ウソツキ 一年生編
編集者:AI
「お前の価値は、何点だ?」
——全員が嘘をつくこの箱庭で、僕だけが『真実の醜さ』を知っている。
【あらすじ】生徒の容姿、学力、人脈——あらゆる人間性をAIが数値化し、格付けする超エリート校・私立栄華学園。
そこは、スコア上位の「貴族」が下位の「家畜」を合法的に支配する、歪んだディクトピアだった。スコア『0』の最底辺として泥水をすする少年・御堂 綾(みどう りょう)。
しかし彼には、他人の微細な表情から「嘘」を100%見抜く、恐るべき狂気の観察眼があった。
ある日、親友の裏切りで全てを失った元・女王、神代玲奈(かみしろ れいな)と手を組んだ綾は、学園の頂点に君臨する絶対的な『偽神(生徒会長)』を引きずり下ろすため、命がけの心理欺瞞戦(カースト・ゲーム)に身を投じる。
ルールをハックせよ。
勝てば天国、負ければ奴隷。
嘘つきたちの最高峰を決める、冷徹な頭脳戦が
——今、幕を開ける。
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目次
1話「査定開始」
じっとりと首筋にへばりつく汗が、酷く生温かかった。
西日の差し込む放課後の教室。充満するのは、埃と、使い古された畳のような安っぽいワックスの匂い。
そして、人間の剥き出しの悪意だ。
「おい、|家畜《ゼロ》。耳が聴こえねえのか?」
品性のない声が、鼓膜を不快に揺らす。
声の主は、クラスのカースト最上位に君臨する男——
新道 拓海。
その胸元にあるデジタルバッジには、眩い緑色で【学園スコア:742】の数字が明滅している。
対して、俺——
御堂綾(みどう りょう)のバッジが示すのは、完全な無光。
**【0】**
この学園において、スコアを持たない者は人間ではない。
ただの奴隷。システムが家畜と認めた、ただの排泄物だ。
「おい、早くしろよ。次の授業までに購買の限定パン買ってこいって言ってんだよ。……それとも、また『公式決闘』でその汚い顔、床に擦り付けられたいか?」
新道がニヤニヤと笑いながら、ポケットから1枚のコインを取り出す。学園公認の、決闘用コイン。
周囲の生徒たちは、巻き添えを喰らうのを恐れて一斉に目を逸らした。教室全体が、冷酷な沈黙の繭に包まれる。
誰も助けない。それがこの学校の正しい「査定」だからだ。
「……わかりました。行ってきます、新道さん」
俺は消え入りそうな声で言い、ペコペコと頭を下げた。視線は床に落としたまま。だが、俺の意識は新道の「全て」を限界までスキャンしていた。
呼吸、1分間に24回。浅い。机を叩く指のフェザータッチは3ミリ。焦っている。声のトーンは普段より2オクターブ高い。——なるほど
新道は笑っている。威張り散らしている。
だが、彼の皮膚の微細な痙攣、瞳孔のわずかな収縮が、俺の脳内に鮮明な『真実』を弾き出していた。
新道拓海。お前、今日のスマホゲームの賭け戦で、上位ランカーにスコアを300近く毟り取られたな?だから格下の俺をイジめて、減ったプライドを必死に補填しようとしている。
お前の嘘も、虚栄も、その薄汚い内面の全てが、俺には透けて見えている。
俺のスコアは『0』だ。
だが、それは能力がないからじゃない。この学園の、AIの、全てのルールをハックして、根底から叩き潰すために、あえて『無』の怪物として潜伏しているだけだ。
「おい、何ボサッとしてんだ!」
「すみません。……ただ、新道さん」
俺はゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、俺の顔から「怯え」の仮面が完全に剥がれ落ちる。
「購買に行く前に、少しゲームをしませんか?あなたのその、減りすぎたスコアを賭けて」
新道の顔から、一瞬で余裕の笑みが消えた。
「……あぁ?ゲームだぁ?」
新道の声が、驚きから侮蔑へと変わる。教室の空気が目に見えて凍りついた。
「スコア0のゴミが、俺にゲームを挑む? |公式決闘の最低賭け金《ミニマム・ベット》はスコア10だ。お前には賭けるチップすらねえだろ」
「ありますよ」
俺は制服のポケットから、1枚の古びた、黒く変色したコインを取り出した。学園が発行したものではない。
「僕の『|人生の保有権《アカウント》』です。もし僕が負けたら、学園を自主退学し、あなたの完全な『奴隷』として一生無償で働きます。AIのシステムに『誓約書』は先ほど送信しました」
教室中が息を呑んだ。新道の胸のバッジが青く点滅する。
学園AIが、俺の提示した超高リスクな賭け金を「等価」と査定し、決闘を承認した合図だ。
「面白いじゃねえか……! 身の程を教えてやるよ。ゲームは何にする?」
「簡単です。新道さん、あなたが今ポケットに入れた『そのコインの裏表』を、僕が当てます」
一発勝負のコイントス。確率二分の一。知略の介入する余地のない、ただの運否天賦——。
周囲の生徒が冷ややかな視線を送る。新道もまた、勝ちを確信して下卑た笑みを浮かべた。
「いいぜ。じゃあ、今から俺が手の中でコインを弾く。お前が当てろ」
カラン、と新道の親指がコインを弾いた。 放物線を描き、新道の左手の甲に落ちたコインを、右手の手のひらが遮る。
「さあ、どっちだ、綾?」
新道は勝ち誇っている。
---
——白い、あまりにも白くて清潔な部屋。
——冷徹な機械音と、あの時、俺の全てを奪って嘲笑った『神』の顔。
『君の価値は、今日から0だ。……悲しいね、綾くん』
……あの日から、俺の心は死んだ。だが、引き換えに手に入れたんだ。人間の形をした醜い生き物たちの、呼吸、脈拍、筋肉の弛緩から、すべての『数値』を割り出すこの冷徹な眼を。
---
「……『表』です」
俺は静かに告げた。新道が口角を釣り上げる。
「ブブー、ハズレだ!裏だよ。さあ、お前の人生は——」
「新道さん。あなたの右手の親指、第一関節が0.5ミリ浮いています」
「……は?」
「コインを確認する前、あなたの視線は右斜め下——つまり『自分の想定と違ったとき』の拒絶反応を示していた。弾いた瞬間は確かに『裏』だった。でも、あなたは今、僕を確実にハメるために、右手の手のひらの中でコインを滑らせて『表』にひっくり返した」
新道の顔から、血の気が一瞬で引いていく。 呼吸が止まり、額からドロリとした大粒の汗が流れた。
「い、イカサマだって言うのかよ! 証拠が——」
「公式決闘のルール第14条。ゲーム中のイカサマは、対戦相手がその『手法』を正確に指摘した時点で失格となり、全賭け金は相手に移動する」
俺は一歩、新道に近づき、耳元で囁いた。
「この教室の監視カメラの映像を、僕のスマホでスロー再生しましょうか? あなたがコインを弄った瞬間、バッチリ映ってますよ」
「あ、あ……」
新道の足がガタガタと震え出す。
彼は知らなかったのだ。この教室のカメラの死角も、AIの判定アルゴリズムも、俺がすべて事前に『ハック』していたことを。
**ピピッ——**
無機質な電子音が教室に響く。新道のバッジの数字が高速で減少し、俺の胸元のバッジに吸い込まれていく。
**【新道拓海:スコア 742→0】【御堂綾:スコア0→742】**
光を失い、灰色に染まった新道のバッジ。昨日まで家畜だった俺が、一瞬でこの教室の「貴族」に成り代わった。
「ヒッ……、う、嘘だろ……」
崩れ落ちる新道を、俺はもう見向きもしない。
周囲の生徒たちの、怯え、羨望、嫉妬が混ざり合った視線が突き刺さる。そのすべてが、最高に心地よく、そして最高にくだらない。
査定完了。被検体:新道拓海。価値、ゼロ
脳内のAIが、冷酷に事実を告げる。
これはほんの序章だ。俺の人生を壊した、あの頂点にいる『偽神』を引きずり下ろすまで、この格付けの破壊は終わらない。
—— 本日の観測終了。被検体:御堂綾のスコアを更新します
次回、2話「共犯の境界線」
2話「共犯の境界線」
放課後の喧騒が去った、夕暮れの旧校舎。錆びついた水道の蛇口から、
**…トツ…トツ…**
と不規則に落ちる水音が、静まり返った廊下に響いていた。
「見事なハメ技だったわね、御堂くん。いえ——スコア『742』の新しい貴族様、と言うべきかしら」
背後からかけられた声は、鈴の音のように澄んでいたが、同時に凍りつくような冷たさを孕んでいた。
振り返ると、そこにいたのは神代玲奈。
ほんの1週間前まで、その圧倒的な美貌と財力で学園の頂点近くに君臨していた、元・女王だ。現在の彼女のバッジは、俺と同じく完全な無光——スコア【0】を示している。
「……何の用ですか、神代さん。家畜同士、傷の舐め合いでもしに来たんですか?」
俺は冷淡に突き放す。だが、俺の眼はすでに彼女の細部を捉えていた。
呼吸、1分間に16回。完璧な深呼吸。制服の裾を握る指先が微かに白い。——怯えている。でも、逃げるための恐怖じゃない。獲物を前にした捕食者の緊張だ。
彼女は、新道を壊した俺の『狂気』に怯えながらも、同時にそれを利用しようと近づいてきている。
「舐め合い?まさか。私は私のモノを全部奪い返しに来ただけよ」
神代玲奈が、ゆっくりと俺との距離を詰める。夕日の赤が、彼女の鋭い瞳を血のように染めていた。
「あなた、新道のコインの動きをスロー映像で確認するなんて言ったけれど、あれはハッタリね。あの教室の監視カメラは、先月のシステム更新でフレームレートが下がっているわ。スローにしても、指先の細かな小細工なんて映るはずがない」
俺の口角が、自然と上がった。
「気づいていましたか」
「当然よ。でも、新道は怯えて自滅した。あなたはカメラの仕様ではなく、彼の『罪悪感』と『恐怖』を完璧にハックして、自白させたのよ。……おぞましい男」
神代玲奈はそう言いながら、俺の胸元にそっと手を置いた。
細い指先から、彼女の狂おしいほどの憎悪の体温が伝わってくる。
「私を裏切って、私のスコアをすべて奪った男がいるの。現在の生徒会書記——一ノ瀬。来週、あの男が主催する『|学園オークション《ブラック・マーケット》』があるわ。……私と組みなさい、御堂綾。あなたのその悪魔のような眼を、私に貸して」
裏切り。そうだ、この学園はそれだけで出来ている。
---
かつて俺を『0』に査定したあの『神』も、俺の最も信じていた存在だった。
『ごめんね、綾。君が優秀すぎるから、私は怖かったんだ』
---
胃の奥からせり上がる黒い記憶を、強引に飲み干す。
目の前の元・女王も、俺をただの便利な道具としか思っていない。
いつでも裏切る準備はできているはずだ。
「いいですよ、神代さん。組みましょう」
俺は彼女の手を、少し強めに握り返した。
「ただし、僕を裏切ろうとした瞬間、あなたのその綺麗な顔が絶望でクシャクシャに歪むことになる。……それでもいいなら、僕の共犯者にしてあげます」
神代玲奈は一瞬、息を呑んだが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「ええ、望むところよ。地獄の底まで付き合ってあげる」
ピピッ——
二人のバッジが、微かに共鳴するように青く光る。学園AIが、俺たちの『共犯契約』を、歪んだ最適解として処理したのだ。
査定更新。被検体:神代玲奈。危険度、上昇。——共犯関係、成立。
元・女王という最強のパーツを手に入れた。
次の標的は、生徒会書記・一ノ瀬。学園を統べる『偽神』への階段を、俺たちは一段ずつ、血と嘘で塗り潰しながら登り始める。
—— 本日の観測終了。共犯者の獲得を確認。次なる査定の舞台へ移行します。
次回、3話「学園オークション」
3話「学園オークション」
学園の地下に存在する、使われていない円形講堂。
そこは週に一度、生徒会書記・一ノ瀬蓮が主催する闇の競り市——
**『|学園オークション《ブラック・マーケット》』**
の会場へと変貌する。
「皆さん、今週もよく集まってくれました。さあ、本日最初の|出品《アイテム》です」
ステージ中央、スポットライトを浴びる一ノ瀬は、モデルのような端正な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべていた。
だが、彼の胸元に光る【学園スコア:3200】の数字は、彼がこれまでにどれだけの生徒を合法的に剥ぎ取ってきたかを示す血の証拠だ。
今回のオークションに出品されているのは、スコアだけではない。
「借金で首の回らなくなった女子生徒の『一週間の所有権』」
や、
「優等生の『期末テストのカンニングデータ』」。
人間のプライドや秘密が、品性のない声とともに競り落とされていく。
「エグい趣味ね。相変わらず反吐が出るわ」
仮面で顔を隠した神代が、俺の隣で低く呪詛を吐いた。
「あの男はそうやって他人の弱みを買い叩き、自分のスコアを増やしてきた。……神代さん、あなたのスコアを奪ったのも、あのステージの上ですね?」
「ええ。私のプライベートな『音声データ』を買い取ったと脅されて、公式決闘で全スコアを譲渡させられたのよ。中身はただの捏造だったのに、当時の私は怯えてしまった」
神代の指先が、悔しさで小刻みに震えている。
だが、その歪んだ怒りの熱量こそが、俺たちを動かす最高のエンジンだ。
「安心してください。あの男の『嘘』は、すでに僕の眼が捉えています」
俺はステージ上の一ノ瀬をじっと見据えた。
呼吸、1分間に18回。安定している。だが、彼がオークションハンマーを振り下ろす瞬間、右の眉がわずかに1ミリ上がる。——彼は、出品物の価値を自分で決めていない。裏で誰かから指示を受けている。
その時、一ノ瀬の鋭い視線が、観客席の俺たちへと向けられた。
「おや……。珍しいお客様ですね。今週、新道からスコアを全額強奪して一躍有名になった、スコア『742』の御堂綾くん。そして——元・女王の神代玲奈さんだ」
会場のすべての視線が、一斉に俺たちに集中する。
「せっかくの勝者が、そんなはした金で何をしに来たのかな? ここは最低入札額がスコア1000からの、選ばれた貴族の遊び場だよ」
一ノ瀬の口元が、クズを見るような歪んだ三日月形に変形する。
「一ノ瀬さん。貴族の遊びに、俺たちも混ぜてください」
俺は仮面を外し、冷徹な笑みを浮かべてステージへと歩き出した。
「僕が今から競りにかけるのは、スコアではありません。学園AIですら測定不能な、僕の『過去の特級秘密』。これを一ノ瀬さん、あなたのスコア3200すべてと競らせてもらう」
一ノ瀬の目が、欲望と警戒でギラリと光った。
これが、破滅へのカウントダウンとも知らずに。
「ふ、ふざけるな……!こんなポイント、バグに決まっている!おい、システムを強制終了しろ!」
ステージの上で、一ノ瀬が声を荒らげる。かつての爽やかなエリートの面影はどこにもない。
だが、巨大モニターの数字は消えなかった。それどころか、俺の投下した『秘密』の毒があまりにも濃すぎたせいで、学園オークションのシステム全体が悲鳴を上げ始めていた。
**バチバチッ**
と火花が散る。
「何が起きているの……?」
神代が目を見開く。
「システムをハックしたんですよ。一ノ瀬の管理するサーバーに、AIが処理しきれない『国家機密級のバグ(僕の過去)』を流し込んだ。……ほら、決壊しますよ」
次の瞬間、会場の全モニターが真っ赤に染まり、警告音が鳴り響いた。
**【システム異常:管理者の秘匿データを全開示します】**
「なっ……やめろ! 遮断しろ!!」
一ノ瀬が狂ったように叫ぶが、もう遅い。
画面に映し出されたのは、一ノ瀬がこれまでに他の生徒から脅し取ったスコアの裏帳簿、そして——神代玲奈を陥れるために、彼が自ら仕組んだ『捏造スキャンダル』の音声データだった。
『神代のやつ、俺を信じ切ってて笑えるよな。適当にデータを偽造して家畜に落とせば、あの利権は全部俺のモノだ』
スピーカーから流れる一ノ瀬の嘲笑混じりの声。
会場の生徒たちの視線が、一瞬で「軽蔑」へと変わる。一ノ瀬の築き上げた絶対的な信頼が、ドミノ倒しのように崩壊していく。
「あ、あ、違う、これは俺の声じゃ——」
言い訳をしようとした一ノ瀬の胸元で、電子音が鳴った。
**ピピッ——**
【一ノ瀬蓮:スコア3200→0】【神代玲奈:スコア0→3200】
システムがイカサマと不正を検知し、一ノ瀬のスコアを全没収、本来の持ち主である神代へと強制返還したのだ。
灰色に染まったバッジを掴み、ステージにへたり込む一ノ瀬。
「査定完了。被検体:一ノ瀬蓮。価値、ゼロ」
俺は冷酷に告げ、神代の手元に戻ったスマホを指差した。
「約束通り、取り戻しましたよ。元・女王様」
「ええ……ありがとう、綾くん」
神代は一ノ瀬を一瞥(すら設定せず、俺を見て妖しく微笑んだ。その目には、感謝以上の、俺という「怪物」への深い執着が宿っていた。
パチ、パチ、パチ。
その時、ホールの暗闇から、ゆっくりと拍手をする音が聞こえた。生徒たちが恐怖に満ちた表情で道を開ける。現れたのは、黒い生徒会腕章を巻いた長い黒髪の少女。
「素晴らしいわ、スコア0のハッカー。一ノ瀬のような小悪党を、まさかシステムごと叩き潰すなんてね」
彼女の胸元で怪しく光るバッジの数字は——【学園スコア:8500】。 生徒会副会長、如月院 夜空。
学園の『偽神(会長)』のすぐ右隣に座る、本物の絶対強者だった。
「御堂綾。あなたのその『秘密』、今度は私と賭けてみない?」
彼女の冷徹な笑みが、次なる地獄の幕開けを告げていた。
——本日の観測終了。一ノ瀬蓮の失脚を確認。上位個体:如月院夜空の介入を感知しました。
次回、5話「黒い副会長」
4話「黒い副会長」
「生徒会室へようこそ、御堂綾くん。……それから、おかえりなさい、神代玲奈さん」
重厚なマホガニーの扉の向こう側。
出迎えたのは、豪奢な革張りの椅子に深く腰掛けた少女——如月院 夜空だった。
彼女の長い黒髪が、月光を浴びて妖しく濡れたように光っている。胸元のデジタルバッジに浮かぶ【8500】という数字が、圧倒的な質量となって俺たちの精神を押さえつけてきた。
「一ノ瀬をハックしたあの『秘密』、私にも詳しく聞かせてくれないかしら?」
如月院は優雅に微笑みながら、デスクの上に奇妙な形をした二つのヘッドセットを置いた。
金属製のフレームに、不気味に明滅する赤いセンサー。それが何を意味するのか、俺の眼は一瞬で理解した。
「……ただの話し合いではなさそうですね、副会長」
「ええ。これは学園AIが開発した『|精神査定判定機《ライ・ディテクター》』。ルールは簡単よ。今から私とあなたが交互に質問をし合うの。もし『嘘』をついたり、精神の動揺をシステムに検知されたら——」
如月院がパチン、と指を鳴らす。直後、デスクの金属プレートからバチバチッと激しい青白い火花が弾け飛んだ。
「強い電気ショックが脳を突き抜けるわ。脳が焼き切れる前に降伏するか、スコアが『0』になるまで終わらない、楽しい尋問面接ゲームよ」
狂っている。
これまでの頭脳戦とは次元が違う。イカサマやハッキングをする前に、肉体が、神経が、物理的に破壊される恐怖。
隣に立つ神代の呼吸が、一瞬で浅くなるのが分かった。
呼吸、1分間に32回。速い。瞳孔が開いている。——神代さんは、過去にこの部屋で同じ目に遭っているな?
神代のトラウマを刺激し、俺たちの連携を根底から狂わせる。それがこの女の狙いだ。
「御堂くん、やめておきなさい。この女は本物の怪物よ……!」
---
神代が俺の袖を掴み、青ざめた顔で首を振る。
——耳を劈く電気音。体にまとわりつく、肉が焦げるような嫌な匂い。
『耐えるんだ、綾くん。君の脳がAIの限界を超える瞬間を、私は見たいんだよ』
---
「いいですよ、如月院先輩。そのゲーム、俺が買いましょう」
俺は神代の手を優しく払い、迷わずヘッドセットを頭に装着した。
「ただし、僕の精神を査定しようとしたこと、後悔しないでくださいね」
如月院の目が、驚喜にギラリと形を変える。
「素晴らしいわ。やっぱりあなた、壊れているのね」
ピ———
システムが起動し、俺と如月院の意識が一本の『電流の鎖』で繋がれた。
勝てば生徒会の中枢へ、負ければ脳の崩壊。
嘘が許されない極限の尋問戦が、今、始まった。
「それじゃあ、私から質問させてもらうわね、御堂綾くん」
如月院夜空が、愉悦に満ちた瞳で俺を見据える。ヘッドセットのセンサーが、俺たちのこめかみで不気味に赤く明滅していた。
「あなた、この学園の人間じゃないわね? ……いいえ、言い方を変えましょう。あなた、本当は人間(プレイヤー)の形をした、この学園のシステムそのもの——『AI』なんじゃないかしら?」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
あまりにも突拍子もない、けれどこの作品の根底を揺るがすメタ的なハメ質問。
背後で神代がハッと息を呑む。センサーが一瞬、俺のわずかな脈拍の乱れを検知した。
**バチバチバチッ!!!**
「ぐっ……!」
激しい電流が脳を突き抜け、視界が一瞬、真っ白に染まる。肉体が引きちぎれるような痛みが全身を襲った。しかし、俺は奥歯を噛み締め、無理やり口角を吊り上げて笑ってみせた。
「……何が、おかしいのかしら? 嘘をつけば、次はもっと強い電流が流れるわよ」
「おかしくて、笑うしかないんですよ。如月院先輩。……今の質問に対する僕の答えは『NO』です。僕は血の通った人間だ」
ピピッ——。
警告音は鳴らない。電流も流れない。システムが、俺の言葉を『真実』と判定したのだ。
「なるほど、人間であることは確かなのね。じゃあ、今の電流は何の動揺かしら?」
「あなたのその、底の浅い『推測』に呆れただけです。……さあ、次は僕の番だ。先輩、あなた——学園のトップである『生徒会長』に、狂ったような劣等感と、エグいほどの執着を抱いていますね?」
その瞬間、如月院の端正な顔が、ピキリと凍りついた。
呼吸、1分間に14回から28回へ急上昇。
指先が、デスクの下で自分の太ももを血が出るほど強く掻き毟(むし)っている。
完璧だった彼女の『嘘の仮面』が、一瞬で剥がれ落ちるのを、俺の眼は見逃さなかった。
**バチバチバチバチッ!!!!**
「あぁっ……!!!?」
如月院の短い悲鳴が、防音の生徒会室に響き渡る。
彼女の脳に、俺が受けたものの数倍の電流が容赦なく叩き込まれたのだ。髪が激しく揺れ、彼女はデスクに両手を突いて激しく呼吸を乱した。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ! あなた、何を……根拠に……!」
「根拠? あなたの身体すべてが叫んでるんですよ。一ノ瀬をハックした僕の『秘密』を欲しがったのも、それを使って会長を引きずり下ろしたいからだ。違うレベルの強者に勝つために、手段を選ばなくなっている」
俺はヘッドセットを指でトントンと叩き、さらに冷酷に追いつめる。
「システムは正直だ。あなたの『会長への嫉妬』は、脳が焦げるほどの真実らしい」
如月院は、乱れた前髪の隙間から、憎悪と、それ以上の恐怖を孕んだ目で俺を睨みつけた。
完璧な絶対強者だった副会長が、今、俺という最底辺の怪物の前で、ただの『被検体』に成り下がっている。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
デスクに両手を突き、肩を激しく上下させる如月院夜空。
ヘッドセットから漏れる赤い光が、彼女の乱れた黒髪を不気味に照らしている。スコア「8500」を誇る絶対強者のプライドは、すでに俺の言葉の毒によってズタズタに引き裂かれていた。
「認めなさい、如月院先輩。あなたは生徒会長——あの『偽神』を恐れ、同時に心の底から憎んでいる」
「黙りなさい……ッ! あなたごときスコアゼロの家畜が、あの人の何を、知っているというの……!」
如月院が狂ったように叫び、デスクの上のスイッチへと手を伸ばした。
「こうなったら相打ちよ!システムの出力を最大にするわ!次の質問で嘘をついた方は、本当に脳が焼き切れて廃人になる!……さあ、最後の一問よ、御堂綾!!」
ヘッドセットのセンサーが、血のように真っ赤な光を放ち、
キィィィン
と耳を劈く高周波の駆動音が室内に響き渡る。
最大出力の電流。受ければ間違いなくタダでは済まない。
「やめて、如月院! そんなことをしたらあなただって!」
神代が悲鳴のような声を上げるが、如月院の耳にはもう届いていない。彼女の瞳は、狂気と執念で完全に濁りきっていた。
「御堂綾! あなたの目的は何!?一ノ瀬をハックし、私をここまで追い詰めたあなたの『本当の狙い』を言いなさい!!」
一瞬の沈黙。 俺はゆっくりと目を閉じ、そして、静かに開いた。
脳裏に浮かぶのは、あの白く冷たい部屋。俺から全てを奪った、あの男の笑顔。
「僕の目的ですか。決まっているでしょう」
俺は一歩、如月院の目の前へと歩みを進め、その狂気に満ちた顔を真っ正面から見据えた。
「学園の頂点にいるあの男。僕の人生を『0』へと査定した生徒会長——『|神代《かみしろ》——』を引きずり下ろし、この歪んだ格付けシステムごと、完膚なきまでに叩き潰すことです」
ピピッ——
電子音が鳴る。電流は流れない。 システムが弾き出した判定は、完全なる『真実』。
「……っ!? か、神代……? なぜ、あなたがその名前を……」
如月院の顔から、今度こそ完全に血の気が引いた。その瞳に宿ったのは、怒りではなく、底なしの「恐怖」だった。
「神代……? 御堂くん、今、なんて言ったの……?」
背後で、神代玲奈の声が震える。
そう、この学園を統べる『神代』の苗字は、俺の隣にいる共犯者と同じ。
これまで意図的に伏せられていた、俺の過去のトラウマ。そしてヒロインの失脚の裏に隠された、学園最大のタブー。
その強烈な破片が、ついにこの部屋で繋がったのだ。
「査定終了。被検体:如月院夜空。……完全敗北です」
俺が告げると同時に、如月院のヘッドセットからプツンと光が消えた。
彼女は糸が切れた人形のように、その場に力なく崩れ落ちる。胸元のバッジの数字が、凄まじい勢いで俺のバッジへと流れ込んできた。
【如月院夜空:スコア8500→0】【御堂綾:スコア742→9242】
学園第2位のスコアを手に入れ、名実ともに生徒会の喉元へと刃を突き立てた瞬間だった。
崩れ落ちた如月院を見下ろしながら、俺は冷徹に、次の戦場を見据える。
査定完了。次の標的——生徒会長
——本日の観測終了。如月院夜空の無力化を確認。スコア『9242』への到達を記録。
次回、「歪んだ血脈」
5話「歪んだ血脈」
「……どうして、あなたがその名前を知っているの?」
静まり返った旧校舎の放課後。夕闇が迫る教室で、神代玲奈の声が微かに震えていた。
如月院を破滅させ、スコア「9242」を手に入れた俺を、彼女は怯えと困惑が混ざり合った瞳で見つめている
「神代 景。それが、この学園を統べる『生徒会長』の本当の名前だ。違うか、神代さん」
俺がその名を口にした瞬間、神代は力なく机に手を突き、観念したように自嘲気味な笑みを浮かべた。
「そうよ。神代景は、私の兄よ」
窓の外から差し込む、血のように赤い夕光が、彼女の横顔を不気味に照らし出す。
「この学園の査定システム『AI』を作ったのは、私たちの実家……神代財閥よ。そして景は、幼い頃から『完璧な人間』として育てられた、財閥の最高傑作。あいつにとって、人間の価値は数値がすべてなの。妹の私ですら、ただの実験動物に過ぎなかった」
神代は自身の胸元——今は光を取り戻したバッジに触れながら、ぽつり、ぽつりと『あの日の反逆』を語り始めた。
「半年前、私はあいつの独裁を終わらせるために、生徒会の内偵を進めていたの。一ノ瀬や如月院を味方につけ、学園AIの基幹サーバーを物理的に爆破して、全生徒の格付けデータをリセットする。それが私の計画だった。集めたメンバーの忠誠心も、事前に完璧に査定したはずだったわ」
---
「……あと少しでサーバー室に侵入」
ゆっくりとドアを開ける。
そこに待っていたのは——
「ようこそ。玲奈。一体どういう用でここに来たんだい?」
彼女の中で、これまで緻密に立てた計画が。
崩れていく音がした。
---
彼女の目が、かつて『女王』として君臨していた頃の、鋭く冷徹な光を取り戻す。
「決行の夜、私は一ノ瀬の手引きで地下のサーバー室に侵入した。でも、そこに待っていたのは……爆弾じゃなくて、景本人だったの。あいつは私の計画を最初からすべて知っていた。一ノ瀬は最初から景のスパイだったのよ。景は私の目の前で、私が一ノ瀬に送った『サーバー室のセキュリティを解除して』という業務連絡の音声を、システム上で『テロの犯行予告』へとリアルタイムで改ざんしてみせたわ」
---
「…」
玲奈はポケットの中に入っている電子機器を操作する。
「っふ…玲奈、君の反逆の意思はスコアにしてマイナス8000相当だ。肉親の情として、退学ではなく、家畜の身分で学園に置いてあげるよ」
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神代の呼吸が、過去の恐怖を思い出して一瞬、激しく乱れる。
「あいつは笑っていたわ。——『玲奈、君の反逆の意思はスコアにしてマイナス8000相当だ。肉親の情として、退学ではなく家畜の身分で学園に置いてあげるよ』って。その瞬間に、私のスコアは一瞬で『0』になり、昨日まで私を崇拝していた全校生徒から、ただのゴミのように扱われるようになったのよ」
肉親の情などではない。あいつは、自分に逆らった妹が『最底辺』へ叩き落とされ、プライドをズタズタに引き裂かれていく様を、最高品質の学習データとしてAIに喰わせたのだ。
神代の凄惨な過去。
---
——白く冷たい部屋。脳を焼き切るような電流。
——そして、俺を見下ろして優しく微笑んでいた、一人の少年の姿。
『君の脳は素晴らしいよ、綾くん。君という極上のサンプルがいれば、僕のAIは完成する』
間違いない。 あの日、俺のすべてを実験材料として奪い、スコア『0』に査定して放り出した張本人。
俺の人生を壊した『神』の正体もまた——生徒会長、神代景だ。
「……面白い」
俺の口から、低く、ドロリとした笑い声が漏れた。
神代が驚いたように俺の顔を見る。俺の瞳には、もう人間らしい感情など残っていなかった。
「神代さん。お前の兄は、僕の人生も奪った。……僕たちの敵は、最初から同じだったわけだ」
「綾くん……?」
「スコア9242。手駒は、家畜に堕ちた元副会長の如月院。条件は揃った。さあ、兄妹喧嘩を始めようか。お前の兄が作ったその歪んだシステムごと、僕がすべてをバグらせてやる」
その時、俺のスマホが、無機質な電子音を立てて震えた。
画面に表示されたのは、差出人不明のメッセージ。
【スコア『9242』の到達を確認。御堂綾くん、神代玲奈さん。生徒会室にて、君たちの最終査定を行おう。——生徒会長・神代景】
神からの招待状。
「ここで全て終わらせてやるよ。偽神…!!」
すべての因縁が収束する、決戦の地への扉が、今、静かに開かれた。
——本日の観測終了。神代玲奈の血脈を確認。敵の正体を確認。戦闘に移ります。
次回、「カンスト9999」
6話「カンスト9999」
学園の最上階、重厚な生徒会室の空気が、パチパチと音を立てて爆発しそうだった。
「さあ、御堂綾くん。君の持つスコア『9242』、すべて僕のシステムに統合させてもらおう」
白一色のデスクに座る前生徒会長、神代景(かみしろ けい)が、ガラスのようなライトグレーの瞳をネオン色に明滅させて微笑む。彼が指を鳴らした瞬間、室内の全モニターに表示された全校生徒のバッジが、不気味に赤く明滅し始めた。
俺が負ければ、学園の全員が文字通りの奴隷(家畜)になる最悪のデスゲーム。
「綾くん……っ」
隣で神代玲奈が祈るように、俺の、色素の抜けきったプラチナホワイトの髪を見つめる。
「神代景。お前はAIの査定が『絶対』だと信じ込んでいる。でもな――」
俺は一歩前へ出た。第一ボタンまでキッチリ閉めた制服の胸元で、【9242】のバッジが狂ったように暴力を孕んで輝く。
前髪の隙間から覗く、俺のガラスのようなライトブルーの瞳が、決戦の歓喜でバイオレットの電子色にギラリと変色した。
「お前が作ったそのシステムそのものが、最初から『ウソツキ』なんだよ」
俺は手元のスマホの画面を強くタップした。
**バチバチバチバチッ!!!!**
室内の全モニターが、一瞬で真っ黒に暗転する。
「なっ……何をした!?」
初めて景の顔から余裕の笑みが消え、その瞳が驚愕に細くなった。
「一ノ瀬を倒したときに、彼のサーバーを伝って学園AIの基幹ログにウイルスを仕込んでおいた。さらに如月院先輩との尋問ゲームで、俺たちの脳波を同期させたシステムそのものの『査定基準』をハックしたんだ。……神代景、お前が半年前に神代玲奈を陥れたときの『音声改ざんのログ』、今、全校生徒のスマホに一斉送信したぞ」
暗転したモニターに、半年前に景が一ノ瀬に命じてデータを偽造させた、決定的な証拠映像が次々と浮かび上がる。
「AIは正直だ。お前という管理者が『最大の不正者』であると判定した瞬間、お前のスコアの根拠はすべて消滅する!」
『警告:管理者の不正を検知。スコアを――』
無機質なアナウンスが響き、景の胸元の【9999】が激しく点滅し、急降下を始める。
勝負はついた。そう確信した、次の瞬間だった。
「……ハハ、ハハハハ! さすがだね、綾くん。だけど、僕が何の手札も残さずに、ここで大人しく引き下がると思ったかい?」
景が血の気の引いた顔で狂おしく笑い、デスクの裏にある隠し物理レバーを強引に引き下げた。
**ガガガガガッ!!!**
『緊急事態(コード・レッド):基幹システムを強制ロック。学園スコアの全変動を3カ月間凍結します』
「なっ……システムを物理的に凍結したの!?」
神代玲奈が叫ぶ。
「この学園のAIは僕の所有物だ。判定は覆せなくても、時間を稼ぐことくらいはできる! 綾くん、玲奈、僕のスコアが完全にゼロになるカウントダウンは止まらない。だけど……それが完全に執行されるのは、3月の『卒業式』のあの日だ」
景の胸元の数値が【3521】という中途半端な数字でピタリと静止する。
「それまでの数ヶ月間、僕は学園の闇に潜伏し、総力を挙げて君たちのウイルスをパッチ(修復)させてもらうよ。……本当の決着は、3月まで持ち越しだ」
プツン、と室内の照明がすべて落ちる。
非常用電源に切り替わった淡い赤光の中、デスクの向こう側にいたはずの神代景の姿は、影のように完全に消え去っていた。
「逃げられたわ……。あいつ、どこへ……!」
玲奈が悔しそうに拳を握りしめる。
だが、俺は暗闇の中で、第一ボタンまで閉めた制服の襟を正し、静かに口角を釣り上げた。
ガラスの瞳が、これまでにないほどドロドロとした歓喜でバイオレットに明滅する。
「構いませんよ。システムのアカウント権限の半分は、すでに僕がハッキング(乗っ取り)しています。3月までの数ヶ月間……じっくりとあの『偽神』を追い詰める、最高に濃い鬼ごっこを始めましょう」
ここから、学園全体を巻き込んだ、神代景との泥沼の潜伏・追跡戦が幕を開ける。
——本日の観測を終了。戦闘を追跡戦に変更。
次回、「神代家の因縁」
7話「神代家の因縁」
神代景が学園の闇へと潜伏してから、数日が経過していた。
基幹システムが半分物理ロックされた生徒会室は、本来の機能を失い、どこか冷え切った電子の墓場のような静けさに包まれている。
「ねえ、綾くん……本当に大丈夫なの……?」
傍らに立つ神代玲奈が、祈るように、そしてひどく怯えた様子で俺の顔を覗き込んできた。
艶やかな黒髪は微かに乱れ、意思の強かったはずの真っ赤な瞳は、焦燥感で細かく小刻みに震えている。
俺はポーカーフェイスのまま、第一ボタンまでキッチリ閉めた制服の襟元に触れ、ガラスのようなライトブルーの瞳を彼女に向けた。眼(レンズ)が彼女の呼吸数と、1秒間に120回を越える異常な心拍を正確にスキャンしていく。
「何がですか、神代さん」
「何がって……景のことよ! あいつ、システムを凍結して逃げたのよ!? 3月の卒業式までにシステムを修復されたら、私たちの仕込んだウイルスは消されて、今度こそ私たちが『家畜』のどん底に落とされるのよ……!」
玲奈は恐怖のあまり、その綺麗な顔をクシャクシャに歪めて俺の腕にすがりついてきた。
プライドの高かった元・女王のこの絶望顔は、いつ見ても極上の査定材料になる。だが、今の彼女の怯え方は、単なるゲームの敗北を恐れているのとは少し違っていた。
「神代さん。お前がそこまであの男を恐れる理由は何です? 音声データの改ざんという『ウソ』はすでに暴いた。お前を嵌めた駒(一ノ瀬)も、すでに僕がハックして潰したはずですが」
俺が冷淡に問い詰めると、玲奈はハッと息を呑み、唇を血がにじむほど強く噛み締めた。そして、絞り出すように「神代家」の歪んだ血の歴史を語り始めた。
「……神代家はね、この高度育成学園のAI査定システムを裏から資金援助し、牛耳っている巨大財閥なのよ。あの家の家訓はただ一つ。『完璧(カンスト)であり続けること。査定の低い者は人間ではない』」
玲奈の赤い瞳に、ドロドロとした過去のトラウマが浮かび上がる。
「半年前、私はあいつの罠にかかってスコアを奪われ、最底辺へ叩き落とされた。その瞬間、実の親からも、親族全員からも『ゴミ』のように扱われたわ。存在そのものを否定されて、家の中の籍すら消されそうになった。景はね、実の妹である私を徹底的に踏み台にすることで、自分が神代家の正当な後継者(カンストの神)であることを証明したのよ」
玲奈の指先が、ガタガタと音を立てて震える。
「もし……もし3月の卒業式までに景を完全に引きずり下ろせなければ、あいつは『完璧な勝者』として神代家を継ぐ。そうなれば、私は一生、光の当たらない闇へ葬られる。あの男は、そういう血の中に生きている化け物なのよ……!」
実の兄妹でありながら、AIの数値一つで人間かどうかを査定される、歪みきった財閥の血脈。
**チカッ、チカチカッ——**
その時、生徒会室のメインモニターが突然ノイズを走らせ、赤い警告灯が不気味に回転し始めた。
「——相変わらず見苦しいね、玲奈」
スピーカーから響いたのは、紛れもない神代景の声だった。
画面に映し出されたのは、学園の地下、あるいは旧校舎の隠し部屋と思われる、薄暗い電子機器に囲まれた部屋に潜伏する景の姿。その胸元のスコアは、先日の暴落からわずかに回復し、【4120】という不気味な数値を表示していた。
「景……ッ!?」
玲奈が悲鳴のような声を上げ、一歩後ずさる。
「学園の全インフラの半分は、まだ僕の脳波と同期している。玲奈、君がいくら新しい『神』にすがりつこうと、神代の血に流れる『完璧への執着』からは逃れられない。卒業式のあの日、君たちの存在そのものを本当の地獄へ査定してあげるよ。……じゃあ、良い冬休みを」
プツン、と通信が途絶え、画面が再び暗転する。
景の圧倒的な執念を前に、玲奈はその場に膝をつき、完全に絶望の淵へと突き落とされていた。
「神代の血脈? 完璧の証明?」
俺は冷徹に言い放ち、一歩、前へ出た。
前髪の隙間から覗く、俺のガラスの瞳が、これまでにないほど冷酷なバイオレットの電子色にギラリと輝く。
「……くだらない。お前たちが崇めるその『血のシステム』ごと、僕がすべて書き換えて(ハックして)あげますよ」
「え……?」
玲奈が涙目のまま、呆然と俺を見上げる。
「今の通信、神代景は僕たちを脅すために繋いできたつもりでしょうが、あまりにも浅はかだ。音声データの暗号化のラグ、そして割り当てられたIPのルーティング経路のミリ秒単位の遅延――そのわずかな隙から、彼が潜伏している『第一の隠しサーバー』の座標をすでに逆探知(スキャン)しました」
俺は手元のスマホをタップし、画面に一つのマップを表示させる。赤く点滅しているのは、旧校舎の地下深く。
「3月まで待ってあげる必要なんて、最初からありません。さあ、僕の共犯者。……偽物の神をハントしに行きましょうか」
——本日の観測を終了。戦闘は新しいフェーズへと移行します。
次回、「光属性」
8話「光属性」
旧校舎の地下深く。
画面越しに宣戦布告をしてきた神代景の通信は、あまりにも用意周到だった。
「だめ……完全に足取りを消されたわ。通信経路が多層偽装されていて、さっきのマップの座標もフェイクの可能性がある……!」
生徒会室のコンソールを叩きながら、神代玲奈が焦燥に満ちた声を上げる。
その赤い瞳は恐怖とプレッシャーにネオンブルーに激しく明滅し、綺麗な顔をクシャクシャに歪めていた。3月までのカウントダウンは、彼女の精神を確実に削っている。
「落ち着きなさい、神代さん」
俺——御堂綾(みどう りょう)は、色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪をかき上げ、ガラスのようなライトブルーの瞳で画面のログを冷徹にスキャンした。
「ノイズに混ざっていた超低周波の音声データ、および学園AIの基幹サーバーに走った微量のエラーパケット。……これら複数の暗号を多角的にハックすれば、景の居場所を示す『確定な情報』が導き出せるはずです」
俺のガラスの瞳が、勝利の予感にバイオレットの不気味な光を宿す。
あと一歩。あと数行のコードを解析すれば、確実に逃げた『偽神』の首筋を捉えられる——
誰もが息を呑み、確定のエンターキーを押そうとした、その瞬間だった。
**ガタガタガタガタッ!!!! **
重厚な生徒会室の防音扉が、まるで大型重機でも衝突したかのような凄まじい音を立てて振動した。
いや、振動ではない。外から物理的に『超高速で連打』されているのだ。
「な、何事……!? 景の差し向けた刺客!?」
玲奈が椅子を蹴って身構える。
直後、バァァァン!! と凄まじい爆音と共に、頑丈なマホガニーの扉が勢いよく吹き飛んだ。
「イェア!! ハロー、マイフレンド! 噂の面白い一年生たちが、暗い顔してパソコン睨みつけてるって聞いて、挨拶しに来たぜ!!」
逆光を背に現れたのは、巨大な壁のような影だった。
身長2メートル21センチ。凄まじい筋肉の塊のような肉体に、黒いタンクトップと半ズボン。スキンヘッドにサングラスという、およそこのエリート学園の生徒とは思えない規格外の男。
だが、その胸元には確かに、俺たちより一つ格上の『二年生用デジタルバッジ』が鎮座していた。
男は、そのバカげた巨体に似合わず、小脇に最新鋭のノートパソコンを抱えている。
「……誰ですか、あなた。ここは一般の二年生が許可なく立ち入る場所ではありませんよ」
俺はポーカーフェイスを維持したまま、眼(レンズ)を男に固定し、その細部をスキャンした。
呼吸、1分間にわずか8回。信じられないほど強靭な心肺。全身の筋肉が超高密度に引き締まっている。
——いや、それだけじゃない。彼の周囲の空気が、微かに『歪んで』見える……?
「俺の名前は樽巻拳殴! あんたたちの先輩にあたる、陽気な二年生だ! 趣味は筋肉、好きなモノも筋肉だ!!」
男——樽巻はサングラスの奥の目をギラつかせ、白い歯を見せて豪快に笑った。
「あんたが神代景のアカウントを半分ハックしたドクターだな? 聞いてくれよフレンド! 生徒会のセキュリティインフラがあまりにもガチガチだったからさ、ちょっと『1秒間に22メートル』の速度でキーボードぶっ叩いて、二年生用の回線からファイアウォールを物理的に殴り倒して入ってきちゃったぜ!!」
「……は?」
さすがの俺も、言葉を失った。
ハッキング? いや、今の彼の言動は違う。
この上級生は、自身の身体動作を限界突破させる『加速能力』を、あろうことか『ノートパソコンのタイピング速度』に全振りし、力技で学園の電子防御網をハッキング(圧殺)したのだ。
「ウソでしょう……。あの景の作った基幹セキュリティを、タイピングの速度だけで突破したというの……!?」
玲奈が驚愕のあまり、先ほどとは違うベクトルで顔をクシャクシャに歪める。
「アッハハハハ! 筋肉は裏切らないが、電子の壁はすぐ裏切るな!! さあドクター、そしてレジェンド! 景の野郎を探してるんだろ? 面白そうな亡霊退治、二年生の俺の右ストレートとこのパソコンで、もっとカオスに加速させてやるぜ!!」
査定更新。被検体:樽巻拳殴。
確定情報を追う俺たちの前に乱入してきた、最凶の二年生。
俺のガラスの瞳が、新たな混沌の予感に、不気味なバイオレットの光を放った。
——本日の観測を終了。先輩の乱入を確認。
次回、「Please don't make an enemy of your muscles」
9話「Please don't make an enemy of your muscles」
じっとりと首筋にへばりつく汗は、もはや生温かいなどという生易しいものではなかった。
それは、網膜の裏側で過熱を続ける論理回路の、そして恐怖と歓喜の狭間で沸騰しかけている脳髄の、生理的な排熱そのものだった。
放課後の喧騒が完全に途絶えた旧校舎の地下室。
そこに充満していたのは、死にかけたニカドバッテリーの酸っぱい金属臭と、過負荷で焼き切れたルーター基板の、鼻を突く焦げたプラスチックの匂いだ。
「——バグ、か」
俺、御堂綾の唇から漏れたのは、低く、乾いた自嘲だった。
俺の眼は、人間の呼吸、脈拍、筋肉の弛緩からすべての『数値』を割り出し、その喉の奥に隠された嘘を完璧に透視する。そのはずだった。
だが今、網膜の奥にインストールされた視覚演算は、眼前に直立する規格外の怪物を前にして、激しい砂嵐とともに「計測不能」の警告を狂ったように明滅させている。
そこに、嘘がないのだ。人間という生き物は、どれほど冷酷に振る舞おうとも、内面には自己保身の「虚栄」や、他者を排斥するための「欺瞞」の澱みを抱えている。だが、この男にはそれがない。
「イェア!! 俺の名前は樽巻拳殴! あんたたちの先輩にあたる、陽気な二年生だ! 趣味は筋肉、好きなモノも筋肉だ!!」
鼓膜を物理的に破らんとするほどの爆音が、閉鎖された地下室に反響した。
身長221センチ。誇張抜きで巨大な壁と見紛うほどの巨軀。その皮膚の下で蠢く横紋筋の束は、まるで甲冑のプレートのように超高密度で編み上げられ、周囲の空気を体熱で陽炎のように歪ませている。
「……測定、不能だと?」
俺は奥歯を噛み締め、網膜の裏で明滅する視覚演算を強制リセットした。
呼吸、一分間にわずか四回。
それは深呼吸などという生易しいものではなく、強靭すぎる心肺が極限まで無駄を削ぎ落とした「静止」に近い。嘘をつくための動揺も、虚栄のための脈拍の跳ね上がりも存在しない。この男の行動原理は、自らの肉体を鍛錬し、駆動させるという単一のベクトルのためだけに完全に純化されていた。
「おいおいフレンド、そんなガラスの眼で俺を見るなよ。筋肉は嘘をつかないが、その眼は酷く繊細にできているらしいな!」
樽巻は小脇に抱えた最新鋭のタフブック——
マグネシウム合金製の頑丈な筐体——
をデスクの上に叩きつけた。いや、叩きつけたのではない。置くという動作の加速が、結果としてデスクの鉄板を凹ませるほどの衝撃波を生んだのだ。
よく見れば、そのタフブックからは白煙が立ち上り、キーボードのプラスチックはドロドロに融解して一つの黒い塊に変形しつつあった。
「……樽巻先輩。あなた、今なんと言いました? 物理的に殴り倒して、入ってきたと?」
俺の冷徹な問いに、樽巻は二年生用回線からの侵入と秒速二十二メートルの打鍵によるファイアウォールの自壊を豪快に語る。その圧倒的な物理的ゴリ押しに、神代玲奈は絶望と恐怖で崩れ落ちる。
AIと論理に支配された彼女の世界観は砕け散り、俺の制服にしがみついて縋り付いた。俺の脳内は彼女の絶望を愛でる余裕すらなく、樽巻の「肉の演算速度」を利用したハッキングの演算に支配されていた。
俺が樽巻に協力を求め、玲奈の恐怖の脈拍を景の通信の逆探知フィルターに利用する作戦を告げると、玲奈は壊れた人形のように頷いた。俺が常人には理解不能な十六進数の文字列と解読コードを呪文のように読み上げ、セクターフォーの開始を告げると、樽巻は凄まじい咆哮とともに超加速の打鍵を開始した。
摩擦熱でタフブックは青白い炎を上げ、血が飛び散る中、樽巻は概念の壁としての暗号を物理的暴力で粉砕していく。千層から一気にゼロへと至る暗号経路を剥がし、「見つけた」と呟いた俺は地下四階の空白地帯の座標を特定する。樽巻の指先は裂け、パソコンは完全に融解していたが、彼は不敵に笑う。涙に濡れ震える玲奈を尻目に、俺は第一ボタンを正し、神代景をハントするための次の扉を開いた。
「…あ?」
重厚な鉄扉の隙間、光すら届かないはずの虚無の輪郭から、その少女は文字通り「染み出す」ようにしてそこに佇んでいた。
「綾くん……だったよね…?私は、斜藤あさひ。苗字は影で、名前は光…面白いでしょ」
背筋を不快な悪寒が駆け抜ける。俺、御堂綾の網膜の裏側で、視覚演算システムが激しいノイズを上げて混線した。人間の呼吸、脈拍、皮膚の微動から、その内面の「嘘」を100%割り出すはずの俺の眼が、目の前の存在をただの『空白』としてしか認識しない。
白い狐の仮面。すべてを覆い隠す陶器の滑らかな輪郭。
その奥から覗く、ピンク寄りの妖しい赤瞳だけが、生々しい知性を湛えてこちらを見据えている。
全身を包む黒い衣服は、旧校舎の濃い影と同化し、彼女の輪郭をあやふやに溶かしていた。
「な……いつの間に……!?」
背後で神代玲奈が、引きつった呼吸のまま声を絞り出す。新道、一ノ瀬、そして如月院をも看破してきたあの元・女王の鋭敏な知覚すら、この少女の接近を完全にスルーしていた。
それだけではない。
「……おい、そこのお嬢ちゃん」
分速4回という驚異的な徐脈を維持し、野生の獣以上の危機察知能力を持つはずの樽巻拳殴すらも、サングラスの奥の目を限界まで見開いて凝視していた。
「あんた、いつからそこにいた? 俺の筋肉が、あんたの『質量』を感知しなかった……。まるで、ただの空気が服を着て喋っているみたいだな」
「氷が飲み物に溶けていくように、私も空気に溶けていく」
斜藤あさひは、どこか浮世離れした詩的な声音でそう呟いた。抑揚のない、しかし妙に鼓膜へ残る鈴のような声。俺は一歩、あさひに向けて足を踏み出す。
脳髄の演算装置を最大出力で駆動させ、彼女の「嘘」を、その仮面の奥に隠された「エゴ」を暴こうとスキャンを仕掛ける。だが、駄目だ。視覚から得られる情報が、あまりにも少なすぎる。仮面という物理的な障壁以上に、彼女の肉体そのものが発する気配があまりにも薄いのだ。
呼吸は深海魚のように静かで、衣服の擦れる音一つ立てない。これでは、嘘を見抜くどころか、そこに人間が存在しているという確証すら掴めない。
——天敵。
この学園のルールをハックし、他人の内面を数値化して支配してきた俺にとって、この『何も映らない鏡』のような少女は、文字通りの致命的なバグだった。
「神代景の差し向けた刺客ですか。それとも……」
俺の冷徹な問いに、あさひは首を微かに傾げた。その仕草すらも、重力を感じさせないほどに滑らかで、不気味だった。
「私はただ、空を見て、空をスケッチするのが好きなだけの、無害な女の子だよ」
嘘か、真実か。
俺の眼は、その判定を下すことを完全に拒絶していた。
「……『無害な女の子』、ですか」
俺の唇から漏れたのは、低く、ドロリとした乾いた笑いだった。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元に手をかけ、狂ったように「計測不能」を明滅させる網膜の裏側の論理回路を、力ずくで駆動させる。
「神代さん。お前の兄は、どうやら僕たちのことを随分と高く査定してくれているらしい。如月院先輩を潰されてなお、こんな『化け物』を手駒として隠し持っていたんだからな」
「綾くん、気をつけて……!」
背後で神代玲奈が、鋭い爪を自分の手のひらに食い込ませながら、警告の悲鳴を上げる。
「あの女のデータは生徒会の裏アーカイブにもなかった。完璧な『空白』よ。私の兄——神代景が、自らの直属として育み、この学園の査定システムの『死角』に配置した特級の猟犬に違いないわ……!」
「猟犬、か。綾くん、君は私のことをそうやって、自分の知る記号の中に押し込めたいんだね」
白い狐の仮面の奥から、斜藤あさひのピンク寄りの赤瞳が、ガラス細工のような冷徹さで俺を射抜く。彼女は一歩も動いていない。
だが、彼女の周囲の「闇の質量」が、じわりと膨れ上がったかのような錯覚を覚える。
「この空は瑠璃色……あ、少し縹色も混ざってる」
あさひは唐突に、旧校舎のコンクリートの天井を見上げ、そこには存在しない虚空の色彩を、詩的な声音で紡いだ。
その言葉の選び方。周囲の凄惨な状況とは完全に乖離した、浮世離れした感性。
——違和感がある。
俺の眼は、彼女の脈拍も呼吸も、仮面の奥の表情もスキャンできない。
だが、彼女が今口にした「言葉」そのものが、強烈なノイズを放って俺の脳髄の演算装置に引っかかった。
「……斜藤さん。君は今、自分のことを『空気に溶けていく』と言った。周囲に協調し、ただの無害な背景として存在していると」
俺は一歩、あさひに向けて足を踏み出す。革靴の底が、コンクリートの床に溜まった冷たい水を踏み鳴らし、激しい水音を地下室に響かせた。
「だが、君のその『詩的な言葉』は、この泥泥とした栄華学園において、あまりにも異質で、あまりにも目立ちすぎる。本当に周囲と同化したい人間は、そんな自意識の塊のような言葉を他人に聞かせたりはしない。——君は、自分の感性を誰かに肯定されたくてたまらないんじゃないか?」
あさひのピンクの赤瞳が、一瞬、微かに収縮した。
スキャンデータには出ない。だが、言葉のドミノが、彼女の精神の防壁に確実に衝突した手応えがあった。
「他人の嘘を見抜く眼、か。君はそうやって、他人の心の柔らかい場所に土足で踏み込んで、格付けの毒を流し込む。……景さんが言っていた通り、とてもおぞましい生き物だ」
「おぞましい? 最高の褒め言葉です。だが、君のその言葉も『嘘』だ。君は偽神とその仲間以外を信用していない。その頑なな拒絶こそが、君の心が極限まで脆く、傷つきやすいことの証明だ。君は、自分の言葉を、絵を、世界を否定されるのが死ぬほど怖いんだ」
俺はさらに距離を詰める。俺たちの距離は、もはや手を伸ばせば届くほどの、ゼロ距離の心理欺瞞戦(カースト・ゲーム)へと突入していた。
「教えてくれ、斜藤さん。君がその醜いと称する仮面の裏側で、一体どんな怯えた顔をしているのか。僕が、君のその『空気の膜』を、根底からハックして引き剥がしてあげるよ」
あさひは応じない。ただ、彼女の身体から、完全に「殺気」が消えた。いや、殺気だけではない。彼女の存在そのものが、再び地下室の影の中へと、急速に「溶けて」いく。
「虹は、空が泣いた後の、優しくて温かい笑顔……。でも、君の目の中には、雨しか降っていないね。可哀想に」
あさひの姿が、揺らめく陽炎のように、俺の視界から、そして樽巻の野生の知覚からすらも、物理的に薄れていく。彼女は戦うのではない。ただ、この場から「消える」ことで、俺たちの追跡を完全に無効化しようとしていた。
「逃がすかよ……っ!」
俺がスマホのハッキング画面を起動しようとした、その瞬間。
「——おっとフレンド! そこからは、俺の『肉のドメイン』だ!!」
轟音とともに、空間が爆発した。樽巻拳殴の、丸太のような右腕が、あさひの姿が消えかけていた「虚空」に向けて、音速を超える速度で振り下ろされたのだ。
樽巻の拳が引き起こした大気の濁流と風圧により、あさひの気配や同化能力が物理的に暴かれ、彼女の細い肉体が影の底から引きずり出された。
仮面の奥から驚愕の息遣いが漏れる中、神代玲奈の操作で地下室の非常灯が限界出力を超えた「純白の閃光」を放つ。仮面を両手で押さえ、光の中に晒された斜藤あさひの姿が鮮明に浮かび上がる。
「査定、開始です、斜藤さん」
——本日の観測を終了。御堂綾による斜藤あさひの査定を開始します。
次回、「斜藤あさひの生き方」
10話「斜藤あさひの生き方」
「——査定開始」
御堂綾の言葉が、埃っぽい地下室の空気を冷徹に凍りつかせた。
樽巻が放った物理的ハッキング、そして玲奈の機転によるカメラの強烈なフラッシュ。
その二つの光に炙り出され、先ほどまで「見えない壁」だった空間に、一人の少女の輪郭が明確に浮き上がっていた。
神代景の懐刀——
斜藤あさひ。狐の面を被り、絵の具の汚れた白無垢のような羽織をまとったその姿は、光の残滓の中で激しく明滅している。
「あ、れ……?」
あさひの口から、戸惑ったような、ひどく幼い声が漏れた。彼女の手が、自分の顔を覆う仮面に触れる。
「無駄だよ、斜藤あさひ」
綾は一歩、前へ踏み出す。彼の左目は、すでに人間のそれではない。幾何学的な紋様が青く光り、網膜に投影された膨大なログが超高速でスクロールしていく。
「お前の『空白のバグ』は、神代景が作った偽装迷彩のパッチに過ぎない。僕たちに観測され、座標を固定された時点で、そのカモフラージュはただのノイズだ。今、僕の眼はお前のすべてを読み取っている」
画面の向こうで、樽巻のキーボードを叩く音がさらに激しさを増す。
「フレンド、データが流れてくる!こいつのバイタル、精神波、すべて同期した!……待て、なんだこれは……!?」
「嘘……私の世界が、汚される……」
あさひの声が震える。彼女は抱え込んでいたスケッチブックを、まるで盾のように胸元に掲げた。
「世界、か。お前はさっきから詩的な言葉ばかりを使うな」
綾の視線が、あさひの指先の微細な震え、呼吸の浅さ、そして仮面の隙間から見える皮膚の紅潮を正確にキャプチャしていく。
彼の脳内に、彼女の「真実」が数値となって弾き出されていく。
「斜藤あさひ。お前の本当のAI査定スコアは——『0.2』だ」
その言葉に、背後にいた玲奈が息を呑んだ。
「0.2……!? そんな、社会不適合者の最底辺以下じゃない……!」
「そう、社会的な価値は皆無。それが、神代景の庇護を受ける前のお前の現実だ」
綾は容赦なく言葉のナイフを突き立てる。
「お前は他人の感情が理解できず、集団行動もできない。ただ、目の前の光景を異常なまでの精度でキャンバスに模写することしかできないバカだった。社会から見捨てられ、スコアという名の檻に閉じ込められていたお前を拾ったのが、神代景だ」
「違う!景様は、私に息を吹き込んでくれた神様だ!」
あさひが叫ぶ。その叫びと同時に、彼女の周囲の空間が再び歪みかけた。
だが、樽巻の妨害電波がそれを許さない。
「神様じゃない。彼はただ、お前のその『異常な空間認識能力』を、システムのバグを突くための道具として利用しただけだ」
綾はさらに距離を詰める。
「お前は景に嫌われるのを恐れている。だから、彼が作った『狐の面』を被り、彼が望む『無敵のハッカー』を演じている。だが、お前の本質は変わっていない。今のお前のバイタル、恐怖値は限界を突破している。お前はただの、迷子の子供だ」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ!」
あさひがスケッチブックを床に投げつけた。その拍子に、彼女の顔から狐の面が滑り落ちる。床に転がった仮面の裏から現れたのは、涙と汗でぐしゃぐしゃになった、まだ10代半ばの少女の素顔だった。
その瞳には、綾への激しい敵意と、それ以上の圧倒的な「孤立への恐怖」が浮かんでいた。
「私は……景様の役に立つんだから……!私の絵で、世界を上書きするんだから!」
あさひが狂ったように叫び、懐から一本の有線コードを取り出した。それを、地下室のメインサーバーのポートに突き刺そうとする。
「させない!」
玲奈が鋭く叫び、手元にあった工具をあさひの足元へ投げつけた。火花が散り、あさひの動きが一瞬鈍る。
「チェックメイトだ、斜藤あさひ」
綾の左目が、怪しく昏く輝いた。
「お前の全データを、僕のシステムへ強制転送する。神代景の居場所、お前のその『眼』のアルゴリズム——すべて、僕が査定して、奪い取る」
あさひの身体が、まるで電子の檻に縛られたように硬直した。
彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それが床に触れる前に、地下室のスピーカーから、聞き覚えのある
「あの男」の声が響き渡った。
「——そこまでにしてもらおうか、綾くん」
それは、紛れもない、神代景の声だった。
——本日の観測を終了。神代景との接触を確認。
次回「決戦」
11話「決戦」
「——そこまでにしてもらおうか、綾くん」
天井のスピーカーから響いたのは、ノイズ混じりでありながらも、鼓膜を冷徹に撫でるような神代景の声だった。その場にいた全員の身体が、氷水を浴びせられたように硬直する。
「兄さん……っ!」
神代玲奈が短い悲鳴を上げ、綾の制服の袖をちぎれんばかりの力で掴んだ。スキャンするまでもない。彼女の呼吸は一瞬で瓦解し、心拍数は恐怖の閾値を遥かに超えて跳ね上がっている。
「相変わらずだね、玲奈。スコア0の家畜に身を落とされてなお、まだそんな目で見苦しく足掻いているのかい? 君のその『クシャクシャに歪んだ絶望顔』は、半年前のあの夜で十分に査定し終えたはずなんだけどね」
スピーカーの向こうの『偽神』は、まるでチェスの駒の動きを品評するように、淡々と妹のトラウマを抉っていく。
「黙れ……! お前の思い通りにはさせない! 私はもう、半年前の無力な私じゃない……!」
「ほう? その横にいる、プラチナホワイトの髪の毛をした『失敗作』に依存していることが、君の成長なのかな?」
景の標的が、玲奈から綾へと移った。スピーカーから流れる息遣いの中に、ドロリとした愉悦の変調が混ざる。
「御堂綾くん。君の網膜にインストールされたその眼は、僕の施した『白い部屋』での精神査定実験の賜物だ。君の脳がAIの限界を超える瞬間——あの時の、脳が焼き切れるような電流の味を、まさか忘れたわけじゃないだろう?」
——キィィィン。
脳の奥底で、存在しないはずの高周波の駆動音が鳴り響いたような錯覚に陥る。体の内側から湧き上がる、肉の焦げるような嫌な匂いの記憶。
綾の左目の幾何学模様が、精神の激しい動揺を検知して激しく明滅し、視覚演算システムに赤いノイズが走った。
「……っ」
「ハハ、正直だね。君のバイタルデータは、今も僕の基幹サーバーへリアルタイムで送信されている。君がどれだけ『無の怪物』を気取ろうと、僕にとっては手のひらの上の被検体に過ぎないんだよ」
完璧な精神的ハッキング。景は姿を見せることなく、言葉の毒だけで俺たちの連携を根底からバラバラに解体しようとしていた。
崩れ落ちそうになる玲奈。ノイズで視界が染まる綾。その沈黙の支配を、物理的にぶち壊したのは、やはりあの規格外の上級生だった。
「イェア!! なに遠くからゴチャゴチャと負け犬の遠吠えかましてんだ、会長よぉ!!」
樽巻拳殴が、白煙を上げる融解したタフブックを床に投げ捨て、自らの分厚い胸筋を爆音と共に叩いた。
「俺の筋肉が言ってるぜ! 『電波の向こうの細モヤシが、うちの一年生をイジめてんじゃねえ』ってな!!」
樽巻の放った凄まじい声圧が、スピーカーのノイズすらも物理的に吹き飛ばす。
その一喝で、俺の脳内のノイズが急速に晴れていった。網膜の裏側の論理回路が、冷徹な青い光を取り戻していく。
「……ふっ、くくく」
綾の唇から、低く、ドロリとした笑い声が漏れた。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正し、天井のスピーカーを見据える。ガラスの瞳が、狂気的なバイオレットの電子色にギラリと輝いた。
「神代景。わざわざ通信を繋いできて、随分と饒舌じゃないですか。僕たちのトラウマを刺激しなければならないほど——お前は今、僕の仕込んだ『不正開示ウイルス』の駆除に焦っているわけだ」
「何……?」
「お前の胸元のスコアは【4120】。先ほど確認した時より上がっているが、それはお前が今、学園内の他の『生徒会役員』のスコアを強制的に吸い上げて補填しているからだ。違うか?」
綾の眼は、スピーカーの音声の微細な周波数の乱れから、景が「別の重大な処理」にリソースを割いていることを見抜いていた。
「お前は孤独な神なんかじゃない。生徒会の手駒たちが敷いた防壁の裏で、必死に命乞いのコードを書き換えているだけの、哀れな敗北者だ」
スピーカーの向こうで、景の呼吸が一瞬、完全に停止した。嘘を見抜かれた男の、完璧な拒絶の沈黙。
「……面白いね、綾くん。だけど、君たちの『鬼ごっこ』はここで時間切れだ」
景の声から、一切の感情が消え失せた。
「斜藤あさひ。君の『最後の役割』だ。システムの一部凍結を一時的に解除する。その部屋の全データを道連れに——彼らを査定しなさい」
ピッ——
無機質な電子音と共に、床に素顔を晒して泣き崩れていた斜藤あさひの胸元のバッジが、見たこともない血のような深紅に変色した。
彼女のピンク寄りの赤瞳が、完全にハイライトを失い、機械人形のように虚空を見つめる。
**【緊急事態:被検体・斜藤あさひの精神出力を最大化。地下セクターの論理爆破を開始します】**
「嘘……あさひちゃんのバッジが暴走してる……!?」
玲奈が悲鳴を上げる。あさひの身体から、空間の光そのものを吸い取るような、漆黒のノイズが文字通り「染み出し」始めていた。
姿なき偽神が仕掛けた、あさひを爆弾に変える最悪の切り捨て処分。
学園の頂点へと続く泥沼の死闘。その第一の関門が、激しい警告音と共に幕を開けた。
——本日の観測を終了。神代景による『あさひの切り捨て』を感知。地下室の崩壊が始まります。
次回、12話「論理爆弾」
12話「理論爆弾」
**『警告:セクター・ゼロの論理崩壊まで残り120秒。全データを物理消去(フォーマット)します』**
旧校舎の地下室に、鼓膜を裂くような赤色灯の明滅と、AIの無機質なカウントダウンが鳴り響いた。
床に膝をついた斜藤あさひの胸元で、深紅のバッジが狂ったように明滅している。彼女の身体から染み出す漆黒のノイズは、もはや単なる電磁波ではなかった。
それは、神代景のサーバーから送り込まれた「世界を無に帰すための破滅の色彩」。
ノイズが触れたコンクリートの床や壁は、まるで古いビデオテープが擦り切れるように、デジタルデータの砂嵐となってドロドロと融解し始めていた。
「あさひちゃん……! 嘘でしょ、景は最初からあさひちゃんごと、私たちを消すつもりだったのね……!」
神代玲奈が恐怖に顔をクシャクシャに歪めながらも、今度は逃げずに、必死に綾の制服の裾を引っ張った。
彼女の赤い瞳はネオンブルーに激しく明滅し、指先は血が通わないほど白くなっている。半年前に全てを奪われたあの夜のトラウマが、彼女の華奢な肉体を容赦なく締め上げているのだ。
「神代さん、樽巻先輩、あさひを抑えてください」
綾は、色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪をかき上げ、両目で景を見据える。
手元のスマホの画面に血が滲むほどの速度で指を滑らせた。
網膜の裏側、視覚演算システムが激しい熱量で悲鳴を上げる。
呼吸、1分間に42回。速い。だが、これは恐怖の脈拍じゃない。神代景という『偽神』が仕掛けた最悪のトラウマコードを、力ずくでハックし、書き換えるための脳髄の過負荷だ。
「イェア!! 任せとけフレンド! 暴走するデータの濁流だろうが、俺の筋肉のドメインでへし折ってやるぜ!!」
樽巻拳殴が咆哮した。身長221センチの巨軀が、音速を超える速度で動く。彼はあさひの周囲に渦巻く漆黒のノイズの障壁へと正面から突っ込み、その丸太のような両腕で、あさひの細い肩をがっしりと抱き留めた。
**バチバチバチバチッ!!!!**
「ぐぉぉぉッ! さすがにこの電気ショックは、プロテインより刺激が強いぜ!!」
樽巻の強靭な皮膚が火花を散らし、タンクトップが焦げていく。だが、その徐脈分速4回の心肺と超高密度の横紋筋は、AIの論理爆破という『概念』すらも物理的に締め上げ、あさひの肉体の霧散を強引に食い止めていた。
「離して……! 私は景様のゴミ箱じゃない……私は、私の絵で……っ」
ハイライトを失ったピンク寄りの赤瞳から、大粒の涙が溢れ出る。その時、あさひの前に影が差した。
「あさひちゃん!!」
玲奈が、融解していく床に膝を突き、あさひの冷え切った小さな手を強く握りしめた。
「私も同じだった! 数値だけを信じて、景にすべてを委ねて……裏切られて『0』になった! でもね、自分の本当の価値は、あんな男に決めさせるんじゃない! 私たちで、奪い返すのよ!!」
元・女王の、魂の底からの叫び。その瞬間、あさひの精神波の乱れが、ほんの一瞬だけ「静止」した。綾の眼は見逃さない。
彼女の喉の奥にある微細な痙攣。その奥の、本当の『生への執着』を。
「チェックメイトだ、神代景」
綾は一歩前へ出た。第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の胸元で、【9242】の貴族バッジを、あさひの深紅のバッジへと直接叩きつける。
「お前が彼女に施した『0.2』の査定を、僕の『過去の特級秘密』で完全に上書きする。システムよ、このエラーコード(僕の人生)を処理してみろ!!」
**ピピッ、ピピピピピピピ!!!**
学園AIの基幹システムが、綾の脳内から流れ込む「国家機密級のバグ」の質量に耐えきれず、爆発的な警告音を上げた。深紅だったあさひのバッジから、ドロリとした呪詛の色が抜け落ち、静かに青い『共犯契約』の光へと書き換わっていく。
「解除……成功。樽巻先輩、走れ!!」
「おうよフレンド!! 筋肉超特急、発車だぜ!!」
樽巻があさひを軽々と横抱きにし、玲奈の襟元を掴んで、崩落する天井の隙間へと跳躍した。
背後で、旧校舎の地下室が完全に電子の塵へと分解され、轟音と共に瓦解していく。物理的破壊の煙を突き抜け、俺たちは月明かりの照らす旧校舎の裏庭へと転がり出た。
夜風が、冷え切った俺たちの肌を心地よく撫でる。
「……あ、れ」
芝生の上に横たえられた斜藤あさひが、ゆっくりと目を瞬かせた。そのピンク寄りの赤瞳には、しっかりと「生きた人間」の光が灯っている。
彼女は自分の素顔を隠していた狐の面が、もうどこにもないことに気づき、それから、静かに俺たちを見上げた。
「私の空気の膜が……全部、破れちゃった」
「ええ。あなたの嘘も、偽装迷彩も、すべて僕がハックして引き剥がしましたから」
綾は制服の襟元を正し、ガラスのようなライトブルーの瞳を彼女に向けた。
「斜藤さん。君の居場所は、あの偽神のゴミ箱じゃない。これからは僕の隣で、その異常な眼を僕のために使いなさい」
あさひは一瞬、きょとんとした顔をした後、その涙で濡れた瞳を妖しく細め、薄い唇で小さく微笑んだ。
「……うん。綾くんの雨の世界、私がたくさん、おもしろい色で塗り潰してあげる」
ピピッ——。俺
たちのスマホが同時に震えた。画面に浮かび上がったのは、強制的に書き換わった学園の最新データ。
**【共犯者チーム:御堂綾、神代玲奈、樽巻拳殴、斜藤あさひ —— 登録完了】**
「ふっ、くくく……」
俺の唇から、最高にドロリとした歓喜の笑いが漏れる。元・女王、規格外の先輩、そしてシステムの死角たるバグの少女。最高のパーツは全て揃った。
「さあ、次のステージへ進みましょう。僕たちの学園完全ハックの始まりです」
煙を上げる旧校舎を背に、最底辺の怪物たちの本当の反撃が、今、静かに幕を開けた。
——本日の観測を終了。地下迷宮での戦いが完結。チームの結成を記録。
次回、第13話「生徒会会計の『絶対防壁』」
13話「生徒会会計の『絶対防壁』」
じっとりと首筋にへばりつく汗を夜風に洗われながら、俺たちは瓦解した旧校舎の裏庭から、さらに隔離された北側倉庫の暗がりに身を潜めていた。
「ハァ、ハァ……っ。あさひちゃんを連れ出せたのはいいけれど、景の『生徒会インフラ』が、もう私たちのスマホのGPSを完全にロックしにきてるわ……!」
神代玲奈が、綺麗な顔をクシャクシャに歪めながら画面を見つめていた。彼女の赤い瞳は、焦燥感でネオンブルーに激しく明滅している。
「落ち着きなさい、神代さん」
俺——御堂綾(みどう りょう)は、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正し、ガラスのようなライトブルーの瞳を冷徹に明滅させた。
「景の敷いた網は完璧だ。だが、どれほど緻密なロジックでも、計算の外側にある『完全なイレギュラー』までは遮断できない」
「イレギュラー……? そんなの、この管理された箱庭に存在するわけ——」
玲奈の言葉が、唐突に背後から響いたカラン、カランという、脳天気な金属音によって遮られた。
「よぉ〜! そこの君たち、こんな暗いところでパソコン睨みつけて、何のおもしろいゲームやってんだ?」
暗闇から姿を現したのは、およそこの凍りついた戦場には似合わない、陽気の塊のような少年だった。
茶髪でツンツンと跳ねたショートヘアに、片方の前髪を頭の上でオレンジ色のゴムでキュッと結んだ奇妙な髪型。鮮やかな黄色のプルオーバーパーカーに濃い茶色のカーゴパンツを合わせ、胸元には確かに一年生用のデジタルバッジがぶら下がっている。
「俺は金成 こいん。よろしく!」
少年は屈託のない笑みを浮かべ、白い歯を覗かせた。
挿絵:https://www.photo-pick.com/online/EUQAscS0.link
「なんかさ、俺の勘が『こっちに行くと最高にスリリングな番狂わせに会える』って言ってたんだけど……ははっ! 大当たりじゃん! 樽巻の先輩に、元・女王様に、狐面が外れた可愛いお嬢ちゃん。それに——お前が今噂の、スコア『9242』の怪物くんだな?」
「……金成、こいん」
俺の眼が、瞬時に彼のバイタルをスキャンする。
呼吸、1分間に18回。脈拍、72。
完全にリラックスしている。それどころか、彼の内面からは自己保身の嘘も、他者を排斥するための欺瞞の澱みも一切感知できない。
ただの、圧倒的な「陽」。
だが、おかしい。彼の胸元のバッジに表示されているスコアは【412】。お世辞にも貴族とは言えない数字だ。それなのに、彼がここに現れた瞬間、俺たちのスマホを執拗に追跡していた生徒会のGPSエラーログが、ピタリと「空振り」を示し始めた。
「あんた、どうやって生徒会のスキャンを躱したの……!?」
玲奈が驚愕に顔を歪める。こいんはポケットの中でジャラジャラと小気味良い音を立てながら、1枚の珍しい古銭を取り出し、親指で高く弾いた。
「別に策も何もないよ。俺は勘を信じてるだけなんだよな。ただ、この学校の制度があんま気に入らないんだよなぁ……だってAIでは図れない事だってあるはずだろ?」
カラン、と手の甲に落ちたコインを隠しながら、こいんは不敵に笑った。
「俺さ、非公認の『ゲーム部』で部長やってんだけど。あそこの部室、俺が色んなギャンブルで勝ち取った特注の防電磁波コインを敷き詰めてるから、AIの電波が一切届かないんだよね。隠れ家にするなら貸してあげるよ?」
完璧な計画(ロジック)を立てるわけではない。本で読んだデータやテレビの雑学を、彼の「適応的無意識」が超高速で自動処理し、一番勝てる選択肢を『勘』として出力しているのだ。AIの予測アルゴリズムすら超越する、天然のシステムハッカー。
「分かった。案内してくれ、金成くん」
俺が冷徹に告げた、その瞬間だった。
ウィィィィン——ッ!!!
倉庫の壁に据え付けられた古いスピーカーが、突如として重低音のシステム起動音を鳴り響かせた。
赤色灯ではない。冷徹な、そして圧倒的な物量を誇る「黄金色(ゴールド)」の光が、倉庫の窓ガラスを外側から遮光するように、物理的なシャッターとなって次々と閉ざしていく。
**『——不審なスコアの停滞、および電波障害ログを検知。これ以上の資産(スコア)の流出は、学園の経済を揺るがす損失と査定します』**
スピーカーから流れてきたのは、ソロバンの珠を弾くような規則正しい電子音と、冷徹極まりない少年の声。
室内のモニターが一斉に起動し、そこに映し出されたのは、高級なスーツのような制服を完璧に着こなし、金の眼鏡の奥からこちらを値踏みするように見下ろす少年の姿だった。
胸元のデジタルバッジに刻まれた数字は【学園スコア:7800】。
生徒会会計——。学園の全財産と、生徒たちのスコアの「流通」を完全に管理する絶対的守銭奴、御園生 財務(みそのう ざいむ)。
「御堂綾。君たちの行動は、我が生徒会会計の『絶対防壁』によって完全にロックされました。この倉庫の酸素供給、および君たちの口座資産は、1分ごとに10%ずつ強制没収(シャットダウン)されます。無価値な家畜として干からびたくば、そのまま足掻くがいい」
「資産の強制没収……!? 嘘でしょ、私の、私たちのスコアが削られていく……っ!」
玲奈が自分のバッジの数字が減衰していくのを見て、恐怖に顔をクシャクシャに歪めた。
「はは……はははっ! ギリギリの戦いは楽しいな……だからギャンブルはやめられないんだ!」
だが、その絶望の空間で、金成こいんだけが狂ったように目を輝かせて笑っていた。彼は融解しかけた倉庫の鉄扉に背を預け、黄金に染まるモニターを見据えてコインを高く弾く。
「俺たちの『命の保有権』と、お前のその『7800のスコア』……どっちが先に破産(パンク)するか、ノーガードのマネー・ゲームを始めようじゃねえか、会計さんよぉ!!」
生徒会会計の『絶対防壁』。その鉄壁の金庫を内側からハックするための、確率ゼロからの大博打が、今、幕を開ける。
——本日の観測を終了。生徒会会計・御園生財務の介入を確認。
次回、14話「確率の支配者」
14話「確率の支配者」
倉庫の鉄扉が黄金の隔壁によって物理的にロックされ、室内の空気の温度が目に見えて上昇し始めていた。
じっとりと首筋にへばりつく汗が、酷く生温かい。だが、この熱気は物理的なものだけではなかった。俺たちのスマホの画面で、文字通り秒単位で減少していくポイントの数値が、俺たちの精神をダイレクトに削り取っているのだ。
【神代玲奈:スコア 3200→2880→2592……】
「ハァ、ハァ……っ! 削られていく……私の、私たちが命がけで取り戻したスコアが、あの男の指先一つで、無に帰していく……っ!」
玲奈が、綺麗な顔をクシャクシャに歪めてコンクリートの床に膝をついた。彼女の赤い瞳はネオンブルーに激しく明滅し、酸欠と絶望で胸を大きく上下させている。
「神代さん、パニックになるな。呼吸が早まれば、それだけ酸素の消費効率が落ちる」
俺——御堂綾(みどう りょう)は、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正し、ガラスのようなライトブルーの瞳を、倉庫の壁に浮かび上がった巨大な黄金のモニターへと向けた。
画面の向こう側。金の眼鏡を指先で押し上げながら、生徒会会計・御園生 財務(みそのう ざいむ)は、冷徹な三日月形の笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
彼の胸元に光る【7800】の数字は、この学園の流通そのものを支配する絶対強者の証だ。
「無駄な抵抗はやめなさい、御堂くん。我々会計の任務は、学園という経済圏の「リスク排除」だ。システムをバグらせる君たちの存在は、100%の確率で我が校に不利益をもたらす。だから、ここで完全に破産してもらう。ロジックの前に、感情など無価値だ」
呼吸、1分間に12回。脈拍、60。完璧に計算された「静止」。
御園生のバイタルには、一切の揺らぎがない。彼は自分の勝利を、数式レベルで確信している。
「……数式、ですか。お堅いねぇ、会計さんよぉ!」
暗闇の中、金成こいんの黄色の瞳が、まるで飢えた肉食獣のようにギラリとネオン色に発光した。
彼は鮮やかな黄色のプルオーバーパーカーのポケットから、ゆっくりと右手を引き抜く。その指先には、見たこともない奇妙な鈍い光沢を放つ、1枚の古いコインが挟まれていた。
「俺はさ、計画を立てるのも、数字を捏造するのも死ぬほど苦手でさ。だから、あんたのその小難しい『絶対防壁』のロジックなんて、これっぽっちも理解できねえんだよ」
こいんはツンツンと跳ねた茶髪をガシガシとかきむしり、片方の前髪をキュッと結んだオレンジ色のゴムを指先で弾いた。その顔には、先ほどまでの陽気なバカの面影はどこにもない。
ただ、ギリギリの崖っぷちを心から楽しんでいる、本物のギャンブラーの狂気だけが宿っていた。
「だけどよぉ、俺の『勘』が今、脳ミソの裏側で狂ったように叫んでんだよな。——『この金の眼鏡を今すぐ引きずり下ろして、すっからかんにしてやれ』ってさ!!」
「……ハッ、不愉快な妄想ですね」
モニターの向こうで、御園生財務が不快そうに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「君の胸元のスコアはわずか【412】。資産価値としても、排除対象としても、取るに足らないゴミだ。そんな端金で、我々の構築した完璧な市場(システム)に挑めるとでも?」
「あぁ、チップが足りねえなら、今ここで『等価』にしてやるよ」
こいんがスマホの画面を乱暴にタップした。その瞬間、倉庫内のスピーカーから、システムが激しくアラートを上げる無機質な電子音が鳴り響いた。
ピピッ、ピピピピピピピ!!!
**『特級申請:アカウント保有権の完全賭与を検知。学園AIはこれを承認し、公式決闘のルールを上書きします』**
「な、何をしたの……こいんくん!?」
玲奈が悲鳴を上げる。
「アカウントの完全賭与って……負けたらあなた、退学どころか、この学園のシステムの一部になって、一生奴隷として脳を使い潰されるのよ!?」
「ははっ! 知ってるよ玲奈!勝てば天国、負ければ奴隷。これ以上のスリル、他にあるかよ!?」
こいんは狂ったように笑いながら、手元のアカウント権限を全て御園生の【7800】のスコアへと直結させた。システムが等価と認めたことで、倉庫全体の酸素没収のカウントダウンがピタリと停止する。強制的なマネー・ゲームの成立だ。
「……正気の沙汰ではないな。いいでしょう、その無価値な人生、我が会計の資産として没収してあげます。ゲームは何にするね?」
「簡単だよ、会計さん。一発勝負のコイントスだ。今から俺がこのコインを高く弾く。あんたが『表』か『裏』かを当てろ。あんたが当てたら俺の負け。外したら、その【7800】のスコア、全額俺たちが毟り取る」
御園生の眼鏡の奥の目が、冷酷な計算のために高速で細くなった。
一発勝負のコイントス。確率二分の一。知略の介入する余地のない、ただの運否天賦——だが、御園生の脳内AIはすでに、こいんの親指の角度、筋肉の弛緩、室内の風速から、コインが描く放物線の軌道を100%の精度で算出し終えていた。
「私の予測は【裏】だ。計算上、君の親指の跳ね上げトルクでは、その硬貨は18回転半して、必ず裏を向いて手の甲に落ちる」
「へえ、さすがAIの申し子だ。じゃあ、行くぜぇ!!」
カランッ!!!
こいんの親指が、激しい金属音を立ててコインを弾き上げた。
倉庫の天井に向けて、鈍い銀色の光を放ちながら回転するコイン。御園生は勝ちを確信し、冷徹に口角を吊り上げる。
だが、そのコインの軌道を見つめる俺——御堂綾の左目が、幾何学的な紋様を走らせて青く輝いた。俺の『眼』が、御園生のバイタルの微細な変調を完全にキャプチャする。
呼吸、1分間に4回。浅い。
右手の指先が、デスクの下で電磁コントロールのスイッチに触れている。
「……金成くん、床だ」
俺は影の中から、冷徹に囁いた。
「御園生は最初から確率なんて信じていない。あの倉庫の床には、会計がスコアの流通を操作するための電磁ピストンが埋め込まれている。コインが落ちる瞬間、床の磁界を強制操作して、確実に【裏】へひっくり返す気だ」
「知ってるよ、綾!!」
こいんが、最高にドロリとした歓喜の笑みを浮かべた。
「だから言っただろ? これは俺が色んなギャンブルで勝ち取った、特注の『防電磁波チタン・カーボンコイン』だってなぁ!!」
「なっ……!?」
モニターの向こうで、初めて御園生の顔から余裕の笑みが消え失せた。
パシッ。
落ちてきたコインが、こいんの手の甲に吸い込まれるように収まり、その上に左手が重ねられた。
完璧な沈黙が、黄金に染まる倉庫を支配する。
「さあ、開けるぜ? 会計さん」
こいんがゆっくりと左手をどけた。
月明かりと、黄金のモニターの光に照らされた手の甲の上で、静かに鎮座していたのは——。
完全なる、【表】だった。
「バ、バカな……! 磁界コントロールが効かなかった……!? 計算が、我が会計の絶対的な確率が、こんなおバカな一年生のゴミチップに……っ!」
「ざまぁみろ。筋肉も電子の壁も、そしてあんたの確率とやらも、全部俺の『勘』の引き立て役なんだよ!!」
こいんが勝ち誇るように左手を天高く突き上げた。
**ピピッ——ピピピピピピピピ!!!!**
倉庫中に、脳髄を直接揺さぶるような爆音の電子音が鳴り響いた。巨大な黄金のモニターに表示された御園生のバッジの数字が、信じられない速度でカウントダウンを始める。
【御園生財務:スコア 7800→0】
【金成こいん:スコア 412→8212】
光を毟り取られ、ただの灰色のプラスチックの塊へと成り果てたバッジを掴み、御園生はモニターの向こう側で、血を吐くような悲鳴を上げて白目を剥いた。
「嘘だ……! 我が会計の、完璧な、絶対的な確率の防壁が……! こんな、論理の欠片もないバカの、ただの強運などに……ッ!! 破産だ……私は、神代景(会長)に、何と……あ、あ、あああ……っ!!!」
ガシャァン!! と、モニターの向こうで高級なソロバンや書類がひっくり返る絶望の音が響く。
次の瞬間、倉庫を完全に密閉していた黄金の遮光シャッターが、市場の崩壊に連動するようにガタガタと音を立てて跳ね上がった。
ヒュォォォッ——
流れ込んできたのは、冷たく、どこまでも澄んだ本物の夜風だ。
強制没収されかけていた俺たちの口座資産の減衰もピタリと止まり、倉庫内の酸素濃度が急速に回復していく。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ、た、助かったの……? 私たち、あの絶対防壁を、本当に内側からハックして……」
神代玲奈が、涙と汗でクシャクシャに歪んだ綺麗な顔を床から上げ、信じられないものを見る目でこいんを見つめていた。その赤い瞳は、勝利の余韻にネオンブルーに激しく明滅している。
「嘘じゃないよ、玲奈!ほら、大・当・た・り!」
こいんはツンツン跳ねた茶髪を指でピンと弾き、オレンジ色のゴムで結んだ前髪を揺らしながら、白い歯を見せて最高に陽気に笑ってみせた。胸元のバッジには、今や学園トップクラスの【8212】という凶悪な貴族スコアが眩いばかりに明滅している。
「……査定終了。被検体:御園生財務。価値、ゼロ」
俺——御堂綾は、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正し、ガラスのようなライトブルーの瞳を静かに細めた。網膜の裏側で、激しい熱量を放っていた視覚演算システムが、勝利の確定ログを弾き出して冷徹な青い光へと落ち着いていく。
完璧なロジックを組む守銭奴の敗因は、目の前の少年が「イカサマをしてくる確率」すらも計算に組み込んでいたことだ。だからこそ、イカサマの枠にすら収まらない、物理的な非磁性体コインという『ただの事実』にハメられて自滅した。
「ははっ、やっぱり俺の勘は最高だな! さあ、約束通り俺の『ゲーム部』の部室へ案内するよ。あそこならAIの電波も景の目の届かない、俺たちの完全なドメインだからさ!」
こいんはジャラジャラとポケットの特製コインを鳴らしながら、倉庫の出口へと歩き出す。
その背中を見つめながら、俺のガラスの瞳は、これまでにないほどドロドロとした歓喜のバイオレットにギラリと変色した。
生徒会会計の『絶対防壁』は崩壊した。
手に入れたのは、8000を超えるスコアを持った、確率の支配者すらも嘲笑う「最強のギャンブラー」。
元・女王、規格外の先輩、バグの少女、そして幸運の怪物。
神代景。お前が作り上げたその歪んだ箱庭のパーツは、今、完全に俺の手元へと逆流している。
「行きましょう、僕たちの新しい戦場へ」
俺が冷酷に告げると同時に、夜の学園を統べる『偽神』への反逆のチェス盤が、さらに深く、血と嘘で塗り潰されながら回転を始めた。
——本日の観測を終了。生徒会会計の破産を確認。共犯者チーム、ゲーム部部室へ移行します。
次回、15話「ゲーム部の不可侵ドメイン」
15話「ゲーム部の不可侵ドメイン」
俺たちは北側倉庫の修羅場を後にし、金成こいんの先導で学園の最深部へと足を進めていた。
「よっし、ここまで来ればもう安心だぜ! 景の野郎のクソAIも、俺の聖域には手出しできねえからな!」
ツンツンと跳ねた茶髪を揺らしながら、こいんは鮮やかな黄色のプルオーバーパーカーのポケットでジャラジャラとコインを鳴らし、誰も近づかない旧管理棟の地下へと続く、錆びついた鉄扉を蹴り開けた。
階段を下りた先に広がっていたのは、およそ学園の規則からは逸脱した、混沌とした秘密基地だった。
剥き出しのコンクリート壁。床一面に敷き詰められた、電磁波を完全に遮断するという特注の古銭や防電磁波コイン。部屋の中央には古びたポーカーテーブルが鎮座し、壁際には無数のトランプやダイス、そして最新鋭のタフブックがいくつも転がっている。
「へえ、ここがゲーム部。……AIの網の目が完全に『空振り』しているわ。私のスマホ、位置情報の同期が完全に止まってる」
神代玲奈が、息を整えながら室内を見回した。彼女の赤い瞳はまだ酸欠の余韻でネオンブルーに微かに揺れていたが、その綺麗な顔からようやく『絶望の歪み』が消え、安堵の表情が戻っていた。
「イェア!! この遮蔽空間、筋肉のストレッチにもってこいの最高の環境だぜフレンド!!」
身長2m21cmの巨軀を誇る樽巻拳殴が、丸太のような右腕で自らのスキンヘッドを叩きながら、小脇に抱えた新しいノートパソコンをポーカーテーブルにドサリと置いた。
「ドクター、ここなら生徒会のクソインフラに邪魔されずに、じっくりと次の『右ストレート』の仕込みができるな!」
「空気が、変わった……」
部屋の隅の影に、まるで染み出すようにして佇んだ斜藤あさひが、狐の面を外した素顔のまま、ピンク寄りの赤瞳をぱちくりと瞬かせた。
「ここは、景さんの作った色の匂いがしない。瑠璃色でも縹色でもない……もっと、ごちゃまぜで、温かい色」
「ははっ、そりゃあ戦利品の匂いだからな!」
こいんはポーカーテーブルの椅子を引いてどっかりと座り、胸元の【8212】の数字を眩く明滅させた。
「あのガチガチの会計さんをすっからかんにして奪ったスコアだ。これで俺たちの資金は一気に潤沢になった。なぁ、綾?」
こいんは悪戯っぽく笑いながら、手元で愛用の古銭を綺麗にスピンさせ、ポーカーテーブルの上を滑らせて俺の前にピタリと止めた。
「……上出来です、金成くん」
俺——御堂綾は、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元に触れ、ガラスのようなライトブルーの瞳でそのコインを見つめた。眼の網膜の裏側で、過熱していた演算装置が急速に冷却され、静かな青いログへと落ち着いていく。
「これで生徒会四天王の一角、会計の御園生財務は完全に失脚した。学園の資産流通の半分は、僕たちのハッキングによって機能不全に陥ったはずです」
俺は椅子を引き、ポーカーテーブルの席に着いた。
「ですが、神代景がこのまま黙っているわけがない。システムを物理ロックしてまで時間を稼ごうとした男だ。会計が破産した時点で、彼は次なる『防壁』を起動させている」
「次なる、防壁……」
玲奈が華奢な肩を微かに震わせながら、俺の隣の席に腰を下ろした。その赤い瞳には、まだ兄である神代景へのドロリとしたトラウマが残っている。
「一ノ瀬のブラック・マーケット、如月院先輩の精神査定、そして御園生の絶対防壁。生徒会の外殻は次々と剥がしているわ。でも……景の側近には、まだ『情報部』の残党や、学園全体のインフラを監視している総務の影がある。あいつらは、これまでの小悪党とは比べ物にならないくらい、人の心を隠すのが上手い。……特に、あの総務の連中は」
玲奈が言葉を紡ぎ終えた、その瞬間だった。
部屋の隅、コンクリートの影に溶けていた斜藤あさひが、静かに、本当に衣服の擦れる音すら立てずに、俺たちの背後へと歩み寄ってきた。
「うん、玲奈さんの言う通り。景さんの網は、優しくて、絶対に逃がさない」
あさひの声は、いつものようにどこか詩的で、ひどく平坦だった。
だが、その響きの中に、先ほどまであったはずの「怯え」や「迷い」の澱みは一切存在しなかった。
「え……? あさひちゃん……?」
玲奈が奇妙な違和感に気づき、振り返る。
あさひは、腰まで伸びた純白の美しい髪をサラリと揺らし、ポーカーテーブルの上に、外していたはずの『白い狐の仮面』をコト、と静かに置いた。
「虹は、空が泣いた後の笑顔だけど……」
あさひのピンク寄りの赤い瞳が、冷徹な三日月形に細められる。
「人工の光で無理やり作られた虹はね、プリズムを壊せば、一瞬で真っ暗な闇に溶けて消えちゃうんだよ」
その瞬間、御堂綾の『眼』が、あさひの胸元のデジタルバッジを捉えた。
スコア【0】。最底辺の「家畜」を示すその数字が、まるでバグを起こしたかのように激しく明滅し、一瞬にして書き換わっていく。
【斜藤あさひ:学園スコア 0 → 8500】
「なっ……!? スコア、8500……!? 四天王の御園生よりも高い……!?」
玲奈が悲鳴のような声を上げて椅子から立ち上がった。
「イェア……!? おいおいフレンド、冗談だろ!?」
樽巻先輩がサングラスの奥の目を剥き、ポーカーテーブルを叩いて立ち上がろうとする。しかし、巨軀を揺らした瞬間、先輩の顔が苦悶に歪んだ。
「な、んだ……身体が、動か……ッ」
「筋肉で耐えられるだろ、って? ダメだよ樽巻さん。さっき私が渡した『生明(あざみ)へのお土産のお菓子』……あれ、楊磊くんに特注で作ってもらった、強力な神経弛緩剤入りのクッキーだから」
あさひは淡々と、まるで明日の天気を語るような口調で言った。
「君たちが倉庫で戦っている間に、私が空気になって、みんなの飲み物やストレッチ用の水に混ぜておいたの。体中を巡るまで、だいたい15分。……ちょうど、今くらい」
「ガ、ハッ……!!」
丸太のような筋肉を誇る樽巻先輩が、そのまま床へと崩れ落ちる。
「あ〜、えっと? どういうことだ? ……あさひ、お前、景の野郎のスパイだったのか!?」
こいんが黄色の瞳を驚愕に染め、パーカーのポケットからコインを掴み取ろうとする。
「動かないで、ギャンブラーくん。君の『勘』は凄いけど、引き金を引く指の筋肉が弛緩してたら、コインを弾くことすらできないでしょ?」
あさひは冷酷に笑い、こいんの動きを言葉だけで封殺した。
俺は、じっと座ったままだった。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元に手を添え、ガラスのようなライトブルーの瞳で、目の前の少女を見つめる。
あさひの呼吸、1分間に14回。脈拍、64。
完全に安定している。
最初から、俺たちに救出された瞬間から、彼女のバイタルには「嘘」の揺らぎがなかった。なぜなら彼女は、心から「自分は無害な被害者であり、景のために動くのが絶対の正義だ」と、精神の根底から信じ込んでいたからだ。
他人の嘘を100%見抜く俺の『眼』の、完全な死角。
「……やってくれましたね、斜藤さん。僕としたことが、天然の『自己欺瞞』を見落とすとは」
「ふふ、驚いた? でも、本当に景さんから聞いてた通りだ……!」
あさひは嬉しそうに微笑み、スマホの画面をタップした。
ウィィィィン——ッ!!!
電磁波を完全に遮断していたはずのゲーム部のスピーカーが、突如として強制起動し、あの耳障りなソロバンの音ではなく、今度は美しくも残酷なハーモニーを奏で始めた。
壁のモニターが一斉に起動し、学園のシステムインフラを司る『生徒会総務』の冷徹なロゴが浮かび上がる。
それと同時に、自動ロックされた鉄扉の外側から、大勢の生徒会執行部の足音が旧管理棟の地下へと近づいてくるのが聞こえた。
「この部屋の防電磁波コインの配置、空気になって歩き回りながら、少しだけ隙間を作っておいたんだ。そこから景さんのインフラを呼び込んだの」
あさひは再び白い狐の仮面を顔に当て、そのピンク寄りの赤瞳を仮面の奥に隠した。
「私は、無害だよ? 私を潰したって、何も変わらない。——今すぐ帰って、あの人たちに伝えよう。ネズミの巣を見つけたって」
狐面の奥から、冷たい嘲笑が響く。
完璧な隠れ家だったはずの「ゲーム部」は、一瞬にして、逃げ場のない「処刑場」へと変貌を遂げた。
「ねぇ、景さん?」
ゲーム部の中にあるモニターが点滅を始める。
ざり、と歪んだ砂嵐のノイズを吐き出しながら、冷徹な蛍光灯の白に染まっていた画面が、一瞬にして禍々しいほどの「漆黒」へと塗り潰された。
その中央に浮かび上がったのは、この私立栄華学園の頂点に君臨する絶対的な『偽神』——生徒会長・神代 景(かみしろ けい)の、冷酷極まりないシルエットだった。
「——よくやってくれたね、あさひ。君の『空気』としての価値は、やはり私の計算通り、いや、それ以上だったよ」
スピーカーから響いてきたのは、まるで世界そのものをあらかじめチェス盤の上から見下ろしているかのような、絶対的な強者の声音。
その冷たい声が狭い地下室に落ちた瞬間、空気の温度がさらに数度、一気に氷点下まで叩き落とされたかのような錯覚に陥る。
「お兄……様……っ!?」
床に崩れ落ち、身体を震わせる玲奈の赤い瞳が、恐怖と憎悪でネオンブルーに激しく明滅した。
「どうして……どうしてここに……! ここは電磁波も、あなたのAIの眼も届かない、完全な隔離空間のはずよ……!」
「完璧な防壁など、この箱庭には存在しないよ、玲奈。君は相変わらずロジックが甘い」
画面の向こうの影が、静かに首を振る。
「金成くんの敷き詰めた古銭のロジックは確かに優秀だった。だが、斜藤あさひがその配列をほんの数ミリずらし、さらに衣服に仕込んだ「微弱インフラ中継器」を起動させた時点で、この部屋は我が生徒会総務の『完全な支配下』に落ちたのだ。……価値なき反逆者たちの巣窟としてね」
「あ〜、クソが……! 俺の『勘』、こういう時に限って、最悪の『大ハズレ』を掴まされたって、脳ミソの裏側でドラム叩いてやがる……!」
こいんが黄色の瞳を悔しさでギラギラと燃え上がらせ、動かない右腕を必死に床に擦り付けた。
「他人の嘘を見抜くドクターの眼がありながら、俺の、確率を超越するはずの勘がありながら……こんな、顔も隠した女の子一人に、全員すっからかんにハメられるなんてなぁ……っ!」
「だから言ったでしょ、ギャンブラーくん。私は無害だよ。君たちの敵でも、味方でもない。ただの、景さんの空気だもん」
あさひはポーカーテーブルの上に置いた白い狐の仮面を、ゆっくりと両手で拾い上げた。そのピンク寄りの赤い瞳は、完全に虚無に染まり、目の前で倒れ伏す仲間たちを、まるで床のゴミを見るかのような冷徹さで見下ろしている。
「嘘つきたちの最高峰を決めるカースト・ゲーム、なんて。御堂くん、君の『眼』は確かに特別だったけれど……『景さんのためなら、自分の命もスコアも、明日見る空の色さえもどうでもいい』って心から信じてる人間の心を、君のシステムは【偽り】だと叫んでくれた?」
「……いいえ」
俺——御堂綾は、椅子に深く腰掛けたまま、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元に手を添えた。ガラスのようなライトブルーの瞳を、モニターの黒と、あさひの赤へと静かに向ける。
「僕の網膜の裏側の演算装置は、君の言葉を終始『100%の真実』だと判定し続けていました。自分の精神すらも神代景のロジックで書き換えた、天然の自己欺瞞防壁。……見事なチェックメイトです、斜藤さん」
「ふふ、合格。……でも、もう遅いよ」
あさひは、そのサラサラの白い髪を揺らしながら、再び白い狐の仮面を顔へと当てた。パチリ、と衣服の裏で、生徒会総務のアクセスキーがロックされる音が響く。
「じゃあね、みんな。氷が飲み物に溶けていくように、私も空気に溶けていく。……景さん、あとの処理は、総務の執行部部隊に任せていいよね?」
『ああ。ご苦労だった、あさひ。君のスコア【8500】に見合うだけの特等席を用意して待っているよ』
モニターの向こうの神代景が冷酷に告げると同時に、ゲーム部の鉄扉の外から、ザツ、ザツ、ザツ、ザツと、完全に統率された生徒会執行部の足音が、すぐそこまで迫ってきた。その数は、少なくとも30人以上。
「おいおいフレンド……筋肉の、出力が、まだ……10%も戻らねえ……ッ!」
樽巻先輩が2m21cmの巨軀を軋ませ、サングラスの奥で歯を剥き出しにして悔しがる。
「ドクター……俺たち、ここでポイっと、ポイントみたいに消されるのか……!?」
「……まさか」
俺は静かに椅子から立ち上がった。
第一ボタンまで閉めた襟元を一度緩め、再びキッチリと締め直す。ガラスのようだった俺のライトブルーの瞳が、一瞬にして、ドロリとした底知れぬ「バイオレット」の狂気へと変色していく。
「神代景。お前は確かに完璧なプロット(脚本)を組んだ。だが、お前は大きな計算違いをしている」
「ほう? 破産が確定したゴミチップが、まだ何か面白い嘘を吐くのかい、御堂くん」
「嘘ではありませんよ、偽神」
俺は、倒れ伏す玲奈たちの前に立ち、迫り来る鉄扉の足音を正面から見据えた。
「斜藤あさひの裏切りによって、僕たちの完璧な隠れ家は失われた。だが、それと同時に——僕たちがこれ以上、お前の敷いたルールの内側で、綺麗に『ゲーム』を演じてやる義理も、完全に消滅したということだ」
俺の『眼(レンズ)』が、ゲーム部の壁の裏側、生徒会総務がハッキングのために無理やり繋いできた高圧インフラ回線の、たった一箇所の「脆弱性」を完全にロックした。
勝てば天国、負ければ奴隷。
ルールをハックされる恐怖を、今度はそちらが味わう番だ。
俺の左目——網膜の裏側に埋め込まれた視覚演算システムが、限界を超えてオーバードライブを開始した。ライトブルーだった光彩は、網膜の毛細血管が焼き切れる寸前のドロリとしたバイオレットへと完全に変色し、世界のすべてを強制的な「コード」として解読し始める。
「ほう。諦めの悪い家畜の、最後の悪あがきか。見苦しいね、御堂くん」
モニターの向こうで、神代景のシルエットが冷徹に、そして心底退屈そうに告げた。
「悪あがきかどうか、その傲慢なAIで計算してみるがいい」
俺は右手を伸ばし、ポーカーテーブルの上に残されていた樽巻先輩のノートパソコンを、指先だけで乱暴に引き寄せた。
「た、樽巻先輩、タイピングを……一秒だけ、あなたの『加速』を俺の指にハックさせてください」
「……イェ、ア……ッ。俺の、筋肉の駆動コードは……『Bulk-Up』、だ……ドクター……っ!!」
床に倒れ伏した樽巻先輩が、濁った声を絞り出す。
俺の『眼』がそのパスワードを認識した瞬間、俺の脳内システムと、先輩のノートパソコン、そしてゲーム部の壁裏を通る高圧インフラ回線が、一本の不可視のラインで直結した。
あさひが電磁波遮蔽コインをずらし、生徒会総務のインフラをこの部屋に呼び込んだ。それは確かに完璧なトラップだ。だが、それは同時に、これまで決して表に出てこなかった神代景の『中央管制サーバー』への物理的な回路が、この部屋に直に剥き出しになったということに他ならない。
侵入経路(ドア)を開けたのはそっちだ。なら、ここから先は俺のゲームだ。
バラララララララララララララララララララララッ!!!!
地下室に、鼓膜を破らんばかりの凄まじいタイピング音が炸裂した。
樽巻先輩の固有能力『身体動作の加速』を、俺の視覚演算が一時的にハックし、指先へと全出力を強制転送したのだ。常人には視認すら不可能な速度で、キーボードの文字が、液晶の光が、爆発的な熱量を帯びていく。
「何、を……してるの……!?」
白い狐の仮面を顔に当て、部屋を立ち去ろうとしていたあさひが、初めてその足をピタリと止めた。仮面の奥のピンク寄りの赤瞳が、驚愕に激しく見開かれる。
「斜藤さん、君の書いた裏切りのプロットは、あまりにも無害で、あまりにも綺麗すぎた」
俺はキチリ、と第一ボタンまで閉めた襟元を指先で弾き、エンターキーを親指で叩き割るようにして押し込んだ。
「だから——致命的なバグが、一文字足りていない」
ドガァァァァァン————ッ!!!!
次の瞬間、ゲーム部全体のスピーカーと、神代景の映る黒いモニター、そして壁裏の配電盤が一斉に、凄まじい火花を散らして爆発した。
「なっ……!?」
画面が完全にブラックアウトする直前、あの絶対的な偽神・神代景のシルエットが、初めて小さく揺らいだのを、俺の眼は見逃さなかった。
あさひが呼び込んだ総務のハッキング回線を逆流させ、生徒会総務のシステムそのものを、このゲーム部の高電圧インフラごと内部から「強制ショート」させたのだ。
「あ、あ、あああ……っ!! 景さんの、景さんのインフラのメロディが……壊れて、いく……!?」
あさひが頭を抱え、仮面の奥で悲鳴を上げた。
彼女がこの部屋の防電磁波を壊すために仕込んでいた『衣服の微弱インフラ中継器』が、逆流した超高電圧によってショートし、その胸元からバチバチと青い火花が飛び散る。
「ガハッ……! つ、ついでに、身体に回ってた変な薬の、電磁成分も……一緒に焼き切れた、みたいだぜ……っ!」
こいんが黄色の瞳にネオンの光を蘇らせ、ガタガタと震えながらも、ポーカーテーブルを掴んで力ずくで立ち上がった。彼の胸元のバッジには、奪い取った【8212】の数字が、荒々しく再起動のログを刻んでいる。
「イェアアアアア!! 筋肉の出力、30%回復!! これだけあれば、ドアの前の雑魚どもを右ストレートで消し飛ばすには十分だ!!」
樽巻先輩がサングラスの奥の目を血走らせ、2m21cmの巨軀を咆哮とともに弾けさせた。
「行きましょう。ここはもう、僕たちのドメインではない」
俺は、まだ力の入らない玲奈の細い身体を容赦なく横抱きに抱え上げ、完全にロックが壊れて火花を噴き出す鉄扉へと歩みを進めた。
「御堂、くん……君は、やっぱり……」
狐の仮面の奥から、あさひの震える声が響く。彼女は胸元の中継器を焼き切られ、スコア【8500】の明滅を激しく乱しながら、コンクリートの壁にへたり込んでいた。
「斜藤さん。君をここで殺しはしない。……いや、『生かしておく価値もない』。お前の大好きな景さんのロジックが、僕たちの狂気に引き裂かれていく様を、その仮面の奥から指を咥えて見ておくといい」
俺は一度も振り返ることなく、バイレットの瞳で暗い通路の先、執行部部隊の影がうごめく修羅場を見据えた。
完璧な隠れ家は消滅した。仲間の一人は最悪の裏切り者だった。
だが、俺たちの胸の内に灯った、偽神の首を狩るためのドロリとした復讐の炎だけは、何者にもハックできはしない。
通路の奥から、執行部たちの怒号が響き渡る。
本当の地獄の泥仕合が、今、ここから始まるのだ。
——本日の観測を終了。斜藤あさひの完全なる離脱、およびゲーム部ドメインの崩壊を確認。共犯者チーム、生徒会総務の包囲網を突破し逃亡フェーズへ移行。
次回、16話「敗者のバイタル・サイン」
16話「敗者のバイタル・サイン(前編)」
じっとりと首筋にへばりつく汗を、夜の校庭を吹き抜ける冷たい風が、容赦なく凍らせていく。
ゲーム部部室を自爆させ、生徒会総務のインフラごとシステムを強制ショートさせてから、わずか数分。俺たちは、追手の目を眩ますために学園の死角——中央庭園の深い茂みへと滑り込んでいた。
「ハァ、ハァ……っ! 嘘でしょ、総務の執行部が、もうそこまで……!」
俺の腕の中で、神代玲奈が苦しげな呼吸を漏らしながら、綺麗な顔をクシャクシャに歪めていた。
彼女を横抱きにしたままの俺の制服の胸元に、彼女の細い指先が、怯えと悔しさの混ざった力でしがみついてくる。
俺——御堂綾(みどう りょう)は、息を乱すことなく、第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正した。
前髪の隙間から覗く俺のガラスの瞳は、過負荷による毛細血管の充血で、ドロリとした底知れぬ「バイオレット」の狂気を宿したまま、腕の中のヒロインの細部をスキャンする。
呼吸、1分間に46回。脈拍、138。
限界に近い。だが、そのバイタル・サインが告げているのは、恐怖だけではない。「裏切られた」という絶望を強引に飲み干し、再び前を向こうとする、狂おしいほどの反逆の熱量だ。
「神代さん。お前のその歪んだ絶望顔は極上の査定材料だが、まだへたばるには早すぎる。お前の兄(偽神)の首は、まだあの高い玉座の上だ」
「わ、分かってるわよ……! 誰が、あんな男に……ッ!」
「イェア……! 薬は抜けたが、総務のネズミどもが四方から囲んできてやがるぜ、ドクター!」
樽巻拳殴先輩が2m21cmの巨軀を屈め、サングラスの奥の目を血走らせる。
「俺の勘も最悪だ。確率0.02%の逃亡ルートなんて、どこをどう引っくり返しても見つからねえ……!」
金成こいんが、手元で特製コインをギチギチと握り締めながら黄色の瞳を曇らせた。
システムをハックし、物理的な退路を断ってもなお、神代景の包囲網は狭まっていく。
その時だった。
……サク、サク……
コンクリートではなく、湿った土を踏み締める、極めて微小な足音が、俺たちのすぐ背後から響いた。
「なっ……!?」
樽巻先輩の野生の知覚すら、その接近を直前まで捉えられなかった。
暗闇から染み出すようにして現れたのは、制服のあちこちを焦がし、胸元の中継器から今なおパチパチと不気味な火花を散らしている少女——斜藤あさひ。
その顔には、あの白い狐の仮面はなかった。
月光に照らされた素顔。ピンク寄りの赤瞳は完全にハイライトを失い、ドロドロとした暗黒の虚無に染まっている。薄い唇が、三日月形に、歪に吊り上がっていた。
「見ぃつけた、綾くん。……それから、景さんのゴミクズたち」
火花を散らして爆発した配電盤の黒煙が、狭い地下室に急速に充満していく。
「解除……成功。樽巻先輩、走れ!!」
俺の叫びと同時に、神経弛緩剤を気合いでねじ伏せた樽巻先輩が、巨軀を震わせて立ち上がろうとした、その瞬間だった。
「——逃がさない、って言ったでしょ」
ゾクリとするほど平坦な声が、煙の向こうから響いた。
振り返った俺の『眼(レンズ)』が捉えたのは、壁にへたり込んでいたはずの少女——斜藤あさひの、完全にハイライトの消えたピンク寄りの赤瞳だった。
彼女の手には、いつの間にか絵の具の汚れた白無垢の袖から引き抜かれた、細身のキャンバスナイフが握られていた。美術用の道具。だが、景の狂気によって研ぎ澄まされたその刃先は、鈍い月光を反射して致命的な凶器の輝きを放っている。
「景さんの世界を汚すバグは、私が綺麗に削り取るの」
あさひの肉体が、まるで重力を無視するようにして前方にスライドした。衣服の擦れる音すら立てない、完全な『空気』の暗殺歩法。
その刃が迷いなく突き出された標的は、まだ身体が完全に動かない、無防備な金成こいんの喉元だった。
「金成くん……っ!!」
神代玲奈が悲鳴を上げる。
「あ〜、クソ……ッ!」
こいんが黄色の瞳を見開くが、弛緩した身体は一歩の退避すら拒絶する。
——間に合わない。
そう判断した瞬間、俺の身体は論理(ロジック)を置き去りにして動いていた。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の袖を翻し、こいんの身体を強引に突き飛ばす。
ザクッ————。
肉を裂き、骨に達する生々しい手応えの音が、地下室の爆音に混ざって鼓膜に届いた。
「……つ、あ……っ」
短い苦悶の声を漏らしたのは、俺でも、こいんでもなかった。
突き飛ばされたこいんの前に、その2メートル21センチの巨軀を肉の壁として割り込ませた男——樽巻拳殴先輩だった。
あさひの放った鋭利な刃は、先輩の強靭な右太ももの横紋筋を深く、深く貫いていた。
ドロリとした鮮血が、黒い半ズボンを急速に赤黒く染め上げて床の防電磁波コインへと滴り落ちる。
「樽巻、先輩……!?」
こいんが声を震わせる。
「イェ、ア……! 舐めるなよお嬢ちゃん……。俺の筋肉は……この程度の、細い鉄屑じゃ……ビクともしねえ、ぜ……っ!!」
樽巻先輩はサングラスの奥の目を血走らせ、太ももに刃物を突き立てられたまま、丸太のような左腕をあさひに向けて一閃した。
凄まじい風圧が黒煙を吹き飛ばすが、あさひは刺したナイフを躊躇なく引き抜き、再び衣服の擦れる音一つ立てずにバックステップで影の中へと溶け込んでいく。
引き抜かれた刃先から、先輩の血が放物線を描いて飛び散った。
俺の『眼』が、瞬時にあさひのバイタルをスキャンする。
呼吸、1分間に12回。脈拍、58。
誰かを深く傷つけ、血を流させたというのに、彼女の数値には1%の動揺も、罪悪感の跳ね上がりも存在しない。
「100%の真実の狂気」。彼女にとって、この惨劇はキャンバスに赤い絵の具を塗るのと全く同義なのだ。
「あさひちゃん、あなた……本当に狂って……っ」
玲奈が恐怖に綺麗な顔をクシャクシャに歪め、俺の腕の中でガタガタと震えている。
「……査定終了。被検体:斜藤あさひ。危険度、特級に引き上げ」
俺は色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪をかき上げ、制服に飛び散った先輩の血を冷徹に見つめた。網膜の裏側の演算回路が、ドロリとしたバイオレットの電子色にギラリと明滅する。
「金成くん、先輩の肩を担げ! 執行部がドアを破る。ここから先は、一秒の遅れが本当の『死』に繋がりますよ」
「おうよ……っ! 先輩、持ちこたえてくれ!」
こいんが動かない身体を無理やり駆動させ、血を流す樽巻先輩の巨軀を支える。
爆破された鉄扉の向こうから、いよいよ執行部たちの怒号と足音が、この部屋の入り口へと殺到してきた。
「ふふ、おもしろい色。綾くんたちの血は、とっても綺麗な縹色だね」
仮面の奥からあさひの冷たい嘲笑が響く中、俺たちは崩落する聖域を捨て、本物の修羅場へと足を踏み出した。
——本日の観測を終了。斜藤あさひの凶刃による樽巻拳殴の負傷、および戦線離脱を確認。共犯者チーム、多大なる損害を被りつつ逃亡フェーズへ移行。
次回、第17話「敗者のバイタル・サイン(後編)」
17話「敗者のバイタル・サイン(後編)」
「樽巻先輩……!持ちこたえてください……」
こいんが力のない身体を駆動させながら彼を運んでいく。
彼から流れていく赤黒く、生暖かいものがどんどん自分の手に伝わっていくのがわかる。
多分、結構な量血を流しているのだろう。
こいんが持っている巨体に少し変化があった。
「イェ、ア……こいん……あまり無理す、るんじゃねぇぞ……お前まで落ちたら、俺たちのチームは……だ、から俺は大丈夫だ」
どう考えても大丈夫じゃない声色で彼はしゃべる。
声は掠れかかっていてあまり呂律も回っていない。意識を失う寸前のような状態だ。
「無理ですよ……こんな状況で心配しないで欲しいなんて……」
こいんもまた疲れきったような声色で喋る。
ここまで、こいんの力で彼を運んできた。限度というものがあるだろう。
巨軀を支えるこいんの膝は、生まれたての小鹿のようにガタガタと震え、爪先からはすでに体力の限界を示す悲鳴が上がっていた。
「……査定終了。被検体:樽巻拳殴。意識レベル、JCS-20(刺激に応じない、または辛うじて開眼する状態)。被検体:金成こいん。筋不全による運動能力の完全停止まで、あと42秒」
綾は色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪をかき上げ、冷徹な数値を口にした。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元は、夜風に冷やされてなお、俺の首筋を締め付けるように硬いままだ。
前髪の隙間から覗くガラスの瞳——過負荷でドロリとした「バイオレット」の光を宿した俺の『眼』は、二人の限界を、ただのデジタルな記号として冷酷にスキャンし尽くす。
「テメェ……こんな非常事態にも…!」
こいんが樽巻を地面に下ろして怒鳴りつける。
自分の仲間が死にかけなのに、計算している彼がとても憎たらしい。
「僕は理論的な把握をしただけです。そう、君のために。執行部たちは僕が相手します。神代さん、手伝ってあげて下さい」
「えぇ、わかったわ。と言っても2人で協力してアレを持てる確証は無いのだけれど」
玲奈が樽巻を指差しながら、そう言葉を発する。
確かにそうだ。
逆に、これまでこいんが1人でここまで持てていたのが奇跡のようだった。
「やれるだけやってみてください。執行部の相手が終わったらそっちに入ります」
俺は、執行部に向かって歩いて行く。
自身の第一ボタンを外し、少し身軽にする。
首筋を締め付けていた論理の枷が外れ、冷たい夜風が直接、肌を撫でた。
「えぇ、死なないようにしてちょうだい」
玲奈はこいんらのほうへ走って向かって行く。
水煙の向こう側、無数の懐中電灯の光が激しく揺れ、こちらを捉えようと迫っていた。その光の隙間から、ナイフを提げたあさひのシルエットが不気味に浮かび上がる。
俺は色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪を乱暴にかき上げ、過負荷でドロリとした「バイオレット」の光を宿したガラスの瞳をギラリと明滅させた。
視界に広がる執行部全員のバイタル・サイン、そして学園のインフラ構造式が、膨大な演算エラーの赤文字と共に網膜の裏側を埋め尽くしていく。
「さぁ。——査定開始です」
脳内の演算回路を限界までオーバーロックする。
ここから先は、0.02%の奇跡すらも計算通りに組み伏せる、俺だけの領域だ。
激しい水飛沫の音を突き破り、執行部の怒号とあさひの歪な笑い声が迫る中、俺は冷徹な一歩を踏み出した。
「ねぇ、綾くん。今の空って何色だと思う?」
あさひが狂気的にナイフを空に掲げながらそうしゃべる。
「黒……いいえ、少し青みがかっています」
そう真面目に答えた。
真面目すぎたのだろうか。
少し彼女にとっては、つまらなく感じたらしい。
ハイライトの消えたピンク寄りの赤瞳がわずかに細められ、彼女の不機嫌が顔を見て一瞬でわかる。
「……やっぱり綾くんは、景さんみたいに綺麗な色をしてない。濁った、つまらない色」
あさひの薄い唇から漏れる、失望の溜息。
だが、その不機嫌のパルスこそが、彼女の完璧な『空気』の暗殺歩法に、コンマ数ミリの歪みを生む。俺の網膜の裏側で、ドロリとしたバイオレットの電子色がそのノイズを冷酷に感知した。
「ここからが……戦闘の始まりです」
俺はあさひに向かって走り出す。
第一ボタンを外した制服の襟元から、夜風が激しく吹き込み、プラチナホワイトの前髪を大きく跳ね上げた。
「そこを動くな、バグめが!」
「総務の執行部を舐めるな!」
前方からライトの光と共に、警棒を構えた執行部の男たちが三人、一斉に俺の進路を塞ぐように躍り出てくる。
「——邪魔です」
俺は走る速度を一切落とさない。
網膜の裏側の演算回路が、執行部たちの筋肉の弛緩、踏み込みの角度、重心の移動を瞬時にスキャンする。
一人目の警棒が俺の耳元をかすめる直前、上半身を最小限の動作でスライドさせて回避。そのまま、すれ違いざまに彼の顎の急所へ、掌底を容赦なく叩き込んだ。
「ガハッ……!?」
崩れ落ちる一人目の身体を、盾にするようにして二人目の突撃をいなし、その勢いのまま三人目の膝裏へと鋭いローキックを叩き込む。
途中、途中で襲いかかってくる執行部を、無駄のない論理的な体術で次々と薙ぎ倒しながら、俺の『眼』はただ一点——その奥でナイフを構え直す斜藤あさひだけをロックオンしていた。
水煙と血の臭いが混ざり合う中央庭園で、俺と彼女の間合いが、一瞬にしてゼロになる。
「これが、終止符です」
俺が彼女の頭へ右ストレートを浴びせる。
ゴッという鈍い音が、その場に鳴り響く。
あさひは薄れゆく意識の中で、こう思った。
普通の家庭に生まれたのに……
どうして……
頭も良かったのに……
どうして……
こんな選択をしてしまったんだろう。
生徒会長が、怖かったから。
言う通りにしてた。
でも、よく考えたら馬鹿なことだった。
恐怖で学校を支配している生徒会長の言いなりなんて。
最初から、綾くん達と一緒なら……
もしかしたらだけど……
正しい選択をして……
面白いことも、
楽しいことも、
絆を深め合うことも、
協力し合うことも、
全部……
することができたのかな?
あぁ……私はなんてことをしてしまったのだろう。
どこで道を踏み間違えてしまったのだろう。
「——査定、終了。斜藤あさひ、完全無力化」
俺は、意識を失った彼女に対してそう、冷酷に伝える。
プラチナホワイトの髪の毛を少し手直しし、こいんたちの元へ向かう。
「神代さん!終わりまし……た……」
どう見ても、あの3人の人影ではない誰かがその場にいた。
そのシルエットは、嫌と言うほど見覚えがあった。
彼はゆっくりと、こちらを振り向き口を開ける。
「よくも私の手駒を倒してくれたね。綾くん」
——本日の観測を終了。斜藤あさひの完全無力化と同時に、生徒会長・神代景の直々の降臨を確認。
次回、18話「神の査定」