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おじさん
ピノって食べたことありますか。
電車で隣に座ったおじさんに、そう聞かれた。
「ピノ」
鸚鵡返しをした私の声はひどく間抜けで、でもおじさんは真剣な顔で頷いた。
「ピノって、あのピノですか」「そうです、あのピノです」「アイスの」「そうです」
ありますよ、と答えながら、私はおじさんを観察していた。頭頂部が禿げている。青いTシャツを着ている。無害そうな、どこにでもいるおじさん。
おじさんは私の返事を聞いて、満足そうに頷いた。そうですか。はい。私も頷いた。私の前で立っている二十代くらいの男の人と、その隣でスマホを見ていた女子高生が、怪訝そうな顔で私たちを見た。でもその目はおじさんと私で微妙にちがって、私にむけられたのは、「変な人に絡まれて可哀想」の成分をふくんでいた。
おじさんは二人の視線を全く気にせず正面にむきなおり、私もふたたびだまった。
数分後、おじさんはまた話しかけてきた。
「アメリカのポストが、ぜんぶラムネに変わればいいと思いませんか」
「ラムネ」
私はまた鸚鵡返しをした。でも、今度はもう呆気にとられなかった。
「思いませんけど、爆発はあぶないと思いますよ」
答えながら、あれ、何を言ってるんだろう私、と思った。おじさんの「不審者とまではいかないけどちょっとそういう感じの人」オーラにあてられたのかもしれなかった。
おじさんはぱちぱちとまばたきをして、それから嬉しそうにほほえんだ。
「そうですか。爆発はあぶないですか」
「はい。あぶないです」
私は頷きかえした。車内は「そういう感じの人」が二人に増えたことで、おだやかにはりつめていた。
「そんなこともあったねぇ」
おじさんがなつかしげに目を細める。おじさんは今、私の夫だ。