公開中
〖桜散りて、袖を濡らす〗
「流石に、無理があるだろ…」
ひらひらとした黒色のスカートを摘みながら、日村修が呟いた。
「大丈夫ですよ、お顔は外国人寄りなんですから…そういう女性もいるでしょう?」
「……だとしたって、私は170cm以上の身長はあるし、体格だって…」
「そういう女性、もいるでしょう?」
鴻ノ池詩音が青いカーディガンに袖を通しながら、日村修の逃げ道を半ば強引に塞いでいった。
現在の日村はいつもの暗い印象の服に女性らしさを足したような格好で、青いリボンの通った長袖で襟が高く白いブラウスに膝までの黒いスカート、白いロングソックス、薄茶色のブーツといった何ともシックな印象の女装だった。
「確かにいるだろうが、私がやる必要性はどこにあるんだ?!」
そう少し高さがあり、やや低めの声が目の前の女性のような男性から聞こえる。
鴻ノ池が困ったような顔で口を開いた。
「だって、桐山も和戸さんも…身長が高いじゃないですか。
私と桐山は突入役で行けませんし、和戸さんにはホスト役で……消去法で、日村さんが良いと思って。
外国人と日本人の血を引いたハーフで背の高めの女性はよくいますよ」
「…全く納得できないが……声はどうしろと?」
「なんとかして下さい」
「なんとかってなんだ!」
「男性でも、裏声が出るでしょう?」
「正気か?!そんな雑なやり方で行くのか?!」
「いざとなったら突入できるので。少しだけ威勢の良い一般人に、警察が負けると思いますか?」
「状況に寄るだろ」
それは確かに、一理ある。しかし、鴻ノ池の表情は変わることがなかった。
むしろ、日村の顔がより一層曇るだけだった。
---
夥しい数の色彩豊かに光り輝くネオン看板。その下はいやに毳毳しい店ばかりが広がっている。
「……今すぐにでも帰りたいんだが」
「僕もですよ、わざわざ繁華街だなんて…一番来たくなかったです」
歌舞伎町の中にちらほら見える半ば15歳程の子供達がこちらを見てはひそひそと噂しつつも、ある者は中年の男性と腕を組んだり、ある者は路上で缶を手にしている。
「それで…どこのお店でしたっけ?」
「“祇園 花水木”…だな。単なるアダルトな店だ、名前を覚える必要なんかない」
「それもそうですね」
「鴻ノ池によれば、こうだ…君が売れないホスト、私が…あ〜…なんだ?ボトルだったか?それの金を払えないから…身体で返せってところか」
「そうですね、ちなみに経済に支障は?」
「ないよ…一応、探偵以外にも株主だ。やろうと思えば虚偽の請求書だって払えるさ。その前に訴えさせてもらうが」
「しっかりしているようで」
繁華街を抜け、人気の少ない路地の先に“祇園 花水木”と書かれたちっぽけな扉を叩く。
日村が意を決したような表情で前へ行き、柔いアルコールの匂いと、青臭い独特などこかで嗅いだことのある匂いがする。
扉が開かれた時、黒髪に恐ろしい相貌をした男が目に入った。
「…誰だ?」
獲物を狩るような瞳に俺は逃げ出したくなったが、日村が動かずに口を開いた。
それなりに裏返った高い声だったが、同時に俺は吹き出しそうになり、必至に堪えていた。
「面接を受けに来た」
「……お前が?」
「悪いか?」
「後ろの安っぽい男は?」
「ホストだよ」
「…払えなくなったってことか?」
「……まぁ…そんなところだな」
「そうか」
思ったよりも簡単に引き下がった男に連れられ、部屋の中の椅子に腰を下ろす。男が部屋から少し出たタイミングで、俺は日村に耳打ちをした。
「…あんな言い方でいいものなんですか?もうちょっと、女性らしい方が…」
「普段、女装なんかしない男にそれを求めるのは酷だろ」
「それは、そうですが…」
確かに、そういう癖があるようには感じられない。
やがて男が戻り、煙草を蒸しながら俺を見て笑い、「名前は?」と質問をする。
「…俺は|皇《すめらぎ》|春《はる》です」
「源氏名か?」
「はい」
その答えに男は「そうか」とだけ言って、日村を見る。つまらなさそうな瞳の上の眉がやや歪み、日村の顎を掴んだ。男の指先が、日村の細い顎から首筋へと滑った。
「……へぇ、綺麗な顔してるな。だが、えらく緊張してるみたいだな?」
日村が反射的に生唾を飲み込んんだその瞬間、高い襟元で隠していたはずの《《喉仏》》が上下に大きく動くのをしかと見た時、男の目がすぐに細められた。
「……おい、女にしちゃあ…随分と立派な仏様を飼ってるじゃねえか」
掴まれた顎に力がこもり、日村の顔から血の気が引いていくのが分かる。
そのまま男の指先が、日村の顎を力任せに上向かせて至近距離で睨みつけられ、日村の喉仏が緊張で跳ねる。男の目が、獲物を追い詰めた猛獣のように恐ろしかった。
「……裏声が上手いな、お前」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りつき、俺は予め持っていた通信機から信号を出す。
日村が「何のことだ」と低めの地声で言い捨て、顎を掴む手をどけた瞬間、男が背後の腰元に手を伸ばす。
「警察の回しモンか、それとも……」
男が更に言葉を続けようとしたその時、背後の薄っぺらな扉が凄まじい衝撃音と共に内側へ弾け飛んだ。
「動くな! 警察だ!!」
怒号と共に飛び込んできたのは大柄な男、桐山だった。
彼はドアを蹴破った勢いのまま、最短距離で日村を掴んでいた男に突っ込もうとした。
「遅いぞ、お前!」
俺はそう叫びながら、男の腰を蹴って日村を引き剥がした。
男がひるんだ隙を逃さず、桐山は重戦車のようなタックルで男を壁際まで押し込み、その巨体で完全に押さえつけた瞬間、後ろからヒールのような音がした。
足取りの軽い女性のような音で、ぞくぞくとしたものが背筋から流れ出す。そうして、振り向いた時、そこにあったのは扉の前で写真を撮っている鴻ノ池だった。
「な…なに、してるんですか?」
「いえ、面白い絵面だと思いまして……」
そう微笑んだ鴻ノ池に腕の中の日村が「後で覚えておけよ」とぼそりと呟いた。
押さえつけられた男は桐山の下でもがき、ポケットの中から携帯を取り出そうとした瞬間にそれが鴻ノ池の手に移る。
携帯を取り上げられた男がいやに憎々しげな瞳で、返せとだけを叫び続けた。その中で鴻ノ池が男に視線を落として一言、言葉を投げかける。
「稲楽桜さんの状態が急変しました」
その言葉を言われた瞬間、男は一層もがき、桐山があまりの力の強さに顔を顰める。鴻ノ池の言葉は更に続く。
「USBは、ここにはありません」
鴻ノ池が続けた言葉に男は笑って、「そんなものは、どうでもいい!妹は?!妹は、どうなんだ?!」と叫ぶ。鴻ノ池が首を横に振った直後、男の表情はひどく影を帯びた。
そうして大人しくなった男に桐山は「署までご同行を願います、稲楽香さん」と言い放った。
---
連れられていく男、稲楽香を誘導する鴻ノ池と桐山を見ながら俺は今も同じ姿の日村に声をかけた。
「……結局、単に守りたかっただけなんですかね」
「そうでしかないだろ……まぁ…遅かったみたいだな」
「なんというか、胸糞というか…」
「若干の無理矢理を感じるがね」
「…そうですか。ところで、日村さん」
俺は「なんだ?」と口にした日村に笑って、携帯を|彼女《彼》に向けた。
「いつまで、その姿なんですか?」
その端正な顔がひどく歪むような、絶望したようなものが彼に広がっていった。
携帯はシャッター音が鳴って夜の街の一部を切り取っていった。