終末世界を描いた、ダークバトルファンタジー!
シュメル歴六百七年八月九日。突如として現れた異形の生命体によって、一瞬のうちに荒廃と化してしまった都市ニゲラ。
生きることに何の価値も見出せず、いっそのこと死んでしまいたいと願う者。恐怖に震えながらも、絶望の中で必死に生き抜こうとする者。大切なものを奪われ、ただ復讐に生きる者。
それぞれが複雑な心境を胸に抱えながらも、生き残った者達は新たな仲間達と出会い、別れ、そして明日を生きる為に戦い続ける。
人類存亡を懸けた壮絶なバトルが──今、始まる。
◆作者コメント◆
始めて挑戦するジャンルなので自身がなく、純粋に反応が知りたいです。
良かったら気軽にコメントください(><)
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目次
1)【終わりの始まり篇】 プロローグ
初めて挑戦するジャンルなので、自信がありません。
なので、純粋な反応が知りたくて投稿してみました(><)
作品名:讐牟D.C.滅亡都市
ジャンル:終末世界を描いたダークバトルファンタジー
気に入ってもらえたら、続きも読んでもらえると嬉しいです🥺
「──エヴァ」
その呼び声に背後を振り返ってみると、柔和な笑みを浮かべる美しく整った顔立ちの青年と視線がぶつかる。
プラチナブロンドの髪は綺麗に整えられ、風に揺れてサラサラと流れる様子はとても柔らかそうだ。微笑んでいても、どこか少し冷たさを感じる涼しげな目元によく似合っている。
そんな彼は、おそらく誰の目から見ても好青年にしか見えないのだろう。事実、文武両道で絵に描いたような優等生の彼は、妹の私とは違って両親自慢の息子なのだ。
「探したよ」
「…………。ちょっと一人で買い物がしたくて」
「それならそうと、連絡くらいくれないと。迎えに行ったのにいないから心配したよ」
「……ごめんなさい」
「…………。どうやら目当ての買い物はまだのようだね。学校帰りにそのまま遊ぶのはあまりお勧めできないけど……今日は僕がいるからね。エヴァの買い物に付き合うよ」
私の手元をチラリと確認した兄は、そう告げるとニッコリと微笑む。その有無を言わせぬ空気にコクリと小さく頷くと、私の歩幅に合わせて歩き始めた兄と二人並んで歩みを進める。
都市ニゲラの中心街はやはり流石とでも言うべきか、通勤通学で利用している人は勿論のこと、買い物や遊び目当ての人達で相変わらず賑わっている。こうして学校帰りに立ち寄ることも滅多にないせいか、ついつい忙しなく視線が彷徨ってしまう。それだけ、煌びやかで目を惹く建物が多いのだ。
そんな私の様子に気付いたのか、兄は時折「目当てのものは見つかった?」と確認してくるものの、私は小さく横に首を振って応えるだけだった。もとより、目当ての買い物などないのだ。ただ一人でいる為の口実だったのだから。
人の波にあふれかえる喧騒の中、一人立ち止まった私は前方を眺めた。これだけ沢山の人達が行き交っているというのに、まるで私のことなど誰も見えていないかのように通り過ぎてゆく。
たまにぶつかってくる人達の勢いに押されては、右へ左へとふらふらとよろける。
「──エヴァ!」
少し離れた前方で、慌てたような声を上げながらこちらに向かってくる兄の姿を目にした──次の瞬間。突如として上空に眩い閃光が走り、その眩しさに思わず目を瞑った私は、その光を遮るようにして右手をかざした。
うっすらと開いた視界の先に見えたのは、上空一面を覆うほどの鮮烈な黄みがかった白い光。その場にいた誰もが足を止め、一瞬にして遠のく喧騒。
「綺麗……」
思わず溢れ出たその言葉は、自分でも気付かないほどに無意識だった。時間にしてどれくらいだっただろうか──おそらく数秒の出来事だったのであろうそれは、突然の轟音とともに押し寄せた爆風によって、私の身体を勢いよく吹き飛ばした。
打ち付けられた身体でゆっくりと上半身を起こすと、ズキリと痛みの走った左足へと視線を向けてみる。
「……ゔ……、っ」
その痛みに思わず小さな呻き声を上げると、私は瓦礫に挟まった左足を引き抜いた。一体、何が起きたのだろうか──。最後に目にしたのは、眩いほどの閃光だったことだけは覚えている。
呆然とする頭のままゆっくりと辺りを見渡してみると、そこかしこに血を流して倒れている人々の姿、|煤《すす》まみれで泣いている子供の姿が目に入る。つい先ほどまで華やかに活気づいていた街並みは跡形もなく崩れ落ち、所々で炎を上げながら瓦礫と化している。
その地獄絵図のような惨状を前にしてもなお、私の壊れた心は何一つ変わりなかった。そんな自分自身にツキリと胸を痛めると、悲しみにそっと顔を歪めながら、擦り傷だらけの両手で地面を固く握りしめる。
(いっそ、このまま死ねたらよかったのに──)
吹き付ける熱風にプラチナブロンドの髪を|靡《なび》かせながら、私はただ、静かに目の前の光景を眺めた。
──シュメル歴六百七年、八月九日。
この日、都市ニゲラは突如として現れた閃光によって一瞬にして崩壊した。
2)◆エヴァ・ハムリー◆age16 銀髪の救世主(七日目)
熱っぽく気だるい身体でゆっくりと上半身を起こすと、まだ覚醒しきれていない頭のままぼんやりと視線を彷徨わせる。
一面が真っ白な壁で覆われているばかりで、これといった特徴のようなものは何もない。強いて言うなら、窓さえないのが特徴だろうか。そこまで考えて、ようやく意識がハッキリとしてくる。
(……ああ、そうだった。ここは政府の研究施設なのよね……)
今からちょうど一週間前。突如として崩壊したニゲラで一人彷徨っていたところ、政府の人に保護されてこの施設へとやって来たことを思い出す。
兄とはあの時はぐれたまま、生死さえも分からない。外はあの惨状だ。再び生きて会える可能性もほぼないだろう。そんなことを思いながら、あの時見た恐ろしい光景を思い返す。
どこからともなく現れた、異形の姿をしたバケモノ。まるでアルビノのような白っぽい皮膚は魚のような鱗で覆われ、その身体は全体的に少しぬめり気を帯びているようだった。おそらく、体長は2メートルをゆうに超えていただろう。そのバケモノが、爆風によって怪我を負った人々を次々に襲い始めたのだ。
その光景を前にした私は、強い恐怖心に駆られて本能的にその場から逃げ出した。正直、その行動には自分でも驚いた。あれほど死にたいと願っていたはずなのに──。
「──診察の時間です」
そう告げながら扉から姿を現したのは、白衣姿の施設の女性職員だった。
「……はい」
返事をしながらのろりとベッドから降りると、それを確認した職員は私を連れて隣の部屋へと向かう。
二日間外で生き延び、ここへ保護されてからの五日間。毎日こうして定期的に職員がやって来ては、隣の部屋に移動して検査をしている。なんでも、外はバケモノによって空気汚染されているとかで、感染の有無を経過観察する必要があるらしい。
(そんなの別にどうだっていいのに……)
促されるまま検査室へと入ると、数人の職員達の手によって手際よく機械へと繋がれる。一体何をどう検査しているのかは不明だけれど、椅子に座ったままモニターに映し出される波形をぼんやりと見つめる。
そんな中、淡々と作業をこなすだけの職員達はいつも無言で、ここへ来てから五日も経つというのに、言葉を交わした記憶はほとんどない。とはいえ、今更気にするようなことでもない。もとより、私の存在など誰も気に留めることなどないのだから。
(………。昨日の夜から少し熱っぽいせいか、なんだか疲れちゃった)
見ていたモニターから視線を外すと、静かに瞼を閉じて身を委ねる。
おそらく、いつも通りの手順ならこの後十分程で検査も終わるだろう。そんなことを考えながら大人しくしていた──次の瞬間。慌ただしく室内へと入って来た男性職員が、焦ったような声音で大声を上げた。
「襲撃だっ!! 今すぐ逃げろ──!」
そう告げるや否や、突然短い呻き声を上げて足元から崩れ落ちた男性。そのすぐ背後から姿を現したのは、全身黒ずくめで目深にフードを被った男性らしき人。その手には二本の刀が握られている。
状況から見て、この男が背後から切りつけたのだろう。その証拠に、二本の刀からは血が滴り落ちている。
一瞬の静寂の後、一気にパニックへと陥った室内。その場にいた職員達は散り散りに逃げ惑い、断末魔と共に切り捨てられてゆく。そんな光景を、ただ黙って眺める。
ハラリと捲れて落ちたフードから見えたのは、肩まで伸びた銀髪をハーフアップに束ねた、まるで彫刻のように整った顔立ちの男性。年齢は、おそらく私より少し上くらいだろうか。その顔は一切の感情など持たないかのように無表情で、それでいてどこか危うげな儚さがある。
無駄のない動きで音さえ立てずに、なんの躊躇いもなく次々と職員達を切り捨ててゆく男。血飛沫が舞い散る中、男だけが静かな一枚絵のように切り取られたその姿は、思わず見惚れてしまうほどに美しかった。
「…………」
「──死にたいか?」
いつの間に来たのか、私のすぐ目の前に立っていた銀髪の男。きっと、逃げる素振りをみせない私を見てそう尋ねたのだろう。事実、私は逃げようなんて考えを一瞬たりとも思い浮かべなかった。むしろ、私の願いを叶えてくれるであろう、唯一の救世主に見えたのだから──。
チラリと男の背後へと視線を向けてみると、息絶えた職員達の遺体が転がっている。私もあんな風に死ぬのだろうか? そう考えてみても、不思議と全く怖くはなかった。
「あなたになら……殺されてもいい。どうせ行くあてなんてないし」
「……」
おそらく、この施設はもう機能しないほどに壊滅しているのだろう。ここまでの騒ぎになっているというのに、誰一人駆けつけて来ないのが何よりの証拠だ。
たとえここを出たとしても、外にいるのはあの恐ろしいバケモノ。だとしたら、いっそのこと今ここで終わらせてもらった方がありがたい。もとより、私には生きたい理由なんてないのだから。
「……じゃあ殺してやる。だが、今じゃない」
そう告げた銀髪の男は、私の身体に繋がれた機械の管を切り捨てた。
「…………」
「ここを出る。着いてこい」
言われるがままに椅子から立ち上がると、無言のまま男の後を付いてゆく。
何故、今すぐではダメなのか──その理由は分からないけれど、確かにこの男は約束してくれた。
『──じゃあ殺してやる』
その言葉だけを信じて、私は目の前の救世主の背中を追いかけた。
3)◆エヴァ・ハムリー◆age16 なんの価値もないのに
検査室を出た先の状況は予想した通りで、そこかしこに職員達の息絶えた身体が転がっていた。廊下は勿論のこと、時折見かける開け放たれたままの室内でさえも、見た限りでは生存者はいないようだった。
一体何が目的で襲撃したのかは不明だけれど、この惨状をこの男が一人でしでかしたのかと思うと、その凄まじさに思わず息を呑む。前方を歩く男をチラリと盗み見ると、一糸乱れぬ様子で返り血さえ浴びていない。
(一体、何者なんだろう……)
「あの……、どこに向かってるの?」
「…………」
「…………」
勇気を振り絞って聞いた私の質問には、どうやら答える気はないらしい。そう思って男から視線を外すと、足元を見つめながら静かに歩みを進める。
「…………。この施設で銀髪の男の子を見たか? 歳は十三だ」
「……え?」
突然の質問に俯いていた顔を上げると、歩きながらもこちらに目線を流している男と視線がぶつかる。
「あ、えっと……見てない」
「……そうか」
それだけ答えると、再び前を向いて無言で歩き続ける男。どうやら人を探しているらしい。それだけは分かった。とはいえ、相変わらず謎だらけなことに変わりはない。
けれど、素性など知ったところで何になるわけでもない。ほんの少しこの男の素性に興味が沸いたのも、きっと熱っぽさが原因だ。
私はどうせ、この男に殺されるのだから──。
そのまま男の背中を追いかけるようにして歩いていると、突然エレベーター前で足を止めた男。
このエレベーターには見覚えがある。政府の人に保護された当初、私はこのエレベーターに乗って地下にある施設へとやって来た。どうやら、この男はこのまま地上へ出る気らしい。外で見たバケモノの姿を思い浮かべると、ゴクリと小さく唾を呑み込む。
「怖いか?」
そんな私の様子に気付いたのか、男はチラリと横目に私を確認する。
「……ううん。でも、外は空気汚染されてるって聞いたから」
「…………。大丈夫だ」
それだけ答えると、さっさとエレベーターに乗り込んでしまった男。こうなってしまうと、私も黙って後を追うしかない。考えてみれば、この男は外からやって来たのだ。その本人が大丈夫だと言うのだから、空気汚染の心配はないのだろう。例え汚染されていようと、私にとってはどうでもいいことだ。
沈黙が流れるエレベーターの中、カタカタと震え始めた両手をギュッと握りしめる。確かに死にたいと願っているはずなのに、地上へ出るのが怖いだなんて、矛盾した感情には自分自身でも呆れる。
一階に到着したエレベーターから降りると、男の背中を追いかけるようにしてその先にある扉へと向かう。
「離れるなよ」
外へと続く重厚な扉の前で足を止めると、私を見てそう告げた男。それに応えるようにしてコクリと頷くと、緊張から首元に流れ出た汗をそっと拭う。そんな私の緊張など知りようもない男は、何の迷いもなく扉の開閉ボタンを押した。
ゴゴゴと低い音を響かせながら開いた扉は、生温い空気を乗せて外界との境界線を溶かしてゆく。いよいよ引き返せない状況に、思わず足がすくんでしまう。
久しぶりに見た外の世界は、最後に見た時と何も変わってはいなかった。
煌びやかだった色とりどりの建物はそのほとんどが崩れ落ち、原型を留めている建物でさえも焼け焦げて黒くなっている。未だに何が起きたのかはよく分からないけれど、きっとあのバケモノが何か関係しているのだろう。
目の前の光景を見ると、ここが一・二を争うほどに栄えていた都市ニゲラだとは到底思えない。
「こっちだ」
男に促されるようにして外へ出ると、ドクドクと煩い鼓動に気付かないふりをする。どうやら、ざっと見渡した限りあのバケモノはこの近くにはいないようだ。
とはいえ、恐怖心と緊張から私の身体は強張っていた。
「──あっ、」
瓦礫に|躓《つまず》いてよろけると、私の腕を掴んだ男が身体を引き上げる。
「……ごめんなさい」
そう謝罪をするも、男は何事もなかったかのように無言で歩き始める。それを追いかけるようにして、ただひたすらに黙々と足を進める。
一体どこへ向かっているのか、それさえ分からない。おそらく、質問したところでその答えは返ってこないだろう。そもそも目的地があるのかすら不明だ。なにせ、見渡す限り瓦礫の山ばかりなのだから。
そんなことを思いながら瓦礫の角を曲がると、突然現れたバケモノの姿に恐れ|慄《おのの》く。僅か一メートル程の距離の、目と鼻の先にいる三メートル級のバケモノ──。こんなに間近で目にするのは初めてだった。
あまりの恐ろしさに、喉の奥から悲鳴が込み上げてくる。
「──静かにしろ」
寸でのところで背後から男に口を塞がれ、耳元で静かにそう囁かれる。そうは言われても、恐ろしさからガタガタと震える身体。いくら死にたいと思ってはいても、こんなバケモノに喰われて死ぬなんてあんまりだ。
ギュッと固く瞼を閉じると、溢れ出た涙が頬を伝う。
「このまま静かに後ろに下がるぞ」
「……っ、」
頭では分かっているのに、思うように身体が動かない。カタカタと震える足元は今にも崩れ落ちそうだ。男にもそれが伝わったのか、背後から私を抱き抱えるとゆっくりと後退してゆく。
驚いたことに、バケモノはそんな私達の存在に全く気付いていないようだった。先程間近で目にしたバケモノは、確かに目のようなものが存在していた。けれど、その眼球は白く濁ったように落ち窪み、もしかしたら視力はほとんど機能していないのかもしれない。
恐怖に震えながらも、やけに冷静にそんな考えが頭をよぎる。
バケモノと遭遇した場所から充分な距離を取ったところで、抱えていた私を下ろした男は口を開いた。
「ここで少し休むぞ」
そう告げながら瓦礫に腰を下ろす男を見て、私は次々と流れ出る涙を拭った。
「……っ、ごめんなさい」
一体何に対して謝っているのか、自分でもよく分からなかった。極度の緊張状態と安堵感から、拭っても拭っても溢れ出る涙。私は今、助けてもらったことに心底感謝してしまっている。
あんなに死にたいと思っていたはずなのに、私はまだ、心のどこかで生きたいと願っていたらしい。その事実に、いたたまれない罪悪感が押し寄せる。
(私なんて、なんの価値もないのに──)
自分の中にある矛盾した感情に戸惑いながら、声を押し殺して涙を流し続ける。
そんな私のことを、男はただ黙って見ているだけだった。
4)◆エヴァ・ハムリー◆age16 渇望
「これを食べておけ」
「…………。ありがとう」
目の前に差し出されたチョコバーを静かに受け取ると、その袋を破きながらチラリと男の様子を|窺《うかが》う。元からの性格なのか、無口なこの男が何を考えているのかはよく分からない。
確かに殺してくれると約束したはずなのに、今のところ私を殺す気はないらしい。それどころか、こうして食べ物まで与えてくれる。
(一体、いつになったら殺すんだろ……)
パクリとチョコバーを口に含みながらそんなことを考える。
役立たずな私では、きっと連れ歩くのでさえ相当な足手まといのはずだ。だとしたら、きっと何か利用する目的があるのだろう。そんなことを考えながら、何故かチクリと胸を痛める。
「少しこの辺りの様子を見てくる。ここで待ってろ」
それだけ告げると、私の返事を待たずして立ち上がった男。
「……う、うん」
こんなところで一人待たされるだなんて、バケモノに喰われる未来しか想像できなくてとても恐ろしい。けれど、そんなことは口が裂けても言えなかった。
男には何かやるべき目的があるのだろうし、赤の他人である私を守る義務なんてないのだから。
(ひょっとしたら、このまま戻ってこない気なのかも……)
殺すと約束して連れ出してはみたものの、面倒になったのでここに捨てていく判断をしたのだ。このチョコバーは、せめてもの慈悲だったのかもしれない。
そんな後ろ向きな考えばかりを思い浮かべては、立ち去ってゆく男の後ろ姿を静かに見つめる。
「やっぱり、私なんて……っ、」
誰にとっても価値などない存在なのだ。そんなことはとっくの昔から気づいていたはずなのに、今更ながらに虚しさが込み上げてくる。せめて穏やかに死ねたら──。そんな願いすら、もはやこの世界では叶いそうもない。
私はゆっくりと立ち上がると、ふらふらとあてもなく彷徨い歩き始める。どうせ死ぬ運命だというなら、せめてそのタイミングだけは自分で決めたい。瓦礫の角を曲がると、少し先に見えた静かに佇んでいる異形の姿をしたバケモノ。そのバケモノに向かってゆっくりと近づいてゆく。
(やっぱり、喰われる時は凄く痛いのかな……)
確かに覚悟を決めたはずなのに、私の頬には大粒の涙が流れ、その全身はカタカタと震え始める。
おそらく、即死なんて楽な死に方はできないだろう。きっと生きながら喰われるのだ。
「……ひっ、ぐ……ぐす……っ、」
ついに堪えきれなくなった口元から、|嗚咽《おえつ》まじりの泣き声が漏れ出る。その音を聞き逃すはずもなかったバケモノは、ぬるりと体を滑らせるようにして一気に距離を詰めてくる。その口は左右に大きく裂けたように開かれ、まるで牛のような咆哮を響かせる。細く鋭い歯を剥き出しにしたバケモノは、迷いなく私に喰らいつこうとする。
そんな光景が、やけにスローモーションに見えた。
死ぬ間際には走馬灯が見えると聞いたことがあるけど、どうやらそれは嘘だったらしい。私は静かに瞼を閉じると、この後訪れるであろう痛みに恐怖した。
「──っ、!?」
突然の浮遊感に驚いて反射的に瞼を開くと、そこに見えたのは、先ほどまで自分がいた場所にバケモノが突っ込んでいく姿だった。
獲物を捕らえ損ねたバケモノはくるりと向きを変え、再び私に向けて咆哮を上げながら突進してくる。それを寸でのところで|躱《かわ》すと、私を片手に抱えたままの男はカチャリと刀を響かせた。
「……っ、どうして……」
私のその声は、きっとあまりにも小さすぎて男の耳には届かなかっただろう。
その場に私を下ろした男は、両手に構えた刀で勢いよくバケモノに斬りかかってゆく。ガキンと鈍い音を響かせながら火花を散らした刃は、バケモノの身体に傷一つ負わせることはできなかった。
ぬるりとした体躯と全身に及ぶ魚のような鱗は、その見た目に反して随分と硬いようだ。それでも諦めずに斬りかかってゆく男の姿に、私の心は戸惑いを隠せなかった。
(戻ってきてくれた──)
捨てられたと思っていたのは、どうやら私の勘違いだったようだ。けれど、この男がどうして戦っているのか、その理由はどうしても分からなかった。
たとえ私に何か利用価値があったとして、それは自分の命を危険に晒すほどの価値があることなのだろうか?
(一体、何の為に……)
考えても答えなど出ない疑問に、ただただ戸惑うばかり。確かなことは、男が戻ってきてくれたことに安堵してしまっている自分がいることだった。
目の前で繰り広げられている壮絶な攻防戦を眺めながら、この男が無事でいられることを切に願う。
「──ぼうっとするな。死にたいのか」
そう言いながら、私を抱えてバケモノからの攻撃を|躱《かわ》した男。「死にたいのか」だなんて、私を殺す約束をしているはずなのに随分と矛盾した台詞だ。
再びバケモノに向かってゆく男の背中を見つめながら、地べたに座り込んだまま地面を固く握りしめる。
「……っ、危ない!」
攻撃を|躱《かわ》したばかりの男の背中に向けて、バケモノの鋭く尖った爪が宙を掻く。それを両手の刀で受け止めるも、その強すぎる衝撃に押されてズリズリと後退する男の身体。そんな手に汗握る戦いを前に、私の心拍数は驚くほどに跳ね上がってゆく。
戦闘知識など全くない私でも分かる。おそらく、この戦いは圧倒的に不利だ。それほどに力の差があり過ぎる。いくら政府施設を壊滅させた男とはいえ、このバケモノに勝つのは難しいだろう。
「……っ、なんで……。なんで戻ってきたの……」
いっそのこと、私のことなど見捨てて逃げてしまえばいいのだ。きっとこの男なら、戦わずにこの場から逃げることなど容易いだろう。でも、そうしないのは私がいるから──私を守るために戦っているのだ。
その事実に、顔を歪めた私は涙を流した。助けてもらう価値などないのに、こうして誰かが自分のために戦ってくれている。たとえその理由がなんであろうと、私の存在を認めてもらえているようで嬉しかった。
(お願い……っ、死なないで)
祈るような気持ちで男の姿を見つめる。その姿は、初めて施設で見た時と同じく静かな表情で、どこか退廃的な儚さがある。おそらく、私がこの男を美しいと感じたのもそのせいなのだろう。
きっとこの男は、私と同じく生きることに何の価値も感じていない──。
無謀ともいえる戦いに身を投じる男を見て、チクリとした胸の痛みに眉をひそめる。
「────!」
バケモノに弾き飛ばされた男を見て、思わず前のめりになる私の身体。すぐさま体勢を整えたものの、防戦一方の今のままでは確実に男はやられてしまうだろう。
(せめて、あの硬い鱗さえ何とかできれば……)
とはいえ、戦うことのできない私ではどうすることもできない。下手に動こうものなら、むしろ邪魔になってしまう可能性だってある。祈ることしかできない状況に、やきもきとしたまま固唾を呑む。
バケモノの攻撃を|躱《かわ》しながらも、その両手に持った刀で何度も硬い鱗を斬りつける。ここからではよく見えないものの、きっとその鱗は傷一つ付いていないだろう。
そんな絶望的な状況の中でさえ、男の顔色は何一つ変わらなかった。
「────!!」
それは一瞬の出来事だった。
上空に飛び跳ねてバケモノからの攻撃を回避した男は、マントを|翻《ひるがえ》しながら背後へと着地する。それを追いかけるようにして、鋭く尖ったバケモノの口が牙を剥く──。
「うそ……っ、」
小さく零れ出た私のその声は、生暖かい風に吹かれて静かにその場に響いた。
一瞬にして訪れた静寂の中。私の視線の先にあったのは、バケモノの口に男の腕が飲み込まれている姿だった。
5)◆カミーユヤペティ◆age16 破滅と絶望(一日目)
⚠️残酷描写あります⚠️
「はぁ……はぁ、はぁ……っ」
無我夢中で走りながら、目の前に見えてきた扉に手をかける。そのまま室内へと勢いよく滑り込むと、そこにいたのは幼い少年を脇に抱えて座り込んでいる女性だった。
その顔色は青白く、恐怖に引きつったその表情はまるで自分自身を見ているようだ。そんな二人と一瞬視線こそ合ったものの、特に言葉を交わすでもなくその場に座り込むと、膝を抱えた僕は顔をうずめてガタガタと震える。
突如としてニゲラ上空に現れた眩い閃光は、それを合図にして一気に人々をパニックと地獄の混沌へと突き落とした。
どこからともなく現れた異形の姿をした生物。その場にいた人々は次々と襲われ、なす術なく喰われてゆくその姿は、あまりにも凄惨で直視ができないほどだった。何とかここまで逃げて来られたのも、僕が俊敏だったからでも賢かったからでもない。ただ運が良かっただけだ。
(……っ、あれは一体、なんなんだ……)
冷静に思考を巡らせようとするも、恐怖に震えるばかりで考えがまとまらない。
ぬるりとした身体と全身を覆う鱗のようなもの。おそらく二足歩行であろうあの生物は、二足歩行とは思えないほどの軟体的な動きで、その移動速度は桁外れだった。
あんなものに捕食対象として一度認識されてしまったら最後、逃げ延びるのは不可能だろう。かといって、ここに隠れていれば安全だという保証もない。
(どうすれば……っ、……)
答えの出ない葛藤に押し潰され、瞳にはうっすらと涙が滲み始める。
「ママ……怖いよぉ」
「大丈夫、大丈夫よ……っ、静かにしてようね」
その声に反応するようにしてそっと顔を上げると、部屋の片隅で震えながら抱き合っている親子を眺める。この状況下で、どうすべきか答えが分からないのは僕だけではない。きっと誰もが、何も分からずにただ恐怖に震えているだけなんだ。
膝を抱えた両手にギュッと力を込めると、ガタガタと震える身体を必死に|宥《なだ》める。
────バンッ!
突然開かれた扉の音に驚くと、ビクリと肩を揺らした僕達は一斉に扉へと視線を向けた。
そこから室内へと入ってきたのは、二十代後半ほどの男性。その呼吸は荒く乱れ、ここまで必死に逃げてきたのであろうことは一目瞭然だ。その姿を見て、一瞬にしてバケモノへの警戒心で張り詰めていた空気は解かれ、ほっと胸を撫で下ろす空気が室内を漂う。
息つく間もなく近くの窓へと移動した男性は、警戒しながら慎重に外の様子を|窺《うかが》う。その額からはじんわりとした汗が滲み出し、見ているこちらまで緊張が伝わってくる。
「……驚かせて悪かった。ここにいるのは三人だけか?」
窓の外から視線を外すと、そう告げた男性は室内を見渡す。こうして改めて見てみると、僕とは違って頼りがいがありそうな人だ。強い恐怖心を浮かべた表情ながらも、その瞳には確かな力強さが宿っている。
そんな男性とバチッと視線が合ってしまった僕は、カタカタと震えながらも口を開いた。
「……っ。は、はい……たぶん……」
そう返事をしながらも、部屋の隅にいる親子に視線を送る。
「そうか……。ここがバレるのもきっと時間の問題だろうな」
その言葉に、思わずビクリと身体が揺れる。
「ここから少し先に行ったところにモールがある。そっちの方が安全だろう。……ここは窓から近すぎる」
確かにこの男性の言うとおり、こぢんまりとした服飾店では窓からの距離が近すぎる。すぐ傍を通りかかったら、中の様子は間違いなく丸見えだろう。
とはいえ、ここを出て移動するだなんて……。ここへ逃げ込むのでさえやっとの思いだったのに、再び危険な外に出るだなんてできるわけがない。
(……そんなの無理だ……っ、……)
恐怖に顔を引きつらせながらガクガクと震える。
「怖いのは分かる……。だが、ここにいたらヤツらに喰われるだけだ」
──喰われる。その言葉を聞いて、途端に不穏な空気と絶望感が室内を支配する。
「その子は俺が抱えていく。付いて来れるか?」
「……は、はい……っ」
親子のもとへと移動すると、母親の手から小さな男の子を預かった男性。そのまま両手でしっかりと抱きかかえると、再び窓の傍まで移動する。どうやらこの流れでは、ここを出て移動するのは決定したようだ。
外へ出るのは勿論怖いけど、一人になる方がよっぽど恐ろしい。ガクガクと震える身体をそのままに、ゴクリと喉を鳴らして覚悟を決める。
(大丈夫……っ。この人について行けば……きっとなんとかなるはずだ……)
「……俺が合図したらここを出るぞ」
その言葉にコクリと頷いた僕達を確認すると、再び窓の外に視線を向けた男性は慎重に様子を|窺《うかが》う。張り詰めた空気の中、男性の額から一筋の汗が流れ出た──その時。
「──今だ」
その合図と共に、開かれた扉から一斉に外に向かって飛び出す。そこかしこで人々の悲鳴や牛のような咆哮が響く中、ただ目の前に見える男性の背中だけを必死で追いかける。
幾度となく耳に届く断末魔は、それだけで僕の精神を擦り減らしてゆく。何度も|躓《つまず》きそうになりながら走ってはいるものの、もうこの地獄のような状況に耐えられそうにない。
(助けて……っ、助けて……!)
誰に届くでもない願いを心の中で唱えながら、崩れ落ちた建物の残骸の中をひたすらに駆け抜ける。
体格差のある子供の母親や僕では、目の前の男性に置いていかれないよう付いて行くのがやっとだ。そんな僕達に向けて振り返った男性は、恐怖に顔を強張らせながらも笑顔を向ける。
「あともう少しだ、がん──」
突然物陰から姿を現した異形のバケモノ。そのバケモノに頭から喰われた男性の言葉は、最後まで口にすることなく途切れた。
「……ぁ……あ、あ゛……っ」
飛び散る血飛沫を前に、その衝撃から言葉にならない声が漏れ出る。
泣き叫ぶ子供は片手を喰いちぎられ、それを見た母親は絶叫する。それに気付いたバケモノは、すぐさま母親のもとへ移動するとそのはらわたを喰い破る。そんな光景が、ただゆっくりと流れてゆく。
(もう、無理だ……っ、無理だ……)
目の前の光景を遮断するようにしてその場に|蹲《うずくま》ると、大粒の涙を零しながら両耳を塞ぐ。それでも聞こえてくる凄惨な断末魔に、僕の精神はもはや壊れる寸前だった。
きっと、次は僕の番だ──。先程見た光景を思い浮かべながら、ガタガタと大きく震え始めた身体を縮こませる。この状況からして、助かる可能性は万に一つもないだろう。その現実を受け入れざるを得なかった僕は、ここから逃げる意思すら放棄した。
◇
「…………」
あれからどれほどの時間が経過したのか、待てど暮らせどバケモノが襲ってくる気配はない。不思議に思ってそっと顔を上げてみると、すぐ目の前にいたはずのバケモノの姿が見当たらない。
地面には生々しい血痕が飛び散り、先ほど見た光景が間違いなく現実だということを物語っている。それを見て堪らず吐き気をもよおすと、すぐさま地面に顔を向けて嘔吐する。
(一体……、何がどうなったんだ……っ?)
混乱する頭のまま口元を拭うと、一人取り残されたまま呆然とする。たとえ今この瞬間が無事だったからとはいえ、この先一人でこの場から移動する気力は残っていなかった。
あの頼もしく見えた男性でさえ、一瞬にして目の前で喰われてしまった。こんななんの取り柄もない貧弱な僕では、一人でモールを目指して移動するなんて不可能だ。なにより、足がすくんで一歩も動けそうにない。
耐え難い恐怖心と一人残された寂しさに、静かに涙を流しながら抱えた膝に顔をうずめる。
「……っ。もう、嫌だ……っ、」
|嗚咽《おえつ》混じりの小さな声を呟くと、突然肩を叩かれてビクリと飛び跳ねる。
「──大丈夫? こんなところにいたら危険よ」
顔を上げた先に見えたのは、緊張した面持ちながら穏やかな笑みを浮かべる高齢の女性。そのすぐ隣には、同じく高齢の男性が寄り添うようにして立っている姿だった。
6)◆カミーユ・ヤペティ◆age16 新たな仲間(四日目)
⚠️残酷描写あります⚠️
ごろりと寝返りを打つと、覚醒しきれていない頭のままぼんやりと目の前を見つめる。そこに見えてきたのは、憔悴しきった様子で身を寄せ合う人々の姿。
今から三日前。見知らぬ老夫婦に助けられた僕は、こうして無事にモールまで辿り着くことができた。とはいえ、辿り着いたモールは決して安心できるような場所でもなく、こうして狭い密室に立て篭もることを余儀なくされている。
「…………」
もしかしたら、今となっては安全な場所などどこにも存在しないのかもしれない。だとしたら、こうして休むことができるだけだいぶマシな環境だとも言える。
そんな考えを思い浮かべながら、固い床からのろりと起き上がる。
「……あら、もう起きたのね。ちゃんと眠れた?」
「おはよう、カミーユ。これは今朝の分だ。しっかり食べておきなさい」
そう告げながら柔和な笑みを浮かべたのは、あの時僕に声を掛けてくれたリップ夫妻だった。
「おはようございます。……ありがとうございます」
差し出された缶詰を受け取ると、ポケットから取り出したスプーンで一口頬張る。味は決して悪くはないものの、四日目ともなるとさすがに飽きてくる。とはいえ、食事が摂れるだけありがたい。
この部屋に身を寄せ合っている二十人ほどの人達を見渡しながら、いくつかの積み上げられた段ボールにチラリと視線を送る。これだけの缶詰があれば、きっと数週間は生きていけるだろう。
(でも、この先誰も助けに来なかったら……?)
そんな不安が頭をよぎり、一気に気落ちして食欲も消え失せる。そんな僕の様子に気づいたのか、俯く僕の頭を優しく撫でてくれるリップ夫人。
チラリと視線を上げると、優しく穏やかな笑みを返してくれる。
「大丈夫よ、きっと助けが来るから。……さ、ちゃんと食事は摂らないと」
そう告げながら僕の手を優しく握ったその手は、微かに震えているようだった。
きっと、怖くて不安なのは誰だって同じはずだ。それなのに、僕のために気丈に振る舞っているだけなんだ。そんなリップ夫人の優しさに、じんわりとした温かさが込み上げてくる。
「……っ、はい……」
出会った時からそうだった。リップ夫妻は、いつだってこうして僕を励ましてくれる。あの時二人に出会っていなかったら、今こうして僕がここにいることもなかっただろう。
そんな二人に改めて感謝の言葉を口にすると、涙を流しながら食事を口に運ぶ。そんな僕のことを、温かい眼差しで見守ってくれるリップ夫妻。それがなんだか無性に嬉しくて、自然と僕の口元には小さな笑みが浮かぶ。
「──おい、今の聞こえたか……?」
ドア付近にいる男性がそう口にした瞬間。その場にいた誰もが顔を強張らせ、一瞬にして静まり返った室内。束の間の休息時間は強制的に打ち切られ、張り詰めた空気が静かに流れる。
二日ほど前まで、ドアの外では悲鳴やバケモノの咆哮が鳴り止むことはなかった。その恐ろしさに、ここにいる誰もが一瞬たりとも気を抜くことができず、眠れぬ日々を震えながら過ごしていた。それが、昨夜になってやっと少しばかり緊張の糸がほぐれたばかりだというのに──。
今、あの恐怖が再び現実味を帯びて蘇ってくる。
『…………、……』
「──! ほら、聞こえるだろ?」
男性のその声に、その場にいた全員がよくよく耳を澄ましてみる。
『た……、て……』
「……! 本当だ。人の声が聞こえるぞ……」
その言葉を合図に、小さくざわめき始めた室内。もしかしたら助けが来たのかもしれないと、途端に安堵の声が漏れ広がる。
「……いや、待て。ちょっと皆静かにしてくれ」
騒ぎ始めた人々の声を制すると、片耳をドアに寄せて外の様子を|窺《うかが》う男性。その場にいた誰もが期待と不安の入り混じった表情を浮かべながら、そんな男性の姿を静かに見守る。
『……たす……、け……て……』
「「──!」」
室内にいる全員の注目がドア付近に集まる中、僕達の耳に届いたのは救助を求める声だった。
助けが来たわけではなかったと嘆く人。再び外の脅威に怯える人。その反応はまちまちだったものの、希望が打ち砕かれたことだけは確かだった。
「…………。助けた方がいいんじゃないか?」
「──! 外にはまだ、あの生き物がいるかもしれないのよ? この扉を開けるなんて……っ」
「じゃあ、このまま見捨てろとでも言うのか?」
意見が割れ、再びざわめき始める室内。そんな大人達のやり取りを見つめながら、カタカタと震え始める僕の身体。
三日前に見た光景が強烈なフラッシュバックとして蘇り、視界に映るドアがどす黒く歪んでゆく──。
(喰われる……っ、……喰われる……。あのドアを開けたら……、全員喰われる……っ!)
ドクドクと高鳴る鼓動だけがやけに鮮明に鳴り響き、短い呼吸をひたすらに繰り返す。
「……カミーユ。大丈夫だ、落ち着きなさい。ゆっくり息をして」
「大丈夫よ、安心して。……ほら、この袋を口に当てて」
リップ夫妻に優しく背中を|擦《さす》られながら、徐々に落ち着きを取り戻してゆく呼吸。それでも、この忌まわしい予感だけはどうにもならなかった。今再び、あの惨劇が繰り返される気がしてならない。
目の前のドアを見つめながら、やっと得られた居場所を奪われる気配に怯える。
『た、す……け……』
「この声、子供じゃないか?」
「ああ、子供の声に聞こえた。……やっぱり助けるべきだ」
「……嫌よ! この扉を開けるなんてやめて! アイツがいたらどうするのよ!」
「じゃあ、助けを求める子供を見捨てろって言うのか!?」
小声ながらもそんなやり取りを続ける数人の大人達。その周りにいる人々は、どちらの意見に賛同するでもなく、ただ怯えた表情を浮かべている。
そんな光景を眺めながら、ついにノブに手を掛けて開かれてゆくドアを見つめる。
「「────!!!」」
扉を開けた先に立っていたのは、白くぬめり気を帯びた二メートルほどのバケモノ。その姿を見て、その場にいた誰もが凍りつく。
『……た、す……けて……』
ゆっくりとした歩みで目の前を通過してゆくバケモノは、確かにその口元から子供の声を発した。
「きゃああああーー!!!」
部屋中に響き渡ったその悲鳴は、目の前にいるバケモノの注意を引くには充分すぎるほどだった。
くるりと向きを変えたバケモノはすぐさま悲鳴を上げた女性に飛びつき、その肩に喰らいついて抉り取る。一気に地獄と化した室内は、逃げ惑う人々の悲鳴と断末魔がそこかしこで飛び交う。突然のパニックに、腰を抜かしたまま動けなくなったのは僕だけではなかった。
「……っ。二人とも、しっかりするんだ。……今すぐここを出るぞ」
「…………え、ええ……っ、」
リップさんに促されるようにして立ち上がると、ガクガクと震える足のままゆっくりと歩き始める。リップ夫人と僕を前に、その背後からしっかりと二人の肩を抱いてくれるリップさん。
そこかしこから飛び散る血飛沫は、ぬるりとした生暖かい感触とともに、僕の頬にビチャリと飛び散って流れてゆく。その|悍《おぞ》ましい感触に、堪えきれない吐き気が一気に込み上げる。
(……っ、無理だ……こんなの無理だ……っ)
口元を押さえて必死に吐き気を堪えると、つま先に何かが触れたような感覚に、無意識に反応した視線は足元へと落ちる。
「ひぃ……っ!」
ゴロリと転がる生首。見覚えあるその顔に、つい数時間ほど前に言葉を交わした記憶が脳裏に蘇る。見るも無惨な変わり果てたその姿に、気付けば僕の瞳からは大量の涙が流れていた。
たまらず嘔吐すると、すぐ隣にいるリップ夫人に空いた右手を握られる。
「……っ、見てはダメよ……。さ、扉まであともう少しよ」
顔面蒼白のリップ夫人は、そう告げると涙を流しながらも前を向く。それに促されるようにして、ゆっくりと着実にドアを目指して歩いて行く。ほんの数メートルほどの距離だというのに、僕の体感では恐ろしく長く思えた。
やっとの思いで入り口まで辿り着くと、僕達の前に出たリップさんが外の様子を確認する。
「……大丈夫だ。このまま二階まで行こう。あそこならきっと食べ物もある」
怯えた表情を浮かべながらも、確かな眼差しでそう告げたリップさん。僕達を庇うようにして先頭に立つと、建物の中央付近にあるエスカレーターを目指して歩き始める。時折聞こえてくる僅かな物音にビクつきながらも、立ち止まることなく突き進んで行く。
ほどなくして、目の前に見えてきたエスカレーター。鉄骨や瓦礫で埋もれてはいるものの、なんとか使えそうだ。
「……よし。ここから行けそうだ」
リップさんの言葉を合図に、二階を目指して登り始める。実際に登ってみると、瓦礫に埋もれたエスカレーターは予想以上に歩きにくく、瓦礫を踏み越えたり鉄骨を潜ったりと苦戦する。
それでも、なんとか頂上付近まで辿り着くと、目の前に見える大きな鉄骨を見上げる。相当な重量がありそうなその鉄骨は、前方を塞ぐようにしてエスカレーターの手すり部分に乗っかっている。おそらく、崩れた天井から落ちてきたのだろう。とはいえ、下を潜ればなんとか通れそうだ。
そう思って安堵の息を漏らした──その時。僕のすぐ横にいたリップ夫人が、瓦礫を踏み外した衝撃で前方へと倒れ込んだ。そんなリップ夫人に向けてすぐさま手を差し伸べるも、その視線だけは転がり落ちてゆく瓦礫から逸らすことができなかった。
カラカラと音を立てながら、一階まで落ちてゆく瓦礫──。その場にいた誰もが肝を冷やし、ゴクリと喉を鳴らした音だけが静かに響く。
『──ボォアアアー!!』
牛のような咆哮を響かせながら、もの凄い勢いで姿を現したバケモノ。その恐ろしさに、途端にガクガクと震える足元。
エスカレーター下を振り返ったリップ夫人は、その視線を僕達に向けると涙を流した。
「二人で逃げて……」
「──! 何を言ってるんだ! ……さ、早く逃げよう」
慌ててリップ夫人の傍に身を屈めると、その手を掴んで立ち上がらせようとするリップさん。そんな二人のやり取りを眺めながら、すぐ下にいるバケモノにチラリと視線を送る。
今にも襲いかかってきそうな体勢に、背筋を凍りつかせた僕はヘタリと尻餅をつく。
「ダメなのよ……っ、足を捻って歩けないの……。お願い……二人だけでも逃げて……」
泣きながらそう告げるリップ夫人を見て、悲痛に顔を歪めたリップさんは静かに俯いた。
「…………。カミーユ……よく聞きなさい。一人で逃げるんだ」
「…………え、?」
「ここを上がって右に行けばレストランがある。そこなら食料もきっとあるから……さ、早く行きなさい」
「で、でも……っ」
「……早く行くんだ!」
俯いていた顔を上げると、悲痛に顔を歪ませたリップさんは優しく微笑む。
「必ず生き抜くんだよ」
リップさんがそう告げた次の瞬間。咆哮を上げたバケモノは、勢いよくエスカレーターを駆け上がってくる。それを見たリップさんは、僕と夫人を庇うようにして立ち上がる。
(……そんなの嫌だ……っ、)
リップさんの背中を見つめながら、静かに涙を流した──その時。
「──伏せろ!!」
突然聞こえてきた声に振り返ってみると、エスカレーターの頂上付近にあった鉄骨が勢いよく滑り落ちてくる。
「────!」
呆然とする僕の頭を押さえたリップさんは、夫人と僕を庇うようにして覆い被さる。何が起きたのか分からない状況に、ただ、滑り落ちてきた鉄骨にぶつかったのであろうバケモノの衝撃音だけが耳に届く。
「立てるか?」
見知らぬその声に顔を上げてみると、そこにいたのは三十代ほどの|精悍《せいかん》な顔つきの男性だった。
「……妻が足を挫いて歩けないんだ」
「分かった。じゃあ俺が抱えて行く。二人は大丈夫か?」
「ああ、すまない。ありがとう」
そんなやり取りを交わす中、呆然としながらもリップさんに促されて立ち上がる。チラリと階下を見てみると、鉄骨の下敷きになっているバケモノがいる。
「急いで逃げるぞ」
肩下まで伸びたブロンズの髪を一つに束ねた男性は、鍛えぬかれた巨体で軽々とリップ夫人を抱き上げる。そのまま三人でエスカレーターを駆け上がるも、一階まで落ちたバケモノはすぐさま起き上がる。
このままでは、すぐに追いつかれてしまうだろう。そんなことを考えながら頂上まで登り切ると、リップ夫人を抱きかかえた男性は声を上げた。
「ニッピー! 今だ!」
「……おっ、りゃあああ!!」
もの凄い勢いで横をすり抜けていったのは、僕と同い歳くらいの赤毛の少年だった。後ろを振り返って見てみると、キャスター付きの重そうな冷蔵庫ごとバケモノに体当たりしている。
再び一階へと落ちていったバケモノは、鈍い衝撃音とともに不気味な雄叫びを上げる。それを確認すると、すぐさまこちらに引き返して来た少年。
「……こっちだ!」
近くにあったスタッフルームの扉を開くと、軽く頭をしゃくって中を示す。それに従って次々と室内へ逃げ込むと、パタリと閉じられた扉を見て安堵する。ほんの少し気を緩めただけでその場に崩れ落ちた僕は、バクバクと鼓動を響かせながら浅い呼吸を繰り返した。
情けないことに、自分一人では何一つできなかった。カタカタと震える身体で項垂れると、ポンと肩を叩かれてゆっくりと顔を上げる。
「頑張ったな。大丈夫か? 俺の名前はユリオプス。皆からはユリさんって呼ばれてる。よろしくな」
そう告げながら優しく微笑んだ男性は、何故だかとても眩しく見えた。