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Ⅰ「牢獄」
寒い。首が疲れた。
牢の奥へと這い戻る。
地面にへたりと座り込んで俯いていると、
「ラヴ殿」
鉄格子の外側から、名前を呼ばれる幻聴。知らない男の声。殿付けされたのは初めてだ。
「…………」
幻聴に返事をしても仕方がない。私は座ったまま、痩せた指で地面をなぞった。雪が僅かに降り込んで、湿っている。
「私はナナヤと申します。貴方にお願いがあり、ここへ参りました」
幻聴が止まらない。
「……失礼、貴女は、ラヴ殿ではございませんか?」
そこで私は、自分の勘違いに気がつく。
男の放った言葉。まず名前を呼び、名乗り、返事がないことに戸惑って尋ねる。妄想にしては理性的で、幾分か出来すぎていることに。
「…………」
声が出ない。否、そんなことより、まず顔を上げなければ。こんな私でも、かつて、鬼人の女王という位を託された身なのだから。
「…………わ、たしは」
絞り出した声は、情けないほど掠れていた。すると、男は私と目線を合わせるように地面に座り、鉄格子の内側へと手を伸ばす。
「どうかこちらへ」
私はどうにか重い体を起こし、声のする方へ擦り寄った。牢の天井が低いので、膝立ちで進むしかない。
再び鉄格子の前に着くと、全身が柔らかい感触に覆われた。信じられないほど温かい。男が羽織っていた外套を格子の隙間に滑り入れ、私に着せたのだ。
目にじわりと熱いものが込み上げてくる。それでも、涙が流れることはなかった。
それから男は、懐から黒い筒を取り出す。
筒の中で、透明の液体が揺れている。
「水です」
そう言って、乾いた唇に近づけてくる。
突然のことで狼狽し、私は口を閉ざしたままでいた。まともに水を飲むのは久々で、上手く嚥下できるかも怪しい。
男は私の態度を、別の意味に察したように、自分でその水を一口飲んでみせた。
そしてまた格子の隙間から、私へ筒を差し入れてくる。男の指先が鉄の棒に擦れる音がした。
別に、私は毒だと疑って躊躇した訳ではないのに。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
私はその筒にそっと手を添えて、水を口に含み、ゆっくりと飲んだ。
冬に凍えた液体が喉に染みて、そこから徐々に、その冷たさを体内に巡らせる。
だが、牢獄の静けさより、ずっとぬるい。
「……ありがとう。あなたの、仰る通り、わたしが、ラヴです」
一言ずつ、はっきりと発音する。
「そうですか」
男は、ほっと顔を綻ばせた後、すぐ真剣な表情に戻った。
「まずは早く、ここから出ましょう。私の手を取ってくださいますか」
私の霞んだ目はやっと、男の姿をはっきりと映した。