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ゆめとあおと入道雲
2026/06/25 ゆめとあおと入道雲
おなまえは?女の人が訊いてきた。やっぱり男の人より女の人の方が威圧感が少ないよな。なんでだろう。ガタイか声の低さか身長か…。でもそれだけじゃない気がするなどと考えながら私は「けいです。」とこたえた。です、の部分はかすれてほとんど聞こえなかっただろう。けい、と名前だけぽつりと述べる敬語も使わない人間だと思われただろうか、という一抹の不安も、しかしこの女の人にとっては珍しいことではないかもしれないからという推測で打ち消された。
「そう。けいちゃん。苗字は?」「か、かわぎし。けい。です。」「河岸けいちゃん。私は相原です。よろしくお願いします。」どうせ私の苗字も名前も知っているだろうにいちいち訊いてくるのが鬱陶しくもあったが、そこは流す。とりあえず、よろしくと言われたので、会釈でよろしくを返す。
私は今日から施設で暮らす。お母さんが捕まったからだ。
「けいちゃんの部屋は、ここ。」相原さんに連れて行かれた児童養護施設はそれほど大きくなかった。与えられた私の部屋はどうやら私の部屋ではなく私たちの部屋だったようで二段ベッドが目立った。どんな子との相部屋なんだろう、性別はまあ一緒だよね。ならなんでもいいか。と思考したあとで相槌を打つと、相原さんは「この部屋はけいちゃんだけじゃなくて田中ミキちゃんの部屋でもあるから、仲良くしてあげてね。」と私に笑みを向けた。
「はあ、わかりました。」はい、わかりましたと言うつもりが間抜けな声になった。さっきこの施設で暮らす子たちを紹介されたけど田中ミキちゃんなんていたっけ、いたんだろう、覚えていないだけで。大きな施設ではないといっても、子供は10人以上いるから一気に覚えられるわけがないし。あのお母さんの子供だから私の頭は決して良くない。まあそういう話じゃないと思うけど。
でも、頭が良くない割にはお母さんは私にまともな名前をつけてくれた。けい、はどちらかといえば男の子のイメージが強いが、女の子でも特別おかしいわけではないし、けいちゃん、なんてなかなか魅力的な音だ。
もしかしたら名前をつけたのはお母さんじゃなくてお父さんなのかもしれない。お父さんが家を出て行ったのは私が2、3歳のころだったから、その可能性もある。しかしお母さんはたぶんお父さんの意見なんて無視して自分の主張を突き通したいタイプだからやっぱり名付けたのはお母さんだったのか…。私はそういうことを教えられたことがない。教えられたことがない、というところから発展させるなら、お母さんは名付けという行為にそこまで関心を示していなくて、お父さんとかおばあちゃんに丸投げだったとか…。
二段ベッドの下に寝転んで、圧迫感のある中で私はぐるぐると考えた。田中ミキちゃん、はまだ帰ってこない。施設の庭、のようなところから子供達の声が聞こえるので田中ミキちゃんもそこに混ざっているのかもしれない。アグレッシブなタイプなのかな。私の苦手なタイプ。性格合わないかもな…などと勝手な推測で勝手にすこし憂鬱になる。おとなしいタイプだったとしても友達になろうとはしなかったが、うるさいと静かなら後者の方が好きだ。
目が覚めた時、そこはよく知る部屋だった。6月下旬の蒸し暑い空気が充満する。エアコンはついていない。私は布団から体を起こしてあくびを噛み殺しながら、なんだ今のは夢だったんだとぼんやり思う。
だって私の名前はけいではないし、私のお母さんは捕まっていないし、私が施設に入る予定もない。相原はクラス担任の苗字。田中ミキちゃんは知らない子。田中もミキも、クラスメイトにいるけれど、田中ミキはいない。夢特有のおかしな要素が色々混ざった突飛でおかしな夢。そういえばあの二段ベッドも私が実物を見たことがないからだろう、どんな作りになっているのか全く不思議で思い返せば違和感しかない。
眠っている間口呼吸をしていたからか単純な暑さからか喉がカラカラでいっそ響くような痛みすらある気がした。のっそり動いて、キッチンに行く。流しに溜まっている洗い物たちは大半がコップだ。そのうちのひとつを引き抜いて水で洗って、それだけできれいになったわけないけど、まあ気にしていられないので飲む。それから窓を開ける。この古いアパートにもエアコンは一応あるがつけてはいけないのでまだ窓を開けて耐えている。
窓から外を覗くと、アパートの薄汚い壁があった。空の青も見えた。
ああ入道雲。夏が来るよ。
布団に戻った。掛け布団なんてこの暑さじゃたたんでおいた方が良い気もするけど一応律儀に使う。いまは多分12時くらい。お母さんはいない。私は眠る。もとめるものがある。家族より、入道雲より、夢より、もとめるものがある。
65〜66点。