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5月ー太陽の下で 特別編(葵目線)
予告通り番外編として葵の物語です!
ちなみにもう一回葵の物語編をやってから舞目線に戻って6月編に入ろうと思っています。
位置について、よーい……ドン!」ストップウォッチを片手に声を張り上げると、夕日に照らされたグラウンドを、舞ちゃんが猛スピードで駆け抜けていく。「舞ちゃん、今のフォームすごく綺麗! 昨日より0.2秒も縮まったよ!」「はぁ、はぁ……っ、よっしゃあ! 葵、もう1本いくよ!」汗を拭いながらニカッと笑う舞ちゃんは、本当に真っ直ぐで、眩しくて、格好良い。中学受験のときに塾と図書室の往復ばかりで、運動なんて全然してこなかった私にとって、グラウンドを全力で走る舞ちゃんは、まるでおとぎ話のヒーローみたいに見えた。「うん! 頑張れ、舞ちゃん!」笑顔で冷たいタオルを渡しながら、私は心の中で、小さく息を吐き出す。本当のことを言うと、放課後にこうしてグラウンドに残るのも、ストップウォッチを持って大声を出すのも、私にとってはものすごくエネルギーがいることだった。人前に立つのも、騒がしい場所も、本当は苦手。図書室の静かな空間で、大好きな本をめくっている時間が、私にとっての一番の安らぎだから。だけど、4月のあの入学式の日。みんなの同調圧力に押しつぶされそうになっていた私を、あの男前な声で救ってくれたのは、他の誰でもない舞ちゃんだった。『私がやるわよ!』あの瞬間の舞ちゃんの背中が、忘れられない。だから、舞ちゃんのためなら、私、なんだって頑張れる。少し無理をしてでも、舞ちゃんの「最高のブレイン」でいたい。(舞ちゃんに恥ずかしい転び方をさせないために、完璧なメニューを作らなきゃ……)夜、家で足の痺れを治す人間工学の本を読み漁りながら、私は自分にそう言い聞かせていた。自分の時間がどんどん削られて、少しずつ体が重くなっていることには、気づかない振りをしながら。◇体育祭の当日。現実は、私の立てた「完璧な計算」のようにはいかなかった。目の前で起きた、まさかの転倒ハプニング。それを避けようとして、舞ちゃんが派手にトラックに突っ込んだ瞬間、私の心臓は凍りついたようだった。「舞ちゃん……っ!」結果は、引きずる足での最下位。自分のせいでクラスの順位を落としてしまったと、後片付けの最中も私はずっと、胸をかきむしられるような罪悪感でいっぱいだった。私のバトンパスの歩数計算が、もっと完璧だったら。舞ちゃんにアンカーなんて重い役目を押し付けなければ、舞ちゃんは痛い思いをせずに済んだのに。夕方、渡り廊下のベンチの裏を通りかかったとき、教室の窓から心無い言葉が聞こえてきた。『あんなに大口叩いて引き受けたのに、これじゃ意味ないよね』『ちょっと調子に乗りすぎだったのかも……』ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をした。悔しくて、頭が真っ白になって、気づけば私はスクールバッグを強く抱きしめたまま、教室の窓に向かって声を絞り出そうとしていた。「……あ、あの……っ、みんな……。舞ちゃんは……っ」違う。舞ちゃんは悪くない。みんなのために走ったんだ。そう言い返したかった。だけど、いつも周りの空気に合わせて、自分の意見を飲み込んできた私にとって、クラスの女子グループに向かって大声を出すなんて、怖くて、怖くて、どうしても足がすくんでしまう。喉の奥がカチカチに固まって、言葉にならない涙だけがポロポロと溢れてきた。「いーのよ、葵」後ろから降ってきたハキハキとした声に、私は涙目で振り返った。そこには、擦り傷だらけの手で、いつものように不敵に笑う舞ちゃんが立っていた。『私は特攻隊長のくせに本番にちょっと弱い。葵はブレインのくせに、私のためにこんなにボロ泣きして悔しがってくれる。……ね、うちら、まだまだ伸び代があるってことだよ』舞ちゃんは本当に強い。どうしてそんな風に笑えるんだろう。自分の情けなさと、舞ちゃんの優しさに救われた嬉しさで、私は涙を拭いながら精一杯の笑顔を返した。「……うん。じゃあ、次の『リベンジ作戦』、今から立てなきゃね」「望むところじゃん! あ、でもその前にさ……」舞ちゃんは自分の右足をトントンと叩いて、ニカッと笑った。「足くじいちゃって1歩も歩けないから、校門までおんぶして、私の最高のブレインさん!」「え……っ?」一瞬、頭の中が真っ白になった。おんぶ……? 私のこの細い腕と足で、舞ちゃんを背負うの……?手のひらは机を叩いた特訓のせいで痛いし、私も1日中グラウンドを走り回って、もう立っているだけで精一杯なのに。「ちょ、ちょっと、舞ちゃん、私おんぶなんて……っ」両手を振って、必死に拒絶のサインを出した。本当に、無理だったから。だけど、舞ちゃんはそれをいつもの冗談だと思ったみたいで、笑顔のまま。「いいからいいから! ほら、特攻隊長からの命令!」ガバッと、私の小さな背中に舞ちゃんの全体重がのしかかってきた。「わ、わわっ!? 舞ちゃん重いよぉ……っ!」「ああは! 鬼ブレインの特訓のせいで筋肉がついたんだよ」重い。本当に、重かった。足首がミシミシと言っていて、一歩踏み出すたびに、膝がガクガクと震えた。だけど、舞ちゃんは「へへ、ありがと!」と、私の苦労なんてこれっぽっちも気づかないまま、呑気に私の肩に体重を預けて笑っている。『もう、舞ちゃんは本当に強引なんだから……』作り笑いの隙間から、ため息が漏れた。私、本当はお世話係なんてやりたくない。無理なお願いを笑顔で引き受けるの、本当はすっごく疲れる。断ったら、舞ちゃんに嫌われちゃうかな。せっかくできた初めての「相棒」を、失いたくないから。そんな恐怖心だけで、私は自分の「嫌だ」という気持ちを、また心の奥の暗い場所にギュッと押し込んで、鍵をかけた。◇体育祭が終わってからも、舞ちゃんの「おねだり」は終わらなかった。移動教室の重いカバン。お昼休みの購買のパンのパシリ。私はいつだって「いいよ」と言って、自分のノートを開く時間を削って、舞ちゃんのために動き続けた。『葵は優しいね』『葵は何でもやってくれてすごいね』クラスのみんなが言うその言葉が、最近は呪いのように頭に響く。私は優しくなんかなくて、ただ断る勇気がないだけの臆病者なのに。そして、あの放課後。図書室の静かな空間で、やっと一人になって息を吐き出していた、その時だった。ガラッと、乱暴に扉が開く音が室内に響き渡る。「葵ー! 助けて、この日誌のレイアウト、どう書けばいいか全然分かんなくてさ!」悪びれもしない、いつも通りの舞ちゃんの大きな声。心臓の奥が、ピキッと冷たい音を立ててひび割れた。「……舞ちゃん、ここ図書室だよ。静かにして」精一杯、声を低くして怒っているサインを出した。気づいてほしかった。私、もう限界なんだよって、察してほしかった。なのに、舞ちゃんは私の前の机に、あの重い学級日誌をバサッと広げた。『この体育祭の反省欄、葵が代わりにちょっと綺麗にまとめといてくんない?』いつもの、ニカッと笑う呑気な顔。その笑顔を見た瞬間、私の頭の中で、ずっと張り詰めていた何かが、ブツンと音を立てて完全に切れた。パサリ、と手から図書カードが落ちる。私はゆっくりと顔を上げた。もう、舞ちゃんの顔に合わせて、ふわりと笑うための筋肉は、1ミリも動かなかった。「……どうして、いつも私なの?」(つづく)
読んでいただだきありがとうございます!
葵目線で書くとき、場面も揃えなくてはいけない(当たり前のことですが)ので書くのが意外と大変でした!
次もお楽しみに!