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吐き雲蛇
友達、友人、フレンド……何故か、フレンドの方が作りやすいと思ってしまうのは何故だろうか。言葉の重みが違うと思ってしまったのはいつからだろうか。もう随分と昔から分からない。冗談を真に受け、空気すらもまともに読めず、会話が続かない。続かそうともしない。どう足掻いてもできない。
「……障害を個性にしてしまったら、それこそ負け犬よ」
負け犬。負け犬……私が負け犬なら、勝ち犬はなんだというのか。
「面倒な考えをしておるの、主は……それでフレンド作りなどできるのか、まったくもって笑いが出る」
「なにが……」
「おお、怒った、怒った。この程度の匙に怒るのか……まぁ、その程度であろうな」
誰だって怒るだろう。怒るはずだ。その、誰が誰なのかは分からないが。
後ろのポータルは輝いて、今にも吸い込まれそうになっていた。リリスの髪や翼が後ろへ流れて揺れている。
「さて、イデア。似た者同士か、或いは違う者同士か……分からずとも、対面するのが早かろう」
ポータルが少し近づいてきている。ゆっくりと、確実に。踏み出せもしない私に代わって、近づいてきていた。
言葉は水のようなものだ。どんな形にも変形し、変貌し、変化する。優しく海のように広がったり、激しく突き立て滝のように打ちつけたり、じんわりと雨のように染みていったりする。決して勝手に乾いたり、固まったりすることはない。何かの圧力によって形を変えていく。
水には味はない。言葉には味はない。それでも何故か、私はその存在しない味を吟味しようとしている。理由は分からない。
そんなものを口に入れたところで、腹が満たされるわけでも、飢えるわけでもない。あるのは、ひとときの満たした気持ちと、胃液になった水だけ。
味はない。存在しない。何も、残らない。
残ったのは、それを口に入れて、残ったという事実だけだった。
ポータルの先は、やけにぐちゃぐちゃとした色味の水ばかりの空間だった。橙色や焦げ茶色、緑色……それらが何故か、人参や唐揚げ、ほうれん草だと脳が認識している。どろどろに溶けた水が、固形物だと言っている。
「汚いのじゃ」
リリスが一言、呟いた。返す言葉に賛同してもいいのに、私の唇からは「綺麗だよ」と真反対の言葉が漏れた。綺麗な汚物。汚物ではないのに。何故。
「汚物だと思うなら、それは汚い物に過ぎないのだ。千切れた雲は千切れたことにすら気づかず、ただ悠々と青い空を浮かび続ける。不思議じゃろう?それが一説ゆえ、主は知らぬよ」
「……どうにも、難しくて……」
「雲、な。雲泥の差というのは、一定の間隔の多大なる自尊心を呼び起こす為に在る」
トマト、ハムカツ、チーズ、ゼリー、色彩豊かな中で、一際に異彩を放つ誰かがいる。
「人が生きて人生と刻むなら、そこまでの道程は何故か。過程を過ぎた結果だけを求めては……何も成し得ないのじゃ。腹が満たされぬと嘆く前に、その舌に触れた水の冷たさを、喉を焼くような不快さを、まずは慈しめ。結果という名の死に急ぐ必要など、どこにも在らぬのだからな」
遠くの誰かは、ボサボサとした茶色い短髪に黄色い瞳が人ではないような色白の肌につき、薄紫のカーディガンと黒いへそ出しTシャツに隠れながらも見えてしまっている。さらに、青い半ズボンや黒いスニーカーといった普通の格好だと言うのに、首に茶色い蛇を巻いていた。
「……名前は……」
「己で聞くがいいぞ、主よ」
ああ、なんて役に立たない!自らも役に立つとも言えないが!
ろくに櫛も通されていないような茶髪が鬱々とした瞳を断片的に覗かせる。その度に、汗が全身の毛穴から噴き出すような感覚がある。じわりと湿度の帯びた瞳が灼熱の温度を引き出して、身を焦がしそうになる。
「あの」
一言。そこから、会話は続かない。続かせようともしない。誰かが振り向く。黄色い瞳が刺す。刺す。刺している。ナイフが、勇気を刺して深々と突き刺さる。
「……名前……な、なんですか」
「……シュブだ」
そのまま「気にしなくていい」と返され、少しの間が開く。それを突いて、リリスがようやく助け舟を出していった。その会話に口を挟むことはできそうにない。自分の名前も、言えていないのに。
「妾はリリスじゃ。シュブ、其処の蛇の名は?」
「この蛇?……ニグラス、男の子だよ」
「種類はシマヘビか?」
「……そうだよ。可愛いでしょ」
「そうか、なんとも愛らしいの」
会話が続いていく。私が入る隙はない。勇気はぱっくりと割られ始めている。蛇が嘲笑っているような気がする。
「シュブ、嫌なものはあるか?」
「……?……なんで?」
「妾が気になるだけよ」
「ああ……そう」
シュブが手の指を一本ずつ折りながら「食べることや野菜以外の固形の食べ物とか……過食嘔吐をしたことがあるから、満腹や嘔吐も苦手かな……」と答える。そこにリリスが相槌を打つ。
「そうすると、固形物は食べないのか」
「そうなるね……固形物を食べるのは嫌だ……食べるのって面倒だからゼリー飲むぐらいでいい……」
「食事が面倒、か。普段から断食でもしていそうな言い方をするな」
「……断食すると頭もお腹もがすっきりする感じがして、とても良いよ。餓死するのだって私からしたら本望だし……」
「それは良いことを教わったな」
同意、肯定、参加。どうして?会話はまだ続く。私を残して、会話の中を走る列車は揺れている。
「ああ……そうだ。シュブよ、妾の隣の者はイデアじゃ」
「イデア、リリス……2人ともいい名前だね。神話にそんな名前なかったっけ……どうだっけ……」
「…………」
列車が止まる。リリスが少しはにかんで、シュブに聞こえないか分からない小声で「そんなもん知るか」と呟く。否定、拒絶、苛立ち?ただ、どうしようもなく会話が怖くなる。何を恐れていたか、何を怖がっていたかは知らない。知ってはいけない気がする。
悪魔の裏を知りたくはない。
「ねぇ、なかったっけ」
シュブが返答を促す。
「……神話か……。然程、詳しくはないのよ。妾はその意味を知り得ていないのだからな」
「そう……イデアは?」
急に話を振られる。裏も知らぬのに、話はどことなく振られる。
「し、知らない……」
そう答えれば黄色い瞳が揺れて、自分から目線はズレる。それでも、リリスの小声は聞こえていた。私が会話の列車から降ろされていたとしても。
「主の脳は妾と同一よ、これを知らぬが脳を持たぬ偽人は……」
同じか?本当に、同じ?会話が弾んでいるのはどちら?
「して、シュブ。イデアはフレンド作りをしたいらしいが、どうじゃ?」
「……フレンド?……いいよ」
主導権は私にない。提示された契約に頷くだけの権利。シュブが差し出した掌を握り、見せつけのようにフレンドだと強調する。蛇が嘲笑っている。痛い程に握った掌を強く握り返すほど、嘲るような感覚になる。
「断る理由は作られていないものな」
リリスが呟き、シュブは不自然に変色した掌を握り込む。私に掌を振りほどく勇気は欠片も残されてはいなかった。