【中古本】「いのちの値段」について

たとえ話を一つ。 あなたは今70歳で、大腸がんにかかってしまった。寿命は一年半。 手術や放射線の治療はできないと言われ、選択肢は高価な抗がん剤だけ。 この薬を使った同じ大腸がん患者さんのデータからは、あなたの寿命はおよそ1年半のところが2年に延びるそうだ。 しかし、2年間ずっと使っていなければならず、1ヶ月当たり薬は100万円。2年で2400万円だ。 ただし「ある制度」を使えば、あなたが支払うお金は1ヶ月に9万円になる。2年だと216万円で済む。 あなたの年収は350万円だが、蓄えが1000万円あり、2年で216万円ならなんとか払えそうだ。副作用もそれほどないと聞いている。 　 あなたならどうするか？ 大半の人は「216万円で延命できるなら治療したい」という選択をするらしい。 　 この例において「ある制度」とやらを使えば実に2400万円の治療費が9割値引きの216万円で済んでしまう点を考えていきたい。 「ある制度」の正体は高額療育費制度と呼び、いわゆる被保険者（日本に住む労働者）が支払う保険料で賄われている。国民健康保険、各種保険料である。 だから、大腸がんで苦しんでいる人の半年の延命のために、今の若い労働者たちが肩代わりして支払っている現状がある。これが少子高齢化の進む未来へ、変えずに済むだろうか、そんなことを思う。 　 一人だけなら（2400万円－216万円）÷2＝1092万円/年の金額だが、大腸がん患者すべてに対してこれを適用してもいいのだろうか。 大腸がん以外の患者ももちろんある。胃がん、肝臓がん、肺がんなど。 しかもこのケースでは70歳の大腸がん患者だ。若者ではない。高齢者の患者。しかも、たかだか半年の延命のために使われる医療費だ。 　 シンプルにまとめると、 「70歳の大腸がん患者さんが、半年寿命が延長する可能性のある薬を使うため、みんなで分担して1年に1092万円を負担してもいいのか」 という疑問になる。ここまでくるとちょっと高すぎやしないか？と感じる人が増えると思う。 10万人がこの制度を使えば、負担すべき医療費は10兆円を超える。これを聞いて、 　 ・1000万円でも2000万円でも、人のいのちがかかっているなら使っていい ・みんなのお金を使うのだから、原則、自己負担で頑張って、どうしても足りない分は300万円までなら払っていい ・子供にはいくらまで使ってもいいけれど、80歳過ぎた人には払うのはちょっとなあ…… 　 などと考えるだろう。 三つ目のように、年齢で区切る人もいる。 いのちの価値は年齢を｜経《へ》るごとに失っていくと。 --- ある人が1年長く生きるために、使っていいと思える金額はいくらか。 これがある種「いのちの値段」という議題になる。 「いのちの値段」という言葉を聞いて、ぎょっとした方も多いと思うかもしれないが、しぼみゆく経済の中で高齢社会を迎えた日本の医療において、この議論は欠かすことができない。 　 抗がん剤治療は、コストの高い薬と低い薬がある。現状、日本は高額療養費制度によって、どんなに高い医療を受けても一か月9万円で治療が受けられる。コストが高い低いの議論にならない。 海外に目を向けてみると、「費用対効果を鑑みて、一年で使える医療費は5万ドル（＝550万円）まで」と線引きしている国（イギリス）もある。 どんなに重い病気にかかっていようと550万円までしかお金をかけられない。 そんなひどい話があるのか、と感情的に思うかもしれないが、ここでいう費用対効果が悪い、というのは、支払うお金のわりに治療の効果がいまいち……という意味である。延命のコスパが悪い、みたいな感じ。 　 少子高齢化で働き手の減る日本経済は急速にしぼみ、一方高齢者の医療費はますます膨れ上がる。 イギリスのような、医療において厳しい線引きをする必要性があるだろう。 高額療育費制度のように、ある一定金額を超えれば、どんな高額な治療でも一か月9万円で済むといった社会福祉から、いのちと治療の費用対効果を考えていく時代が来るということ。 　 高価だが、効果がそれほど高くない治療は、今後自費でしか受けられなくなっていくことだろう。つまりそれは「いのちが助かるのなら、いくらお金を使ってもいい」と思える時代は終焉を迎えることになる。それはすなわち、いのちにはっきりとした値段が付くということになる。