っているのが打算的でも、関係ない。好きなものは好き。それでいいのだ。
洗濯物を干してから、コンビニに行った。人間の食べるものや使うものは面白い。種類が同じなら味や性能はほぼ同じなのに、まるで違うもののように売り出す。パッケージもおしゃれで、シンプルならシンプルなりに意図が込められていて、見ていて飽きない。
しばらくうろうろと物色したのち、甘い飲みものが飲みたかったことを思い出し、飲料の棚の前に立った。
私はふだん、あまり甘い飲みものを飲まない。水を朝に飲めば、その日一日はなにも飲まなくても平気だ。なにかを飲むこと自体に、あまり興味も関心もない。
でも今日は、なぜか無性に飲みたかった。
サイダーとコーラで迷って、コーラを選んだ。今日は水色より茶色の気分だったから。
会計を済ませて店を出ると、すぐに蓋をあけた。ぷしゅっと弾ける音がして、独特の甘い匂いがかすかにたちのぼる。
口をつけると、液体より先に、甘い空気が口を満たした。続いて、しゅわしゅわと甘くて痛い炭酸が喉を通る。
コーラを飲みながら、太陽に浸された白い街を歩く。母親に手を引かれて歩く小さな男の子が、羨ましそうな目を向けた。昼間から甘い炭酸を飲むという所業は、彼にとって大きな贅沢に違いない。
コーラを飲み終わっても、ボトルを捨てる気になれなかった。女性のからだをイメージしているというなめらかな曲線を描いたボトルはきれいで、捨てるには惜しい。
夕方、帰ってきた檜は、ボトルを見て少しだけ目を丸くした。
「珍しいね。そういうの飲むの」
「うん。飲みたかったの」
「俺も久しぶりに飲みたいな」
「今キスしたら、コーラの味がするかもよ」
私の言葉に、檜はきょとんとして、それから笑った。
「はいはい」
檜は優しい。疲れたからだで帰ってきて、こんな馬鹿みたいなおねだりを聞いてくれる。
「もう味、しないよ」
冗談めかして口を尖らせながら、檜は言った。私は笑った。幸せで、それなのにどこか哀しい笑いだった。
なぜ哀しいのか、わからなかった。檜の優しさが哀しいかもしれないし、コーラの味がもう消えてしまったのが哀しいのかもしれないし、哀しい気持ちになりたかったのかもしれない。
「ねぇ、不死にならなくて、いいの」
私の唐突な、でも毎日繰り返している問いに、檜は静かに答えた。
「うん」
「そっか」
それ以上は聞かなかったし、檜もなにも言わなかった。
私は、檜を不死にできる。そうすれば、ずっと一緒にいられる。でもしない。檜が望まないから。
いつか、消えてしまったコーラの味のようにこの日々が消える日が来ても、それはそれで美しいものなのかもしれない。檜がそういう形を望むなら、それが私にとっても幸せなのだ。
日が落ちて暗くなった室内の電気をつけるために、私は立ち上がった。