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【メモ1】中文
メモの山から見つけたメモの一部。
中文とは、メモにしてはちょっと多めみたいな意味です。空行で区切られてる感じです。
※自作文章とどっかからメモったやつが混在しています。あしからず。
世の中の答え:
(死ぬくらいなら)逃げてもいいんだよ
(やるべきことから)逃げたらダメだよ
つまりは基本逃げちゃダメだけど死ぬっつうんなら逃げなはれってこと
空気で決まる世論が怖い。
空気で決まる、気分で決まるとかって、もう「中世」じゃないですか。
(あちこちオードリー)
「反AIとは殺すか殺されるけどちらかしかないだろう。死んでからは殺しにいけないから先に殺すしかない。チャンスはそれほど多くない。これ以上傷つけられないために殺す」
(上記の)七瀬葵氏のコミケ殺害予告の文章の何が怖いって、シンプルに削ぎ落とされた無駄の無い殺意よね。私ならコミケ当日は行かない。あれはヤバい。(Twitter)
生きていた痕跡。
生きていた痕跡が残る骨。
と筋肉。
と脂肪の、集合体がそこにある。(作品紹介)
当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです。
後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ。(ネットニュース)
このゾウは大昔に罪を犯したために1000年以上もの間歩くことしか許されず海を彷徨っているほか、両目は落ち窪んでいるのか黒い穴のみで眼球が確認できない。(pixiv大百科 ゾウ)
大人を自覚するとは何か。
今まで無料だと思っていたものが、突然有料になることです。
「あーもう、やっちまったぜ」
「かっこよかったぜ」
「早く行けよもう」(水ダウ電気椅子)
そうなんですよね〜。
自治厨というのは、たかだか18くらいの年齢で社会のなんたるかを知らないくせに自分は年齢は上だからと年齢マウントでこのようにしゃしゃり出てくるんですよね。
ファンにも矜持というものがある。
たとえ、憧れの存在の人気が地の底まで失墜したとしても。あの時憧れたものにいっときの感情でヒビなど入れてはならないのだ。
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「俺はやっぱり全員を救う方法を考える」
「そう考えるのは、単に自分が置いて行かれたくないから。「全員」って言えば、少なくとも自分は置いて行かれないからね。優しいフリした自己防衛で、よくある失敗パターンの一つ」
「そういう考えがあってもいいだろ?」
「良いけど無駄。これまでに同じことやって上手く行ったことなどない。ついでに言っておくと、手遅れ系ほど、「全員を何とかしたい!」みたいな、非現実論を振りかざす傾向にある事実は知っておくべき」
(不登校支援ブログ)
日記の「!!!」の数で興奮度を表現する中学生みたいな文章力。さすが短カフェ界の大御所ですね。
人間は考えます。
動物は考えませんが、動けます。
植物は考えもせず、動くこともできません。
アメイジング東京。
あの光一つ一つが、残業に苦しむ労働者たちです。いや、幸せの明るい家族の灯火なのかもしれない。人は、隠されたものが見たい生き物です。壁で隠せば中が見たい。服で隠せば裸身が見たい。隠蔽されれば真実が見たい。
(絶望ライン工)
シュレディンガーカード。
諭吉入れたら津田梅子。樋口か津田梅子か。どっちが入っているのか。
現在、俗に「753」と言って、入社から三年以内に中学卒業者は70%、高校卒業者は50%、大学卒業者は30%が退職すると言われている。
(ネットニュース)
人は通常、知らないこと・経験していないことに不安を覚えるため、なかなか行動に踏み切ることができない。
チャンスとは、敗者復活に近い。
努力をしたうえで、チャンスな機会が巡ってくるのであって、努力しないものにはそもそも来ない。
先日親に首を絞められる夢を見て、うめき声と共に目覚めたけど、自分でも気が付かない内に精神がやられているのかもしれない。
古代中国の考え方の一つに、春は青(青春)、夏は赤(朱、朱夏)、秋は白(白秋)、冬は黒(玄、玄冬)と、季節に色をかぶせる考えがあった
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長い行列ができているようだった。
有名人の訃報が、若い年齢の頃は無自覚な耳となっていたが、年を取るごとにそれは耳たぶの模様に引っかかるようになった。
「苦労して……」って何に苦労したの?
今必要なのは、失敗例の主張ではなく、成功例からのルート提供です。(不登校支援ブログ)
「残酷な現実」と「現実」。
どちらのほうが残酷なのか、考えたくなった。
残酷だと事前に言葉で言ってくれるのか、蓋を開けないと残酷か残酷でないかわからないのか。
例えば、暴力は絶対だめだからといって、全てのアニメから暴力シーンを削除したらどうなるか?
子どもは暴力を知る機会を失い、無自覚な暴力を振るうことになってしまうかもしれない。
一個人が嫌いだからといって、それから目を背ければ、表現の自由から遠ざかることになる。
裏返し。
地下12階から地下13階へ至る階段。それを下りている最中。
地下の仕掛けを解いて、地上へ出た。
ふう、ようやくか。
ようやくこれで建物が現れる。
普段は砂嵐によって視界が灰色に遮られた猛海な砂漠の海。その天候が晴れて、晴れ渡って、天空へと至る高い高い塔を目撃した。
漫画家は、漫画が掲載されなければ一円にもならないというわかりやすい実力主義です。その分、自己責任論的思考が加速しやすい職だったとも言える。生半可な気持ちで始めたら、人生詰んでしまう。(某漫画家)
今思えば
あの時でも、あの時でも
けして遅くはなかったのだ。
年齢は忘れた。忘れることで全年齢に成れる。そう信じているのである。
年齢は忘れたが、少なくとも18歳以上である。
質問内容は「生きるのを諦めた方がよいか」ですか?
それを他人に委ねるのは非常に「卑怯」です。
質問者さまの人生ですから、何を選ぶかは自分で判断して決める。その結果は自己責任だからです。(知恵袋)
病室に六人の被験者たちが集められた。
B製薬会社の投薬治験ということで募集がなされた。3日間の治験を予定しており、最終日の朝になる。
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正々堂々とした蹂躙である。
あくまで敵拠点には抵抗の機会がある状態での蹂躙であり、一方的な略奪・虐殺はしていないつもりである。
「いいかいきみ、人を殺してはいけないんだよ」
「どうしてですか」
サイコパス気味にけらけら笑う少年に、大人はにっこりした。
「こういうことだよ」
大人は銃口を頭に突きつけ、構いなく引き金を引いた。だぁん、と大仰な音を出して、少年の頭は吹っ飛んだ。
深夜0時ごろになるとそいつは現れる。
30歳を超えたオッサン。深夜になるとコンビニにそいつが現れて、数百円程度のお菓子を買う。奇妙な光景だ。(ニート日記)
犬が死んで火葬した数日後に家で掃除機をかけたとき、犬の抜け毛を掃除機で吸い取っていくのがとても寂しかったです。15年間の思い出が消えてゆくようで悲しかったです。
犬が寝ていた布を外でバサバサと払ったときに、布についていた抜け毛が大量に空に飛んでゆきました。
まるで天国に飛んでいくようでした。その日は物すごい秋晴れの晴天の日で、今でもその光景を覚えてます。(ニート日記)
・バカの壁
世の中に正しさや絶対性などというのはありえない。蓋然性が高いというだけで、それを確定するのはどうなのだ? という本。
そもそも現実主義者とはなんなのだろうか。
未来のことを考えない人のことだろうか。
昨今電気代高騰で生活が逼迫している。
その根本的解決は、停止された原子力発電を再稼働させればいいんですよ。そういう人を見かけたことがある。原子力発電は二酸化炭素を出さないことでクリーンなイメージがあるが、設計図を見ればとても危険な代物でもある。
そのくらいの知識量でしかない。
長期化した引きは、国が見捨てる傾向にある。
氷河期世代。生活保護の国の最低ラインも、円安というねあげや増税で真綿を締められる結果となっている。国の方向性としても、生活保護は漸次縮小する見込みですから。
(不登校支援ブログ)
龍野一家6人殺し
『三十九件の真相』は「夫を天とし、夫の頼みとあらば、命でも喜んで捨てよと教育されて嫁いできた」と指摘。菊枝が次夫の殺意を知った時、「兄も父も、断固として正しき道を指示すべきであったのに、彼らはただ女大学の抜け殻を並べて、婦徳をもって夫を翻意させよ、妻としてひたすら夫をいさめよ、と無理なことを言ってやっただけであった」として「まさに女大学の悲劇であろう」と結論づけた。
「女大学」は江戸時代に広く普及した女子教育の指導書のことで、封建的で女性に隷従を強いる道徳を推奨していた。そのことも全否定はできないが、さらに強い思いがあったのではないか。(歴史ブログ)
冷厳の鑑賞には不向きだ。
具有する。
心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命に奉仕して、捨てられる。それが、趣味である。
深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみたり
(太宰治 ロマン灯籠)
人工的で難解な表現に別れを告げ、素朴な、自然なもの。したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙に写し取ること。
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一円玉の対局
現金硬貨の断捨離を始める。まずは十円玉を消化中。キャッシュレスの一円と現金の一円は同じじゃないな。今や対極と言ってもいい。
「いよいよきな臭くなりましたね」
「ええ、リスカ代金を請求する&リスカ治療費のダブル請求するくらいのきな臭さです」
少年は思うのだ。
村のひとたちも心から信じてそんな噂をしているのではあるまい。
ふだんから夢のない生活をしているゆえ、こんなときにこそ勝手な伝説を作りあげ、信じたふりして酔っているのにちがいない。
少年は村のひとたちのそんな安易な嘘を聞くごとに、歯ぎしりをし耳を覆い、飛んで彼の家へ帰るのであった。
少年は村のひとたちの噂話を間抜けていると思うのだ。なぜこのひとたちは、もっと大事な事柄を話し合わないのであろう。(太宰治)
刀を構えると、刀は異界とつながっているということが実感される。刀を正眼に構えると、野生の巨大なエネルギーが刀を通じて発動するのがわかる。自分の身体がそのエネルギーの通り道であるということが実感される。
朝の通勤路ならぬ痛勤路。
平日の朝、途中パチンコの前を通るのだが、本当に世の中にはパチンカスというのが存在するのだなと思う。朝9時半か10時にパチンコの営業が始まるのだろうが、これがまた開店前でも列をなすことなすこと……。よく見かけるのだ。
05/〇にグランドオープン。パチンカスが長蛇の列で並んでいる。金髪、サングラス、兄ちゃん、ガタイがいい男、その連れの彼女、けばけばしい服、大学生風味の男女、友達連れ、くわえタバコ、そして物見櫓の外国人。たくさんいる。ぐるなびを総なめしてる人気ラーメン店くらいの長蛇の列。よー並びますね〜、と眺めてしまうくらいの長さ。
車窓の内側に薄っすら水滴の層がついちゃうほど寒い夜。春かよ、って突っ込んでしまう。
手でゴシゴシこすって、車窓を見えるようにした。特に変わらぬ風景。でも、何もやることがないので、「見たい」と自然に思ったのだろう。
手の甲で水滴を拭ったが、その際拭った窓の外側に細い線ができてしまった。爪の跡である。これでは格好がつかないと思って、手を翻して指先で擦る。
手のひらは親和性、手の甲は疎水性である。
普通という概念は、普通の人に対して活用すると親和性・共感性が高いので飲み込みやすいと思います。でも、普通の学生生活を送ったことがない人……、不登校とか引きこもりとかボッチとかネット依存症とかヤングケアラー的な人に対して言うと、反発が起こります。
中学に進学します、次の学年に進学します。となったとき、極当たり前として受け入れる。この受け入れは、了承したことになるだろう。
だから、何に了承しているのかを考えると、それは「普通」と呼ばれる概念なんだろうなって思う。
「母親の、決めたルール通りに遊ぶ子どもなんていない。常に親の顔色をうかがって、抜け道を探ってる」
「で、あなたは何歳なの?」
「十万年以上生きてきた。神からすればまだ子どもさ」
「いつか痛い目に遭うわよ」
「ああ、解ってる。 ……今度はうまくやるさ」
5000文字