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6月ー雨の音と赤点の足音
6月に入った途端、空は毎日どんよりとした灰色に着替えて、容赦のない雨を降らせ始めた。衣替えで新しくなった夏服の半袖セーラーは、雨の湿気のせいでなんだか少し肌寒い。だけど、うちら私立女子中学生にとって、雨の憂鬱さなんて吹き飛ぶくらいの「大不祥事」が迫っていた。「――というわけで、来週からはみんなにとって初めての『前期中間テスト』が始まります。赤点を取ったら、楽しい放課後の部活はしばらくお預けだからねー」担任の高橋先生が、教壇の上でさらりと恐ろしい宣告をする。教室中から「えぇー!?」という悲鳴が上がったけれど、私の叫びは間違いなくみんなの3倍は大きかった。(やばい。中学受験の貯金なんて、5月の時点でとっくに使い果たしたんだけど……!)特に古文と数学。教科書を開くだけで、謎の呪文と数字の羅列に頭がクラクラする。焦って前の席に目を向けると、葵は先生の板書を、あの綺麗な文字でカリカリと静かにノートに写していた。いつもなら、ここで「葵〜! 助けて!」って背中を突っついて、完璧な対策ノートを見せてもらえたはずだった。だけど、うちらの間を流れる空気は、5月のあの図書室の日のまま、冷たく止まったままだ。声をかけることなんて、今の私にはどうしてもできなかった。「ちょっと、特攻隊長。あんた何また神妙な顔してんの」キーンコーンカーンコーン、と放課後のチャイムが鳴ると同時に、ハーフアップの髪を揺らした凛が、ガタッと私の前の席(葵の椅子)を引いて座った。「神妙にもなるっての! テストだよテスト! 私、このままだと茶道部禁止になって和菓子食べられなくなるじゃん!」「動機が不純すぎる。……まぁいいわ、あんたが赤点取って部活来なくなったら、私の暇つぶし相手がいなくなって退屈だし。今日の放課後、私の家で勉強会してあげる」「え、マジ!? 凛、意外と優しいじゃん! 行く行く、知恵を授けてください凛様!」「調子いいな、さっさと荷物まとめなさい」凛はそう言ってニカッと笑う。このカラッとした強引さに、今日も私の沈みかけた心がすっと軽くなる。「じゃあ、高橋先生に日誌出して、すぐに――」私がスクールバッグを掴んで立ち上がろうとした、その時だった。すぐ隣の通路を、葵が静かに通り過ぎていこうとしていた。手には、図書室の鍵が握られている。放課後の当番に行くのだろう。一瞬だけ、葵の綺麗な瞳が、私の机の上の学級日誌と、そこに座る凛の姿へ向けられた。寂しそうな、だけどどこか諦めたような、そんな複雑な視線。目が合いそうになって、葵は小さく俯くと、そのまま足早に教室を出て行ってしまった。「……舞?」「あ、ううん! なんでもない! 凛、早く行こ!」胸の奥がチクリと痛んだけど、私はそれを振り払うように声を張り上げた。◇「ちょっと待って、舞。あんたこれ、プラスとマイナスの計算逆だし。なんで古文の『をかし』の訳が『お菓子』のままになってるわけ?」「えっ!? 嘘、お菓子じゃダメなの!?」「ダメに決まってるでしょバカ! テストでこれ書いたら一発でマイナス5点だから!「ひえぇぇぇ、凛先生厳しすぎるんだけどーーーっ!」凛の部屋の座卓の上は、教科書と参考書、それからポテトチップスの袋で溢れかえっていた。凛の教え方は、葵とは全然違っていた。葵は私のガサツなノートを見ても、ふわりと笑って『舞ちゃんはここが惜しいね』って優しく教えてくれた。だけど凛は、「なんでこんな簡単なところで間違えるわけ!?」ってズバズバ怒ってくる。「むかつくー! 凛の言い方マジで腹立つわ!」「は? あんたの頭が硬すぎるのが悪いでしょ! ほら、悔しかったら次の問題、自力で解いてみろ!」「言われなくたって解いてやるよ!! 見てろーーーっ!」お互いに一歩も引かないし、ガチで言い合いにもなる。だけど、思ったことをそのまんま叫べるこの時間が、やっぱりすごく楽で、可笑しくて、気づけば二人でポテチを齧りながら大爆笑していた。「あー、頭使ったらお腹すいた。凛、なんか甘いものない?」「冷蔵庫にプリンあるよ。あ、2個しかないから、あんたの分はちっちゃい方ね」「ケチ! じゃあ半分こにしろよ!」ギャーギャーと騒ぎながら、凛の後ろをついて部屋を出る。本音でぶつかり合える、新しい私の相棒。凛との勉強会は、めちゃくちゃ疲れるけれど、最高に楽しかった。だけど――夕方のキッチンで、凛が冷蔵庫からスプーンを2本取り出すのを見た瞬間。私の脳裏に、なぜか、あの放課後の図書室の葵の目が、ふっと蘇ってきた。『どうして、いつも私なの?』泣きながら叫んでいた、葵の声。私は凛に対しては、「プリン半分こにしろ!」って、何も気にせずワガママを言えている。それは、凛が「嫌だ」と思ったら、その場で「は? なんであんたに合わせなきゃいけないのよ」って言い返してくる強さを持った女の子だって、分かっているからだ。(……私、葵には、言われなきゃ分かんないって怒っちゃったけど……)葵は、凛みたいに言い返せない子だった。嫌だと思っても、私のために、ずっと無理をしてニコニコ笑うことしかできない子だったんだ。それを知っていたはずなのに、私は甘えたい放題甘えて、日誌まで押し付けて。手元にある、凛が赤ペンで厳しく丸をつけてくれた数学のノートを見つめる。喧嘩のことは一旦置いておいて、今は目の前のテストに集中しなきゃいけない。◇「……よし、やるか!」凛の家から帰宅した後、私は自分の部屋の机に向かって、パチンと気合いのラムネを口に放り込んだ。いつもなら夕飯を食べたらすぐにベッドにダイブしてスマホをいじっている時間だけど、今日ばかりはそんな呑気なことはしていられない。「バカって言われたままで終わるの、マジで癪だし!」凛にズバズバ指摘された数学のマイナス計算と、呪文みたいな古文の教科書を広げる。ノートの余白に、凛が殴り書きしていった解説を思い出しながら、ひたすらシャープペンシルを動かした。ガリガリ、と静かな部屋に芯の削れる音だけが響く。(それに……)ふと、勉強机の端に置いてある、4月に葵が作ってくれたあの綺麗な学級目標のプリントが目に留まった。『普段はのんびり、やる時はやる!』(……そうじゃん。うちらの目標、これだし。私がここで赤点なんか取ったら、それこそ本当に『意味ない』って言われちゃうじゃん)体育祭のあと、クラスの女子たちに陰口を叩かれたあの悔しさが、フツフツと体に熱を帯びさせる。見返してやる。体育祭は負けたけど、テストまで最下位で終わってたまるか。時計の針が夜の12時を回っても、私の部屋の明かりは消えなかった。「あー! もう式の計算意味分かんないっ!」と頭を抱えながらも、問題集の次のページをめくる。雨の音が静かに窓を叩く中、私の「やる時はやる!」の猛勉強は、夜が更けるまで泥臭く続いていくのだった。(つづく)
これからまえがき書かない時も多くなると思います
久しぶりの更新でした。というのも学校の宿題が終わってなかったからですね。でその後一人旅をしたと。溜め込んでた小説予約投稿で公開していくのでお楽しみに!(読んでる人います、、?)