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番外編:〖寂しんぼタルトタタン〗
※こちらは本編と無関係な番外編です。
某日の潜入から明けた翌日、|日村《ひむら》|修《おさむ》は|鴻ノ池《こうのいけ》|詩音《しおん》から喫茶店へ呼び出されていた。
喫茶店の窓からは柔らかな光が差し、珈琲を啜る鴻ノ池だけがソファの中で座っている。やがて、軽い足音が耳へ届き、鴻ノ池の目の前には昨晩とは違っていつもの格好をした日村が怪訝そうな顔をしていた。
「…話とは?」
開口一番にそう切り出した日村は男らしい低い声でそう言い切り、鴻ノ池の顔を睨んでいた。鴻ノ池は笑って、携帯から一枚の写真を日村へ突きつける。
それは昨晩、稲楽香と対面した『祇園 花水木』で撮られた日村の女装姿だった。
日村はため息をついて、「まだ持ってたのか」と言葉を吐いた。鴻ノ池は嬉しそうに頷き、言葉を白く細い喉から絞り出す。
「ええ……とっても面白い、いえ、綺麗でしたから」
「お世辞はいい。それで君のことだから…その写真で何かしようって思ってるんじゃないのか」
「……御明察です、探偵ではありますね」
「誰だって分かるだろ…話が嫌味だけなら、その写真を今すぐにでも消してもらおうか」
「まさか!嫌ですよ、そんな簡単に消すだなんて!」
「だろうな……で?君は何を企んでるんだ?」
「この写真を消す条件に、ちょっとした頼み事をしてもらおうと思いまして。どうします?」
そう聞いた鴻ノ池に日村はただ笑って、「拒否権なんてないじゃないか」とだけ呟いた。
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小さな公園のベンチに青いリボンの通った長袖で襟が高く白いブラウスに膝までの黒いスカート、白いロングソックス、薄茶色のブーツといった何ともシックな印象の昨晩の女装姿で日村修は座っていた。
若干の苛立ちを隠せないまま、携帯のチャット画面に『今日の午前11時から、その格好で待っていて下さい』と鴻ノ池から告げられている画面。
周りは幼い子供が楽しげに遊び回り、親とも見られる男女が子供を見ていた。その中で複数の人だけがちらちらと見ている。
その中で一人だけ、ラフな格好をした白髪の若い男が近づいてきていた。
「えっと…日村、修さん……ですよね?僕、|桐山《きりやま》さんと同期の|榊《さかき》|直樹《なおき》です」
「ああ、日村修で間違いない」
「あ…そ、それは良かったです……なんていうか、その…声を聞くまで特徴が似てる女性かと思って…」
「全くもって嬉しくない。それで、君は何のためにここに?」
隠そうともしない憤怒が露わになり、うっすらと榊が怖じ気つく。しかし、やや頬を紅潮させて榊は笑い、「鴻ノ池さんが二人で花を買ってきてほしいと…」と要件を伝えた。
日村はそれを聞いて、すぐにベンチを立ち上がりポンと榊の肩を叩いた。
「君も災難だな、非番にこんなことを頼まれて」
「いえ、そうでもないですよ」
榊のその返答に日村は軽く笑って先を歩く。榊が歩幅に合わせようと歩みを進めた矢先で会話がゆっくりと続いていった。
「いつもは誰とやってるんだ?」
「田中虹富さん、とです」
「へぇ」
他愛もない会話を続けて道の先で小さく揺れる花の森が目に止まる。日村が良いものを見つけたとでも言うように足を更に進め、榊がその後を追った。
軒先の下で黄色いマリーゴールドが風に揺れ、香りが鼻を燻った。日村が横で頷いて店の奥へ引っ込んでいく。その横顔と揺れた長髪が花々の中でやけに美しく並んでみえた。
若々しい青に染まって伸びる茎の先にある黄色い蕾をそっと撫でる。花粉が少しついた指を払って前を向いた。
若い女性が日村に気づいて軽い会釈をする。
「奥の彼氏さんにですか?」
その女性の問いかけに日村はやや微笑んで、すぐに首を横に振った。女性は「失礼しました」と告げ、会計の手続きを進めていった。
黄色い小さな花束を抱えながら榊が「もう1時ですし、何か食べませんか?」と提案し、道の脇にある喫茶店の中へ入る。なんとなく甘い香りが漂う中、席についてメニューを開く。その中に輝くようなアップルパイが一際目についた。
ただ、どうにも食べるような気分になれず、榊はパスタを注文し、パラパラとメニューを捲っていた日村はサンドイッチを注文した。これといった会話もなく黙々と食べる内に榊は日村の方を見つつ、別の誰かが頭に思い浮かぶような気配がしてすぐにそれを脳から取り払う。
いやに白く細い指先とどこか醒めたような瞳が誰か、知っている人のようだった。
先に食べ終えた日村が視線に気づいて女性を模した姿で笑う。
先程に見たアップルパイが、タルトタタンがひどく寂しがっているような気がした。
**あとがき**
日村修なら何をやってもいいと思っている(作者談)