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雪と鼻血
2026/02/05 望んだ日常
その日は、雪が降っていた。ぼくは朝の新雪をざくざくと踏みながら通学路を歩いていた。
学校行きたくないなあ。たった今、ふと頭に浮かんだことだ。けれどそれも声をあげるほどではない。ちょっと嫌なだけで、たぶんこの世の全学生が抱くものだ。
ちらりと周りをみて、置いていかれていないか確認する。集団登校というのはみんなに合わせないといけないから、マイペースでのろいぼくにはあまり合わない。
学校が近づいてきて、校門をくぐって、集団登校は終わり。さっきまで固まってた子達がちらばっていく。もろい。
ぼくも自分のクラスの下駄箱で、雪のせいで多少濡れてる靴を履き替えた。教室に行く途中の廊下が濡れてて、すべりかけた。なんで下駄箱で上靴に履き替えるのに、学校の中まで濡れているんだろうと思った。
教室に入って、自分の席に歩く。窓側の、前から4番目、後ろから2番目。ボコッと突き出てる柱のそばにあるここがぼくの席だ。授業中に眠くなったときとか、その柱に体をゆだねたりするのが楽しいけど、今の時期は冷たいからできない。だからぼくは仕方なく背筋を伸ばして座る。
数分、同じ体勢で座っていると、上靴の中の足の先が蒸れてきた。靴下まで濡れていたらしい。ぼくは上靴から足を出した。クラスの男子がしているみたいに靴下を干そうか迷って、やめた。ぼくは洗濯してないのに干してある靴下が、何となくだけどちょっと苦手だ。床のヒンヤリとしたそれが、濡れた靴下越しに伝わってきた。
クラスメイトが喧嘩を始めたのは、8時15分のことだった。原因が何かは知らない。ただ突然、男子の大声が聞こえてきて、クラスが水を打ったように静まり返った。別の男子が言い返して、大声を出した男子がさらに何か言って、クラスメイトもざわつき始めた。ぼくは、何が起こったのか理解できていないまま、とりあえず上靴を履いた。まだ靴下は乾いていないから蒸れるだろうな。いやだな。でもいまはそれどころじゃないんだろう、きっと。クラスの女子が「先生呼んできて!」と叫んだ。誰かが教室のドアを開ける音。男子たちは少しの間ぎゃあぎゃあ騒いだあと、とうとう、手を出した。最初に大声を出した男子が、ドンっと相手を押した。押された男子がよろめいて、ぼくの方に倒れてきた。ぼくは小さく、「えっ。」と声を出すだけで精一杯だった。
ぼくの鼻から、血がぼたぼたと垂れていた。男子の頭がぼくの顔に直撃したんだと理解するのに、1秒もかからなかった気がする。顔の痛みが何よりの証拠だったし。
クラスがまた静かになった。騒いでいた男子たちも、関係ないぼくを巻き込んだことに、流石に焦っていた。バツが悪そう、とも言える。クラスメイトがポケットティッシュをくれた。ポケットにでも入っていたのかくしゃくしゃだった。「だ、大丈夫?」誰かに聞かれた。ぼくはティッシュで鼻を抑えながら、頷いた。注目を浴びていることが恥ずかしくて、首が熱くなっているのが分かった。
背中に、コンクリートの冷気が染み込んでくる。時々ぼくが背中を預ける、ボコっとした部分。柱。冬はこんなに冷たい。でも今は、首の熱を覚ましてくれるありがたい存在だった。
ぼくはやってきた先生によって保健室に連れていかれた。鼻血は案外すぐに止まって、ぼくは普通に教室に戻れた。戻ったとき、本来は国語の授業だったはずなのに道徳に変更されていて、男子たちの仲直りをクラスメイトらが眺めるという構図になっていた。ぼくは謝罪を受けた。早く普通の日常に戻りたくて、さっさと「いいよ。」と頷いた。
帰り道で、ぼくは朝より汚れている雪を踏んで歩いた。結構溶けているせいで、ざくざくという音は出なかった。つまらない。ただ、靴が沈んで行く感覚になるだけ。たぶん、明日も明後日も、こんな感じだろう。ぼくが望んだ日常だ。