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目次
「ねえ、食べてもいい」
西暦2615年、東京都某マンションの三階にて
みくちゃんはしばらくしてから、眉を顰めて言った。
「おまえ外出たら」
すげえこと言うなと思った。いまは八月。外に出るとは、イコール死ねを意味する。遠回しのそれ、なるほどなかなか文学的。よく考えたら、すげえこと言うななんて私が言えたものではないな。
遮光カーテンの閉め切られた暗い部屋。電気をつければいいものを、みくちゃんはそれをしない。
「電気つけたら」
「冷房でもう使い切りそう、発電」
ああそういう感じ。ならば仕方ない。私はエアコンに目を向けた。小さく風を出す音が聞こえる。いまの私たちにとっては、あれが命綱なのだった。
さっきの外出たら云々は気にしないことにして、話を続けた。
「でもさ、私たち二人このまま死ぬよりは、私がみくちゃんを食べたほうが頭がいいんじゃない」
「頭良くないわ。悪い。てかなんで私が食べられる前提で話を進めるの。謙虚さがないね。そもそも人間の味を知らないから言えるんでしょう」
「え、みくちゃん人食べ経験済みなの」
「なわけ」
みくちゃんはほそい手でスマートフォンを持ち上げた。まあ圏外、というか充電がそもそもないわけで。
「日本も去年の夏が限界だったなぁ。今年はもう電気もダメだし」
私は、意味もなくテレビのリモコンを弄んだ。かちかち。反応しない。ああ暇だ。それでお腹空いてる。私はてきとうに口を開いた。
「なんかこれ、えーえすえむあーるのやつみたいじゃない? YouTubeとかのさ、かちかちするやつ流行ってたよね」
「私あれあんま好きじゃなかったよ。あーYouTubeとか見たすぎる。時間溶かしたい時に電波ないのカスすぎる」
「テレビっ子としてはテレビを垂れ流したい」
「テレビとか、いまはニュースすら面白い気がする」
「ええ、ニュース私もともと好きだったけど」
「どこが楽しいの」
みくちゃんはピアノの椅子に座っていた。弾くのかなと思った。
「なんか好きな曲あるの」
「やった曲全部忘れた、ゆび」
みくちゃんはピアノのふたを持ち上げかけて、やめた。弾かないらしい。みくちゃんはちょっとのけぞって言った。
「ひまだねー」
「うん。ひま。ピアノ弾いたら」
ピアノのふたが、細い指で上げられた。やっぱり弾くみたいだ。しかしみくちゃんはピアノ椅子を立った。
「おまえが弾いたら」
「あ、いいの」
「だから弾ける曲ないって」
私もだよ。でも暇だから椅子を交代した。白黒の鍵盤が目の前に広がった。私はおもむろに黒鍵に指を下ろした。指、だいぶん痩せたな、と思った。
「ソのシャープ?」
「わかんの」
「ピアノ習ってたし」
私も習ってたよ。
「テレビなかったらほんと外のことわかんないね。もうどこの家でも人食ってんのかな、実は」
みくちゃんはなんてことないように言った。
「そうなんじゃない」
私もなんてことないことのように相槌をうった。でも声が震えそうだった。ああ、実はみくちゃんもどうにか平坦な声を絞り出してたのかもしれない。そうであってほしかった。
白鍵に指を滑らせながら、私は思った。
「夏、こせるかな」
みくちゃんはこっちを振り返らない。
「私たち次第だよ」
みくちゃんの平坦な声が、私にはうめいているように聞こえた。
今日は八月の何日かな。そんで今何時。
鍵盤を無作為に押した。一音一音が響いた。みくちゃんは音当てはやめたみたいだったので、私も鍵盤から指を離した。私はそっとみくちゃんを見た。かわいいプリクラの挟まれたスマホを握りしめてる。それで、だいぶん髪の毛がはねてる。スマホケースの中のみくちゃんは、きれいなストレートの黒髪で笑って、誰かと二人で写っていた。
静寂を切り裂いて、エアコンが、ぶうんと鳴った。それ以降、エアコンが出す風の音もやんだように思えた。みくちゃんが顔を上げてつぶやく。
「あー、冷房もうダメかも」
クーネルエンゲイザー聴いて
オチほぼ同じでごめんなさい。
「すきだよ」
西暦2615年、静岡県某高校特別棟にて
ああ、学校の体育館なんて酷暑の避難所になるわけがない。この気温では保存食も持たないものは持たないですねーとか先生がのんきに宣ってたのは何週間前だったっけ。保存食以前に、非常用食糧庫が体育館と隣接していない時点で終わっていた。昼夜問わず、外に出ることもままならないのだ。
校舎のおかげで昼間は太陽の陰になる特別棟。そこに、私は二週間ほど生活を続けていた。体育館にいては、あの人数ではもって三、四日だった。
特別棟への移動は日の入り後、夜のうちに、コンロとかをちょっと拝借してから。夜だってけっこうな人死には出ていてだいぶんハードなのだが、日差しがないから即死には至らない。特別棟の鍵はもちろん閉まっているけど、一つだけ鍵のかからない窓があることを私は知っていた。
特別棟は、二年とちょっとの放課後を過ごした場所だった。競技かるた部の部室があるのだ。畳の敷かれた教室に備え付けられた冷房の、リモコンの場所も知っている。
そして今の私は、この部屋に昨年の夏から持ち込み続けた保存食がもう、尽きそうなのも知っていた。
保存食は、一人分の夏を越せる量はあった。二人分は、なかった。
「いま、なんて、いったの」
目の前で顔を赤らめる男を、連れてきてしまったのは、私の気の迷い。
「だから、藤吉のことが、好きだって」
彼は赤くなった頬を手で覆った。その仕草も好きだなと思った。心臓の高鳴りが続いてるのが自分でもわかった。
「え、え、ほんと? いつから? て、今言うことじゃなくない?」
「ほんと。一年生のときからだよ」
「そんな長い……え、これ罰ゲームとかじゃないよね」
「罰ゲームあたえてくるひとが、今いると思う?」
「あ、たしかに……」
彼の言葉は語尾へとどんどん弱まっていく。藤吉の、暑さのせいによらない赤面は、頬どころか耳と伝染している。たぶん私の顔も赤いんだろうと急に気づいて、私も頬を隠した。
「おれも」
藤吉は私と目を合わせて、すぐ逸らして、小さい声でつぶやいた。
「久米のこと、ずっと好きだよ」
「へ、ほ、ほんとに?」
藤吉とはわりと仲良くしていた自覚はあった。けど、告白して振られる怖さがあって、ずっと言い出せなかった。それで、この想いを二年ずっと燻らせていたのだ。そんな相手から、ずっと好きだなんて言われたら、私も顔なんて真っ赤だ。
藤吉は何も言わずに、私の手を掴んだ。驚いた時にはもう彼の腕の中だった。彼の腕が意外とひょろくないこととか、胸板があついこととか、そういうのは初めて知った。
「え」
「久米」
ふにゃふにゃした笑顔で呼ばれた。
「なに」
「告白してくれてありがとう」
「感謝されることじゃ」
「おれも久米がすきだよ、ほんとに、ねえ」
藤吉はおもむろに私の肩を掴んで、向き直った。
「あのさ、キスしてもいい?」
どきっとした。ああ、藤吉のこういうところが好きだ。バカっぽいのに試合のときは真剣なとことか、ていうかそもそも幼少期公園走り回ってたみたいな顔してるのに競技かるたをやってるとことか。
わたしはうなづいた。
それで、唇を重ねた。なんの味もしなくて、後から唇ガサついたままだったことに気づいて、リップクリーム切らしてるのも一緒に思い出して、仕方ないから考えるのをやめた。
どのくらいかして、どちらからともなく、離れた。頭がふわふわしてて、名残惜しさがあった。この感覚も、初めて知った。
窓には日光を遮るためのダンボールが敷き詰め貼られているから、部屋は暗い。顔が近くて、彼がどんな表情なのか見えなかった。
「て、俺たちほんとに、なにやってんだろなあ、こんなときに」
けど、声は笑ってる。あー、藤吉の笑ってるところが好きだ。私もつられて笑った。
「もっとはやく、言えばよかった」
「たしかに。スマホ使えてたらだけど、インスタに匂わせ投稿とかしてぇー」
私たちは畳に寝転がって笑い合った。幸せだった。
「久米、誕生日さ、十月だよね、ケーキ作りたい」
「え、つくれんの」
「……一緒に頑張ろうぜ」
「もー言うからには自分で作ってよ」
「ね、俺誕生日一月」
「一月八日でしょ。しってる」
「誕生日一月なんだけど」
「……プレゼントあげる、なんか」
「え、ほんと! うれしすぎる……あ、クリスマスもどっか行こう、駅前のイルミネーション。あれ去年クラスの男七人くらいで行って、ちょっと見て場違いさに気づいて帰ってきたんよ」
「泣けるね」
「今年はふたりで行かせてー。そんであとクラスメイトに彼女できた自慢もする」
彼もきっと、食糧が尽きそうなのは勘づいている。もう生き延びられないことを悟って私が告白をしたことだって、彼にはわかったはずだ。
ああ、生前の未練をなくすための告白が、生きたいと思う気持ちを加速させてしまった。保存食はあと二日分しかないよ。ねえ、どうしよう。
「あー、泣かないで」
目を拭われて、私は私が泣いていることに気がついた。
「俺たちは生き延びるよ。だから、大丈夫」
背中をさすられる。
「久米、ごめん。ごめんね」
「藤吉があやまることなんて」
「俺がついてこなかったら、飯は」
「いわないで」
藤吉にはぜんぶお見通しだった。私が彼を特別棟に連れ出さず一人で来ていれば、一人分の保存食で、生き延びる活路があったことも。そんなこと、彼に言わせちゃだめに決まってる。
「藤吉がいるから、幸せだよ」
蝉の声が響かない夏、私たちは恋人になった。