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宇宙人だったあの子
2026/05/03 宇宙人だったあの子
「それでね、私じつは宇宙人なの! 驚くかもしれないけど…本当なのっ。え…証拠? それはないけど宇宙人であることは嘘じゃないよ!」
谷地みずきはそんな少女だった。進級してそうそう、後ろの席だった彼女にフレンドリーに話しかけられ、友達になれそうだと安堵しかけた矢先にそんな言葉におそわれた私は、もう何と返事をすれば良いのかわからなくなってしまった。「あ、そう、そうなんだ、へえ。」視線を泳がせながら相槌を打っているとHRを知らせるチャイムが鳴り、会話は強制的に終了となった。前を向きながら、私の心には谷地さんへの警戒とわずかな好奇心が芽生えていた。
「溝口さん…だよね? さっき谷地さんに絡まれてたから一応教えておくけど、谷地さんには近づかない方がいーよ、あの子ちょっと…ほら…変わってるから。」
入学式が終わり通学カバンを肩にかけたとき、隣の席の子にこそっとそう言われた。どうやら谷地みずきは中学生の時からあんな言動だったようで同級生のほとんどに当然のように避けられていたらしい。高校から入った私はもちろんそんなこと知らなかったわけだ。
「…うんわかった。ありがとう。」
私はメガネの位置をなおしながら笑みを浮かべて返した。普通に友達を作って普通に高校生活をおくるには谷地みずきと仲良くするのはやめておいた方がいいかな、と考えながら、しかし彼女への好奇心はむくむくと育っていっていた。
彼女は何で自分を宇宙人だと思い込んでいるんだろう。現実逃避か? そんなに現実が辛いのか。自分を客観視できないほど。あるいはただ目立ちたいだけなのだろうか。まさか本当に宇宙人なんてことはないだろう…。宇宙人が自分は宇宙人だと明言するメリットなんて思いつかない。
「溝口さんおはよう!」
翌日、私が教室に入ると谷地みずきが顔を輝かせ話しかけてきた。「あ…おはよう。」少しためらって、流石にクラスメイトを無視するのはやりすぎだと判断したから低いトーンで答えた。しかし彼女はニコニコと私の様子なんて気にせずに話し続ける。内容は宇宙人一色で、SNSとかもっと学生らしい話はできないのだろうかと思う。
私は授業の準備をしながら後ろから聞こえる彼女の能天気な声を受け流していた。内心で焦る。クラスメイトたちに私まで変な人間認定されたくないし、私まで浮きたくない。お前は周りにどう思われていようとガツガツいけるタイプなのかもしれないが、私は違う。そんなことをまるまる伝えてやりたくなったけれど、そうすれば余計に孤立しそうなので黙り込むしかなかった。
谷地みずきも谷地みずきで、クラスメイトがいる前で私にそんなことを語っても、私が明るく返答するわけがないと想像できないのだろうか。せめて他人のいないところなら、私だって宇宙人云々が気になって仕方ないのだから、会話のキャッチボールをしてやるのに。
結局途中からほとんど無視して私はHRが始まるのを待った。
その日のHRと1時間目では、委員を決めることになった。学級委員だとか保健体育委員だとか選挙管理委員だとか色々あるそれに目を通し、よし図書委員にしようと決めた。中学で一度図書委員をやったが、仕事は本の貸し出しと整理くらいで、おまけに図書委員というだけで何だか賢そうなので、それなりに楽しかったのだ。また、特別人気な委員でもないはずなので争う必要もない。
「じゃ、次図書委員、なりたい人ー。」
担任が言って私は手を挙げながらクラスを見回した。たぶん立候補者は私だけか、と思ったとき視界の端に肌色が入ってきた。私の真後ろ。すなわちそれは谷地みずきの手だった。
「はい、ちょうど2人、溝口さんと谷地さんね。」
担任はさっさと委員表にボールペンを走らせて、私は絶望と昂揚を初めて同時に抱いた。
5月中旬、ゴールデンウィーク明けの学校はいつも以上に騒がしかったけれど、私は登校してすぐに教室を出て図書室に向かわなければならない。中学では図書委員は昼休みか放課後だけだったのに、この学校では朝もあるらしい。そして私と谷地みずきは朝の担当になってしまった。
図書室に入った時、谷地みずきはすでにカウンターの席に座っていた。私と目が合うと弾んだ声を出した。「おはよう溝口ちゃん。」図書室だから抑え気味の声量だった。私もうんおはよーと返しながら彼女の隣に座る。
同じ図書委員になって1ヶ月、私と谷地みずきの距離は縮まった。図書室という人の少ない空間で私と彼女が話していても、誰も変な顔で見てこないし、教室で私が孤立する心配もそうなかった。教室では話しかけないで、と私は適当な理由をつけて伝えていた。もっとも、図書委員関係なんて便利な言い訳があるので、それほど神経質にはならなかったけれど。
彼女は今日もよくわからない話をする。「私の星ってね、空気が甘いんだよ、すごく。地球のもの言うと、うーん、何だろ? あの匂いと同じような匂いのものは地球にあんまりないけど……そうだな〜……。」
「綿菓子とか。」
「うーんもっと甘い!」
「そもそも綿菓子って匂いあるっけ。」
「食べないからわかんないなあ。」
「私も。」
「あ、消費期限切れのおはぎだ! あれと同じ匂いしてる。」
「それって甘いの?」
「え? うん。」
そのほかにも自分の星の重力は地球の半分しかなくて〜とかよくわからない話を彼女は続けて、私はよくわからない話だなあと思いながら相槌を打つ。ふと時計を見ると8時20分になっていて、私は「そろそろ教室もどろ。」とメガネを押し上げながら立ち上がった。私の隣を歩く谷地みずきを見下ろすと、つむじが視界に入った。側から見れば彼女は小柄で華奢な可愛らしい少女だ。どこが宇宙人なのだ。私はおかしな気分になって音は出さずに笑った。
谷地みずきが事故に遭ったのは6月に入ってすぐだった。
担任からそのことを教えられた時、教室の空気は少しざわついたが、心配の声は出てこなかった。担任は続けて命に別状はないというようなことを口にして、多分教室でただ1人だけ、ああ良かったと息をついた。
彼女は7月に入っても学校に来なかった。結構長い入院なんだな、まあでも命に別状ないなら大丈夫だろうな、ていうか宇宙人って事故に遭うんだなあ、と私は時々図書室で本をめくりながら考えた。
夏休みが近づいてきた7月中旬の日、登校すると長らく空席だった窓側の1番後ろに人がいた。谷地みずき。入院していた間の席替えのせいで、もう私の後ろの席ではない。
彼女は数人のクラスメイトと談笑していた。私は驚く。宇宙人の話をしている時の、あの華やかな表情はそこにはなかったからだ。あまりにもおだやかでそれでいてどこかよそよそしい顔をした谷地みずきは、入院している間に始めたSNSについて話していた。私は自分の席に通学カバンをかけたあと、時計を見やって彼女の机に歩いた。談笑している中に割り込むのは慣れなかったが、図書委員という言葉を出すとクラスメイトたちは納得したようで、彼女に「谷地さん、図書委員だったんだよ。」と教えていた。
「えっそうだったんだ。ありがと!」谷地みずきは腐ったような普通の笑顔で感謝し立ち上がる。彼女は入院している1ヶ月と少しの間に自分が図書委員であることを忘れていたのだろうか。眉をわずかにひそめながら一緒に教室を出て廊下を歩く。歩きながら、訊こうとする。なんかちょっと変わったけど、何かあった、とあっさりと訊けば、彼女もあっさりと返してくれるはずだ。タイミングを逃せば逃すほど、いざ訊いたとき、「何で今更?」なんて反応をされかねない。そんなことを悶々と考えている間に図書室についた。カウンターの席に座り、さていつ口を開くべきなのだろうと再び思考を回そうとした時、谷地みずきが言った。
「あの…図書委員ってなんの仕事あるの?」
「え? そりゃ本の貸し出し…あと返却された本を並べたり…。」
「あっそうなんだありがとう! 私事故で記憶なくなっちゃったから、迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね……えっと溝口さん?」
谷地みずきは私の名札を見て可愛らしく首を傾げた。
「あっそう……。」
記憶喪失、という言葉が頭の中でふわふわと浮いた。彼女は今、事故で記憶を失ったと言ったらしい。私はもはやなんの反応もできずにその言葉を咀嚼し続けた。数秒後、不意に理解し、不意に受け入れてしまう。記憶喪失なの、と大声を出しかけて抑える。
「あんまり驚かないかな、すごいね。」
いや驚いている。私は心の片隅で返答しながら、けれどああそうかも…と曖昧に首を縦に振った。谷地みずきは気まずそうに自身の手を組んだり離したりしたあと、私と目を合わせた。
「あのさ私ってどんな子だった? 田中さんたちにも訊いたんだけどあんまりわかんなくて……。」
私は言葉を発しようとして、発せられなかった。彼女は「あっでも友達とかあんまりいなかったってことはわかって、田中さんたちともそんな仲良いわけじゃなかったとかで、でも同じ委員の溝口さんなら知ってるかもとか…。」なんてことをどこか言い訳のように言いながら私を上目遣い気味に見てきた。
自分の星の話をとても楽しそうに話していた谷地みずきを思い出す。そういうときの谷地みずきは輝くようだった。唯一彼女が暗い顔を浮かべたのは、どうして星に帰らないの、と半分冗談で訊ねた時だった。谷地みずきは「星はもうないから。」と本当のことのように目を伏せた。それで私は、谷地みずきというおそらく人間を好きになってしまったのだ。
私は詰まった喉を無理やりこじ開けて声を出した。
「なんか……宇宙人を自称してて…自分の星の話とかしてた…してたよ、」
目の前の谷地みずきは「えっ。」と一瞬固まったあと、頬を赤くして視線を泳がせた。
「えぇー、そっかあ……。…なんか私、イタかったんだねー、そりゃ田中さんたちも言うのためらうよね。宇宙人って…ね、イタいなあ。」
谷地みずきはそう言って恥ずかしがるように困ったように笑った。それはあまりにもありふれた女子高生で、私も同じようにできるだけ普通の笑顔を作るしかなかった。
『私ってね宇宙人なの! 驚くかもしれないけどほんとにそうなのっ。』初めて彼女に会った日のことを思い出そうとする。でも、もうあの声も言葉も表情も曖昧で、上手く再現できなくて、だから私は目の前の谷地みずきを刺すしかないのだと思う。
うん、まあ、ちょっとだけね、と答える私の声は、ひどく冷たく響いた気がした。