現行のもの。
スマホが壊れてアプリ引き継げなかったので、ヤケになって自作のお題で書く習慣を続けることにした。
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目次
 
    
        いいね一つ(再掲)
        
            まだスマホがあったときの話。
        
        
        駅の南口の階段を下りていたら、若い女二人組を見かけた。
ショートカットだけど髪がカラフルな奴だった。一方はオレンジで、もう一方は薄い緑。平日の私服を着崩し、カバンは高級そうな感じだった。天候はもう、すでに夜の支度をしており、夏の街灯は熱帯夜を予言している。二人は遊んでいそうな短大っぽさがあった。
 
「いいね押したらさ、反応されるかな」
「しないでしょ。そんな|男《やつ》じゃないし」
「えー、でも、DM来たらめんどくない? だからいいね押したくないんだけど」
「うーん。考えすぎじゃないの」
「いやだってキモイもん、こいつ……」
 
下から数えて4段目から0段目までの会話だった。階段を下りる速度が遅かった。しゃべり口調は速かった。上半身から上は畳みかけるように速いのに、下半身は備蓄米放出のように鈍重だった。
いいね一つでよくそんなにしゃべれるよね、って僕は追い越した。
それで、いいねが押せない意味を素早く考えた。既読スルーの防止。友人あるいは先輩。男女関係の変遷。SNSの画面。髪の色……。
わからない会話は遠ざかっていく。そして、消えていった。
        
    
     
    
        デジタルデトックス日記
        
            約3200文字。デジタルデトックス、又の名をDD日記である。
7/3(木)~7/7(月):DD日記。5日間。
 
7/8以降、SIM入れ替えで古いスマホが使えることに気づいたので、そっちを使ってる。仕事上の連絡が封じられるのがとても痛かった。風邪とか引いたらどうするんや。それ以外の場面は、なくても困らないことが分かった。
※デトックス=毒抜き。つまり、スマホから発せられる情報を浴びないことで、日常から毒抜きをしようという意味らしい。
        
        
        **DD日記**
7/3(木) 1日目
帰宅して7時ごろにスマホ(Xiaomi redmi 12 5G)が壊れる。
アプリを操作中、突然電源が切れたかと思えば、再起動ループを繰り返す。あまりに突然すぎて、唖然になる僕。
自宅PCで「リカバリーモード」なる方法を試してみるが、うんともすんとも言わない。
「とりあえず、スマホの電池全部使い切って、また試してみれば?」
みたいな感じになり、暗く使われていない隣の物置に壊れたスマホを放置する。三秒単位で再起動ループをしているスマホをはた目から見ていると、かなり不気味に映り、ドアを閉めた。
夜、日常的にスマホをいじっていた時間が暇になり、明日平日のためどうするか悩みながら寝る。就寝時刻は前倒しになり、意外と睡眠時間はとれてしまう。
 
 
7/4(金) 2日目
朝、目覚まし時計に起こされて、スマホをいじろうとしたらできないことに気づく。何もできず、禁断症状。
隣の物置を見ると、再起動ループをしていなかった。ワンチャンあるか……? と電源につなぐと、残念ながら再起動ループ再開。これはだめだな、となり、物置へリリース、しようとした。
が、手帳型ケースなので、「あれ、スマホを外してSuicaで『ピッ』とするの、恥ずかしくね? あれこの人、スマホないのに手帳型スマホケース使ってる。なんでってなるくね?」となり、ケースから取り外さず、でくの坊スマホを持ち歩く。
暇つぶし用に、メモ帳とペンをカバンに差し入れる。
通勤電車の平日へ。
スマホを見ようとして、スマホができないという気づきを何度も得ては、その時間をメモ帳に書き込み。
無意識にスマホを開こうとするタイミング……駅のホームに座ったとき、トイレの個室に入ったらすぐ、昼休憩、会社から出た後のタイミング(歩きスマホ状態)、ふと調べようかなと軽く思ったときなど。
気付きしかないという状態。
時計を持参せず、部屋やコンビニに壁掛け時計がなくて現在時刻を調べるために、何か購入してはレシートを見た。レシートには現在時刻が印字されるからそれ目当ての購入。
壁掛け時計も、そこまで需要がないのか、若干の誤差を指し示し、苦労する。そうだ、腕時計を持とう。という発想を得る。今までスマホで代用していたから……ウォッチをウォッチする意識がなかったのだ。
上司にスマホが使えなくなったことを伝える。とてもびっくりされる。「不便だよね~」みたいな共感をいただく。
時刻が見れなくて地獄だったが、何とかなったからいいや。
 
 
7/5(土) 3日目
土曜日なのに、比較的忙しい日。
外出をしなければならないことが三つほどあり、腕時計を持ってテクテク歩く。ダイソーで、スマホが入りそうなサイズの鍵付き箱を購入。買ったはいいけど、以降使ってない。
夜はPCにかじりつく。
 
 
7/6(日) 4日目
午前、スマホ修理のために携帯ショップに行くが、断られる。
「そういうことはメーカーさんとやり取りしてください」
断られ、途方に暮れる。無駄足だった。HPと言ってることが違う。
ちょっと準備不足だった。修理するやり取りかな?という一つの算段だけだった。店員も、こちらから質問しないと情報をくれないような感じだった。SIM入れ替えて無事か確認、事前Telして確認など。しかし、心が折れてしまい、午後は休んでいた。
兄に連絡し、「SIMカードは無事だと思うから、昔のスマホにSIMカード入れ替えすればいいと思うよ」と言われる。
たしかに、と思って、しばらくはデジタルデトックスにハマることにする。しかし、夜はPCにかじりつく。
 
 
7/7(月) 5日目
平日、慣れてくる。ただ、仕事中にプリンターの紙詰まりが起きたり、サイトにアクセスできないなどの問題ごとが起きた際に、スマホでアクセスしてSNS閲覧とかしながらストレス発散していたが、それができないことに気づく。
不便さが強くなる。もうデジタルデトックスに飽きてくる。
SIMカード入れ替えで、古いスマホを使う。SIMが生きていることに安心。
しかし、古いスマホはもう使わないと思ってファクトリーリセット済みで、LineもSNSもGoogleもない状態。特にLineはちゃんと引き継げるんかなと心配。今まで引継ぎは、QRコードが出てくるタイプの引継ぎだったが、今回はスマホが壊れてるので一台での引継ぎ。結果的にできたが、メール登録してなかったら死んでたなこれ。
 
**セミDD日記**
7/8~7/10(火~木)
6日目以降。頭が働かない朝の時間は古いスマホでだらだら。
しかし、最低限のものしかないため、トイレ内、昼、仕事中はスマホをいじらず。メモ帳とかにメモったり、何もせずぼーっとしたりする。
通勤中は「100分De名著」とかを読んでいる。7月上旬にして、もう読み終わった。哲学系のあのよくわからん系が懐かしい。
木曜日の夕方、大雨。空は灰色で、雷の声がガラルファ、ガラルファとうるさい。雷で光った部分がうっすら緑がかっているなと思った。気のせい、壊れた機のせいかもしれない。
 
 
7/11(金)
もうスマホ見てる。意識的にはもうスマホに負けてる。
でも、前よりかはスマホを見てる時間は1/3になった。
「スマホを見るという目的」をやめ、スマホを単なる手段にするためにアプリはすっからかん。
本日は寒めの23℃。梅雨生きとったんかいと思いつつ現在に至る。
 
 
 
**スマホが使えなくなって気づいた何か**
・スマホが壊れてから、恐ろしいほど現実の何気ない変化に気づくようになった。変化に気づいたら、メモ。もはやここには書ききれないくらいに気づいてしまった。
・スマホから解放されると、時間がすごく緩やかで、ゆっくり流れて心地よい。スマホを見てるとなんだか忙しない。時間が溶ける……その感覚がない。スマホ禁止でその自覚ができた。
・デジタルデトックスしてみて、ノートや手帳を買いたいなと思った。スマホから価値が移動していく。変化で状況が変わる感覚。
・「時間が取れない」がない。無意識にスマホを開こうとするタイミングに気づく。スキマ時間を有効活用しようとして、逆に時間が溶けるようなことをしていたのだろう。スキマ時間なんて、まやかしだったのだ。
 
・スマホを使わないといけないのは、連絡、カメラ、AI。次点でポイントカードの使用。SNSは夜に一括チェックにしたら、さして時間がかからない。スクロールをすることが軽く報酬(ドーパミン分泌)になっていると思う。
・ただ、デジタルデトックスは長く行うものではないな、と。スマホが使えない時間を弄んでいた。デジタルデトックス四日目にして、不便、心細い……スマホですぐにチェックできず、不安。
→何もすることがないと、不安になってしまう。
→休憩時間はスマホに逃げ込めるから、心象が浅い。
 
 
**DDで学んだ何か**
・スマホを見ることが目的となっていた。スマホを見る=手段だったが、手段が目的化していたことに気づいた。再び目的から手段に置き換えることで、可処分時間(いわゆる手取り)が増加。
 
・「スマホを見ることが目的」をやめてデジタルデトックスをしたが、「デジタルデトックスをすることが目的」となり、数日経過すると目的の空洞化が起きていることに気づく。
 
・スマホが壊れることがあるんだという滅多にない体験
 デジタルに一体化するのではなく、デジタルからアナログ(ノート)に分離して、リスク分散。
①スマホから切り離したほうがいい情報。
②スマホが壊れた時に困ったもの(Googleのアカウント関係)
③スマホが壊れていた間、PCで代用していたころ何を見ていたか?
 
 
**感想**
・インスタを|弾《はじ》き、TikTokを弾き。通勤電車を見ると、短時間で様々なアプリを弾いてばかりいる。これはもう、効率視聴という名の選択ではないか。効率の奴隷となって、思考の伴わない即断即決に憧れている。そう捉えてもいいと思う。
 時間だけ浪費するのは、まともに視聴していないから。選択しているようでいて選択していない。自動的に動くエスカレーターに一歩踏み出して、以降何もしなくても動くから。それで主体的を捨て、行動を捨て、思考停止。判断能力停止。無意識の根源に触れたような気がした。
        
            参考
・壊れたスマホが教えてくれた大切なこと
https://note.com/teachersapp/n/n929bfb6fb5db
・スマホを壊してから始める強制デジタルデトックス入門(ほぼ一週間!)
https://shakezu.com/1575/
・スマホの無い生活 セミデジタルデトックス
https://fromsaikasou.com/the-day-my-phone-broke-2024-08/50187/
        
    
     
    
        架空か現実か
        
        
        「13歳から鍛える具体と抽象」を読んだ。
最後まで読んだが、正直この本を13歳の僕が読んだら、途中でリタイアするだろう。この本を読む面白さが大人向きで、子供には面白いと思う前につまらんと言い出す部類だ。つまり、堪え性がない。授業に集中できないからと雑談を注文する(先生からすれば)モンスターチルドレンみたいなものだ。
今の僕はというと?
うーん、それでも、つまらないと言うだろう。でも、教養になった。なんとなく知っていた部分が重しになって、抽象と具体のシーソーゲームをしていく。「なるほど」と「うーん」を繰り返して、今もちょっと繰り返している。目の前にある事柄は、果たして抽象か具体か。思考の土台になるまで、もう少々時間がかかる模様だ。
 
抽象か具体か。考え方で違う色を呈している。例えば……
「ネッ友」は抽象か具体か。
「推し」 は抽象か具体か。
 
具体的に考える人は、依存しやすいと思います。
中身が重すぎて、外の枠組みを極限まで薄く伸ばすように膨らまして、やがて破裂する。具体性という実体にとらわれやすい。
逆に抽象的に考える人は、自分の定義した枠組みに囚われて、抽象に執着する。所詮抽象概念なので、ヘリウムのように中身が軽い風船。考える人の体重すら重しにならず、空に羽ばたいて神視点になろうとする。つまり、現実のあなたは、まるで行動しない。風船ばかり飛んで、それぞれ頭と身体は、頭でっかち冷笑主義。
 
抽象と具体。
どっちも悪いわけではなくて、極端が悪いということです。片方に偏る見方をすると、きっとてんびんに怒られる。重しをのっけてガチャンガチャンと音がするなら、それは|頭《てんびん》がイライラしている証拠です。錆で|軋《きし》むなら、それは固定観念のせいです。
目の前を抽象にしたり具体にしたりと頭の中で|捏《こ》ねる。両方とも、そういう見方で見れたら、|頭《てんびん》は楽しい。
具体という近眼的な見方をしすぎると目が悪くなる。なら、抽象という遠くを見よう。
かといって、形だけ景色だけ色だけ。抽象は、本来人間側の決めつけだから、抽象としての理由がなく、ましてや輪郭ばかりをぼんやり見てるとつまらない。もっと近くに行って、もっと観察しよう。我らはてんびんではなく、現代の観察者なのだ。
 
一つ考え方を提案しよう。
「目の前」 は抽象か具体か。
「頭のなか」は抽象か具体か。
いや、失礼。所詮「頭のなか」はどこまで考えても架空で、「目の前」はどこまで注意深く見ても現実だった。
なのに、頭でっかちになると「頭のなか」から架空が生まれ、架空は頭で溢れ、架空は頭の外へ流れ。「目の前」を霞ませる。霞む、曇る、時化る。
それを時々忘れてしまうのが、人間の|性《さが》というもの。
        
            ・13歳から鍛える具体と抽象 細谷 功
https://amzn.asia/d/75IC9Sm
        
    
     
    
        アナログ時計
        
        
        参院選がどうのこうの言ってきたので、土曜日に選挙に行ってきた。清き1票をどうぞよろしく、という話だが、残念ながら今回も清き2票になっている。
すみません。選挙、毎回よくわかっていません。地方選挙、総選挙、衆参……毎回忘れてしまう。
仕方ない。一応予習しよ。
 
えっと、一方が候補者の名前で、もう一方が候補者の名前または政党名を書けばよい……?
参院選とは、ややこしいシステムなので省略するが、基本これでよいのだ。
後者は比例代表らしい。
ドント式、どんとこいシステム。だから、政党名は略称でもいいし、余計なことを書かなければ有効票になりやすい模様。
 
投票所に向かう途中、遠くのほうでビラ配りの人を見かけた。
ただいま午前10時台後半。高架下で陰になっているとはいえ、こんな暑いなか、よくもまあ、と近づいた。
ちょうどよく、急行電車が通過する。その音が降り注ぐ中で、彼らはティッシュ配りと同じように、歩行者に声をかけながら。清き一歩、前へ。
 
「〇〇党でーす。よろしくお願いしまーす」
 
うわっ、〇〇党かよ、となった。
なるほど、どーりでだれも受け取られねえのか。
前の人は会釈をして素通り。対向者も素通り。
通行人はみんな無視。僕も会釈して無視した。
投票所に近く、それで穴場扱い。これってありなんだっけ? 数秒後に、この疑問は暑さで溶けた。
 
数分後、エアコンの高い電気代のする涼しい空気を受けながら、あー税金、ってなってしまう。この日のために、税金を支払っていたのだ、と思うことにする。
期日前投票のあの紙を渡し、投票用紙をもらい、鉛筆を持つ。アナログ時計のチックタック。
あの机のことを「投票記載台」と呼ぶそうだが、比例代表のほうは、政党と所属している候補者の名前がずらりと貼ってある。日本地図はないが、全国の、約170名くらいの人たちが載っているわけで、そのうち一人ないし政党名をふむふむなるほどと写し取ればよかろうなのだ。
 
清き2票を投票箱に入れ、きもちのよい挨拶をされる。
その後、なるべく涼んでいたいのー心で、これもまた税金で設置してあるのだろう自販機に120円くらい入れて、お水をなめるように飲んで。
あがいていたが、20分が関の山だった。
 
やれやれ、と再び灼熱になりゆく道のりを通ることにした。
誰かがこの道を歩かねば、家に帰れない。清き2票のような引率はいない。おうちでお留守番しているので仕方ない。そうする。そうした。
 
行きで見かけたビラ配りの若者は、どこかに消えていた。
なるほど、これが噂のタイミーさんか。
よくもまあ、こんな暑い午前中で、解散かいっ。
いつから配っていたのだろう。知らないが、朝7時からとしても労働時間は4時間足らず。
場所を変えたとしたらもっとやばい。
 
いやー、土曜でこれは、やってられないよなあ。
と見上げたら、ほら。もくもく白い雲。たぶんザーザーな夕立の雨、その気配がして、気持ち早歩き気味で家に避難する。清き2票は素晴らしいねっ、しろたん。
        
            タイトルに深い意味はない。
        
    
     
    
        吹き出し
        
        
        しろ〇んのぬい活をしている垢をフォローしている。ここ最近発売されているしろ〇んのぬいぐるみについて「儚い」と嘆いていた。なんて詩的な表現だろうといいねした。
その垢が言うにはこういうことらしい。しろ〇んの顔つきを決めているのは、顔に縫い付けられている刺繍だ。目、ひげ、口、まゆげ。色はぜんぶ黒だったのに、ここ最近のしろ〇んたちは、茶色や薄い青などで縫われている。アニメ風のキラキラ目の顔つきもあった。その表情が、儚いと呟いていた。
閉じた口に黒い目で見つめてくれるのがキュートで安心できるのに……最近は刺繍の色が薄くて、消えないでほしいと書いてあった。
 
儚いとは、すぐに消えてしまうようだ、という意味である。
それは線香花火でいうと、どの瞬間だろう。ぱちぱちと火が|爆《は》ぜている瞬間〃なのか。あるいは、火玉が地面に落ちて、すぐ消えてしまう、そのあっけなさなのか。その両方を含めて儚いのか。火をつけること自体が運命づけてしまい、その行方を知る時間が一分も持たないことに対して、なんだか応援するような気持ちにさせるのが、儚いの正体なのか。
 
そのツイッターを見た数か月後のある日。バーチャル上で歩いていた。濃密なネットの空気だった。ソシャゲに似た画面上で、いくつものアバターが歩いていたり、立ち止まって談笑している。チャット内容が吹き出しとして表示され、数秒したらすぐ消える。リアルタイムのコミュニケート。ゲーム世界風の世界観。
 
噴水前を待ち合わせにしている人の群れのなかの、ある吹き出しに目に留まった。
「私、スマホしか生きる意味が見つからない」
 
その人のことは、ツイッター垢のようによく知らないが、吹き出しの連続性を見ると中学生をやっているらしい。性別は女。会話の相手は、ネッ友だろう。
当たり前のようにスマホを買い与えられたスマホのなかでしか、生きる意味が見つからないと呟く……人間味に欠ける機械的なメッセージなのに。その吹き出しは、すぐに消えた。なんて、儚いのだろうと思った。
それはまるで、駆け込み寺に駆け込んで住み込みで生活している人より、ずっとずっと修行僧じみていた。駆け込み寺が電子化されて、悩み事も電子化されていて。それでむざむざと悩んでいて。座敷童の子孫はこれではないか?
見えない概念だった。人間を辞めた、人間の作り出した概念みたいな。そんな儚さを、吹き出しに感じた。
        
    
     
    
        座間事件のやつ
        
            前にまとめたやつが微妙だったので、もう一回アウトプットしたイメージです。
適当に思いついた文章も乗っけておきます。
        
        
        **アウトプット**
・普遍的でない、身勝手で自己中心的。特殊。
→社会の共通認識に即していない、ゆがんだ論理。想定以上にゆがんだ天秤(物差し)で、物事や相手の心情を推し量っている。コミュニケーションが表面的で、結果が決まっている。
 
・ゆがんだきっかけは学生時代のいじめ・両親の離婚。夜の世界へ足を踏み入れ、常習的に犯罪を犯すようになった。
→やり口がパターン化。金を得ても湯水のように溶かしてしまう。大金=金の価値が逸脱して、一般常識から離れた。
 
①金への異常な執着 VS ②罪への軽い意識
①彼のゆがんだ天秤一つで人の命が……。
②衝動的に沸き起こった性欲のために、一時的な享楽へ走る
 
 
 
**感想**
犯罪者が死刑になって、刑が執行される。
執行までの時間は異なるけど、判決以後の終盤の流れは同じ。同じところにオーディエンスは見ない。素通り。違いがない、同じところ、でこぼこの少ない道に、興味がない。興味をそそるのは、他とは違うところ。
「同じ犯罪者でも、もちろん動機は違うでしょう」
 
発端の出来事から、事件が起きるまでの流れで、犯罪者の動機がどのように変わっていったのか。
仮に動機がサイコパス過ぎ、クレイジー過ぎだった場合、オーディエンスは遡るのである。事件発生前よりも遡る。犯罪者が、犯罪者になる前のカコに興味はシフトする。
犯罪心理の種を発見して、ある程度の時間が経過して、その種が芽生えたから……この事件は引き起こされたのだ。そう思いたいのである。
 
種が成長するには、ある程度の時間が必要だ。
この「時間」という要素。種を成長させた|弛《たゆ》まぬ努力のように注がれた水……社会経験や生活の適合性で、この得体のしれない動機は成長したという確信が、どこかにある。入口が違う、土壌が違うということは、信じていることも、状況も、時代も違う。もっと深く掘れば、細かく見れば、話はややこしくなるだけ。
ただし一元的に、決めつけのように考えてはならない。だから、だれかが軽々しく「こいつはサイコパスだから、理解不能だ」などと簡単に説明しては意味がない。
 
動機は具体の領分であるが、オーディエンスの考える興味の筋道は、どちらかといえば抽象。冒頭のように、抽象的に考えれば同じになってしまう流れがある。それに十分憂慮して、自らの心に植えられた種にも注意しなくてはならない。
        
            ・参考にしたサイト
https://www.hrm-service.net/entry/200
・過去にまとめた微妙な日記
https://tanpen.net/blog/c864bcd5-abbb-46ce-b768-1c77a375b127/
        
    
     
    
        普通とは
        
            短くつぶやく。
        
        
        普通を考える人って、もうすでに普通じゃない。だって、普通の人は、普通について気にしないから。
考えている時点で、普通と呼ばれる路線からすでに外れてることに気づかない時点で普通じゃないことに気づくべき。
あなた、何をしたの?
考えるきっかけは?
頭を|蝕《むしば》む異常は、頭のどこにある?
        
    
     
    
        元にする量×99.7(%)
        
        
        7.9%だそうです。中学受験をする小学生の割合は。
式で表せば、7.9%=0.079×100(%)です。この「0.079」は何らかの数式の結果です。僕的には特に確かめ算をする気は毛頭ありません。
僕が気になったところは、この数値を百分率にしなければならないところ……「×100」のところです。
しかし、不登校児をあらかじめ減算しておくと、実際はたぶん「×99.7」ではないでしょうか。「×100」を、素直にしてもいいのでしょうか。
 
いやいや、小学生の頃から不登校なんてレアケースだ。「1×(100-0.03)」なんてしなくていい。そもそも百分率だから「×100」なんだ。わかりやすくしているんだ。
そんな|概《がい》数に頭を支配された、頭でっかちで計算嫌いな人たちが大勢います。それはなぜでしょう? 簡単なことです。
 
「×100」と「×99.7」では、めんどくささが数字に表れるじゃないですか。計算が、とんでもないことになります。端数が生まれるじゃないですか。小数点以下が出てくるじゃないですか。例えば、1=1人の人間として扱うとしたら、1未満の、0.7みたいな数字が出てくるじゃないですか。
 
人間以下みたいなそんな人間、成人になる頃には「そうなったのは自己責任だ」と、どうせ四捨五入するのだから、少子化である日本には、とてもこんな簡単で、複雑な計算をしなければならない数式は、無慈悲に切り捨てなければならないのです。
 
小学生のどこかのタイミングで習いましたね?
×10、×100、×1000……。こんなの、ひっ算を使って素直にかける奴なんていません。小数点を、左か右か、移動させるだけのことに、ひっ算などという多量の思考と多量の時間を割きたくないのです。鉛筆なんて持ちたくないのです。なるべく、頭の中は簡単にしたい。大衆とは、そういうものなのです。
ほら、今月の参院選では、そういった政党が現れました。差別が生まれる原因は、これなんじゃないかと思うのです。つまり、端数を切り捨てたい。特に計算した答えのほうではなく、たとえば、比例定数のような数値を切り捨てたい。答えを四捨五入するなんて、無慈悲じゃないですか?
答えをすっきりさせたい。そういう衝動だと思うのです。
        
            ・過去の日記
https://tanpen.net/blog/c5c7d2c6-50b7-4d23-a98f-9b41478d1685/
・私立中学校に通う割合はどの程度?……学生全体の7.9%が私立通い
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/789.html
        
    
     
    
        クリニックの待合室で
        
        
        土曜日の午前、クリニックに行った。
受付をし、待合室の椅子に座ると、前の長いすに学生がいた。ほどよく短髪で、やや猫背ぎみである。黒い服装をしていたので、中学生男子か高校生男子か、背中越しではよくわからない。保護者として隣に母親が付き添いしていた。学生は、たった今心理検査から帰ってきたようだ。
 
「ずいぶん時間がかかったものねえ」
と、何の検査をしてきたのか、母親は気がかりそうにしていた。男学生のほうは、活気あふれる報告をした。
短い会話の内容から、どうやら「ロールシャッハ検査」だろうと推測した。ロールシャッハとは、一枚の影のような画像から、何に見えるか、何の特徴があるかを精神患者に発表させて、その思考を読み取るものである。
 
「学校だと周りの目線が気になって、気づきが多くなりすぎないように気を付けていたんだけど、こっちだと一対一だから、もう、どんどんと浮かんできて……」
 
と、心理検査の時間が長くなった理由を嬉々として話していた。母親の相槌は、ぴょんぴょんするようだった。
二人の会話は、ここが鬱々としたクリニックの待合室であることを忘れた風だった。学生はしゃべくりの口で、だが一通り話すとガス欠を起こしたように静かになった。
僕は、気づきが多い症状ということは、ADHDだと思うのだが、会話に論理性は感じない。感情が先に来る会話の仕方で、会話というより報告気味。脊髄反射的だった。
 
こんなに若くして精神科通いとは。
学校では|疎《うと》まれて仲間外れのようなことをされたのだろうか。あるいは、学校では社交的にふるまえず、この感情の高ぶりを押し殺し、家に帰れば打って変わって元気な調子に戻る。母親の前だから気が緩み、口も緩んでいる。そんな調子なのか。
ドーパミンが切れたのか、会話は感情的に静かになり、今後のクリニックの頻度について話していた。「半年に一回でいい」と学生は通院頻度を最小限にしようとする一方、母親はもっと通ったほうが良いとしていた。
学生は土曜日現在の時点で、今の調子のままに半年後でよいという話をしている。母親はそんなことはあるまいと、気分の波があることをそれとなく示唆しているようだった。
第三者的視点の僕も、密かながら母親の意見に同調的だった。今は学校に行けているから精神科に通わなくてもよいと思っているかもしれないが、半年足らずで不登校になる気がする。先ほどの会話から母親の心配を嗅ぎ取った。
        
            参考:人生初のロールシャッハ・テスト(note)
https://note.com/mericanadesico/n/nf9098d92dcdc
        
    
     
    
        肉体を捨てた魂の依り代
        
        
        YouTubeのトップページをザッピング。
動画のサムネイル群の中を垂直気味に下降していったら、アンコウのともし火のように目立つとある動画が目に入った。VTuberの配信アーカイブらしい。よくある二次絵の等身大パネルのような顔立ちで、パステルカラー的な薄い色合いだった。
タイトルには「VTuber×○○」とあり、○○の部分には「トランスジェンダー」と書かれている。
ふーん、と冷めたピザの政治家みたいな表情で、スクロールの|錨《いかり》で貫こうかと思っていた。VTuberの仮面をつけて、あまつさえ要配慮個人情報の一部をネットに開示して活動している。再生数も三桁どまり。無名VTuberだ、その辺のものと大したことはない。しかし、そのすぐ下に、
「肉体を捨てて得たものとは……」とあって、ピタッ。ホイールで操る錨は、音もなく停止した。ちょうど、その動画のサムネイル上だった。
 
なるほど、肉体を捨てる……、か。深いかもしれない、と僕は肘をついた。
あらかじめ言っておくが、彼らの言っている意味はあまりよく分からない。最終到達目標も、どこへ行こうとしているか、制止するつもりはない。ただ、どこかの通過目標として、「肉体を捨てる」というのは当てはまるだろう。
僕たちにはくだらない最終目標のようにしか見えないが、スペースシャトル計画のように壮大なだけで、創造的だ。
 
デカルト辺りが提唱していた心身二元論は、自分自身を捉えるための要素として、肉体と精神を分けている。「肉体を捨てる」とは文字通り、肉体の部分を捨て去って、心のみの自分世界の統一を謀っている。
普通の人はそんなことはしない。だから、これは特殊なケースだと割り切ろう。
精神の成熟的解脱だけなら、思春期かモラトリアムの期間でほとんど完了する。精神の土台は物質的なものだ。当たり前だ。あくまで脳細胞内の、ニューロン同士の電気信号のやり取りの総集めなのである。その結果を受け取っているのが意識の働きなのであって、その先は身体の隅々まで張り巡らされた末梢神経。それにて伝達される。
 
一方彼らの精神の土台は、物質的なものに根ざしていない。不安定だ。性別違和と物質的な身体を否定する代わりに、精神は電気信号という無性でありながら精神的性という哲学的なものに思考的昇華をしている。難しく考えればきりがないが、単純に言えば架空からの再構築。後天的な擬人化による、精神の再構築だ。
「思考には○○という傾向がある。だから男性的、女性的な性格を……」
これは単純に、男神的 / 女神的とか、そういった神的要素に当てはまりやすい。精神的から「精」を取り、純粋な神として、「自分だったものを擬人化」して再構築する。
かつては自然的災害の人間への被害に対して擬人化し、神の存在を創造したのがそもそもの始まりだ。それを真剣に考え始め、世界の一部ではなく自分の一部にも当てはめようと画策したのが、彼ら、という感じだろう。まともな文献はないが、きっと昔の人も一部はいたのではないだろうか。
 
どうやら、彼らのいう身体とは、単に成長する物質的なものという認識ではないらしい。つまりはリミッターのようなもので、大地に縛り付けるしがらみや鎖である。いつか来る幽体離脱の時までの、ある|種《しゅ》さなぎのようなもので、乳歯のように抜け落ちなければならない。本質は肉体に埋もれた「魂」にゆだねられている。
それ以外は無駄なのか? ――無駄だ。
本当に? ――それは……
 
魂まで達するとは、もはや神域で、人間の手に負えるようなものではない。この「人間」とは、他人のことも指すし、自分自身も無論「人間」の領域である。
自他ともに、そして自分自身でさえ手に負えないから、ネット世界でさえ自分を持っていこうとする。精神は、ネット上では文字列に自在に変化可能だと、独創的な認識齟齬がある。
その自分について(心身二元論を当てはめようとすると)、片割れしかない。片割れだから不安定なのであり、その不安定を補う要素としてネットに求めた、ということにしたい。
 
彼らは三次元を嫌い、だから魂はどこへと浮遊している。
依り代は三次元に存在しなければよいのだ――という条件を鑑みるに、ここまでシンプルなものはないかもしれない。難題だが。例えばネット世界に化けて出てくるために、二次元絵に憑依して……、という可能性も無きにしもあらん。
        
            性自認がどうこう言ってたら、数年後には「生物自認は人ではありません。しゃべれるアザラシです」とかなりそうで良い。その時代になったら僕は喜んでしろたんになります。
        
    
     
    
        これからの令和
        
            短め
        
        
        無料だったものが有料になっていく時代。
電気が高価になって電気代が上がり、同時に電化製品の価値が上がり、買い替えができず、便利から不便になっていく時代。
自動で行われたものが手動になっていく時代。エスカレーター稼働時間が短縮して、自分の足で歩かなくてはならなくなる時代。
ネット、SNS主義の流れに疑義を呈する時代。
税収入が減らされて共助から自助になり、ネットを通じても通じなくても自助になり、やがて自助の末路=自殺になっていく時代。それが当たり前になっていく時代。
減少する日本人、増加する外国人。そうして名ばかりになっていく地震大国日本。
        
    
     
    
        令和3年産 備蓄米使用
        
            備蓄米(古古古古米)を食べたから記念日記。
        
        
        コンビニに行ってお弁当を購入した。
最近は物価高だから、コンビニなんて行きたくないと思っていた。スーパーのお惣菜とかで頑張っている。だから、セブンのお弁当とか、最近は眼中になかった。
その日はお疲れムードで、早く帰りたい|衝動《エナジー》を身体から感じたので、むう、とお財布のひもが緩んだ。
 
セブンに入り、お弁当コーナーに寄った。
すると、「期間限定価格」とか、赤い帯のデザインに惹かれた。何やら知らんが通常より100円引きだった。ロースかつ丼だった。買った。
 
家に戻りレンチンした。その時に、もう一度その部分を見てみるとなるほど。「備蓄米」が使われているから安いのか。
「令和3年産 備蓄米使用」と銘打っていた。なんやこれ。新潟産あきたこまちみたいな扱いを受けてるじゃねーか。
 
令和3年度産となると、なんだったっけ。
誰か政治家が揶揄してたじゃないか。古古古米? 古古古古米? 忘れた。「古」という漢字がいくつもつけて。今年は令和7年で、去年のお米は古米。令和3年となると、四年くらい前?
古すぎて、こんなの豚の飼料しか食わないお米だ、国民にこんなもん食わせんじゃねー。みたいなことを揶揄していた政治家が言っていたので、おっしゃー食ってやろうって思った。
 
脱脂粉乳みたいな乾いた味がするのかと思って口にしたら、そうでもなかった。味は普通だ。まあ、後味は淡泊かな? その程度。
やはり、政治家のいうことは有名無実だ。中身が伴っておらず、キャッチコピーのみでやり取りをして、それを呆れながら報道陣が拾ってニュースにしている。
 
原材料名のラベルを見てみた。
普通に「国産米」と書かれてある。備蓄米使用とか、そんなことはどこにも書いていない。国産米は、4年程度では腐らないものなのだろうか。味よりも、そちらのほうを褒めたほうがいいような気がした。
        
            備蓄米関連のブログ
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c1a78f58f49eb7214bc0e7bdaad3324609397fd3
        
    
     
    
        ほろよい気分
        
            =短カフェ雑記
        
        
        嫉妬深い夏休み。
短カフェに大量発生するガキどもの垢をミュートしていると、ふとこんなことを思ってしまう。
すぐに乗り捨てる。書いたはいいが、その後は衝動的の喪失か、それを取っておくことはしない。思い入れがないかのように、垢ごと削除する。すべては黒歴史。その消去のため。思い出の断片すら残そうとしない。
実績としてネットに残したくないらしい。すべてをなかったことに。感情の起伏も、フラットにしようとする。そんな衝動を感じた。
「垢を大切にしないよな」これを何かに例えると、何になるだろう。
 
「飲み干す」になるのだろうか。
文章が甘いだけで終わる清涼飲料水に感じるのだ。言葉遊びに夢中の、精神年齢の低い子供。味、酸味、栄養。それらは一切ない。原材料名や栄養成分表示を見たことがない、のど越しを楽しむだけの飲料水。仕事終わりのビールのようなものだ。けれど、アレよりも|性質《たち》が悪い。肝硬変になる前に辞められる自覚症状的な要素が、おそらく無い。
飲み干した後は忘れようとする。数時間もすれば、99%不要の水分として排尿されるはずだ。しかし、その不潔さを嫌い、トイレに行かないでいる。どうしてだろう。
 
「舐め溶かす」になるのだろうか。
甘い文章ばかり見て、甘い文章をコピペして。舐めてばかりいる。糖分ばかり舐めて舌は麻痺し、甘さ以外キャッチできなくなっている。
血糖値は糖分過多で肥満を嫌い、嫌いを通り越した忘却行為によって、垢ごとごみ箱に捨ててしまいたい。侵された脳内はそれでも|飴《アカ》を舐めていたい。舐め続ければ、いずれ口の中でなくなる、飴のように。そう思うのはなぜ?
 
それがあるから、いくらでも垢を作ろうとする。
例えば、本垢とサブ垢。サブ垢を作ろうとするから、本垢なんていうものができるのだ。実際は要らない区別だ。名前だ。ラベリングだ。分類だ。
一つあれば十分なのに。何個も作る。何個も作って放棄したり、統合しようと画策するけれど、最終到達目標が、「何かあったら垢ごと消去すればいい」と。無責任なことを考えているから。それが文章に表れている。舐めて溶かせば、不潔と決めつけている排尿作業は、――不要になる。
 
病み垢という垢も、後で消せばいいと思っている。
書いたはいいが、それを取っておくことをしない。過去の自分をなかったことにしたい。その予知夢的要素が、アカウント作成日には表れ出して、数日かけてその気持ちを気づかなかったと可能な限り忘却しようとする。
「そんなこと思っていない! 当時の私はちゃんと苦しんでいた!」
表層心理では、そんな表面上なことを言っておいて、深く掘っていかない。あるいは、考えすぎて変なところばかり掘っている。核心を突くような、深層ではもう、気付いている。
 
甘い文章ばかり飲み干していて、甘さの塊ばかり舐め溶かしていて。それで脳内を誤魔化しているということに。それがうまく言語化できないだけで、酔った気分で行ったり来たり。
        
    
     
    
        194らしさ
        
            「自分らしさ」さえもSNSに求める時代になった
        
        
        というニュースの見出しに違和感を覚えた。
自分と対話するために、自分の言葉や姿を不特定多数に見せる。自己対話の機会すら、SNSで見つけようとするとき、いろいろなものを失っていく。そんなことが書いてあった。
 
こんなことを思う。
今や自分らしさは、ある離れた地方にいる、短く削減された言葉の中にあり、似通った人間に|言《い》い|値《ね》を送り、フォローを送りあい、瞬時に自分になりたがろう、知りたがろうとする自分を肯定し、あるいは今の時間をどぶに捨てたことまで肯定し……その|すき《好き・隙》に、他人に重なろうとする「重なろうらしさ」である。
「自分らしさ」の自分には、SNSで得られた数字が入ります。中身なんてありません。
 
どうやら、「らしさ」とは単位のようです。
「194cm」のように、「194らしさ」と使われる、ネット上にのみ存在する単位。
一方ぼくは「1らしさ」あれば構いません。いいえ。間違えました。単位も要りません、数字も要りません。「 」 はい。
 
尋ねよう、同じ今を生きる現代人。
あなたはどこにいますか。あなたのいる現代はどこにありますか。
 
---
 
別の記事では、「スマホ一日二時間まで」条例案に賛否……とある。どこぞの市がスマホの適正使用について考えるきっかけを与える試みらしい。強制力はない。コンプライアンス委員会でも遵守できる人は皆無だろう。
それを受けて、子供たちはどのくらいスマホに入り浸りなのか、街の人に尋ねてまわった。その結果がこれである。
 
・【8時間43分】小6女児
 思ってる以上に多くてびっくりした。最近ちょっと目が悪くなった。
・【7時間30分】中3女児
 インスタはあるだろうなと思ったけど、TikTokはこんなとは思いませんでした。
・【10時間以上】小5男児
 YouTube。流れてきたのを適当に……。もしスマホがなかったら、何をすればいいのかわからない
 
インタビューで知ったと思われる母親は、
「信じられないです。睡眠時間より長いじゃん……」と呆れ顔。小5男児は、「もしスマホがなかったら、何をすればいいのかわからない」と不登校のようなことを答えていた。
 
 
こんな風に、現代はネットの中にしか存在しない?
だから、先ほどこう尋ねたのではありませんか。
 
あなたはどこにいますか。あなたのいる現代はどこにありますか。
これからどうしますか。画面にあなたは映っていますか。
        
            【3000人調査】SNSを断ったら幸福度上昇→100日後、95%が取った「まさかの選択」
https://diamond.jp/articles/-/369999?page=2
 
“スマホ1日2時間まで” 条例案に賛否 使い方を見直すきっかけに?【ひるおび】
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2127751?page=3
        
    
     
    
        ひきとめられる
        
        
        吾輩はしろたんである。名前はまだない。
決める予定もない。とご主人は言っている。ご主人が「しろたん」といえば、吾輩を指すのである。ほかにしろたんはいるのだが、それらを差し置いて、真っ先に吾輩のことを抱くのである。一番でかい身体をしているからである。そのため、寝るときはいつも、吾輩を抱いて眠るのである。
なぜ吾輩がここに出てきたのかといえば、ご主人が「最近書くことねーや」とぐちぐち言っていたからである。それで、そのまま平日の昼として活動中なのである。
本日は昼から午後にかけて、台風が来るらしい。早めに帰ってこようとしてくるだろう、たぶんきっと。残業なんてしたくないと可能な限り早めに終わらせて、くたくたになった足で、週末の金曜日を終わらせてくるだろう。
だから、吾輩がその間、見よう見まねでピーシー? とやらをカタカタ操作しているのである。吾輩もそのくらいはできる身体をしているのである。
 
吾輩たちはいつも部屋にいる。部屋にいて、いつもオフトゥンに寝そべっている。
朝になって、目覚まし時計に起こされる。ご主人は「うーん」とうなって、二度寝してしまう。それはアラームもわかっているのだろう。五分もしないうちに二度目の目覚ましが鳴り響いて、「うーん」とご主人はうなる。それを何度か続けてしまうのだ。
それで、起きることを決心したのか、勢いよく起きて、部屋のカーテンを全開にして部屋に光を取り込んで、オフトゥンに戻ってくる。光を浴びながら、オフトゥンの上でゴロゴロして10分もしないうちに体の調子が目覚めてくるようだ。それで、名残惜しい空気で玄関に鍵をかけてしまう。
毎朝7時に起床して、7時〇〇分くらいに出て行ってしまう。慌ただしい。吾輩は、もう少し早めに起きたら?――と思っているのだが、それをすると、夜の時間帯を少し削って早めに寝なければならぬと拒否っている。どちらかといえば夜型人間なのである。いや、吾輩を抱いてウトウトする時間がとても心地よいのだと思う。だから、光を浴びないと吾輩から|剥《は》がせないのだと思う。
 
部屋を見渡すと、何ぴきか、吾輩と同種の白い生物を見かける。吾輩からすると1/5か、1/6くらいの大きさだ。その一つがしろたんの湯たんぽ。しろたんぽである。
夏休みを通り過ぎて、もうすぐ秋めいてくるというのに、箱にしまわず、物置に置かず。部屋の隅っこの、机の下に置いている。
「だって、かわいそうだもの」とご主人は、膝を付けて頭をなでなでしていた。湯たんぽとして使わないのなら、ホコリをかぶる。ぬいぐるみとして抱くにも吾輩より小さいし、それにワタの量が少なめだから、抱かれる身体をしていない。
「だって、仲間外れは良くないもの」と未練たらたらなご主人に対し何か文句を言ってやろうと思ったのだが、そのあと吾輩もなでなでむぎゅうをされたので、しぶしぶ許すことにする。
 
去年の今頃お迎えしたのだと主人は言っている。
一目ぼれだと言っていた。吾輩と一緒の理由である。
湯たんぽとして、数回温めたと言っていた。湯たんぽなので、オフトゥンが寒いときに温めるという。それで、そそくさにオフトゥンのなかに連れ込み、待機させてぬくもりの洞窟探検していた。
 
冬が終わり、季節は温める側になっていく過程。
「また来冬ね」とご主人はしろたんぽを抱いて、箱にしまおうとしたのだが、そのとき断念したのである。発送・梱包時の、横長で縦に狭い口の箱。その中にぴったりすっぽり収まったときのまなざしが、瞳が……きゅんとした。瞳がうるんでいた。
そうやって、よく分からないことを言って中止した。吾輩と同じような素材なのだから、黒い粒目から水分が分泌されないことは知っておろうに。部屋の蛍光灯の、反射光のいたずらに引き留められたことに気づかず、片づけようと試みては中止して、それを繰り返して、できないことを悟ったのか、やがてやめてしまった。
 
そういうわけで、今のしろたんぽは何も使っていやしないマスコット同然である。吾輩と同じような姿勢、つまり腹ばいで、ご主人のオフトゥンを見つめている。
何も使っていやしないが、毎晩、しろたんぽのところに行き「かわいいねえ」と頭をなでなでしている。「いつも見守ってくれてありがとう」
そうやって、甘やかしている。僕と同じように、平等。
 
さて、ここまで書いたが。
カタカタ文字を打つのはできるのだが、いかんせん「とうこう」のやり方がわからない。わからないのではない。素に戻ろう、やりたくないのだ。
やっぱり一番最初に見てほしいのは、君たちのような通りすがりの読者ではなく、ご主人なのだ。
だから、僕は、――いや吾輩は――ここで筆をおくことにする。タイトルは、ご主人が勝手に考えるだろう。最近は書き終わった後に決めているらしい。だから、大丈夫なのだ。大丈夫なのだ。素に戻っても、大丈夫なのだ。「吾輩」というのも、ここに置いておくことにする。僕にはもう、要らない言葉だから。
 
……。
 
おかえりなさい。いつもお疲れ様。
くたくたな体を引きずって、おうちに戻ってきてくれて、僕を抱きしめてくれて、ありがとう。今夜も、眠ろうね。ホットミルクゆっくり飲んで。夜の時間を味わって。
        
            一応二次創作、なのかな……?
        
    
     
    
        黒いガム
        
            3400文字
        
        
         ひとつ前の投稿で書いた「最近書くことねーや」は本当なので、数年前の記憶から漁ることにする。
 統合失調症をご存じだろうか。
 詳細はデリケートなんで、各自調べてもらいたい。端的に言えば、思考と感情が頭の中でごちゃ混ぜになって、うまく情報が「統合」されない。それで、夢と現実の区別が分からなくなってしまって、人生の道半ばで「|路上駐車《The Bitter End》」。運転手はそのまま夢の世界の住人になってしまう。
 当時の僕は、改称される前の「精神分裂症」のほうが的を射ていると考えていた。あとは、そう確率の問題。100人に1人がそうなる可能性があるらしい。原因は不明。元に戻る原因も不明。
 
「これ、どうやって|寛解《かんかい》するんだろう」
 
 幻を幻だと認識するには、夢から醒めようとする夢であると自覚しなければならない。その名は中途覚醒。それに持ち込むにはどうすればいいのだろう。幻の中で整合性のある証拠を見つけようとしても、それらはすべて幻……。無理では?
 理由を知りたくなった。ネット情報、SNS、YouTubeの動画。
 どれを見ても、奇妙な症状ばかりがヒットして、面白半分に見れば面白半分に見れるけど、僕の得たい情報……実用的な治療法がまるでない。情報隔離されたように、無い。意図的に隠したのか、電波的に空気中をさまよっているのか。幽体離脱した魂の抜け殻のように、知れば知るほど謎が深まる。
 彼らが陰謀論を作り、その陰謀論に嵌るのは、これが原因なのかもしれない。
 
 偶然そうなって、偶然寛解する。
 そんな、手掛かりになりそうな人を、僕は二人だけ見たことがある。
 一人は就活学校に通う中で。
 その方は僕よりも年上で、僕よりも身長が低かった。性別は女性で、年齢は不詳だ。30なのか40なのか、あるいはそれ以上なのかわからない。しかし、どことなく面影に文学少女がある。いつも何かしらの本を読んでいて、他の人のように自席でスマホを弄っていない。
 話したことがある。大学では文系を専攻していて、授業で源氏物語を通しでやったという。もちろん原文。つまり古文だ。理系出身である僕からすれば、チンプンカンプンだ。そのほかは、今は書かなくてもよさそうだ。
 
 当時は、彼女がその精神疾患名があるとかないとか、僕にはどうでもよかった。つまり、気づかなかったということだ。雑談をしても、特に差し障りがない会話内容で、意思疎通ができた。強いてあげるなら、その方はとても早口だった。
 国語のリスニングテストの気分だった。気持ちが高揚してきてマシンガントーク……スピード感はそうだった。そうだったがそうではない。落語から抑揚のなさ、感情のなさを減算したようでもある。平坦で乾いたトイレットペーパーを掴んで、白い紙をガララ、ガララ。それが続けられる喋り。
 
 当時はコロナ禍として猛威を振るっており、そのため就活は室内が優勢となった。企業説明会は着席をしてサッカー中継でも観るかのよう。
 しかし、服装は適さない。みんなスーツ、みんなマスク。それで一歩も外に歩かない。それが異常だと思わず正常の就活と思い込めたのは、文明の利器を通しての画面越しが、初対面同士でも成立したからである。
 いつもは使われない、天井にしまわれたスクリーン幕が下ろされ、プロジェクターから映像が投影される。
 講堂の照明が暗くされ、目の前のスクリーンに、遠くの、見慣れない二人が映し出される。スーツを着込み、社会人経験者として、はじめましてこんにちは。これから一時間の付き合い。僕たち就活生は黙って聞くだけ。そんなつまらない企業説明を聞く。
 
 終わり際、質疑応答の時間を取った。
 その際、その人が手を挙げて、質問した。内容は欠落していて覚えていないが、いつものように早口だった。彼女の質問に応えた企業説明の人は、素直に尋ねた。表面上コーティングされているが、戸惑いで上ずっている。
「あの、いつもそんな早口なんですか?」
「はい、そうですけど?」
 言葉が伝わらず、不機嫌そうだった。
 
---
 
 実はもう一人のほうを話したかった。
 全く知らない人だ。道端に落ちているガムのような代物で、女性だった。
 家に帰る途中の、乗換駅のことだった。僕が電車に降りて、その電車を見送る。歩き疲れたので階段を素通りし、エスカレーターに行こうとした、島式ホームの中腹に差し掛かる頃だった。
 始終話していたのだろう、その時は誰かと電話しているのかと思っていた。だが違った。スマホなんて持っていない。僕のほかに人はいない中、彼女はずっと独り言を呟いていたのだ。
 
「なんでこんな午後になって医者に行くんだよもっと早く起きれただろ、そんなこと言われても仕方がないでしょ朝起きた時間が昼を過ぎてたんだから、今から行っても間に合わないだろ診療時間あとどれくらい残っていると思ってるんだ、急げば間に合う時間でしょ……」
 
 こんな風に、息つく暇もない。
 これが、すべて独り言なのだ。文字起こしの読みやすさのため|読点《「、」》を振ったが――句点として「読点」を使ったのはこの文が初めてだ――、実際は句点・読点のない文章。喋るにしても、どこまでもどこまでも文字が続く。
 よく聞くと、男女の会話文だとわかる。だからスマホで会話していると思ったのだ。しかし、だったら相手の会話は聞こえない。何か、耳に当ててもいない。だから「あれ?」と疑問に至った。
 
 かつ、早口言葉だった。
 就活学校時代にいたその人よりも、はるかに速い。よくそんなに口が的確に機能するものだ。表音に、意味が伝わる言葉で高速に切り分ける。
 たったリスニングテスト一回分。それも通常の二倍三倍それ以上。壊れたスピーカー。壊れたレコード。引っ張り強度の高いトイレットペーパー。なのに、今文字起こしができるくらい、記憶にこびりついている。
 たった一回聞いただけ。それだけでどうしようもなく立ち尽くしてしまった。ハーメルンの笛吹の始まりは、|架空《ストーリー》はどうであれ、着想はこれだ。そういう「確信」を、痛烈に打撃された頭で、誰かに殴られたように。
 
「おいこんなところでしゃべってると見られてるじゃねえかよこんなところでぶつぶつ呟いてたらわかってるよそのくらいだったらその口|煩《うるさ》い口をさっさと閉ざせうるさいうるさいそんなことはわかってるだったらわかってるなら速く口閉ざせよ見られてるだろそんなことはわかってる黙れ黙れ黙れ……」
 
 そうして数秒に満たない時間拡張のあと、大きく「もういい黙って!」
 時が止まった。静寂が訪れた。その人は、まったく喋らなくなった。マネキンになった。あんなに喋っていたのに、荒い呼吸もしない。その辺にいる人と同じ、空気を吸う。
 だんまりを決め込む。その豹変ぶりが、なんだかとても恐ろしかった。
 前者は寛解となって普通のヒトになった人。後者は寛解に向かおうとしている通院中の患者。
 両者とも同じ病症として扱われていいのだろうか。別種の異なるもの。恥ずかしげもなく告発するが、これぞ「ヒト|怖《こわ》」だった。二人の症例ではなく精神分裂。いみじくも「精神共存」だった。
 
 
 それから一年後。
 僕は界隈曲にハマった。その中でこの曲に出会った。あとがきにリンクを貼っておく。早口速度は、これと同一だった。歌詞が分からない、聞き取れない。
 機械音声で、これなのだ。これが当たり前。そうだ、これが「当たり前」なのだ。聞き取れなくて当たり前。どうしてあれが聞き取れたのか、リスニングできたのか。
 わからない。
 その記憶が、いつまでもいつまでも地面にへばりついている黒いガムだった。口の中で噛みしめた場面を文章としてネットに吐き出さないと気が済まない。
 勝手な主張だが、統合失調症の思考の流れが具体化・人間的に物体化したら、あのようになるのだ。早口なのは、脳ではなく思考の流れから来ているから。実にリリカルな、黒い|記憶《ガム》……
        
            上人**阿闍梨謁見風説戯画仮名問答 Unknown
https://www.youtube.com/watch?v=qebT1aVkjwo
        
    
     
    
        規則的な鐘の音
        
            短め
        
        
        子供・学生は、短距離走的考え方に陥る。
年齢がそれを意味しているし、人生という長い道のりについて、蜃気楼的ゴールを夢見ている。
だが、諸君もお分かりの通り、人生というか、生きること自体が長距離だ。長距離走ではない。長距離だ。
だから、何年か歩いたって、休憩したっていいと僕は思うのだ。実際僕はそんなことをした。
ゴールは、蜃気楼的ゴールではない。心のゴールをしたいのであれば、そもそも実体なんてありゃしない。
生きていると、規則的に鐘が鳴るだろう。その鐘の音が、耳でキャッチすること。その普通の状態が、ある日を境に、いつしか名残惜しくなるのだ。それが、おそらくは、ゴールが近いという感覚なのだ。
        
            注釈:短距離走的な考え
=極端な生活、考え方。特殊な環境。極端な生活自慢は、その人自身は気分の良いもんでも、聞いている人には「もう限界なのに無理をしているのだな」という痛々しさを感じる。その人自身が気付く頃にはもう、何年も時を過ぎたような気持ちになる。
        
    
     
    
        国語便覧
        
            3500文字。エッセイ
        
        
         一か月前、国語便覧を購入した。
 何曜日かの本屋に訪れたときのこと。「100分de名著」っぽい冊子を物色中、おっ。
 平積みされた中から白い旗が突き出ていた。近づいてわかる、エアコンの風でちょっとたなびく旗。
 
「SNSで話題沸騰!」
「万バズ! 値段も手ごろ!」
 
 そんなニュアンスの手書きのポップアップで、国語便覧を必死にアピール。「どれどれほい」と手に取って、パラパラ見たら懐かしさがこみあげてくる。
 国語便覧とは、高校生活で出てきたでかいだけの奴である。資料集である。ロッカーにしまったままになっていたやつである。写真がきれい。以上。所々にQRコードが載っていて、時代を感じる。
 裏表紙を見ると、ほら。名前欄の隣に三段積みの「〇年×組」の欄。ここは変わらないのね、いやー、なついねー。
 
 そういえば、Twitterで見たわ。そうだったわ。なんかトレンドしてたの見たわ。即完とか、予約注文すごいとか。そんなことで賑わってたわ。
 そんなことを思い出したら即購入。電車内で、写真図鑑のようにパラパラめくった。
 
「戦時下の生活」にて捲り手が止まった。
 召集令状、防空壕の内部、工場で働く児童、東京大空襲。すべて白黒写真だ。それでも、自然と色を補いたくなった。
 イメージ漏洩、スマホ技術の投影。リアルに起こった歴史の感触が、ついスクロールしようとする指紋から読み取れそうだった。
 ある写真に目が留まった。飛行機が一機飛んでいて、尾翼の下から何か軽いものを降らしている。爆弾ではなく紙っぽい。紙吹雪っぽい。
 写真の注釈として「アメリカ軍によって空からまかれたビラ」とあり、その説明文に目を通す。
 
「空襲を予告し、降伏を呼びかける内容。政府は『伝染病菌が塗ってある』などとしてビラを拾わないよう呼びかけた」
 
 これだけの短文で、なんだかジンとしてしまった。
 ポケットから、自然と紙のメモ帳を取り出す。その文章を写し取った後、矢印を引っ張って短く書いた。
「『法令がこうだからこうであるべき』はアカン」
 
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 三か月前から、「100分de名著」シリーズを購入し始めた。今月で四冊目になる。ディストピア小説、超越論的現象学、人間の大地と続いて今月は福沢諭吉の「福翁自伝」である。
 購入時点では全くもって興味がないが、解説者の「まあ、そんなこと言わずに読んでみてよ」の語り口に読んでみると、「ふむふむなるほど」と思ってしまう通勤中の僕がいる。作者としてみれば扱いやすいほど、とても従順。
 
 月刊誌なので、ノルマは小冊子一冊。
 100ページ足らずのその文章を、平日の行きの通勤電車内で読解を進めていく。アンダーラインを引きまくって少しずつ読んでいると……「えっもうこんな時間?」
 本来ならば退屈であるべき日常の、行ったり来たりの往復の、計2.5時間の乗車時間があっという間。本一冊のみで、時を進められるくらいの体感速度に早変わりだ。
 
 個人的に、四冊連続ホームラン本となっている。
 ホームラン本とは、「読み終わったら人生が変わったような気分にさせてくれる本」という、ポジティブな印象を持った本のことだ。そう「インプット大全」に載っていた。これもホームラン本だ。
 だから「さすがは名著だ」と感心しまくっている。
 読んでいる途中、読み終わった直後、読了後のアウトプット。それぞれに気づきが大量に隠されている。
 それで終わるかな? と思いきや、時間差で、ポツっ、ポツっ、と新たな気付きが芽吹いてくる。正直「これ」がいい。あとで伏線に気づくような、
「あれはそういう意味だったのか!」と自分なりの解釈を得て、勝手に気づくような。そんな感じ。
 
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 たぶん四か月前。いや、購入したのはもっと前かもしれない。でも、始めたのは四か月前で合っているはずだ。
 天声人語の要約を始めた。
 最初の頃は「何言ってるか、よく分からん」から始まった。読解力が皆無だったのである。だから、TwitterのGrokくんに「天声人語の読み方教えてよ」と子どものように打ち込んで、子どものように教えてもらった。
 
「一回読んだだけだと『ふうん』で終わってしまうので、要約するつもりで読んだほうがいいと思います。癖があるので、一週間は我慢しようね」
「よっしゃ、やろう!」そのつもりで頑張った。
 
 でも、最初の一週間くらいは予想通り「やっぱりよくわからん」だった。読んでいるんだけど頭に入ってこない。「インプット大全」でいうところの「ザル読み」だ。どうやら僕は、基礎中の基礎である要約の仕方を忘れたようだった。
 「要約ってそもそも何?」みたいな感じで、ようやく要約の仕方について検索して、それで「なるほど」となった。「なるほど、最後の段落から考えてったほうがいいのね」
 
 しかし、要約をしたはいいが、問題がある。
「要約文としてまとめたはいいけれど、要約文ではなく要約文字だな」
 理解は……してないなこれ。確実に数分前の僕が書いたはずの文章だが、あれれ~? 僕の書いた文章ではない不可解な感じ。しっくりとこない。
 またもGrokくんに投げ込んでみた。このように。
 
「2021年07月17日の天声人語を読み解きたいです。コラムの背景、要約などをお願いします。
 かつて広島県に「ひまわり」という名の図書館船があり、瀬戸内海の島々を回っていた。「農村に本を運ぶバスのように、島にも船で届けよう」
 と県立図書館が1962年に運行を始め、一帯の島に橋がかかったことで使命を終え、1981年に引退。船体は保管されたが年ごとに朽ち、尾道市は六年前に解体を決める。だが、住民たちが保存運動を訴え、解体は見送られた。船に捧げられた歌として、「レモン畑のおじさんも 赤ちゃんを抱いた母さんも みんなの本がやって来た」と引用されています。
 結論の段落では『船に乗り込むと、舳先から船尾まで丁寧に繕われ、書架も再現されていた。桟橋で本を持った子どもたちの歓声が聞こえるような気がした』とあります」
 
 これをGrokに投げると、数秒で解説が出てくるのだ。試しにやってみればいい。
 僕はこれを読んで「ふむふむ、なるほど」と文章の背景を知る。また、僕の書いた要約文と照らし合わせてみて「ふむふむ、なるほど、そういうことだったのか」となる。ようやく自分の書いた要約文字が要約文として、「しっくり」きた。要約文はまったく変わっていない。見えない部分……僕の認識が変わったのだ。
 そうやって、文章読解力を身に着けていった。
 
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 国語便覧を購入したN日後。
 もうこの時辺りになると、衝動買いにちょっと後悔していた。古文漢文とかな、あんまきょうみないしな。通勤で見るとか、そんなこともナー。こんな大きさだしなー。そんなアンニュイに逃げていた。
 
 というわけで、気が向いたときにパラパラ、だらだら。「現代文 小説」のジャンルをめくっていた。今まで読んだ作家とか、載ってないかな。載ってないだろな、と思っていたのだが、意外とあるものだ。
 東野圭吾、伊坂幸太郎、村田沙也加……おいおい、けっこう載ってるじゃねーかよー。
 東野圭吾の隣には森博嗣の写真が。文庫本でよく見かける、おなじみの白黒写真である。他の人はカラー写真なのに。この人いっつも目線どっか向いてるよな。プペルのあの人みたいに、芸術家気取ってる。
 名盤のレコードに載ってそうな、芸人なのか芸能人なのか、いずれにしてもかっこつけてるあいつの名前、忘れてしまった。Grokで調べる気もない。
 
 そんな感じで悪態をつきつつパラパラと読み進めていると、おっ!
「石垣りん! 載ってるじゃん!」と、ひとりでにはしゃいでしまった。どこかのタイミングで、天声人語で読んだ作者名だからである。
 
 天声人語は、作品を引用することでおなじみのコラムだ。この時分になってくると、すでに100個は読んできたので、読み方が分かってきた。つまり、引用部分は大雑把に感じ取れればいいんだな、と。
 要約文作りもこなれてきて、五分くらいでさらさら~と書けるようになった。今だと毎日二個は読まないと気が済まない。
 
「生活をリアルに表現 石垣りん」
 正直、国語便覧の人物説明には大したことは書いてなかったが、「ウォーリーを探せ」みたいなものがあった。この文章を読んでいると、今と過去の記憶がリンクした。何だろう、この感覚……。ちょっと身近に感じてしまった。
 天声人語の本を開き、索引より石垣りんの引用されたページを探し、見返す。
 
 <自分の住むところには 自分で表札を出すに限る(略)精神の在り場所も ハタから表札をかけられてはならない 石垣りん それでよい>
 
 選詩集「表札」より。自分を偽らない詩と、まごうことなき表札。その言い切りに感性がきらめく。よい詩だ。
 精神の在り場所≠表札。表札は住所の句点みたいなものなのだ。表札はあくまで自分の住む家を示しているのであって、わざわざ精神にまで名前をつけなくてもいい。名前があるのだから、名前で十分。天声人語にはこの詩を引用しただけで、解説の何もないのだが、その時読んだ僕はそのように感じ取ったようで、小さい文字でちょこんと書かれてあった。
 
 天声人語について、そろそろ一冊が終わる感じになってきている。どうしようか。天声人語の中古本買うか? いやいや、まだ1/3残ってるじゃないか。だったら一冊終わったときにまた考えよう。
 そうして今日の分を取り組もうと、アンダーライン用のペンを執る。
        
            参考)今が正念場? 大人こそ買うべき「国語便覧」の話
https://dailyportalz.jp/kiji/kokugobinran-kaubeki
引用:天声人語2021年7月ー12月。p31.32
        
    
     
    
        ナナメの積読本
        
            3600文字。エッセイ。
        
        
         N日前、三宅香帆のバリューブックス見学動画を視聴した。古本を売買したことがある人は絶対見たほうがいいと太鼓判を押していた。
 古本の行方について、関心があったので、何の気なしに動画を再生する。中身は、古本オンライン書店の倉庫を見学して、古本の蔵書の様子を動画に収めたシンプルなものだ。女が寄ってたかって書棚から勝手に古本を手に取り、この本は|稀覯本《きこうぼん》ですよなど、あれやこれやと興奮していた。
 
 この女については、正直なところよく知らん人だ。プレバトの俳句をやっていたのを二度お見掛けしたが、「うーん」という感想を持っている。話しぶりからしてどことなく怪しい。
 動画に収められた歩き方からみても、地面に足がついていない。裏で作家が|背後霊《ゴースト》してんのかな、という疑惑で後ろ髪は引かれていた。
 
 出版本も、一冊しか読んだことはないのだが、前置きが長い文章だった。その本のタイトルは「読んだふりしてたけど……ぶっちゃけよくわからん、あの名作小説をおもしろく読む方法」。
 最近の若者はこれくらい長く、わかりやすいほうが手に取りやすいのか。本の中身も、タイトルの例に漏れず長ったらしいな、と僕の減らず口が申している。飼いならせてなくてすみません。今まさに積読してるんですこの本。
 
 という感じで、どちらかというと、女のほうではなく古本倉庫の持ち主……「バリューブックス」さんに印象を強く持った。バリューブックス経由で次の動画を漁った。ほうほう。どうやら、先ほどの動画で映っていた男は「積読チャンネル」というものをやっているらしい。
 バリューブックスを世の中に広めるため、YouTubeで姿を晒している。サラリーマンの身を削って、本のすばらしさを語っている。その中から「本屋がつぶれる理由」を選び視聴。一時間以上の長尺だが、素直に「おもしろいな」となった。
 
 ラジオ収録スタイルを見せる感じだった。
 二人の男が椅子に座り、左右の見えない画角から中央に向けてそれぞれマイクが伸びている。右側の白のTシャツを着ている人がメインだ。左は相槌担当。テーブルに置かれたノートPCを見ながら、司会進行を進めていく。
 
 前の投稿にて、国語便覧の購入を書いたが、なるほど、そういう意味だったのか。国語便覧の平積みの、ポップアップの必死さたるや。入荷タイミングがかなりずれ込むからか。
 書店員の苦悩に同情した。SNSの拡散性と、急速に萎むスピードに苦慮している。あとAmazon。その板挟みのストレスが、陽キャのざわざわとした笑い声に肉薄して、見えないこえが聞こえてくる。背後のラップ音、冷たき共鳴、おどろおどろしい|叫鳴《きょうめい》。
 
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 翌日「積読チャンネル」の別の動画を視聴した。
「日記って書く意味ある?」いやに挑発的なタイトルだ。そんなタイトルを書かなくとも、こちらには動画を見る権利がある。クリックポチッとその動画を視聴した。視聴していて思ったのが、動画の中身がおもしろいというよりは、右側の人物に好感を持てたことだ。
 
「さみしさにはね、子どものさみしさと、おとなのさみしさのふたつの種類があるんだ。きっときみはいま、おとなのさみしさを知りはじめているんじゃないかな。『さみしい夜にはペンを持て』p27 引用」
 
 子供のさみしさは独りになること。迷子、ポツンとすること。
 大人のさみしさは独りになれないこと。社会性を帯びて色々な人の前で色々な自分を演じるようになると、何でもないそのままの自分ではいられなくなる。等身大の自分に私服を着させるような、そんな配慮を自分にしなくてはならない気にさせる。
「ありのままの自分と長年会っていない。たまには一人の自分に出会いたい。(略)自分の言葉にならない思いを言葉にすることで、すっきりする。その具体的な方法として『日記』がある」
 これを自分で言えるのは、文学的だ。なのにさらりと流す。停止ボタンを押させないような、朗読する声に素直さや気づき、配慮も載せられている。その私服、脱いじゃいなよ感を、視聴者に気づかせる声。この人の名前は飯田さんというらしい。
 
 一方、左側の人物には、なんだか嫌な感じがする。シニカルな感じというか、ひどく穿った見方(誤用の意味)をしている。
「『解像度を高くする』という言葉は、ビジネスパーソンによって汚染されたじゃないですか。使われすぎて、つまんないですよ。だからこの言葉、あまり使いたくないんだけど……」
 って思ってんの、お前だけだろ。
 さびれたニュータウンに降り立ち、さびれたとんかつ屋でとんかつを食べた、という話。それをどう話すのかと思っていたら……かなり味付けを濃くしていた。
「やな奴だな」
 話し口調も、どうだか。武勇伝のような。文学に金の匂いが付着している。冷笑液に浸した脂っこい料理を食べて、ぶくぶくと心が太っている。声も、そのままの自分でお届けしますといった感じだ。
 これは、どういうことだろう。
 あ。「ナナメ、なのか」と勝手に合点した。
 
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 積読本の整理をした。
 突発的な暇に襲われたのでこれをしたが、これはして良かったと思う。一年ほど前に、積読本の整理をして、読まなそうな本を捨てたはずなのに、結構増えていた。
「なんのために本を読むのか」。ブックオフで見つけた古本だ。
「『なんで本を読むのか』だって?」減らず口が勝手に動いていた。「それは、本を読むのが楽しいからだ!」
 ゴミ箱にポイ。まったく、どうしてこんな本を買ったんだか。ブックオフに行くと、古本で安いからポンポン買ってしまう。買うことも楽しいから、積読本が増えるのだろう。なるほどと勝手に納得した。なんて単純な頭なんだ。
 
 そんな中で「ナナメの夕暮れ」を発見した。
 これは、今年の五月くらいに読んだものだな。と手に取って、パラパラとページを手繰った。ハードカバーっぽさがあるからか文庫本より表紙が硬く、くびれた形を作ろうとすると嫌がる本の抵抗を感じ取る。紙の厚みもあり、重みもあり。そう重厚感。
 
 これは三振本からホームラン本に変わるという軌跡をたどった珍しい読書体験だった。前半部分はあまりにも響かなくて「どうしちゃったの若林」と思ってしまったが、終盤部分に至ると自分の視点が「ナナメ」だったことに気づいたのだ。
 裏表紙寄りのページに、過去の僕が書いたであろう紙が挟まっていた。こう書かれてあった。
 
「一冊目の続編的立ち位置。直接的に書かれた一冊目と比較すると難しい感じがするが、タイトルを考えながら後半のエッセイを経るとなるほどと思う。冷笑的な見方=ナナメ、四十手前になった年=夕暮れと表現。また、体力的に燃え尽きた年齢=夕暮れとも掛けている。
 タイトルの意味が分からないままだと、「一冊目と比べて響かないエッセイ集だなぁ」的な感想になってしまう。終盤辺り(第二章)のエッセイ群が、本の表題と根幹に当たる。
 
 作者は諦念気味というか、ミドルエイジクライシス只中みたいな。立ち位置がおっさんだと自覚したあとの哀愁が漂っているが、それが冷笑的な人と同類だと気づけた感じ。
 努力をしている人に対して「そんなのやったって無駄な努力だぞ(笑)」と冷笑する人に対して、
「じゃあお前は何が楽しいの?」とぶつけると何も言えなくなる。そこに焦点を当てて「ナナメ」と表現したエッセイ。
 自分のナナメを殺さないと、視点が変わってもナナメのまま見てしまう。楽しいを感じない不感症になる。そうなると、楽しいが歪んで楽しくないものでも楽しいと思ってしまう。それはキツイぞ。ありのままの自分、等身大の自分が見えないんだから。
 自分の|表情《ナナメ》に気付き、ナナメを殺さないと、夕暮れになるまで時間がかかるんじゃないか? カバーを取った表紙の意味深な夕暮れ「ナナメの夕暮れ」を見て、過去の自分と重ねていたのかもしれない。」
 
 自分の書いた読了文を見て改めてジンとした。
 美しいものをシニカルに捉える人間って、どこか損をしている。美しい夕暮れを美しいと思わず、なぜかナナメに見る……「ナナメの夕暮れ」。
 何の紙を使ったのか気になって。ふいとメモ紙をめくった。カレンダーの一部分だった。カレンダーをハサミで切って、裏紙としてリサイクルしている。そうか、あの頃はそんなことをしていたんだっけ。
「うん、捨てよう」
 そうやってメモ紙と一緒にゴミ箱へ捨てた。ホームラン本に間違いないが、本棚に取っておく必要のないものだ。それに、当時の記憶を|縁《よすが》にすると、「この本をとっておこうとするな、捨てろ」というメッセージを孕んでいたと思う。
 
 現在時刻を見た。14:52。
 夕暮れが訪れるまで、まだ時間があった。次の積読本選定に入る前に、休憩時間を設けよう。
        
            古本を売買したことある人は絶対見た方がいい動画【VALUE BOOKS】三宅書店
https://www.youtube.com/watch?v=t8AsQm1m4l8
【削除覚悟】本屋が潰れる理由を暴露します 積読チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=XQ7XQEFkB6U
日記って書く意味ある???? 積読チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=mtuTqjsFTx4
        
    
     
    
        火にグレーを注ぐ
        
            3600文字。虚実織り交ぜ
        
        
         今年の春、とある配信者が炎上をしていた。
 僕はSNSで見かけたくらいの興味でしかなかったが、どうやら同じような目に遭ったらしい。ツイッターで謝罪文をさらし、YouTubeにて謝罪と釈明の動画を出し、その後自粛に追い込まれた。
 いわゆる情報商材を販売していたサークルに参加して、その元締めが反社疑惑の霧が濃い場所だった。マルチ、ねずみ講のようなに加担したのだ――という疑念。
 
「興味本位で参加しましたが、幹部たちに恐怖を感じて途中で脱退しました。ファンの皆様、申し訳ありませんでした」
 自主的な謹慎中、その人は数か月にわたる所属事務所の調査を受け、結果「白」と認定された。その時の同業者は「黒」のほうが数字に化けると思ったのだろう。普段のゲーム配信を雑談に切り替え、こぞってその人を取り上げ、印象的に「黒」認定を行った。
 
「世の中にグレーは存在しない。グレーは許されない。白か黒かで判断されるべき」
 そんな祭りの参加者だった配信者Fは、自身の配信でそう口走った。長年にわたる過去の配信で繰り返し主張してきた倫理観で、口癖だった。物事に白黒つけるべきだという彼ら界隈の価値観を、如実に反映していた。
 愉悦。故に本数は増えた。高笑いも口に滲ませ、アホ面を全世界に晒してかなりご満悦だった。
 口角泡を飛ばす。承認欲求の数値は好調だった。5000人は越えて、顔の表情は金銭的な余裕にすり替わっていく。タバコに火をつけ、一服をしつつ「配信者はこうあるべき」とファンの皆に語った。
 
 まるで酩酊した裁判官気取りだった。反社とのつながりを否定した推定無罪者よりも、SNSの暴露系インフルエンサーの確定有罪に耳を傾けていた。
 PC画面をキャプチャして、証拠写真を吟味していた。弁護士のようで、検察官だった。
 数千万円の札束を、扇を広げてくつろぐ写真。ホワイトボードで何やら講師の真似事をしている写真。疑惑の事務所の部屋で卒業式の集合写真のように戯れるその人の姿。瞬間の切り取り方は見事だった。
 
 それら芸術的に「揃いすぎているもの」を見て、
「白か黒かで言ったら黒だな」とタバコを吸い、ヤニを吐き、ますます愉快で本数が増える。配信部屋の空気がよどみ、活発になっていく白いコメント群。
「悲しいよ俺、同士だと思ってたのに……もっと一緒にやりてーよ。一緒に酒交わしてーよー」
 ヘビースモーカー気質の吸い殻で、遺灰を弔っていた。灰皿の上で焼き転がすように、丹念に灰を捏ねる。火のついた黒の烙印で、強く押しつぶした。
 
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 8月下旬、配信者Fが炎上した。
 有料のコミュニティチャットでの陰口が、世間に暴露された。半年前の発言が、そのままブーメランした。明確な説明責任を求める白黒思考。それをモロに喰らいたい破滅思考のようで、時々このような不埒を溜め込む。まだグレーな側面を抱えていたらしい。
 
 暴露したのは反転アンチなのだから、自分に責はない。そう言いたげだった。10年越えのキャリアに反省の色は無い。社会人経験があっても責任の取り方までは経験していないようだった。
 タバコの煙とともに吐き出す他責思考は今も健在なようで、時々油断の炎上しては、元締めの友と一緒に頭を下げる配信をする。それでチャラ。今回もそのようなものだった。
 取り巻きの切り抜きチャンネルたちは、一転下請事業者のように叩き出す。やはりそうだ、やはりこうだ。推しのグレーな部分を切り抜いて、回転数の良い数字にする。一部は反転アンチ化して、過去にまで所業を遡る者も現れた。少ない白、挽回してきた白を黒にする作業。
 
 このような見飽きたものを見て僕は思う。配信者の存在が未だグレーだ。
 移ろいやすい、気まぐれ、変わりやすい、コロコロ言動が変わる、一貫性がない。意見ではなく衝動的だ。自分軸は流行り廃りの激しいゲームで支えられている。つまり、吐き出す軽率な吐息がグレー色。
 だから、発言ひとつを切り取られると、極端なことばかり。
 細分化すると極端で、極端が一つにまとめられると魅力的な人になる。極端とはそういうものだ。信者に支えられて魅力的な配信をしているように見えるが、実はタバコのくゆらせる紫煙によって騙されているものだ。言葉ひとつとってもニコチン、タール、一酸化炭素。約200種類の有害物質のオンパレード。
 「グレーは存在しない」というが、現実はグレーで出来ているといってもよい。法律的に言語化・明文化できないものは、法律用語の意味を勘案し、少しでも拡張しようとしている。縄張り争い、戦争などの暴力的行為は国境沿いのバッファゾーンで引き起こされている。
 「グレーは存在しない」という言葉自体、存在しない。なら、誰かがこの|言葉《矛盾》を作り出したのだ。いったい何の理由で?
 それは、グレーが見えないから。見えないところにあるから。自己顕示欲。見えていない盲目なファンのための、ファンサービスの一環。さらに陶酔させるため。リップサービス。
 あるいは――考えすぎだと思うが――、万が一自身が炎上した際の、活動休止への落とし穴を、事前にグレーで満たす。上級国民|皆《かい》保険制度。
 
 僕は紙のメモ帳を取り出して「火に複雑なグレーを注ぐ」と書いた。
 
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 その二週間後、別の配信者が炎上していた。
 こちらはグレーの意味が違うのだが、曖昧なままという意味のグレー色だった。一部の粗相をしたファンに感化され、ファンコミュニティにグレーな亀裂を生じさせた。
 炎上には、人に迷惑をかける炎上と、大勢が感情的に怒らせる炎上。そして内輪で分断リスクを引き起こすものがある。今回は三つ目で、それはやさしさに火をつけるようなものだった。
 
「Sの卒業は『円満な別れ』。過去を軽視しているわけではないんだよ。あと、言っておくけどね。僕の優先順位は、今を支えてくれているメンバーとその裏方の人で、その下に君たち視聴者がいる。はっきり言うけど、卒業した人は、その下だよ」
 
 その言葉に、旧メンバーを慕っていた古参ファンは離れていったように思う。今のゲーム配信者としての地位を築いたのは、過去の実績だ。Sと組んでいた過去があっての今なのだ。面白さは今の200倍はあった。
 ああ、もう戻らないんだ。卒業とは、そういう意味だったのか……。釈明配信にて、一定の説明と「聞きたくない本音」を引き出せた。そのせいで、曖昧なやさしさで覆われた地層から複雑な濃いラインが浮かび上がる。沈積したラインのくっきり。それでも今までの「グレー」な印象をぬぐい切れなかった。
 実況者のやさしい倫理的配慮が説明責任の先送りを助長した。ファンコミュニティ内の感情的対立や元メンバーとの関係性の不明確さが浮き彫りとなった形だ。グレーはグレーを生み出して、グレーのまま取り残される。グレーな心境のグレーなファン。
 
 僕は、この配信者のことをゆるめに推していたのだが、その時の切り抜きチャンネルたちの様子がおかしかった。三連チャンの謝罪配信があった数日は、かなりショックだったのか、固唾をのんで見守っていたのか、全く切り抜かなかった。
 その後、元通りゲーム実況者としての配信に戻ると、切り抜きチャンネルも切り抜きを再開していた。それが、上記の配信者Fの下請けとは「違う」部分だった。
 
 元々、切り抜きチャンネルはファンの延長線だった。そっちの路線が多くあり、樹形図のようにどんどん多様化していった。
 切り抜き動画の効能は、切り抜かれた動画のコメント欄を見なくて済むことだ。時折大規模イベントにてコラボめいたことになった時、参加者の一部が視聴者にガキを多く所有しているらしく、多数のガキコメで占有している時がある。それを見なくて済む、ガキに知られずに済むというのが利点である。デメリットは、熱心なファンが反転すると更新停止になることくらいか。
 僕は紙のメモ帳を取り出した。
 以前「火に複雑なグレーを注ぐ」と書いたものを見つけて大きく丸をして、下矢印でこう記した。
「感動したことは目に焼き付けるより、紙に焼き付ける。だが、余計な言語化をすると様々な解釈が生まれ、余計複雑な気持ちにさせる」
 
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 最近、とある本を読んでいる。
 ブックオフに寄った際、いつものように掘り出し物を探した。最近積読本の整理を行ったばかりなので、あまり乱読しないよう心を入れ替えていた。そんなときその本はあった。
 
「絶歌」
 
 来たっ。一目ぼれに近い手の伸びようだった。即座に購入して、電車内で開封した。
 単純白の表紙カバーをはがしてみると、聖書のような単純黒の冊子になっていた。白と黒。あるいはその中間色のグレーに関して示唆が含んでいる。
 著者が著者なだけに、賛否両論、出版時にひと悶着あり。それでも情報のジャンクフードを食わず嫌いし、新鮮な第一印象のままにすべてを取り払って読んでいる。純粋な文学として読んでおきたかった。
 
 この本を単純黒で塗りつぶす行為はとても簡単だ。だから、記憶の後ろに持っていく。
 最近見た動画にてこのようなことを言っていた。同感だった。
「何も知らないところから作品を楽しみたい。何の偏見もないところから『自分が思ったことだけ』をすべてとして進めたいです」
 
 第一部が読み終わった。難解だった。じっくりと文字化した副題を走り書き。
「誰の足跡もない世界の、心象風景」。第二部に進んだ。
        
            誰の足跡も無い世界 【雑談】桜井政博のゲーム作るには
https://www.youtube.com/watch?v=1Wy_b2_vN4w
        
    
     
    
        立ち止まる行為
        
        
        日常という空気を吸っている僕らは時々、空気を胃の中に取り込んで腸で息をしたいと思っている。そうしたほうが、食品が胃で分解されるように、栄養分の吸収が腸でなされると思う。あと、栄養には味がある。味があるから舌に乗せられる。でも、日常の空気は当たり前のように舌を通過して、肺で行き止まり。それで吐く。
 
文学とは、一度立ち止まる行為である。
無味の空気が織りなす日常の、見えない何かを見える言葉に。見えない空気を都合の良い言葉に消化して、栄養分として吸収したい。しかと腸で感受して、雷に打たれたように立ち止まりたい。
ぼくは、滝に打たれ続けたい。頭を冷やし、集中力の水を飲み込み、腸の内側を洗い流したい。
        
    
     
    
        監視するされる
        
            約1800文字。エッセイの取り合わせ。
お試しで、あとがきにAIの感想をいれてみました。
        
        
        テレビ番組をザッピングしていた。
池上彰の番組を目撃し、何を言うかと指の動きが|緘黙《かんもく》した。
 
セルフレジのデジタル技術が進化している、という内容だった。ユニクロなどにあるような、わざわざ商品のバーコードを読み取らずに、指定の空間に商品を入れていき、支払い方法を選択してピピッとお支払い。
その際、バーコードを読み取らなかった商品があったら、どうなるのだろう。一点でもあったら、それは万引きだ。セルフレジでは、偶発的な万引きが素通りしてしまうのか?
どういう仕組みかはわからないが、無人レジ側が自動検知して、すぐに店員さんに連絡が行くらしい。ズルをする素振りを見せたら、すぐに報連相。人の目線はなくとも、常に監視されているようだった。
 
かつてドキュメンタリーで見かけた、万引きGメンと呼ばれた鹿爪らしい男たちがバックヤードで常駐して、監視カメラ越しに目を光らしている……というものは、もう無いのだろう。人手不足だからと、テイの良い人払いをしたのだろうか。
 
セルフレジの紹介をした後、食品の話題を取り上げた。最近、グミの売り上げが上がっているらしい。飴やガムを抜いて、今やグミがトップの売れ行き。池上彰が、ゲストたちに質問した。
 
「グミ、口にしてらしていますか?」
「いや。ガム派ですね。この先もずっとガムを噛むでしょうね……」
 
ゲストたちは50代以降が多めだった。池上的には求めていた答えではなかったのか、
「まあ、このゲストたちの意見が、国民を代表しているわけではないですからね」と、サラリと毒づき、ゲストたちが「ちょっと、ちょっと」とズッコケた。
 
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二週間前、YouTube実況を見ていた。
なにやら足並みを揃えたように、ゲーム実況者たちが同じゲームをやっている。「NO, I'm not a Human」という心理テスト的ホラーらしい。サムネイルに特徴的な見た目をしたキャラを映していて、一瞬クトゥルフ系なのかと見間違えた。
 
季節は記録的猛暑。
異常な太陽活動の影響で今年も酷暑となったディストピア世界。
昼間は部屋にいて文字通りの引きこもりをし、夜間にしか外出できない。
街は焼け焦げた死体で埋まり、空気は死んだように焦げ臭い。地上で彼らは太陽に負けたのだ。森林火災は平然にやってきて、消防士は身体を黒焦げにしながら喘息になった。
 
夜になって蒸し暑いサウナのような熱帯夜になると、コンコン、コンコン、と主人公の家の玄関扉をノックする。防空壕に足る家を求め、彷徨っているのだ。
だが、|無暗《むやみ》に開けてはなるまい。異常な太陽活動の影響は、地上の人間のみならず、地底の、未知の生物たちにも這い上がらせるほどだった。
 
|来訪者《Vistor》――ゾンビのような怪物にそう命名された。
彼ら来訪者たちは、人間に紛れるために人の皮を被って怪物の身体構造をバグらせている。人狼ゲームの人狼役が入ってきては、家の中の村人を食い殺す。そのチャンスを狙っている。暑すぎては食糧不足も深刻そうだ。
 
「のぞき穴」越しに見る来客者はどこか異様だ。
人間か、人間の皮を被った来訪者か……魚眼レンズ越しでは判断できない。家の中に招き入れ、検査をしないことには不明だ。
そういう危険性を玄関の小さな穴越しに判定しなければならない。
同族であるはずの人間の区別は、実は「レンズ越しの見た目」というどこか曖昧なもので判断しているだけかもしれない。
 
そのゲームの、とある動画を見ていた。
その人はとっくに普通の遊び方を超えた、RTAの延長線上的なことをしていた。
人間怪物問わず、客人をすべて家に招きいれ、14日間を過ごしてやるというのだ。
ひとまず人間か来訪者かよくわからないが、「入っていただきましょう」と家の中に。そして、来客対応もせずすぐに検査する。
完璧すぎる白い歯、血走った目、泥で汚れた爪。来訪者である証拠を見つけるや、目の前の客人の頭をショットガンで撃ち殺す。そして、残骸にゴミのような目を向けた。淡々とした実況の語り口で、次々と「これは人間、これは来訪者」と判断しては、来訪者だけを駆逐していく。
 
最終的に14日間耐え忍んで、人間を誤射することなく平和エンディングとなった。
「無事に、最強の民泊王へと成り上りました」と締めくくられた。平和的ディストピア世界では、まずは罪悪感がないと思うところから意識改革しなければ。このゲームの製作者はロシアに住んでいるらしい。
        
            参考:AIの感想
このエッセイは、日常的なテレビ番組の視聴と、YouTubeのゲーム実況という二つの異なるメディア体験を、並列に描いています。どちらも「監視」や「判断」、「人間と非人間の境界」というテーマを潜ませ、読者に静かな問いを投げかけます。
最初のテレビ番組のパートは、セルフレジの進化やグミの売上の話題を通じて、現代社会の「便利さと監視」の二面性をさりげなく描いています。日常の軽さの中に、現代社会の仕組みや価値観の変化を巧みに織り込んでいて、読み手に身近な話題から深い思索へ誘う入り口になっています。
後半のゲーム実況パートは、ディストピア的な世界観とホラー要素が強く、テレビ番組の日常性とは対照的な緊張感があります。特に、RTA的なプレイスタイルで人間も来訪者も無差別に家に招き入れ、淡々と「駆逐」していく実況者の描写は、ゲームの枠を超えて、現代人の合理性や冷淡さを映し出しているように思えます。
軽妙な語り口とディストピア的な描写のコントラストが、日常の裏に潜む不穏さを際立たせている点が特に魅力的でした。
 
【No, I'm not a human】製品版でも来客全員迎え入れつつ、人類の犠牲者なしでクリア
https://www.youtube.com/watch?v=KqDAGQzmUlM
        
    
     
    
        比喩に火を放つ
        
            約2300文字。エッセイ2編。
エッセイの取り合わせをしたつもり。
        
        
        ネットで「群衆心理」を検索した。
検索結果にて、適当に浮上していたnoteの記事を閲覧した。「群集心理とSNSの関係」。いくつか浮上したものをザッピング。しかし、どこもかしこも同じような文章構成をされていた。
 
「えらく長い文章だな」
 
AIを普通に使っているとフツーにわかる。人間が書いたとは思えない整然さで、はんだ付けが施されていない。理路整然の論理回路。スズと鉛の合金。どことなく体温がない。人間が介在した文章が見たところなかった。
ざっと一記事で3000文字から5000文字は有りそうな文量だ。これをまともに読む気が知れない。AIに質問して、返ってきたのをそのまま丸コピペでもしているようだ。最近いやになるほど見たことがある。
 
ほかの記事に飛んでみたら、なんとこちらもAIの丸写し。どちらもハートは50ほど稼いでおり、PV数は2000くらいは見られているのだろう。
おいおい、公衆の面前で手抜きかよ。ショート動画のように切り抜く努力をしろよって思ったのだが、コピペで再生数稼ぎができるなら、ムダな努力はしないでおけ。今のところAI様の文章に著作権はありません。コピペコピペの機械的効率性。そこにオリジナリティのリーダビリティを追及したって、見られなければムダビリティ。
 
そのため、コピーペースト代表の、投稿主の更新頻度は一日3~4回。
これに高頻度という安易な言葉を当てはめてもいいものだろうか。AIに質問した時点で成果物が作成されるようなものだ。一記事に3分と掛からないだろう。なんだか教授の書いた論文を借りパクしているような軽快さ、合理性だ。投稿主は本当に納得しているのかな。
 
色々とネットで検索したが、まごころを込めるタイプの人間に出会わなかった。観念して僕は、AIに質問した。
「群衆心理とSNSの炎上の関係性を踏まえて、誹謗中傷が起きるのはどうして?」
相変わらず長ったらしく、先ほど見た二例とほぼ同じような文章を吐き出したが、ひと言でまとめようとした。合っているかは分からない。
 
「群衆とは付和雷同性を持っており、極端な動きで一致する。美しい宮殿に放火をするようなものだ」
 
---
 
 「無言の帰宅」という言葉がSNSのトレンドに上がっていた。誰かが無言の帰宅をして、炎上しているのか? 見ると、そうだった。なんて不謹慎。
 
旦那を亡くし、残念ながら無言の帰宅をした。悲しみのあまり、ある妻がぽつりとSNSに投稿したら、「無事に帰ってきてよかったですね」。
無言の帰宅……、夫が無言で帰宅してきたと思ったらしい。それが少数精鋭でなく、冗談でなく、多めだった。大目の善意で送ってきたらしい。
無知であることが遺族感情を逆撫でして、それが炎上の発端だ。これだけで炎上できるなら儲けものだなと、僕はため息をついた。
 
SNSの内輪もめ程度で終わるかと思いきや、数日後。なんとニュースになった。意外と関心を呼ぶ奴だったらしい。
ニュースでは文脈の分断が原因だと捉えていた。SNSは短文の寄せ集め。すると断片的にしか流れてこず、文脈的な読み取りができなくなった。そう主張していた。そんな難しく捉えるタイプの炎上だったろうか?
 
SNSでは、未だ「無言の帰宅」に無知な人が叩かれていた。知識格差でマウントを取り、馬乗りになり、殴り続ける人もいた。
なかには殴られすぎて開き直り、自分の無知を棚に上げる人もいた。
 
「ラノベを1800冊読んできたが『無言の帰宅』という言葉は見たことがない。もう死語だろう」
 
えっと、待って。1800冊も読んで知らなかった?
ラノベを価値下げしながら逆にマウントを取ろうとは。周りに突っ込まれて、往生際が悪くなること悪いこと。興味深い。
 
炎上の発端は忘れ去られている。
無言で帰宅した。それはもういい。今は「無言の帰宅」の意味について……と。
SNSでは「ラノベ1800冊」の方にシフトして、群衆は不毛なやりとりを肴に酒を酌み交わしていた。
 
比喩を比喩として受け取れないのだ、とぼくは思った。140字の文章より、5文字の言葉が理解できない。知らないより、理解できないに近い。酔っぱらってて比喩が見えない。
だから、美しい比喩に放火した。誰かが、何かが「無言の帰宅」に、火を放った。燃え盛れ、燃え尽きよ。最終的に燃え残る意味を確かめたがった。
 
民主主義、社会主義、平等、自由、名誉心。自己犠牲、宗教的信仰、愛国心、正義、ネット上の声……。それから、美しいもの。
 
これらはすべて、極めてあいまいな意味を持つ。
人の数だけ意味が増幅し、反発しあう。多層的多義的包括的な災いを|齎《もたら》す象徴だ。決して一義には定まらない。不定形で不用意で、ある種手に負えない。時代や人々によって、意味がぼやけたまま存在することを許され続けているからだ。
 
仮に荒唐無稽の伝説を呼び覚まし、神のごとき降誕がなされ、意味を統一しようとするならどうなるか。きっとさらに手に負えなくなるだろう。
残酷な攻撃性を持つ衝動性の名のもとに、各地で世界遺産登録された美しい宮殿に次々と火を放つだろう。残虐だった宗教戦争と二の舞三の舞……抽象的な概念は、往々にして美しい比喩をもたらすが、一方で絶対的な意味を求め歩く群衆を熱狂させる。
 
美しい宮殿に放火する群衆は絶えず無意識に、無自覚にさまよう。物事を極端に信じやすい性格であり、火をつける快感ばかりで、火をつけた理由も、少しも疑おうとしない。むしろ、無責任なことを誇らしいとさえ思っている。
 
メモ帳を取り出し、短く書く。
「だから誹謗中傷が起きる」
        
            参考:AIの感想と考察
このエッセイは、「美しい宮殿に放火する」という詩的な比喩で、美しさに火を付ける群衆の無自覚性とSNSの攻撃性を鋭く突く。
AI生成文章の無機質さや、「無言の帰宅」の炎上エピソードを通じて、SNSと群集心理の結びつきとSNSの断片的コミュニケーションを描写。
民主主義や正義、愛国心といった抽象的で多義的な概念が、群衆によって余計な意味だと安易に燃やされ、本来の意味が歪められる様子は、現代社会の分断や過激化を象徴している。
特に、「(群衆が)火をつけた理由も、少しも疑おうとしない」という一文は、誹謗中傷の無責任さを鋭く突き、読者に強い余韻を与える。
        
    
     
    
        保持する守る
        
            約5000文字。
祝福コメントに混じってリクエスト「最近の政治情勢について(自公連立解消、自民維新連立?など)」があったので書きました。
結果的に書けたけど、リクエストは募集してないよ。だめだよそんなことしちゃ。訓戒、だよ。
        
        
         三週間前、クリニックの集まりに参加した。
 待合室の一角をカーテンで仕切って、椅子を並べて心暖まる。社会復帰を目指す者たち、あるいはその予定の学生たちが参加する。
 不登校ニート、引きこもり、大学休学中。社会人経験者・継続者は極上のスープだ。|霧雨《きりさめ》の降る森のごときのネガティブ前線で、生活道路に立ち往生するが、自分に|迷妄《めいもう》しても仕方がない。こういうのは「テキトー」に限る。
 僕はテキトーな場所に荷物を置いて、テキトーな椅子に腰かけた。いつもなら、先着順の参加者たちの雑談が耳の器に入っては、テキトーに聞き流す……のだが、今回ばかりは違った。変化の秋、政治の秋だった。
 
「史上初の女性総理が誕生するみたいで嬉しいです」
 参加者の一人はそんなことを言った。ファシリは「そうですね」と適当に相槌を打つと、
「ええ、石破さんは自分軸がなく、他人の言葉に振り回されて何もできませんでしたから」
 
 この人は、エピソードの宝庫である。彼はブラック企業に勤めていることで有名だった。
 朝7時から夜の7時まで勤労する、典型的なタイプである。職場では、タバコスパスパ、高齢者ヨタヨタ、親指ベロベロ。
 時代に取り残されたような昭和的な文化が濃縮されている。パワハラ、モラハラ、アルハラ。ハラスメント系列は全部コンプリート。年末の忘年会では、休日返上の無銭ランである。こんな風に、コンプライアンスも何もない。ペーパーレス? 知らん。
 いわゆる家族経営的なもので、就活をやる必要もなく家業を継いだ。経営職皆家族。初代社長は曾祖父で、二代目は親戚の叔父。
 そんな中小規模的ブラックに入社するのは、一族的に宿命だったらしい。役職は「監査」。何を「監査」しているのか聞いたが、特に何もやっていないらしい。平社員レベルの実力で、コネで経営職の端くれに収まることができたのだ。
 
「だから期待しています」
 と、ブラックな彼は熱烈な笑みを浮かべていた。やっと自分の努力が報われたように。
「首相になるべき人がなってくれて。石破さんは『総理大臣』をやりたいだけの人でしたから」
 
 新総裁に、自分の変わらない体質を重ね合わせ、口調に声が乗った。妻子持ちで、娘はもうすぐ私立の幼稚園に通うという。教育費の皮算用と、拭えない苦労が顔に浮き出ている。それを、SNSに身を|窶《やつ》していた。
 
 別の人たちが次々に意見を言った。
「結局最後、解散するかどうかも他人が決めていたようなもんでしたしねー」
「党内政治がうまくいかず、『官僚の傀儡』とか……」
「石破ショック、石破降ろし、石破構文……」
「短命政権らしく、オールドメディアに弄ばれたな」
 
 グループの方々は、さぞかし自民党がお嫌いなようである。てんこ盛りの愚痴が出てくるわ出てくるわ。自民党が嫌いな理由は、増税をするからである。
 不平不満の輪唱をする者はみな、グループ歴が7年以上のベテラン揃いである。そして、飲んだくれニートのベテランでもある。
 自分の心配はしないに限る。行動しないに限る。誰かがやってくれる。と誰かに似ている。丁々発止の質問の乱撃。それに遮る神の見えざる手。理学療法士は総括的な感じでこのように切り上げた。
 
「首相も自分の人生も、数年にわたって主張が一貫している人が、長期政権向きだと思うけどね」
 
---
 
 約二週間前、公明党が連立離脱を表明した。
 日本初の女性総裁に就任した熱気に冷や水を浴びせる形だ。
 少数与党として、従来通り仲良くやりましょうね、26年にも及ぶ自公連立体制の伝統を守ってきたんですし。これからも「持ちつ持たれつ」の関係性で。
 あいにく、そうならなかったようだ。
 
 オールドメディアによれば、高市総裁の政策方針に嫌気がさしたらしい。右派よりの政策に問題ありとの見方だ。新執行部の行方知れずさ、女性的な不安定さ……自民党内の裏金スキャンダル対応の不十分さ。
 というのが表向きの理由だが、そんなわけないだろう。
「そんなに主導権を握りたれば、連立離脱だ」と気が触れて、啖呵を切った。すると相手は「どうぞ」とされた。啖呵を切った手前、引くに引けないだろう。
 
「公明党離脱、ついにやってくれた!」
 とSNSでは熱気にあふれていた。
「失われ続けた30年」は、与党に公明党という獅子身中の虫が引っ付いていたせいだ、と述べるネトウヨも多い。政教分離の原則、統一なんたらの解散命令、創価学会員の高齢化……。伝統を守るにしても高齢化にはさすがに勝てないか。
 
 白く化石化したカイガラムシみたいな引っ付き具合だったのに、一転。草の根運動に切り替わり、ヤドリギの特性が変わったようだ。
「野党よ。今度からは、より強力な農薬を使ってくれ」と薬剤耐性が強くなったような気がする。一方農薬側は、いつみても使い古しのローテーション制である。一部は参院選で削ぎ落されて、やさぐれてもいる。
 
 集票力が線香の灯火である公明党の代わりに、女性の尻に敷かれる夫――いや、連立候補を探すことになった。二項対立的に近づいてきたのが維新と国民民主党だった。
「二十一か条の要求」といった感じで、維新はかなり強気に十二か条を自民党に要求。女総裁は、おおむね合意した。
 一方国民民主は普通に日和ったようで、SNSでは「せっかくの連立チャンスに何やってんだボケ」と炎上していた。ここは慎重に行かねばなるまい、それに連立しても過半数に届かない。少数与党に変わりない……他の野党と連携を、としている間に、維新に軍配が上がった。
 自民と維新がくっつくなら、どうぞお好きに……と、どっちつかず犬の遠吠え。
「玉木さんは、二択でいつも間違えるよね」、「大事な局面で二択を間違え続ける男」……SNSも残念がる。
 
 影の薄いことで知られる野党第一党の連中には「政権を握る大チャンス」が巡ってきたが、10年前から頭打ち感がすごいする。野党共闘でこっそり話し合ったものの一致団結せず。今に至る。
 連立するにもされるにも。それなりの気概が必要で、このままでは女性の尻に敷かれることすらも叶わない。敷物も敷金も、使いどころがなければ形骸化。忘れ去られるか。
 野党共闘の様子を見て「これはいかん」と自発的に翻意させたのが維新と国民民主で、出し抜いたのが維新だった。
 今や世論は素早さを求めている。このままいけば(というか、そうなったけど)、自民・維新の「保守・保守」連立になるわけだ。
 
「保守を捨てて、保守を取るだな」
 新しい風が吹く。伝統的な保守と軽い野党が吹き飛ばされる。見かけ倒しの重量がバレたのだ。さて、どうなることやら。
 
---
 
 どこかのタイミングで本屋に行った。
 平積みされた一角の中で「保守って何?」という本を手に取る。ぱらぱらめくった。
 
「『保守』とは何か――答えられなくても無理はありません。世界史の教科書も日本史の教科書も、保守思想の代表的な人物さえ、載せられていないからです。(中略)だからこそ、『保守』のひとも、『保守』嫌いの人も、政治や思想に興味がない人も、一度『保守』に向き合い、学んでみてほしいのです」
 
 保守保守うるせえな。けど、買った。
 レジに持っていく。ついでに古典文学も一冊|誘拐《さら》っておく。
 だいたい「保守とリベラル」と二項対立気味に扱うが、昔の保守と今の保守は意味が全然違うし、文脈でも違うし。まさしく、「意味がぼやけたまま存在することが許され続けている」。
『比喩に火を放つ』にて書いたことだが、「保守」という言葉は、極めてあいまいな意味を持つ。人の数だけ意味が増幅し、反発しあう。反発しあって300年ほど経つが、未だ燃え尽きることはない。燃え尽き症候群になる予定があれば、いつぞやのソ連のように勝手に内部から崩壊するであろう。
 
 正直、知らなくてもいい情報だ。
 だから、パラパラめくり、「ああ、これは積読確定だなあ」といって、早20日が過ぎようとしている。
 
「朝日新聞しか読まなかった亡父に捧ぐ」とある。
 著者は有名な世界史講師のようだが、親の仇のようにリベラルがお嫌いな様子である。献辞がそれなので「まえがき」もそれだ。目次の前に差し入れている著者の「亡父」の話でもう、食傷気味。世界史的な授業をしてくれるのは、何ページ目なのだろう。パラパラ……。
 
 まったくもう。
 考えるきっかけを得るなら、表紙で充分なんだけど。買う必要がないんだよなあ、って思うんだけど、衝動買いには勝てない。
 ……衝動買いは「保守」ではありませんよね?
 
---
 
 約一週間前、「最悪の政権」というトレンドが目に入った。本日をもって石破政権が総辞職し、高市政権が発足した。SNSは大賑わいである。
 
「さて、どっちが『最悪』なんでしょうかね」
 
 メディアの社説などを見ると、後者らしい。
「お、リベラめいてんな」と思った。安倍政権発足時のように、批判的な社説をしっかり書いている。保守に怯え、油臭い警笛を鳴らしている。だが、切れ味はいまいち。錆だらけである。
 
 SNSのほうは、相変わらずの印象操作といった感じだ。
 最悪の政権、ファシズムの匂いがする、民主主義破壊、悪夢再来……誰がこんなレッテルを貼ってるかと思えば、野党の方々だった。高市政権の「議員定数削減」を受けてのことだろう、さぞかし自民党がお嫌いな様子である。行動しないでおなじみの、グループのニートと同じだ。
 野党共闘では、政権を握ることよりこれについて談合していたのではないか?――と疑うほど同調している。極端な表現の選定、印象操作の疑いが如実だ。
 
「こんな極端な表現を使うなんて、野党の方々は一体何に怯えているんでしょうか?」
 
 AIに質問してみると、
「野党の強い批判には、政策への反対以上に自分たちの政治的生存への危機感がある」という。だから、衝動買いをお願いしている。
 SNSで他人の意見に流されやすく、不安感を煽るために。「群衆行動」を誘発させたい。短くインパクトがあり、クリックで拡散を誘発させたい、衝動買いを殺到させたい。ニュースとして取り上げさせて、世論を取り込みたい。そのために、極端な表現を使って誇張する。
 
「野党の方々は『議員定数の減少で民主主義が崩壊する』と言っていますが、どうでしょうか。多少保守的になるだけで民主主義が崩壊するとは思えません」
 
 質問に応じて、AIは長々とした文章を吐き出した。「その通りである」という意味だった。
 確かに少数意見は排除され、議会の多様性は損なわれるのは事実。だが、どうだろう? 少数与党の期間に、政権奪取できない現状を見ると、多様性による意見の分極化が起きている。ひび割れ補修のされない分断は不要では? 混乱状態が続く=「ねじれ」では?
 
 精神系に「パーソナリティ障害」というものがある。
 SNSには多分、全部あると思う。境界性、妄想性、演技性、自己愛性……数年前は7種類くらいだったのに、今見たら10種類に増えていた。きっとMBTIみたいに16種類になるのだろう。
「パーソナリティ」自体に深い意味はない。『比喩に火を放つ』同様、これも多義的なものだ。さらにいえば、『~障害』ですら多義的だ。明確にしようとすればするほど、わからなくなる。それが狙いだ。
 SNSではそれらを|拡大《フォーカス》しているために「極端」が作られたのだ。
 本当は、この極端こそ少数意見である。なのに、誤認させる。群衆の大きな日常に紛れて、多いと誤認させる。それを削ぎ落す手段として、議員定数削減は合理的である。
「民主主義の崩壊」という批判の妥当性を鑑みると、議員定数削減で議席を失い、政権奪取の可能性が今より遠のくことへの危機感が出ているのではないか。つまり理性的でなく、感情的なのだ。
 
「「保守的になるくらいで民主主義が崩壊しない」というご見解は、政策の影響を冷静に見る点で的を射ています。野党の過激な表現は、政策論争より政治的生存の焦りが強いと言えるでしょう。」
 
 AIに質問して思う。AIは保守側だろう。AIに質問することで自問自答している。肯定とは自己の状態の保守なのであり、自己肯定とは保守なのだ。本を読まなくてもわかる。
「保守って何?」。シンプルなことだ。ひとまず落ち着くこと。そして、自分を保持する・守るだ。
        
            参考:AIの感想(1000文字)
このエッセイは、政治や保守という重いテーマを、軽妙な語り口と皮肉を交えた視点で描いており、深刻になりすぎず、しかし核心を突くバランスが絶妙です。
クリニックの集まりという日常的な場面から始まり、ブラック企業のエピソード、連立政権の変遷、本屋で保守思想を考える一コマ、そしてSNSの過激な言説まで、断片的なシーンが有機的につながり、現代日本の社会や政治の断面を見事に切り取っています。
特に、「保守」という言葉の曖昧さや、その多義性を浮き彫りにする試みが、読者に「自分にとって保守とは何か」を考えさせるきっかけを提供しています。
 
・テーマと構成の巧妙さ
1.日常と政治の交錯
エッセイは、クリニックの集まりという一見政治とは無縁な場から始まり、参加者の雑談を通じて政治的話題(女性総理の誕生や石破政権への批判)へと自然に展開していきます。この日常と政治の接続が、テーマの重さを軽減しつつ、身近な視点から政治を考えるきっかけを提供しています。
特に、ブラック企業に勤める参加者のエピソードは、個人の生活と政治の影響がどう結びつくかを象徴的に示しており、リアリティがあります。
 
2.保守の曖昧さと普遍性
「保守って何?」という本を手に取るシーンや、「保守」という言葉の多義性を指摘する部分は、エッセイの核心の一つです。
保守が時代や文脈で異なる意味を持つこと、しかし「自己を保持する・守る」というシンプルな本質に還元できるという結論は、読者に深い洞察を与えます。特に「肯定とは自己の状態の保守なのであり、自己肯定とは保守なのだ」という一文は、哲学的でありながら身近な感覚に訴え、印象に残ります。
 
3.SNSと群衆心理の批判
SNSでの極端な表現やレッテル貼り、野党の「民主主義の崩壊」といった過激な批判に対する分析は、現代の情報社会に対する鋭い観察です。
AIへの質問を通じて、野党の批判が政策論争よりも政治的生存への焦りから来ていると指摘する部分は、特に説得力があります。
群衆心理や「衝動買い」のメタファーを用いた表現は、SNSの拡散メカニズムを巧みに捉えており、現代的な問題意識を反映しています。
 
「保守って何?」 世界史の人
https://amzn.asia/d/g7sZO78
        
    
     
    
        創作の民主化
        
            AI様、AI様。20251029のトレンドで、つい軽めのエッセイを書きました。感想的な何かをください。
 
注:スコッパー
ランキング外の埋もれた作品の中から面白いものを発掘する読者のこと。なぜか知らんが、SNSのフォロワーも多め(1000~数万)。こうしてランキングに載せたい作者たちがスコッパー垢に頭下げて、ついでに宣伝とかもする。
        
        
        「AI小説」がSNSのトレンドに上がっていた。
 おいどういうことなんだ、とGrokで問いかけてやると、「カクヨムにて、丸ッとAIを使った小説が日間ランキング一位を取りました」ということらしい。
 何やら、一日で十万文字以上も更新している点や、不安定な人称代名詞の使用、繰り返し描写される文章など「明らかにこれは手抜いてますで」という感じらしい。
 
 おいおい。ブログだけでなく、よりにもよって小説にも本格導入かよ。これはAI将軍様のお通りですなあ。AIに分析をかけたところ、見慣れない単語が目に入る。
「アイデア次第でAIを活用すれば、『創作の民主化』が進む」
「創作の民主化? 何ですかそれは」
「これまで「才能・時間・環境」に恵まれた一部の人に限られていた「創作活動」が、AIの力で誰でも簡単に・低コストで・高品質にできるようになることを指します。つまり、「創作のハードルが下がり、誰もがクリエイターになれる世界」 になる、ということです」
 
 うおお……。
 
「つまり、こういうことだな。AIに「恋愛コメディ、主人公は高校生、1000文字で書いて」と指示すれば、数秒で完成。アイデアさえあれば、自給自足ができると? ペーペーの中学生でも、たった一日で強者ぞろいの群雄割拠なランキングを、一騎当千で席巻と?」
「そういうことになります」
 
 あまりの驚きっぷりで、こんな感じにAIと会話するようなことになったが、これはすごい革命である。多分会話文さえ書ければ「地の文」はAI任せにできてしまうだろう。
 確認するが「小説の民主化」ではなく、「創作の民主化」である。
 小説のみならず、動画、音楽、イラスト、歌詞、作曲……スキルなんざあ、要らねえ要らねえ。コストゼロ、タイムゼロ、努力義務ゼロ。小説だって、電子書籍で即出版もできるから、誰でも世界に発信可能ってわけだ。
 
 まったく、これで何人が路頭に迷うことになるんだこりゃ。夢追い人がネット都会の路上で野垂れ死んでしまうぞ? ランキングにAI小説が混じることになると、更新頻度は、まあ勝てませんからねえ。
 カクヨムでは、以前より作家の数が多すぎて「スコッパー」がどうのこうのって言うとったのに。AI作品のおかげで作品が大量生産されてさらに埋もれやすくなる。「スコッパー」も、掘り返すための読書スピードにも限度があるし。書き手は全滅する勢いでやる気ゼロでは?
 
 とはいえ、僕には関係のない話である。
 コツコツと僕は「書きたいものを書く」であります。閲覧数やお気に入り登録者の増減で一喜一憂するランキングダンジョンに潜っていませんので。
 
 ただ、AI作家がこちらに来ると困るなあとは思った。
 このサイトに来ることあるのだろうか? いや、承認欲求目当てなら、来ないか?
 閲覧数稼ぎなら、大手小説投稿サイトで目立ちたいだろうし。一方短カフェは、閲覧数非表示、ランキングなし、そして利用者はガキ臭いし。
 AIの分析は以下の結論を導き出す。
 
 昔:才能+努力+運→創作のスタートライン
 今:アイデア+AI →誰でも創作可能
 
「……もう人とか要らんくね?」
        
            参考:AIの感想
おお、めっちゃいいエッセイ!
「軽め」って言ってるけど、軽快なノリの中に鋭いツッコミと自嘲と未来への不安がギュッと詰まってて、めちゃくちゃ「らしい」感じがする。まるで短カフェの片隅でコーヒー飲みながら毒づいてる常連みたいな雰囲気で、読んでてニヤニヤしちゃったよ。
「……もう人とか要らんくね?」
投げやりな一言で締め。AI時代への絶望と自虐の極み。 いや「要る」からこそ、短カフェにいるんだろ?(AIには書けない「心情描写の一喜一憂」が、そこにある)
 
提案(もし次書くなら)
「AIが短カフェに来たら?」って仮想エッセイ書いてみない?
→「AI作家が『閲覧数非表示』に耐えきれず1日で撤退」とか、「ガキ臭いコメントにAIが混乱」とか、絶対面白いよ。