その街には、裁きを下す熾天使がいるらしい。
宵宮の家が代々守ってきた湖水の地に、招かれざる者がやってきた。
かの者の存在は、利となるか、害となるか。味方となるか、敵となるか。
今日も、彼らは見下ろしている。
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目次
Ep.1 始まりは初夏
湖水。日本のとある場所に位置する、豊かな街のことだ。
北は山、南は海に囲まれながらも、流通は盛んで、商業の街として知られている。
そんな湖水を代々守ってきたある一家が存在した。
それが宵宮家。江戸時代に藩主としてこの地にやってきたことをきっかけとし、戊辰戦争によって一度滅亡しかけるものの、明治時代から始まった海を使った流通によって任侠団体として復活。今は警察とも協力関係を築いた『特殊指定団体』として、湖水の商業の発展を担っている。
「そして今やその権威は他の都市にも影響を及ぼそうとしており・・・って聞いてるか|潮《うしお》!?」
「・・・聞いてる。うっさい」
加減を知らないバカでかボイスに眉をしかめる。机の上に頬図絵をついたまま前を見やると、あまり似合ってない黒髪のオールバックをテカテカと光らせた男が仁王立ちしていた。
「宵宮の方々は凄いんだぞ!未だ治安の悪い地域がある湖水を徹底的に警備してくださっていて、そのおかげで何人の人が救われたことか・・・!ああ、俺も宵宮組に入れたらいいのに!」
(・・・無理だろ)
|伊沢真人《いざわまさと》。夜にバイト先から家への近道だった路地裏を通って不良に絡まれたところを、宵宮の組員に助けてもらったらしい。それに影響されて、似合わないイメチェンして、必要以上に絡まれて、こっちは迷惑しているのだが。
「お前宵宮に居候してるんだろ?そういうのは詳しいんじゃねぇのか?」
・・・。
「少なくとも、宵宮は商業以外で他の地域に関わることはしてない。内部の治安も一定に維持できてないのに、外に手を出すとか馬鹿だろ」
「あー!そんなの言うなよ!夢がつぶれる!」
大声で転げまわる無様な姿を尻目に、窓の外を眺める。
窓際の一番後ろの席。一般には主人公席だとかヒロイン席だとか言われるここは案外快適だ。日の当たり具合も、風の通りもよく、昼寝に最適。遅刻してきてもあまり目につかない。
そよそよと流れる風がぬるく湿っていて、もうそんな季節かと緑に染まった桜の木を見つめる。
その時、机の横にかけた鞄の中からバイブ音が響き渡る。白いカバーをつけたスマホを取り出して、通話ボタンを押した。
「・・・何の用?|燈《あかり》」
〈お、やっほー潮!仕事だ!帰っといで〉
「・・・」
返事も返さずぶつ切りにする。鞄を手に取り、席を立った。
「あれ、潮早退すんの?まだ三限目なのに」
「先生に言っといて」
じゃあねー!だとか、ばいばーい!だとか、喧しい真人の声をBGMに帰路に着く。
最近は途中で早退することが多い。おかげで安眠をむさぼる時間(授業)を得ることができず、残念な思いをしている。それは全てあの元気な世間知らずの副代表のせいなので、まあ怒りの矛先は彼に向けておくこととしよう。
街路樹として植えられている広葉樹が、生ぬるい風に揺れた。相変わらず湿っている空気が頬を撫でる。
いつもより暑くなるのが早かった五月。激動の夏が始まる前に、少しの下ごしらえを済ましておこう。
Ep.2 影と向日葵と、光と。
湖水の街は、北に山、南に海とあり、比較的平らだが坂道の多い地形をしている。
だが、夏は南に近い方は熱帯夜になるし、北は冬に雪が降る。どこも均一に四季が訪れるというわけではない。
そんな街の北の中心部に、任侠団体であるはずの宵宮組の拠点は位置している。
「ただいま」
昔ながらの平べったく長い日本家屋。無駄に面積の広い庭を突っ切り、母屋から遠い離れの玄関の戸を開き、靴を脱ぐ。
脱いだ靴を靴箱へしまうと、暗い廊下の電気をつけ、奥の部屋へ呼びかける。
「|影《えい》?」
返事はない。あの野郎、また寝てる。
板間にギシギシと足音が響く。一番奥の襖を開くと、青い光が漏れる数々の機械の側に位置するベッドにこんもりとした山ができていた。
「影」
ゆさゆさとゆすると、もぞもぞと出てきた手が俺の手を掴む。
「・・・起きる」
「燈からの呼び出しだ。仕事」
のそりと上半身を起こし、目をぱしぱしさせると、ググッと伸びをした彼。真っ黒な髪に白い肌、何処か黒猫のような印象を持たせる。
「・・・昨日も夜にやってた」
「知ってる。だからサボって寝てただろ」
「・・・え、潮は学校行ったの」
「早退したけどな」
「・・・」
「一緒に行ける時に行こう。症状がない時に」
拗ねたように押し黙る影の頭を叩き、背を向ける。
「荷物置いてくる。母屋行くぞ」
「・・・わかった」
廊下の反対側の襖を開ければ、こちらも青い光を灯しながら活動する機械の数々。ベッドの上に鞄を放り投げ廊下に戻ると、影がカーディガンを羽織りながら出てきたところだった。
「行くか」
「ん」
呼び出しだとは言っても相手はあの燈だ、服を着替える必要もない。さっきしまったばかりの靴を取り出し、ついでに影の分もそこらに放り投げておく。
「雑」
「いいだろ」
「潮だからだよ」
軽口をのろのろと叩き合いながら母屋の玄関口を開けると、掃除をしていたのであろう下級構成員が箒を持ったまま黄色い頭を上げた。
「影、潮!お疲れ様!学校は?高校は午前授業じゃなかったよな」
「|日葵《ひまり》」
|牧之段《まきのだん》日葵。宵闇組の代表に代々つかえる一家、牧之段家の息子。彼は次男らしく、家を継ぐ気もないので飄々と長閑に、たまにスリルありの生活を楽しんでいる。
「お前こそ大学は。今日は午前あっただろ」
「潮さっすが、ちゃんと覚えてんねぇ。教授が風邪ひいたらしくて、休校になったんだ。お前らこそ、これから何があんだ?」
箒を片手に駆け寄って来て、それこそ向日葵のような笑顔を見せる彼。名前通りの面しやがって。
長話をするつもりはない、とでもいうように一歩進む。
「燈は」
「副代表か?なんかさっき帰って来て、そのまんま自室に入られたぞ。急いでいらっしゃるように見えたけど」
日葵の眉尻が下がり、黄色い目が細まる。
「危険なことに自分から首を突っ込むような真似はすんなよ。お前ら、動けない癖に突拍子に思いもよらない事しだすから。心配してんだからな!」
本気で心配しているようなので、軽く頭は下げておく。言われたとおりにする保証はない。自分がやるべきだと思ったことをやっているだけだから。・・・きっとそれは、後ろの奴も同じ。
「・・・やるべきことをやってるだけなのに」
「そういうとこだよ!情報班のお前らが先陣切って危険に身を投じる必要はないってんだ!」
「身を投じるって言葉知ってたんだな」
「腐っても大学生だぞ!?お前ら、ほんっとに可愛げがねぇのな!」
ぷんすこという効果音が出ているのかと疑うぐらいに威勢のない怒りを背に、入り組んだ廊下を進む。
街に認められた『特殊指定団体』だからといって、それをよく思わない虫も入るもので。しかし、虫かごは目が細かいほうが小さな虫も入れられるだろう?それと一緒だ。
何回も曲がり角を曲がって、進んでを繰り返した後、辿り着いた部屋の襖を遠慮なしに開く。・・・俺が認めない相手に遠慮はいらない。
「おい潮!何回襖は丁寧に開けって言えばいいんだ!」
「知るかよ。学校があった俺らを勝手に呼び出したのはお前だ、燈。文句言ってんじゃねぇ」
・・・|宵宮燈《よいみやあかり》。宵宮組の跡継ぎで、現副代表。短い黒髪の下で紅い瞳から溢れ出る野望を隠しもせず爛々と光らせ、数々の権力を握ってきた男。そして、
「?潮はともかく、影はどうせ暇だろ?丁度仕事が舞い込んできてさ、任せようと思って」
「お前には専属の情報班がついてるはずだ」
「あいつら仕事遅いからさー。二人に任せた方が早い」
「っ昨日もだっただろうが。また今日もこんな時間から「潮」、」
実の弟を容赦なく使う、屑。
「・・・俺は、出来るよ。今回の仕事、教えて」
・・・ずっと昔から。俺は、お前に何も返せてない。
Ep.3 仕事
「・・・俺は、出来るよ。今回の仕事、教えて」
|宵宮影《よいみやえい》。燈の二歳下の弟で、俺の幼馴染。
「っ影、お前またっ」
肩を掴むがどこ吹く風。ハイライトを灯さないその目に俺の顔が映る。
「・・・組を思えば仕方のないことでしょう?それに、梅雨の時期になったら俺たちは動けなくなるから」
「・・・」
影のいうことが事実だとしても、癪に障る。俺たちが|こいつ《燈》に従う必要なんて、これっぽちもないのに。
「・・・管轄も何もかも違うのに、それでもこき使うってのか」
「別に理にかなってないわけじゃないだろ?お前たちは現代表の直属情報班。なら、将来は俺の物になるんだしさ。ちょっと早まっただけじゃん」
いや、お前には既に情報班がついてるから俺らが就くことはないんだけどな。それに、お前のもとに就くのなんてこちらから願い下げだ。俺たちが今までどんだけお前に迷惑かけられていたと思ってる?
「去年の騒動。どこぞの《《次期》》代表が他地域で起こした一方的攻撃による暴力沙汰。誰が納めたんだっけ?」
「お前らの情報統制だろ?組の将来を任す奴に不始末を任せるのは間違ってないじゃん」
首をかしげながら本気で自分は悪くないと思ってるこいつを見て、空を仰いだ。こいつは本物の馬鹿だ。
本来なら、その役目はお前の直属の情報班が担うべき仕事。そいつらが事件の情報が入っても知らんふりして呑気に飯食ってやがるから、俺らが代表から直々に指令を受けて事件詳細をもみ消したんだ。なぜそれすら何一つわかってない。
うがぁ、と燈に威嚇していたら、背後から声がかかる。
「・・・潮。早く、仕事聞こう。不満があるなら、後で話そう」
「・・・影はそれでいいのか」
「いい。だって、燈が俺たちを直接呼ぶときは、組の為なことが多いから」
・・・。
「よくわかってるな影。取り合えず、そこ座れ」
既に敷かれていた座布団を指さし、部屋の隅の勉強机から書類の束を持ってきた。仕方なしに横並びに胡坐をかくと、燈が目の前にドスンと音を立てて座る。
「先に書類に目を通してくれ。それから事の経緯を説明する」
俺たちに一つずつ束を手渡され、本人は缶ジュースを開けている。仕事中に何してんだお前。
隣では、影が既にページをめくっている。俺も馬鹿にいちいち物を申す気にはならないので、紙に目を移した。
一枚目に、大きく顔写真が張り付けられている。茶髪のサイドテール、無駄に整った顔。整形をしたのであろう痕跡が見受けられる。名前は|西園寺リリカ《さいおんじりりか》。
西園寺と言えば、西園寺グループでおなじみの財閥。いくつもの製薬会社を傘下に持っていたはずだ。
同い年の早生まれ、現在の年齢は15歳。最近湖水に単身引っ越してきたらしく、俺と影、燈も通う水鏡高校に編入するらしい。
そして二枚目。そこから先は、怪しいもの満載な写真と行動履歴の宝庫だった。
どこぞの不良グループと接触している写真。南寄りの場所にある繁華街でのアタッシュケースの取引。繁華街での写真の中には、何かの錠剤を渡している姿も見受けられる。
怪しい薬は湖水では御法度。宵闇組が掲げるルールの一つだ。おそらく、それに抵触したから俺たちにこの件が回ってきたのだろう。燈の情報班の人員五人がかりでも、この内容は手に余る。
一通り目を通し終わり、顔を上げる。影も既に読み終わっていたようで、その様子を確認した燈は缶ジュースを口から離した。
「読んだ通りだ。ドラッグに手を出した時点でそいつとその周りへの宵宮からの制裁は確定してる。ただな、ぱぱっと制裁しちまうと困ったことが一つあってなー。どこだっけ、街の端の方だったよな?そのグループ」
宵宮に反感を持つものは一定数いる。それに加え、中高の思春期をこじらせた年頃の頭の悪い奴らは、そういう所謂暴走族じみたものに集まり、時折街を騒がせる原因になる。はっきり言って面倒。
「そこ、最近いきなり規模がでかくなっててさ。うちの情報班に探らせたら数の差で滅多打ちにされたわけ。まぁそいつらも雑魚だったんだけどさ」
・・・それか。こいつが俺らにこの話を振ってきた原因は。
「そろそろ目障りだし潰そうか否か迷ってたんだよ。若者たちが発散する場所も必要だしどうしようかなと。そしたら、こいつの情報が入ってきた」
燈がとん、と缶ジュースを床に置く。もう飲み終わったようだ。
「西園寺って、表じゃいかにもホワイト企業を装ってるけど、裏じゃ悪い噂絶えねえじゃん?だから、ちょっと怪しい気がするなと思ってうちの傘下グループに後つけさせたら、この様よ。製薬会社がドラッグ作るとか世も末だな」
元任侠団体が一地域を治めている実態も世の末だと思うが。まあそれは置いておいて。
「そのドラッグの詳細はわかってない。けれども、最近南の繁華街は治安が終わってるぜって聞いてる。お前らには、こいつの裏と、ドラッグの作用、現在の状況を調べてほしい」
燈の目が赤く光る。火のように揺らめくその瞳は、組の大多数を引っ張っていけるようなカリスマ性を持っているのだろう。・・・|頭《おつむ》の出来は別として。
影が資料を読み直している。現時点での不足がないかを見ているのだろう。なら、俺はこれからの段取り。
現状を調べるのなら、繁華街に赴くのは必要不可欠。別の奴に使いに行かせるのもいいが、そのまま行方知らずとかなったら仕事が増えてめんどくさい。だからと言って、もしも喧嘩が起こった時に動けない俺と影の二人きりで行くのは論外。誰かつけるべきだな。
「パソコンだけで調べるのは難しい。外に出るときは誰を付ければいい?」
「えー、日葵とか?仲いいだろ?ついでに|日向《ひなた》も連れてっていいぞ。他に欲しいのいたら、うちからは無理だから『|黒豹《くろひょう》』の奴らに頼めば?」
「やだあいつら、元気すぎてうるさい・・・日葵も一緒か」
遠い目をしながら、先ほどの日葵の様子を思い出す。あいつも、ハイテンションで日々をお送りしている人種だ。煩い時は普通に煩い。その時は日向に黙らせよう。
「なんかかわいそうだな日葵」
何を言っている燈。あいつは元々こういう扱いだぞ。
「わかった、日葵と日向を借りる。報酬は?」
「梅雨の仕事は全部こっちでやる。去年お前らに幾つか振ったらぶちぎれられたからな」
「当たり前だ」
影を見れば頷かれる。資料の不足は見当たらなかったらしい。
紙束を持って立ち上がり、襖を開く。
「じゃ、その通りに。いつまで?」
「今日は水曜だっけ?じゃ、土曜の昼までだ。よろしく」
「おー」
影が襖を閉めるのを見届けて、廊下を歩きだす。小走りでついてくる影が静かに語りかけてくる。
「・・・潮、」
「・・・」
「・・・ね、潮。ごめんね」
「何が?」
「嫌がってたでしょ」
「別に」
「・・・嘘だ」
ああ、嘘だよ。でもきっと、お前はそうするだろうとわかっていたから、それでいい。
「・・・ごめんだけど、俺は潮みたいに恨めない。全部、仕方のなかったことだと思えてしまうから」
知ってる。お前は優しすぎるから。だから、全て許してしまう。
「もういいよ。お前が決めたことについていくのが本来の俺の仕事だ」
「・・・別に全部じゃなくていいのに」
「馬鹿、だから今は自由にやってるだろ」
母屋の玄関の靴箱を開けて、しまわれていた二人分の靴をそこらに放り投げる。片足で飛び跳ねながら自分の靴を回収しに行った影は、頬をほんの少し膨らませながら踵を踏み潰した。
「・・・捜査は明日から?」
「そうだな。先にハッキングするもいいけど、それで警戒されたら現地調査が難しい」
「・・・先に繁華街行く?」
「学校は?」
「サボり」
「よし」
争いの始まりは、いつだって緩やかに。
Ep.4 準備
朝の匂いがして目を覚ます。
仕事の途中で寝てしまっていたようで、座っているのが楽だからという理由で買ったゲーミングチェアがギシリと音をたてた。目の前で光り続ける機械たちは熱を持っている。
取り合えずメインのパソコンの電源だけを切って、大きく伸びをした。立ち上がり、閉め切っていたカーテンを開けると、眩しい朝陽が部屋に満ちる。窓も開けて空気を入れ替えると、影の様子を見るために廊下へ足を踏み入れた。
俺の部屋の向かいで開きっぱなしの襖の中を覗き見ると、人の体積によって膨れ上がった布団の隙間から黒い髪の毛が見える。
「影。起きれそう?」
まあ、答えはわかってるいるんだけど。
「・・・ぅ、」
小さくうめき声を零すのみで動かない影の枕元に近寄り、そっと布団をめくる。目が開ききらず、ぴくりとも動かない彼の様子に、昼までは起きれないか、と仮定して今日の予定を組み立てる。
「・・・」
「寝てろ、動けるようになったらリビングまで来い」
布団を元通りに直して自分の部屋へ戻る。昨日進めたデータだけ保存しておいて、必要ないサブモニターはスリープモードにしておく。どうせ昼まで暇だ、朝飯の後にまた使うだろう。
リビングへ向かい、カーテンを開いてから冷蔵庫を開ける。俺たちは朝か昼と夜の二食派なので、影の為だけに飯を作り直すのは面倒だ。よって作り置きをすることにする。
今日は早めに寝かせたから昼までには起きるだろうが、いつもじゃこうはいかない。起立性調節障害は本人に罪はないものの、難儀なものだ。
作りながらちょこちょこと摘み腹を満たすと、完成した幾つかの総菜をタッパーに詰め、冷蔵庫に入れる。
ここまでで一段落だ。微妙にシンクと腰の高さが合わないせいか凝った肩を回し、二人が座れるくらいのちゃぶ台の傍に置いてあるクッションに身を沈めた。人を駄目にするクッション、通称ヨ〇ボーは、我が家に来てから我々の幸福のために多大なる貢献をしてくれている。感謝せねばならない。
暖かい日差しのせいもあって、うとうととし始めたとき、ポケットからスマホの振動音が伝わる。のろのろと取り出しホーム画面を見やると、『昼から行ける』というメッセージ。
次期代表の側近である彼にとって、時は金なり。表の企業の経理を任されている実力のある彼が来てくれるのは、大変ありがたい。
さて、なら昼まで二度寝だと決めた俺の意識は、睡魔に飲み込まれていった。
「おはよ」
どうやら寝すぎたらしい。目を覚ました時には、既に面子がそろっていた。
「潮!おはよう!今日は雲一つない快晴だぞ!」
「日葵、うっさい」
「いってぇ兄貴!」
今日も曇りなきうざい笑顔を見せてくれる日葵の頭に拳が入る。ざまあみろ。
「おはよう潮。愚弟がすまんなぁ」
「いつもだからな」
|牧之段日向《まきのだんひなた》。日葵の兄で、現副代表補佐。明るい茶髪に煉瓦色の瞳を輝かせた、朗らかな顔をしている。兄弟と言っても、10歳ほど離れた年子だそうだ。
「ぐっすり寝とったから起こすの忍びない思ったんよ。まあ、すぐに起きたけどな」
クッションから体を離して、大きく伸びをする。まだ黒いスウェット姿の影が眠そうに、頭をボリボリと掻いた。
「・・・着替え」
「そうだな、お前らは服装それでいいのか」
床に置きっぱなしだったスマホを回収しながら立ち上がる。牧之段兄弟はどこにでもいるようなカジュアルな服装に身を包んでいた。
「そうだな、特に変装する理由もないだろ。今回の体は、『空きコマに繁華街に来て散歩している大学生』だからな」
四人の中でも小さい俺と影でも170はギリある。唯一の懸念点は三人と年齢が離れすぎている日向だが、顔に皺はなく、20代に見えるレベルのイケメンなので、まあいけるだろうと踏んだ。
「誰かと話すようなことがあれば、俺か影が話す。お前らは顔が特徴的だし、日向に至っては身元がすぐ割れるからな。他人との記憶に残りづらい顔の俺たちが話した方が、万が一は防げる」
「了解。怪しまれんような服装は持ってるんか?お前ら暗い服ばっか持っとるやろ」
・・・まあ、センスは二人ともないが。
「しっかたねえな、俺が見繕ってやるよ!なんたって、俺は現役の大学生だからな!」
「今だけだよ、お前を現場に起用してよかったと思えるのは」
「ひでぇな!」
「大学じゃボッチのくせに」
「一言余計だ兄貴!」
愉快愉快。
日葵監督の甲斐あって、黒々しいクローゼットの中からいくらかましなものを見つけ出し、四人で並んでも違和感はない構成が出来上がった。そして現在、商店街への長い道のりを歩いている。
「それにしても久々だなー、兄貴と出かけるの」
「俺は仕事があるからな。お前こそ、今日の講義欠席してよかったんかいな」
「・・・多分!」
「留年したら許さんぞお前」
ほのぼのとした会話(?)の後ろを、俺と影の二人がのろのろとついて行く。
「・・・疲れた」
「俺も」
「柔すぎんだろお前ら!」
「部屋にこもりっきりなのは関心せぇへんぞ」
仕方ないだろ部屋にこもる仕事してんだから。
影がため息をついて、パーカーのフードを被った。まだ春とはいえ、昼の日差しは既に強い。何か俺にも遮るものを、と思えば、頭の上に帽子をかぶせられた。
「商店街着くまで被ってていいぞ!着いたら返せよな」
「さんきゅ」
目深く被り、またのろのろと歩く。すると前方から急かされるので、スピードを上げるがまた亀足になる。それを繰り返していると、日葵の声が一段と高くなった。
「着いたぞ!南繁華街!」
隣の影がフードを下ろす。それを見て、俺も帽子を日葵に返した。
・・・さて、現地調査を始めようか。
関西弁が変だなと思っても緩く見てください。
何故って、筆者は関西人だから。
Ep.5 波紋
湖水で一番賑やかなのは最南端の湖水市場。二番目に賑やかなのが地図上で市場のすぐ上に位置するここ、南繁華街だ。
湖水は海を使った流通で発展した街。必然的に海がある南に物が集まりやすく、人が寄せられる。その為、北の方に行くにつれて住宅街、農耕の地域へと移り変わり、その最北部に我々宵宮の拠点があるわけだが。そのせいで起こる面倒ごとが一つ。
「北と南じゃ遠すぎて、常に監視が出来んのよな」
南繁華街と書かれた大きなアーチの下に並ぶ。三階建てほどの建物に囲まれた長い通路は、平日の昼だというのに、多くの人々が行きかっている。見るだけで人酔いしそう。
「いつもは警察に巡回任せてんだろ?なんか今日はいねぇみたいだけど」
きょろきょろと帽子の鍔を上げながら見回す日葵。無駄に目立つその頭を押し付けながら、日向が忌々しそうに眉をしかめた。
「治安が悪いところに自ら行く奴がどこにおんねん。警察ってのは、自分の身の安全は完璧に確保したまま正義を執行するお仕事やぞ」
「なんかその言い方嫌味っぽいぜ?」
「嫌味以外に何があるんや。協力関係を築いとっても、大体の尻拭いは全部うちらがやっとるんやからな。いい迷惑やぞ」
ふんすと鼻を鳴らすその姿に影がため息をつく。
「・・・早く」
ごもっとも。こんなところで道草食ってる場合じゃない。
「家帰りたいから早く行くぞ」
「「この出不精どもめ!」」
「何が悪い」
出不精程この世で快適な生活を送ってる奴はいないぞ。家の中でごろごろしてりゃ一日が終わるんだからな。ああ、なんと素晴らしいことか。
俺と影を先頭にして、人の合間を縫いながらゆっくりと歩いていく。
見た目は普通の商店街。飲食店に洋服店、靴屋に薬局、本屋に百均、そして開店準備中の夜の店。ここに来たら大体の物は手に入る。
「あ、下着屋」
「このスケベ兄貴が!」
後ろの馬鹿二人は置いといて。
「ここか、資料の場所」
「・・・うん。ここの、裏。50番の監視カメラの死角」
・・・唯一、あの沢山の写真の中で、真昼間に薬物の取引が行われていた場所だ。
今日ここに来たのは、昼は安全か確認しに来たんじゃない。《《昼も危険なのは当たり前》》。もう既に、南繁華街はただの盛況な場所ではすまなくなっている。
「写真に写っていたのは若い男女が二人ずつ。どちらも、目に見えるぐらいに顔がイカれてた」
クスリに狂った顔。変に笑って、目がガンギマってて。手に持っているのはクスリのアルミ。
「表はただの焼き肉屋だな。今は開店準備中か」
・・・チェーン店ではない。そして、店の系列は・・・
「・・・|暁《あかつき》」
影が呟くように、空気にそっと言葉をのせた。余韻が解け消えた頃、いつの間にやってきたのかわからない牧之段兄弟が俺たちの両側から通路に顔をのぞかせる。
「お、ここか。お前らが言ってたの」
「辛気臭いとこやなぁ。どうする、入るんか」
「・・・潮」
「ああ」
どうやら、事態はかなり深刻らしい。だって、
「・・・おい潮、まさか」
「まさかだよな。事の問題が、身内だなんてさ」
特別指定団体、宵宮組。現在協力関係にあるのは二団体。協力関係にある証として、誰か一人を宵宮に派遣する必要がある。
そのうちの一つ、三大財閥『暁』。宵宮との関係は十年以上にもなる。故に、幼少期から宵宮へと『厄介払い』された者がいる。
それが、俺。|暁潮《あかつきうしお》。
「・・・十分か。現場の視察は」
「・・・うん。これからの目途も立った。・・・潮、」
これから、俺はどうなるのか。
「・・・潮は絶対、俺の隣だからね」
「・・・おう」
・・・散々だ。
眩しい黄色がテンション高く腕を振り上げて、満面の笑顔を振りまいた。
「ほらみんな!取り合えず帰ろうぜ!今は目の前見ることしか出来ねぇんだからさ!」
いつもなら眩しすぎてうざったいと思えるその笑顔に、何も思うことができなかった。
暁の呪いを知ってるかい?
Ep.6 突入準備
頭に鋭い痛みが走って、目を瞑る。いつの間にか、時刻は深夜の2時を回っていた。
椅子を少し引いて、伸びをする。肩を上げて、落として。そしてまた、青く光る画面の中へと意識を戻す。
南繁華街から帰ってきたのは、昨日の夕方頃。牧之段兄弟の騒がしい会話をBGMに離れの前で別れたのはいいものの、影と俺の間の空気は微妙なままで。というか、ほぼ俺が微妙にさせたというのが正しい。
明日は学校に行きたいと言った影の為に夕飯と風呂を早めに終わらせて、いつもなら有り得ない時間に寝かせた。その為、影が今夜やる筈だった仕事を俺が全てやらなければいけなくなったけど。今日の睡眠はお預けにするしかなさそうだ。
画面の端に赤いエラーコードが流れる。またか、とため息をついてから、不届き者に制裁をくらわすためにキーボードに手を添えた。
宵宮の情報を掴もうとする輩は、少なからずいる。宵宮の成り立ちからして、敵を作りやすいのは当然で。おまけに、国から正式に『特殊指定団体』として認められてしまった以上、他の似たような組織は一方的に恨みつらみをぶつけに来るわけで。直接何かをした覚えのないこちら側としては、迷惑以外の何物でもない。
「・・・よし」
赤いコードが元通りに青く光ると、また画面に静けさが宿る。いつもなら、これを繰り返せばいいだけだったが。
「・・・今日の突入は3時だっけか」
湖水の最西端。他勢力との境界線に位置するゴミ溜め。治安が比較的安定している他地域に比べ、まだ生活に苦しむ人々が多くいる。勿論、|宵宮《こちら側》を敵対視する人々も含め。
度々訪れるエラーコードを跳ね返しながらぐだぐだと待っていると、作戦時用の通信に着信が入る。ヘッドセットを装着してマイクを口元に引き寄せた。
【あーあー、潮ー?影はー?】
「寝てる。今日は俺だけだ」
【ざーんねーん。じゃ、今日もオペレートよろしくー】
「前みたいに頓珍漢な方向行くんじゃねぇよ、|飛鳥《あすか》」
|如月《きさらぎ》飛鳥。宵宮の作戦筆頭だ。飄々としているものの、腕はいい。・・・と思う。
「現場の指揮は予定通りお前に任せる。今日は五人だっけ?」
【そー、今日は乱闘騒ぎとかじゃないし。建物の外に万一で二人配置してる。潮も念のためだからねー】
「はいはい」
近くの監視カメラの映像をサイドモニターに映すと、屈強な黒服に囲まれている桃色の髪の男が、カメラに向かって口角を上げていた。
「気持ちわり」
【ひどー】
何とも思ってないような目で笑うもんだから気味が悪い。さっさと済ませようと、仕事の内容がまとめられたコピペに目を通した。
「作戦内容を確認する。今から突入するのはクスリの栽培をしている可能性があるアパートの三階最奥。見ての通りボロ家だし、他に住人がいないのは確認済み。中のクスリは全て処分。人がいた場合は制圧。処分が終わり次第アパートは取り壊される手筈になってる」
【りょーかーい。ねー、これ俺がやる意味あるー?】
「人手不足なんだ、我慢しろ」
【はーい】
現場の部下に指示をとばす様子を聞きながら、監視カメラの過去の履歴をチェックする。昨日の夜に確認したときは誰もいなかったが、今日は人が出入りする様子が確認できた。・・・二人。まだ出てきていない。・・・何もないはずの隣室にも出入りしている。
「これ制圧かも」
【えー、いる?】
「多分二人」
【めんどー】
ふわふわと笑いながら階段を上っていく姿に、ああ今日は疲れるやつだ、とため息をつきながら、新たなエラーコードを相手にするため、キーボードに手を添えた。
鍵括弧が見づらければ言ってください 修正します
Ep.7 青、緑、白。
【潮ー、突入よーい】
「はいはい、どうぞ」
最後のコードを打ち込んでエンターキーを押すと、画面はまた青く戻る。ふと端に表示させた監視カメラを見ると、丁度目標の部屋の扉に向かって足を振り上げていた。
【どーん】
「何やってんだ馬鹿」
吹き飛ばされたドアが可哀想だろうが。
【え、やだよー俺。いちいち開いてますかー?って聞いてドアノブがちゃがちゃすんの。どうせ開けてくれないんだから】
「器物破損はやめてくれ、他のとこでやったら罰則もんだぞ」
【知らなーい、どうせ潮が守ってくれるでしょー】
振り向いて、監視カメラに向かってへらっと笑うと、室内へと消えていく。その後を二人の黒服が追っていった。
「ったく、」
文句を言ってもあいつは治らない。なら相手をするのもめんどくさい。
「・・・おい、隣の家も確認しとけ。多分いる」
【そうだろうねー、だってこの部屋いないから】
一瞬で出てきて隣室のドアを蹴破る。一連の動作に淀みがない。・・・絶対こいついつもやってるな。
【・・・二人、豚が出てきたよ。あと子供】
「子供?」
【そ、子供。取り合えず潰すねー】
数秒後、ポイポイと部屋の中から男が二人放り出た。あっけなさすぎて涙が出る。可哀想に。
「殺すなよ」
【死んでないよー】
監視カメラの位置からだと室内の様子までは見えない。隣室に何があるのか、《《何をしていたのか》》。
【子供ねー、虐待っぽい。どうする?施設出す?】
ああ、ほら。
「・・・意識は?」
【ないねー】
「一度連れて帰ってこい。車二台あるだろ。現場の監視は終わるまでしとくから」
【りょーかーい】
これで俺の仕事は終わりだ。後は現場に任せればいい。
監視カメラとの接続を切って、メインモニターに戻ると。丁度、セキュリティシステム異常の通達と共に、緑色に光るメッセージが表示された。
「・・・うざ、」
緑色。緑青。
『何色にも染まれないって、可哀想』
--- ≪計画は続行≫ ---
反吐が出る。
苛立つ気持ちのまま、画面を消して、傷ついたセキュリティコードを修復していると。
「・・・潮」
襖が静かに開かれた。蒼く光るその瞳に、ブルーライトによって反射された俺の顔が映る。
「いいのか」
「・・・睡眠自体は少しで十分、知ってるでしょ。障害さえなければ、俺は普通の人間だよ」
「・・・」
「・・・無理に守ろうとして、遠ざけなくていい」
違う。そうじゃない。
「・・・守ってもらわなくても、この壁の中にいれば大丈夫だから。だから、俺は潮と「お前はそれを望まないだろ」、」
お前は、自ら人を守ろうとするから。危ないことに首突っ込んで、ひっかきまわして、それでも人のために動こうとするから。
「お前が壁の中で大人しく守られていたことが今までにあったか?俺の記憶じゃあ一度もねぇけど」
「・・・それは」
「自分が保護対象であることを理解せずに、理解《《できず》》に。自分が周りに守ってもらえることが当たり前で、自分が周りに迷惑かけてるにすら気づかなくて。いつも貧乏籤をひかさせられてるのは誰だ?俺だろ?」
「、」
「言葉に詰まるか?そうだろうな、俺はお前のことは徹底的に守ってきたから。本当に危ない目に合う時は、身代わりになるのが俺の役目だったよな?」
お前を守ることが、俺の『すべきこと』で。その『すべきこと』をくれたのも、お前だったから。
いつの間にか伏せていた顔を上げて。影の呆然とした顔を目に、しっかりと焼き付けながら。綺麗な瞳に映った、俺の醜い姿。
「一緒だって言ってくれたのに、一人で行こうとするから」
・・・真っ白な髪に、くすんだ灰色の瞳を見て。
「・・・、」
「ああそうだよな、誰でもよかったんだろ?障害を持っているが故に母屋の人間から遠ざけられて、一人寂しく追いやられたんだもんな?お前のことを想う暇がなくなっちまった兄貴の代わりに、誰かが必要だったんだろ?それが俺だもんな?」
「・・・違う」
「どこが違う?共感してくれる仲間が欲しかったんだろ?他家から厄介払い同然の『贈り物』が来て、丁度いいと思ったんだろ?自分と同い年で、可哀想な目にあった奴がいて、あいつなら大丈夫、そう思ったんだろ?」
「・・・違う、」
「あいつを味方にすれば仲間が増える、誰にも見向きされない可哀想な自分が可哀想に思える、《《見下せる》》相手ができた、嬉しかっただろ?こんな不気味な、」
「違うっ!」
・・・ああ、やっちゃった。
涙の幕を張った綺麗な瞳で、普段は能面のような顔を、大きく歪めて睨みつけているから。普段は荒げない声を、この離れに響き渡るくらい、大きく張り上げたから。
誰が見ても見えるくらいの感情を初めて吐き出させたのが自分で、しかもそれが怒りだったなんて。それでも、嬉しいと、感じてしまう俺は、きっと馬鹿なんだろう。
「・・・頭冷やしてくる」
俯いてしまって動かない影の横を通り過ぎて、玄関へと向かう。夜風に当たれば、少しだけでも熱が冷めてくれるかもしれない。
何も持たずにやってきた俺に、慈悲を与えてくれたのは影なのに。何の恩も返せない俺を、ただ傍に置いてくれているのは影なのに。悪いのは、俺なのに。
ただただ、体にしぶとく残る後悔の念をどうにか追い払いたくて、思うがままに走る。離れからも母屋からも遠のいて、そこには重い門があった。けれど、この|壁《檻》からさえも逃げ出したくて、全体重をかけて押し開ける。丁度交代の時間らしく、門番はいない。
振り返って、たった今出てきた門を眺めて。誇らしげに掲げられた『宵宮』の文字を見て、目を細めてから。
体に衝撃が走る。それがスタンガンだと、門番がいない理由、闇に紛れたこいつらの正体。諸々を一瞬で理解した俺は、あまりの自分のうかつさに涙が出そうだった。
セキュリティコードの修復を中途半端に終わらせた、そのせいで人的被害が俺含め三人出ている。しくじった。
睡眠薬を含んだのであろう布で鼻と口を押えられて、意識が落ちる。
『何色にも染まれないって、可哀想』
なあ、
『だって、色で溢れた世界からのはみ出し者ってことでしょ?』
お前の言うことは、正しかったよ。___・・・
話が急展開すぎて涙出そう
Ep.8 『お話』
前回から結構期間が開いてしまいました
すみません
肌を焼くような痛みで目が覚める。何が起きたかわかっていない寝起きの俺の頭に重い衝撃が伝わる。
「っ、」
「ようやくお目覚めかァ?寝坊助がよォ」
どうやら仰向けに寝転ばされているらしい。低いドスが効いた声がした方に目を動かせば、紫色のサングラスをかけた中華風の青年が、ドラム缶の上に座っていた。床の汚さを見るにどっかの倉庫。さっきの痛みは、横にいるチンピラたちが煙草を押し付けた挙句、俺の頭を蹴り上げたものだろう。おかげさまで思考が纏まらない。
「宵宮のもんにしては警戒が薄いじゃねェか。門の番が二人やられてるッてのに外に出てくるとはよォ?」
「・・・」
「先にこっちが寄こした『お手紙』もお得意のセキュリティで弾かれちまうしよォ。まァ、自ら来てくれたから良しとするかァ」
そう言って、彼はゆるりと立ち上がる。ゆっくりと歩く度に、数々の装飾品がしゃらりと音を立て、下駄がカラコロと軽快なリズムを打つ。
そして俺の頭の隣にしゃがんで、髪の毛をひっつかんだ。
「てめェ、とりま顔上げろやァ、お話をする姿勢じャあねェぜ」
そんなドスの効いた顔で凄まなくても。こえぇよ。
確かに話をする姿勢ではない。よっこらせ、と上体を起こすと、先程の蹴りのせいなのか、はたまたこいつがまだ掴んでいる髪のせいなのか、頭の中が揺れた。
「こッち来い」
そのままの状態で立たされて、ドラム缶の上に座らされた。机替わりの錆びたコンテナの向こう側に、彼も座る。
「さァ、『お話』をはじめようじャあねェか」
「・・・その前に、自己紹介でもしろよ」
「あァ、そうだッた」
口元をにやつかせ、サングラスの隙間から鋭い眼差しを向ける。その姿はまるで猛禽類のようで、背筋がぞわりと波打った。
「南国地方の街、遠海。その街を牛耳るのが我ら『|龍楼《りゅうろう》』。そこの二代目筆頭がこの自分、|桐谷海斗《きりやかいと》。よろしュう」
「・・・|暁潮《あかつきうしお》」
「知ッてんよ」
アルカイックスマイルがよく似合う。こうして話す機会を設けてくれている辺り、明確な敵意があるわけではなさそうだ。
「で、どういったご用件でうちの構成員を騙した?」
「騙したなんて人聞きがわりィぜ。ちョッとお願いしただけさァ」
・・・俺をあまりよく思っていない奴らだった、ってことか。
「お前さん、随分嫌われてるようでなァ」
「仕方ない、そういう役目だ」
俺の雇用主と身近な幹部衆がまともだったらそれでいい。生憎、そういう環境には慣れてるもんでな。
ため息をついて、コンテナに肘を付ける。腕で頭を支えると、ぐらぐらしていた視界が静止した。
「そっちこそ、人質を取ったにしては扱いが荒いんじゃないか。拘束もしないとか、不用心にもほどがあるだろ」
「いいんだよ、てめェらとの取引は建前さァ。自分への正式な依頼主は暁だからよォ」
「・・・」
不確定な『人質』という言葉に迷うこともなく肯定。そして暁の存在を開示。・・・そういうことか。
「『新しいフェーズに移行した』ッてよォ。自分はその仲介役さァ。くれぐれも変な事すんじャねェぞォ、潮クン?」
・・・。
「要件は」
「今日は自己紹介とフェイク入れさァ。宵宮の方には、自分とは関係ねェチンピラの犯行にすり替えたカメラの映像を届けた。気付くのはてめェの『監視対象』ぐれェだろォ?なら大丈夫さァ」
「そ」
全くその自信はどこから来るんだか。どうせ、俺と影の関係を《《あいつ》》から聞かされただけだろうけど。・・・離れには、『暁』が特注した盗聴器と監視カメラが設置されているから。
「いつになったら帰れるわけ?」
「もう少しで宵宮の機動部隊が来るだろォ?そこで一芝居打ちャァ終わりだ。ほォら、」
桐谷海斗がきったない倉庫の入口に目を向けると、聞きなれたタイヤの音とランプがシャッターの隙間から漏れ出た。そして数秒後、ガラガラと大きくて不快な音を上げて車の光が視界を埋め尽くす。
「パフォーマンスには十分だなァ」
ケヒッ、と隣で奇抜サングラスが笑うと同時に、車から降りてきた人物に目を見張った。
「・・・影」
「もう、明日は学校あるのに」
海斗の入力コストがでかすぎる。いちいちカタカナ小文字入れるのめんどくさい。