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黒いガム
3400文字
ひとつ前の投稿で書いた「最近書くことねーや」は本当なので、数年前の記憶から漁ることにする。
統合失調症をご存じだろうか。
詳細はデリケートなんで、各自調べてもらいたい。端的に言えば、思考と感情が頭の中でごちゃ混ぜになって、うまく情報が「統合」されない。それで、夢と現実の区別が分からなくなってしまって、人生の道半ばで「|路上駐車《The Bitter End》」。運転手はそのまま夢の世界の住人になってしまう。
当時の僕は、改称される前の「精神分裂症」のほうが的を射ていると考えていた。あとは、そう確率の問題。100人に1人がそうなる可能性があるらしい。原因は不明。元に戻る原因も不明。
「これ、どうやって|寛解《かんかい》するんだろう」
幻を幻だと認識するには、夢から醒めようとする夢であると自覚しなければならない。その名は中途覚醒。それに持ち込むにはどうすればいいのだろう。幻の中で整合性のある証拠を見つけようとしても、それらはすべて幻……。無理では?
理由を知りたくなった。ネット情報、SNS、YouTubeの動画。
どれを見ても、奇妙な症状ばかりがヒットして、面白半分に見れば面白半分に見れるけど、僕の得たい情報……実用的な治療法がまるでない。情報隔離されたように、無い。意図的に隠したのか、電波的に空気中をさまよっているのか。幽体離脱した魂の抜け殻のように、知れば知るほど謎が深まる。
彼らが陰謀論を作り、その陰謀論に嵌るのは、これが原因なのかもしれない。
偶然そうなって、偶然寛解する。
そんな、手掛かりになりそうな人を、僕は二人だけ見たことがある。
一人は就活学校に通う中で。
その方は僕よりも年上で、僕よりも身長が低かった。性別は女性で、年齢は不詳だ。30なのか40なのか、あるいはそれ以上なのかわからない。しかし、どことなく面影に文学少女がある。いつも何かしらの本を読んでいて、他の人のように自席でスマホを弄っていない。
話したことがある。大学では文系を専攻していて、授業で源氏物語を通しでやったという。もちろん原文。つまり古文だ。理系出身である僕からすれば、チンプンカンプンだ。そのほかは、今は書かなくてもよさそうだ。
当時は、彼女がその精神疾患名があるとかないとか、僕にはどうでもよかった。つまり、気づかなかったということだ。雑談をしても、特に差し障りがない会話内容で、意思疎通ができた。強いてあげるなら、その方はとても早口だった。
国語のリスニングテストの気分だった。気持ちが高揚してきてマシンガントーク……スピード感はそうだった。そうだったがそうではない。落語から抑揚のなさ、感情のなさを減算したようでもある。平坦で乾いたトイレットペーパーを掴んで、白い紙をガララ、ガララ。それが続けられる喋り。
当時はコロナ禍として猛威を振るっており、そのため就活は室内が優勢となった。企業説明会は着席をしてサッカー中継でも観るかのよう。
しかし、服装は適さない。みんなスーツ、みんなマスク。それで一歩も外に歩かない。それが異常だと思わず正常の就活と思い込めたのは、文明の利器を通しての画面越しが、初対面同士でも成立したからである。
いつもは使われない、天井にしまわれたスクリーン幕が下ろされ、プロジェクターから映像が投影される。
講堂の照明が暗くされ、目の前のスクリーンに、遠くの、見慣れない二人が映し出される。スーツを着込み、社会人経験者として、はじめましてこんにちは。これから一時間の付き合い。僕たち就活生は黙って聞くだけ。そんなつまらない企業説明を聞く。
終わり際、質疑応答の時間を取った。
その際、その人が手を挙げて、質問した。内容は欠落していて覚えていないが、いつものように早口だった。彼女の質問に応えた企業説明の人は、素直に尋ねた。表面上コーティングされているが、戸惑いで上ずっている。
「あの、いつもそんな早口なんですか?」
「はい、そうですけど?」
言葉が伝わらず、不機嫌そうだった。
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実はもう一人のほうを話したかった。
全く知らない人だ。道端に落ちているガムのような代物で、女性だった。
家に帰る途中の、乗換駅のことだった。僕が電車に降りて、その電車を見送る。歩き疲れたので階段を素通りし、エスカレーターに行こうとした、島式ホームの中腹に差し掛かる頃だった。
始終話していたのだろう、その時は誰かと電話しているのかと思っていた。だが違った。スマホなんて持っていない。僕のほかに人はいない中、彼女はずっと独り言を呟いていたのだ。
「なんでこんな午後になって医者に行くんだよもっと早く起きれただろ、そんなこと言われても仕方がないでしょ朝起きた時間が昼を過ぎてたんだから、今から行っても間に合わないだろ診療時間あとどれくらい残っていると思ってるんだ、急げば間に合う時間でしょ……」
こんな風に、息つく暇もない。
これが、すべて独り言なのだ。文字起こしの読みやすさのため|読点《「、」》を振ったが――句点として「読点」を使ったのはこの文が初めてだ――、実際は句点・読点のない文章。喋るにしても、どこまでもどこまでも文字が続く。
よく聞くと、男女の会話文だとわかる。だからスマホで会話していると思ったのだ。しかし、だったら相手の会話は聞こえない。何か、耳に当ててもいない。だから「あれ?」と疑問に至った。
かつ、早口言葉だった。
就活学校時代にいたその人よりも、はるかに速い。よくそんなに口が的確に機能するものだ。表音に、意味が伝わる言葉で高速に切り分ける。
たったリスニングテスト一回分。それも通常の二倍三倍それ以上。壊れたスピーカー。壊れたレコード。引っ張り強度の高いトイレットペーパー。なのに、今文字起こしができるくらい、記憶にこびりついている。
たった一回聞いただけ。それだけでどうしようもなく立ち尽くしてしまった。ハーメルンの笛吹の始まりは、|架空《ストーリー》はどうであれ、着想はこれだ。そういう「確信」を、痛烈に打撃された頭で、誰かに殴られたように。
「おいこんなところでしゃべってると見られてるじゃねえかよこんなところでぶつぶつ呟いてたらわかってるよそのくらいだったらその口|煩《うるさ》い口をさっさと閉ざせうるさいうるさいそんなことはわかってるだったらわかってるなら速く口閉ざせよ見られてるだろそんなことはわかってる黙れ黙れ黙れ……」
そうして数秒に満たない時間拡張のあと、大きく「もういい黙って!」
時が止まった。静寂が訪れた。その人は、まったく喋らなくなった。マネキンになった。あんなに喋っていたのに、荒い呼吸もしない。その辺にいる人と同じ、空気を吸う。
だんまりを決め込む。その豹変ぶりが、なんだかとても恐ろしかった。
前者は寛解となって普通のヒトになった人。後者は寛解に向かおうとしている通院中の患者。
両者とも同じ病症として扱われていいのだろうか。別種の異なるもの。恥ずかしげもなく告発するが、これぞ「ヒト|怖《こわ》」だった。二人の症例ではなく精神分裂。いみじくも「精神共存」だった。
それから一年後。
僕は界隈曲にハマった。その中でこの曲に出会った。あとがきにリンクを貼っておく。早口速度は、これと同一だった。歌詞が分からない、聞き取れない。
機械音声で、これなのだ。これが当たり前。そうだ、これが「当たり前」なのだ。聞き取れなくて当たり前。どうしてあれが聞き取れたのか、リスニングできたのか。
わからない。
その記憶が、いつまでもいつまでも地面にへばりついている黒いガムだった。口の中で噛みしめた場面を文章としてネットに吐き出さないと気が済まない。
勝手な主張だが、統合失調症の思考の流れが具体化・人間的に物体化したら、あのようになるのだ。早口なのは、脳ではなく思考の流れから来ているから。実にリリカルな、黒い|記憶《ガム》……
上人**阿闍梨謁見風説戯画仮名問答 Unknown
https://www.youtube.com/watch?v=qebT1aVkjwo