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第4話「ナナヤの妹」
まどろみの底から私を引き上げたのは、パチパチと爆ぜる、薪の小さな音だった。視界に飛び込んできたのは、ひび割れた灰色の石天井ではない。煤で黒ずんだ木の梁と、お日様の匂いがする柔らかな毛布だった。
「あ、起きた!」
すぐ近くで少女の声がした。首を巡らせると、ベッドの脇に十二歳前後とおぼしき少女が佇んでいる。その小さな手には、ずっしりとした鉄製の火かき棒が握りしめられていた。警戒するように一歩引く彼女の瞳は薄紅で、瞳孔は猫のように細い…………まさか。
「丸二日も眠りっぱなしだったから心配しました。市場の帰り道で急に倒れちゃって、姉さんがずっとおんぶして帰ってきたんですよ」
誰もいない入り口へと視線を向け、少女は小さく息をつく。
「姉さんは知人の手伝いで出かけちゃいました。……これ、温かい麦粥です。食べられますか?」
火かき棒を脇に立てかけ、机から湯気の立つ器を差し出す。中に浮かぶのは刻んだ干し肉とハチミツだ。跳ね起きようとしたが、身体が鉛のように重い。
「あたしの名前、ココっていいます。……あの、あたしたちのこと、ほとんど知らないですよね。ごめんなさい。『鬼狩り令』が廃止されたとはいえ、まだ人間の街で堂々と暮らすのは難しいので……こういうの慎重になるんです」
硬い声で言ったココは、額にかかる綺麗な黒髪をごそりと持ち上げた。
「……あ」
喉の奥から乾いた悲鳴が漏れそうになる。スプーンを取り落としそうになり、慌てて器をベッドに置いた。
見間違いのはずがない。黒髪の隙間、額のあたりに小さく突き出た皮膚の硬化……それは成長しきっていない「鬼人の角」だった。
「あなた、は……ナナヤさんの家族……? 鬼人の、生き残り、なの……?」
せき止めていた感情が逆流する。ココは髪を下ろして角を隠し、切なげに目を伏せた。
「あたしと、奥の部屋で寝込んでる弟のトワは鬼人の生き残りです。五年前に鬼狩りに追われていたところを、姉さんが助けてくれました」
淡々とした告白が脳内で激しく明滅する。
「だから、ナナヤ姉さんとの血の繋がりはありません。姉さんは元鬼狩りなんですけど、子鬼まで殺す仕事に嫌気がさしたらしくて、一緒にこっそり暮らすことにしたんです」
怒涛のような事実の濁流に、思考が完全に足をとられた。
鬼狩り。私の家族を、同胞たちを容赦なく惨殺していった悪夢のような存在。その先頭に立っていたかもしれない者が、私に水を飲ませ、冷えた足を包む靴を買い、ここまで背負ってきたというのか。あんなに優しい手で、武器を握り潰してきたようなあの掌で……鬼人を殺していたというのか。
「……っ」
無意識に布団を引き寄せ、身を引く。恐怖で全身の毛穴が開くのが分かった。目の前の少女が握る鉄の火かき棒が、一瞬、自分に向けられた刃のように見えて背筋が凍る。
「驚くのも無理はないです。あたしも最初は殺されると思ってましたから」
ココは微笑んで私を見つめ、麦粥の器を持ち直す。
「でも、姉さんは私たちを逃がすために、自分の仲間だった鬼狩りを何人も切り捨てたんです。そのせいで貴族の身分も追われて……」
「……どうして」
掠れた声で、それだけを問うた。なぜ鬼狩りが鬼人の子を救うのか。なぜ敵であったはずの私を牢獄から連れ出したのか。
「……あたしにも分かりません。ただ、姉さんはずっと悔やんでいるんです。あのトゥグル王に従って、言われるがままに鬼を狩っていた過去を」
ココは奥の小部屋へと続く薄暗い扉を見やった。
「トワの病気には人間の薬が効かない。だから姉さんはあなたを探しに行ったんです。『鬼人の女王なら、治す方法を知っているかもしれない』って」
罪悪感と贖罪。私を暗い牢獄から引き揚げたぬくもりの正体は、彼女が背負う罪の重さそのものだったのか。
私は深く息を吐き出し、天井を仰ぐ。何に怒ればいいのか。暴虐な王は死に、同胞の生き残りは元鬼狩りの手で生き永らえている。胸の奥で、ドロドロとした憎悪と救われた事実への困惑が混ざり合っていく。
……と、そこまで思考が巡ったところで、ふと違和感に気づいた。
重すぎる事実の陰に隠れていたが、冷静になってみればおかしな響きだ。
「……ねえ、ココ」
「なんですか」
「あなた、さっきから何度も『姉さん』って呼んでいるけれど……あのナナヤという人は、女性なのですか?」
思わず確かめると、ココは拍子抜けしたような顔で、
「……あ、言ってませんでしたか? 姉さんは女ですよ。ずっと男のフリをして鬼狩りをやってたみたいですけど」