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面会は血溜まりの向こうで(pixiv未掲載)
マレウスは出てきません。
扉が閉められる。ついに一人になったデュースは、奥に向かって歩き始めた。
ここから先は未知の領域だ。……否。まったくの未知ではない。構造だけならデュースも知っている。この廊下の先に続くは重罪人を閉じ込める独房の大群だ。
未知なのは、現状だけだった。
それがいま、デュースによって明かされる。生きて帰れたらの話だが。
いまデュースが歩いている廊下の両脇は、ただの壁が続いている。前半と後半の、二重構造の廊下。その前半は何の部屋も、装飾品もくっついていない。
そのはずだったのだが。
「う……!」
曲がり角を過ぎた瞬間に見えたもの。
人の形をした赤黒いシミが、床にも、壁にも、天井にも、デュースが目視できる範囲内だけでも、ざっと十個はこびりついていた。
少なくともこれだけの人数が殺されたのだとデュースは察した。デュースの足が自然と止まる。
デュースは震える足を何度も殴り、深呼吸を何度も繰り返した。足はまだ小刻みに震えていたが、乱れた呼吸はだいぶ落ち着いた。
息を整えてから、デュースは再び歩く。床にあるシミは踏まないように。
前半の廊下の奥に着いた。目の前にある扉に手をかける。バクバクと心臓を鳴らしながら、ゆっくりと扉を開けた。
目に飛び込んできた光景は、予想外なものだった。
「……ふつう、だ」
無意識につぶやいてしまうほどに、普通の光景だった。
赤黒いシミが無ければ、荒れた形跡も無い。警察署のサイトに載せられている写真のような、無機質な独房の扉が並んだ廊下そのものが、デュースの目に映っていた。
デュースは扉を閉めないまま、思わず振り返る。前半の廊下と、後半の廊下の、ありさまの違いに、めまいを起こしそうだった。
「ここまで来れたのは、僕だけなのか……?」
彼を閉じ込めてからというもの、重罪人を収容する独房室の廊下に入って、生きて出て来られた者は一人もいなかったらしい。その者たちは生きておらず、赤黒いシミに変わり果てたのなら、後半の廊下で殺された者はいないということになる。
もし最奥の独房の中にも赤黒いシミが無ければ、この後半の廊下に足を踏み入れられた者はデュースのみになる。
デュースのみ、生かされている。
それは友人だったから、なのだろうか。
だとしたらまだ対話できる。
わずかな希望を胸に抱いたデュースは、そっと扉を閉めた。前半の廊下に残された、形なき遺体たちに別れを告げて。
廊下の奥に目をやる。
目をこらさなくても、最奥の独房の扉がよく見えた。
ここに彼がいると、デュースは確信した。移動しているかもしれないのに、なぜか確信できた。
両脇に並んでいる独房の扉には目を向けない。最奥めがけて、ひたすらに進んでいく。遠近法で小さく見えていた扉がどんどん大きくなっていく。
そしてついに、扉は最大になった。
デュースは扉から視線を外す。手に持っていたファイルに改めて目を通す。重罪人の名は変わらない。変わらずデュースを追い詰める。
覚悟を決めたデュースは、重罪人の名を、扉越しに呼ぶ。
「エース」
世紀の連続殺人鬼の名であり、ハイスクール時代の友人の名でもある。
数十秒ほど待ってから、再び「エース」と呼びかけた。
「なに」
そっけない返事が、扉越しに聞こえた。
デュースは答える。
「お前に会いに来た」
「よく来れたな。アレ、見ただろ」
「……」
「わかんねえ? アレだよ。死体。たぶん残ってないと思うけど」
「『たぶん』って何だ。……お前がやったんじゃないんだな!? 誰か別のやつが、殺人を!」
「誰がどう死のうが、どうでもいいだけだぜ」
「な……!」
デュースは絶句した。怒りのままに扉を殴る。
「ふざけんな! どうでもいいんなら、なんで俺は生きている!? なんで俺をあの廊下で殺さなかった!? まだ情があるんじゃないのか!!」
「わかんねえ。だからお前に、会いたくて……」
エースの途切れた言葉を最後に、沈黙が始まった。
両者とも何もできないまま、一分が過ぎた頃。
「納得がいかねえんなら、入れよ」
「……」
「話そうぜ」
エースに促されたデュースは鍵束を手に取ろうとする。寸前でエースに止められる。
「もう開いてるよ」
ひとりでに扉が開いた。
外から施錠していたはずなのに、すでに解錠されていた事実は特に驚かない。そうされてもおかしくないほど、ファイルに記されていたエースの情報は変わり果てていたのだから。
ゆっくりと開いた扉越しに見えたエースも、変わり果てていた。
フタをした便器をイス代わりにして座っていたエースは、墨をかぶったかのように、真っ黒なスーツを着ていた。緑のラインがアクセントになっているそれは、エースの趣味とは思えない。
そして極め付けには、ボタンが無いシャツに覆われた腹が、不自然なほどに膨らんでいる。
太ったにしては、あまりにもピンポイント過ぎる。だから周囲の者たちはこう予想している。
あの重罪人は妊娠しているのではないか、と。
そんなバカな、とデュースは言いたかった。実際にこの目で見て、もう言えなくなった。
ショックを受けているデュースを、エースはじっと見る。
「帰る?」
デュースは力なく、首を横に振った。
開けられた扉をくぐる。勝手に閉められた扉の前を陣取りながら、デュースは辺りを見回した。赤黒いシミは見当たらなかった。ここで殺された者はいないようだ。
続いてデュースはエースを見下ろす。
かつて親しかった友人の視線に直接さらされて、エースは居心地悪そうに身じろぐ。人間らしい友人の仕草を見て、ようやくデュースは一息ついた。
エースは口を開く。
「座れよ」
「どこに」
「あんだろ、ベッド」
「お前がそこに座れよ」
「やだよ」
「なんでだよ」
「逆に聞くけど、お前が便器に座んのかよ?」
「いっしょにベッドに座ればいいだろ」
「……お前はそういうやつだよ」
「どういうやつだ」
「変わってねえってこと」
エースがベッドに座り直したところを見届けてから、デュースも隣に座った。
しばらく沈黙が続いた。
デュースは不思議な気分になった。ハイスクール時代も、よくこうして肩を並べていたというのに、今は立場がまったく違う。
なぜこうも、道を違えてしまったのか。
泣きたくなる心を押し殺して、問いかける。
「なあ、エース。教えてくれ。なんで、こうなっちまったんだ」
エースはすぐに自身の腹を指差した。
「オレさあ、妊娠しちゃったの」
「それは──」
見ればわかる。と続けて言おうとしたが、センシティブな話題を第三者が口にしていいものかと思い、口を閉ざす。重罪人に向ける気づかいなどないはずなのに、デュースはまだエースの心を心配する。
その気づかいがエースにはまぶしかった。だからエースは言葉を選ばない。
「殺しをしたのはオレだけど、オレじゃねえの。オレが殺したいと思ったヤツを、コイツが片っ端から殺しちゃったの! 言っちまえばコイツは、オレのピストルなんだ! オレが引き金をひいたんだよ!」
「……はあ!?」
初耳だった。上層部からは「エースが殺した」としか聞かされていなかった。
けれど、上層部がそう思うのも無理はなかった。はたから見れば、エースが何らかの遠隔魔法で殺人を犯したとしか思えないからだ。
だがこの証言は大きな収穫である。どう考えても、腹の子どもは異質だ。男が身ごもるわけがないのだから、異質どころか化け物としか言いようがない。化け物が殺人を犯したと言っても、狂言にはならないだろう。
エースはさすがに無罪放免とまではいかないだろうが、即死刑はまぬがれるかもしれない。エース自身が手を下したわけではないのだから。
デュースはエースを説得する。
「エース!! お前は勘違いをしている! たとえお前の意思だったとしても! 本当にやりたかったわけじゃないんだろ!? その腹に巣食ってるヤツが勝手にやったことで、真犯人なんだ!!」
「でも、同罪だ」
「エース!! 俺はそんなこと!!」
「世間は絶対に許しちゃくれねえ。……だからさあ、デュース」
エースはにこりと笑う。
デュースに会うためだけに、わざと捕まった甲斐があった。そう心の底から思った末に、自然と出た笑みだった。
「お前は生かそうと思うんだ」
エースがそう言ったと同時に、デュースの意識が一瞬で遠のいた。声をあげる間もなく、体はベッドに倒れた。
最後まで意識を保とうとあがいたのだろう。デュースの目は薄く開いたまま。その目を、エースはそっと閉じさせた。
「お前に会いに来てよかったよ」
本当はデュースも殺すつもりだった。けれど独房の前まで来ても引き返さずに、小細工の一つもなく、正面からエースに会いに来た姿を見たら、生かしたくなったのだ。
「まだまだこの世界も捨てたもんじゃねーな。……でもこのまま逃げたんじゃあ、お前に責任がいっちまうな」
改めてデュースをベッドに寝かせたエースは、膨らんだ腹を撫でる。
「なあ、オレの卵。この建物の中にいるやつら、みーんな、やってくんね?」
証拠隠滅は、一分もかからなかった。最上位のドラゴンの子どもは、生まれる前から非常に優秀なのだ。腹に宿させただけで、エースの倫理観が非常に狂うほどに、優秀なのだ。
家族も、親族も、友達も、邪魔をしてくる人間たちも、ほぼすべて片付けた。もう人間の世界に未練はない。
エースは腹の子どもとともに、人間の世界に別れを告げて、彼が待っているドラゴンの世界に移住した。