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微熱の日
2026/01/01 微熱の日
ピピッ。体温計の電子音が、耳の奥に鋭く響いた。37度2分。熱ではない。けれど、健康というわけでもない。私はため息をつきながら体温計をしまい、パジャマを脱いでシャツに着替えた。今日も学校に行く。
「体温、どうだった?」
母がキッチンで洗い物をしながら訊いてきた。私は少し、嘘をつく。「平熱だったよ。」なんとなくのだるさを感じながら制服に腕を通した。
駅に向かって歩いた。冬の風が私の頬をかすめた。冷たくて、痛い。くちびるがカサついていることに気づいて、リップクリームを塗れば良かったと後悔をする。
そういえば今日、朝ごはん食べなかったな。じゃあ、お母さんはあの時、何を洗ってたんだろう。数秒歩きながら考えたが、微熱のせいかうまく頭が回らない。それより、朝ごはんを食べなかったことで血糖値が下がってしまうことの方が問題だ。もうすぐコンビニがあるので、そこで何か買おうか。あと、リップクリームも…通学カバンのポケットに常に入れてこう。
角を曲がると、目当てのコンビニがあった。駐車場に車はあまり止まっていなかった。中に入って、飴とリップクリームを手に取った。本当はパンでも買いたかったけど、電車の中で食べるのはマナー違反だから、口の中で飴を転がして耐えるつもりだ。通学カバンから財布を取り出し、会計をする。
外に出て、さっそく口に飴を放り込んだ。甘いイチゴ味。何味かなんて考えずに購入したから、急に舌の上に広がった甘さに驚く。
白い息を吐きながら数分歩けば、見慣れた灰色の駅舎が見えてきた。自動ドアを抜けた。パスケースを改札機にかざすと、ピッという音がして、プラスチックの扉が開く。今朝聞いたばかりの体温計に似た音だと思った。そのまま、ホームへ続く階段を上がっていく。無機質で冷たい壁が、私はあまり好きではない。
階段を上がりきり、列の最後尾について電車を待つ。列に並んでいる私以外の人は全員スマホを見ていて、そんなのもはや当たり前の風景だけど、ちょっと怖い。口の中で、もうほとんど溶けている飴を噛み砕き、新しい飴をとった。包装紙を開けて口に入れる。さっきはイチゴ味だったけど、これはレモン味だ。まあまあ美味しいし、駅のホームで血糖値が下がってふらつくのが1番怖いから、これは保険みたいなものだ。
電車の音がした。地鳴りのような低い音だ。地面のコンクリートがわずかに震えている。列に並んでいた人たちが顔を上げ、それぞれポケットやカバンにスマホをしまう。電車が速度を落としながらやってくる。キィィィという甲高い音が、私の頭の中に何重にもなって響いた。風が思い切り吹き込んできて、私の髪とスカートを揺らした。
空気の抜ける音がして、電車は完全に止まった。開いたドアの向こうから、生暖かい空気が漏れ出してきた。降りてくる人はあまりいなかった。列が動き出す。電車に入って、中を見回す。空いている席は今日もない。朝の電車は満員だ。吊り革につかまり、電車が動き出すのをじっと待つ。
さっき噛み砕いて飲み込んだイチゴ味が喉の奥で、いま舐めているレモン味が舌の上で、それぞれ味を主張していた。
目が覚めた。口の中の甘い味は無くなっていて、代わりに粘り気のある唾が歯にまとわりついていた。今のはどうやら、夢らしかった。
私はベッドから体を起こした。やけにだるく感じた。もしかしたら、微熱があるのかもしれない。