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谷口とそら
たにぐちじゃないよやぐちだよ。
2026/06/24 谷口とそら
「谷口て、バカだよねえ、手のかかるバカ。」
後を引くような口調で内村は笑みを浮かべる。他の人が内村の口調を真似して内村と同じことを言えばきっと嫌味だと感じるしむかむかとするような気持ちになるが、内村だとそうならないから私は感心する。どういう仕組みなのかと興味を持つ。
「ああ、そうだね。」
脳裏に本日欠席の谷口(やぐち)を描いて私は首を縦に振る。同級生なのに後輩のような雰囲気をまとう谷口はいつもニコニコしていて良い第一印象を持ったが、クラスメイトとして2ヶ月過ごした今、私や内村の中では谷口は頭が悪いという認識で落ち着いている。運動は得意でも勉強があんなだと、もうスポーツや芸術の道で生きて行くしかないんじゃないかと勝手な心配をしてしまう。
「……顔は可愛いんだけどね。」
ため息混じりに、リボンをつけながら言うと、内村は自身のブラウスのボタンを留める手をぴたりと固めてこちらを見た。「えっ、谷口の話だよ、今してるの。」
「え、谷口でしょ。え?」
「山口さんじゃないよ。谷口だよ?」
名前を出されたクラスメイトの山口が教室の端から「呼んだ?」と声を張り上げたので内村は「あ、呼んでないごめん。」と同じように声を張る。確かに山口も可愛い顔をしている。しかし谷口だって、山口とは違う方向の可愛さを持ち合わせていると思う。
「ええ、可愛いか…。」
首をひねる内村に私は曖昧に口角を上げ、襟を整えた。私が谷口のためだけに自分の審美眼を疑われるような主張をする気にもなれなかった。
空を見上げると、それは何かを追い詰めているような色をしていた。
屋上で昼食を食べているとスカートのポケットに入れっぱなしのスマートフォンが音を鳴らした。ピロン、という音はメッセージが来たことを知らせるもので、私は手をポケットに突っ込んでスマートフォンを取り出す。クラスのグループラインに通知が一件。
「谷口からだ。」
画面を覗き込んできた内村が大して興味なさそうに言う。頷いてからロックを解除して内容に目を通す。明日の時間割変更についての確認で別に私が返事をする必要もなかったのですぐに電源ボタンを押してしまい直した。
「風邪、引いてんのかな、谷口。」
「インフルだって。」
「え、なんで知ってんの。」
「朝礼で先生言ってたじゃん。」
え、聞いてなかったーと笑い内村はパンの包装をグシャリと丸めた。素直に丸まらないそれは内村の手が緩むとすぐに開いた。ゴミ箱は教室だよ、と特に必要のないことを言ったが返事はなかった。相槌だけあった。
「てか暑いから、明日から教室で食べよ。」
私がつぶやくような声量で提案すると内村はまた相槌だけで済ませた。それから視線を上にやって、「まぶしい。」と目を細めた。太陽を直接見たらダメなことくらい小学生でも知っているのに。
「今日、そら、やばいよ。青いよ。」
昼の空が青いことも、知っている。私を見やる内村に顔を向けると一瞬目があった。一瞬だけしか合わなかったのは私と内村がお互いに逸らしたからだ。
スマートフォンがまた、ピロンと音を鳴らした。
「電源、切れよ。」
内村が立ち上がって言う。私は確かに、と返して手をさまよわせるように動かし、ポケットに向かわせた。
翌日も、谷口は休みだった。インフルだから1週間くらいは休むんだろうと推測する。「今日の学級日誌は朝倉さん、お願い。」朝礼で先生に学級日誌を渡された。猫とネズミのアニメの絵がでかでかと描かれているそれは進級した4月から使われているものでページはもうおわりに近づいている。
1時間目が始まるまでの時間で学級日誌を開き日付と自分の名前と欠席者を連ねる。2026/06/19、No.1、朝倉めぐみ、欠席者…谷口さん。ページの左部分に線を引いて宿題を書くスペースを確保する。
1時間目は歴史総合。
「朝倉は丁寧な学級日誌送ってくれるけどその日のノートは送ってくれないタイプで、谷口は汚い学級日誌とノートを送ってくれるタイプだろうから、私はその中間を目指してるんだよね。」
珍しくお弁当を持ってきていた内村は割り箸を割りながら言った。
「なにそれ。」なにそれ、と思ったのでそのまま吐き出した。内村は笑った。
クーラーががんがん効いている教室は涼しいけれど、クラスメイトが騒いでいるのでうるさい。それでも屋上よりはマシだから私たちは明日も教室で食べるだろう。昼食を取る場所で言えば中庭や食堂という選択肢もあったが、中庭は生徒がたくさん集まるのでうるさくまた外なので暑いという最悪の空間であり、食堂は一応クーラーはついているようだが生徒が多すぎるせいかあまり効いていないように感じる同じく最悪の空間だ。
「今日、おにぎりなんだね。」
内村は私が朝コンビニで購入したおにぎりに視線を落として言った。
「ああそう、お母さんが寝坊してお弁当なかったから。」
「ふーん。」
訊いてきたくせに興味なさげに頷く内村に、私は問う。「なんでお弁当?」主語を抜いたのは、なくてもどうせ伝わるから。「やる気出たから、つくった。」ほら伝わった。
「へえ内村って料理できんだ。生活力ないってずっと思ってた。」
「ふーん。」
さらりと悪口を言っても内村は捕まえないで素通りさせてくれる。それが友人とのコミュニケーションという点において好ましいことなのか好ましくないことなのかはわからない。
ふと思い出して私は机のなかから学級日誌を取り出した。シャーペンで4時間目までの授業でやったことを一気に書く。
「数学Iの課題ってこの範囲で合ってるっけ。」内村に見せると「あー合ってる合ってる。」と適当な言葉が返ってきた。
「朝倉は丁寧な学級日誌くれるけどその日の授業のノートはないタイプだよね。」
「なにそれ。結局。」
さっきも聞いた。内村は肩をすくめた。「いや、その通りでしょ。私、朝倉が学級日誌書いた日に休んだこと、ないけど。」「まあその通りだけど授業ノートって送った方がいいの。」「そりゃそうでしょ。」「ふうん。」
覚えてたら、今日谷口に送ってあげるね。とつぶやく。
学校配布のタブレットを使って今日の学級日誌の写真を撮り、アプリで谷口に送信した。クラスラインでやっても良いはずだけど、なぜかみんな欠席者に学級日誌を送るときはこっちを使うので、私もそうする。
今日の学級日誌ですと添え忘れたことに10秒ほど後で気がついたが、普通に考えてわかるはずだし良いかと至る。
19時、スマートフォンが振動した。音楽が流れて私は電話が来たことを理解し、それをよこしてきたのが内村であることに首を傾げつつ出た。
「なに。」
「谷口に送った?」
もしもし、も何もなく内村は言った。
「なにを?」
谷口について話したっけなんて記憶を遡る。
「ノート。」
「…ああ。わすれた。」
「あーあ。」内村はわざとらしくため息をついた。だけれど谷口に送ったか問うてきた口調に期待はなかったし、忘れてたと答えた今もその声に驚きは滲んでいない。
「そんなに言うこと?」
「いや別に。まあそれだけ。」
電話は唐突に切れた。話した時間はほんの10秒程度。明日、学校で訊いてくれば良いのに、待ち切れないほど気になったのか。それともふと思い出してそのまま電話をかけてきただけなのか。内村の性格からしたら後者の線が濃厚だと考えて、しかし私は内村の何を知っているというのだ、前者かもしれない、と思考の歪みを直す。
私がスマートフォンの画面を暗くした途端、ピロンと鳴ってまた明るくなった。ホーム画面に通知が浮き出ている状態のまま内容を読む。クラスラインに谷口から。『朝倉さん日誌ありがとう』絵文字も句点も何もなくただそれだけ。
こんなキャラだっけと思う。どこまでもテンションが高くてどこまでも頭の悪い谷口は、けれどインフルにうなされている今はこれが精一杯なんだろうきっと、と仮説を立てる。私は返信も、既読をつけることすらせずにスマートフォンを机に滑らせるように置いた。数学Iの課題に取り掛からないといけなかった。
まあ65.6点ぎりいく。