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目次
泣き方を知らなかった頃
死の描写あり。
2025/09/14
「2人とも、おいでー。」里美のお姉ちゃんである春ちゃんが私たちのことを呼んだ。私と里美が砂場やらブランコやら滑り台やらで夢中になって遊んでいる間に、日が暮れてしまっていたようだ。私は春ちゃんの方に駆け寄った。里美ももう帰るのーと不満げにしながら立ち上がった。私と里美と春ちゃん、それぞれのお母さんの5人で帰路につく。
「お腹すいた!」私が言うと、お母さんが「今夜はシチューだよ。」と微笑んだ。シチューは私の大好物だった。やったーなんてはしゃいでいると、里美が声を上げた。「いいなーねえうちもシチューがいい。それかハンバーグ!」「だめよー、もう決まってるもの。今夜は野菜炒め。」「えーっ。お姉ちゃんだって野菜炒めは嫌でしょ?」里美が春ちゃんに同意を求めるも、春ちゃんは困ったように首を傾げただけで何も言わなかった。里美がぶーっと頬を膨らませているのを眺めながら、青になった横断歩道に足を踏み出す。里美たちもうちに来たら楽しそうだな、みんなでシチュー食べれるし。そんなことを考えていたから、気が付かなかった。信号無視のトラックがこちらに突進してきていることに。
「さやちゃん!」
春ちゃんの声か、お母さんの声か、里美の声か。誰の声なのかよくわからなかった。でも、さやちゃんって呼ぶってことは春ちゃんかな…。私の思考はやけに冷静だった。もうどうしようもないから。トラックが至近距離にあって、それはもう私にぶつかってくるだろう、避けられないだろう。その光景がやけにゆっくりに見えた。その時、何かが私の背中を押して、私は前に飛ぶように倒れた。直後にドンッと言う音が真後ろから聞こえて我に返る。私の体はどこも痛くなかった。生きてる。助かった。誰かが私を救ってくれたのだ。誰が?その人はどこ?ゆっくりと後ろをむいた。トラックの車体が、まず目に入った。次に、鮮やかな赤色。
「お姉ちゃん!!お姉ちゃん!!」
甲高い里美の声が響き渡っていた。
春ちゃんが死んだ。私を庇ったせいで死んだ。
葬式で、里美は私を責めた。「さーやのせいだよ!全部全部さーやが悪いんだよ!だってさーやがいなかったら、お姉ちゃんだって…お姉ちゃんだって…。」里美の両親が必死に宥めていたけれど、里美の本音が変わることはないし、私のせいで春ちゃんが死んだと言う事実も事実としてそこにあり続けるのだ。
「ごめんね。」葬式の後で私は里美にぽつりと告げた。それはきっと、里美にとってはあまりに軽く、あまりに足りない謝罪だっただろうと思う。里美は俯いたまま言った。
「さーやのことなんて嫌いっ…。大嫌い、この世で1番嫌い。さーやのせいだよ!!」
頭も舌も回らないまま、怒りと悲しみに任せて言葉を紡ぐ里美を見て、私まで涙が出てきた。頬をボロボロと伝っているのがわかった。鋭い瞳で顔を上げた里美が、私の涙ではっと目を見開く。眉を歪ませ、下唇を噛む。私は自身の手を、爪が食い込むほど強く握りしめた。痛いとか、そんなのは今、大事じゃなかった。
「さーやが悪いから…全部…さーやがぁ…。」わーっと、2人で声を上げて泣いた。それは傷の舐め合いじゃなくて、春ちゃんの死を純粋に悼んでいるわけでもなくて、友情を深めるためのものでもなかった。ただの醜い、責任の押し付け合いだったのかも知れなかった。でもそれが、今の私たちには必要だったんだ。
責任の押し付けウンタラカンタラの部分だけすき
冷めた視線はでもちょっとぬるい
まえがきわに
2025/09/18
「私にばっかり押し付けないでって言ってるじゃん!」
捺実が叫んだ。班活動で調べたことを、クラスメイトの前で発表する時間のことだった。うちの班の発表はぐだぐだで、席に戻りながら「ダメダメだったね。」と小さく笑い合っていた。捺実の大声に、クラスが水を打ったように静まり返った。そのあと一気にざわつき、クラスメイトの声で溢れかえる。「え、なになに?」「やば!キレてんじゃん。」いつもおとなしい捺実の大声は、クラスのみんなに大きな衝撃を与えたようだった。
「え、どうしたの、捺実?」捺実の幼馴染である遙が、動揺した様子で訊ねる。捺実はくちびるを震わせながらこぶしを握りしめた。「みんな何もしなかったじゃん。私が全部1人で調べてまとめたのに、なんで文句ばかり言うの。」私は何も言い返せなかった。私だけじゃなくて、班の全員が気まずそうに黙り込んでいた。全員、捺実に任せておけば大丈夫だろうと思って、何もしていなかった。捺実も「わかった、やっておくね。」と笑っていたし、不満を言われることもなかった。捺実はいつもそうだった。大人しくて優秀で優しくて、弱音を吐かない。だから強い人間なんだと思い込んでいたけれど、そうではないのかもしれなかった。「ごめん…。」班の誰かが言った。誰の声なのかはわからなかった。私の心がそんなことを判断する余裕もなかったからだろう。みんなの視線が痛かった。みんなに悪者だと認識されることへの恐怖とか、みんなの前で告発まがいのことをした捺実への苛立ちとか、罪悪感とか、焦りとか、そういうの全部が私の喉を締め付け、言葉を出せなくした。
捺実は深く息を吸って、班の全員を1人ずつ見つめたあと、心底軽蔑したような瞳で言った。「もういい。」そして踵を返すと、教室を出て行った。クラスメイトがまたざわついた。本来は事態を収めるべきなのにずっとあわあわと戸惑っていた担任が、捺実を追いかけていった。体から一気に力が抜け、私は自分の席に座った。私を責める捺実も、叱るであろう先生もいなくなったことに安心していた。「俺は謝ったのに…。」班の男子が、椅子に腰を下ろしながら小声で呟いていた。先ほど謝罪していたのは彼だったのだと理解した。私も謝っておくべきだったと思った。例え捺実の心に届かないような表面上だけの謝罪でも、謝ったという事実があれば、それだけで良いから。
Σ੧(❛□❛✿)←使ってる人あまりみない
見えない人は山吹とノート。音楽室はない。
2025/09/23 見えない人は山吹とノート。音楽室はない。
今日は朝から、僕にしか見えない人と喧嘩してきたから、ちょっと遅刻した。どうして遅刻したんだと理由を求める先生に正直に話したら、先生は押し黙った。その後、敬語を使えと怒鳴られた。
後ろのドアから教室に入ると、クラスメイトが一斉に僕の方を見た。そして何も言わずにまた前を向いた。僕にしか見えない人が、僕の席の椅子を引いた。僕は座った。なんだか冷たかったので、誰かがさっきまで座ってたんだと思う。僕は声を張り上げた。「ここに座ってたの、だれ!。」クラスメイトは答えなかった。僕は山吹のノートを取り出した。適当なページを開いて鉛筆を握った。僕は絵が上手だ。だから僕は絵を描いた。僕にしか見えない人の絵。仲直りの証として、上手く描けたらプレゼントしようと気合いを入れていた。でも、全く違う人の絵になっちゃった。それはそれで上手だったので、僕はそのページをちぎって席をたった。黒板に貼り付けた。先生が教室に入ってきた。先生は僕の描いた絵を見て、上手だと言った。続けてだれを描いたんだと問うた。僕は知らない人だと答えた。
そういえば、この先生は音楽の先生だ。今から音楽の授業が始まるのだ。僕は何も準備をしていなかった。自分の席に戻って、前に座ってる子に声をかけた。「今日、何使うの。」前の子はリコーダーだと教えてくれた。僕はそれを持ってきていなかったので、前の子に頼んだ。「リコーダー、貸して。」前の子は自分も使うからダメだと首を横に振った。僕は僕にしか見えない人に言った。リコーダー貸して。僕にしか見えない人は、僕にしか見えないリコーダーを取り出した。その時にちょうどチャイムが鳴って、授業が始まった。授業で、僕にしか見えないリコーダーを使っていると、先生に注意された。「リコーダーはどうしたの。」このリコーダーは僕にしか見えないから、意味がないよと、僕は僕にしか見えない人に文句を言った。きっと、朝の喧嘩をまだ根に持っているんだな。
教室のドアが開いた。隣の教室の先生が入ってきて、音楽の先生に言った。
「なぜ音楽室で授業をしない?隣のクラスにまで聞こえてきて、生徒が授業に集中できない。迷惑だ。」
音楽の先生は、この学校には音楽室というものがないのだと声を立てて笑った。僕もそれを見たら口元がムズムズしてきて、同じように声を立てて笑った。隣の教室の先生はプンスカしながら帰って行った。音楽の先生は、歌を歌い始めた。オペラみたいな重い歌声が教室を漂った。僕はそれを捕まえようと思ったが、虫取り網がなかったので、諦めた。虫取り網で捕まえられたとしても、虫籠もないのでどうしようもできない。音楽の先生が歌声を喉にしまった時、チャイムが鳴った。授業が終わった。音楽の先生は教室を出て行った。
僕にしか見えない人が、僕にしか見えない虫取り網を渡してきた。もう遅いよ。やっぱり、まだ朝の喧嘩のことを根に持っているの?
僕は山吹のノートを開いた。ちぎったところがギザギザになっていた。黒板に貼り付けていたはずのノートのページは、いつの間にかなくなっていた。誰かが持って行ったんだなと思った。
かわいいこ
2025/11/28 かわいいこ
うわー、かわいいな。初めて彼女を見た時、心の底からそう思った。曲線を描く輪郭と小さなくちびるはそれだけで愛らしさを出し、低い位置で結ばれた髪の毛は少しうねっていて、ブレザーのせいで角張っている肩はそれでも華奢で、膝下の長さのスカートから覗く足は意外に日に焼けていた。私には彼女はあまりにも魅力的に映った。しかし一般的に、彼女は特別可愛らしくはないようだった。友人にそれとなく訊いた時、返ってきた言葉は「えー福井さんっしょ? まー普通じゃね。 あんま目立ってないしよく知らね。」である。世の中見る目がないもんだなと思う。と同時に、見る目がなくて良かったとも思う。他の誰かに彼女の魅力を理解され、彼女が人気者になるなんてことはあってはならないのだ。彼女は自分が魅力的だと気づいていないから魅力的なのだ。一生かわいいと持て囃されずに無自覚に生きて、それなりに不幸な人生を歩み、81とかで死ねばいい。そーゆーのが、私は好き。
「そういう」より「そうゆう」より「そーゆー」
無題833
いじめ表現あり。フィクション。
パスワードヒント(自分用):欲しいもの
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いもうと
駄
2025/12/18 いもうと
妹が生まれた。お母さんは愛おしそうな目で生まれたばかりの妹を見る。壊れ物を扱うような手つきで抱く。私はそれが嫌い。お母さんだけじゃない、お父さんも妹に目をやるの。私のことなんてどうでもいいのかなって思う。もちろんそんなことはないんだろうし、誰も悪くないけど、けど、私は私から両親の視線を奪った妹が、ほんの少し嫌い。
「ただいまー」玄関のドアを開け、私は声を張り上げた。靴を脱いでランドセルをほとんど落とすみたいにして降ろす。「外さむかったあ。雪、降ってるよ」返事はない。お母さんと妹は、もしかしたら買い物に行ってるのかも知れない。ランドセルを引きずりながらリビングの方に行った。「おかあさ…」言いかけて、お母さんが床で寝ていることに気づいた。横には妹もいて、やっぱり寝ているので、たぶん妹を寝かしつける時に一緒に寝ちゃったんだろう。ちょっとつまんない気持ちになりながら、でも無理に起こしちゃいけないことはわかっているので、私は自分で自分のおやつを用意することにした。もう背伸びしないでも届く冷蔵庫を開け、プリンを一つとる。あと、スプーン。静かなリビングで食べてもあんまり美味しくなかった。
数分で食べ終え、暇になった私は、妹の顔を覗き込んだ。寝ている妹は、小さくて暖かそうでふやふやしていて、簡単に壊れてしまいそうだと思った。ちょっと興味が湧いた。憎いとまではいかないけど、ちょっとの怒りを込めてツンツンして、ちょっと仕返しみたいなことをしてやりたくなった。頬に触れた。柔らかい。簡単に形が変わる、マシュマロみたいだ。この鼻をつまんだらこの子は息ができなくなるんだろうなとか、息ができなくなったら、この子は死んじゃうなとか、頬をふにふにしながら考える。私は簡単にこの子を殺せてしまうのに、お母さんは全然私のことを警戒していないことに、変な罪悪感を抱く。私はこの子を簡単に殺せてしまうことに、恐怖も抱くの。
あんまり美味しくなかったプリンのカラメルが、喉の奥で甘味と苦味を増して気持ち悪い。甘いのに気持ち悪いなんて、初めてだ。私は自分の手を妹から離して、キッチンに走った。蛇口を捻ると水が勢いよく出てくる。手を洗う。石鹸を使って、何度も、念入りに、洗う。
作
何が澱む
メリークリスマス🎅
2025/12/25 何が澱む
今日は雪が降っていた。私がコンビニで弁当を買って家に帰っている時、元クラスメイトに会った。
「奈那?」セーラー服に身を包み、暖色のマフラーに顔を埋めた竹口は、私を見て驚いたような声を上げた。無視して通り過ぎることもできず、私は視線を曖昧に動かしたまま口を開いた。「…ひさしぶり。」竹口は口角をあげ、久しぶりだねと言った。1年前よりも可愛らしくなっている気がした。
まだ11時半なのに竹口が外にいるということは、今日は中学校は半日だったのか。焦りのような、嫌悪のような、後ろめたさのような、よくわからない感情の中で考えていると、竹口は口を開いた。
「奈那が学校に来なくなって、もう、1年とか? ほんと久しぶりだね。」少しどきりとしながら、小さく頷いた。それで終わり。沈黙が場を支配する。コンビニの袋が手から落ちそうになったので持ち直す。寒いはずなのに手には汗が滲んでいた。この場から早く離れたいと思ってはいるが、それを言えるわけもなく、私はマスクの下で口をもごもごと動かした。「元気? マスクしてるけど…。」不意に問われ、ほとんど反射のように視線を竹口にやった。目が合う。「元気…マスクは、インフル予防で。」竹口は柔らかく笑った。可愛いというより、綺麗で大人びていた。たぶん、竹口は成長していた。身長も高くなっているし、髪型も、ボブだったのが低い位置でのポニーテールになっている。目の奥に何があるのかわからないのも、成長なのかもしれなかった。
「そっか、元気なら、よかった。」私はなぜ竹口はそんなふうに笑い、そんなことを言えるのか、理解ができなかった。
雪が降っていた。私の肩に落ちてきてすぐに溶ける。コンビニ弁当も冷えてしまう。まあそれは、家に帰ってチンすればいいだけなのだけど。
口を開いて声を出しかけて、やめた。私が不登校になったのは、竹口が原因だよと、そんなことを言ってもどうにもならない。
「じゃあね。」竹口は私に手を振って歩いて行った。私も歩き出す。竹口の足跡が積もった雪に残っているのが視界に入り、私はそれを、足跡とは逆向きに踏みつけていった。喉の奥に酸っぱい塊が迫り上がってきて気持ち悪い。竹口のそれをどれだけ踏みにじっても、惨めなのは変わらない。
クリスマスだから雪よ。
微熱の日
2026/01/01 微熱の日
ピピッ。体温計の電子音が、耳の奥に鋭く響いた。37度4分。熱ではない。けれど、健康というわけでもない。私はため息をつきながら体温計をしまい、パジャマを脱いでシャツに着替えた。今日も学校に行く。
「体温、どうだった?」
母がキッチンで洗い物をしながら訊いてきた。私は少し、嘘をつく。「平熱だったよ。」なんとなくのだるさを感じながら制服に腕を通した。
駅に向かって歩いた。冬の風が私の頬をかすめた。冷たくて、痛い。くちびるがカサついていることに気づいて、リップクリームを塗れば良かったと後悔をする。
そういえば今日、朝ごはん食べなかったな。じゃあ、お母さんはあの時、何を洗ってたんだろう。数秒歩きながら考えたが、微熱のせいかうまく頭が回らない。それより、朝ごはんを食べなかったことで血糖値が下がってしまうことの方が問題だ。もうすぐコンビニがあるので、そこで何か買おうか。あと、リップクリームも…通学カバンのポケットに常に入れてこう。
角を曲がると、目当てのコンビニがあった。駐車場に車はあまり止まっていなかった。中に入って、飴とリップクリームを手に取った。本当はパンでも買いたかったけど、電車の中で食べるのはマナー違反だから、口の中で飴を転がして耐えるつもりだ。通学カバンから財布を取り出し、会計をする。
外に出て、さっそく口に飴を放り込んだ。甘いイチゴ味。何味かなんて考えずに購入したから、急に舌の上に広がった甘さに驚く。
白い息を吐きながら数分歩けば、見慣れた灰色の駅舎が見えてきた。自動ドアを抜けた。パスケースを改札機にかざすと、ピッという音がして、プラスチックの扉が開く。今朝聞いたばかりの体温計に似た音だと思った。そのまま、ホームへ続く階段を上がっていく。無機質で冷たい壁が、私はあまり好きではない。
階段を上がりきり、列の最後尾について電車を待つ。列に並んでいる私以外の人は全員スマホを見ていて、そんなのもはや当たり前の風景だけど、ちょっと怖い。口の中で、もうほとんど溶けている飴を噛み砕き、新しい飴をとった。包装紙を開けて口に入れる。さっきはイチゴ味だったけど、これはレモン味だ。まあまあ美味しいし、駅のホームで血糖値が下がってふらつくのが1番怖いから、これは保険みたいなものだ。
電車の音がした。地鳴りのような低い音だ。地面のコンクリートがわずかに震えている。列に並んでいた人たちが顔を上げ、それぞれポケットやカバンにスマホをしまう。電車が速度を落としながらやってくる。キィィィという甲高い音が、私の頭の中に何重にもなって響いた。風が思い切り吹き込んできて、私の髪とスカートを揺らした。
空気の抜ける音がして、電車は完全に止まった。開いたドアの向こうから、生暖かい空気が漏れ出してきた。降りてくる人はあまりいなかった。列が動き出す。電車に入って、中を見回す。空いている席は今日もない。朝の電車は満員だ。吊り革につかまり、電車が動き出すのをじっと待つ。
さっき噛み砕いて飲み込んだイチゴ味が喉の奥で、いま舐めているレモン味が舌の上で、それぞれ味を主張していた。
目が覚めた。口の中の甘い味は無くなっていて、代わりに粘り気のある唾が歯にまとわりついていた。今のはどうやら、夢らしかった。
私はベッドから体を起こした。やけにだるく感じた。もしかしたら、微熱があるのかもしれない。
味の上書き
タイトルださ
2026/01/02
ぶすじゃん。
田山くんの好きな人を初めて見た時、そう思った。あくまで見たのは遠目からだから、近くで見たら美人なのかもしれないけど、その可能性は限りなく低そうだった。
あの子、名前は確か篠原だったか。篠原さんより、わたしの方がずっと綺麗だ。スタイルもわたしの勝ち。外見に注いでいる時間も熱量も、多分、わたしが上。声も__あの子の声は聞こえないけど__わたしの声がきもいわけじゃない。そもそも、わたしには特別な欠点はない。あの子には少なくとも、顔っていうどうしようもないような欠点があるのに。それなのに、田山くんはわたしではなくあの子を好きになったらしい。わたしは、自分の好きな人の思考回路が、急にわからなくなってしまった。
あの子のどんなところに惹かれたのだろう?確かに、あの子は人気そうだけど、今も友達と笑い合ってるけど、それは恋愛的にモテてるわけではないだろう。友達として、一緒にいて居心地がいいとか、そういうものなのではないか。だっていくら性格が良くったって、あの顔じゃ、男子の恋愛対象になるのはなかなか難しそうだ。
わたしは下唇を軽く噛みながら、自分の教室に戻った。
昼休み、わたしは友人に訊ねた。
「ねえ。隣のクラスの、篠原さんって知ってる?あの、ツインテールで身長が低い、あの子。」
知ってるよ、という返事は正直あまり期待していなかった。友人は可愛い方だけど、外交的なタイプではないからだ。しかし返ってきたのは意外な言葉だった。
「あ、けっこう話すよ。1年の時、同じクラスだったから。友達。」
「…ふーん。どんな子?」卵焼きをお箸でつまんで、口に運ぶ。わたしの家の卵焼きはちょっとしょっぱい。甘い方が、わたしは好き。
友人は楽しげな口調で言った。「優しいし、良い子。意外とノリいいしね。」わたしの眉がぴくりと動いたのがわかった。でも、ぶすじゃん。内心で反論した。誰にも言わないけれど。友人は続けた。「まあまあモテるらしいし。今彼氏とかいるのかな?てか、ゆみはなんで気になるの?」
わたしはその問いには答えず、ミートボールを口に放り込んだ。卵焼きのしょっぱさと、ミートボールの甘辛さが混ざって、独特な味が広がった。
「わたし、田山くんが好きなの。」唐突に暴露すると、友人は目を輝かせた。女子は恋愛話が大好きだ。
「へー、お似合いじゃん、2人。美男美女。」さっきのあの子の話なんてどこかに行って、わたしと田山くんが褒められてることに、優越感を抱いた。だよねだよねと思い切り乗っかりたい気持ちを抑えて、控えめに口角を上げてみせる。「告白しようか悩んでるの。」友人は、絶対成功するって、と根拠のあるようなないようなことを口にした。
田山くんにわたし以外の好きな人がいることなんて、そしてそれがぶさいくなあの子だなんて、考えもしていないみたいだった。
うん。そうだよね。わたしはミートボールをもうひとつ食べた。卵焼きの味なんてすぐ消えて、甘辛さだけが残った。
(><)
通学路
2026/01/05 通学路
電車に乗り込んだ。席は空いてない。まあ朝の満員電車なんだから当たり前だ。吊り革につかまりぼうっと外の景色を眺める。なかなか動き出さない電車、変わらない景色、ほんの10秒程度で飽きて視線を少し下に落とす。前の人のカバンにキーホルダーが揺れている。知ってるキャラクターだった。何年か前に流行ったやつ。名前は知らない。3文字だったという記憶はある。最近はもう全然みないし。電車が動き出した。体が横に揺れないよう足にグッと力を入れて立つ。これが地味にキツくて、席に座れている人が羨ましくなる。体の前で抱えるようにしている通学リュックが重い。中には教科書やら参考書やら辞書やらが入っている。学校のロッカーに置いておくこともできるけど、家で勉強するわけだから、持ち運ぶしかない。
目的の駅で降りた。学校に向かう。学校に近づくにつれて同じ制服の人が増えてきてなんだか愉快な気分になった。校門をくぐり校舎に足を踏み入れ、下駄箱で靴を履き替える。私の教室は1階にあるので少し廊下を歩けばすぐに教室に着く。自分の席に座ると、前の席の友人と、自然と会話が始まる。
「今日、メガネ忘れて、黒板何も見えないんだけど。」「えーどうすんの。」「ノート見せてくんね。」「えー。まあ考えておく。てか、さっき電車で、なんか結構前に流行ったキーホルダーつけてる人みたんだよね。」「ふーん。ノート頼むよ。」「でさーずっと思い出せなくて、あれ、なんて言うキャラなんだろ。」「その情報だけで私がわかるわけなくね。」「3文字だった気がするんだけどな。」「名前が?」「うん。」「調べれば?」「なんて調べたら出てくるんかわからんもん。」「3文字の名前、何年か前にはやったキャラ、あと、見た目で調べたらいけるでしょ。」「見た目ー、なんか、クマみたいな、ウサギみたいな、それともゾウなんかな。水色ってことしかわからなかったし。」「水色のクマとウサギなんていないから、ゾウでしょ。」「でも1番最初に思ったのはクマなんだよね。」「てか、この教室さむくね?」「暖房ついてるけど、窓開けてるし意味ないよね。」「閉めたいけど閉めちゃだめなんだっけ?」「そう、きついよねー。」取り止めもない会話。
お昼休み。私は購買に向かった。購買は、私がどれだけ早く来れたと思っても、もう生徒で溢れている。どんなスピードで買いに来ている人がいるのか、いつも不思議だ。1番人気の焼きそばパンはとっくに売り切れで、私はメロンパンとカレーパンを買って教室に戻った。先にお弁当を食べ始めている友人の席に、自分の椅子を持って行って座る。カレーパンにかぶりついた。咀嚼し、飲み込んだ後、口を開く。「休み時間にあのキャラのこと、調べたんだけど、出てこなかった。」「キャラ?」「言ったやん、電車で前の人がキーホルダーつけてて、そのキャラが思い出せないみたいなこと。」「あー思い出した思い出した。私は黒板見えないことのが重大だったからさ。」「ノート見せてあげたでしょ。」「まあね。でも授業中に当てられたら答えられないし。」「で、そのキャラがさ、出てこなかったんだよね。」「いまさっき聞いたって。」「あんたもなんか調べてよ。」「いや、私はそのキーホルダー見てないし、共通認識がないじゃん。」「それは確かにその通りなんだけど。」カレーパンを食べ終えた。メロンパンの袋を開ける。甘い匂いが私の鼻をくすぐってきた。
放課後、私は電車に揺られていた。午後4時の電車は朝と比べてあまり人が多くないので、今日みたいに席に座れることもある。通学カバンからスマホを取り出し、検索アプリを開く。水色、クマ、キャラクター、1文字ずつ打ち込んで検索をかけてみる。フリー素材のイラストや、大して水色でないクマのキャラクターが出てきた。一応目を通したけれど、あのキーホルダーのキャラクターはやはりいなかった。やはりあれはクマではなく、ウサギかゾウだったのか。スマホを閉じて息を吐きながら顔を上げた。あのキャラクターが特別好きだったわけでも、思い入れがあるわけでもないし、絶対に名前を知りたいわけでもない。思い出せなくても問題はない。まあいっか、とスマホをカバンの奥に突っ込み、窓の外の景色を眺めた。夕焼けが綺麗だし、景色が動いているから、10秒程度で飽きることはなかった。電車の心地よい揺れが私の眠気を誘ってきた。寝たら起きれなくなるから、寝ないけど。
ほうきと熱
2026/01/10 ほうきと熱
あ、と思った時には、遅かった。私たち以外誰もいない音楽室の空気は、ひどく凍りついていた。目の前に立つマドノさんの顔からは、先ほどまでの薄い笑顔は消え、代わりに驚いたような焦ったような表情が浮かんでいた。
「何、怒ってんの。」マドノさんは眉を歪め口角を上げた。私の先ほどの大声を中途半端な笑いに変えることで取り繕い、表面だけでも整えたがっているのがわかった。私の首に、熱が集中している。熱い。私はほうきの柄を握りしめた。手のひらの汗のせいで少し滑った。「私、そのキャラ、好き。」先ほどの雑談でマドノさんに子供っぽいし可愛くないと笑われていたキャラクター。私の通学カバンにもそのキャラのキーホルダーが揺れていて、マドノさんは多分、続けて「でもゆうかはカバンにつけてるよねー、謎すぎ!」とか言うつもりだったんだろうと想像する。
私は俯いてほうきを動かした。首の熱さが顔にまで上ってくる。心臓が、耳の奥でどくどくと鳴っている。私の顔は真っ赤だろう、いつもだったらそれが面白いなんて笑われてたはずだ。けど今は笑われない。廊下から別のクラスの子達の笑い声が聞こえてくる。
マドノさんが大きく息を吸った。私は顔は上げないまま、視線だけをそちらに動かしたが、制服の襟までしか見えなかった。「ば、…は?…急にこわ…きもいし。」マドノさんは変に震えた声で言って、私と同じようにほうきを動かした。せっかく吸った息を、怒声ではなく細く長いため息として外に出していた。ぶつぶつと何か呟いているけど、私が聞き取れるような声量ではなかった。私の悪口か、文句か、内容がほんの少し気になったけど、知らなくても良いはずと思い直す。
音楽室にゴミはほとんど落ちていなかった。私たちは今までにないくらい、静かにひたすらほうきを掃いたけど、ちりとりに集まったのはゴミとも言えないゴミだった。マドノさんはゴミ箱にそれを捨てた。掃除の時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響き、私たちはロッカーにほうきとちりとりを片付けて、音楽室をでた。教室に戻っている時、マドノさんは私の三歩分ほど前を歩いていた。
ツミちゃん
パスワードあるよ。
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ヨーグルト!!!!!!
素敵なイナちゃん
水をかける描写があるけど、グロエロはないので
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可愛い名前シリーズ。イナちゃん。ツミちゃん。
あと、飯田さんって苗字の子どっかで出したいな。いつか出す。
嘘と熱、毒
まえがきわに
2026/01/22 嘘と熱、毒
朝。通学路を歩いていると地面に赤く鈍く輝く何かを見つけた。なんだろう。駆け寄ろうとしたが通学リュックが重くて走るのはしんどいから早歩き。歩道の端っこに落ちているそれは、おそらくピアスだった。触っても大丈夫そうだったから、あたしはしゃがみ手を伸ばした。小さくて硬くて、太陽光でキラキラと輝いていて美しい。あたりを顔をあげあたりを見回し持ち主を探そうとしたが、誰もいない。とはいえ交番に行って届けるのも、時間が厳しくて無理そうだった。とりあえずあたしが回収して学校が終わったら交番に届けようか。でも持ち主はピアスを無くしたことに気づいたらまず来た道を戻るよね。じゃあ、ここに置いておく方がいいのか。だけどそれはちょっと罪悪感がある。それに踏まれたらかわいそうだ。道の端にでも移しといたらいいかなって、それじゃ余計に持ち主が見つけにくくなるだけだろう。結局あたしは、学校が終わったら交番に届けようと思い、赤いピアスをスカートのポケットに突っ込んだ。小さいから、そのまま忘れてしまいそう。メモしなきゃと思いつつ、ペンはリュックの中だし、スマホも持っていない。頭の中でピアス、ピアス、ピアス、と繰り返しながら立ち上がり学校の方に急ぐ。
学校。休み時間、あたしは次の授業の教科書をとりに、廊下にあるロッカーに行った。スカートのポケットには、まだちゃんとピアスがある。
自分のロッカーから教科書を取り出して、教室に戻ろうとした時、視界の端に黒い服が映った。顔を動かしたら、隣のクラスから男子生徒が出てきて、地面やロッカーの上をキョロキョロと見渡していた。果ては、窓の枠まで。明らかに何かを探している様子だったので、窓枠を熱心に見つめている彼に、あたしは声をかけた。
「何、探してるの」彼は一瞬こちらをみて、またすぐ視線を戻して、答えた。
「ピアス。片方だけ。おれのじゃない」
その言葉に、どきりとした。スカートの中の赤が、主張し始めた気がした。「なんで?」少し困惑しながら、訊ねた。
うちの学校はピアスが禁止されているし、つけてくる生徒もまあいない。まだ、中学生だし。それに、つけてくるにしても、あたしの持ってる赤いようなやつは派手すぎる。耳につけていたらすぐに先生にバレてしまうだろう。だからきっと、これは彼が探しているものじゃない。そんな思考を巡らせる。
「なんで、ってなに?落としたからだけど」
「…じゃ、どんなの。見た目。何色」
「赤いやつ」
答え合わせみたいなものだった。あたしは頭に、毒みたいに鮮やかなあの赤を思い浮かべた。じわじわと、ポケットの赤が、熱くなっていく。ここでこれを出して、素直に「朝拾った」と言えばいい。
でもあたしには、それがなんだかとても難しいことに思えてしまった。今言うべきだと理解していても、手はポケットに伸びていかない。ただ、教科書の端をいじるだけだ。
「なんでいるの、あんたは」
彼に訝しげに問われて、あたしは焦った。焦った末、答えた。
「あたしも探してあげようと、思って。」
ああ、もう、ポケットからピアスを取り出して渡すことはできない。余計な嘘をついてしまったことを、すぐに後悔する。だがその嘘で心がどうしてか軽くなっていることも、事実だった。
彼は、あたしの言葉に驚いたように目を見開いた。好きにすればと小さく言い、別のところを探し始める。その態度に少しムカついたが、あたしは頷きだけを残し、教室に戻った。自分の机の上に教科書を置いた後、また廊下に出て、ピアスを探す。
しかしもちろん、あるわけがないのだ。あたしが持っているのだから。探すふりを20秒ほどして、あたしはふと疑問が浮かび、廊下の奥の方にいる彼に駆け寄りながら訊ねた。
「ねえ、ピアスって、誰のなの?その人はなんで、学校にピアスなんか持ってきてるのよ」
彼は顔をしかめながらあたしに向けた。ずっと思っていたけど、愛想がまるでない。普通の男子中学生って、こういうものなのだろうか。
「山下夏美」
呟くように言われた。知らない人だった。その山下さんがなぜ学校にピアスを持ってきているのかは、教えてもらえなかった。あたしは追求せず、ただ、山下さんは自分が無くしたピアスを他人に探してもらっているのか、と思った。
「てか、名前なに?あなたの名前」続けて問うた。
「は、知らなかったの?」「うん」
彼は視線を下に落としながら答えた。「佐田だけど」ふーん。あたしは身を翻し、廊下の端から端まで探しながら、自分の教室に戻った。次の授業がそろそろ始まる。
昼休み。友達とご飯を食べる。ポケットにはやっぱり、赤いピアスが入っている。
あたしはシャケを咀嚼し飲み込んだ後、口を開いた。「隣のクラス…か、わかんないけど、山下夏美って子、知ってる?」
友達は白米をお箸でつまみながら首を傾げた。数秒考えるような沈黙が落ちて、友達はあ、と声をあげる。
「知ってる。あんまり学校、来てないらしいけど。」
「え、なんで」
「え、知らないけど」
「そりゃそうか」
白米を食べる。シャケと一緒に食べた方が美味しいなと、咀嚼しながら思う。白米は甘いってよく言うけど、まあ確かに甘いけど、白米だけで美味しいと思えるほど、あたしの味覚は発達していないようだ。
昼食を食べ終え、あたしは廊下に出た。5時間目の教科書を取りに行くという目的もあるが、それより、佐田がまだ探しているのか気になったからだ。ロッカーから教科書を取って、彼の姿を探す。しかし廊下に彼はいなかった。流石に教室で友達と遊んでいるか、あるいは、廊下ではない別のところを探しているのか。あたしは無性に気になって、階段のほうまで歩いて行った。
彼はいた。階段の隅から手すりまで、視線をゆっくりと動かし探している様子だった。まだ、探しているのか、まだ見つかっていないのか。まあ見つかっていないのは当たり前だ。もう諦めてしまえばいいのにと、罪悪感を抱きながらポケットに手を入れてみる。このピアスを適当な場所に落として、さも今見つけたかのように「あった!」と彼に差し出してみようか。だけど、彼の探しようならこんな鈍く輝くピアスを見落とすわけはないし、あたしは演技が苦手だから、疑われるかもしれない。
あたしは結局、赤はそのままでポケットから手を出した。教室に戻るか、佐田に声をかけるか迷っていると、階段を探していた彼が顔を上げた。こちらを見た。目が合う。
「何?」
彼に問われ、あたしは慌てて、首を横に振る。何に対しての否定かはよくわからないけど。焦っていることを誤魔化したくて、口を開いた。
「て、ていうか、案外交番に届いてるんじゃないの?学校で落としてたら、目立つから誰かが拾って職員室に届けるじゃん、そしたらタブレットに落とし物の連絡とか、くるし、来てないってことは、外なんじゃないの」
唐突に早口で捲し立てられた彼は、ギョッとした表情を浮かべ、次に不機嫌そうに眉をしかめた。「もう行った。昨日行った」
「あ、そう」気まずい沈黙が落ちる。あたしはそれに耐えられなくなって、くるりと体を動かして、教室に歩いた。背中に彼の鋭い視線が向けられている気がして落ち着かなかった。けれど、ちらりと後ろを見てみれば彼は普通に探していて、あたしの自意識過剰だったことを知る。朝「あたしも探してあげる」なんて言っちゃったけど、全然探していないなとふと思う。だってあたしは、どれだけ探しても見つからないことを理解しているから。彼にとっては、嘘をついたやつでしかないんだろうけど。
放課後。あたしはいつもと違う道を歩いていた。交番に向かっているのだ。交番があるのは知ってるけど、落とし物を拾うことも、迷子になることもそうないので、あたしの記憶が間違っていなければ交番に行くのは人生で初めてだ。
交番に入ると、お巡りさんがデスクに座っていて、少し緊張した。ポケットから赤いピアスを取り出しながらあたしは声を出した。
お巡りさんの反応は驚くほど淡白で事務的だった。それが普通なんだろうけど、あたしの緊張はなんだったんだろうなんて思った。どこでいつ拾ったのか、謝礼をもらうかとか、持ち主が現れなかったらとか、そんなことを訊かれた。謝礼や所有権は正直よくわからなかったし、面倒くさそうだったので、大丈夫ですと答えた。ピアスで謝礼をもらっても、ちょっと恥ずかしいし。
あたしのポケットの中でずっと存在を主張していた赤いピアスは、お巡りさんの手によって無造作に袋に入れられていた。それが、よくわかんないけどズレてて、よくわかんないけど、目が離せなかった。
交番を出て、あたしはあまり歩いたことのない道で家に帰っていた。家が立ち並んでいる住宅街に入った。ここを曲がって、しばらく歩いたら、いつもの通学路に戻れるはずだ。あってるよね?足元にあった石を蹴りながら考えて、角を曲がる。すると、誰かの話し声が聞こえてきた。内容まではわからない。あたしが顔をあげると、前の方に人の姿があった。見慣れた制服を着ている。
佐田だ。
気づいて、心臓が跳ねた。彼は一軒の家の前に立っていて、誰かと話している。普通に考えて、その家の住人だろう。髪が長くて背が低くて、だから多分、女子だ。佐田が通学リュックから赤いファイルを取り出し、その子に渡す。また何か話す。
あたしは自然と止まっていた足を動かした。少しずつ彼らとの距離が縮まっていく。会話の内容が聞き取れるほど。
「__ピアス、探したけど見つからなかった」
「そっか」
あたしは息を呑んだ。でも、歩みは止めなかった。
佐田があたしの足音に気づいたようで、こちらに顔を動かした。その瞳が見開かれる。あたしは別に、悪いことをしているわけじゃない。わかってはいる。けれどもあたしが会話の内容を聞いてしまったことは、あたし自身にとっても、彼らにとっても、良くなかったなと思った。
あたしは彼らと普通に会話ができる距離で立ち止まり、喉の奥に苦味が広がるような感覚になりながら、言葉を探した。
「いや、偶然だから」
出てきた言葉は、言い訳のようで、余計にあたしがなにか悪いことをしてるみたいになった。
佐田の横に立つ私服の女子があたしを不思議そうな表情で見つめていた。その耳に、ピアス穴は開いていなかった。あたしは彼女が誰なのか、全然知らない。けれど、先ほど少しだけ聞き取れた会話と、視界の端に映る表札の「山下」に、あたしはあの赤を握りしめたくなった。
今日、佐田に嘘をつく前に、さっさとピアスを渡していたら、遠回りしなくて済んだのに。こんな会話聞かなくてよかったのに。そもそも佐田たちもこんな会話はしなくて、あってよかった、で終わっていたのに。この気まずさや苦味とは、全く無関係だったのに。
佐田は目を細め、ああそう、とだけ答えた。あたしは曖昧に頷いて歩き出した。彼らの横を通り過ぎてすぐ、佐田という表札のかかった家を見つけた。
あたしはなんとなく、スカートのポケットに手を突っ込んだ。赤はもうない。熱は感じない。ただ、厳しい冬の寒さが、少しマシになるだけだった。
うける
傷と特別
⚠️傷
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