一話読み切りをまとめたもの
一次創作のごった煮 明るいのも暗いのもある。
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目次
春色讃美
習作
しおらしくひらいた桜の花びらにふれると、ほろほろとくずれ落ちた。
ひとつの可憐な生をこの手で壊してしまった気がして、罪悪感がした。
なんて。
桜の花を落としたくらいでそんなふうに哀しさを感じる人間というのは、たいそうゆとりのある生活をしているんだろう。
その日食う飯は用意されているに違いない。学校や職場になんの不満もないんだろう。金に困らず、考えることしかやることのない人間。
そんなの子供か金持ちしかいねえな、と思いながら、桜が咲きほこる道をゆく。
なだらかな丘になっている道の、短い草が生えた傾斜には、シートをひろげて花見をする近隣住民の姿。
平和だなぁ。
春は好きだ。甘いもんが多くて、みんなフワフワしてて、浮かれた気持ちになる。
「ねえ、あなた、花見なんて柄じゃないでしょ。帰りましょうよ」
隣をあるく由芽は、しきりと文句を言う。さいきん染めなおした白髪からやさしい匂いがする。
由芽はあんまりやさしくないけど、由芽のまとうものはやさしく見える。
白いブラウス、グレージュのスカート、平たいシューズ。
きれいだなぁ。
由芽を見ているといつも思う。灰色っぽい目も、淡い桃色で艶めいた唇も、うすい鼻も、するどいあごの曲線も。
つくづく惚れきってんだ。
由芽はずるい女だ。俺が買ってきた酒を勝手にのむし、節約しなさいよと俺に言っておきながら自分は高い煙草を買うし、アイスはかならず一口くれと要求してくる。いやだと言うと小一時間拗ねる。
でも、酒に酔った由芽はすごくかわいいし、俺が落ち込んでると自分の煙草を一本分けてくれるし、コンビニに行くと108円均一のお菓子を買って俺にひと袋ぜんぶくれる。
好きなんだ。由芽のこと。
春が好きって気持ちは春にしか芽生えねえけど、由芽が好きって気持ちは年中消えない。
だから俺は、由芽を相手にすると溶けかけたチョコみたいにふにゃんとヤワになって、たちまち言ってしまう。
「おう。帰るか」
あまくて可憐で、ずるくてあざとい、春のような俺の恋人。
魚
一度めには、痩せた白猫のように見えた。
二度めには、途方に暮れた子供に見えた。
三度めは、四度めは、会うたびに女の印象は変わっていった。優しいふり、夏の妖精、K-POPアイドル、なにかえたいの知れないもの、溶けかけたプリン、転がる箸、およぐ小魚、そんなもののように。
小魚を猫が捕まえて、女は痩せた白猫に戻った。
風俗で知り合った女だった。名前をユメと言った。
他の女たちと同じように、ユメは胸元がほんの少し見える、きわどい服を着ていた。
けれどもユメのからだは欲をさそうとは言いがたく、小学生のように小さくて平坦だった。髪が真っ白で、あちこちに跳ねていた。顔は、うつくしかった。
捨て猫のような女だった。指名すると、数秒かたまってこちらの顔をじっと見つめる。それから、おずおずともしずしずともとれるような動きで、卓に向かってくるのだった。
ユメの髪は、あまいにおいがした。金木犀と無花果が混ざったようなにおいだった。
ユメは、客が話していれば、いくらでもきいた。すなおに、健気に、やや身を乗りだしていつまでもきいていた。自分の話をしろと言うと、こまったように口ごもった。
「わたし、自分の話をするのって、きらい」
ユメは小さい声で言った。水をはじいたような声だった。
ユメの客は少なかった。物好きか、なんでもいいか、顔しか見ていない連中。あるいは、多少の小児性愛の気がある者。ユメを見ていると、幼いなにかを相手にしているような気持ちになるのだった。
「彼氏はいるの」
いつか、そうきいてみたことがある。ユメはびっくりしたようにかたまって、唇をふるわせ、慎重にことばをえらび、答えた。
「いないけど、同居している男の人はいる」
それを彼氏っていうんじゃないの、という顔を、彼女の隣にすわっていた女の子が、した。ユメはうつむいていた。
「そのひとは、どんな男のひとなの」
ふたたび問うと、ユメは小さくガイジンさん、と答えた。酒をつくっていたハーフの女の子が、ちらりとユメを見、すぐにそらした。
「外国人?ふうん、どこのうまれ」
「たぶん、イギリス」
「背は高い?顔は?」
「高いわ。顔は——すっごくきれい」
すっごくきれい、と言ったユメの表情は、とろけなかった。惚気ているようには見えない。あいかわらず、途方に暮れた子供、溶けかけたプリン、そういったものの顔をしていた。
ユメの瞳のなかに、無数の魚が泳いでいた。ユメの灰色がかったうすみずいろの瞳の奥で、すいすいとながれていた。魚は金木犀を食べ、無花果色に染まって、ゆっくりと沈んでいった。
ハーフの女の子が、酒をはこんできた。ユメの前に置いたとき、蜜色のそれがほんの少しこぼれた。ユメはさりげなくおしぼりで隠した。
それからは、自分の話をした。ユメはほっとしたように、あるいは何も感じていないように、聞き役に徹した。もう瞳に魚はいなかった。かわりに、鏡のように、透明な水のように、目の前のものをただ映しだしていた。
帰りぎわ、ユメは、また会いにきてねと、彼女にしてははっきりした声で言った。瞳がゆれていた。また来るよと言ったら、桜が咲きこぼれるように笑った。
それきり、店に行っていない。
ペット
微嘔吐表現注意
スーパーでキャットフードをかう。この前のは気に入らなかったようだから、ちょっと高いやつにする。パッケージが白猫なのがよかった。アイツと同じだから。
レジで並んでいると、「そのキャットフード、いいですよ。食いつきが違うんです」と声がした。ふりむけば、いつもペット関連の売り場で会う女のひとが、にこにこと俺に笑いかけていた。彼女の買いものカゴにも、同じキャットフードが入っている。
「そうなんですね。はじめてかうんで、よかったです」
「ほんと、これしかたべなくなって、こまってるくらい。おたくの子も、結構グルメちゃんですか?いつもちがうのかってますもんね」
そうきかれ、俺は少しおどろく。よく見ているひとだ。
「ええ、うちのはかなりわがままで。でもつい甘やかしちゃうんですよね」
「ああ、わかります…おたくの子、きっとかわいいんでしょうねえ」
女のひとはうっとりと言う。俺はアイツの顔を思い出しながら、「とっても」とこたえた。
家につくと、床をひっかく音がした。またか、と思わず苦笑する。
「ただいま、ユメ」
言いながら、リビングの明かりをつける。ユメが俺を見あげ、座りこんだ。
俺が帰ってきたらおすわりするようにしつけたのが、功を奏したらしい。いい気分になって、かってきたばかりのキャットフードをとりだす。ま新しいパッケージにひかれてか、ユメは目を見ひらいた。
「今日はちょっと高いのをかってきたんだ。きっと気に入ると思う」
俺はユメ専用の赤い皿をとり、キャットフードのパッケージをひらく。いかにもエサらしいにおいがふわっとひろがった。茶色で、ひとつひとつが小魚の形になっている。
「ほら、魚のかたちしててうまそう。おあがり」
ざらざらと皿に出してすすめると、ユメはおずおず皿に口をちかづけた。二口、三口と口に入れて咀嚼し、飲みこんだのち、すぐに吐いた。
「あちゃー」
これもだめか。仕方ないなあと俺は笑い、咳きこむユメの背中をさする。ユメの目には涙が浮かび、吐いたものの上に落ちた。
ユメは俺のペットだ。ただし、猫ではなく人間の。
ユメを飼いだしたのはいつ頃だっただろうか。もうおぼえていない。きっかけも。ただ、ユメがひどく怒っていたのと、泣いていたのはおぼえている。
逃げると困るから、首輪と足枷をつけている。性行為のそういうプレイで使うような、ネットで探せば手に入る代物だ。そんなでも、ちゃんと効き目はある。しっかり躾をすれば。
俺はとにかく、ユメは人間より猫の方が似合っていると思ったのだ。だってユメは、真っ白でふわふわしてて、気まぐれで、人間よりよっぽど猫に近い。
ユメの吐物を片づけながら、俺はきいた。
「おまえさあ、名前なんだっけ?名前の漢字」
ユメは部屋の隅で固まりながら、かぼそい声で答える。
「…結瞳。結うに瞳で、結瞳」
「ふうん。かわいいね」
でもさ、と言いながら、俺は立ち上がる。ユメが怯えた目をする。
「おまえにはもったいないよ。結うも瞳も」
そう言って、俺はユメの頬を殴る。腕を、腹を、胸を、殴る。ユメを傷つけるたび、俺はみたされる。
仕方ないよな、男はときどき、暴力的な気分になるんだって、科学的に証明されてんだから。おまえだって昔は、生理だから仕方ないでしょって、よく言ってたもんな。
ユメは俺のペットだ。とってもかわいい。