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マリンブルーの悪夢
オルカさんがクリスさんを海に遺棄するはなし。
⚠︎暴力表現(突き飛ばして怪我をさせる等)があります。また、オルカさんが殺人と死体遺棄をします。とても暗いです。
大変拙いですが、それでもよろしい方のみ
どん、と音がして、クリスの体が壁に打ち付けられる。そのまま座り込み、動かなくなった。冷や汗が止まらなくなり、耳鳴りが私を責め始める。
なぜ、どうして。そんな思いばかりが私の頭を埋め尽くす。こんなつもりではなかったのに。どうしてこんな事になってしまったのだろう。
歯の根が合わない。己の呼吸音で、鼓膜が支配される。視界が揺れ、気がつくと私はその場に崩れ落ちていた。逸らしたいはずの視線は、ある一点に釘付けにされて動かすことができない。
視線の先には、我が友クリスが壁に寄りかかっている。否、床に座り込み壁に背中を預けていると言った方が正しいのだろうか。
彼女の光を集めたような、美しい金色の髪は床にしなだれ、窓からの光でその輝きは増している。横髪が顔にかかっており、いつもの獣のような金の瞳は瞼の裏に隠されていた。手足は力無く放り出され、床についた手首がぐにゃりと曲がっている。
華やかで活き活きとしている普段の姿からは想像もできないほど、今の彼女は無機質な人形のようであり、それがひどく不気味であった。
彼女の名前を呼ぶ。が、返事は返ってこず、ただ私の声が空き教室に情けなく響くだけだった。
ずっと、どこか悪い夢の中にいるような気分だ。この空き教室の静けさも、空の青さも、彼女の態度も、何もかもが、私が現実に生きている感覚を奪ってゆく。
彼女の顔を唖然として見ていると、不意に酸味が喉を伝ってくる。慌てて口を塞ぎ、喉を焼き尽くす胃酸を何とか押し戻した。が、それでも気分は良くなるどころか、ますます悪くなるばかりであった。
喉に残る酸味と痛みが、私にここが現実であると囁いてくる。覚めない夢なのであれば、どうやってここから逃げたら良いのか。今この場で叫んでしまいたい気持ちに駆られる。
今の私には、この場から立ち去るなんてことは到底考えられなかった。そのくらい動揺していたし、何より情けないことに恐怖で腰が抜けてしまっていた。
きっかけなんて思い出せないくらい、しょうもない些細な口論だった。いつものようにクリスの無神経な発言に私が苦言を呈し、それに彼女が反論をする。そうして次第に斜面を転がるビー玉のように口論は激化していって。強い怒りに塗りつぶされて忘れてしまったが、俺の人格を否定する何かを彼女に言われて、彼女の肩を掴もうとしたんだ。そうしたら、勢い余って、手が彼女の肩を押して、そして、その後。何が起こった?
彼女がよろめいて、足がもつれて、彼女は受け身を取らなかった。いや、よろめいたのではなく、後ろに半ば吹っ飛ぶような、何故?俺はそんなに強く押したつもりなんて無かったんだ。ただ、あまりに彼女は軽くて、勢いがつきすぎたんだ。
突き飛ばして、怪我をさせてやろうなんて気持ち、微塵も無かった。ただ、訂正して貰おうと思っただけなんだ。殺そうなんて、微塵も。
誰かの足音で現実に引き戻される。その場に伏せて息を殺し、どうか教室のドアを開かないでくれと祈る。なんとか慄く体を抑え込み、足音に耳をそばだてた。祈りが届いたのか、足音は次第に遠ざかって行く。安堵のため息を吐き、震える足でなんとか立った。
頭が急激に働き始めるが、この状況の恐ろしさのせいで上手く考えがまとまらない。とにかく、彼女をどうにかしなければ。
ひどい吐き気と頭痛を抑えて彼女に近づく。だらんと落ちた腕はぴくりとも動かない。恐る恐る腕を掴むと、ひどく冷たかった。以前触れた時はとても暖かく、心が冷たいからだろうか、などと勝手な憶測をしたはずなのに。持ち上げてみると、抵抗もなく彼女の体がついてくる。焦りが加速した。
咄嗟に浮かんだ「隠さねば」という半ば脅迫的な考えにより、恐怖の靄が晴れて思考がまとまり始める。寮の自室に、使われていない倉庫に、この教室に、土の中、森の中、走り出した思考は止まらない。数多の選択肢を捨てる。ただ、己が助かる事だけを考えていた。こんな時、彼女ならどうするだろうか。
脳裏に、海の風景が映し出される。美しき、生物の母。ふと、クリスが海を見たいと言っていたことを思い出した。海は、罪を犯した私を赦してくれるだろうか。
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いつもよりも重い彼女を背負い、海を目指して歩く。学内を通る必要があったが、時折寝てしまった彼女を寮まで運んでいたため、誰も私たちのことをおかしいと思わなかった。彼女は、何かを偽る際はとにかく堂々とすることが大切だと言っていた。堂々としている彼女の嘘に、私が何度騙されたことか。
後悔の念が、背中からのしかかってくる。罪の重さに耐えきれなくなって、今にも押しつぶされてしまいそうだった。止まぬ吐き気は先ほどよりマシになったが、今にも目の前が真っ暗になりそうだ。逃げ出したいのに、逃げ出せない。
彼女との思い出が、走馬灯のように駆け巡る。初めて出会ったとき、彼女はあの忌々しい空き教室にいた。夕陽に照らされ、金の髪は光を編んでいて。それがたなびく様を、私は確かに美しいと感じていた。思い出が、私の後悔を加速させる。
視界が開き、心地よい風が私の頬を優しく撫でた。いつのまにか私は森を抜けるほど歩いていたらしい。空が広く、海とは違う青色が私を包む。眼前に広がるマリンブルーが、何故か彼女を連想させた。
太陽の光が反射して、柔らかな海面の輝きが私の目を貫く。海の青さも、浜の白さも、輝きも、全てが私を落ち着かせてくれる、はずなのに。波の声が、私を責めたてているように感じる。波が、私を追い返さんばかりにこちらに向かっている。いつもの海が、変わってしまったような感覚に襲われた。否、変わってしまったのは、私だ。
背中で眠りについていたクリスが、波の声に起こされ私の背中を降りるんじゃないか。そうして海まで走り出して、なんだ気が利くじゃあないか、なんて私に笑いかけるんじゃないか。そんな願望が、あったかもしれない未来が、私の中でぐずぐずと居座っている。この期に及んで、まだ私はこの現実から逃げたいのだ。
靴が濡れることも気にせず海に入る。不思議と寒さは感じなかった。歩いて深いところまで行くと、腰まで水に浸かり、制服のズボンはただの私の足でまといになってしまった。そのまま深呼吸を挟み、彼女を海の中へと放り込む。私の犯した罪が形となり、心臓がそれに締め上げられているような気分になった。
予想に反して、彼女の体はすぐに浮かんできてしまった。嗚呼、自分は相当に動揺していたらしい。溺死体でないのだから、当然クリスの肺には空気が入っている。加えて溺れないようにと変に抵抗することもなく脱力しているのだから、浮くのは当然だろう。思わず笑みが溢れる。
一度彼女を抱え上げ、海から上がる。成果といえば、服を着たまま海に深く浸かる経験が得られたことと、彼女の体の体が浮くことに気づけたことだろう。濡れた彼女を背負いたくはなくて、両手で抱え直す。海で濡れた分、彼女の服は重くなっていた。が、自然と前より重く感じることはなかった。
途方に暮れあたりを見回すと、少し小さめの岩が目に入る。あのくらいなら、きっと自分でも容易に持ち上げられるだろう。
彼女をもう一度海に投げ、浮いてきたところに岩を落とす。大きな水飛沫が、私の体に返り血のようにかかる。彼女の体もろとも岩は沈んで行き、やがて岩の影は見えなくなった。どっと安堵が襲ってくる。その場にしゃがみ込み、深く呼吸をした。冷や汗が顔を伝って砂に落ち、そのまま染み込んでゆく。やっと感じた夏の暑さが、海水によって冷えた足を温めていき、次第に心拍数も落ち着いてきた。事が終わった安心感と達成感で気分は晴れていたが、心はずっと薄い雲に覆われていた。
風が私の耳元を通り抜け、私の髪を|徒《いたず》らに揺らしていく。立ち上がり、彼女の眠る海に背を向けた。濡れたズボンが肌にまとわりつくのが嫌になり、着替えるため寮へ歩き出す。
歩いている途中に、怒りがおさまったことで私が何を彼女に言われたのかを思い出した。彼女はあの時、私のことを偽善者と称したのだ。それは私が最も嫌いな人種であり、彼女が最も好む人種である。その言葉に私は強い憤りを感じ、怒りのあまり彼女を突き飛ばして、そして殺してしまった。
彼女の言葉は確かに正しかった。真に善性を持つ人間であれば、こんな状況に陥ることなど万が一にもなく、そして人を殺したのにこんなに晴れやかな気持ちになることもないだろう。
彼女を殺してしまったことに対する緩やかな絶望が、これから先どうなってしまうのかという漠然とした不安が、彼女のいた背中にへばりついて離れなかった。
それでも、重い足取りで寮へと戻り、ズボンを変えてベッドに倒れ込んでしまえば、すぐに疲労で何も考えることができなくなる。意識は微睡みのさらに奥に行き、深い眠りに沈んでいった。
私は、いつだって己の保身を考えていた。自分が第一で、他は二の次。今日だって、真っ先に考えたのは己の外聞で、クリスのことを心配する余裕など全くなかった。
だから、気づけなかった。クリスを沈めたあと、そこから泡が昇ってきていたことに。
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数週間たって、クリスが行方不明になったと教師から聞いた。あの日私が彼女をおぶっていた所はしっかりと人に見られていたため、呼び出されて少し話を聞かれたが、逆に言えばその程度で済んだ。彼女が複数の学生から恨みを買っていることは周知の事実であったため、生徒の間では誰に殺されたのかと憶測が飛び交っていた。その候補の中に、私が入る事は|終《つい》ぞなかった。
どうやら、岩は彼女の体を海底にしっかりと固定してくれているらしく、まだ死体は見つかっていないようだ。あの海はあまり人が寄り付かないから、それも彼女が見つからない要因の一つだろう。
私と言えば、ここ数週間は気が気で無かった。死体が見つかるかもしれない、もしかしたら、自分が殺したと白日の元に晒されるかもしれない。そんな恐怖で、夜に魘されることもあった。
そんな恐怖も、行方不明という知らせを聞いて少し和らぎ、もう少しすれば普段と変わらない日常を過ごせるようになっていた。その間、誰も私を怪しむ事はなかった。
彼女がいないまま、時間が進んでいき、私は彼女を思い出の中に置き去りにしたまま、士官学校を卒業した。
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不意に、彼女の体の重さや、海水の冷たさがフラッシュバックすることがある。彼女を突き飛ばした時の手の感覚も、何もかもが昨日のことのように思い出せてしまう。
数年たった今でも、クリスのことは忘れられない。むしろ、その思い出はより鮮明になってゆくばかりだった。
それでももう、彼女のことで怯えることはなくなった。彼女を殺したことなんてちっぽけだと思えるほどに、今の私の手はどうしようもなく汚れてしまったのだから。
随分と大きくなった私の手を眺めていると、部下に客人が到着したと告げられる。
今日は新たに入れ替わった混乱的城市の総統に会う予定だ。噂によると、今度の総統は幼い少女らしい。だが、見た目によらず豪胆なのだとか。噂だけならクリスにそっくりだが、噂には尾ひれがついているのが定石だ。尾ひれがついていない新しい総統は、一体どんな人物なのだろう。
廊下を歩く。夏の暑さが未練がましく残る、秋の始め。誰かが開けた窓から柔らかな風が吹き込み、私の髪を徒らに撫でる。どこかから、あの日の海の香りがした。
--- 「オルカ」 ---
懐かしい音が、私の鼓膜を揺らす。間違いなく、あの日潰えたクリスの声。私は反射的に振り返った。一瞬、私の思い出が形となって現れたのかと思うが、すぐに違うことに気がつく。
光を集めたような金髪は風にたなびき時折光を強く反射している。獣のような金の瞳は野心を隠さずにまっすぐこちらを捉えて離さない。自信ありげに口角の上がった唇も、白い肌も、全てかつての彼女を精巧に"模倣"している。華やかで、活き活きとしている、美しい思い出のままの彼女。
心臓が早鐘をうち、歯の根が合わなくなる。視界が揺れ、思わず膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとかこらえた。
彼女の顔を、ただ唖然と眺めることしかできなかった。声は掠れ、その場から動くことなど到底できない。冷や汗が、顔を伝う。
--- 「随分と幽霊を見たような顔をするじゃないか。そんなに友との再開は衝撃的か?」 ---
不敵な笑みも、からかう声も、彼女を構成する全てが、目の前の女があの日のクリス・ウィルダートだと主張する。
それなのに、《《何かが違う》》。何もおかしくないはずなのに、何かがおかしい。まるで、自分が何か重大なことを見逃しているような、そんな感覚に陥る。焦りと恐怖で、思考が散らばってゆく。なのに、視線が彼女から逸せない。
--- 「久しぶりだな?オルカ」 ---
不意に込み上げた吐き気を抑える。喉に焼き付く酸味と痛みが、逃がしはしないと囁いた。
【マリンブルーの悪夢】 fin…?
こんにちは。今回のお話、特段わかりづらい訳では無いと思いますが、書いていないだけで色々なことを考えていたため、その考えをここに書いておこうと思います。
完全に蛇足なので、別に読まなくても大丈夫です。でもせっかく考えたので読んで欲しいです()
このお話で重要なのは、クリスさんは海に沈められるまでは死亡していなかった、という点です。クリスさんはあの時点では後頭部を強く打ち付けたことにより失神しているだけで、ぐったりとしてたり腕が冷たかったのは失神の症状だったんですね〜。いわゆる脳震盪というやつです。
ちなみに、失神によって脈が弱くなることもあるだとか。今回はそれも採用しました。
でも、オルカさんはクリスさんが生きていることに気がつけなかった。理由は、本編にもある通りです。
思い込みの力と言うのは怖いもので、薬としての力を持たないただラムネであっても、"これはよく効く頭痛薬だ"という思い込みによって実際に頭痛に効く、ということがあるほどです。
今回は、その思い込みの力が悪い方向に効いてしまいました。オルカさんはクリスさんが死んでいると思い込み、その結果微かな脈や、薄い呼吸に気づけなかったんですね。
さて、表現の話に移りましようか。
最初の「なぜ、どうして~」という台詞は、以前あげたクリスさんとオルカさんの小説「終末は最低なあなたと」の最初の方にあるクリスさんの台詞を丸々引用しています。
また、私はよく感情の描写にばかり力を入れすぎて風景の描写がおざなりになりがちなので、今回は頑張って風景の描写もしたつもりです。それでもやっぱり感情の描写の方が多くなってしまいましたがね…
あと、クリスさんが失神しているシーンと数年後にクリス?さんが現れるシーンは、わりと寄せて描いたつもりです。思い出の中の彼女が、そのまま飛び出してきたように見えたらいいな…という願いをこめてあります()
そして、再開するシーンですが、オルカさんは突き飛ばしてしまった時と同じような動揺をしています。一種のトラウマのような…まぁ、殺したと思っていた相手が数年後にそのまま現れたら、怖いですものね。
それと本当に分かりづらいこだわりなのですが、クリス?さんのことを、オルカさんは一度も「クリス」と呼んでいないんですよね。一応彼女の声を「クリスの声」と言ってはいるのですが、姿を見て"何か"に気がついたのか、それからは呼ばなくなっています。
今回やけに擬人法が多い理由ですが、オルカさんの後ろめたさが関係しています。
なにか後ろめたいことをしているとき、本来なら感情を持ったりすることのない無機物に、何故か責められているような気持ちになることってありませんか?
私はよくあります。あるあるです。なので、今回はそのあるあるをオルカさんにも体験してもらいました。
特に海に着いたシーンでは、それが顕著に現れていますね。波に追い返されている、なんて普段は思わないはずですもの。自意識過剰の骨頂ですね。
こんなところでしょうか。違和感の正体やクリス?さんが何者なのかは、今後明かされてゆく予定なので、ここではお話ししません。
ただまぁ、あの日のクリスさんがオルカさんのせいで死んだことに変わりはないので、きっとこれからも、彼は死ぬまで覚めないマリンブルーの悪夢に魘され続けるのでしょうね。