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    火にグレーを注ぐ
    
    
        3600文字。虚実織り交ぜ
    
    
     今年の春、とある配信者が炎上をしていた。
 僕はSNSで見かけたくらいの興味でしかなかったが、どうやら同じような目に遭ったらしい。ツイッターで謝罪文をさらし、YouTubeにて謝罪と釈明の動画を出し、その後自粛に追い込まれた。
 いわゆる情報商材を販売していたサークルに参加して、その元締めが反社疑惑の霧が濃い場所だった。マルチ、ねずみ講のようなに加担したのだ――という疑念。
 
「興味本位で参加しましたが、幹部たちに恐怖を感じて途中で脱退しました。ファンの皆様、申し訳ありませんでした」
 自主的な謹慎中、その人は数か月にわたる所属事務所の調査を受け、結果「白」と認定された。その時の同業者は「黒」のほうが数字に化けると思ったのだろう。普段のゲーム配信を雑談に切り替え、こぞってその人を取り上げ、印象的に「黒」認定を行った。
 
「世の中にグレーは存在しない。グレーは許されない。白か黒かで判断されるべき」
 そんな祭りの参加者だった配信者Fは、自身の配信でそう口走った。長年にわたる過去の配信で繰り返し主張してきた倫理観で、口癖だった。物事に白黒つけるべきだという彼ら界隈の価値観を、如実に反映していた。
 愉悦。故に本数は増えた。高笑いも口に滲ませ、アホ面を全世界に晒してかなりご満悦だった。
 口角泡を飛ばす。承認欲求の数値は好調だった。5000人は越えて、顔の表情は金銭的な余裕にすり替わっていく。タバコに火をつけ、一服をしつつ「配信者はこうあるべき」とファンの皆に語った。
 
 まるで酩酊した裁判官気取りだった。反社とのつながりを否定した推定無罪者よりも、SNSの暴露系インフルエンサーの確定有罪に耳を傾けていた。
 PC画面をキャプチャして、証拠写真を吟味していた。弁護士のようで、検察官だった。
 数千万円の札束を、扇を広げてくつろぐ写真。ホワイトボードで何やら講師の真似事をしている写真。疑惑の事務所の部屋で卒業式の集合写真のように戯れるその人の姿。瞬間の切り取り方は見事だった。
 
 それら芸術的に「揃いすぎているもの」を見て、
「白か黒かで言ったら黒だな」とタバコを吸い、ヤニを吐き、ますます愉快で本数が増える。配信部屋の空気がよどみ、活発になっていく白いコメント群。
「悲しいよ俺、同士だと思ってたのに……もっと一緒にやりてーよ。一緒に酒交わしてーよー」
 ヘビースモーカー気質の吸い殻で、遺灰を弔っていた。灰皿の上で焼き転がすように、丹念に灰を捏ねる。火のついた黒の烙印で、強く押しつぶした。
 
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 8月下旬、配信者Fが炎上した。
 有料のコミュニティチャットでの陰口が、世間に暴露された。半年前の発言が、そのままブーメランした。明確な説明責任を求める白黒思考。それをモロに喰らいたい破滅思考のようで、時々このような不埒を溜め込む。まだグレーな側面を抱えていたらしい。
 
 暴露したのは反転アンチなのだから、自分に責はない。そう言いたげだった。10年越えのキャリアに反省の色は無い。社会人経験があっても責任の取り方までは経験していないようだった。
 タバコの煙とともに吐き出す他責思考は今も健在なようで、時々油断の炎上しては、元締めの友と一緒に頭を下げる配信をする。それでチャラ。今回もそのようなものだった。
 取り巻きの切り抜きチャンネルたちは、一転下請事業者のように叩き出す。やはりそうだ、やはりこうだ。推しのグレーな部分を切り抜いて、回転数の良い数字にする。一部は反転アンチ化して、過去にまで所業を遡る者も現れた。少ない白、挽回してきた白を黒にする作業。
 
 このような見飽きたものを見て僕は思う。配信者の存在が未だグレーだ。
 移ろいやすい、気まぐれ、変わりやすい、コロコロ言動が変わる、一貫性がない。意見ではなく衝動的だ。自分軸は流行り廃りの激しいゲームで支えられている。つまり、吐き出す軽率な吐息がグレー色。
 だから、発言ひとつを切り取られると、極端なことばかり。
 細分化すると極端で、極端が一つにまとめられると魅力的な人になる。極端とはそういうものだ。信者に支えられて魅力的な配信をしているように見えるが、実はタバコのくゆらせる紫煙によって騙されているものだ。言葉ひとつとってもニコチン、タール、一酸化炭素。約200種類の有害物質のオンパレード。
 「グレーは存在しない」というが、現実はグレーで出来ているといってもよい。法律的に言語化・明文化できないものは、法律用語の意味を勘案し、少しでも拡張しようとしている。縄張り争い、戦争などの暴力的行為は国境沿いのバッファゾーンで引き起こされている。
 「グレーは存在しない」という言葉自体、存在しない。なら、誰かがこの|言葉《矛盾》を作り出したのだ。いったい何の理由で?
 それは、グレーが見えないから。見えないところにあるから。自己顕示欲。見えていない盲目なファンのための、ファンサービスの一環。さらに陶酔させるため。リップサービス。
 あるいは――考えすぎだと思うが――、万が一自身が炎上した際の、活動休止への落とし穴を、事前にグレーで満たす。上級国民|皆《かい》保険制度。
 
 僕は紙のメモ帳を取り出して「火に複雑なグレーを注ぐ」と書いた。
 
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 その二週間後、別の配信者が炎上していた。
 こちらはグレーの意味が違うのだが、曖昧なままという意味のグレー色だった。一部の粗相をしたファンに感化され、ファンコミュニティにグレーな亀裂を生じさせた。
 炎上には、人に迷惑をかける炎上と、大勢が感情的に怒らせる炎上。そして内輪で分断リスクを引き起こすものがある。今回は三つ目で、それはやさしさに火をつけるようなものだった。
 
「Sの卒業は『円満な別れ』。過去を軽視しているわけではないんだよ。あと、言っておくけどね。僕の優先順位は、今を支えてくれているメンバーとその裏方の人で、その下に君たち視聴者がいる。はっきり言うけど、卒業した人は、その下だよ」
 
 その言葉に、旧メンバーを慕っていた古参ファンは離れていったように思う。今のゲーム配信者としての地位を築いたのは、過去の実績だ。Sと組んでいた過去があっての今なのだ。面白さは今の200倍はあった。
 ああ、もう戻らないんだ。卒業とは、そういう意味だったのか……。釈明配信にて、一定の説明と「聞きたくない本音」を引き出せた。そのせいで、曖昧なやさしさで覆われた地層から複雑な濃いラインが浮かび上がる。沈積したラインのくっきり。それでも今までの「グレー」な印象をぬぐい切れなかった。
 実況者のやさしい倫理的配慮が説明責任の先送りを助長した。ファンコミュニティ内の感情的対立や元メンバーとの関係性の不明確さが浮き彫りとなった形だ。グレーはグレーを生み出して、グレーのまま取り残される。グレーな心境のグレーなファン。
 
 僕は、この配信者のことをゆるめに推していたのだが、その時の切り抜きチャンネルたちの様子がおかしかった。三連チャンの謝罪配信があった数日は、かなりショックだったのか、固唾をのんで見守っていたのか、全く切り抜かなかった。
 その後、元通りゲーム実況者としての配信に戻ると、切り抜きチャンネルも切り抜きを再開していた。それが、上記の配信者Fの下請けとは「違う」部分だった。
 
 元々、切り抜きチャンネルはファンの延長線だった。そっちの路線が多くあり、樹形図のようにどんどん多様化していった。
 切り抜き動画の効能は、切り抜かれた動画のコメント欄を見なくて済むことだ。時折大規模イベントにてコラボめいたことになった時、参加者の一部が視聴者にガキを多く所有しているらしく、多数のガキコメで占有している時がある。それを見なくて済む、ガキに知られずに済むというのが利点である。デメリットは、熱心なファンが反転すると更新停止になることくらいか。
 僕は紙のメモ帳を取り出した。
 以前「火に複雑なグレーを注ぐ」と書いたものを見つけて大きく丸をして、下矢印でこう記した。
「感動したことは目に焼き付けるより、紙に焼き付ける。だが、余計な言語化をすると様々な解釈が生まれ、余計複雑な気持ちにさせる」
 
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 最近、とある本を読んでいる。
 ブックオフに寄った際、いつものように掘り出し物を探した。最近積読本の整理を行ったばかりなので、あまり乱読しないよう心を入れ替えていた。そんなときその本はあった。
 
「絶歌」
 
 来たっ。一目ぼれに近い手の伸びようだった。即座に購入して、電車内で開封した。
 単純白の表紙カバーをはがしてみると、聖書のような単純黒の冊子になっていた。白と黒。あるいはその中間色のグレーに関して示唆が含んでいる。
 著者が著者なだけに、賛否両論、出版時にひと悶着あり。それでも情報のジャンクフードを食わず嫌いし、新鮮な第一印象のままにすべてを取り払って読んでいる。純粋な文学として読んでおきたかった。
 
 この本を単純黒で塗りつぶす行為はとても簡単だ。だから、記憶の後ろに持っていく。
 最近見た動画にてこのようなことを言っていた。同感だった。
「何も知らないところから作品を楽しみたい。何の偏見もないところから『自分が思ったことだけ』をすべてとして進めたいです」
 
 第一部が読み終わった。難解だった。じっくりと文字化した副題を走り書き。
「誰の足跡もない世界の、心象風景」。第二部に進んだ。
    
        誰の足跡も無い世界 【雑談】桜井政博のゲーム作るには
https://www.youtube.com/watch?v=1Wy_b2_vN4w