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F30。B1。F50。
パネルのサイズだ。白金、焦茶、モカの、色とりどりの髪みたいな木製のそれを、埃にまみれたパネル群のなかからえらびだす。
つかうのは、ケント紙か画用紙。画用紙は紙の裏表を気にしなくてはいけないから、私はケント紙の方が好き。
丸められた細長いケント紙と、腰のあたりまであるF30のパネルを抱えると、見かけよりも重い。
スケッチブックに自分本位の落書きをしていた頃とはちがうのだ。いまの私に求められているのは、目の肥えた審査員をうならせる絵画。緻密な写実性。
筆洗に水を入れて、ペンキを塗るときに使うような大きい筆を二本、取り出す。友達に手伝ってもらいながら、水張りをする。
パネルの四隅にケント紙を合わせる。1センチくらい余分に残して、切り落とす。裏返して、筆で撫でるように、紙に水を塗る。
そこ乾いてるよ、ちょっと、水多すぎ、これ破けるって——笑い合いながら作業する。来年はきっと、周りに頼らず、自分だけでできるようにならなければいけないだろう。
水を塗ったら、再度ひっくりかえし、折り目をつけた四隅に合わせて、紙をパネルに貼る。ここからが大変なところ。
黒い水張りテープに水をつけると、粘度がうまれる。パネルの縦と横にテープを貼って、完成。手早く貼らないと乾いてしまう。紙とパネルの間の空気を抜かないと、たわんで描きづらい。空気を抜きつつ、テープを貼る。四隅はしっかり引っ張って。破れるかな、と思うくらいでちょうどいい。
水張りが終わると、ようやく絵が描ける。
下書きを横に並べ、うつしとりながら、完成させられるだろうかという淡い不安に駆られる。
大した実力はないのだ。素描の授業を受けたこともないのに、写実性を求められたって。
不満はあるけれど、はじめてしまったらもう描くしかない。
線をひく。消して、またひく。ひいては消し、消してはひいて、紙の上にひとつの別世界をうみだす。
色をのせ、かざり、そこにあるものたちを息づかせる。描けば描くほど、小さな世界は重みを増してゆく。
本当は、絵を描くことが、そんなに好きなわけでもないのに。
作品をうむのは好きだ。でも、そこに至るには、描かなければいけない。
描かない人生なんてありえない。
キャンバスから、絵の具から、筆から、私は一生のがれられない。
紙面いっぱいに好きなものをえがく。それらが審査され、容赦なく落とされ、否定されてゆく。
だから、絵を描くのは、傷つくことと似ている。私たちが何ヶ月もかけて表現したものは、一日で否定される。
それでも、描かずにはいられない。
美術の世界で生きること。芸術のなかで生きてゆくこと。
芸術は美しい。そこで生きることは、快楽と陶酔をうむ。
だから、呪いのようだと思う。
高めれば高めるほど、おちてゆく。
私はまだ、その入り口に立ったばかりだ。
これからどんな深淵をのぞくのだろう。
傷つくと分かっていて、呪いのように、私は筆をとる。