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第10話:『風を研ぐ者』
タヌキ
第10話:『風を研ぐ者』
翌朝。目が覚めた瞬間、俺は自分の体に驚愕していた。
昨日あれほどボロボロになり、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えていた全身の筋肉が、嘘のように軽い。
「ほらな? 言っただろ。学園特製の超回復プロテインは伊達じゃないって」
隣のベッドで二度寝の体勢に入りながら、レンがふはぁと欠伸を噛み殺す。口の悪さに反して、本当にこいつの持ってくる薬の効き目は抜群だった。
これなら今日も地獄の特訓に耐えられる――そう思ったのも束の間。
「おい小僧ども、朝じゃ。とっとと雪山へ飛び出されよ」
こたつから這い出てきたジジイが、まだ鼻水をすすりながらも、一切の容赦なく漆黒の転移門を開いた。俺が身構える暇もなく、凍てつく突風が部屋の中に吹き込み、俺の体は猛吹雪の極寒へと放り出された。
「ひゃうっ!? さむっ、冷たっ!?」
目の前が真っ白に染まる猛吹雪の中、俺は慌てて外套の襟をかきむしる。
防寒具に身を包んだジジイが、雪の中にすっくと立ち、濁った瞳を俺に向けた。
「神凪の小僧。おぬしが昨日ガミジンを討った一撃は、肉体のエネルギーをただ一本の太い杭にして放ったものじゃ。だが、それでは次からの敵には通用せんと言ったな?」
「……ああ。刃にも、弾丸にも、大嵐にもなれる、だろ?」
俺は昨夜のジジイの言葉を反芻し、右拳を強く握りしめた。
「左様。まずは第一の課題じゃ。おぬしのそのそよ風を、硬く鋭い『刃』に変えてみせよ」
「風の、刃……」
言うのは簡単だが、どうやればいい?
俺は足の裏で雪の大地を掴み、腰を回し、すべての連動を右拳へと乗せる。ガミジンを撃ち抜いたあの感覚。手のひらの一点へ、すべての空気と衝撃を――シュッと集める!
「おおおおおっ!!」
気合とともに放った正拳突き。
――ドッパァァァン!!!
凄まじい衝撃波が走り、前方の雪煙が大きく吹き飛んだ。だが、それだけだ。
目の前にある極太の氷柱は、風圧で少し表面が削れた程度で、びくともしていない。
「くっ……!」
おまけに、無理に向きを変えようとしたせいで、右腕の筋肉がミシリと悲鳴を上げた。腕を突き出すだけでは、どうしても丸い「衝撃の杭」になってしまう。
「だめじゃな。ただの丸太を振り回しているのと変わらん。それでは空間の隙間をすり抜けることも、硬い装甲を切り裂くこともできんて」
ジジイはため息をつき、つまらなそうに懐に手を戻した。
クソっ、どうすれば風を尖らせることができるんだ……?
俺が悔しさに歯を食いしばり、痛む腕を押さえて立ち尽くしていた、その時だった。
ザッ、ザッ、と雪を踏みしめる冷たい靴音が響いた。
「……見ていてイライラするわ」
凛とした、しかしどこか呆れたような声。振り返ると、そこには白髪のロングヘアを猛吹雪に揺らした氷華が立っていた。レンや双子はまだ小屋で温まっているはずなのに、彼女は一人で俺の特訓を見に来たらしい。
「氷華……? なんでここに」
「勘違いしないで。先生の特訓がどれほど進んでいるか、Aランク能力者として進捗を確認しに来ただけよ。……それにしても、相変わらず無骨な戦い方ね」
氷華はふん、と鼻を鳴らすと、俺の前に歩み出てすっと右手を掲げた。
「私の『氷』の能力を見ていなさい」
彼女が目を細めた瞬間、周囲の空気が一気に凍りついた。流動する冷気魔力が彼女の手元に集まり――次の瞬間、パキィンと硬質な音を立てて、透き通るような美しい氷の剣(レイピア)が一瞬で形成された。
「私の氷も、元を正せばただの形のない冷気よ。あなたの風と同じ。それをただ『一点に凝縮』するだけじゃ、ただの氷の塊にしかならないわ。重要なのは、集めたエネルギーを極限まで薄く研ぎ澄ますイメージで固定することよ」
氷華は手にした氷の剣を軽く一振りした。それだけで、風を切り裂く鋭い音が鳴る。
「あなたのは、ただの太い丸太を全力でぶつけているだけ。そうじゃないわ。風の分子を、目に見えないほど薄いペーパーナイフの形に研ぎ澄ます感覚をイメージしなさい。形を『杭』から『薄い刃』へ変えるのよ」
「エネルギーを、薄く研ぎ澄ます……」
俺は氷華の言葉を頭の中で何度も繰り返した。集めるんじゃない。手のひらの上で、風を平らに、どこまでも鋭利に引き伸ばすイメージだ。
「……ま、Dランクのあなたにすぐに理解できるとは思えないけれどね。私は戻るわ」
氷華はぶっきらぼうにそう言い残すと、背を向けて小屋の方へと歩き出した。だが、すれ違いざまに見えた彼女の耳の端が、寒さのせいか、それとも照れ隠しか、少しだけ赤くなっているのが見えた。
「薄く、研ぎ澄ます……」
俺はもう一度、雪の中に深く足を踏み込んだ。
目を閉じる。足の裏から腰、腹、肩へと伝わるエネルギーの軸。それを右手に集める瞬間、丸い塊にするのではなく、手のひらを横に開き、風の密度を極限まで薄く、横一線の「刃」へと押し潰していく。
筋肉の連動を拳の突きではなく、手のひらを鋭く横へと振り抜く手刀の動きへとシフトさせる。
今なら、できる。
俺はカッと目を見開き、前方の巨大な氷柱へ向けて、研ぎ澄ました右手を思い切り振り払った。
「――『烈風(インパクト)・ブレード』!!」
――シュパァァァン!!!
これまでのような爆発音ではない。空間そのものを鋭く引き裂くような、高音 of 風切り音が響き渡った。
次の瞬間、直撃を受けた極太の氷柱が、斜め一直線に寸分の狂いもなく綺麗に両断されていた。
切り離された上の塊が、ズズズと音を立てて滑り落ち、雪の中に激しく衝突する。
「……やった」
腕を見つめる。激痛はない。正しいイメージと体の使い方が噛み合った証拠だ。
「ほう……」
後ろで見ていたジジイが、濁った瞳をニヤリと不敵に細めた。「合格じゃ。風を研ぐ感覚、しかと肉体に刻んだようじゃな」
その日の夕方。ボロ小屋の居間に戻ると、ストーブの暖かさがボロボロの体に染み渡った。
「へぇ、帰ってきた。お疲れー」
ゴスロリ衣装の姉・琥珀が、ソファに寝そべりながらペロペロキャンディを口から離す。
「そよ風くん……ううん、烈風くん。外ですごい音が聞こえたけど、ちょっとはマシな風になったじゃん」
パンク姿の妹・風船も、ポテチを食べながら無表情のまま、どこか楽しそうに言った。
「ほら、これあげる」
琥珀がヒラヒラと手を振り、俺に向かってアメを一つ放り投げてきた。受け取ると、今度はシュワシュワしそうなソーダ味だった。
「ありがとな、琥珀、風船」
俺が笑ってアメを口に放り込むと、二人は少し意外そうな顔をした後、嬉そうにふいっと顔をそむけた。
確実に、俺たちは強くなっている。掴んだ「風の刃」の手応えが、右手に残っていた。
だが、俺たちがそんな温かい時間を過ごしている頃。
魔界のさらに深い暗黒の奥地では――紫色の不気味な炎に照らされた玉座の前に、新たな影が二つ、揺らめいていた。
『ガミジンがやられたか……。三魔神の面汚しめ』
『フフ、人間風情が調子に乗っているようだね。次は、私たちが直々にあの羽虫どもの息の根を止めに行ってあげよう』
新たなる強敵の悪意が、静かに迅たちの首を狙って動き出そうとしていた――。