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ほろよい気分
嫉妬深い夏休み。
短カフェに大量発生するガキどもの垢をミュートしていると、ふとこんなことを思ってしまう。
すぐに乗り捨てる。書いたはいいが、その後は衝動的の喪失か、それを取っておくことはしない。思い入れがないかのように、垢ごと削除する。すべては黒歴史。その消去のため。思い出の断片すら残そうとしない。
実績としてネットに残したくないらしい。すべてをなかったことに。感情の起伏も、フラットにしようとする。そんな衝動を感じた。
「垢を大切にしないよな」これを何かに例えると、何になるだろう。
「飲み干す」になるのだろうか。
文章が甘いだけで終わる清涼飲料水に感じるのだ。言葉遊びに夢中の、精神年齢の低い子供。味、酸味、栄養。それらは一切ない。原材料名や栄養成分表示を見たことがない、のど越しを楽しむだけの飲料水。仕事終わりのビールのようなものだ。けれど、アレよりも|性質《たち》が悪い。肝硬変になる前に辞められる自覚症状的な要素が、おそらく無い。
飲み干した後は忘れようとする。数時間もすれば、99%不要の水分として排尿されるはずだ。しかし、その不潔さを嫌い、トイレに行かないでいる。どうしてだろう。
「舐め溶かす」になるのだろうか。
甘い文章ばかり見て、甘い文章をコピペして。舐めてばかりいる。糖分ばかり舐めて舌は麻痺し、甘さ以外キャッチできなくなっている。
血糖値は糖分過多で肥満を嫌い、嫌いを通り越した忘却行為によって、垢ごとごみ箱に捨ててしまいたい。侵された脳内はそれでも|飴《アカ》を舐めていたい。舐め続ければ、いずれ口の中でなくなる、飴のように。そう思うのはなぜ?
それがあるから、いくらでも垢を作ろうとする。
例えば、本垢とサブ垢。サブ垢を作ろうとするから、本垢なんていうものができるのだ。実際は要らない区別だ。名前だ。ラベリングだ。分類だ。
一つあれば十分なのに。何個も作る。何個も作って放棄したり、統合しようと画策するけれど、最終到達目標が、「何かあったら垢ごと消去すればいい」と。無責任なことを考えているから。それが文章に表れている。舐めて溶かせば、不潔と決めつけている排尿作業は、――不要になる。
病み垢という垢も、後で消せばいいと思っている。
書いたはいいが、それを取っておくことをしない。過去の自分をなかったことにしたい。その予知夢的要素が、アカウント作成日には表れ出して、数日かけてその気持ちを気づかなかったと可能な限り忘却しようとする。
「そんなこと思っていない! 当時の私はちゃんと苦しんでいた!」
表層心理では、そんな表面上なことを言っておいて、深く掘っていかない。あるいは、考えすぎて変なところばかり掘っている。核心を突くような、深層ではもう、気付いている。
甘い文章ばかり飲み干していて、甘さの塊ばかり舐め溶かしていて。それで脳内を誤魔化しているということに。それがうまく言語化できないだけで、酔った気分で行ったり来たり。