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4 いざ、公爵邸へ!
《前回のあらすじ》
あ~、公爵邸なんか行きたくないなぁ……。
憂鬱だけど、どうにもならない。
ドレスを着て、きちんとおしゃれして。
お母様からいただいたブローチを持って。
いざ、公爵邸へ!
……とはいえ、3日ぐらいかかるのだが。
ガタガタ、と馬車は整備の施されていない山道を行く。
私たちが暮らしているのは、この王国の最果て、フロストエッジ山脈の最高峰フェルノア山の頂にほど近い場所だ。
もちろん、税金も何もない私たちが0円で舗装できる土地など、高が知れているし、やっていられない。
もし、私が公爵夫人になったからと言って、使えるお金は限られているし、フェルノア山の中腹まで道路を作るのが精いっぱいだろう。
そして当然ながら。
「帰りたいです」
「まだ出発して三時間も経っていないわよ」
お母様に即座に返された。
おかしい。
私はまだ領地を出て半日も経っていないのに、もう故郷が恋しい。
「だって不安なんです」
「そうだろうね」
お父様は苦笑しながら窓の外を眺めた。
フェルノア山に降り積もった雪は、少しずつ遠ざかっている。
十八年間見続けてきた景色なのに、離れるとなると妙に寂しかった。
「クラウス様って、本当に怖い人だったらどうしましょう」
「その時は帰ってくればいい」
「公爵家ですよ?」
「公爵家だね」
「怒られません?」
「怒られるかもしれない」
「お父様、そこで正直にならないでください」
思わず頭を抱えた。
するとお母様がくすりと笑う。
「でも、会う前から怖がっていては何も分からないでしょう?」
「それはそうですけど……」
会ったこともない人を悪く言うのはよくない。
それは分かっている。
分かっているのだが。
手紙の文面があまりにも冷たかった。
せめてもう少し、よろしくお願いします、とか。
お会いできるのを楽しみにしております、とか。
そういう一文くらいあってもいいと思う。
「まるで荷物みたいじゃないですか」
ぼそりと呟く。
お父様とお母様は顔を見合わせた。
「ああ……」
「たしかにね」
否定してくれなかった。
余計に不安になった。
馬車は相変わらずガタガタと揺れ続ける。
車輪が石を踏むたびに体が上下に揺れた。
私は小さくため息をつく。
窓の外を見ると、雪景色が少しずつ変わっていた。
フェルノア山の上部では見渡す限り白銀だった景色に、ところどころ黒い岩肌や針葉樹が見え始めている。
「……春って、本当にあるんですね」
思わずそんな言葉がこぼれた。
お母様が目を丸くする。
「あるわよ」
「知っています。でも、初めて本物の木を見ました」
「本物の木って……。領地にも木ならあるでしょう?」
「葉っぱが生えている本物の木はありません」
「枯れているだけだろう」
フェルノア山では雪が降る期間のほうが圧倒的に長い。
季節が巡っていることは知っていても、実感する機会は少ないのだ。
だから木々の色が変わるだけで、少しだけ新鮮だった。
話は変わるが。
まず、予定としては今日出発し、王都と私たちの領地に挟まれた貧乏同志仲良しのルーヴェン領のルーヴェン伯爵家で泊まる。
朝食を頂いたら出発し、王都とルーヴェン領の境目ぐらいにある宿場で泊まる。
そしたら明後日に、公爵邸につく、そんな感じだ。
距離的には、24時間ぶっ通しで王都まで馬車を走らせれば余裕をもってつく。
が、私が酔うし普通に疲れるので、三日かけて行くらしい。
そこで面会した後、お父様と公爵様でいろいろ決め、王都の宿場で泊まる。
4日目に領地に一日ぶっ通しで馬車を走らせ、5日目の昼頃に領地につき、婚約(結婚も同然)が決まった場合、その2日後に迎えの馬車が来る。
(う~ん、疲れる)
まだ一日目だというのに、既に帰りたい。
いや、公爵様が嫌とかそういう話ではない。
単純に移動が疲れるのだ。
特に馬車。
ガタガタ揺れるし、お尻は痛くなるし、景色はずっと山だし。
私は座席にぐったりと体重を預けた。
「リュミリー」
「はい……」
「まだ半日も経っていないわよ」
お母様が呆れた声を出す。
「半日ぐらい経った気分です」
私は真顔で返した。
お父様が吹き出した。
「一理あるね」
「お父様は味方ですか?」
「いや?」
「ですよね」
知っていた。
私の味方はフェルノア山に置いてきてしまった。
ネアスとか。
ネアスとか。
あとネアスとか。
「そういえば」
ふと二人に聞く。
「ネアス、今頃何してるんでしょう」
「屋敷の掃除じゃないかしら」
と、お母様。
「温室の手入れかもしれないね」
と、お父様。
そう言われると急に会いたくなってきた。
私は窓の外を見る。
雪景色はさらに少なくなり、代わりに土の色が見え始めていた。
不思議な気分だった。
生まれて初めて見る景色がたくさんある。
なのに。
「帰りたいです」
「また?」
「またです」
お母様が額に手を当てた。
そんなやり取りをしていると、馬車の速度が少し落ちた。
前方から人の話し声が聞こえる。
御者が誰かと会話しているらしい。
「着いたのかしら」
お母様が窓の外を覗く。
私も続いて顔を出した。
そこには、雪の少ない広い平地と、その中央に建つ石造りの建物が見えた。
シェファルーダ家の屋敷ほど大きくはない。
だが、人がいる。
煙突から煙が上がっている。
家が並んでいる。
人が歩いている。
馬がいる。
子供が走っている。
私は思わず目を見開いた。
「すごい……」
「何がだい?」
「人がいます」
「いるだろうね」
「こんなにたくさん」
お父様は何とも言えない顔をした。
だが仕方がない。
シェファルーダ領には領民がいないのだから。
「羨ましいなぁ」
私がぼそりと呟くが、二人とも何も言わなかった。
言わなかったというより、言えなかったのだろう。
シェファルーダ領にも、昔は領民がいたらしい。
お祖父様の代には村が三つあったとか、そんな話を聞いたことがある。
でも今は違う。
雪が降り続き、人が減り、やがて誰もいなくなった。
残ったのは私たち家族と屋敷だけである。
だから。
こうして人が暮らしている景色を見ると、少し羨ましくなってしまう。
「ご主人様」
御者台の方から声がした。
どうやら門番と話を終えたらしい。
馬車がゆっくりと領内へ入っていく。
「ルーヴェン伯爵家のお屋敷までご案内いたします」
「よろしくお願いする」
お父様がそう返す。
私がはっと顔をしかめると、「どうしたの」とお母さまに言われた。
「今まで、門の中に入っていなかったのですか?」
「そうですよ?」
「なぜ門の外から町の様子が見えるんですか!?」
私が叫ぶとお父様が「今まで、ずっと坂道を下ってきていたんだよ」と言った。
「いや、え? じゃあ、ここは山麓ってことですか!?」
「そうだが?」
「羨ましいです、あまり雪は降らないってことですよね?」
「微妙だわ。山麓と言えど、王都と比べたら十分標高は高いし」
「よく考えてみれば、いつもより呼吸がしやすい感じがします」
お母様がくすりと笑った。
「それは標高が下がったからでしょうね」
「標高ってそんなに大事なんですね……」
「フェルノア山の頂上付近が特殊なのよ」
「特殊」
確かに特殊だとは思う。
雪は年中降るし。
冬は窓が開かないし。
外に置いたスープは冷める前に凍るし。
私が当たり前だと思っていた生活は、世間的には当たり前ではないらしい。
「それに暖かいです」
私は窓を少しだけ開けた。
頬を撫でる風は冷たい。
冷たいのだが。
フェルノア山の風と比べれば、春のように感じる。
「暖かい……」
「ルーヴェンの人に聞かれたら怒られるわよ」
お母様が笑う。
「え?」
「彼らからすると十分寒いもの」
信じられなかった。
これで寒いのなら、フェルノア山の住人は何なのだろう。
雪だるまだろうか。
「もしかして」
ふと気になった。
「王都ってもっと暖かいんですか?」
「暖かいよ」
お父様が頷く。
「雪は?」
「ほとんど降らない」
「……」
「どうしたんだい?」
私は真顔になった。
「想像できません」
お父様が吹き出した。
「本当に雪しか知らないね」
「だって雪しかないじゃないですか」
そこは反論できないらしく、お父様は黙った。
やがて馬車は街道を進み、人通りの多い場所へと入っていく。
私は再び窓の外に張り付いた。
「リュミリー、行儀が悪いわよ」
「だって人がいます」
「だから何だい」
「人がいます」
大事なことなので二回言った。
店先でパンを売る人。
荷車を押す人。
井戸端で話す人。
走り回る子供たち。
そのどれもが珍しかった。
フェルノア山では見られない光景だ。
「賑やかですね」
「そうね」
お母様の声は少し優しかった。
きっと、お母様は昔を思い出しているのだろう。
昔はシェファルーダ領にも人がいた。
私が生まれる前の話だけれど。
その時。
「あっ」
私は思わず声を上げた。
「今度は何?」
「犬がいます」
「犬くらいいるだろう」
お父様がとうとう声を上げて笑った。
そんなやり取りをしているうちに、馬車は大きな屋敷の前でゆっくりと止まった。
石造りの立派な門。
手入れの行き届いた庭。
そして、その前に並ぶ使用人たち。
私は思わず息を呑む。
どうやら。
貧乏同志仲良しを名乗っていたルーヴェン伯爵家は、少なくとも私たちよりはずっと裕福だったらしい。