公開中
手を伸ばせたのなら
「先生。ぼくはどうしたらいいのでしょう。」白い壁、風に靡くカーテン。静かな個室で二人は向かい合い、座っていた。少年は、彼が先生と呼ぶ者に尋ねた。白を基調とした服に身を纏った先生は、ふわりとした優しい声色で少年の問いに答えた。
「……少し、お話をしようか」
少年は少し黙った後、静かに口を開いた。
---
ぼくは、最低な人間でした。……いや、ぼくは最低な人間です。
ぼくは、友人に怪我を負わせてしまった事があります。ホームドアのない古い駅のホーム。ただ肩と肩がぶつかっただけでした。今もその友達は、|病床《びょうしょう》に臥せています。……電車には、あまり乗りたいと思えなくなりました。当時はまだ中学生だったのですが、卒業した後は逃げるように今の寮のある高校で過ごしています。
入学してから2、3週間経ったある日、それは起こってしまいました。机の下で足を蹴ったり、その人が何かするたびクスクスとどこかから笑い声が聞こえてきました。ぼくは、他の人より早くその事実に気づいてしまったのです。もしかすると、皆見て見ぬ振りをしていただけなのかもしれませんが。
いじめている人といじめられている人の間に入って「そんなことはやめてよ」、と庇ってあげよう。……喉が締め付けられる、手が震える、足が動かない。伸ばしかけた手を下ろしました。
割って入るのが無理なら、担任の先生に言おう。そんな考えが浮かびました。自身の過去の行いの清算か、はたまたただの英雄気取りか。自分では止められる勇気もないくせに、自分を許すための正義感を振り翳し、担任の先生に全て事情を話しました。
「それ貴方の勘違いかもしれないでしょう?本人が言ってくるまで、気にせず待ってなさい。こっちにも都合があるからね」
その後、道徳の教科書は今日まで一度も開いていません。唯一伸ばせた手も届かず、ぼくは傍観者にしかなれませんでした。
数日後、いじめられていた子は学校に来なくなりました。そのまた数日後。朝のホームルーム時に|訃報《ふほう》を聞かされました。
---
「先生。ぼくがいじめられている子を救えたとしたならば、それはなんなのでしょう。こんなにも非力なぼくに、何かできることはあったんですか?」
先生は黙る。少し考え込み、口を開いた。
「キミは中学生の時も、今も、手を伸ばした。掴みきれなかっただけだよ。」
先生は優しく、淡々と伝えた。少年は少し驚いた顔をした後、下を向き、肩を振るわせていた。
「やめてください」
先生の言葉を遮り、少年は言葉を被せる。
「もう、いいんです。ぼくはもう、手を差し出せない。」
少年はドアを開け、小さく感謝を伝えてから個室を出ていった。先生は椅子に座ったままだった。
「……手を伸ばすことは、できていたんだろうけどね」