【シリーズ名】浅草灯火奇譚(あさくさとうかきたん)
「――三百五十四足す、六百七十二は」
最強の大隊長・新門紅丸と、彼をノールックで完封する幼馴染の消防官・冬灯灯(アカリ)のお話。
算術クイズで始まる朝、紺炉の名前を借りた不器用な嘘、そして浅草中を巻き込む伝説の逆ギレ告白まで。
破壊と構築、二人の「零(ゼロ)」から始まる全20話完結。
※先代大隊長・火鉢さんとの捏造過去エピソードを含みます。
続きを読む
閲覧設定
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
第一話:夜明けの算術と、空駆ける下駄
「――おい。三百五十四足す、六百七十二は」
まだ意識が微睡の淵を彷徨っているというのに、無情な数字の羅列が頭上から降ってくる。
冬灯 灯(ふゆともし アカリ)は、布団の中で「むにゃ……」と眉を寄せ、芋虫のように丸まった。
「……せん、に……じゅうろく……。正解、寝かせて、紅……」
「寝るんじゃねぇ。さっさと起きねぇと、朝飯のうどん、紺炉が『食べる』って言ってたぞ」
その声の主――第7特殊消防隊大隊長、新門 紅丸は、呆れたように灯の襟首を掴み上げた。
「……うそつき。紺炉さんは、そんなこと言わないもん……」
「チッ。いいから立て。ほら、襟が曲がってんぞ」
紅丸は舌打ちしながらも、手慣れた手つきで灯の防火服を整え始めた。
彼女が着ているのは、第7の男物で最小サイズの防火服だ。腕まくりをしてもまだ少し大きい。
紅丸は大きな手で彼女のベルトをぐいと締め直し、最後に襟元を叩いて整える。
幼い頃から続く、第7の日常。一等消防官としての威厳など、紅丸の前では霧散してしまう。
「……紅、苦しい」
「しゃっきりしねぇお前が悪い。今日は……そうだな、買い出しついでに『20分コース』だ」
その言葉に、灯の目がカッと見開かれた。
「20分!? 上等じゃない、今日は絶対に逃げ切ってやるんだから! ついでに魚政さんのところで干物、買ってきちゃうからね!」
言うが早いか、灯は寝起きのダルさを「脱力」で消し去り、窓から屋根へと跳ねた。
カラン、と下駄の音が一つ。
次の瞬間には、彼女の姿は浅草の屋根伝いに消えていた。着地音すらさせないその身軽さは、第7の中でも随一だ。
「……ったく、逃げ足だけは一丁前だ」
紅丸は口角をわずかに上げると、纏の代わりに指先を鳴らし灯を追う。
浅草の街を舞台にした、最強の男と「完封」を誇る女の鬼ごっこ。
その様子を、大隊本部の縁側で眺めていた相模屋 紺炉は、茶をすすりながら深くため息をついた。
「……『紺炉が食う』なんて一言も言ってねぇんだがなぁ、若」
🔚
第二話:最強の盾、あるいは浅草の姉貴分
「――逃がさねぇっつってんだろ、アカリッ!」
浅草の町を紅蓮の炎が切り裂く。
第7大隊長、新門 紅丸の放った一撃が、逃走中の灯の背中に迫った。だが、灯は振り返りもせず、空中に指先で円を描く。
「焔絵――『|墨衣《すみごろも》』」
黒い炎が膜のように広がり、紅丸の熱線を無造作に弾き飛ばした。
そのまま灯はくるりと空中で一回転し、魚政の店先にふわりと着地する。
「はい、干物二枚お買い上げ! 紅、今のはちょっと危なかったんじゃない?」
「……チッ、ノールックで防ぐんじゃねぇよ」
肩を並べて歩く二人の前に、唖然とした表情の集団が立ち尽くしていた。
青い発光ラインが特徴的な防火服――第8特殊消防隊の一行だ。
「……え、今、新門大隊長の攻撃を完全に防ぎましたよね?」
森羅日下部が、信じられないものを見る目で灯を凝視する。
第8の中隊長、火縄も眼鏡の奥で目を細めた。
「新門大隊長の攻撃を、あんなに軽々と……。彼女も第7の隊長格なのか?」
「あ? ああ、こいつは灯だ」
紅丸が面倒そうに紹介する。
「一等消防官だが、実力だけは小隊長クラス。……まぁ、中身はただの世話焼きおかんだ」
「おかんだなんて失礼ね! 初めまして、第8の皆さん。私は冬灯 灯。紅の幼馴染兼、お目付け役よ」
灯がにこりと笑うと、浅草の町人たちが次々と声をかけてくる。
「よっ、灯の姉貴! 今日も若と喧嘩か?」
「姉さん、こっちの火種もちょっと見てくれよ!」
「はいはい、後で行くから待っててね!」
甲斐甲斐しく応える灯の姿は、戦闘中の凛とした空気とは打って変わり、まさに「頼れる姉貴分」そのものだった。
「……アーサー、あの人……」
森羅がアーサーに声をかけアーサーが珍しく真剣な顔で呟く。
「あの『壁』……騎士王の俺でも、一筋縄ではいかぬほどの重圧を感じるぞ」
その時、灯が紅丸の襟元に手を伸ばした。
「紅、またベルトが緩んでる。大隊長なんだから、シャキッとしなさいよ」
「……うるせぇ。紺炉さんが、お前に任せるって言ってたんだよ」
また始まった、と紺炉が遠くで肩をすくめる。
第8の面々は、最強の男を子供のように扱う「浅草の灯火」の存在感に、ただただ圧倒されるばかりだった。
🔚