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碧の谷の配達員 〜風と木の実と小さな約束〜
結構長くなりましたが読んでください お願いします〜
第一章 風の吹く丘、青い羽根
その谷の朝は、いつも一本の古い巨木から始まる。
霧が深く立ち込める森の奥、ひときわ高くそびえ立つ「はじまりの樹」の梢で、チルットのルネは羽繕いをしていた。彼の自慢は、青空をそのまま切り取ったような美しい青い体と、まるで綿菓子のようにふわふわとした真っ白な翼だ。
ルネの仕事は、この広い「碧(みどり)の谷」に暮らすポケモンたちへ、さまざまな「想い」を届けること。人間たちの言葉で言うところの「郵便屋さん」だった。もちろん、紙の手紙を運ぶわけではない。ルネが運ぶのは、誰かが誰かのために選んだ特別な木の実や、綺麗な色の落ち葉、時には花の香りを移した朝露の雫。そして何より、彼自身の小さな胸に預けられた「伝言」の数々だ。
「よし、今日も良い風が吹いているね」
ルネは小さく鳴くと、梢からふわりと飛び立った。朝露を浴びた森の空気が、翼の下を涼やかに通り抜けていく。ここ碧の谷には、争いというものがなかった。力自慢のポケモンたちも、ここでは木の実を収穫するためにその腕力を使い、素早いポケモンたちは遠くの泉から新鮮な水を運ぶためにその足を活かしていた。誰もが自分の特性を誰かのために使い、穏やかに暮らしている。
ルネの最初の目的地は、森の少し開けた場所にある「ひだまり広場」だった。そこにはいつも、のんびりとした時間が流れている。
「ヤドンのじいちゃん、おはよう!」
ルネが広場の池のほとりに降り立つと、そこには一本の丸太に腰掛け、じっと水面を見つめている老いたヤドンがいた。ヤドンはルネの声を聞くと、数秒経ってから、ゆっくり、本当にゆっくりと首をこちらへ向けた。
「おや……ルネかね……。おはよう……。今日も……早いねぇ……」
「うん! 今日はね、お山の向こうに住んでいるエルフーンのミミさんから、預かりものがあるんだ」
ルネは背中に背負った、ツタで編んだ小さなバッグから、一枚の大きくて柔らかいハスの葉を取り出した。その中には、カゴのみが三つ、丁寧に包まれている。
「ミミさんがね、『今年のカゴのみは例年よりずっと甘く育ったから、じいちゃんの冷たいお池の水で冷やして食べてね』って言ってたよ」
ヤドンはハスの葉に包まれた木の実をじっと見つめ、それから嬉しそうに目を細めた。
「それは……ありがたいねぇ……。ミミちゃんは……いつも……優しい……。ルネや……私からも……伝えておくれ……。『お池の……ひんやりした……お水は……いつでも……みんなの……ものだよ』と……」
「まかせて! 確かに預かったよ」
ルネはヤドンの言葉を頭の中でしっかりと反芻し、ノートに書き留めるように心に刻んだ。ヤドンに別れを告げ、再び空へと舞い上がる。
第二章 迷子と、甘い香り
谷を抜けて、少し風が強くなる「そよ風の回廊」と呼ばれる岩場へと向かう途中、ルネは下からかすかな泣き声が聞こえるのに気づいた。
羽ばたきを止めて滑空しながら目を凝らすと、岩の隙間に、小さな小さな黄色い体が挟まっているのが見えた。
「ピチュー……?」
ルネは静かにその場に降り立った。まだ生まれて間もないような小さなピチューが、大きな岩の影で震えていた。その体からは、時折小さな電気がパチパチと漏れている。怖がっている証拠だ。
「大丈夫だよ、怖がらないで。僕は配達員のルネ。どうしてこんなところにいるの?」
ルネはできるだけ優しい声で話しかけ、自分のふわふわとした綿のような翼で、ピチューの体をそっと包み込んだ。チルットの羽毛は、どんなに冷たい風の中でも温かく、触れる者の心を落ち着かせる不思議な力がある。
「う、うう……。お花を……探してたら……道が……わからなくなっちゃって……」
ピチューはルネの温かさに安心したのか、ぽろぽろと涙を流しながら理由を話してくれた。どうやら、お母さんであるピカチュウのために、特別な香りがする「グラシデアの花」を探しにきて、迷い込んでしまったらしい。
「グラシデアの花なら、ここから少し行った『はなばたけの丘』にたくさん咲いているよ。でも、今は風が強いから、小さな君が一人で行くのは危ないな。よし、僕の背中に乗りなよ。一緒にお母さんのところへ戻ろう」
「本当……? でも、お仕事は……?」
「これも僕の大事なお仕事さ。谷のみんなの笑顔を守るのが、僕の役目だからね」
ルネはピチューを自分の背中の綿毛の中にしっかりと潜り込ませた。ピチューは軽くて、まるで一つの木の実を運んでいるようだった。
「しっかりつかまっててね。風に乗るよ!」
ルネは力強く地面を蹴った。風を読み、翼を広げると、上昇気流が彼らを一気に空へと押し上げた。背中から「わあ……っ!」というピチューの歓声が聞こえる。上空から見る碧の谷は、まるで緑色の絨毯を敷き詰めたように美しく、遠くの湖が太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
ルネはピチューの家がある「果樹園の村」へと向かった。そこには、大きな木々に囲まれた、たくさんのピカチュウやライチュウたちが暮らす賑やかな場所だ。
村に近づくと、一匹のピカチュウが血相を変えて走り回っているのが見えた。ピチューのお母さんだ。
「お母さーん!」
ルネの背中からピチューが身を乗り出して叫んだ。ルネはゆっくりとピカチュウの前に着地した。
「まぁ! ピピ! どこに行っていたの、心配したのよ!」
お母さんピカチュウはピチューを抱きしめ、何度も頬をすり寄せた。ピチューの頬からも、お母さんの頬からも、嬉しさのあまり小さな電気がパチパチと弾けている。
「ルネさん、この子を助けてくださって、本当にありがとうございました」
「いいえ、無事でよかったです。ピチューくん、お母さんのためにグラシデアの花を探していたんだよ」
ルネがそう言うと、ピチューは恥ずかしそうに、ルネのバッグからおすそ分けしてもらった小さな「モモンの実」をお母さんに手渡した。花は見つけられなかったけれど、途中でルネが「お母さんに」とあげたものだ。
「ありがとう、ピピ。あなたが無事でいてくれることが、私への一番のプレゼントよ」
親子が寄り添う姿を見て、ルネの胸の奥がじんわりと温かくなった。これだから、この仕事はやめられない。
第三章 届かない言葉、夜の調べ
日は傾き、碧の谷は美しい茜色に染まり始めていた。
ルネの最後のお仕事は、谷で最も気難しいと言われている、森の最深部に住む「アーマーガア」のところへ行くことだった。
アーマーガアのガイルは、かつて遠い外の世界からこの谷へ流れてきた、大きな鋼の鳥だ。その漆黒の羽と鋭い眼光から、若いポケモンたちは怖がって近寄ろうとしない。しかし、ルネは知っていた。ガイルが本当はとても不器用で、孤独を愛しながらも、谷の平和を誰よりも見守っていることを。
ガイルの住処は、切り立った崖の上にある。ルネが夕闇の迫る空を飛び、崖の頂上にたどり着くと、ガイルは大きな背中を向けて夕日を見つめていた。
「ガイルさん、こんばんは。今日の分の配達だよ」
ガイルは振り返り、その鋭い目でルネを見た。声は低く、地響きのようだ。
「……チルットの小僧か。俺に届くものなど、何もないはずだが」
「そんなことないよ。ほら、これを見て」
ルネが差し出したのは、一本の美しい「ルリ色の羽根」だった。それは、谷の入り口に住む若いウォーグルのものだった。
「ウォーグルくんがね、『ガイルさんの飛び方は、いつ見ても無駄がなくて美しい。僕もあんな風に、風に逆らわずに飛べるようになりたいです』って。この羽根は、いつか一緒に空を飛んでほしいっていう、彼からの約束の印なんだって」
ガイルはルネの足元にあるルリ色の羽根をじっと見つめた。その鋭い瞳が、一瞬だけ優しく揺れたのをルネは見逃さなかった。
ガイルはふん、と鼻を鳴らしたが、その大きな鉤爪で、壊さないようにそっと羽根を拾い上げた。
「……若造が、余計なことを。俺の飛び方など、ただ生き抜くために身につけた泥臭いものだ。あいつのような綺麗な翼には似合わん」
「そんなことないよ。ウォーグルくん、本当に憧れてるんだ。ガイルさん、何かお返事は?」
ガイルはしばらく黙っていた。夕日が完全に沈み、あたりに帳が下りる。やがて、彼は静かに口を開いた。
「……明日の朝、東の風が吹く頃、あいつのいる丘の上を通ると伝えろ。ついて来られるなら、勝手について来い、とな」
ルネは嬉しくなって、その場でパタパタと宙返りをした。
「うん! 確かに預かったよ! 明日の朝一番に、必ずウォーグルくんに伝えるね」
「……もう夜だ。小僧、夜道は危ない。今日はここで休んでいくがいい」
ガイルは大きな翼を広げ、自分の巣の片隅を指し示した。不器用な彼の、最大限の優しさだった。
「ありがとう、ガイルさん」
ルネはガイルの大きな巣の、ふかふかした苔の上に体を丸めた。上を見上げると、碧の谷の空には、数え切れないほどの星がまたたき始めている。
夜の静寂の中、遠くでコロトックたちの美しい演奏が聞こえてきた。それは戦いのない、ただ互いを想い合い、繋がっていくポケモンたちの優しい夜の調べだった。
ルネは目を閉じながら、明日の朝、ウォーグルがどれほど喜ぶだろうかと想像していた。彼の小さな翼は、明日もまた、たくさんの想いを乗せて、この美しい谷を駆け巡るのだ。
(終)
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