夜のどこかの街角で、ぽつんと光る自動販売機。
そこから落ちてくるのは、飲料ではない。小さな紙きれだ。
紙には、人々の小さな後悔や、言えなかった言葉が書かれているらしい。
――この物語は、そんな夜の小さな出来事の断片。
街の片隅で、静かに生まれる奇跡のような瞬間の物語だ。
短編です
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目次
深夜の自動販売機
深夜二時。
街は静まり返り、風の音だけが耳に届く。
どうしてここに来たのか、正直わからない。
家から歩いてきたはずなのに途中の道順は曖昧で、どこを通ったのか思い出せない。
ただひとつ、確かなものがある。目の前の自販機だ。
赤と白のネオンが夜の闇にぽつんと浮かんで、僕を呼んでいるように見える。
ふと手元の小銭を握り、無意識にボタンを押す。
ガコン
硬貨が吸い込まれ、振動が手に伝わる。
落ちてきたのは缶ではなく、小さく折りたたまれた紙。
開くと、一行だけ小さく文字が書かれていた。
『思い出さなければならない』
意味はわからない。
誰に向けた言葉なのかも、まったく見当がつかない。
でも胸の奥が、ちくりと痛む。
頭の中に微かな映像が流れ込む。
見知らぬ街角、知らない人々、聞いたことのない声。
まるで誰かの人生の一部を、そっと覗き込んでいるような気分になる。
怖くなって、逃げるようにその場を後にした。
けれど次の日も、またここに立っていた。
道順はやっぱり曖昧で、歩いてきた感覚もほとんどない。寒さも疲れも感じない。
胸の奥で、あの紙の声が繰り返す。
『思い出さなければならない』
気づけば、毎晩ここに来ている。
ボタンを押すたび、紙が落ちてくるたびに、頭の中に小さな後悔の断片が流れ込む。
誰かの人生の一瞬、誰かの後悔、誰かの涙。そのどれもが、妙に生々しい。
ある夜、ふと気づく。
僕は、これを見ているだけなのか。
それとも、誰かのために立っているのか。
ガコン
微かに振動が手に伝わる。
その瞬間、遠くの街灯の向こうで、小さな声が聞こえた。
次に目を向けた先には、サラリーマンが夜道を歩いている。
鞄を抱え、疲れた顔で自販機の前に立ち止まる。
紙はすでに、彼の人生の一瞬を映し出そうとしていた。
その背中をじっと見つめる。胸の奥がちくりと痛んだ気がした。
「これが、今日の後悔か…」
そうして、次の夜も、またその次の夜もここに立ち続けることになる。