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「さ、上がって。」
そう促され、恐る恐る神社の境内に足を踏み入れる。
私たち以外誰もいない。
風が木々を揺らし、葉の擦れる音だけが静かに響いていた。
「適当に座ってて。」
そう言いながら、
巫女さんはどこかへ行った。
取りあえず、近くにある建物の縁側へ座る。
木の床は少しひんやりしていて、その冷たさが心地いい。
隣では、紫さんが優雅に腰かけていた。
沈黙が流れる。
誰も口を開こうとしない。
何を話せばいいのかもわからず、
私は膝の上で手を握りしめていた。
やがて、後ろから湯飲みを持った巫女さんが現れる。
「持って来たわよ。冷たい方が良い?」
『大丈夫です。ありがとうございます。』
そういうと、隣に湯飲みが置かれる。
一緒に饅頭も置いてくれる。
突然押し掛けたも同然なのに、細かい気遣いが温かい。
両手で湯飲みを持ち上げ、ゆっくりと口を付ける。
温かい。
さっきまで死のうとしていたはずなのに、
その温かさだけが、妙に気持ち良かった。
「さて。」
紫さんが口を開く。
「まずは、自己紹介からにしましょうか。」
「ああ、そうだったわね。」
巫女さんが思い出したように頷く
「私は|博麗《はくれい》|霊夢《れいむ》」
「この、博麗神社の巫女よ」
そう言って、こちらに目線を向ける。
「で、こっちが八雲紫。さっき名乗ってたから、説明はいらないでしょ」
「随分と雑な紹介ね。」
紫さんは苦笑しながら扇子を閉じた。
「改めまして、八雲紫。」
「境界を操る程度の能力を持つ妖怪よ。」
妖怪。
その言葉に、思わず固まる。
『妖怪...?』
「信じられない?」
『...はい』
「当然ね」
紫さんはあっさり言い放った。
「外の世界、貴方のいる世界では、|御伽噺《おとぎばなし》でしょうもの」
霊夢さんは肩をすくめながら言う。
「でも、ここじゃ普通」
「妖怪も、妖精も、神様もいる。」
「だから、人間が一人増えたぐらいじゃ、誰も驚かない。」
神様。
妖怪。
妖精。
言葉だけなら知っている。
だけど、それらが本当に存在する世界なんて、考えたこともなかった。
『異世界』
私は湯飲みを見つめたまま、呟く。
「異世界、とは少し違うかしら。」
紫さんが首を小さく横に振る。
「世界は同じ、結界に阻まれた場所。」
「それが幻想郷。」
私はその言葉を理解しようとする。
けれど、直ぐには頭が追い付かない。
『じゃあ...』
思い切って、一番気になっていることを質問する。
『私は、帰れるんですか?』
その場の空気が、一瞬だけ変わる。
霊夢さんは黙ってお茶を飲み、紫さんはまっすぐにこちらを見つめている。
「帰る方法は、あるわ。」
その一言に、私は息をのむ。
「ただし――。」
「だけど、今は帰さない」
『どういう...ことですか。』
「理由は二つ」
紫さんは指を一つ立てる。
「一つ」
「貴方を幻想郷に連れてきた目的が、まだ終わってない。」
そして、もう一つ指を立てる。
「二つ」
「貴方自身が、才能に気づいていないから」
私は何も言えなかった。
才能。
また、その言葉だ。
「安心なさい。」
紫さんは静かに笑う。
「無理に何かをさせるつもりはないわ。」
「貴方には、この幻想郷で過ごしてもらうだけ。」
「嫌でも気づくことになるわ。」
その笑みは優しいようで、
どこか全てを見透かしているような気がした。
「それに」
「少なくとも、今日あなたの帰りを待っている人はいない。」
『どうして...そのことを』
紫さんは扇子で口元を隠しながら、言った
「境界を操るのが、私の能力だから。」