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堀部糸成の時間
次に、狭間さんが
堀部くんに一冊の本を差し出した。
何やら小声で話している。
「復讐したいでしょ。シロの奴に」
そう言って、彼女は本の表紙を軽く叩いた。
「名作復讐小説、モンテ・クリスト伯。
全七巻、二千五百ページ。これを読んで暗い感情を増幅させなさい」
そして、少しだけ声を潜めて続ける。
「最後の方は復讐やめるから、そこは読まなくていいわ」
「むずかしいわ!!」
寺坂くんが即座にツッコミを入れる。
「狭間!!お前は小難しい上に暗ぇんだよ!!」
「何よ。心の闇を大事にしなきゃ」
「もうちょっとねぇのかよ、簡単にテンション上がるやつ。
だってこいつ、頭悪そうじゃ——」
そこで寺坂くんの言葉が止まった。
「……!?」
驚いた顔で、堀部くんを見ている。
私も何事かと視線を向ける。
その瞬間。
堀部くんの目が――血走っていた。
ギシギシ、と歯を鳴らしている。
これって……
『触手の……発作……!?』
気づいたときには、
バンダナはいつの間にか外れていた。
黒い触手が、うねうねと動いている。
「やべぇ、離れろ!!」
「逃げるわよ!!」
みんなが一斉に走り出す。
でも——
私は、動けなかった。
その場に立ったまま、
堀部くんを見上げていた。
「蘭ちゃん!!」
「糸師さん!!」
周りから声が飛ぶ。
けれど、足が動かない。
堀部くんの目を見る。
さっきまでと違う。
そこには——
強い執着の色があった。
私は、小さく呟く。
『……あのとき、何も言えなくて……ごめんなさい』
堀部くんは、黙ったまま私を見ている。
『私……堀部くんは、無力じゃないと思います』
少しだけ、息を吸う。
『私は……頑張っても、何も成し遂げられないし……』
『でも、堀部くんには……私にないものがあるなって、思って……』
『その……こだわりっていうか、諦めないところというか……』
『そういうところ、すごいなって……』
しばらくの沈黙。
そして——
「……お前は」
堀部くんが低く言う。
「離れろ」
触手がゆらゆらと揺れる。
鋭い目で、私を睨んだ。
でも。
『……嫌です』
私は、はっきり言った。
『堀部くん……触手に頼ってばっかりじゃ、弱いままです!』
一歩、近づく。
「おい!!糸師!!離れろ!!」
寺坂くんが叫ぶ。
その瞬間。
「……お前には関係ないだろ!!」
堀部くんの触手が、こちらに向いた。
『……っ』
怖い。
でも——
助けたい。
シュッ、と触手が動く。
私の足をかすめた。
『……っ……!』
痛みが走る。
でも。
『だ、駄目です……っ……!』
私は必死に、暴れだす堀部くんを抑えようとする。
「離……せ……!!」
堀部くんが叫ぶ。
「俺は適当にやってるお前らとは違う……!!」
「早くあいつを殺して……勝利を……!!」
必死に、私を振りほどこうとする。
そのとき——
寺坂くんが、ゆっくりと近づいてきた。
「おい、イトナ。俺も考えてたよ」
そう言って、寺坂くんが口を開いた。
「俺だって、あんなタコ今日にでも殺してぇってな」
私は必死に、暴れる
堀部くんを押さえつける。
「でもな」
寺坂くんは続ける。
「テメーに今すぐあいつを殺すなんて、無理なんだよ」
「無理のあるビジョンなんて捨てちまいな。
楽になるぜ」
その言葉に、堀部くんが叫ぶ。
「うるさい!!」
触手が勢いよく振るわれる。
『寺坂くん!!』
バシィッ!!
触手が寺坂くんに叩きつけられる。
「ぐっ……」
寺坂くんは苦しそうな顔で、それを受け止めた。
「に、二回目だし……弱ってるから捕まえやすいわ……」
触手を押さえながら、無理やり笑う。
「吐きそうなくらい痛ぇけどなぁ……」
そして、ぽつりと続けた。
「……吐きそうといったら、村松んちのラーメン思い出した」
「んな!?」
村松くんが声を上げる。
寺坂くんは気にせず話を続けた。
「あいつさ、あのタコに経営の勉強勧められてんだよ」
「今は不味いラーメンでもいい。
いつか店を継ぐときが来たら、新しい味と経営手段で繁盛させてやるってよ」
少し息を整えながら、続ける。
「吉田も同じこと言われてた」
「いつか役に立つかもしれないってな」
寺坂くんは、堀部くんを見る。
「……なぁ、イトナ」
そして――
ゴツッ
拳で堀部くんを殴った。
「っ……」
「一度や二度負けたくらいでグレてんじゃねぇ!!」
寺坂くんは怒鳴る。
「いつか勝てりゃいいじゃねぇか!!」
「タコを殺すって言ったってなぁ、今やれなくていい」
「百回失敗したっていいんだよ」
「三月までに一回殺せりゃ、それだけで俺らの勝ちだ」
そして、少し声を落として言う。
「親の工場だって、そのときの賞金で買い戻せばいいじゃねぇか」
「そしたら親も戻ってくる」
しばらく沈黙が流れる。
やがて、堀部くんが小さく呟いた。
「……耐えられない」
「次のビジョンができるまで……
俺は、何をして過ごせばいい……」
寺坂くんは呆れたように言う。
「はぁ……?」
そして、にやりと笑った。
「今日みたいに馬鹿やって過ごすんだよ」
「そのために俺らがいるんだろうが」
堀部くんの目が、わずかに見開かれる。
「俺は……」
ぽつりと呟く。
「……焦ってたのか?」
寺坂くんは肩をすくめた。
「……おう。だと思うぜ」
その時だった。
「目から執着の色が消えましたね」
いつの間にか、
殺せんせーがそこに立っていた。
「イトナくん。今なら、君を苦しめる触手細胞を取り払えます」
静かな声で続ける。
「一つの大きな力を失う代わりに——」
「君は、多くの仲間を得る」
そして、にっこりと笑った。
「殺しに来てくれますね?
明日から」
堀部くんは少しの間、黙っていた。
そして――
今まで見せたことのないような笑顔で言った。
「勝手にしろ」
「この力も……兄弟設定も」
少し肩をすくめる。
「もう飽きた」