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5)◆カミーユヤペティ◆age16 破滅と絶望(一日目)
⚠️残酷描写あります⚠️
「はぁ……はぁ、はぁ……っ」
無我夢中で走りながら、目の前に見えてきた扉に手をかける。そのまま室内へと勢いよく滑り込むと、そこにいたのは幼い少年を脇に抱えて座り込んでいる女性だった。
その顔色は青白く、恐怖に引きつったその表情はまるで自分自身を見ているようだ。そんな二人と一瞬視線こそ合ったものの、特に言葉を交わすでもなくその場に座り込むと、膝を抱えた僕は顔をうずめてガタガタと震える。
突如としてニゲラ上空に現れた眩い閃光は、それを合図にして一気に人々をパニックと地獄の混沌へと突き落とした。
どこからともなく現れた異形の姿をした生物。その場にいた人々は次々と襲われ、なす術なく喰われてゆくその姿は、あまりにも凄惨で直視ができないほどだった。何とかここまで逃げて来られたのも、僕が俊敏だったからでも賢かったからでもない。ただ運が良かっただけだ。
(……っ、あれは一体、なんなんだ……)
冷静に思考を巡らせようとするも、恐怖に震えるばかりで考えがまとまらない。
ぬるりとした身体と全身を覆う鱗のようなもの。おそらく二足歩行であろうあの生物は、二足歩行とは思えないほどの軟体的な動きで、その移動速度は桁外れだった。
あんなものに捕食対象として一度認識されてしまったら最後、逃げ延びるのは不可能だろう。かといって、ここに隠れていれば安全だという保証もない。
(どうすれば……っ、……)
答えの出ない葛藤に押し潰され、瞳にはうっすらと涙が滲み始める。
「ママ……怖いよぉ」
「大丈夫、大丈夫よ……っ、静かにしてようね」
その声に反応するようにしてそっと顔を上げると、部屋の片隅で震えながら抱き合っている親子を眺める。この状況下で、どうすべきか答えが分からないのは僕だけではない。きっと誰もが、何も分からずにただ恐怖に震えているだけなんだ。
膝を抱えた両手にギュッと力を込めると、ガタガタと震える身体を必死に|宥《なだ》める。
────バンッ!
突然開かれた扉の音に驚くと、ビクリと肩を揺らした僕達は一斉に扉へと視線を向けた。
そこから室内へと入ってきたのは、二十代後半ほどの男性。その呼吸は荒く乱れ、ここまで必死に逃げてきたのであろうことは一目瞭然だ。その姿を見て、一瞬にしてバケモノへの警戒心で張り詰めていた空気は解かれ、ほっと胸を撫で下ろす空気が室内を漂う。
息つく間もなく近くの窓へと移動した男性は、警戒しながら慎重に外の様子を|窺《うかが》う。その額からはじんわりとした汗が滲み出し、見ているこちらまで緊張が伝わってくる。
「……驚かせて悪かった。ここにいるのは三人だけか?」
窓の外から視線を外すと、そう告げた男性は室内を見渡す。こうして改めて見てみると、僕とは違って頼りがいがありそうな人だ。強い恐怖心を浮かべた表情ながらも、その瞳には確かな力強さが宿っている。
そんな男性とバチッと視線が合ってしまった僕は、カタカタと震えながらも口を開いた。
「……っ。は、はい……たぶん……」
そう返事をしながらも、部屋の隅にいる親子に視線を送る。
「そうか……。ここがバレるのもきっと時間の問題だろうな」
その言葉に、思わずビクリと身体が揺れる。
「ここから少し先に行ったところにモールがある。そっちの方が安全だろう。……ここは窓から近すぎる」
確かにこの男性の言うとおり、こぢんまりとした服飾店では窓からの距離が近すぎる。すぐ傍を通りかかったら、中の様子は間違いなく丸見えだろう。
とはいえ、ここを出て移動するだなんて……。ここへ逃げ込むのでさえやっとの思いだったのに、再び危険な外に出るだなんてできるわけがない。
(……そんなの無理だ……っ、……)
恐怖に顔を引きつらせながらガクガクと震える。
「怖いのは分かる……。だが、ここにいたらヤツらに喰われるだけだ」
──喰われる。その言葉を聞いて、途端に不穏な空気と絶望感が室内を支配する。
「その子は俺が抱えていく。付いて来れるか?」
「……は、はい……っ」
親子のもとへと移動すると、母親の手から小さな男の子を預かった男性。そのまま両手でしっかりと抱きかかえると、再び窓の傍まで移動する。どうやらこの流れでは、ここを出て移動するのは決定したようだ。
外へ出るのは勿論怖いけど、一人になる方がよっぽど恐ろしい。ガクガクと震える身体をそのままに、ゴクリと喉を鳴らして覚悟を決める。
(大丈夫……っ。この人について行けば……きっとなんとかなるはずだ……)
「……俺が合図したらここを出るぞ」
その言葉にコクリと頷いた僕達を確認すると、再び窓の外に視線を向けた男性は慎重に様子を|窺《うかが》う。張り詰めた空気の中、男性の額から一筋の汗が流れ出た──その時。
「──今だ」
その合図と共に、開かれた扉から一斉に外に向かって飛び出す。そこかしこで人々の悲鳴や牛のような咆哮が響く中、ただ目の前に見える男性の背中だけを必死で追いかける。
幾度となく耳に届く断末魔は、それだけで僕の精神を擦り減らしてゆく。何度も|躓《つまず》きそうになりながら走ってはいるものの、もうこの地獄のような状況に耐えられそうにない。
(助けて……っ、助けて……!)
誰に届くでもない願いを心の中で唱えながら、崩れ落ちた建物の残骸の中をひたすらに駆け抜ける。
体格差のある子供の母親や僕では、目の前の男性に置いていかれないよう付いて行くのがやっとだ。そんな僕達に向けて振り返った男性は、恐怖に顔を強張らせながらも笑顔を向ける。
「あともう少しだ、がん──」
突然物陰から姿を現した異形のバケモノ。そのバケモノに頭から喰われた男性の言葉は、最後まで口にすることなく途切れた。
「……ぁ……あ、あ゛……っ」
飛び散る血飛沫を前に、その衝撃から言葉にならない声が漏れ出る。
泣き叫ぶ子供は片手を喰いちぎられ、それを見た母親は絶叫する。それに気付いたバケモノは、すぐさま母親のもとへ移動するとそのはらわたを喰い破る。そんな光景が、ただゆっくりと流れてゆく。
(もう、無理だ……っ、無理だ……)
目の前の光景を遮断するようにしてその場に|蹲《うずくま》ると、大粒の涙を零しながら両耳を塞ぐ。それでも聞こえてくる凄惨な断末魔に、僕の精神はもはや壊れる寸前だった。
きっと、次は僕の番だ──。先程見た光景を思い浮かべながら、ガタガタと大きく震え始めた身体を縮こませる。この状況からして、助かる可能性は万に一つもないだろう。その現実を受け入れざるを得なかった僕は、ここから逃げる意思すら放棄した。
◇
「…………」
あれからどれほどの時間が経過したのか、待てど暮らせどバケモノが襲ってくる気配はない。不思議に思ってそっと顔を上げてみると、すぐ目の前にいたはずのバケモノの姿が見当たらない。
地面には生々しい血痕が飛び散り、先ほど見た光景が間違いなく現実だということを物語っている。それを見て堪らず吐き気をもよおすと、すぐさま地面に顔を向けて嘔吐する。
(一体……、何がどうなったんだ……っ?)
混乱する頭のまま口元を拭うと、一人取り残されたまま呆然とする。たとえ今この瞬間が無事だったからとはいえ、この先一人でこの場から移動する気力は残っていなかった。
あの頼もしく見えた男性でさえ、一瞬にして目の前で喰われてしまった。こんななんの取り柄もない貧弱な僕では、一人でモールを目指して移動するなんて不可能だ。なにより、足がすくんで一歩も動けそうにない。
耐え難い恐怖心と一人残された寂しさに、静かに涙を流しながら抱えた膝に顔をうずめる。
「……っ。もう、嫌だ……っ、」
|嗚咽《おえつ》混じりの小さな声を呟くと、突然肩を叩かれてビクリと飛び跳ねる。
「──大丈夫? こんなところにいたら危険よ」
顔を上げた先に見えたのは、緊張した面持ちながら穏やかな笑みを浮かべる高齢の女性。そのすぐ隣には、同じく高齢の男性が寄り添うようにして立っている姿だった。