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太陽とツキ
2026/07/01 太陽とツキ
去年だった。6月になっちゃった、と黒板の日付を見て泣くあやこに、愉快な気持ちになったのを覚えている。なんだこいつ面白い、というような。6月になったからどうして泣くのかなんて訊かなかったのでわからないが、もし訊いていたらあやこのことだから5月が亡くなってしまったとかなんとか返っていたのかもしれない。6月以降のことは知らない。私が不登校になったからだ。知る由もない。
あやこは感受性が人一倍強くて心底どうでもいいようなことで涙を流す。付き合っていられないと思う。時々ひどくつまらないときに見に行くくらいがちょうど良い。あやこはたとえば消しゴムで文字を消すのにも眉尻を下げて罪悪感でも抱いている表情を浮かべるし髪の毛を切るのもためらわれるようで前はともかく後ろは何年も伸ばしているらしい。それでも数年前にあまりにも長いからと半ば強制的に母親に連れて行かされたという。ヘアドネーションしたらしい。
あやこは可哀想だ。社会人になれば世の中に溢れる理不尽とかそんなものに耐えられなくなって死にそうだ。中高生の今も学校には他人の悪口や誰しも経験する程度の裏切りがたくさん落ちているのに、それにどう対応しているんだろうと、私は廊下であやことすれ違いたびに不思議になる。去年はどうしていたっけ。去年も一昨年も私はあやこと確かにクラスメイトだったはずなのにどうにも思い出せない。単純に忘れただけかもしれないしそもそも知ること自体がなかったのかもしれないし、あやこの行動なんて、意識が向いていないときを除いて、すべてきれいに脳みそに到達することもなく消え去っているのかもしれない。クラスが離れて、当たり前にあったものが当たり前じゃなくなって今更気になり始めたのだろうか私は、と考えたあとであくびをした。クラスメイトのゆきえが「大きいあくびですね。」とわざとらしく言った。
「あ、能登先生のまね。」
付け加えられたそれで、ゆきえの台詞を脳内であらためてリピートしてみるとたしかに似ていた。理解すると急におかしくなってふつふつ笑った。
そのとき教室のドアが開かれて私は口角を三日月みたいにした状態のまま見やった。あやこがいた。慣れないような様子で恐る恐る足を踏み入れて自身の友人のもとに向かうとなにか話し始めた。遠かったし教室はその他の雑音でなんにも聞こえなかった。そもそもあやこの声なんかを上手く見分けられる自信がなかった。
ゆきえは英単語帳をぺらぺらめくって、次の英語の授業で行われるらしい小テストのために勉強していた。視線をあやこからそちらに戻して彼女の勉強する様をぼうっと眺めていると、ふと目があってあんたはしなくていいのと訊かれた。もう消えてしまった三日月をまたつくって「あきらめてる。」と言うと呆れたように笑われた。
あやこはいつのまにか教室から出て行っていた。いつ、戻ったんだろう。知ったところでなににもならないそんなことより気になるのは、あやこがいつ死ぬのかだった。それこそ知る必要なんてないのにと自嘲の表情が思わず浮かんだ。その表情は9割くらいの確率できちんと三日月になっていたと思うけど、もしかしたら月なんて名乗れないようなものになっていたかもしれないし、しかし結局のところ信頼できるのは目の前のゆきえが「なあにそのかお。」と不可解そうにしたことだけだった。
2027年6月ももうすぐ終わるけど、あやこはまた泣くのかな、ねえ、泣いてほしい。それが救いだから泣いてよ。じゃないと私また不登校になるよ。