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毒味葉巻を嚥む苦虫
「ん〜……肺にいい煙が入るってのは、いいもんだな」
「葉巻に罠でも仕掛けてりゃ、頭ごと吹き飛ばせるのにな」
ダクトの入り口の前で、葉巻を蒸しながらレッグウィッグは座り込み、ただ暇を潰していた。レッグウィッグの任務は、鋼鉄とコンクリートに支配された独裁国家の心臓部、その地下深くに、世界を灰に変えうる核発射コードが眠っているデータの完全破壊。だが、最深部のセキュリティは、生きた人間の特定の生体反応を要求する極めて特殊なものだった。
「……なぁアルビー、これ本当に人間がやる工程か?」
レッグウィッグは、潜入前に自身の左腕を眺めてぼやいた。彼の腕には、ターゲットである高官の指紋、静脈、そして網膜パターンを模した生体組織が、無理やり移植され、死ねない肉体を持つ彼を、生きた万能鍵へと作り変えた形跡が残っていた。
「四の五の言うな。お前の異常な再生力が、拒絶反応を強引に抑え込んでいるだけだ。数時間もすればその組織は、お前の身体に食われて消える。それまでに認証を突破しろ」
通信越しのアルビーの声は、相変わらず冷淡で、彼は、“庭”の快適なデスクで、レッグウィッグの生命維持装置と同期したモニターを眺めながら、不快そうにカップを口に運んだ直後に眉をひそめた。
「……げっ、また塩が入ってる……!」
「はは、まだ残ってたか?昨日の俺からのプレゼントだよ、嬉しいだろ?」
「レッグウィッグ……お前、後で覚えておけよ」
アルビーが歯噛みする音を背景に、レッグウィッグは沈黙した街の地下、迷路のようなダクトを這い進むように鉄の壁を足音のように鳴らす。
「そういえば、レッグウィッグ。お前って、なんでそんな体質になったんだ?」
「レッグウィッグ、レッグウィッグばっかだな、お前?俺のこと大好きか?……そんなの俺が知りたいよ」
「へぇ、覚えてないんだな」
全身を擦りつけて、辿り着いた最深部の防壁は、赤外線センサーと、侵入者を一瞬で炭化させる高電圧トラップが張り巡らされ、簡単には突破できそうにない状態だった。
「お〜……アルビー、これ映画みたいだな」
「主役はお前だけどな」
軽口を叩きながら、迷うことなく、自らの左腕を認証スロットに突き立てた。生体パターンの不一致を検知したシステムが、即座に防衛機構を起動させる。レッグウィッグに肉体を、高熱のレーザーと猛毒のガスが襲い、香ばしくも焦げたような、変な匂いが充満していく。
「……なぁ、アルビー……これが全部、映画の……台本だったらいいのにってよく……思うんだよ……まぁ、本当なんだけど……」
「本当を言って馬鹿を垂れ流すな。生体反応が急落してるぞ、心停止まであと10秒か?」
「……うるせぇ……まだ、いける……認証率、80%……」
赤く焼ける肉の臭いと、毒に塗り変えて腐食していく肺。激痛に意識が飛びそうになる度、レッグウィッグは自らの舌を噛みつつ、覚醒を維持し続けていた。移植された他人の組織が、彼の再生細胞と混ざり合い、崩壊していきそうになる限界の数秒間の直後に、無機質な電子音と共に、重厚な隔壁がようやくゆっくりと持ち上がった。
「……はは、開いたぞ……アルビー、聞こえるか?鍵が開いたついでに俺の身体も、あちこち穴が開いたけどな」
「報告はいいからさっさとデータを破壊しろ、このゾンビ野郎……それと、帰還したらその腕は消毒してやるから。特別に、塩抜きした最高級の豆を挽いて待っててやるからな」
「そりゃ楽しみだなぁ……俺、コーヒーそんなに好きじゃねぇけど……」
崩れ落ちそうな身体を引きずりながら、レッグウィッグは核発射端末へと手を伸ばした。端末のキーボードに、黒く焼けた指先が触れ、流れ込む毒ガスと出血の影響で既に白く霞んでいた視界は、画面から放たれる青白い光だけが、残された唯一の道標だった。
「……あー、アルビー?端末にアクセスしたぞ。全核弾頭の起爆シーケンス……をぶっ壊すけど、いいよな?」
「……了解。通信は維持しておけよ、レッグウィッグ。お前の生体データが消えかかってる。勝手に眠るなよ」
通信越しに聞こえるアルビーの声は、先ほどまでの冷淡さが嘘のように、僅かに震え、タイピングの音が、二人の間にある数キロメートルの距離を埋めるようだった。レッグウィッグによってシステムが破棄される度、周囲の防衛機構が断末魔のようなアラートをけたたましく叫ぶ。レッグウィッグが、自らの肺がボロボロと崩れていく感覚に吐き気を催しながら、最後のエンターキーを叩き込んだ直後、轟音とともに、メインサーバーが内側から火花を散らして沈黙に身を投じていた。世界を数分で終わらせるはずだった鉄の塊は、今やただの巨大なガラクタへと成り果て、蘇るような動きは一つたりともなかった。
「……終わったぞ、アルビー……多分」
「ああ、確認した。地上の核サイロ、全基の反応が消失したよ。レッグウィッグ?まさか、また車の中か?」
応答を急かされているレッグウィッグは、端末の前に座り込んだまま動かず、再生細胞は限界を迎え、移植組織との拒絶反応が激流のように彼を飲み込んでいた。
「……なぁ、アルビー……さっきの約束……最高級の豆って、本当だろうな……?」
「嘘を吐いてどうする……早く戻ってこいよ。お前の席に、とてつもなく甘い一杯、用意してやるぞ?」
「……はは……そりゃいい。……少しだけ、ここで休んでから行く…………ちょっと、静かすぎるんだよな、ここは……」
「レッグウィッグ、そこを動くなよ。馬鹿一人捕まえるのには慣れてるんだ」
「……お前、本当に……俺のこと大好きだろ……」
ダクトの出口の奥の方から、鉄を鳴らすどこか嬉しいような足音が響く。細胞が歓喜するような、奇妙な嬉しさばかりが薄くなりつつある毒ガスの代わりに充満しつつあった。