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第1話 チョコレートコスモス
セミの声も途絶えてきた夜のことでした。
いつものように桟橋に座って、足を海に放り出して静かにささやかな海風を浴びていた。
風を全身で感じることが出来て気持ちがいい。
夕日が反射した海が、虚ろな私をかき消すようにきらめく。
このまま死んでしまいたいと思った。
楽しかったあの頃には、もう戻れないのです。
それを日に日に実感していくのです。
私にはもうなにもないのです。
それを日に日に実感していくのです。
私は過去には戻れないのです。
それを日に日に実感していくのです。
どんどん現実を知っていってしまう自分が嫌だと思った。
寒い。
もう私の隣には誰も居ないし、私が慰める人も、慰めてくれる人も、私を傷付ける人も、私が傷付ける人も、どこにもいない。
ずっと寂しがってしまう自分が惨めだった。
ー
「バレンタインどうしよう!!!!」
人のいないパソコン室に私の大きな声が響く。
焦って口を手で覆い身をすくめてカオルの目を見つめる。隣は職員室だった。
「さあねー、自分の意思に従えばいいと思うよ。どうせ渡したいんでしょ笑」
そう余裕の笑みを浮かべるのは完璧少女、カオル。
私の友達で、中一の時からクラスが同じだ。
「来年はクラス変わっちゃうかもだし、なにより受験生だよ?作ってる暇も渡す暇もないし、渡すべきだと私は思うけど」
「あー-、受験生かあ」
ため息を吐いて、人差し指でカチ、カチとキーボードに文字を打ち込む。
『バレンタイン 簡単 好きな人』
クッキーやパイ、スコーンなどが出てきたけど、私に作れるとは思えなかった。
ガラっと音がして二人で振り向く。
「…なにしてんの?」
「わっ!えっ、え、いや別に!」
そこにはショウくんがいた。そう、私の好きな人だ。
私は急いでパソコンの電源を落として、もう何も映っていないパソコンの画面をじっと見つめた。
「椿がタイピングの練習してたの。もう五限目始まるね、椿座ろう」
「あ、うん…」
椿がうまくかわしてくれて私は難を逃れた。
ショウに続いてどんどん人が入って来て、授業開始のチャイムが鳴った。
「まじで椿好きな人と話せな過ぎね笑そんなんでバレンタイン渡せんの?」
「うるさいなー、やってみせるから」
「言ったね??じゃあ明後日、部活終わりにでも頑張ったら?」
「なになに、椿バレンタイン渡すの」
昼休みは委員会に行っていて不在だったリカがにやにやとした顔で話に入る。
「渡して見せますよ」
「えー、うちはヒヨって渡せないに100円」
「じゃあ私はどうにか渡すに200円」
「これはうちの勝ちだな」
「流石に負けるかー」
謎に駆け引きが始まっているが、私は煽られると燃えるタイプなので既に渡す気満々でいた。
ー
「しょ、ショウくん」
「ん?」
夕日が差し込む、二人きりの教室。今日は奇跡的にショウくんと日直だったから、二人で残って日誌を書いていた。
日誌を書き終え、部活に行くと言って教室を出る途中だったショウくんを呼び止めた。
「あの、明日部活終わったらさ、北門に来てほしいんだけど…」
するとショウくんは少し微笑んで「いいよ」と答え、教室を後にした。
ああ、もう何が起こるかなんてわかっているんだろうなと思った。
ショウくんはいつも見透かしているような顔をしている。
まだ二年生になったばかりの頃、ショウくんを意識し始める前の話だ。
その頃はまだ普通に話せていて、体育祭の時に私が借り物競争をしていて、「陸上部」というお題が出た時に陸上部の知り合いが少なかった私は戸惑っていた。
その時ショウくんは私がなにも言っていないのに立ち上がって自ら私のもとへ駆け寄って、行こうと声をかけてくれた。
その時から意識し始めたんだっけ。
見透かすような冷たい顔と、意外と明るい性格、小柄な体。
ずっと、好きだった。
私は明日気持ちを伝えようと思う。何日かメールが続いたこともあったし、席が近い時は普通に話せていたし、夏休みあたりの部活の合宿で、ショウくんに気になる人がいて、それが私だという噂も聞いたことがある。
多分好きじゃ無い人なら呼び出されても行かないような性格だし、希望がないってことはないと思っちゃうな。
メールの着信音が鳴って、ケータイを開くと、ショウくんから新着のメールがあった。
From:Syooo@.jp
Sub:遅くなるかも
やっほ。
明日、ウチで合同練習があるらしいからいつもより十分くらい遅くなりそう。
少し待ってもらうことになりそうだけど、絶対行きます。
こういうところを私は好きなんだな、と再確認した。
ニ月十四日。
恋をする女の子たちがドキドキとする日。
午前練が終わって、人が少なく校舎の影に隠れた北門へと向かう。
ここからは海が見える。住宅街は南側にあるので人は少なく、私はこの景色が好きだ。
まだ春は来そうになくて、冷たい海風が頬を刺す。
マフラーに顔をうずくめて、もこもこの手袋でぎゅっと紙袋を握る。
昨日の夜、わざわざ本屋で買ったレシピ本を見ながら一生懸命作ったマフィン。
お菓子なんてあんまり作ったことなかったけど、なんだかんだ上手くできたと思う。十ニ個作った中で一番うまくできたものを丁寧にラッピングしてきた。
友達のラッピングとは違う、緑色のギンガムチェックの包装紙。
夏休みのことを思い出す。お祭りでショウくんに会って、一緒に花火を見ようと誘ったっけ。ショウくんは塾だったから少ししか一緒に見られなかったけど、ずっとずっと甘酸っぱい思い出。
そこから特になにも行動せずに、いつのまにか冬になった。
乾燥してきた唇に保湿リップを塗り、前髪を整えた。
「おまたせ」
そこには、紺色のマフラーを付けたショウくんがいた。
いつもみたいに見透かしたような顔をしていて、いつもとは違う部活用のバッグを背負っていた。黒いウインドブレーカーを着ていて、よく似合っている。
「あ、ありがとうっ、来てくれて…」
「なに?」
ショウくんは少し下を向いて手の甲を口元に当てて口角の上がった口元を隠した。
私はずっと握っていた紙袋を差し出した。
「ずっと、好きでした!こっ、これ!バレンタイン…作ったの」
案外さらっと、ずっと思っていたことを口にしていた。
付き合いたいですなんて図々しいことは言えなくて、ただ好きだと伝えた。
ショウくんは紙袋を片手で受け取ると、そっと中身を見て、
「何作ったの?」
とつぶやいた。好きだってことには触れないんだなと驚いて、「マフィン」と答えた。
「お前、調理実習ボロクソだったろ。頑張ったね」
「う、うん…」
なんだか気恥ずかしくて、脂汗が出て来た。本当によく分からない人だな。こんな時に褒めてくれるなんて。やるじゃん、とでも言いそうな目線が私に鋭く刺さる。
沈黙が流れる。きっとショウくんも好きって言葉を聞き逃したわけじゃなくて、少し動揺して話をそらしているんだと思う。
でももう触れないわけにはいかない雰囲気で、そろそろなにか言われるんだろうな、と身構えてしまっていた。
「ごめん」
その三文字が冷たい空気に広がって、私の心に深く溶け込んだ。
初めから分かっていたのかも知れない。
その言葉を聞いて心の中で変わったものといえば、ドキドキとした乙女心が消えただけ。
本当は最初から胸の奥にあった諦めを実感しているだけ。
「うん、ありがとう」
私は苦し紛れの笑顔を見せて、耳に髪をかけ、空いてしまった手を別に寒くなどないのにポケットに突っ込んだ。
「ばいばい」
返事は、無かった。
チョコレートコスモス・・・恋の終わり