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嘘と熱、毒
まえがきわに
2026/01/22 嘘と熱、毒
朝。通学路を歩いていると地面に赤く鈍く輝く何かを見つけた。なんだろう。駆け寄ろうとしたが通学リュックが重くて走るのはしんどいから早歩き。歩道の端っこに落ちているそれは、おそらくピアスだった。触っても大丈夫そうだったから、あたしはしゃがみ手を伸ばした。小さくて硬くて、太陽光でキラキラと輝いていて美しい。あたりを顔をあげあたりを見回し持ち主を探そうとしたが、誰もいない。とはいえ交番に行って届けるのも、時間が厳しくて無理そうだった。とりあえずあたしが回収して学校が終わったら交番に届けようか。でも持ち主はピアスを無くしたことに気づいたらまず来た道を戻るよね。じゃあ、ここに置いておく方がいいのか。だけどそれはちょっと罪悪感がある。それに踏まれたらかわいそうだ。道の端にでも移しといたらいいかなって、それじゃ余計に持ち主が見つけにくくなるだけだろう。結局あたしは、学校が終わったら交番に届けようと思い、赤いピアスをスカートのポケットに突っ込んだ。小さいから、そのまま忘れてしまいそう。メモしなきゃと思いつつ、ペンはリュックの中だし、スマホも持っていない。頭の中でピアス、ピアス、ピアス、と繰り返しながら立ち上がり学校の方に急ぐ。
学校。休み時間、あたしは次の授業の教科書をとりに、廊下にあるロッカーに行った。スカートのポケットには、まだちゃんとピアスがある。
自分のロッカーから教科書を取り出して、教室に戻ろうとした時、視界の端に黒い服が映った。顔を動かしたら、隣のクラスから男子生徒が出てきて、地面やロッカーの上をキョロキョロと見渡していた。果ては、窓の枠まで。明らかに何かを探している様子だったので、窓枠を熱心に見つめている彼に、あたしは声をかけた。
「何、探してるの」彼は一瞬こちらをみて、またすぐ視線を戻して、答えた。
「ピアス。片方だけ。おれのじゃない」
その言葉に、どきりとした。スカートの中の赤が、主張し始めた気がした。「なんで?」少し困惑しながら、訊ねた。
うちの学校はピアスが禁止されているし、つけてくる生徒もまあいない。まだ、中学生だし。それに、つけてくるにしても、あたしの持ってる赤いようなやつは派手すぎる。耳につけていたらすぐに先生にバレてしまうだろう。だからきっと、これは彼が探しているものじゃない。そんな思考を巡らせる。
「なんで、ってなに?落としたからだけど」
「…じゃ、どんなの。見た目。何色」
「赤いやつ」
答え合わせみたいなものだった。あたしは頭に、毒みたいに鮮やかなあの赤を思い浮かべた。じわじわと、ポケットの赤が、熱くなっていく。ここでこれを出して、素直に「朝拾った」と言えばいい。
でもあたしには、それがなんだかとても難しいことに思えてしまった。今言うべきだと理解していても、手はポケットに伸びていかない。ただ、教科書の端をいじるだけだ。
「なんでいるの、あんたは」
彼に訝しげに問われて、あたしは焦った。焦った末、答えた。
「あたしも探してあげようと、思って。」
ああ、もう、ポケットからピアスを取り出して渡すことはできない。余計な嘘をついてしまったことを、すぐに後悔する。だがその嘘で心がどうしてか軽くなっていることも、事実だった。
彼は、あたしの言葉に驚いたように目を見開いた。好きにすればと小さく言い、別のところを探し始める。その態度に少しムカついたが、あたしは頷きだけを残し、教室に戻った。自分の机の上に教科書を置いた後、また廊下に出て、ピアスを探す。
しかしもちろん、あるわけがないのだ。あたしが持っているのだから。探すふりを20秒ほどして、あたしはふと疑問が浮かび、廊下の奥の方にいる彼に駆け寄りながら訊ねた。
「ねえ、ピアスって、誰のなの?その人はなんで、学校にピアスなんか持ってきてるのよ」
彼は顔をしかめながらあたしに向けた。ずっと思っていたけど、愛想がまるでない。普通の男子中学生って、こういうものなのだろうか。
「山下夏美」
呟くように言われた。知らない人だった。その山下さんがなぜ学校にピアスを持ってきているのかは、教えてもらえなかった。あたしは追求せず、ただ、山下さんは自分が無くしたピアスを他人に探してもらっているのか、と思った。
「てか、名前なに?あなたの名前」続けて問うた。
「は、知らなかったの?」「うん」
彼は視線を下に落としながら答えた。「佐田だけど」ふーん。あたしは身を翻し、廊下の端から端まで探しながら、自分の教室に戻った。次の授業がそろそろ始まる。
昼休み。友達とご飯を食べる。ポケットにはやっぱり、赤いピアスが入っている。
あたしはシャケを咀嚼し飲み込んだ後、口を開いた。「隣のクラス…か、わかんないけど、山下夏美って子、知ってる?」
友達は白米をお箸でつまみながら首を傾げた。数秒考えるような沈黙が落ちて、友達はあ、と声をあげる。
「知ってる。あんまり学校、来てないらしいけど。」
「え、なんで」
「え、知らないけど」
「そりゃそうか」
白米を食べる。シャケと一緒に食べた方が美味しいなと、咀嚼しながら思う。白米は甘いってよく言うけど、まあ確かに甘いけど、白米だけで美味しいと思えるほど、あたしの味覚は発達していないようだ。
昼食を食べ終え、あたしは廊下に出た。5時間目の教科書を取りに行くという目的もあるが、それより、佐田がまだ探しているのか気になったからだ。ロッカーから教科書を取って、彼の姿を探す。しかし廊下に彼はいなかった。流石に教室で友達と遊んでいるか、あるいは、廊下ではない別のところを探しているのか。あたしは無性に気になって、階段のほうまで歩いて行った。
彼はいた。階段の隅から手すりまで、視線をゆっくりと動かし探している様子だった。まだ、探しているのか、まだ見つかっていないのか。まあ見つかっていないのは当たり前だ。もう諦めてしまえばいいのにと、罪悪感を抱きながらポケットに手を入れてみる。このピアスを適当な場所に落として、さも今見つけたかのように「あった!」と彼に差し出してみようか。だけど、彼の探しようならこんな鈍く輝くピアスを見落とすわけはないし、あたしは演技が苦手だから、疑われるかもしれない。
あたしは結局、赤はそのままでポケットから手を出した。教室に戻るか、佐田に声をかけるか迷っていると、階段を探していた彼が顔を上げた。こちらを見た。目が合う。
「何?」
彼に問われ、あたしは慌てて、首を横に振る。何に対しての否定かはよくわからないけど。焦っていることを誤魔化したくて、口を開いた。
「て、ていうか、案外交番に届いてるんじゃないの?学校で落としてたら、目立つから誰かが拾って職員室に届けるじゃん、そしたらタブレットに落とし物の連絡とか、くるし、来てないってことは、外なんじゃないの」
唐突に早口で捲し立てられた彼は、ギョッとした表情を浮かべ、次に不機嫌そうに眉をしかめた。「もう行った。昨日行った」
「あ、そう」気まずい沈黙が落ちる。あたしはそれに耐えられなくなって、くるりと体を動かして、教室に歩いた。背中に彼の鋭い視線が向けられている気がして落ち着かなかった。けれど、ちらりと後ろを見てみれば彼は普通に探していて、あたしの自意識過剰だったことを知る。朝「あたしも探してあげる」なんて言っちゃったけど、全然探していないなとふと思う。だってあたしは、どれだけ探しても見つからないことを理解しているから。彼にとっては、嘘をついたやつでしかないんだろうけど。
放課後。あたしはいつもと違う道を歩いていた。交番に向かっているのだ。交番があるのは知ってるけど、落とし物を拾うことも、迷子になることもそうないので、あたしの記憶が間違っていなければ交番に行くのは人生で初めてだ。
交番に入ると、お巡りさんがデスクに座っていて、少し緊張した。ポケットから赤いピアスを取り出しながらあたしは声を出した。
お巡りさんの反応は驚くほど淡白で事務的だった。それが普通なんだろうけど、あたしの緊張はなんだったんだろうなんて思った。どこでいつ拾ったのか、謝礼をもらうかとか、持ち主が現れなかったらとか、そんなことを訊かれた。謝礼や所有権は正直よくわからなかったし、面倒くさそうだったので、大丈夫ですと答えた。ピアスで謝礼をもらっても、ちょっと恥ずかしいし。
あたしのポケットの中でずっと存在を主張していた赤いピアスは、お巡りさんの手によって無造作に袋に入れられていた。それが、よくわかんないけどズレてて、よくわかんないけど、目が離せなかった。
交番を出て、あたしはあまり歩いたことのない道で家に帰っていた。家が立ち並んでいる住宅街に入った。ここを曲がって、しばらく歩いたら、いつもの通学路に戻れるはずだ。あってるよね?足元にあった石を蹴りながら考えて、角を曲がる。すると、誰かの話し声が聞こえてきた。内容まではわからない。あたしが顔をあげると、前の方に人の姿があった。見慣れた制服を着ている。
佐田だ。
気づいて、心臓が跳ねた。彼は一軒の家の前に立っていて、誰かと話している。普通に考えて、その家の住人だろう。髪が長くて背が低くて、だから多分、女子だ。佐田が通学リュックから赤いファイルを取り出し、その子に渡す。また何か話す。
あたしは自然と止まっていた足を動かした。少しずつ彼らとの距離が縮まっていく。会話の内容が聞き取れるほど。
「__ピアス、探したけど見つからなかった」
「そっか」
あたしは息を呑んだ。でも、歩みは止めなかった。
佐田があたしの足音に気づいたようで、こちらに顔を動かした。その瞳が見開かれる。あたしは別に、悪いことをしているわけじゃない。わかってはいる。けれどもあたしが会話の内容を聞いてしまったことは、あたし自身にとっても、彼らにとっても、良くなかったなと思った。
あたしは彼らと普通に会話ができる距離で立ち止まり、喉の奥に苦味が広がるような感覚になりながら、言葉を探した。
「いや、偶然だから」
出てきた言葉は、言い訳のようで、余計にあたしがなにか悪いことをしてるみたいになった。
佐田の横に立つ私服の女子があたしを不思議そうな表情で見つめていた。その耳に、ピアス穴は開いていなかった。あたしは彼女が誰なのか、全然知らない。けれど、先ほど少しだけ聞き取れた会話と、視界の端に映る表札の「山下」に、あたしはあの赤を握りしめたくなった。
今日、佐田に嘘をつく前に、さっさとピアスを渡していたら、遠回りしなくて済んだのに。こんな会話聞かなくてよかったのに。そもそも佐田たちもこんな会話はしなくて、あってよかった、で終わっていたのに。この気まずさや苦味とは、全く無関係だったのに。
佐田は目を細め、ああそう、とだけ答えた。あたしは曖昧に頷いて歩き出した。彼らの横を通り過ぎてすぐ、佐田という表札のかかった家を見つけた。
あたしはなんとなく、スカートのポケットに手を突っ込んだ。赤はもうない。熱は感じない。ただ、厳しい冬の寒さが、少しマシになるだけだった。
うける