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多様性横丁
約2500文字。
シュルレアリスム的自動記述を試した。
それを加筆修正したため、独特な世界になっている。いつもより文体が酔っぱらっているし、主人公像もあいまいだ。それが多様性クオリティ。
多様性横丁。
デジタルサイトの一丁目一番地。ネットの氾濫したネットアカウントの巣窟といったウデマエだ。
急上昇、やってみた、社会経済、テクノロジー。今宵もさまざまなジャンルの投稿で大賑わいとなっている。みな一様に気取ったカタカナ語を標語にして、我こそはと注目を浴びたがる夜の提灯になっている。
その注目経済で誤魔化している所へ、冷やかしの目を向ける男がいた。殆どのもの共は、皺だらけのスーツにくたびれた靴を履いているというのに、彼の靴は音を出す。カラン、コロンと、下駄を掻き鳴らし、服装は軽装。今時のデジタル的な生業ではない。
彼は、いわゆる読者であった。そして、メイン通りというものをひどく毛嫌いしている読者である。
夕焼けをこよなく愛する読者であった。多様性横丁という夕焼けを。けれど、今の多様性横丁は、夜になってしまった。夜通しの夜になってしまった。そのことに対して、どこか夢物語であると決めつけたいのかもしれない。
平日だった曜日が日焼けした。
だから、彼は街に繰り出した。現実の何かが青息吐息、溜息吐息。濁流のように流される注目記事を見ると、繰り返される毎日のように、注目の花火大会が繰り広げられていた。
日常的な昼が存在しない。ヒョウと高い口笛が鳴ったら消え、その後大きな数字が弾け飛ぶ。これを横丁界隈では「バズる」と呼ぶのである。
火花は、夜を彩る火花である。
夏の風物詩でもある。しかし、風物詩と呼ばれるレベルの期限まで長続きはしない。あっという間に消費期限を迎えるためである。
残るのは人間の吐き出した二酸化炭素と余韻と、夜をひっかく数多のかすり傷。それら複雑な思考の足跡を夜の自然的背景として認めつつ、通りすがりは通りすがりの読者らしく、「そんな雰囲気には流されまい」と人間らしく歩くのだ。
影のように静かな所で下駄の音を鳴らしたい。
彼にとって、喧騒から離れることが夜の日課なので、それが不眠症の悪化要因である。夜行性動物のようなライフスタイルになってしまったのは、奇特なその性格のせいであろう。
裏路地のネット横丁を徘徊する。
ここには廃れ宿ばかりが脇に流されている。所詮流行り廃りの激しい新興的な〇丁目だ。サイトリニューアル前はそうではなかったが、今は「時間を吸う悪魔」に、いいようにこき使われているらしい。
隠れ家のような路地を歩いていると、今宵もほら。それでもなお、というように、若い提灯が深夜営業の客引きをやっていた。甘ったるい夜風を強く受けて、小さな身体は揺れている。投稿記事の文体を見るに未成年と言った感じだ。灯火越しの影を見る。内包したイノチの色はどこか病的で、今にも消えそうである。
京都の舞妓さんを思い出し、その誘惑どおりに近づいてやるかと思った。だがしかし。あるいは予想通り。近づけば近づくほどにそのシルエットは薄くなっていき、やがて路地の角を曲がった。そこには赤い提灯が灯っていた。それを持っていた人影は消えていた。
胡乱な目線はぶらついた。
ああ、ここは――と。
辿り着いた場所は、もはや時代的にさびれた所だった。かつてはこの場所が多様性横丁の一丁目一番地だったのだが。今では見る影もない。奇抜な見た目をした店構えで終わって、辺り一面無人。光ですら無人だった。
外観は、自意識過剰なデザイナーを色濃く残していた。華々しい税金泥棒が、建物の中腹から突き破っている。ヤマタノオロチを思わせる、龍の首がいくつも枝分かれして伸びている。その首の数は……ひいふうみ……10は超えている。それ以上の数はありそうだが、残念ながら興味がない。
ちょいと中を覗いてみた。
暖簾代わりの龍の書かれた暖簾には、「精神多様性」を意味するアルファベットが書かれてあった。Lから始まってQで終わり、そこから先は見通せない。外観の龍のような複雑な達筆で……途切れている。経費削減のようだ。きっと龍の首根にも、それぞれ一文字ずつのアルファベットが書かれていることだろう。先ほど見かけた客引きの女は、その一つの亡霊だろうか。
店内の奥には座敷があって、仕切りがある。そこから先は居住スペースだ。やけにセキュリティの甘い店である。現代日本にはお見掛けしないレベルの木造平屋に来たみたいに。
「ごめんくだせえ」
商品棚の間を練り歩く。
こちらも順路は寝転んだ蛇のように。カランコロンと下駄の音。無人客と日記台帳。主の不在を告げる閑古鳥……奥座敷からは垂れ流されたテレビの音。
そのとき、一冊の本が、棚からぼた餅。
一瞬オバケが落としてきたのか、とビクッとした。しかし、人間的静寂が返ってくる。せっかくの縁だ、ということで、その本をパラパラ見る。
「そうして自分が何者なのかわからないままに、途方にくれました。まるで歯抜けのページがいくつもあるかのように。だから、この店が無人であることをいいことに、日記を書き留めることにしました。主人格が戻ってくる間に、ここで日常生活を書き綴ることにしたのです」
長い長い前置きののち、そう書いてあった。本文はまだ続くようだ。
「ったく、こんなの書いたって、いいこと何一つ無えのになあ」
達筆な|羅列《モノ》たちを見つめたあと、整理整頓・清潔清掃のなされていない風亭を眺めた。
「だが、着想はもらっておくか」
懐より万年筆を取り出し、名の知らぬDiaryの表紙に筆記体で達筆さを書き残し、そして出て行った。たった200文字程度、感想という名のサインだった。
通りすがりは気づかなかった。
それだけの行為で、兵どもは夢の跡、という風に、若い提灯の灯は消えてしまったのだ。あくまでデジタル上での話である。華々しく着飾った外観の32首の龍の首も消えているし、精神多様性も、その象徴も。アルファベット表記の性別多様性も、|悉《ことごと》くすべて消えてしまったのである。
注目を集めようとして、妥当な注目に終わったことに対して、何かの夢から醒めたように。ここ多様性横丁特有の、迷妄さから誰かが抜け出したように。
一発の花火がまた鳴って、再び夜をひっかいて、ひっかき傷を創った。そうして通りすがりは、かつての多様性横丁、一丁目一番地の方角を見やって「やれやれ」と言った。
夜の日課は、冷やかしの目線。デジタルサイネージのなかでは、明けない夜はないというのに。