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    国語便覧
    
    
        3500文字。エッセイ
    
    
     一か月前、国語便覧を購入した。
 何曜日かの本屋に訪れたときのこと。「100分de名著」っぽい冊子を物色中、おっ。
 平積みされた中から白い旗が突き出ていた。近づいてわかる、エアコンの風でちょっとたなびく旗。
 
「SNSで話題沸騰!」
「万バズ! 値段も手ごろ!」
 
 そんなニュアンスの手書きのポップアップで、国語便覧を必死にアピール。「どれどれほい」と手に取って、パラパラ見たら懐かしさがこみあげてくる。
 国語便覧とは、高校生活で出てきたでかいだけの奴である。資料集である。ロッカーにしまったままになっていたやつである。写真がきれい。以上。所々にQRコードが載っていて、時代を感じる。
 裏表紙を見ると、ほら。名前欄の隣に三段積みの「〇年×組」の欄。ここは変わらないのね、いやー、なついねー。
 
 そういえば、Twitterで見たわ。そうだったわ。なんかトレンドしてたの見たわ。即完とか、予約注文すごいとか。そんなことで賑わってたわ。
 そんなことを思い出したら即購入。電車内で、写真図鑑のようにパラパラめくった。
 
「戦時下の生活」にて捲り手が止まった。
 召集令状、防空壕の内部、工場で働く児童、東京大空襲。すべて白黒写真だ。それでも、自然と色を補いたくなった。
 イメージ漏洩、スマホ技術の投影。リアルに起こった歴史の感触が、ついスクロールしようとする指紋から読み取れそうだった。
 ある写真に目が留まった。飛行機が一機飛んでいて、尾翼の下から何か軽いものを降らしている。爆弾ではなく紙っぽい。紙吹雪っぽい。
 写真の注釈として「アメリカ軍によって空からまかれたビラ」とあり、その説明文に目を通す。
 
「空襲を予告し、降伏を呼びかける内容。政府は『伝染病菌が塗ってある』などとしてビラを拾わないよう呼びかけた」
 
 これだけの短文で、なんだかジンとしてしまった。
 ポケットから、自然と紙のメモ帳を取り出す。その文章を写し取った後、矢印を引っ張って短く書いた。
「『法令がこうだからこうであるべき』はアカン」
 
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 三か月前から、「100分de名著」シリーズを購入し始めた。今月で四冊目になる。ディストピア小説、超越論的現象学、人間の大地と続いて今月は福沢諭吉の「福翁自伝」である。
 購入時点では全くもって興味がないが、解説者の「まあ、そんなこと言わずに読んでみてよ」の語り口に読んでみると、「ふむふむなるほど」と思ってしまう通勤中の僕がいる。作者としてみれば扱いやすいほど、とても従順。
 
 月刊誌なので、ノルマは小冊子一冊。
 100ページ足らずのその文章を、平日の行きの通勤電車内で読解を進めていく。アンダーラインを引きまくって少しずつ読んでいると……「えっもうこんな時間?」
 本来ならば退屈であるべき日常の、行ったり来たりの往復の、計2.5時間の乗車時間があっという間。本一冊のみで、時を進められるくらいの体感速度に早変わりだ。
 
 個人的に、四冊連続ホームラン本となっている。
 ホームラン本とは、「読み終わったら人生が変わったような気分にさせてくれる本」という、ポジティブな印象を持った本のことだ。そう「インプット大全」に載っていた。これもホームラン本だ。
 だから「さすがは名著だ」と感心しまくっている。
 読んでいる途中、読み終わった直後、読了後のアウトプット。それぞれに気づきが大量に隠されている。
 それで終わるかな? と思いきや、時間差で、ポツっ、ポツっ、と新たな気付きが芽吹いてくる。正直「これ」がいい。あとで伏線に気づくような、
「あれはそういう意味だったのか!」と自分なりの解釈を得て、勝手に気づくような。そんな感じ。
 
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 たぶん四か月前。いや、購入したのはもっと前かもしれない。でも、始めたのは四か月前で合っているはずだ。
 天声人語の要約を始めた。
 最初の頃は「何言ってるか、よく分からん」から始まった。読解力が皆無だったのである。だから、TwitterのGrokくんに「天声人語の読み方教えてよ」と子どものように打ち込んで、子どものように教えてもらった。
 
「一回読んだだけだと『ふうん』で終わってしまうので、要約するつもりで読んだほうがいいと思います。癖があるので、一週間は我慢しようね」
「よっしゃ、やろう!」そのつもりで頑張った。
 
 でも、最初の一週間くらいは予想通り「やっぱりよくわからん」だった。読んでいるんだけど頭に入ってこない。「インプット大全」でいうところの「ザル読み」だ。どうやら僕は、基礎中の基礎である要約の仕方を忘れたようだった。
 「要約ってそもそも何?」みたいな感じで、ようやく要約の仕方について検索して、それで「なるほど」となった。「なるほど、最後の段落から考えてったほうがいいのね」
 
 しかし、要約をしたはいいが、問題がある。
「要約文としてまとめたはいいけれど、要約文ではなく要約文字だな」
 理解は……してないなこれ。確実に数分前の僕が書いたはずの文章だが、あれれ~? 僕の書いた文章ではない不可解な感じ。しっくりとこない。
 またもGrokくんに投げ込んでみた。このように。
 
「2021年07月17日の天声人語を読み解きたいです。コラムの背景、要約などをお願いします。
 かつて広島県に「ひまわり」という名の図書館船があり、瀬戸内海の島々を回っていた。「農村に本を運ぶバスのように、島にも船で届けよう」
 と県立図書館が1962年に運行を始め、一帯の島に橋がかかったことで使命を終え、1981年に引退。船体は保管されたが年ごとに朽ち、尾道市は六年前に解体を決める。だが、住民たちが保存運動を訴え、解体は見送られた。船に捧げられた歌として、「レモン畑のおじさんも 赤ちゃんを抱いた母さんも みんなの本がやって来た」と引用されています。
 結論の段落では『船に乗り込むと、舳先から船尾まで丁寧に繕われ、書架も再現されていた。桟橋で本を持った子どもたちの歓声が聞こえるような気がした』とあります」
 
 これをGrokに投げると、数秒で解説が出てくるのだ。試しにやってみればいい。
 僕はこれを読んで「ふむふむ、なるほど」と文章の背景を知る。また、僕の書いた要約文と照らし合わせてみて「ふむふむ、なるほど、そういうことだったのか」となる。ようやく自分の書いた要約文字が要約文として、「しっくり」きた。要約文はまったく変わっていない。見えない部分……僕の認識が変わったのだ。
 そうやって、文章読解力を身に着けていった。
 
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 国語便覧を購入したN日後。
 もうこの時辺りになると、衝動買いにちょっと後悔していた。古文漢文とかな、あんまきょうみないしな。通勤で見るとか、そんなこともナー。こんな大きさだしなー。そんなアンニュイに逃げていた。
 
 というわけで、気が向いたときにパラパラ、だらだら。「現代文 小説」のジャンルをめくっていた。今まで読んだ作家とか、載ってないかな。載ってないだろな、と思っていたのだが、意外とあるものだ。
 東野圭吾、伊坂幸太郎、村田沙也加……おいおい、けっこう載ってるじゃねーかよー。
 東野圭吾の隣には森博嗣の写真が。文庫本でよく見かける、おなじみの白黒写真である。他の人はカラー写真なのに。この人いっつも目線どっか向いてるよな。プペルのあの人みたいに、芸術家気取ってる。
 名盤のレコードに載ってそうな、芸人なのか芸能人なのか、いずれにしてもかっこつけてるあいつの名前、忘れてしまった。Grokで調べる気もない。
 
 そんな感じで悪態をつきつつパラパラと読み進めていると、おっ!
「石垣りん! 載ってるじゃん!」と、ひとりでにはしゃいでしまった。どこかのタイミングで、天声人語で読んだ作者名だからである。
 
 天声人語は、作品を引用することでおなじみのコラムだ。この時分になってくると、すでに100個は読んできたので、読み方が分かってきた。つまり、引用部分は大雑把に感じ取れればいいんだな、と。
 要約文作りもこなれてきて、五分くらいでさらさら~と書けるようになった。今だと毎日二個は読まないと気が済まない。
 
「生活をリアルに表現 石垣りん」
 正直、国語便覧の人物説明には大したことは書いてなかったが、「ウォーリーを探せ」みたいなものがあった。この文章を読んでいると、今と過去の記憶がリンクした。何だろう、この感覚……。ちょっと身近に感じてしまった。
 天声人語の本を開き、索引より石垣りんの引用されたページを探し、見返す。
 
 <自分の住むところには 自分で表札を出すに限る(略)精神の在り場所も ハタから表札をかけられてはならない 石垣りん それでよい>
 
 選詩集「表札」より。自分を偽らない詩と、まごうことなき表札。その言い切りに感性がきらめく。よい詩だ。
 精神の在り場所≠表札。表札は住所の句点みたいなものなのだ。表札はあくまで自分の住む家を示しているのであって、わざわざ精神にまで名前をつけなくてもいい。名前があるのだから、名前で十分。天声人語にはこの詩を引用しただけで、解説の何もないのだが、その時読んだ僕はそのように感じ取ったようで、小さい文字でちょこんと書かれてあった。
 
 天声人語について、そろそろ一冊が終わる感じになってきている。どうしようか。天声人語の中古本買うか? いやいや、まだ1/3残ってるじゃないか。だったら一冊終わったときにまた考えよう。
 そうして今日の分を取り組もうと、アンダーライン用のペンを執る。
    
        参考)今が正念場? 大人こそ買うべき「国語便覧」の話
https://dailyportalz.jp/kiji/kokugobinran-kaubeki
引用:天声人語2021年7月ー12月。p31.32