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君がくれた「またね」
冷たい雨粒が、アスファルトを叩く音だけが響いていた。
スマホの画面を伏せたポケットの中で、手が今も小刻みに震えている。 『あんな顔して裏では性格悪い』 『消えればいいのに』 画面いっぱいに広がる無数のトゲのような言葉が、脳裏から離れない。
――もう、ええか。
誰にも弱音なんて吐けなかった。メンバーに心配をかけたくない、JAMを裏切りたくない。その一心で笑い続けてきたけれど、もう心も体も、一歩も動く気力が残っていなかった。気づけば足は、|人気《ひとけ》のない夜の神社の境内にたどり着いていた。
冷え切った石段に腰を下ろし、うなだれる。ここからなら、すべてを終えられる――そう思って目を閉じた時だった。
「……っく、……ひっく……」
静寂を切り裂くように、小さなすすり泣く声が聞こえた。 ハッとして顔を上げると、鳥居の下に、小さな人影がぽつんと立っていた。びしょ濡れになったフードをかぶり、両手で何かをギュッと抱きしめながら、必死に涙をこらえている女の子だった。
「……こんな時間になにしてんの、こんなとこで」
無意識のうちに、声が出ていた。声が少し掠れているのは、寒さのせいだけじゃない。 女の子はびくりと肩を震わせ、おそるおそる顔を上げた。真っ赤になった目で、ぼろぼろの顔をした拓実を見つめる。
「……お兄ちゃんも、泣いてるの?」
その言葉に、胸が締め付けられた。 泣いているのは自分の方だというのに。拓実は苦笑いを浮かべ、ゆっくりと女の子に歩み寄った。
「……なぁ。名前、なんて言うん?」 「……ゆき、です……」 「ゆきちゃんか。俺、たくみ。……お父さんとお母さんは?」 「……けんか、して……もうやだ、って、飛び出してきちゃったの……」
ゆきはそう言うと、我慢していたものが切れたように、またぽろぽろと涙をこぼした。そして、両手で大事そうに抱えていたものを、ギュッと胸元に引き寄せる。 それは、雑誌のページを丁寧に切り抜いたものだった。雨で少しふやけ、端がよれている。
そこに写っていたのは、華やかなステージ衣装を着て、キラキラとした笑顔を浮かべている――他でもない、アイドルとしての川西拓実だった。
ゆきは目の前にいる疲れ果てた青年が、そのアイドル本人だとは夢にも思っていない。ただ、泣きそうになるといつもその切り抜きを見て、心を落ち着かせていたのだ。
「……ねえ、たくみお兄ちゃん」
ゆきはしゃがみ込んだ拓実を見つめ、震える声でぽつりと言った。
「このお兄ちゃんね、テレビではいつも笑ってるけど……たまに、すっごく寂しい顔してる気がするの。……あたしもお母さんと喧嘩して、ひどいこと言っちゃったけど、本当は仲直りしたいの。でも……怖いの」
その言葉は、まるで今の拓実自身の心をそのまま映し出しているようだった。 『怖い、傷つきたくない』と言って、逃げ出そうとしていた自分。
「……そっか。怖いよな」
拓実は関西弁の混じる、柔らかい声で呟いた。自然と、自分の喉の奥が熱くなる。
「でもな、ゆきちゃんがその人を大事にしてるみたいに……その人もきっと、ゆきちゃんみたいな人たちのために歌いたいって、思ってるで。……だから、そんなに怖がらんでええよ」
「……ほんとう?」 「うん。絶対、そうやから」
自分がネットでボロクソに叩かれ、「誰からも必要とされていない」と思い込んでいた。 だけど、今目の前で泣いている小さな女の子にとって、自分の存在が、少しでも温かいものになれていた。
――俺、まだ、歌ってもええんかな。
張り詰めていた糸がプツリと切れて、拓実の目からも、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちた。 それは絶望の涙ではなく、凍りついていた心が、ようやく熱を取り戻した証拠だった。
しばらくして、神社の外からゆきちゃんのお母さんの叫ぶような声と、足音が聞こえてきた。無事に保護され、駆けつけたお母さんと一緒に帰っていくゆきちゃん。
鳥居の下で二人を見送る拓実に、ゆきちゃんはギュッと握りしめていた小さな手を精一杯伸ばし、満面の笑みで叫んだ。
「お兄ちゃん、ありがとね!……またね!」
――また、ね。
今日で全てを終わらせようとしていた自分の耳に響いたその言葉は、まるでこれからの未来を優しく照らす呪文のようだった。
拓実はぐっと拳を握りしめ、涙を拭うと、スマホを取り出し、大きく息を吸い込んだ。