公開中
自分
前回のを読んでいない方は読んだ方が話の内容がわかりますので
そちらをお勧めします。
読んでくださっている方は今回の作も読んでくださりありがとうございます。
二年生の後半学校で全く喋れなかった。
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)
ある特定の場所で自分の意思に関係なく脳が停止してしまうこと。
また、苦労するのか
悲しかった
自分が嫌いになった
診断されてから
特別支援学級に入った
そこの先生と相性が合わなかったせいで
1ヶ月で辞めた
また、引きこもった
こんなことばかりしてる自分が馬鹿馬鹿しかった
こうしたいわけじゃないのに
みんなできてる当たり前のことがなんでできないの
責められた
自分でも責めた
わかってるよ
わかってるのに
どうして
少しずつ学校に行って
慣らそうという話しになった
ほんとに少しずつだったけど
そのおかげで場面緘黙症は
今もあまり発症せずに済んでいる
それはよかったと思う
そして無事に2年生が終わり
3年生に入った
3年生になって
忘れ物とか
注意の散漫などがひどくなった
自分の感情のコントロールも効かなくなったり
また、自分を責めないといけなかった
なんで
次は、ADHD
そこで、コミュ障、パニック障害と
診断された
意味わかんない
なんで自分なの
なんで
そんなことを言いながらも
学校に行ってはいた
少しずつ友達は増えていた
でもいじめられて友達が減る
その繰り返し
疲れてた
呆れてた
でも、今までで一番苦しい思い出って
四年生だった
担任が最悪だった
え?
みたいな
全く理解してくれない
なんで?
ただの甘えじゃんとか
子供と同じこと言ってきてどうすんの
まじキモかった
あの先生の年は
不登校の子が増えた
自分もそのうち
なるんだろうなと見ていた
毎日泣いていた
毎日が
パニックだった
意味わからず
廊下で叫んでしまうし
おかしいよ
あんなのがよく先生とか言って
なれたよね
今、思い返すだけでも胸が苦しい
その頃、単純な疑問が湧いていた
ねぇ、なんでお父さんいないの?
初めは母誤魔化して
遠いお仕事に行ってるの
とか言ってたけど
ずっと聞いてたら
実は
お父さんと離婚したの
?
よくわからなかったその時は
6年生くらいになって
初めてわかった
少しショックだった
5年生はいい担任の先生だったおかげで
風邪で何回か休むだけで済んだ
嬉しかった
あんなに学校に行きたいと思ったことがなかったから
全てがその習慣のおかげになった
無事に6年生もそのように終えようと**していた**