〖ネカフェのシャーロック・ネトゲ廃人〗
編集者:ABC探偵
東京新宿区、個人経営のネットカフェに縁頼りに221B室を私物化し、死体ごっこを趣味とするミステリアスな探偵がいるネカフェ。
様々なゲームや本を売りにして、時折ブースを貸し出すネカフェで働く論破を得意とする従業員、“和戸 涼”は例の探偵に頭を悩ませていた。
そんな中、不意に起きた数々の事件と同じくして“探偵の助手”を半ば強制的に任されることになる。
事件の先に待つ因縁、不覚の出会い、絡まった紐解く謎__それらが全て此処に終息する。
続きを読む
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
〖3分でクレーマーを片す店員〗
はじめまして、ABC探偵です。
シリーズを出せる機能があったので、軽く出してみました。
健全モノですが、場面によっては描写がグロテスクかもしれません。
とあるネットゲームカフェの221B室。薄暗い部屋の中でパソコンのキーボードを打つ音だけが響く。
その音を出す手者は、ある一つのwebニュースにて手を止めた。
「遅いッ!!!!!!」
耳をつんざくような恐ろしい怒号。その怒号は俺が受け持った男性の喉から発せられた。
「申し訳ありません、お客様」
「遅いって言ってるだろ!一体、客を何分待たせる気だ!頼んだレアカード一枚ごときを見つけるのにそんなに時間がかかるのか!?」
そう、この男性客...カードゲームのレアカードなるものを本店のネトゲカフェに頼んでいた。だが、購入ではなく紛失したカードを探しているのだ。しかし...そのカードは調べてみると数万円とファンの間で取引されるらしく、そのカードの落とし主を店のチラシで大々的に探しているものだから所謂ところの転売者が現れる。
「お客様、申し訳ありませんが私にはそのカードがどのような形状で、どんな作品のものなのか理解しかねます。失礼ですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「エセモンの“ヒカゾウ”の電気タイプだと言ってるだろ!」
エセモンのヒカゾウねぇ......しかも電気タイプ?変だなぁ、ヒカゾウって水タイプなんだけどなぁ。
「どのような効果ですか?」
「...でっ、電気タイプなんだから相手を麻痺させるに決まってるだろ!」
んなわけねーだろ。水タイプだぞ?電気出したら逆にヒカゾウが麻痺っちまうよ。
「お客様...」
「なんだよ!あのレアカードは俺がこの店で無くしたんだ!このチラシの落とし主ってのは俺だ!いいから、持ってこいよ!あるんだろ!?」
「ええ、ありますよ」
「なら!」
「ですが、貴方はその持ち主ではありません。ヒカゾウのレアカードの効果は周りに水を発生させターン毎に己の体力が回復していく効果です。それにヒカゾウは水タイプなんです。
本当の持ち主なら、カードの効果やキャラのタイプを知っていて当たり前ではありませんか?」
「......チッ」
コイツ、舌打ちしたな。滅びろ、転売ヤー。
「ですので、今回はお引き取りください」
「......くそったれ!!」
この間、約3分。
**********************************************
例の転売ヤーが帰り、俺はエセモンのヒカゾウレアカードを見る。ヒカゾウというキャラは黄色いボディにゾウっぽい見た目をしている為かにわかには電気タイプと間違えられる。
本当のファンはしっかりと水タイプだと答え、何なら効果や良いデッキ編成まで答えられる。ファンというのはそういうものだ。
「あの......お兄さん」
カードから目を離すとカウンターを伺う黒髪の青年がいる。歳は十代半ばだろうか。
「お客様、どうなさいましたか?」
「その、エセモンのヒカゾウのレアカードを探してまして」
「......ヒカゾウのタイプとそのカードの効果をお答え願います」
「えっ...」
露骨に驚いたな。なんだ?転売ヤーか?今日は多いな。
「...ヒカゾウは水タイプで、周りに水を発生させてターン毎にプレイヤーのキャラクタースキル発生ターンを3分の一に下げる代わりに5%で休憩するデメリットとプレイヤーの体力を回復させる効果ですね。
電気タイプとの相性は不利ですけど、炎タイプ相手だと周りに発生させた水で継続ダメージを発揮することもできて、水電気のデッキで組むとめちゃくちゃ強いんですよね。そもそも単体でも強いですよね!もう自分、このカードめちゃくちゃ強くて大好きなんですよ。あと、さらに...」
「いえ、もう十分です。有り難うございます。こちら、ヒカゾウのレアカード〖水浴び〗です」
「あっ、もう良い...え、あ、有り難うございます!」
本当のファン、というのは...こういう青年のことだ。...答えるだけでも3分話してたんじゃないか?
さて、その青年が嬉しそうに帰る姿を見つつお答えしよう。
俺は和戸凉(ワト リョウ)、店長からは3分でクレーマーなどの厄介客を片す凄腕論破王だと......無駄に囃したてられている。
ただ、そんな俺でも片付けられない厄介客がこのネカフェの221B室、アルバイトからはシャーロック・ネトゲ廃人と言われる厄介客......日村修(ヒムラ オサム)がいる。しかしこの客はネカフェに住み着いて約三ヶ月が経つ。今月の料金を払っていないらしく、今回ばかりは俺が料金を押収しなければならない。
「嫌だなぁ...あのお客さん、変わってるんだよな......」
愚痴を溢そうが無駄だ。俺は決心して、221B室の扉のノブに手をかけ、思いっきり開けた。
お疲れ様です。
主人公の話しか今回はありませんが、次回からは例のホームズ視点で続きをあげようかと思います。
読んでいただき有り難うございました
〖221B室のシャーロック・ネトゲ廃人。そして、事件〗
どうも、ABC探偵です。
本話を書く前にある方の戦国小説を読みました。
完成度がとても高くて非常に面白かったです。
感想をここで言っても何も変わりませんので、本編へ。
...怒号。ああ、喧しい。いつもの3分でクレーマーを片すとかいう店員がまたやってる。
和戸涼。精悍な顔つきに美しい黒髪、俗に言う美少年...いや、普通の青年。怒ると口が先に出るのか、いつもの受付で厄介な客を請け負って論破というか、対応をしているところを耳にする。それが、とても喧しい。だからといって私が手を貸す気にはなれない。まぁ、その彼を振り回すのはとても好きなので良いとしよう。
ネカフェの一室ではパソコンの光が唯一の太陽のようなもの。灯りは眩しくて、平穏の部屋を保つには似つかわしくない。そんな部屋の中で上体を起こし、昨日、ドリンクサービスの所で持ってきた紅茶を啜る。このネカフェに住み着い......入って何日経つか。家には顔を暫く見せていない。あの家に帰る気にはならない。しかし、いつまでもここにいても仕方ないという考えが頭に過る。なら、どうするべきか。幸いお金には困っていない。
だが、
「...面倒くさい」
そう、面倒くさい。思わず口に出してしまったが、わざわざここを離れて活動するなど面倒ではないか。だったらここで過ごすのが最善策では?
そうだ、それがいい。それが一番だ。流石、私。良い選択をした。
そう物思いにふけっているとなにやら扉のノブに手をかけるような音がして、
*************************************
俺は決心して、221B室の扉のノブに手をかけ、思いっきり開けた。
バンッと景気の良い音がして見れば、ややクリーム色に薄い緑の瞳、かなり顔の整った若い男性が驚いたような顔をして突っ立っていた。
日村修(ヒムラ オサム)。この客の顔はかなりの美形で風貌だけはどこぞの英国紳士的な顔つきをしている。しかしこの男、イケメンだが、ものすごく面倒な性格だ。
「......なぁ、なんだ、急に!ノックぐらいしたって...!」
「すみません、お客様。料金の受け取りがまだでして」
「料金?ああ...後で持っていくよ」
今欲しいんですけど。...本当に手間がかかる。
俺は呆れて扉を閉めようとしたが、充電のついているパソコンのデスクトップに載ったある記事が目についた。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
〖赤髪続出!?赤城駅周辺にて謎の集団発生〗
今日日、3月14日に赤城駅周辺に赤い髪の人々が老若男女問わず集団の行列として滞在している。
昨日も滞在していたと近隣住民は駅に問い合わせており、現状は謎に包まれている。
記者は例の集団と接触し、調査を試みた。下記はその取材から得た情報である。
・集団は赤城駅周辺付近のある事務所の儲け話を目的としている。
・集団は意図してできたものではなく、赤髪が地毛である人々が集まって自然に発生した。
・その儲け話は赤髪が地毛である者限定で行うことができるが、とても簡単な儲け話で一年続ければ何百万も儲けることができるらしい。
・例の事務所は〖Lie〗という事務所名。
記者は事務所に取材を試みたが、不可能であった。事務所は赤髪が地毛であることに非常に重点を置いているとのことだ。
また、近隣には金融関係の施設が多く、渋滞や騒動が広がる可能性が高い。警察には迅速な対応を願うところである。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
「赤、髪......?」
「なんだ、気になるのか」
「あ、いえ...」
「気になるんだろう?」
なんだ、コイツは。
「気になるよな」
............。
「...はい」
「無理もない。赤髪と聞くと赤毛連合を思い出すよな。良い着眼点だ、涼くん」
この客はそういう客だ。シャーロック・ホームズが好きなのかこういった話をよくする。赤髪と聞いて赤毛連合を思い出すのは理解しがたいが、まだ良い。まだ、いつもよりはマシだ。
「そりゃ、どうも。それでは、料金の方をお待ちしておりますね」
「...?......何言ってるんだ?行くんだろう?」
行く?
「どこへです?受付ですか?」
「現場」
......なるほど。これは逃げた方が良い。この客の最も厄介な点が始まった。
この客はシャーロック・ネトゲ廃人と言われるほどシャーロック・ホームズが好きで、よく死体ごっこだとかミステリーゲームだとか、そういうミステリーものに惹かれやすい。死体ごっこがそれに分類されるかは別として、そのせいかシャーロック・ホームズなりな行動をして助手のワトスンのように人を連れていく。そこが、かなり厄介だ。正直、扉を開けて実際の事件の死体の真似をしているより質が悪い。断れば良いとは思うが、押しが強い。逃げた方がいいのか大人しく付き添うのがいいのか...。
「......分かりました、行きます。その代わり、後でしっかり料金を支払って下さい」
「それは払うよ。じゃあ、行こうか」
中々勝手な人間だとはつくづく思う。だが、下手に刺激してとやかく言われるよりはマシだろう。
俺は今日はこの厄介客の気が済むまで付き合おうと心に決めた。
お疲れ様です。
例の死体ごっこが登場しませんが、いずれ登場します。ええ、きっとね。
ひとまず、お読みいただき有り難うございました。
〖赤毛連盟と赤毛連合の行列〗
桜も芽吹き始めた昼下がり。そろそろ、お腹が空いてくる頃だろう。
しかし、そんな中でも嬉々として歩くのが日村修、厄介客だ。
「和戸くん、何睨んでるんだ。腹でも減ったのか?」
「...いいえ?何にも?...和戸って呼ばなくて良いので、涼で良いですよ」
「えぇ?私は君の苗字、好きだがね」
......ホームズの助手のワトソン(訳者によってはワトスン)の文字が入ってるからだろ。
「そうですか、ならどっちでもかまいませんよ」
「そうかい?お、見えてきたぞ」
目をやれば、確かに赤毛の集団がある。老若男女様々だが、共通しているのは確かに赤毛。
銀行や百貨店などが建ち並び人通りの多い区画の為、かなり迷惑になっているし端から見ればかなり異様な光景だ。
そんな中でも気にせず日村は例の集団へ話を聞きに行っている。まるで子供だ。
「すみません、ちょっとお話を聞いても?」
「なんだ、君は......」
「まぁ、そう言わずに。この行列は何なんです?見たところ、皆さん赤毛ばっかりですけれど」
「ああ、何か赤毛が地毛のやつの儲け話があるそうだ。なんでも赤毛連盟?と赤毛連合?の二つの団体が別れて同じところでやってるもんだからこんなに大量にいるわけだな」
「へぇ、どこの団体なんです?」
「俺が見たチラシだと、Lieとかいう聞いたことないところだったな。ま、儲け話らしいし聞くのはタダだろ?そんなわけで並んでんだよ、律儀にな」
「なるほど。ところで、どこで働いていらしてるんです?」
「近くで骨董屋をやってる。店はバイトに任してるよ」
「ふむ、そのバイトさん、膝とか土で汚れてたりします?」
「変な事聞くね?汚れてないよ、私は軽度の潔癖症でね。バイトの度に身なりチェックしてるんだ。
それに、バイトに任してるって言っても他にいるからね」
「はぁ、そうなんですね。ありがとうございました」
日村が戻ってきた。少し怪訝そうな顔をして、しかし、その瞳には好奇心を抑えきれない子供のような輝きをたたえていた。
「和戸くん、ちょっと道を叩いてみてくれよ」
「道を叩く?良いですけれど...」
俺は軽めにアスファルトで舗装された道を叩いた。特に、何もない。
「音がやけに響いたりしないか?」
「...しませんよ」
「そうか、つまらないね」
少し、目を伏せて考え込む。そして、次の言葉を発そうとした瞬間、物凄い爆発音が木霊した。
〖翌日にて夢か現か〗
あれは、なんだったのか。
昨日、俺は例の厄介客の世話に付きっきりだった。そのせいで店長には店をほったらかしにするなと厳重注意を喰らったが...その世話で起きたあの爆発音。
あの音がした後、すぐに沢山の悲鳴と救急車や警察のサイレンが聞こえていた。もう、調べている場合ではなかった。俺は日村に向かって叫んだ。でも、いくら叫んでも彼は動かなかった。瓦礫が転がって、炎が建物を包みこんで、人々が逃げ惑う様をその深い緑の瞳に焼きつけるようにして見つめていた。
それが怖くて、怖くて、俺は叫び続けていた。そして、おそらく逃げ延びたであろう野良猫が炎を纏った瓦礫の一つに圧されて生きたまま焼かれた辺りで彼は、
「...帰ろうか?」
恐怖でしかなかった。いつも堂々としていて、人の話を聞かない自己中だがこんなに狂っていたなんて知らなかった。
次、彼と会った時、何を話せばいいのだろうか。
---
「...ダメだな」
いくら昨日、脳に流し込んだ事件を探しても何も見つからない。
和戸涼の怖じけついたような顔、酷く焼け爛れた猫の死骸、炎に包まれて瓦礫ばかりの崩壊した建物。
それぐらいしかなかった。やはり、関係者に話を訊くのが先決だ。
パソコンのデスクトップからメールへマウスを操作させて、“|鴻ノ池《こうのいけ》”とネームされた人物へ一通のメールを送る。
しばらく、脱出ゲームを遊んでいたが返事は正午ぴったりにきた。
---
情報の伝達がお早いようですね。
こちらもこちらで捜査が少し割れていますので、《《貴重なご意見》》としてお話にお伺いします。
鴻ノ池 詩音
---
...|鴻ノ池詩音《コウノイケシオン》。捜査担当刑事の一人、女性検査官である。
相棒である男性は頭が堅くて話にならないがこの|女性《ひと》は私の話をしっかりと聞く。
しかし、信用しきってはならない。彼女は優秀だが、正義感が強く頭脳派だ。下手に口走って、過去を詮索されてはならない。絶対に、敵に回してはいけない。
私はそのメールを確認して、すぐに毛布をとり、眠りについた。
---
「...暇だなぁ」
ベットに寝転がりながら携帯を離して呟く。バイト先のネカフェのシフトは休み。
厄介客の世話をするわけではないし、親からの電話も来ない。
彼女は...いない。大学生の時はいたのだが、卒業間近になって振られた。
「顔は良いけど、その論理的なところが怖い」といった理由だったが、実際は別の男を好きになったからといった身勝手極まりない理由なのだが過ぎた話だ。
少しの間、物思いにふけっていると、電話がきた。知らない番号だ。迷惑電話かと思って出れば、
「涼くん!今から喫茶店に行かないか?」
日村修。何で電話番号知ってるんだ、コイツ。
「はぁ、もしもし...人違いじゃありませんか?」
「何を言ってるんだ?返事がないなら同意と見なすぞ、今から墨田駅付近の喫茶店に来てくれ。
駅付近にいれば、迎えに行く。今すぐだ!」
一方的に喋って、切られた。なんなんだ、本当に。貴方との関わり方について悩んでたのに、悩みごと吹き飛んだじゃないか。
俺は何も聞こえなくなった携帯をポケットに入れ、家を出た。幸い、墨田駅は徒歩10分で着く。
その時の俺は、別になんでもない休日が通常勤務と変わらなくなっただろうと思っていた。
それが覆ったのは例の喫茶店に入ってすぐのことだった。
〖嫌な因縁は惹かれ逢う〗
少々年季が入りつつも、どこか人を寄せつける不思議な雰囲気のお洒落な喫茶店。
からんと鐘の鳴る扉を閉じて、周囲を見渡す。一つのテーブル席に一人の女性と二人の男性が座っていた。その中の男性の一人は見知ったも同然、日村修である。
そのテーブル席へ足を進め、日村の知人だろうか。黒髪に端正な顔立ちをした女性、その隣に黒い髪はボサボサだが、決して不潔ではなく眉目秀麗な顔立ちをした男性がいた。
二人はラフな格好だが、何となく近寄りがたい雰囲気だった。
「...日村さん、そちらのお二人は?」
「ああ、|鴻ノ池詩音《こうのいけしおん》と|桐山亮《きりやまあきら》だよ。二人とも...」
そう言いかけた辺りで、女性が即座に口を開く。
「日村さん」
「あ~...悪いね、気にしないでくれ」
「は、はぁ...」
鴻ノ池詩音。先程の女性だろう...しかし、桐山亮...どこかで、聞いたような?
「...僕は和戸涼です、よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
二人の挨拶が被る。そして、少し気まずそうにして、先に鴻ノ池が桐山へ発言を譲った。
「どうも...。あの、和戸涼さんですよね?◆大学の時の...ああ、僕、桐山亮です。その、あの節は大丈夫でしたか?」
「あの節?何故、こちらの出身大学をご存じなんですか?」
「あ、えっと...その|宮本亜里沙《みやもとありさ》って女性、覚えてますか?」
宮本亜里沙。元カノだ。
「...その、宮本さんとどのようなご関係で?」
「あ~...その、何て言うか...」
少し横に目をやって、髪をかく。ああ、コイツなんだな。あの女がくっついたのって。
古い記憶の中で亜里沙が親しそうに電話で話す“亮くん”との会話が鮮明に甦った。
「だいたい、分かりました。それで?」
「えっ、いえいえいえ!違います!そうじゃないんです!僕も“元”なんです!」
「......は?」
その言葉を聞いて、頭が混乱しないはずがなかった。
「親密な友人に会って、話をするのは良いがそろそろ良いかい?」
その一言が一気に現象へ引き戻した。
夢から醒めたように声の主へ目をやると、不機嫌そうに頬を手で支える日村の姿があった。
桐山もそれに気づいたのか、「また後日、お話しますね」と言った。
そこで鴻ノ池がよく通る声で挨拶をする。
「鴻ノ池詩音です。よろしくお願いします、和戸さん」
「ああ、よろしくお願いします...」
そして、日村に向き直る。
「それで、日村さん。《《貴重なご意見》》をお聞きしてもよろしいですか?」
「う~ん...君の《《一つの物語》》の詳細をくれたらなぁ...」
「あら、用意していないとでも?」
「おや、してないように見えたけどね」
「失敬。では、メールにて《《一つの物語》》の一話を載せておきますね」
「ああ、助かるよ。なら私も《《私なりの意見》》を答えよう...あまり、期待しないでほしいがね」
「珍しいですね」
「情報がないのだから、しょうがない。それとも、涼くんの《《瞳の記憶》》でも提供しようか?」
「結構です。それでは、楽しみにしておきます。桐山、帰りますよ」
「あっ...はい!」
すっと立ち上がった鴻ノ池に対し、桐山が慌ただしく席を離れていく。
その二人と入れ替わるように一人の女性アルバイトが注文を取りに来た。
「...あ」
そんな掠れたような声の言葉が女性アルバイトから放たれる。
「涼くん、どうした?」
日村は二人の退出を見た後、メニューを見ていただけだった為、心配するような声を挙げている。
俺はと言えばその女性アルバイトの顔を見て、口をぽかんと開けていた。
女性は紛れもなく、宮本亜里沙だったからだ。
〖羅列する物語〗
「...|亜里沙《ありさ》...?」
望んでいなかった再会につい、声が裏返る。
宮本亜里沙...元カノとはいうと、軽く声を洩らしてまたすぐに仕事へ戻った。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ああ、アイスコーヒーを一つ。涼くん、君は?」
涼くんと言われて我にかえる。何も決めていない。日村が見ていたメニューをちらりと見て、咄嗟に
「えっ、あ、こっ、ココアで...」
顔が耳まで赤くなるのを感じる。
「...ご注文は以上でよろしいでしょうか」
その言葉を聞いて、日村が頷く。そして、亜里沙も安堵したように「少々お待ち下さい」と言って離れていった。
「ココアなんて、頼むんだな」
「...いえ......」
「てっきり、コーヒーか紅茶だと思っていたが、想定より君は甘党だったらしい」
メニュー表を片付けながら、微笑む日村。
俺は甘党じゃない。ココアなんて、外食で頼んだことない。でも、見て認識したのがココアだけだったのだ。
「そんなことは、ありませんよ」
「へぇ、そうかい」
日村の顔が微笑みというより、ニヤついた表情へ変わる。
「それで...先程の女性は?」
「店員さんのことですか?...別に、何でもないですよ」
「何でもない、と言うわりには会って動揺していたように見えるが?」
「さぁ、気のせいじゃないですかね」
俺はそう言って、首筋に手をやり頭の向きを少し変える。
「...人が嘘をつく時は頭の向きを変えたり、手足を動かすせわしない動きになるそうだ」
「それが、何か?」
「......もう良いだろう、ということだよ」
「...ただ、あの女性との関係性を聞きたいだけですよね?」
「そうとも言うね」
そうとしか言わねぇよ...。
「分かりました、分かりましたよ。ただの元カノです、それだけです!」
それを聞いて日村が「なんだ」と声を洩らして、つまらなさそうに頬杖をついた。
やがて、注文が届いて、何も言葉を交わさず口に飲み物を運んだ。
甘いココアがよりいっそう甘く嫌だと強く感じるのは、この日だけだった。
---
翌日。無論、出勤日である。
茶色のエプロンという制服をつけながら、まだ払ってもらってない料金を取りに221B室の扉を開ける。
そして、目にする日村の死体...ではなく、日村の死体の真似事。
床に白い紐で人の形を作り、その上に型から合うようにして寝転ぶ日村の姿。
初めて見た時は、確か、頭に血糊か何かを塗って血の垂れる位置を見ていた。何かと思って救急箱を取りに行ったあの日が慣れてしまった俺には、どこか懐かしく感じる。
「んー...ん?お、涼くんか」
「どうも。料金を受け取りに来ました」
「ああ、それならテーブルの上にあるよ」
そう言われてテーブルを見る。パソコンのディスプレイにはまた、文章が映し出されていた。
---
日村修様
拝啓
青々とした木々がよく見られる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
さて、昨日の喫茶店にてお約束された物語を書き下ろしました。
お目に通していただけると幸いです。
敬具
鴻ノ池詩音
〖某銀行についての記述〗
ご存知の通り、例の銀行は爆発物を用いられたものです。
爆発物は目覚まし時計型のよくあるタイプのものです。
死者10名、重傷者25名、軽傷者36名で爆発の規模はそこまでだったそうですが、複数配置されており、建物の隅に四つ置かれていたとのことでした。
また、他の建物に引火や崩壊などで爆発よりも二次被害が大きかったのが原因とされます。
その他にも例の赤毛の集団で密度が多く、渋滞や道の狭さ等も原因とされます。
〖同時刻の現場付近〗
怪しい男性集団が銀行、近くのアパートにいたなどとの情報が入っていました。
背格好が高く、威圧感があったや拳銃を所持していたと情報があり暴力団関係者ではないかと推測されます。
また、近くの行列を辿った先の“Lie”という組織にて聞き込みをしましたが、儲け話であるの一点張りでした。
〖関与話〗
近頃、行方不明の事件が現場付近にて増えております。調査の際は、十分な警戒をお願いします。
---
「...日村さん、鴻ノ池詩音さんって...」
「ん?ああ...警官だよ」
「は、はぁ...休日に、非番の警官と俺は...」
「いや、君は面白そうだから来てもらっただけ」
そう言って、起き上がりパソコンを見る俺の背中に手を回して、肩をぽんと叩いた。
そして、
「ところで、涼くん。演技をするのは得意かい?」
燃えるような赤髪のウィッグを持って、少し冷や汗を書く俺の顔を覗きこんだ。
〖赤毛の仮面舞踏会〗
まるで密着しているような赤毛を揺らす青年が赤毛ばかりの行列に並んでいる。
その燃えるような赤毛は風に揺れることなく、太陽の光を強く反射していた。
その赤毛を生やした青年は一歩一歩と進む行列を長い時間進んでいき、やがて現代的な建物の『Lie』と看板が掲げられた施設の前に立った。
その施設の扉は自動的に開かれて、恰幅の良い男性が合間見える。
「ようこそ、Lieへ。チラシを見ていらっしゃったんですか?」
「...え?え、ええ、まぁ...そうですね」
「それは有り難うございます。それで、その件についてお話したいのですが...別室へ移動してもよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
「ご協力、感謝します。それでは、どうぞこちらへ」
その男性に近づかれ、部屋へ促される時、ふんわりと独特な、どこか青臭い甘い香りが鼻を刺した。
---
「貴方の髪の毛は、地毛ですよね?」
不意に、移動中に男性からそんなことを聞かれた。予想通りの質問である。
「ええ、そうですね。でも、仕事の関係上、ワックスで固めることが多いんです」
「へぇ、そうなんですか。通りで硬く、輝いているなと思いました。何のお仕事をされているんですか?」
「...本の、翻訳者ですね」
「それは素敵な職業ですね。僕も翻訳って、色んな言語が分かるみたいで好きですよ。
ところで、顔立ちは日本のようですけれど、ご両親のどちらかが外国人の方なんですか?」
「両親ともに日本人なんですが、父方の先祖辺りに赤毛の方がいらっしゃったらしくて...多分、遺伝子の突然変異だと思いますね」
「そうなんですね。珍しいものですね」
「ええ、その通りです」
実際、俺の髪は黒だし、赤毛の先祖なんていない。
突然変異なんてそう簡単にあるはずがない。だから、この行列の人の何百人が嘘の赤毛なのは確かだから、疑っているのだろう。
しかし、日村が用意した赤毛のウィッグは頭皮にぴったりとくっついていて、ワックスの影響もあるのか取れる気配がない。おそらく質問されることになるだろうと危惧していた内容もしっかりと答えられたのだから、一先ずは安心だ。
しばらく歩いて、一室へ案内される。二つのパイプ椅子に挟まれるように配置された机に、鉛筆や紙が用意された六畳くらいの一室。
部屋に入って、閉められた扉はとても重く感じた。
そのパイプ椅子の一つに男性が座り、こちらにも座るように促した。
「...失礼します...」
「どうぞ」
椅子をひく音がした後、少し静寂が通り、すぐに過ぎていった。
「ひとまず、お名前をお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「...|佐藤亮《さとうあきら》です」
よく分からないところで、「俺の名前は和戸涼です」なんて本名を名乗るわけにはいかない。
それに亮...あの、桐山亮だ。なんとなく、気に入らないから犠牲になってもらおう。
「佐藤亮様ですね。この度は結婚相談所〖Lie〗 へ足を運んで頂き、有り難うございます」
「けっ...結婚相談所ぉ?!」
「ええ、良い反応を有り難うございます。ただし、今回はそのお試しというか...なんというか、プランの試験者になっていただくといった形ですね」
「...えっと、つまり...?」
「弊社は結婚相談所のプランの一つ、カップリングパーティー...所謂、婚活パーティーですね。
それを主に予定して、他の結婚相談所から指定された方々のより良いお相手様を探す手助けをする会社です」
「は、はぁ...」
「それで、その為にはどんな方にも楽しんで頂ける完璧なお膳立てをしなければなりません。
ですから求人募集を婚活パーティーの試験者としての儲け話、と紹介して...その募集した方々を分かりやすいよう、あまり見ない髪色で時給一万円で募集していました」
「......?...それなら、赤毛が地毛かどうかは関係ないのでは...」
「それは思います。ですけど...」
「ですけど?」
「僕にも、分からないんです。僕、先月入ったばかりで理由も分からなくて...」
ぞう言って、顔を曇らせる。それが悲しそうに見えた。体型に合わず、小動物のようだ、とも。
「えっ...え、ああ、そうなんですか」
「そうなんです...。ひとまず、佐藤様。契約書にお名前を記入して頂いても大丈夫ですか?」
どこか申し訳なさそうに紙と鉛筆を手渡してくる男性。これは、記入して良いものだろうか。
怪しさが拭えない事務所だ。ろくなことがない気がするも
「...その、僕...ちょっと、また後日にでも...」
「佐藤様」
「はい?」
「申し訳ありませんが...流石に、嘘ですよね」
男性がそう言った途端、後ろの扉に鍵がかかったような音がした。気づいてそこから逃げたら、何か良くない気がすると肌で感じる。それに悟られないよう、目の前の体型通りの大きな猛獣を見つめて、口を開く。
「嘘?嘘とは、なんですか?」
「あんなに長い行列を並んで、お話をお聞きになって...辞めるというのは些かご理解しがたいです。
ご自分のお気持ちに嘘をつかず、素直にこの儲け話を受け入れるというのが自然ではないですか?」
これは、脅迫だ。儲け話でも、自分の気持ち云々の話じゃない。ただ、どこか怪しい会社の脅迫の契約だ。
「僕は素直ですよ。その話を聞いて、儲けられるというところが何か引っ掛かるんです。時給三万なんて、普通じゃない!なんですか、これ?噂の闇バイトですか?」
「闇バイトだなんて...まさか、正式なアルバイト募集ですよ。3日間のうち6時間で、擬似的な婚活パーティーに参加して、楽しむだけですよ?それで、約18万円の儲けじゃないですか」
「そっ...そんなにあたる時点で、怖いんです!そもそも、何人の募集...」
「三人です」
「三人...?婚活パーティーですよね?」
「はい。でも、他のところからも色々と来ますので」
「でも、約18万円って...」
「美味しい蜜を口につけずに保管しておくつもりですか?」
例えが独特だ。でも、結局、
「ええ、保管しておくつもりです!僕はもう帰りま...」
帰ります、と言いかけた時に日村の要望を思い出した。
〖出来ることなら、内部に潜ってほしい〗
これは演技云々関係なく、本当に欲しい情報なのだと分かっていた。
とらなかったら、あの厄介客が何を言うかは知れている。
なら、
「...参加、します」
「本当ですか?!」
「はい、すみません。あまりにも出来すぎた話だったので...取り乱してしまって」
「いえいえ、大丈夫ですよ!では、こちらにサインして頂いて...」
男性が紙を差し出す。その紙に佐藤と偽名を書いた途端、後ろの扉からカチャンと鍵の開いた音がした。
---
「...あの、日村さん...」
「どうした、涼くん」
「何故、貴方もこちらに...?」
「ああ...面白そうだと、思ったから」
ぶっきらぼうにそう言い放って、婚活パーティー...Lieの事務所の制服に身を包み、せわしなく手を動かして、ワイングラスを拭く手を止めない。
あの行列へ入った日から三日後、指定された日時の会場にて“婚活パーティーの試験者”としての採用が行われ、現に今、その会場で試験会が開かれるのを待っている最中で少々お手洗いにと廊下を歩けば近くに予備されたワイングラスを拭いているところのスタッフとして潜入した日村の姿があった。
「面白そうって、でも...」
「...まぁ、君の話も分からなくはない。一旦、説明しよう」
そう言って、ワイングラスを優しく置いて口を開いた。
「この事務所が主催した婚活パーティー及び、テストは普通じゃない。これは、分かるね?」
「そう、ですね。なんとなく、契約書にサインした時も威圧感がありました」
俺がそう言った途端、日村の目が大きく開かれた。
「...サイン?サイン...ああ、君は...」
落ち込んだような声に自分が何をしでかしてしまったのかと思い、声を挙げた。
「な、なんですか?俺、サインしちゃダメだったんですか?!」
「いや...そういうことではなくてね...。これは君が大丈夫なのが分かるから良いが...」
「ひ、日村さん!ちゃんと説明して下さい!」
「分かってる、分かってるよ...。
ええと、このパーティーはおそらく、暴力団関係だ。この暴力団体が前の爆破事件と関係があるかは定かではない。しかし、爆破された建物は銀行で...ああ、銀行といっても貸金庫のみの銀行らしい」
「貸金庫ですか?金融ではなくて?金融なら爆破された理由がつきますよね?」
「ああ。確かにその通りだよ。でも、貸金庫なのは本当だ。
その爆破した本人は貸金庫の持ち主ではないのは明白で、その本人にとって、その銀行に何か法に触れてでも取り出したい重要なものがあったのは事実なんだが...それが分からないんだよ」
「お...お金、とか?知人の莫大な富とか...?」
「そんなものを貸金庫に入れるくらいなら、普通に銀行に入れるだろう」
「じゃあ、宝石とかですか?」
「貸金庫に入れるぐらいなら、自分で持つのが一番安全じゃないか?」
「う...それも、そうですね。だったら、何なんですか?」
「知らないよ」
知らない!?そこまで否定して、引っ張ったくせに!?
「なんだ、鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をして。そんなに答えが欲しかったのか」
「...いえ...」
「......ヒントになるか分からないが...貸金庫は必ずしもお金や宝石があるわけではないよ。銃器や医院の患者カルテ何かがあるところもあるそうだ」
「はぁ...つまり...?」
「...ここには普通ではない何かがある、とだけ」
「それは...どうも」
そして、またワイングラスを拭きはじめる日村。そこだけは様になっているのが腹立たしい。
日村の言っていた暴力団関係と思われる婚活パーティーの皮を被ったこのパーティーは、どんな化けの皮を被り、正体は何なのだろう。
そう考えて、綺麗になったワイングラスを見れば、輝く赤毛のヴィッグを着けた自分の姿が鮮明に映し出されていた。
〖狂い咲いた匂い〗
「どちらにお務めなんですかぁ?」
もじもじとしながら華やかなドレスに身を包んだ女性が胸を強調しつつ、腕に身体を擦り寄せる。
「いえ...ちょっとした書店の店員です...」
そう言った瞬間、少し嫌そうな顔をするもすぐさま切り替え猫撫で声で媚びるように会話を続ける。
女性というのは、美しくも恐ろしい。そう思わざるを得ない。
適当に話を合わせて、お手洗いに行くと言って離れるとこちらも廊下で複数の参加者に詰め寄られる日村を見つけた。
分からなくもない。性格はよく分からないが、どこか上品な雰囲気で英国紳士のような顔つきをしているのだから女性にモテてもおかしくはない。
「いえ...私は従業員ですので...」
「えぇ~...従業員でも大丈夫ですよ!良かったら連絡先を教えてくれませんか?」
あまりにも積極的な女性たちにたじろぐ日村。いい気味だ。
そのまま日村の横を通り過ぎようとして、捕まった。
「あっ、お兄さん...この方のお知り合いですか?」
「あ~...いや...」
「お知り合いなんですね!わあっ、凄いっ!こんなにも美形...じゃなくて良い方と出会えるなんて!」
「.........」
「...失礼、ちょっとお手洗いに...。凉くん」
「...そうですね」
この時だけは日村を褒め称えたくなった。
---
特にこれと言って言うことのない普通の男性トイレ。窓から風に揺れる青々しい木々が見える。その近くに何やら大きめのビニールハウスがぽつぽつと建っていた。
「...婚活パーティーって、もっと都会とかでやるものだと思ってました。こんな人気のない広いところでやることもあるんですね」
「そうだね。企業によるような気もするけれど...まぁこういうところもあるのかもしれないな」
曖昧な答えをして日村が通気孔を開き、勝手に覗く。
「...日村さん?なにしてるんですか?」
「ん?いや、特に何も...」
「じゃあ通気孔を勝手に開く必要ないじゃないですか!」
「いやいや、通気孔で植物が生えてるかもしれないだろ?」
「通気孔に植物は生えません!!」
ついに気でも狂ったのか。それとも久々に人に囲まれておかしくなったのか。
「まぁ、まぁ...そろそろ開式じゃないか?」
そう言われて、ふとスーツの腕時計を見た。時刻は10時55分。始まる5分前だった。
「...行きましょう」
またふんわりと独特な、どこか青臭い甘い香りが鼻を刺す。どこを見ても赤毛ばかりの参加者で逆に従業員にいる黒髪や茶髪など赤毛ではない髪色が目立っていた。
「お集まりいただき有り難うございます。本日は様々な方の縁を取り持つきっかけとなる場を開催するにあたって、本会場を使用、またはサービスに対するご感想などを聞けたらと思う所存です。
何卒、遠慮なさらずお楽しみ下さい。午前12時から指名された方との個人面談をする機会がありますので、様々な方と是非とも楽しい時間を過ごせますよう従業員一同サポートします。それでは、お楽しみ下さい!」
歓声があがり、主催者と思わしき恰幅の良い男性が右手の赤いワイングラスを掲げる。
そして、その場にいる全員が「乾杯!」と祝福した。
その後すぐに周りにいた赤毛の女性に囲まれる。
どれも20から30代後半で肌荒れや下品さがうっすらと分かる女性たちだった。
その遠くに身なりがきっちりとしていたり、やけに老けている赤毛の男性たちからの視線が非常に痛かった。
「あの...お名前はなんですか?」
「......|和戸凉《佐藤亮》です」
「佐藤亮さん!素敵なお名前ですね、私は_」
しばらく女性たちと言葉を交わす時間が続いた。それがとても長い時間に感じた。
会話をする度に従業員として働く日村を横目で見て、ワインを配ったり女性のお召し物を拭いている日村が今の自分でも状況と重ねて羨ましく思った。
「12時になりました!皆様の投票を集計します!」
また、恰幅の良い主催の男性が喋る。しばらく経って、集計し終わったのか全員が個室に移動された。
しばらく待ったが、誰も来なかった。奇妙に思い、個室から出ようとした時、日村とばったり出会った。
「日村さん?!」
「無事だったか、同室になるはずの女性は?」
「え?いるんですか?」
「は...?いるに決まってるだろう」
「いえ、いくら待っても誰も来なくて...」
「...来ない?」
「ええ、来ないんです」
そう言うと、日村は少し考えて俺の手を引っ張っていく。
「ちょ...なんですか?」
「君には危機感がないのか?明らかな異常だろう?」
「で、でも...ここが怪しいって決まったわけじゃ...」
「それでも懸念はしておくべきだろ。君はもっと...」
日村の言葉が途切れ、手を掴む力が弱まる。
ふと前を見れば恰幅の良い男性が気味の悪い笑顔でこちらを見ていた。
「...何をしていらっしゃるんですか?|日村《内藤》さん」
内藤。日村の偽名だろうか。
「...どうも。お客様が少し風に当たりたいと申されたので案内をと思いましてね」
「へぇ、それはサービス熱心ですね。...内藤さん、少し度が_」
「ところで、どうして赤毛ばかりの参加者なのか、そろそろご質問に答えてもらってもよろしいですかね?」
「...唐突ですね。以前お伝えした通り、分かりやすい参加者を_」
その言葉に口を挟まずにはいられなかった。
「なら、缶バッジをつけるとか、リボンを巻くとかでも良いはずですよね!?」
俺の言葉に男性が黙る。そして、こちらに踵を返して逃げ去った。
「...っ、追うぞ!」
先に走り出した日村を追って、逃げた先の扉には青臭く甘い匂いのする植物が大量の照明に照らされ、近くに赤毛の人間の資料のようなものが見えた。
「...大麻だ」
首筋に汗を垂らした日村がそう呟いた。
〖立てば芍薬、座れば牡丹、 歩く姿は百合の花〗
「大麻...ですか?この、匂いも?それが...?」
汗を拭う日村を見ながら問いかけた。
「...大麻は青臭く、甘い匂いがするんだ。だから、もしかしたらと思っていたが、まさか本当にあるとは...」
そう言いながら近くの資料を手で取り、目に映す。どれも赤毛の人物が載った写真で年齢や性別もバラバラで共通点はどれも燃えるような赤毛であることしかなかった。
ふと、日村が紙を捲る手を止めた。
「涼くん、これ...」
名前を呼ばれて日村が見ていた資料に俺も目を通した。
ある赤毛の女性。しかし、見たことがある。数時間前に話した女性達だった。よく見れば、会場にいた男性や女性の顔ばかりだった。
「...顔見知りの方々ばかりですね。でも、それが、ここと何の関係が?」
赤毛の人物の資料が散乱し、数々の照明に照らされた大麻ばかりの植物室。それに、恰幅の良い男性はどこへ行ったのだろう。
「...なぁ、暴力団関係者ってのは......大麻だけを売る仕事じゃないだろう?」
「?...正直、借金取りのイメージがありますね。大麻だけに焦点を当てれば、参加者に大麻の密売をしているようにも...」
「へぇ、君は大麻の販売の話でも誰かにされたのか?」
「いや...されてないですよ。でも、あり得る話では?」
「...公に出る人を不特定に集めて大麻の販売なんてリスクが大きすぎる。大麻は別の話だろうけど、この資料と暴力団の因果が気になるところだな...」
こっちの話を否定して勝手に考えこむ姿を横目に部屋全体を見回した。
特にこれといって特徴はない。強いていうなら臭いがひどいくらいだった。
恰幅の良い男性の姿はなく、細身の小綺麗な男性...日村だけが部屋の中に自分といる。
改めて部屋を見回して気づいた。部屋の奥のすり硝子の扉から風が入っている。
すり硝子の扉を開き、コンクリートの床の屋外を見回す。男性の姿はもちろん、なかった。
とりあえず日村を放って辺りを探索しようと入った扉に手をかけた。
それから引こうとした瞬間、急に開かれ以前会った女性が相見えていた。
「うわっ...鴻ノ池さん...!」
眉一つ動かさず堂々としている彼女に少し怖じけつく。奥に恰幅の良い男性を取り押さえる桐山亮の姿が見えた。
「どうも、和戸さん。大麻臭いですね...やりました?」
「えっ、いや...俺じゃないですよ!」
「なら日村さんが?」
「違います!」
彼女は少し微笑んで更に口を開いた。
「分かってますよ、その部屋ですよね。少し日村さんとお話があるので、そこで遊んでる桐山の相手をして貰えますか?」
この人、案外怖いかもしれない。
縦に頷いて部屋から出るとき、すり硝子の扉付近に何かが光ったような気がした。
---
「あ、和戸さん!髪、染めたんですか?」
カツラだよと言いたくなるものの、ぐっと抑えて桐山が組み敷いた男性を見た。先程の恰幅の良い男性ではあるが、手には手錠がかかり少し大人しくなっている。
その姿に呆気なさを感じながら桐山に問いかけた。
「その人、捕まえたんですね。どうやって捕まえたんです?」
「ああ...外の階段から出ていくのが見えたんです。先輩が怪しいから捕まえとけって言ったので...」
「そう、なんですね」
「はい!和戸さんは大丈夫でした?」
「何がですか?」
「日村さん、結構無茶する人なので何かしら危なくなかったかなと」
「...特にはないですね。強いて言うなら...」
「強いて言うなら?」
大麻を見つけたなど、言っていいのだろうか?
「......いえ、何も」
「そうですか?...ところで和戸さんって、なんで宮本さんと別れたんですか?」
「一身上の都合ですよ。それを言ったら桐山さんもそうじゃないんですか?」
「いや...僕はちょっと仕事とか学業の問題で...その...夜をあまり......」
爽やかな笑顔だった顔がひきつっていくにつれ、声が小さくなっていく。
「......ああ、分かりました。すみません、変なことを訊きましたね」
「いえ...僕も無神経で、すいません」
宮本亜里沙は...元カノは、この俺と正反対な奴のどこが好きだったのだろう。
今も男を作っているのだろうか。よく、分からない。分かりたいと思えない。
桐山と少しの話をした後、パトカーの音が聞こえて辺りが騒がしくなった。
部屋から和やかな笑顔をした鴻ノ池と対象に少し強張った顔の日村が出てきていた。
そこでその日は他の参加者が別室で束になり、拘束されていたと話を挟んだが関係のないことだろう。
ただ厄介だったのは帰り際に日村が見つけたというUSBを見せてきたことだった。
それは紛れもなくすり硝子の扉付近で光ったものだと分かってはいたが、口には出さなかった。
桐山と話をする鴻ノ池がじっとこちらを見ているようで、怖くて堪らなかった。
流石にこっちもやらないとな、やらないとなで出来たものが適当過ぎる...。
要約すれば、恰幅の良い男性が入った部屋でUSBを見つけて持ち帰りましたってだけですし...。
〖赤い華は言葉に身を隠す〗
「...それで、そのUSBには何が入ってるんですか?」
堂々と備えつけのパソコンを弄る日村にネカフェの利用料金を確認しながら言葉をかけた。
「なんだろうな?」
「...分からないんですか」
「いや、ちょっと解析中でね...少し、待っててくれるかな」
「USBに解析も何もあるんですか?」
「......ウイルスとかあったら、怖いだろ...?」
その言葉に確かに一理あると考え、借りている部屋である221B室から足を出す。
本の並ぶ廊下を歩き、カウンターの横に料金を置いた。
勤務表を確認し高校生のバイトが来る時間を確認しつつ、カウンターで作業をする。
以前に奇妙なイベントに参加させられたことについては非現実的だと感じつつあったが、ようやく日常が戻ってきたと感じる。
ずっと、そのままでいい。そう思っていたが、それを掻き消すように知らない声が耳に入った。
「...せん、ません...すみません」
「申し訳ありません、お待たせいたしました。どうかされましたか?」
顔をあげて、声の主を見た。紺に近い青髪の眉目秀麗な顔立ちで、ガタイが良い。手の大きさやゴツさを見るに男性だと分かる。
「ああ、いや...特に急ぎではないんですが、この作者の本ってどこにありますか?」
「本ですか。少し、お伺いしてもよろしいですか?」
「...どうぞ」
やけに古い本を手渡され、微かに読める『鹿狩』や『本宗教学全書』、『る調査と研究』を見て、カウンターの端末で一先ず、『鹿狩』と検索する。...何もヒットしなかった。
「...すみません、その鹿狩って方のお名前は分かりますか?」
「作者の名前ですか?」
「ええ...もし覚えていらしたら、ですが」
「それは...ごめんなさい、覚えてないんです」
「そう、ですか...でしたら、もう少しだけお待ち下さい。店長に伺ってみ_」
「ああ...もう大丈夫です」
不意に流れた言葉が止まった。もう探し物は良いのだろうか。手元の本を男に渡し、顔を見る。
「もう、大丈夫です。有り難うございました」
「...は、はぁ...」
去り際に見た顔がまるで笑顔が貼りついたようなものだと感じる。本当に_
「和戸くん」
今度は聞き覚えのある声だった。安心するように振り向いて、パソコンを持った日村を見た。
肩は上下し、頬は紅潮している。どうやら、終わったようである。
「終わりましたか」
「ああ、目を通すといい」
パソコンのデスクトップには赤毛の女性の証明書カードとパソコンのキーボードの写真上に奇妙な文字。
---
t3ms8e
---
「...あれですかね、キーボードと対応しているやつ」
「おそらく。それだと人名になるな...《《さかもとゆい》》、だったか」
「ですね...他にデータは?」
「一応、まだ」
そう言って日村がまたパソコンを弄り、画面をこちらへ向けた。
これは先程とは変わり、文字列だけだった。
---
みてゆみびょえうあ
しきやなよう
ぬあすあ
きあぞえうすょけ、へき
---
「...なんですか?これ」
「さぁ、私にも今は分からない。しかし、何らかの暗号なんだろう」
「......とりあえず、長期戦になるでしょうから飲み物でも持ってきましょうか?」
「ああ、頼むよ」
軽く返事をした日村に近くの椅子を勧め、飲み物を取りに行こうとした。
頭の中は先程の文字列で埋もれていてあの奇妙な男のことは忘れかけていた。
そう、忘れていた方が良い話だった。
〖絡み絡まる糸を這わせるように〗
ややクリーム色の髪を弄りながら、パソコンと睨めっこをする男性を見続けていた。
コップに入った紅茶は飲まれることがないまま、退屈そうな俺の顔を映していた。
---
みてゆみびょえうあ
しきやなよう
ぬあすあ
きあぞえうすょけ、へき
---
パソコンのデスクトップにはその四文だけが映し出されている。
五十音順かと思い、少し考えてみるが特に思いつかない。
とっくに冷めてしまったコーヒーを喉に流し込んで携帯を弄った。
急上昇に載っている赤い髪の男性を一度見て、猫の動画に目をやった。
「みて...ゆみ......まつ、やま......」
前で絞り出すような小さな声で呟く日村の声に猫がぐるぐると回る動画を目にしながら声に意識を集中させた。
「びょうい、ん......さかもと...和戸くん」
ほら、探偵様はすぐに解いた__すぐに顔を向けて言葉を返す。
「解けたんですか?」
「ああ、わりとよく使われる手法だな。
簡単に言えば、これは`シーザー暗号`だ。“み”が“ま”。“て”が“つ”...このように文字をアルファベット順に応じて文字をシフトするんだが、今回の場合、五十音の一個だけみたいだな」
「シーザー暗号ですか?それで、本文はどのように?」
返した言葉に応えるようにパソコンのデスクトップをこちらへ向けた。
そこに、解読した文字が映っていた。
---
まつやまびょういん
さかもとゆい
にんしん
かんぞういしょく、ふか
---
その文字を頭の中で漢字に変換する。
松山病院、坂本結衣、妊娠、肝臓移植、不可。
関連性のあるワードにも関わらず動かない頭を抑えて、はたと横の探偵に視線を動かす。
こちらを見ているのに気づいたのか口を開くのは早かった。
「分からないか?」
「分かるというのが、むしろ難しいような気がします」
「...確かに」
納得の意に呑まれて日村が検索エンジンに“松山病院”と打ち込む。
簡単にトップページに松山病院と名前のホームページが出てくる。それをクリックして目次を開き、オンライン診察などの下にある“ドナー志願”という名目に目がついた。
「...ああ、臓器ドナーのできるところなんですね」
「まぁ...正確には、公式的なところから申し込んで、近くの病院で臓器提供のできる...その近くの病院ってだけだが...この病院、どこでその臓器を保管していると思う?」
「病院じゃないんですか?」
「...君は...以前、話した銀行の話を覚えてないのか...?
なぁ、目や種子を保管、保存する銀行があるのは知ってるか?」
「え?あー......アイバンクですか?精子バンクとか...」
「そうだな。そういうので間違いない。余談だが、種子バンクはシードバンクと言ってね、遺伝的多様性とやらを維持するために様々な植物の種子を保存する施設のことだ。
それで、そんな多種多様な銀行の中にも臓器を保管する銀行がある。もう、分かるだろう?」
そう言われて数日前の会話の中でそんな話題をしたことがあるのを思い出す。
関連性があるのは、爆破されたという貸金庫の銀行だろうか。
「...前に、暴力団主催?...のパーティで話した貸金庫ですか?」
「ああ、それだ。その貸金庫が臓器提供されたものを保管するものだったらしい」
「そんなところを爆破したところで、臓器売買でもするんですかね?」
俺がそう言った直後に目を丸くした日村が唐突に笑い出した。
とても軽快な明るい声だった。
「...まさか!そんな遠回りな商品の卸しをするくらいなら、適当な人を拐ってかっ捌いた方が賢明だろ」
なんとなく感じる納得に少し寒気がした。
「そう...かも、しれません。じゃあ、その貸金庫を爆破した人は何の為に、臓器を回収したんですか?」
「臓器?...ああ、言ってなかったな、盗まれたのは臓器じゃない。臓器提供ドナーの個人情報だよ。
無数にいる提供者の個人情報が入った松山病院のUSBを盗まれたそうだ」
「個人情報のUSB...?...それって_」
「今、パソコンに入ってる《《これ》》だよ」
---
がやがやと賑わう商店街の中で聞き慣れた足音を耳がしっかりと聞き分けた。
「_暴力団への突入の件は、お疲れ様でした」
隣へ座る気配は感じとって、瞼を開く。
同じく非番の同僚...いや、好敵手である|田中《たなか》|虹冨《にじとみ》。紺に近い青髪の男性だった。
「どうも。桐山も業務が板についたようで、とても役に立っていますよ」
「それは、何よりです。鴻ノ池さん、例の...《《ホームズ》》の様子はどうですか?」
「いつもお元気ですよ...助手の方も」
「...そうですか。して、あの奇妙な赤毛団体は?」
「ああ...単なる、人身売買と麻薬販売の集団でした。付近の資料に載っていた赤毛の方を商品として売りに出していたようですね。暴力団のビジネスなら、だいぶ古典的ですね」
「へぇ、赤毛だけですか。不思議ですねぇ」
そうニヒルに笑って誤魔化すようにリップの塗られた唇からすぐに世間話が飛び出す。
嘘を吐くな、本当は全て分かっているくせに何故知らないふりをする?
この男は狐のように狡猾でおこがましい。以前に担当した事件では自分で掴んだ証拠ですら、上へ横流し...いや、縦流しとでも言うのか。己の手柄にせずに上をあげるような感覚で媚びを得る。
それを元々の端正な顔や、いかにも良さそうな家柄で、性格も折り入ってか表面的には人に気に入られている。つまり、悪い側面もカバーする程、計算高い男だ。
なんとなく、女々しいと感じざるを得ない。
「ところで...桐山さんはどちらに?」
「別の方とタッグを組んでいます。貴方のもう一人の方です」
「ああ、|榊《さかき》さんですか」
|榊《さかき》|直樹《なおき》...この男のパートナーとして動く同僚の一人。
彼はこの男と違い、非常に素直で活発な印象のある男性だった。
その榊と田中を見比べて、田中がやはり異常だと考える。
ふと、見た田中の黒い瞳が更に深く黒い闇を帯びたような気がした。
〖廻る歯車〗
大勢の人が賑わう店内に肉の焼ける音が煙とともに壇上に立った。
向かいの席に座った男性、桐山亮が感嘆の音を挙げた。
「えっと…つまりは、そちらが持って帰ったUSBが盗品だった、ということですか?」
その言葉に少しだけ間を置いて、例の探偵の日村修が言葉を返した。
「ああ。中は松山病院で肝臓移植のドナーとして摘出される予定だった坂本結衣の個人情報だった…おそらく、途中で妊娠が発覚したんだろう」
「…中身は後で再度、確認させてもらいます…仮にそうだとして、どうしてそんな情報の入ったUSBを暴力団の婚活パーティで?」
「それを調べるのが、君の仕事だろ」
それで会話が終わり、また肉の焼ける音が耳に木霊する。
俺は頭の中で、一つの疑問が浮かび白米に焼けた肉を載せている鴻ノ池詩音に向かって口を開いた。
「そういえば、結局のところ赤毛だけの婚活パーティってなんだったんですか?」
「人身売買と麻薬販売の隠れ蓑だったようです。大麻を栽培していた部屋にあった資料に載っていた赤毛の方を商品として売りに出していたようですね」
「赤毛だけを?」
「ええ…和戸さん、気になりますか?」
「そりゃあ……ウィッグを固定するワックスも中々落ちなかったし、どうせなら知りたいですよ」
不満気にそう文句を付け加えて、横目に日村を見るとしらを切るようにそっぽを向いた。
ウィッグのワックスを塗り過ぎたことについて言及する気はないらしい。
鴻ノ池は焼けた肉と白米を箸で攫って口へ入れてから、少し経って口を開いた。
「こう、易易と個人的な情報を話すのはいけないのですが……実は一つだけ気になるストーカー被害の件がありまして」
「ストーカー被害、ですか?」
「ええ。被害者の名前は坂本結衣。32歳の女性で、生まれつきの赤毛。そして、ボランティア等に積極的に取り組む人なのですが、現在はドナー登録をしている方です」
「……名前、同じですね。同一人物ですか?」
「おそらくは。関係者……変わった伝を経由したところ、数年前に肝臓のドナーとして動く予定でしたが、途中で妊娠が発覚し、急遽取り留めるも…後に流産されたそうです」
その鴻ノ池の言葉に日村が口を挟んだ。
「それなら、確定と言っても良さそうだが……流産か。ストーカーの影響か?」
それに、鴻ノ池も反応をする。
「どうでしょうね。確かに高いストレスにより流産等の危険性は高まりますが…妊娠が発覚したのが数カ月なのか、一年なのか…月日によって変わるかと思いますが、取り止めたのなら本人が病院側に伝えなかった、気づかなかった説が濃厚かと」
「病院側としても、ドナー提供の要請者としても…迷惑でしかないな」
「…女性はデリケートなんですよ、それは貴方もでしょう?」
「私がデリケートだって?何が言いたいんだ?」
「そうですね…常に後ろめたいことがあるというか、隠しているというか…そんな気がします」
「気がする、だけだろう。確証がないなら関係ない」
「……そうですか。それは失礼しました」
箸を再度持ち、白米を口に運ぶ鴻ノ池と対比して、日村が肉を焼き続ける。
食欲を唆られる匂いが鼻を擽った。
---
全員で代金を割り勘して、店を出る。少し肌寒くなった風が夏の残暑に代わって心地よく思える。
「ああ、それで……暴力団関係者の調べはついたのか?」
そう、日村が最初に話を振った。桐山が手帳を慌ただしく取り出している内に、鴻ノ池がすぐに答えた。
「赤毛に関する暴力団は|稲楽《いねら》組でしたね。現在のトップは|稲楽《いねら》|香《こう》。28歳の男性で妹に|稲楽《いねら》|桜《さくら》がいます。
警察としても暴力団はあまり関わりたくないので…上からの命令次第で近々、突入予定だそうです」
「へぇ、暴力団にまで市民の法律が適用する辺り大変だな。武器をもった市民にわざわざ鞭を振らなきゃいけないわけだ」
「ええ……自滅してくれたら嬉しいんですがね…」
ぼやくような文句を聞き流して、桐山が手帳の紙を破って日村へ手渡した。
一瞬だけだったが、住所のようなものが見えた気がした。
「日村さん、これ松山病院の住所です。訪問したんですが、稲楽桜という患者がいることを確認しました」
「…医者が個人情報を話したのか?」
「いえ、看護師の噂です。女性は噂話が好きですから」
桐山がそう言った途端、鴻ノ池の肘が桐山の身体に入った。桐山は笑顔は崩さないものの、少しだけ呻くような声を発した。
「あー…それで?稲楽桜はどんな様子だったんだ?」
「胆汁うっ滞性疾患?…だったかな、そんな名前の…子供に多い胆道閉鎖症みたいですね。稲楽桜はかなり酷い状態のようで、集中治療室へ入っていました。
医者からの話は聞けませんでしたが、医療関係者の数名からお話は聞けましたよ」
「なるほど。わりと口が軽かったんだな」
「……まぁ……そうですね…」
「とりあえず、USBは渡すからそっちで預かってくれ。一応、証拠品だろ。指紋はついてないから」
「ああ…どうも…先輩、これで大丈夫ですか?」
不安そうに桐山がUSBをジッパーに入れ、首を縦に振った鴻ノ池に胸を撫で下ろした。
「…まぁ、こちらが出来ることはここまでだな」
二人の刑事を横目に日村が仕事が終わったとでも言わんばかりに笑った。
俺は不燃焼さを感じて行動を促すような言葉を彼に投げた。
別に正義感とか、そんなものではないが、これで終わるにはあまりにも中途半端過ぎると感じただけだった。
「これで終わりなんですか?金庫のUSBを盗んだ犯人はまだじゃないですか」
その言葉にやはり、日村は喰いついた。
「何日前の話だよ。いくら巻き込まれたからって、そこまで足を伸ばす必要はないだろ。
それに胆道閉鎖症は肝臓移植が必要な病気だ。大体の動機も犯人も分かるだろ」
「じゃあ、誰だって言うんですか」
「稲楽香だ。大方、臓器提供のドナーが見つからずに元々のドナーだった坂本結衣を探したいんだろうさ」
「でも、確証はないですよ」
「だからと言って、一般市民が暴力団関係者に直談判しに行く義理もないし、そもそも私はそういった人間とは無縁だ」
「けど……」
「和戸くん、私は過ぎた行動を起こす気はない。あのパーティは鴻ノ池や桐山が後から来ると分かっていたから入っただけで、基本的に危険が伴うような行動はあまりしたくない。分かってくれ」
「……普段、わりと危険な行動しているのに…?」
「それとこれとは別だろ!なんだ?暴力団に手を出して死にたいのか?冗談じゃない、私はまだやることがあるんだ、死にたがりもそこまでに_」
勢いのついた口喧嘩に鴻ノ池が仲裁に入るようにして、日村の開いた口を手で塞いだ。
そして、
「…後ろに警察さえいれば、良いんですよね?」
何か思いついたように嗤った。
---
車の中で相方である先輩を待ちながらミラーに映る自分の|榊《さかき》と名前の札を見た。
ミラーの奥には紺に近い青髪の男性、先輩である田中虹富とその知人だと言う赤髪の|酒木《さかき》|楓《かえで》。
楽しそうに談笑しては、共通の友人らしい“畠中”について触れている。しかしながら、この友人は依然として亡くなったと田中から聞いている。
これは一体どういうことなのかと田中の発言は稀にこういったことのように思考が止まる発言が多々ある。
だが、以前の長髪を切ったのか短くなって見えやすくなった儚げな瞳が刺さる程、ひどく自分の頬が赤く紅潮し、耳まで到達するようなゾワゾワと這う悦楽が込み上がってくる。
「なにニヤニヤしてるんですか」
不意に言葉をかけられ、身体が跳ねる。
「っえ……あぁ、先輩…話、終わったんですか?」
「ええ、まぁ…」
「…あの…こんなこと、聞くべきじゃないと思うんですけど…酒木さんとの関係って、友人ですか?」
「いや?友人の知人ですよ」
「……そ、そうですか…」
「…たまに気になるんですけど、僕の人付き合いの関連性ってそんなに気になるものなんです?」
「ああ、その……気になったら、調べ尽くさないと気が済まなくて…すみません」
僕の言葉に田中が「なんだそれ」と笑って車のエンジンをかけた。
景気の良いエンジン音と、田中の横顔がどうにも魅力的に思える思考が無線から話が通るまで、頭から離れなかった。
〖桜散りて、袖を濡らす〗
「流石に、無理があるだろ…」
ひらひらとした黒色のスカートを摘みながら、日村修が呟いた。
「大丈夫ですよ、お顔は外国人寄りなんですから…そういう女性もいるでしょう?」
「……だとしたって、私は170cm以上の身長はあるし、体格だって…」
「そういう女性、もいるでしょう?」
鴻ノ池詩音が青いカーディガンに袖を通しながら、日村修の逃げ道を半ば強引に塞いでいった。
現在の日村はいつもの暗い印象の服に女性らしさを足したような格好で、青いリボンの通った長袖で襟が高く白いブラウスに膝までの黒いスカート、白いロングソックス、薄茶色のブーツといった何ともシックな印象の女装だった。
「確かにいるだろうが、私がやる必要性はどこにあるんだ?!」
そう少し高さがあり、やや低めの声が目の前の女性のような男性から聞こえる。
鴻ノ池が困ったような顔で口を開いた。
「だって、桐山も和戸さんも…身長が高いじゃないですか。
私と桐山は突入役で行けませんし、和戸さんにはホスト役で……消去法で、日村さんが良いと思って。
外国人と日本人の血を引いたハーフで背の高めの女性はよくいますよ」
「…全く納得できないが……声はどうしろと?」
「なんとかして下さい」
「なんとかってなんだ!」
「男性でも、裏声が出るでしょう?」
「正気か?!そんな雑なやり方で行くのか?!」
「いざとなったら突入できるので。少しだけ威勢の良い一般人に、警察が負けると思いますか?」
「状況に寄るだろ」
それは確かに、一理ある。しかし、鴻ノ池の表情は変わることがなかった。
むしろ、日村の顔がより一層曇るだけだった。
---
夥しい数の色彩豊かに光り輝くネオン看板。その下はいやに毳毳しい店ばかりが広がっている。
「……今すぐにでも帰りたいんだが」
「僕もですよ、わざわざ繁華街だなんて…一番来たくなかったです」
歌舞伎町の中にちらほら見える半ば15歳程の子供達がこちらを見てはひそひそと噂しつつも、ある者は中年の男性と腕を組んだり、ある者は路上で缶を手にしている。
「それで…どこのお店でしたっけ?」
「“祇園 花水木”…だな。単なるアダルトな店だ、名前を覚える必要なんかない」
「それもそうですね」
「鴻ノ池によれば、こうだ…君が売れないホスト、私が…あ〜…なんだ?ボトルだったか?それの金を払えないから…身体で返せってところか」
「そうですね、ちなみに経済に支障は?」
「ないよ…一応、探偵以外にも株主だ。やろうと思えば虚偽の請求書だって払えるさ。その前に訴えさせてもらうが」
「しっかりしているようで」
繁華街を抜け、人気の少ない路地の先に“祇園 花水木”と書かれたちっぽけな扉を叩く。
日村が意を決したような表情で前へ行き、柔いアルコールの匂いと、青臭い独特などこかで嗅いだことのある匂いがする。
扉が開かれた時、黒髪に恐ろしい相貌をした男が目に入った。
「…誰だ?」
獲物を狩るような瞳に俺は逃げ出したくなったが、日村が動かずに口を開いた。
それなりに裏返った高い声だったが、同時に俺は吹き出しそうになり、必至に堪えていた。
「面接を受けに来た」
「……お前が?」
「悪いか?」
「後ろの安っぽい男は?」
「ホストだよ」
「…払えなくなったってことか?」
「……まぁ…そんなところだな」
「そうか」
思ったよりも簡単に引き下がった男に連れられ、部屋の中の椅子に腰を下ろす。男が部屋から少し出たタイミングで、俺は日村に耳打ちをした。
「…あんな言い方でいいものなんですか?もうちょっと、女性らしい方が…」
「普段、女装なんかしない男にそれを求めるのは酷だろ」
「それは、そうですが…」
確かに、そういう癖があるようには感じられない。
やがて男が戻り、煙草を蒸しながら俺を見て笑い、「名前は?」と質問をする。
「…俺は|皇《すめらぎ》|春《はる》です」
「源氏名か?」
「はい」
その答えに男は「そうか」とだけ言って、日村を見る。つまらなさそうな瞳の上の眉がやや歪み、日村の顎を掴んだ。男の指先が、日村の細い顎から首筋へと滑った。
「……へぇ、綺麗な顔してるな。だが、えらく緊張してるみたいだな?」
日村が反射的に生唾を飲み込んんだその瞬間、高い襟元で隠していたはずの《《喉仏》》が上下に大きく動くのをしかと見た時、男の目がすぐに細められた。
「……おい、女にしちゃあ…随分と立派な仏様を飼ってるじゃねえか」
掴まれた顎に力がこもり、日村の顔から血の気が引いていくのが分かる。
そのまま男の指先が、日村の顎を力任せに上向かせて至近距離で睨みつけられ、日村の喉仏が緊張で跳ねる。男の目が、獲物を追い詰めた猛獣のように恐ろしかった。
「……裏声が上手いな、お前」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りつき、俺は予め持っていた通信機から信号を出す。
日村が「何のことだ」と低めの地声で言い捨て、顎を掴む手をどけた瞬間、男が背後の腰元に手を伸ばす。
「警察の回しモンか、それとも……」
男が更に言葉を続けようとしたその時、背後の薄っぺらな扉が凄まじい衝撃音と共に内側へ弾け飛んだ。
「動くな! 警察だ!!」
怒号と共に飛び込んできたのは大柄な男、桐山だった。
彼はドアを蹴破った勢いのまま、最短距離で日村を掴んでいた男に突っ込もうとした。
「遅いぞ、お前!」
俺はそう叫びながら、男の腰を蹴って日村を引き剥がした。
男がひるんだ隙を逃さず、桐山は重戦車のようなタックルで男を壁際まで押し込み、その巨体で完全に押さえつけた瞬間、後ろからヒールのような音がした。
足取りの軽い女性のような音で、ぞくぞくとしたものが背筋から流れ出す。そうして、振り向いた時、そこにあったのは扉の前で写真を撮っている鴻ノ池だった。
「な…なに、してるんですか?」
「いえ、面白い絵面だと思いまして……」
そう微笑んだ鴻ノ池に腕の中の日村が「後で覚えておけよ」とぼそりと呟いた。
押さえつけられた男は桐山の下でもがき、ポケットの中から携帯を取り出そうとした瞬間にそれが鴻ノ池の手に移る。
携帯を取り上げられた男がいやに憎々しげな瞳で、返せとだけを叫び続けた。その中で鴻ノ池が男に視線を落として一言、言葉を投げかける。
「稲楽桜さんの状態が急変しました」
その言葉を言われた瞬間、男は一層もがき、桐山があまりの力の強さに顔を顰める。鴻ノ池の言葉は更に続く。
「USBは、ここにはありません」
鴻ノ池が続けた言葉に男は笑って、「そんなものは、どうでもいい!妹は?!妹は、どうなんだ?!」と叫ぶ。鴻ノ池が首を横に振った直後、男の表情はひどく影を帯びた。
そうして大人しくなった男に桐山は「署までご同行を願います、稲楽香さん」と言い放った。
---
連れられていく男、稲楽香を誘導する鴻ノ池と桐山を見ながら俺は今も同じ姿の日村に声をかけた。
「……結局、単に守りたかっただけなんですかね」
「そうでしかないだろ……まぁ…遅かったみたいだな」
「なんというか、胸糞というか…」
「若干の無理矢理を感じるがね」
「…そうですか。ところで、日村さん」
俺は「なんだ?」と口にした日村に笑って、携帯を|彼女《彼》に向けた。
「いつまで、その姿なんですか?」
その端正な顔がひどく歪むような、絶望したようなものが彼に広がっていった。
携帯はシャッター音が鳴って夜の街の一部を切り取っていった。
〖紫陽花の種二つ〗
花は卑怯だ。
色味や姿こそは美しいものの、隠された言葉は憎悪や愛が露呈して、人のようだからだ。その清廉潔白な仮面を被った生々しさが、ひどく嫌いだった。とはいえ、嫌いとも言い難く、好きとも言い難いその考えに幾度と業を煮やしたことだろうか。
背表紙に映る『花』の文字を指でなぞりつつ、隣で床を払う涼を見ていた。黒縁の眼鏡の奥に邪魔そうに思っている助手のような瞳が刺さる。
「日村さんって、家とかないんですか。ネットカフェに住んでるわけじゃないでしょう」
「住んでるわけないだろ……普通に、建てた家に住んでるよ。掃除と物置、寝るところとしか機能してないが」
「じゃあ、なんでネットカフェになんか……」
ため息が聞こえそうな素振りを見せつつも床に箒は地をついて、再度、床を払い始める。その間にもややクリーム色の髪を指で弄ぶ視界の中で、愉しげな笑みを見せる一人の女性が目に入る。服の右胸に『店長』とネームプレートを掲げた花よりも厄介な女性。正しければ、名前は『|藤村《ふじむら》|雛《ひな》』だったに違いない。嫌な予感がする。肌に鳥肌が浮き出始めている。
「あ、店長ですよ。日村さん」
「……君、あの時撮った写真は消したのか?」
「消してませんよ、送りました」
「誰に?」
「店長……藤村さんに」
遠くの的に矢が的中する映像が、脳に思い起こされる。涼が「貴方に休日を丸潰しにされたので」と遅れて呟く。嗚呼、なるほど。嫌なものというのは当たるものだ。
「日村さん!修さん!これ……これ、本当に日村さんなの!?」
雛の声かま、静かなネットカフェに場違いなほど響き渡る。携帯の画面を凝視したまま、彼女の顔がみるみるうちに紅潮していくその表情は、驚愕、歓喜、そして底知れない興奮が入り混じった、複雑怪奇なものだった。
「……君はいつも楽しそうだな」
スマホを握りしめたまま、駆け寄ってくる彼女の瞳は、まるで獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝き、思わず眉をひそめたくなった。
「だって!見て!見て下さいよ、これ!」
携帯に映っていたのは、まぎれもなく私ではあるが、格好はなんというか、奇妙な……。
「ああ、送った写真ちゃんと届いたんですね」
そう涼が嗤うように、唆すように呟く。花。華ではない。花だ。厭な思い出の花。
「いやぁ、顔がいいと何でも似合いますね。ね、日村さん」
「……女装だがな……」
苦虫を噛み潰したような味が毒のようにのた打ち回る。確かに、色々と時間を貰ったのは悪かったかもしれないが……こんなことまでするだろうか。藤村雛はネットカフェの店長で、色々と世話にはなったが、その世話になった条件が「顔が良かった」のそれだけだ。つまりは、とんでもない面喰いで、とても騒々しい。普段は涼に別の事業で店を任せっきりではあるが、たまに帰ってきては悪魔の宴会の如く、大層楽しそうにしている。
雛が携帯と踊るように騒ぐ。それを無視して涼に語りかけ、コピー用紙の一枚を取り出して、机へ『武器』をぶん投げる。
「まぁ、彼女は無視して……休日を潰したのは私も悪いと思うんだ。涼くん」
「…………」
箒の動きが止まり、涼がしかめた顔でこちらを見る。いつもの淡々とした言葉を言わせる気はない。
「ある植物学者の一人が亡くなり、遺品整理中に『たった二粒の紫陽花の種』を見つけたと、その息子である依頼人が「これについて調べてくれ」と依頼してきた。種が入った瓶のラベルには、『1998年・雨の日の忘れ物』。これのおかしい点が、君には分かるだろう?」
「おかしい点、と言われましても……紫陽花って、種から育てると結構、手間じゃないですか?そこが、俺……ぼ、僕には変だなと……」
「ああ、その通りだ。紫陽花は通常、挿し木で増やすもので、種となると手間がかかる。親と同じ花が咲くとも限らないからな」
「……それで、何だって言うんです?」
「あえて種を遺した理由を、調べようと思うんだ」
「嫌です」
「それは無しだ。君も勝手に『あれ』を撮ったんだ。これでお相子だろう」
「…………」
「それに、ここにいるとしばらく店長君が五月蝿いぞ」
「行きます」
その決定打に、食虫花が大きく口を開けて噛みつくような気分になる。同時に自然と口角が上を向き、今だけは花が卑怯でも良いような気がした。
途端に、鳴った携帯には『鴻ノ池』ともう一人の悪魔が居座っていた。
---
「数年前に、そんな事件があったんですか?」
僕の言葉に彼が「そうだよ」と短く返していた。続けて、事件が唇から転がされる。
「僕はそこに行ったけれど、途中で帰って良かったと今でも思うよ。何せあの村、狭くて狭くて……色んな意味で、田舎って感じだから」
「へぇ〜……でも、そういう田舎ってよくないですか?」
信号機が赤に染まり、車内に沈黙が満ちる。何か、不味いことでも言ったのではないかと動悸が激しくなる。この動悸が前に感じたようなものなのか、恐怖によるものなのかよく分からない。まるで狭い檻の中で暴れる鳥のように胸壁を叩いているのだ。
「……直樹君は、人がたくさん死んだ田舎なんかに行きたい?」
「いやっ、そういうことではなくて!」
「……あはは、分かってる、分かってるよ。こんな都会じゃ田舎に憧れるよね」
彼がふっと表情を緩めると、車内の気圧がわずかに下がったような気がして、密かに安堵の息を漏らす。それでも、次に紡がれた言葉は、仕事の確認を装った、どこか甘い試しを含んだ毒のようで脳が奇妙にも浸りを覚える。
「ねぇ、今から話を聞きに行く人って名前を覚えてる?」
ハンドルを握ったまま、視線だけをすっと直樹に流される眼差しは、部下の記憶力を試す上司のそれというよりは、自分たちが共有している秘密を確認するような、親密で、少しだけ独占欲の混じった温度を帯びているように見える。そんなはずがないというのは、しっかりと分かっているはずなのに。
「ええっと……八代十綾と、八代遥……あ、奥さんの方は旧姓が『日村』だそうです」
「ああ、八代ご夫婦ね。有り難う。君がちゃんと覚えていてくれると、なんだか僕まで鼻が高いよ」
夫婦、恋人、告白、自白……叶うわけがない。
「……当たり前のことですから」
照れ隠しに窓の外へ目を向けても、サイドミラー越しに彼の顔が見える。いつもと変わらない醒めた瞳がどこか熱を帯びてほしいと願いたくなる。
「当たり前、ねぇ……」
熱も、欲も、どこにもない普通の一言がどうにも鬱陶しく、別の言葉であればいいと愛欲に浸かった脳が叫ぶ。何も答えようともせずに信号機が青に変わり、ただ加速する車の振動を、自分の鼓動の一部のように感じざるを得なかった。
番外編:〖寂しんぼタルトタタン〗
※こちらは本編と無関係な番外編です。
某日の潜入から明けた翌日、|日村《ひむら》|修《おさむ》は|鴻ノ池《こうのいけ》|詩音《しおん》から喫茶店へ呼び出されていた。
喫茶店の窓からは柔らかな光が差し、珈琲を啜る鴻ノ池だけがソファの中で座っている。やがて、軽い足音が耳へ届き、鴻ノ池の目の前には昨晩とは違っていつもの格好をした日村が怪訝そうな顔をしていた。
「…話とは?」
開口一番にそう切り出した日村は男らしい低い声でそう言い切り、鴻ノ池の顔を睨んでいた。鴻ノ池は笑って、携帯から一枚の写真を日村へ突きつける。
それは昨晩、稲楽香と対面した『祇園 花水木』で撮られた日村の女装姿だった。
日村はため息をついて、「まだ持ってたのか」と言葉を吐いた。鴻ノ池は嬉しそうに頷き、言葉を白く細い喉から絞り出す。
「ええ……とっても面白い、いえ、綺麗でしたから」
「お世辞はいい。それで君のことだから…その写真で何かしようって思ってるんじゃないのか」
「……御明察です、探偵ではありますね」
「誰だって分かるだろ…話が嫌味だけなら、その写真を今すぐにでも消してもらおうか」
「まさか!嫌ですよ、そんな簡単に消すだなんて!」
「だろうな……で?君は何を企んでるんだ?」
「この写真を消す条件に、ちょっとした頼み事をしてもらおうと思いまして。どうします?」
そう聞いた鴻ノ池に日村はただ笑って、「拒否権なんてないじゃないか」とだけ呟いた。
---
小さな公園のベンチに青いリボンの通った長袖で襟が高く白いブラウスに膝までの黒いスカート、白いロングソックス、薄茶色のブーツといった何ともシックな印象の昨晩の女装姿で日村修は座っていた。
若干の苛立ちを隠せないまま、携帯のチャット画面に『今日の午前11時から、その格好で待っていて下さい』と鴻ノ池から告げられている画面。
周りは幼い子供が楽しげに遊び回り、親とも見られる男女が子供を見ていた。その中で複数の人だけがちらちらと見ている。
その中で一人だけ、ラフな格好をした白髪の若い男が近づいてきていた。
「えっと…日村、修さん……ですよね?僕、|桐山《きりやま》さんと同期の|榊《さかき》|直樹《なおき》です」
「ああ、日村修で間違いない」
「あ…そ、それは良かったです……なんていうか、その…声を聞くまで特徴が似てる女性かと思って…」
「全くもって嬉しくない。それで、君は何のためにここに?」
隠そうともしない憤怒が露わになり、うっすらと榊が怖じ気つく。しかし、やや頬を紅潮させて榊は笑い、「鴻ノ池さんが二人で花を買ってきてほしいと…」と要件を伝えた。
日村はそれを聞いて、すぐにベンチを立ち上がりポンと榊の肩を叩いた。
「君も災難だな、非番にこんなことを頼まれて」
「いえ、そうでもないですよ」
榊のその返答に日村は軽く笑って先を歩く。榊が歩幅に合わせようと歩みを進めた矢先で会話がゆっくりと続いていった。
「いつもは誰とやってるんだ?」
「田中虹富さん、とです」
「へぇ」
他愛もない会話を続けて道の先で小さく揺れる花の森が目に止まる。日村が良いものを見つけたとでも言うように足を更に進め、榊がその後を追った。
軒先の下で黄色いマリーゴールドが風に揺れ、香りが鼻を燻った。日村が横で頷いて店の奥へ引っ込んでいく。その横顔と揺れた長髪が花々の中でやけに美しく並んでみえた。
若々しい青に染まって伸びる茎の先にある黄色い蕾をそっと撫でる。花粉が少しついた指を払って前を向いた。
若い女性が日村に気づいて軽い会釈をする。
「奥の彼氏さんにですか?」
その女性の問いかけに日村はやや微笑んで、すぐに首を横に振った。女性は「失礼しました」と告げ、会計の手続きを進めていった。
黄色い小さな花束を抱えながら榊が「もう1時ですし、何か食べませんか?」と提案し、道の脇にある喫茶店の中へ入る。なんとなく甘い香りが漂う中、席についてメニューを開く。その中に輝くようなアップルパイが一際目についた。
ただ、どうにも食べるような気分になれず、榊はパスタを注文し、パラパラとメニューを捲っていた日村はサンドイッチを注文した。これといった会話もなく黙々と食べる内に榊は日村の方を見つつ、別の誰かが頭に思い浮かぶような気配がしてすぐにそれを脳から取り払う。
いやに白く細い指先とどこか醒めたような瞳が誰か、知っている人のようだった。
先に食べ終えた日村が視線に気づいて女性を模した姿で笑う。
先程に見たアップルパイが、タルトタタンがひどく寂しがっているような気がした。
**あとがき**
日村修なら何をやってもいいと思っている(作者談)