書く習慣(アプリ)1
編集者:Across(22時17分)
Androidアプリ「書く習慣」
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を始めました。
日替わりお題で毎日なんかを書くやつ。
タイトルがお題です。
おそらく今年の夏休みが始まるだろう日から更新される気がします。
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目次
神様だけが知っている
2024/7/4 22:10:44
神様だけが知っている、お気に入りの場所がある。
砂浜と海の水がせめぎ合う、波打ち際。
左には砂浜、右には夕景の海。
その境を歩いていって、足跡をつけたり、波の音を聞いたりしている。
私は影。伸びる人影。
左から右にかけて半島が伸びているのだろう、海に沈むように半島の先端が見えるが、一向に近づく気配がない。
足跡をつけた2秒後に、波がざざあと音を立てて、白いものか覆いかぶさり消えていく。
これを日が沈むまで続けていく。
波が繰るたびに感じる、足首の水の冷たさ。
その楽しみ――刹那の楽しみが、砂粒の数くらい心弾け、なお心地よい。
星空
2024/7/5 23:46:29
そうか、もうすぐ七夕だからか、と合点した。
日本ではもう星空なんていうもの、見れない代物になってしまっている。
田舎では見えるって?
残念、もう見れないよ、都会人。
君と同様、スマホの光にやられて視力が悪くなってるからね
皮肉めいたお題だなあと、僕はびっくりしたよ。
一体全体誰がこんな小汚い夜の空を見上げるんだい?
小説のネタにするって、ロマンチストのような物好きしか書かないんじゃない?
星空じゃなくて夜空のほうが現代人にはぴったりだ。
大抵の人は子供も問わずストレートネックだからね。見上げなれてないんだ。見下しなれてるんだ、首は。
広大な空より狭く堅苦しいスマホ画面に夢中なんだ。
首の長いキリンだって、びっくりするよ。どうしてそう目をおとすんだ?――とね。
空に星は似合わない。
雲に隠れた月――朧月夜のほうが、しっくりくるんだ。見上げたくなるんだ。肉眼で見れるから。楽だから。
星だと望遠鏡を持ってこないと見れないからね。
ああ、スマホが望遠鏡になってくれれば一件落着なんだけど。あちらの方から近づいてきてくれればこちらとしてもありがたいんだけど。
友達との思い出
2024/7/6 21:56:09
大学4年生の春。
キャンパスにて花見をやったことがあります。
理科系の研究室に在籍しておりまして、あの頃は酒さえあれば何でもよろしい、という、のんだくれ予備軍みたいな単純な生き物でした。
キャンパス敷地内には八重桜が一樹だけ植わっており、その下で宴会風味なことをしたのです。
夜桜だったと思います。突発だったと思います。
グループラインで「今夜花見するんだけど」と女性の誰かが言い、いいねいいねと男ののんだくれたちが賛同するのです。僕もその中に含まれます。
突発から数時間しかありませんでしたが、あの頃の行動力はばかみたいなものでした。
家から思い思いのお酒を持ち寄り、その八重桜の下で夜桜花見をしたのです。
参加者は僕を含めて五〜六人。
ワイン、梅酒、果実酒、缶チューハイ、もちろんビールも。
何を敷いたのか知りませんがたぶんそのままだったと思います。そのままズボンに土をつけて座り、紙コップを配って、酒盛りを始めまして。
何を話したのかは記憶の彼方に消し飛んでいますけれども、深夜11時にお開きとなったことだけは存じ上げております。お酒が切れたのです。
しかし、キャンパスの夜というのは不親切でしてね。
折角の八重桜は観光地のようにライトアップしておらず、キャンパス内は真っ暗闇の中なのです。
一応時代は平成後期でしたので、スマホのライトで照らすんですけれども、無いよりましみたいなもので全然頼りになりません。
ただ言い出しっぺの女子生徒が立派な懐中電灯を用意しておりまして、それで首の皮一枚繋がったといいましょうか、一応花見の体裁はあったと言いましょうか。
上向きに置かれた懐中電灯って意外と頼りになるのです。あいにく夜空まで届きませんが、光の筋が見えるのです。八重桜の枝に光が引っかかって。
それが儚げで。でも、その光景をのんだくれ全員は見ておりません。花よりお酒、単純な生き物。お粗末。
七夕
2024/7/7 21:57:58
七夕なんだし、たまには宇宙について考えてやるかといった感じで「天の川」について調べてみた。
天の川って川のように見えるというだけで川じゃないんだね。これ銀河なんだよね。
天の川銀河という、太陽系も含まれている事実。
地球も天の川銀河に属しており、星空には天の川銀河が見える。これはどういうことなのだろう。
自分で自分を見る……。どういうことだ。哲学か?
お得意の宇宙系YouTubeを漁ってみたのだが、これといって説明する気がないのだろうか。
「宇宙って、こんなにも広いんだぞ……!」
というワイドな動画が多めである。
ミルキーウェイ、ウェイウェイと言っている。
わからん!
宇宙人の人件費で動いてんのかお前は、みたいな調子だ。「さてはお前、地球人じゃないな?」という難解さである。
そんな中でプラネタリウムの人がナレーションしている動画を探し抜いた。
それを聞くに、天の川銀河とは渦巻き状であり、蚊取り線香みたいなものだと述べていた。ちょうど蚊取り線香を真横から見ているときと同じなのだという。
つまり、蚊取り線香になってみないと天の川の構造がわからないようだ。
五回、渦を巻く蚊取り線香があったとしよう。
どこにあるかは知らんけど、太陽系は中心から三周目の円。そこから蚊取り線香の内側を見たり、蚊取り線香の外側を見たりしているという。
そうすると、伸ばした線の交点(蚊取り線香の層)となる数が変わる感じとなる。これが天の川の星の量に由来する。
ちなみに天の川は夏のイメージが強いが、実は冬でも見れるという。それを早く言ってくれないか。
どうやら七夕を特別にさせているのは天の川ではなく、織姫と彦星という銀河系最強のニートたちだったようだ。
街の明かり
2024/7/8 23:13:11
「街の明かり」――普遍的な語句であるので、例外は考慮に入れないことにしたい。
例えば街の地下……地下鉄や地下鉄駅は、街の明かりに含まれるだろうか?
例えば昼の太陽……春や夏や秋や、強弱関係なく降り注ぐ自然の陽射しは、街の明かりに含まれるだろうか?
基本的には含まれない、ということを考慮すると、街の明かりは夜間で地上に限定される。
高層ビルの聳える都会は「街」と言えるだろうか。
過労死ラインを抱える人々の、眠ることのない夜を抱える建物自体、穏やかな味わいを持つ「街の明かり」に該当するとは思えない。
信号機の光やネオン、電車の揺れ動くもの、カンカンと鳴り響く踏切、電柱の光、街路樹を照らす光。
これらは街の明かりを構成するかもしれないが脇役でしかなく、明かりの主役にはなり得ない。音という雑音が含まれ、テーマにそぐわない。
駅前やバスロータリー、観光地特有のイルミネーションなども、季節ごとに応じて色を魅せているが常設的な明かりではない。特にコンビニは24時間営業、人工物だ。
そうなると、街の明かりに該当するのは郊外である。
街の明かりとはすなわち、室内の光が漏れ出たものの集合体に思える。
マンション、一軒家、賃貸物件、昭和特有の団地、営業時間中の店内照明……居酒屋。
内包されるのは人の住処の象徴であり結晶である。
さて、室内光を考えるにあたり、特に重要なのはカーテンの有無だろう。次点で窓の種類だ。
中学校で用いられる顕微鏡には、「しぼり」と呼ばれるものがあった。
反射鏡で吸光・反射し、その量をしぼりを使って適切に調節する。光が強すぎると観察すべきプレパラートが見えなくなる。この機能がそのままカーテンに由来する。
元々電気というのは外で――発電所で作られ、高電圧で送電されて室内で消費される。ある種反射されて供給されたということである。
それがカーテンという「しぼり」を通して光が絞られ、外に漏れ出て街の明かりとなる。
次点で窓の種類だと先に述べた。
これは曇りガラスなど透過する窓の種類によって明かりに変化をもたらすからである。これも「しぼり」と呼んでもよいだろう。
こうやって漏れ出た「街の明かり」は、しかし、第三者からの目線により価値を失ってしまう。
具象から抽象へのマクロ的変貌。
小さな価値の集合は、大きな一つの新たな価値にラベリングされる。
「しぼり」の存在は無視される。
例えば「百万ドルの夜景」といった具合に大半は無視される。
私の当たり前
2024/7/9 23:46:34
私の当たり前。
それは平日の朝、Fe鉄入りの飲むヨーグルトを買うこと。
この習慣は、数年前の血液検査で貧血の診断をもらった日からずっと続けている。
「う〜ん、この数値。思春期の女の子……、小6の女の子と同程度しかないよ」
と医者に言われてから。
低血圧の貧血。朝はマジで弱かった。
早寝早起きとか地獄だった。学生の頃は貧血気味と自覚していたが、死の秘宝を抱えているまでに至っていたのかと再認識した。
ラベルをみたら誇大広告、蓋を開けてみれば重大だった。
サプリメントに手を出すこともあったけど、ちょっと努力義務を果たせばいける程度だと思い、以来この飲料を飲んでいる。
1日分の鉄分。その言葉が嘘か真か、よくわからない。プラセボだろうが血液検査の数値は良くなっている。
しかし、あの頃と比べても、朝は弱いまま。
貧血と低血圧だったら、低血圧のほうが軍配があがる。無理やり起きている。
社会人になって、都内へ向かう通勤電車。
当たり前という名の、このつり革に掴まって、ゆらゆらしていれば目的地に着く。
大多数がこの当たり前を享受しているけれど、目的地は人それぞれだし、通勤電車とは無縁の人もいる。
昼夜逆転、夜職の人もいる。数年前、私は学生であり、この電車に揺れていなかった。
私の当たり前は、当たり前じゃないと気づいたとき、じゃあ一体何が当たり前かと疑問した。
生まれてから今まで。ずっと当たり前だったこと。
意識せず呼吸すること。
勝手に心臓が動いていること。
悩み続けていること。
ストレスに晒されていること。
運動不足でいること。
生きていると実感しないこと。
生きていることが当たり前だと思わなくなったこと?
満員御礼のつり革。席。ところどころ遠慮の見える青いシートの優先席。
ゆらゆら揺れていたら、突如急ブレーキがかかった。
ギギギ、と身体が引っ張られて、引っ張られて、さらに引っ張られて、最大限に引っ張られて。
そして――ガタンッ。
人いきれの熱気とともに元の場所に戻った。
「ただいま車内で急病人の対応があり……」
車内放送が淡々と事実を述べる。
地震のときのアナウンサーのように、出来事を伝える手段の代わりを務めている。
本日の気温は猛暑だから、熱中症だろうか。
熱中症は夏のときだけ。それが当たり前だった。
でも今は、春でも秋でも起こり得る。気温に従うと最近理解した。
私の当たり前。
それは突如として崩れるもの。
それは人によって当たり前じゃないもの。
熱中症のような、人が我慢することで生まれる代物。
目が覚めると
2024/7/11 9:30:27
目が覚めるとアザラシになっていた。
アザラシ? とアザラシは思った。
前ヒレをぺたんと自分のほっぺたにつけて、ファンデーションをするようにもちもちさせた。
そうやっていると、そういえばそうだったなと思い直した。
アザラシになった手前、こんな話をするのは良くないとは思っている。
前世という概念が仮に続いているのであれば、アザラシの前世は人間ということになる。
人間時代、しごおわに家に帰り、部屋にぐでんと待っている130センチの抱きぐるみにむぎゅうすること。
するといつの間にか朝を迎える、というのが、一日のスケジュールだった。
アザラシの抱きぐるみである。
白いもふもふ。正体はアザラシの形をした綿であるが、それでも脳みそは癒しを求めていた。
社会という波に揉まれて、身体のすみずみまで疲れの色素が沈着していた。その身体の上に、お留守番していたぬいぐるみを乗っけて、
「あ〜、今日も疲れてますね〜」
と一人芝居をしていた。数え切れないほど、
「あ〜、しろ◯んになりたい〜」
と言いながら睡魔にいざなわれ、どこかの手違いで白いアザラシになった。
時々自分がアザラシであることを忘れてしまう。鏡があれば一目瞭然なのだが、ここは動物園である。
たしかにガラス壁はあるのだが、反射が心もとない……仕方がない。
保護されている立場、王様ではないのを自覚する。それ以前に言語が喋れなかった。
あれしろこれしろと命令ができない。
アザラシに命令されて、嬉しくてたまらないという人間はガラスの壁の向こう側、のみならず、いたるところにいるのに。できない。もどかしい。
そんなアザラシでも、園内を勝手に散歩することは許されていた。
いや、許されているというか、自由気ままに行動した末に迷子になって、ちょうどよく飼育員に見つかって、救助されて、台車に乗せられて丁寧に戻される、ということが多い。
脱走に怒られるどころか、戻るついでに小魚もいっぱいもらえて嬉しい。
飼育員はさぞや脱走癖のあるくせ者扱いしているだろうが、ライオンが脱走するより無害だからか、ゆるい容認がされている。
アザラシ自体もそこはわきまえているというか、園内までにしてやろう感があって、決して動物園の敷地外には出ない。種族は違うが他の動物はみんな友達である。
そういうわけで、アザラシはこの日も脱走した。しばらくして、女性の声がした。
「今日はキリンさんのところか〜」
動物園的には、ある種この脱走癖を利用していて、広報までするくらいだった。
いたるところにカメラを置いて、アザラシの首元に仕掛けたGPSをつけさせて、園内サイネージに道筋と現在地を表示させている。
このアイデアは、この女性の飼育員由来。
以来この動物園の定番にまでさせていた。
パンフレットにも「今日はランちゃんはどこにいるのかな?」と茶化している。容認というべきか心が広いのである。
予想通りキリンのところにいくと、先に発見したらしい人だかりができていた。見ると、アザラシはキリンの肩にいてジョッキーの真似をしていた。
自由なアザラシは行動制限されても自由のマスコットのままだった。
一件のLINE
世の中、本当に生きづらい世の中でございます。
えー、数多くある小噺のなかで、『一件のLINE』というものがございます。
これは現代落語といわれる、ごく最近作られた噺でございます。
まあ、LINEというのは、皆様もご存じの通り、ぽつ、ぽつ、と小雨のような短文をこう、相手に送りまして、相手のほうも、
「おっ、来たかあ」
と気づき、送り返してくるという、連絡ツールといいますか、まあそういうものになります。
いやもう、生きづらい世の中の中で唯一と言っていいほど進化したものでございます。
昭和のころは文通とか、もっと昔では電報という、電報……、最近の若者はわかりますかね、
「チチキトクスクカエレ」「サクラサク」など代表的なものがありますが。もはや古典落語でしょう。
「チチキトクスクカエレ」というのは、これはわかりやすいですね。
父が危篤であぶないから、今すぐにでも実家に帰ってきなさい、という緊急性を伝える慶弔電報。
では「サクラサク」というのは?
開花宣言……電報で?
と思うかもしれませんが違いますよ。桜が咲くのは春先、つまり学生の合格発表を意味するんですね。
そんな感じで当時では最も速達性に優れた情報伝達ツールですが、もうちょっと笑えてきますね。ダイイングメッセージみたいな感じじゃないですか。
しかも、「スグカエレ」じゃなくて「スク」ですよ。
濁点が使えなかったんですからね。
文字数に応じて金額が決まってきますから、必要最低限の文字数で内容を伝えようと短くする。そうなると濁点なんて使えるものか! と我慢すると。ケチなものです一文字なんてそんな! ――と。
まあでも、了解のことを「り」とかで送ることがあったとかないとか……。
それを考えると昔の人をバカにできなくなりましたね。本当に生きづらい世の中になりました。
それで昨今の、なんといいますか、Z世代とでもいえばいいんですかね。
そのようなキッズが、ある日押入れの奥から電報の紙を見つけまして。
これが忘れ去られたように保管してあったわけですよ。
「けほっ、けほっ。な、何だこれえ、古びた紙だなあ、ばっちいぞお」
と物珍し気に目を凝らしてみますと、なにやらダイイングメッセージみたいなものが書かれている。
これを見て、好奇心が刺激されたんでしょう。
三度の飯より好きなスマホを使って、解読することにしたのです。
まずはGoogleレンズ。
ご存じですか、すごいですよねぇ。
自動読み取り機能があるので、かざせば自動で読み取ってくれる。
最近のキッズは自分で文字を打たないんです。
全部機械。全部スマホ。
でも、古びた紙ですし、よくある黒いシミだらけですから機械の目では無理な話です。
「あれー、おかしいぞー。いつもならこれで、宿題を、終わらせられるのに」
とか言って、悪戦苦闘するんですが、読み取ってくれないポンコツなので、写真に撮ってLINEで友達に送ることにしたのです。
※アプリが重くなったので残念ながら終了。
『一件のLINE』という現代落語はありません。
これまでずっと
2024/7/13 11:41:06
これまでずっと、空気を読んで言わなかった。
このアプリ、文章書いて投稿したら広告見せられるのなんでやねんって。
だって考えたらおかしいじゃないか。
お題一つについて考えて書いて、書き終わったら、
「よーし、広告見るぞ〜」
ってならないじゃないか。
みんな何食わぬ顔で恭順の意を示しているけど、やっぱりおかしいと思ったりする。
歴が浅いからできる気づきってやつ。
いやいや、広告見せられるのは当たり前だろ。
これ無料アプリじゃん。無料でダウンロードできるじゃん。テレビだってそうネット番組だってそう。CMや広告を見せられるのは当然じゃん。
無料の代わりに広告を見せられる、それに何の文句があるの?
そんな考えなしに疑問の芽を潰そうとするイデオロギー的常識の圧力に屈しないように、僕はなおも続ける。
いやね、陰謀があると思うんだよ。
だって広告を見終わったあと、すぐにハートが送られてくるじゃん。
これおかしいよね。時間差おかしいよね。
たった今だよね。
ハートを送りつける条件で、広告を見させられるというものがある。
となると、投稿した直後に広告が入って、その後即座にハートが来るってことは、投稿直後に見た人が秒速1キロメートルでハートを送るボタンを押して、広告を見て、ってしないと送れないよね。
ちょっと機構がおかしいよねこのアプリって。
歴が浅いからできる気づきってやつ。
いやいや、そんなことどうでもいいじゃん。
というか、そんなこと言うと垢バンされる可能性あるよ。
ありがたい気持ちで僕らは文章を書き、無料で提供し、神にすがる仔羊みたいにしとけばいいんだよ。
広告のタイミング?
そんな、余計なことなんて考えなきゃいいんだよ。
そんな心配を装って考えなしに思考停止の良さをプレゼンする者の圧力に屈しないように、なおも続ける。
それでさあ、僕Androidのアプリ版を使ってるんだけど、GooglePlayの評価を見るとさあ、「ハートが付く条件、ただ見られただけ説」というのがあってさあ。
僕はこれ説を「気に入って」いるんだよね。
気に入っている?
そうさ。
僕は「この説」を見てこのアプリのダウンロードを決めたんだよ。
なにさ、気に入った人だからという理由があっても、広告を見てまでハートを送るって?
そんなの、幻想だよ幻想。
でも、考えてみたらわかる幻想でもアプリ開発者がそう言ってるからそうだっていうひとが多数だと思う。
信じたい人っていうのかな……。
でもね、そんな重たいハート、ぼくは要らないよ!
僕はね、サラッと見れてサラッと読める文章を書いてるんだから。
だから、その説を見たときにハッとしたんだよね。
なら、始められるなって。
気楽さ。そう、気楽さだよ。
ただ見られただけっていう軽いものなら、他人からの期待感とか考えなくていいんだって。
だから、広告とハートを分離して考えることにしたってわけ。
広告のタイミングだって、ホントは意地悪な設定にすることができる。
アプリのうざすぎる広告ゲーみたいに、二〜三個他人の投稿みたら広告。また二〜三個みたら広告、とか。
そんな事も出来るはずなんだよ。
というか、そっちのほうが広告を見る回数を稼げる!
なのにしない。
……なるほど、わかったよわかった。
君にはこう言えばいいんだね。
「なにか自慢したいことがあるの?」
よくぞ空気を読んで、言ってくれました!
ねぇねぇ、聞いて聞いて。
最近ハートが100を超えたんだよ〜!
すごいよすごい〜!
僕ってすごい!
みんながみんな神アプリっていうけど、違うよ。
続けている僕がすごいの〜!
優越感、劣等感
2024/7/14 17:25:54
プレバト「炎帝戦」を見ていた。
「黴臭いホテルだけど海がデカい」
俳句らしからぬ口語感。でも、わかりやすくて好き。
個人的超訳としては、
……なんだよ、ネットの事前予約のホームページではオーシャンビューで凄くいい評価、文句なしの星5だっていうから予約したのに、来てみたらなんだ。客室はカビ臭いじゃないか。
ったく、今回の旅は高くつい……
(閉め切ったカーテンを一気に開く)
うおおおおおーーーー!
すげええええーーーー!
(ロックを外し、豪快に窓を開く)
でけええええーーーー!
海ひろーーー!
やばーーーーちかいーーー!
という、見事な手のひらクルックル感を想像した。
さて、優越感、劣等感というのがお題だ。
僕は忘れたわけじゃないぞ。
優越感、劣等感とは、何やら格差というイメージがある。優越は上から下へ見下すことで得られる偽物の幸福。劣等感は、まあ、今更言うまでもないだろう。
ただ、両者2つの概念は、別に格差を設ける必要はなく、同一空間、同一時間帯に存在することもある。例えば先のホテルの例のように、窓を開けば劣等感のあるホテルから海の眺望の望める優越感に変貌する。
黴臭い部屋の臭気は、窓より流入する潮の香りによってかき消され、清涼となる。
だから、窓があるなら窓を開けましょう!
一階、二階、階数なんて関係ありません!
湿っぽいこと、思い詰めたこと、ネガティブ感情、その手の諸々の感情。脳内とともに部屋の換気をすればいいのでは?
それが直接作用するわけではないけど、回り回って、何かしらの分岐点になるのでは?
……しかし、この説明には明確な穴があって、
そもそも語りかけた本人の部屋に、窓がなかった場合は通じません。
例えば地下室。
地下室の住民は、陽の光を全く浴びたことのないモグラのような生活をしている貧困層の人々がいます。
大人のみならず、赤子、子ども、「それ以下」。
日本にはこういった「比喩」に該当する人は少ない。
誰だって窓のある部屋・家・間取りのある建物に住んだことがある。ホームレスの人だって、今そのような状態というだけで、ホームレス生まれホームレス育ちというわけではない。
時折、天気が崩れ、劣等感などを抱きながら雨宿りをし、なんでこんなことしてるんだろ、運がないなあ、と悪態をつきながら、目線を下げため息をつく。
足元を見る。アスファルト――地面が見える。
とはいえ、その人でも、どん底という人でもない。
その下、地下室やアスファルトの下に生活している人について、よぉく考えたことはない。
目線は常に自分。下に向いていても自分。
自分より下なんてない。
地面の上に自分の足。その下はない。
が、世界中に目を向ければ、その下の人なんて意外といる。住んでいる。
さて、こういう「アスファルトの下」に対して「窓を開けましょう」というきれいごとは通じません。
そもそも窓という設備がない、というよりは、地下に窓が必要ないことは「地上の人から見て常識である」から。また、脱出経路を塞ぐ目的として作ることを禁じているとも思われます。
だから、劣等感があるのは、同一空間に存在する優越感に裏返る可能性があるかもしれず、実際劣等感を持たない、「劣等感を持つことさえも許さない」地域も少なからず存在する。
劣等感とは、あくまで底辺の一部であって、まっ黒な幻影の一部には到底たどり着けない代物なのだろうと愚考しました。
それにしても、海はデカいほうがいい。
手を取り合って
2024/7/15 0:18:06
手を取り合ってみないとわからないことが多い。
実際握っているこの手はとても小さい。
寿命は私の数千分の一だろう。
長命種である私たちからすれば矮小な種族であり、瞬きする程度の時間で生死が連続する。
空気のようによくわからない具合だ。
人類と呼ばれる者たちが作り上げた歴史は血なまぐさい。血で血を洗い、奪い合い、同族で争い、他種族を巻き込む世界大戦を乱立させてきた。
今はだいぶ反省しているようだが、一部地域は戦争を継続しており、予断を許さない。
帝国と皇国。いつもいがみ合う大国だ。
……そのための、同盟である。
一方は人間の国。もう一方が魔物、それも龍の国。
種族の超えた同盟。
私達にはメリットは少ない。個人的には意味のない。
同族の問題であれば同族で解決してもらいたい。
ドラゴンという、人間からすれば神のような種族に頼り、場を鎮めるための手段……そのためにこの対談の機会を持ちかけていたのではないか。
あるいは、私たちの竜の牙、竜の爪、皮、鱗。
これらは希少的かつ高値で取引され、この機会を逆手に取り、襲撃を目論んでいる。
そう情報を流してきた人間の小国もいる。
手を握るまでそう思っていた。
しかし、しかし。
この目は特別なようだ。
そういるわけではない目。覚悟の目。
人の頂点に立ち、束ねるという目。
ふっ、いずれこの男が……
そうまぶたに未来を描こうかと思ったがやめておく。
「いいだろう。まずは、降りかかる火の粉を払わなければな」
私は身体を翻し、かの者に背中を見せた。
「乗れ」
特に不意打ちをされることもなく、飛び上がって背中に乗った。
「……恩に着る」
「容易いことだ」
私の咆哮とともに空へと跳躍。
そして大空へと羽ばたいていく。
目指すは帝国の陰謀のかかった属国、空の国。
まさに剣士と龍の物語が始まろうとしていた。
終わりにしよう
2024/7/16 12:25:41
「終わりにしよう」
物語の主人公はそう言って、さらに剣を握る力を込めた。
かれこれ数時間は戦っている。
未来では英雄と呼び叫んでいるかも知れないが、この時は一介の人間でしかない。
無尽蔵な体力など到底なく、剣の技術も質も貧弱だ。
目の前の好敵手は火を吐くレッドドラゴンである。
一対の大きな翼か厄介で、空中に飛び上がって一方的なブレスを吐く。それを、先ほどの策で片翼を切り裂いてやったのだ。
片方の翼で飛ぶドラゴン。
厄介ではあるが、その高度はみるみるうちに低くなり、やがて地上に降りてきた。背中にたたまれる翼。痛みと気力のボロボロの立ち姿。
それは、こちらとしても同じだ。
「お前もつらいだろうから、な!」
剣士は地を蹴り、飛翔する。
大口を開いて頭をつき出そうとしていた――刹那。
渾身の一撃を振り回した剣の攻撃が、その龍の喉笛を掻っ切ったのである。
空を見上げて心に浮かんだこと
2024/7/17 13:23:29
空を見上げて心に浮かんだこと。
戻り梅雨だから、くもり空で日差しを遮ってる感じがする。
すずしい感じ。蒸し暑い感じ。
でもゲリラ的にゲリラ豪雨がきて、瞬間的最大雨量を軽やかに更新したら雲の向こう側へと去っていく。
ポケティみたいな奴だ。
ポケットティッシュ……、配ってるやつの掛け声的な。
受け取ったら忘れる。あいつらってほんとに一日か二日でいなくなると思う。
しかし、忘れた頃にまた駅前広場に復活して、ポケティを配っている。
配る人変わってるんだろうか。興味なさすぎて困る。
今日のお題は別にどうでもいいやなので、軽く書いている。
見返してみたが、文脈がおかしい。文脈が困っている。
読めない。読めない……?
そうこれが、新たな梅雨の新常識なのだ!
ということにしたい。
しかし、……しろくて、でかい。
ああだめだ。
白いものを見ると、どうしてもおうちでお留守番してる130センチしろ◯んのことを思い出してしまう。
僕の上にしろ◯んを乗っけます。
上下にぽよぽよ揺らします。もふもふさせます。
あー、今日も疲れてますね〜。僕〜、ん〜。
……ZZZ。
いつの間にか朝になってます。
遠い日の記憶
2024/7/18 13:36:04
遠い日の記憶。それは僕が学生だった頃。
テストというものが常識として認識されていた頃。
80点以上なら何か親に怒られなくて済み、それ以下の場合はテレビゲームを封印される措置をとられた頃。
小中学校では、だから50点以下とか取ったことがない。
英単語として「Study」がごく当たり前に登場していた頃でもある。今は、スタディとかのカタカナがしっくりくるなって思ったりする。
高校生の序盤にiPhone3Gという、今で言うところのシーラカンスの化石みたいなものが初めて売られ、そこから連綿とスマホが流通するようになった。
あれは一種の技術革新で、起爆装置だった。
宇宙のビッグバンのようなスピードで広がり、今では指の腹を画面上で滑らせればすべてが行われるようになった。
デジタル化は進み、電化製品ばかりが人間社会の八割くらいは作っていると思う。この時点で人間の人口より機械のほうが軽く数を超える。
この割合が九割になる頃にはAIが人間のサポートをするようになるだろう。
カスタマーサポートは、まだまだ人間がいて、人間が人間をサポートしている。
そこが一家に一台iPhoneのように、一家に一台スパコンができるようになると、カスタマーサポートは要らなくなり、昨今でちらほらと話題になる「カスハラ」などというハラスメントは完全に消失する。
まあ、その置き換えがうまくいかないからハラスメントが起きている、ということになる。
一家に一台スパコンになっている頃。おそらく僕は100歳になってボケているな。
スパコンが増えるか人間か少子化で数を減らすか、それはあなたの想像次第。これも違った意味の「遠い日の記憶」……
私だけ
2024/7/19 12:51:07
私だけ、てんびんに載せられている気がした。
二つあるてんびん皿は釣り合っている。
皿の一つに私が、もう一つの皿に何か黒い箱のようなものが載せられている。
皿の大きさは意外と大きくて、丸い緑の山手線くらいはある。
私側の皿の上には、都会ではあって当然と言えるものばかりが載っていた。
部屋、寝室、廊下、玄関、机、タンス、おふとん、水道、洗面所、冷蔵庫、ガス、ティッシュ、トイレ。
それらを包含している建物、建物、建物……など、生活には至って困らない。
一方、対面の皿には一つだけしか置かれていない。
こちらと同じ大きさの皿なのに、置かれているのは黒い箱ただ一つ。皿の中央にひと箱だけ。
それ以外にないことは、特注の望遠鏡を覗いた私を信じてほしい。
望遠鏡を覗いたきっかけ? 気になった。それだけだ。
対面の皿の黒い箱を望遠鏡で覗くたびにこう思う。
一体あの中には何が入っているのだろう。
見てみたい。
◯カキンのYoutube動画のように、中を開封したい。
実はただの空き箱かもしれない。
おもかる石のようなもので、思ったより軽いのかもしれない。
蓋を開けてみなければわからない。そういったもの。
しかし、だめだと自分を制する。
なぜなら時計の針は、そろそろ仕事を始めなければならない時間を指しているからだ。そろそろ現実を始めなければならない。
好都合なことに、この世界はてんびんで出来ているからか、仕事は全部リモワとなっている。黙って皿の上に乗っとけという世界の意思を感じる。
つまり、嫌な通勤電車に乗らなくていいのだ。
ずっとここにいたい。おっと。
そんなことを思っていたら、もぞっとおふとんか動いた。なんてことはない。正体は白いもふもふ。130cmアザラシでお馴染みのし◯たんである。
どうやら寝ているときに毎日し◯たんと会話していたら想いが伝わったらしく、ぬいぐるみからつくも神的な要素を持つペットに進化したのである。
最初の頃は無言でおうちを徘徊するルンバの癒しバージョンだったのだが、徐々にお風呂に入るようになり、最近はおふとんを畳むまでになった。
さらには夢にまで出張ってきてくれて、疲れた私をやさしく撫で撫でしてくれて、もうたまらないくらいの毎夜の楽しみである。
そうやって冷蔵庫の下の方を開けて箱型のアイスクリームを取り出し、なんか、カッコ良い名前の道具で丸くすくい取って皿に乗っけた。
し◯たんは、いつも自分の分だけでなく私の分もよそってくれる。
私の分を渡したあと、三段のアイスクリームに取り組んでいる。上から水色、薄桃、黄色である。
あんなに食べられるのかな?
まあいいかと食べることにした。
……ああそうだ、あの道具はディッシャーと言うんだった。
そうやってリモワをしながら、溶けゆくアイスとともに時間が過ぎていくと、玄関のチャイムが鳴った。
PCゲームに夢中であるし◯たんを邪魔しないように脇を通り、荷物を受け取る。中古本と10日間分の備蓄品だった。
中古本は置いといて、備蓄品は時々てんびんが揺れて危ないから、買っておきたいと常日頃思っていたのだ。
私の記憶にないから、おそらくし◯たんがネットショッピングで注文してくれたのだろう。ありがたい限りだ。
受領印を押したあと、「ありっした〜」と宅配便の人が言い、私は玄関のドアを閉めようとした。
「あっ、ちなみになんすけど、あの荷物届けられるっすよ」
「えっ」
突然のことで私は戸惑った。
「あれって、何の……」
そこまで言って、私は察した。
「もしかして、黒い箱、ですか?」
宅配便の人は頷いた。私は少し逡巡したあと、
「いや大丈夫です」と断った。
宅配便の人は去っていった。
荷物を整理したあと、私は望遠鏡でもう一度あの黒い箱を覗き込んだ。あの黒い箱、いったい誰の荷物なんだろう……
視線の先には
2024/7/20 17:26:32
視線の先にはかげろうが立っている。
外はとても暑いことを端的に示している。
極暑、とかっこよく言ってみたが、言葉をかっこよくしても天候から夏が消えない。
つまり、文章を作るモチベーションが生まれてこなかった。仕方のないことだ、この言葉からは諦めよう。
今日は休日だから、外に出かけてやろうと思ったが、こんなに暑いんだからおうちでぬくぬくすることに変更した。
画期的かつ最新鋭の予定変更、とかっこよく言ってみたが、以下略。
部屋の中を適当に目を散策してみた。
視線の先には机の上。
薄べったい黄色が特徴のカロリーメイトが3箱ある。
ただ遊びかけの積み木のように積まれていた。
崩れただんだん畑のようになっている。
階段積みをして、2段目はかろうじて、3段目は普通に失敗して斜めになっている、と言えばいいだろう。
3箱ともチョコレート味となっている。
定番といえば定番。美味しくて飽きない。
平日の朝、会社ビルのカフェスペースで朝食を取るのが習慣である。
だが最近になってコンビニでカロリーメイトを買うのはお金がもったいないのではないかと思えてきた。
コンビニだとひと箱240円、スーパーなら210円。
90円くらいの節約。
しょぼいが、ポイ活で一日数円を血まなこになってかき集めている奴よりまあまあましな気がする。
だからさっきスーパーに行ってお買い物をしてきた。ついでにポテチも買ってきた。
道のりは険しい。外は炎天下である。
違う。めっちゃ蒸し暑いだけで日射は本気を出してこなかった。
一文目でかげろうという言葉を使ったが、正直かげろうは立ってなかった。
見なかっただけかもしれない。
けれども暑いという結果だけが脳内に残ったのは事実。
行ったり来たりするだけの行程。
肌や汗ばむ夏服などにダメージを受けた。
机の上で階段状になっているカロリーメイトの積み木は、買った直後、冷房をつけっぱなしにした自室に戻ってきて、エコバッグから取り出したスピードの痕跡だ。
ずさあ、と放り捨てた結果である。
きれいに整える時間も惜しく、この通りおふとんにてぬくぬくしているのである。
そういえば学生たちは今日から夏休みだそうです。僕たちも欲しいな、追加で。視線の先には過ぎ去った夏休み。
私の名前
2024/7/21 11:01:38
私の名前は「22時17分」。時刻だ!
なんでこの時刻なのかと疑問に思うかもしれないが、大変お恥ずかしいことに、深い理由はない。
ただ初めてこのアプリで投稿したあと、他の人の投稿をだらりと見ていたら、
「あっ、みんな名前設定されとる。名前設定できるんや」と思って、初心者にはとてもやさしくないアプリの設定を漁り、漁り、漁り。
特に説明書のない電化製品と立ち向かう不毛なやりとりをした終了時刻がこれだったというわけだ。
つまらない理由だと思われたら光栄だ。
だいたい、名前に深い意味をつけるほど暇を持て余す者でもない。
いつからは知らんが、気づいたのは一代前のスマホ。これはスマホで打っている(アプリだから当たり前だ)が、「いま」とフリックすると「今の時刻」がサジェストされる。
10時41分、10時45分、10時56分……全部今をサジェストされた者たち、いや者たちだった。
いい時代になったものだ。時間が間接的に実感できる。
キーボードを数字版にしてから、数字と漢字を使って、ということをしなくても、一発で今の時刻が引き当てられる。ソシャゲガチャも今の時代こうしていかなくちゃ。なぜやらないんだ!
まあ、「いま」というサジェストが、スマホでは何のシチュエーションを想定されたものなのかは知らないが、備えあれば憂いなし、ということで備え付けられた代物だろう。
スマホが大容量になったことで無駄なデータを載せられるようになったのはいいものだ。
特に夜に更新するわけでもない。
僕はもう、「22時17分」に深い愛情がないから、上書きしてもいいか、ということを思ったり思わなかったりした。
でも、名前を変えるのは面倒だから、半年くらいはこのままだろう。
そういえばこのアプリ以外もある創作系サイトがあるが、このときのペンネーム? 投稿名? も適当だ。
Aを打ってサジェストされた英単語でいっか。〇〇で。
あー、来月誕生日だからそれに絡める名前にすっか〜。✕✕で。ネーミングセンスなんてそんなものである。
小説内での登場人物の名前も、創作名前クリエイターサイトみたいな、ルーレット回したら一瞬で決まるやつを使っている。
結局僕は、どうでもいいやと思っているものは手抜き工事をしたいらしい。
次の手抜き名前は、一体何をするつもりなのか。
読めない未来ほど読めないものはない。
名前はまだない猫のように手を伸ばし、遊ぶ。
今一番欲しいもの
2024/7/22 12:57:59
今一番欲しいもの?
ごめんね。ないものねだりはしない性格なんだ。
こういったものは、結論ひと言で言い表せられるものなんてこの世には存在しないだろうなって思ったりする。
お金が欲しいと思っても、有効期限切れのお金は欲しくない。
お金が欲しい=偽札を製造したいわけでもない。
一番欲しいものは然るべき条件がある。
なぜお金が欲しいかといえば、それはお金から代替可能なものがいっぱいあって、という、要するに一番が決められない人が姑息な考えのもとに言っている。
とりあえず保留しながら選択肢を絞ってしまうようなもの。お金で買えないものは排除してしまって、最終的に後悔するのかも。
まあ、人間なんて、そんなもんだ。
欲しいものはいっぱいあるけど、その中の一番なんて、とてもじゃないが決められない。そんなの、欲しいものじゃない。
お金以外のものを欲しがったって、それは社会で生産された安全基準をクリアした製品みたいなものだ。
安全をすこぶる願ったものが来ても、それを疑う気持ちは消えない。
時と場合によって、一番欲しいものは変わる。
というのもありそう。
人間の脳は優柔不断で、常に揺れていて、それを楽しんでいるつもりでもある。
現実に取り組み、時には逃避して。
眠って、食べて起きて、眠って。
その時々で一番は違う。
もちろん欲しいものリストもたくさん持ってるだろうから、場面によって一番欲しいは違う。
ちょー眠いときは睡眠だし。
すごくお腹が空いたときは食べ物だし。
のどが渇いたときは水分だし。
いじめられて気持ちがしょぼんしているときは孤独だし。
洗われていないお皿を見たときは食洗機だし。
お金欲しいときは結局お金だけど、正直誰かの奢りの食事ほどうまいものはないし。
だから、このような問いの回答は永遠に保留して、少なくとも1000回くらいは問いかけてもらって、一番を考えながら無為に過ごせるという、一番欲しいものを何度も手に入れる遊びをしたい。
だからごめんね。ないものねだりはしない性格なんだ。
もしタイムマシンがあったなら
2024/7/23 13:16:39
もしもタイムマシンがあったなら、私は過去に行きたい人たちを四〜五人乗せて、タイムマシンの設計図を敷き詰めるだけ敷き詰めて、ずっと見送る側にいたい。
これは子供の頃思い描いていた夢だったが、まさか大人になって本当にタイムマシンを作ることができるとは……
「グッドラック」
私はタイムマシンを起動した。
胸に期待を躍らせるように、機体114514号は激しく振動し始めた。
危険な香りのする震え冷めやらぬなか、白いロケット型機体はさらに白くなり、光り輝いて現代を超越した。
光が消えるとともにマシンも消えた。
無事、タイムマシンが過去に行ったようだ。
マシンに積んだ「タイムマシンの設計図」を過去の誰かが読んだら、バタフライ・エフェクトなるものでこちらの技術が先進しているはず。
しかし、実験後の楽しみ兼、結果発表的時間帯。
紅茶1杯をお供に据えて、何か変化がないか静止していた。過去を見送る実験から45分が経過した。そんなものは起きない。
手先がカタカタと震え狂う。
この一杯は自己ではなく他者由来でなければならないのに。
「くっ、今回も失敗のようだ」
私は、過去へ飛んでいった者たちを角砂糖に見立て、冷めきった飴色の液体に何個も溶かした。
それを一気に飲み干した――甘い。
この甘ったるい甘さのように、私の開発した技術に穴がある……どこだ、どこに不備があると言うんだ?
わからない。
が、実験とは試行錯誤の連続だ。
甘いを通り過ぎて現代の苦々しい味に、もう一度誓った。
私はタイムマシンを開発する稀代の偉大なる発明者の名に連なるはずだ。
そうだ。ニコラ・テスラのような偉大なる科学者に……!
「おいおい、相変わらず辛気臭い顔をしてるじゃないか」
休憩室にてヤニを吸っているとき、同僚のイーロン37世が、陽気な顔をして声をかけてきた。
「ご先祖が見たら叱られるぞ。すごいしかめっ面で。昔ルパン並みの弾除けを披露したってのに」
「うるさい、それはファーストネームがたまたま同じだっただけの、僕ではない別の人骨だ。そっちは青い鳥を解雇したくせに、最近になってまたロゴに戻したそうじゃないか」
私の皮肉はどこへという感じで彼には通じない。
「はっはっは、それ、何世代前の話だ? 著作権が切れてフリー素材化しただろう。それで文句を言っていた連中とその子孫は、みんな死んでるんだ。関係ないだろ? それでトランプ」
イーロンがまた陽気な声で言う。
「今回のビジネス、素晴らしいと思うよ」
「ふん。私は別にビジネスだとは思ってない」
「じゃあなんだって言うんだ。『タイムマシンビジネス』?」
「社会貢献だ」
私は狭い喫煙所から出た。
今の時代、健康を損ねる毒の煙を吸うやつなど、世界のどこを探しても私くらいしかいない。ヘビースモーカーという言葉はもはや言葉の化石である。
気配がする。
私の後を追いかけ、セリフも追いかけ。
「社会貢献、皮肉なものだな。お前の開発したタイムマシンを『安楽死カプセル』に利用するだなんて。アイデア聞いたときは、こりゃたまげたと思ったよ。悪魔だってびっくりさ」
「あのときはどうかしていた。実験続きで、ニコチン切れだった。早朝家に帰ろうと思った矢先、人身事故に巻き込まれて朝の3時間がパーだ。その時に思ったものを、政府に打診したまでだ」
「『もしタイムマシンを開発したら、乗組員は自殺志願者を乗せましょう』……それを採用しちまう政府も政府だ。それほどまでに処分に困っていた、ということなのか」
ニート、無職、引きこもり。
先行き不透明な小中学生不登校。
SNSでもただ社会の恨みつらみを文章にするだけで、有機的な行動はしない。
そのような居場所のない者たちに、シという名の救済を、シという名の経済ビジネスを。
安楽死価格3700円のところを、人生やり直しサービス込みで35000円って囁けば、藁にも縋る思いで支払ってくれる。
死ぬ前に人生をやり直したいという人はゴマンといる。人生の負け犬だから、自殺するのだ。
その者たちをタイムマシンに押し込んで、過去に葬り去ろうとする。なんという夢のある慈善事業だ。
イーロンはSNSに居座る連中を蔑みの口調で語る。
もうすぐ実験室に着く頃合いだというのに、全然途切れない。
「……いつまでついてくる。こちとら忙しくてね」
「ああ失礼」
イーロンはスマホ画面を見せながら、
「君にインタビューしたいって言ってる物好きがこんなにもいるらしい。是非とも君本人にっていうが、君は断るだろう」
「そうだな、会見室が喫煙OKだったら一考の余地があるが、無理だろうな」
「そこでだ、君のしがない友人としてSNS会見の場を開こうと思ってる。場所は実験室兼タイムマシン発着場。
オブザーバーとして私も参加するつもりだが、事前情報くらいは、と思ってね」
例えばどんな質問があるんだ、と尋ねた。
「どうしてタイムマシンを作ろうと思ったか? とかだ。社会貢献は、建前だろ」
「ふん、ならこう言えばいいのか。例えば、大量の『|のび太《ニート》』を生贄に捧げて、一体の『|ドラえもん《天才》』を降臨させるため――といえば、インパクトはあるだろう。会見でのインプレッション数は、軽く億は稼げるか?」
「おいおい、ブラックな本音は慎んでくれよ」
「冗談、冗談だよ」
イーロンはそれでも気が気じゃないと慌てる。
「ったく、少しは炎上リスクというものを考えてくれよ。胃に悪い」
「口は慎むつもりさ。会見中にタイムマシンに乗って逃げるなんていう失態、できればしたくないからね」
2000文字。
花咲いて
2024/7/24 13:35:49
花咲いて。
花は咲くもんだ。
咲かなかった花があるなら、それは花と呼ぶんかいな。と思ってしまう今日のお題。
つまり難しいから適当に想像の花を咲き散らかして逃げたい。
雪月花、花鳥風月とか、花は引っ張りだこだなあと思う。
雪月花を初めて聞いたのはどこのタイミングだろう。
何巻かは忘れたが、初期のコナンのマンガで「雪月花」を題材にした話があった。
知ったのはたぶんその時だ。
怪盗キッドが盗むんだか盗まないんだか。
刑事に化けて、化けられた刑事を日テレのバッグに詰めて、詰めただけでなく、マスクを被らされて。
やけに手のこんだことしたのに、結局盗まないんかーい、と思ったかも。
その時は、「雪月花」という美しい名前の持つ花があるんだなあと思っていたが、実際は別々のテーマで、どれも美しいよね〜、それを写し取った3枚の絵も美しいよね〜という奴だった。
花を含む自然物は、詩情というものがあるようで、僕はいまいちこの日本語がよくわかってないで本を読んでいた。
詩情を調べると「詩的な趣」
詩的を調べると「詩の趣」
詩ってなんやねん、と調べると、
「心に感じたことを言葉で表したもの」と出てきた。
正直言って、わからん。
もう少し調べてみると、「物体から出る芳香剤のようなもの」と出てきた。なるほど。
例えば同じ花があったとして、陰気なところに咲く花と、家中で咲く花があったとする。
両者の花の匂いは同じだけど、見る人によって違ったニュアンスがある。
花単体は変わらないけど、花の周りを見たら違う。
オーラと言うべきか、空気が違うというべきか。
その機微を観察者たる人間が汲み取って、言語化あるいは心情化し、文字を残したり、芸術品や創作に取り組むようになる。
同じ花の種類でも、時期や場所、背丈や葉の色合い、影の作り方、太陽に向けるツルなど、周囲に及ぼす影響は違う。
どうやら視覚的作用から脳に及ぼすまでの一瞬の間に、「物体から出る芳香剤のようなもの」を言葉という俎上に乗せ、第三者へ旅させることで、可愛い子には旅をさせよ的な感じで、喚起させていると。
「花咲いて」と書くことで、花が咲いたあと、何があったのか。
想像のありかを示す道しるべ的な役目をしているのかなって。その花の匂いに流されて、物語は始まるのかもね、と思ったりもした。
友情
2024/7/25 13:34:58
友情で脳を巡らせてみたら、太宰治の書いた『走れメロス』がヒットした。
メロスが激怒して、邪智暴虐たる王を許せん。
と直談判するも引っ捕らえられ、王殺し未遂でメロスは死刑になる。
ちょっと待ってほしい。
今死ぬのはいいけど、もうすぐ妹の結婚式があるんだ。
3日後の日没後までには戻るんで、と王に言って待ってもらうことにしたけど、王は嘲笑する。
「ふはは。貴様、死ぬために戻ってくるという戯言、誰が聞くんだ。そのまま逃げる気だろう」
と王は人の心が信じられないので、メロスは、
「じゃあ俺の代わりにセリヌンティウスを置いておきますんで」
と、メロスは全力疾走した話だ。
某フリーアナウンサーが、
「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。
とありますが、このときのスピードを計算したら、マッハ11。メロスは100mを0.02秒で走ります」
と、『走れメロス』の比喩の面白さについて語った動画を見かけたことがある。
なんだ、やればできるじゃんメロスって。
しかし、どの学年の時に習ったか忘れたが、いまいちしっくりこないストーリーだ。
メロスが本気を出せば済むとはいえ、普通に考えると、妹の結婚式がもうすぐそこまで近づいているのに、王を殺しに行くだろうか。
メロスがキレちゃったんだからしょうがない。
になると思うけど、普通に考えたら、妹の結婚式を終えてから、「さあ、殺しに行くぞ!」と我慢すればよかったのに。
友のセリヌンティウスじゃなくて、そのへんのホームレスみたいな、いのちの軽い人を置いておけば、あんなに苦悩して走らなくても。
みたいな、国語の教科書をなんだと思ってるんだこのクソガキは、くらいな事を思っていた。
でも、そんな物語、読んでて別に面白くない。
妹の結婚式前後で全力で走るから面白いんじゃないか。
メロスに論理的思考を求めるな。
メロスが我慢強くて、計画的に王殺しを決行したら、単なる殺人鬼になってしまう。
そう思って太宰治はおよそ現実から遠ざけた異質空間を作り、妹の結婚式直前なのに、メロスが激怒しちゃって死刑になっちゃう、という理不尽なストーリーをメロスに与えたのだろう。
このときのメロスとセリヌンティウスの関係は、読み終えれば固い絆で結ばれてたんだなってわかるけど、友を人質にするというメロスの思考回路は、読者にはよくわからない。
邪智暴虐たる王のように、このときの読者もメロスの気持ちがよくわからない。
なんでメロスは友を人質にさせたのか。
セリヌンティウスもセリヌンティウスだ。
「すべてはメロス様の仰せのままに」
と、歴戦の人質の姿勢のまま磔に掛けられる。
なんだコイツらである。なんでコイツら、人のことをそうやすやすと、信じられる?
メロスは走り、都市から離れていく。
往路はそこまで描写は少ない。結婚式に間に合えば良いから。
復路からが本番だ。走ったり立ち止まったり、野盗に襲われたりして、なんで自分がこんな災難を……、という苦悩が描かれる。これは、
メロスが友のために走る
=自分が死刑になるために走る
からで、メロスだって死刑は不服だと納得していない。
別に帰らないで裏切ることはできるけど……、
でも! 走らなきゃ!
と、メロスはサイヤ人になって『走れメロス』になる。だから「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。」のである。
どうして一生懸命走るんだ。
死刑なんだから戻ったら死刑執行されちゃうんだぞ!
でも、セリヌンティウスが!
という忠誠心に似た絆か友情か。
どっちか知らんけど、ようやくこの辺になって読者にもメロスとセリヌンティウスのただならぬ友情が垣間見えるようになる。
本文にはまったく書かれていない、
「普通の説明ではおよそ見当もつかない二人の長く古い絆」が感じ取れるようになる。
途中「もう間に合わないよ!」と誰かに言われようと、
「うるさい! 間に合う間に合わないの問題じゃない! 人の命が掛かってるから走るんじゃない! だって、セリヌンティウスが信じてるから!」
という、人を信じる力で理不尽に打ち勝とうとする人間を描いたのだと思った。
友情って、裏切られる可能性があるけど裏切らなかったっていう、人には見えないものなんだろうね。
「俺の代わりにセリヌンティウス置いていきますんで」
じゃなく、
「俺の代わりにセリヌンティウスという命以上に大切なものを預けますから」
という、そういったメロスの真剣味が、読み進めるごとに分かる仕掛けになっている。
鳥かご
2024/7/26 13:36:17
鳥かごほど空洞なものはない。
紡錘形の金網で、高さは50センチメートル。
生きた内容物が逃げないよう、隙間のあって、しかし逃げ場を許さない金属の細い棒がかごの周りを囲む。
中にはヒノキの木の太い台が組み込まれている。
外側に開く小さな扉がついていて、かごのてっぺんには小さな輪っかのついた構造だった。
しかし、もはや打ち捨てられたゴミである。
終末病棟の患者のように、かごの格好は横に寝転んでいる。
主はもういない。ゴミだからである。
主の主もまた、この街にはいない。
この街が廃街となって30年は過ぎようとしている。
理由は不明だが、人間たちが避難した主因の輪郭は、立ち込める自然の力によっていくらか推察することができる。
どこもかしこも家は廃屋となり、平らな道はどこにもない。道はひび割れ、小石にまで|頽落《たいらく》している。
時折山からイノシシが降りてきて、いたるところでクソをして、それを放置するという。追い払う者がいないということだ。
主がいなくなったあと、ごみとなった鳥かごには幾つもの不法侵入者がかごの中に居座った。
ヘビ、カマキリ、アリ、リス、ノラネコである。ノラネコが一番期間が長かったが、死期を悟ってどこかへ行ってしまった。
かごの中の木の台座も、それらによる粗相で、今はもう木の破片となり、表面は黒く焼け焦げたようになっている。
防水のワックスは|剥《は》げ、触ることを消毒する事も|躊躇《ためら》うほどのおびただしい虫のついた安息の地となっている。
かごは、ゴミ捨て場に捨てたようなのだが、不法投棄しても問題ないほど様変わりしている。
アスファルトは腐り果て、地中から何かしらの植物が生え、緑のツルの侵略をされている。
そこに投げ捨てられた鳥かごは、今や路傍の石よりもはるかに目立たない金属片となっていた。
かろうじてかごだったという形を残すのみである。
この町はもう死んだと同然のものであり、人の姿は一人もいない。時間もまた死んだようで流れていない。
空気は淀み、天気も崩れぎみで、湿度も気温も不快感の先鋭化となっている。
居心地は悪い。不衛生なほどである。
遠くから小鳥たちの鳴き声が春の訪れを予感させている。巣作りのための材料を探している気がする。
小隊を組むように、そのものたちは、鳥かごだったものの近くに降り立った。
横になったかごの上に乗って、ツンツン、と短いクチバシで足元の具合を確かめる。
もはや金属としての抵抗はなく、卵の殻にひび割れるように。金属の細い棒はひん曲がり、やがて折れた。
その幼い攻撃により、紡錘形の形を失いつつあった。
一部をクチバシで取り上げ、小鳥たちは周りの様子を然として確認。そして飛び去っていった。
穴の空いた鳥かごは、まだ形を失わないで残っている。
誰かのためになるのなら
2024/7/27 18:11:16
誰かのためになるならば、あとで書くことにする。
今日はとても忙しい。
※忙しかったので、この日はこれで終わりです。
神様が舞い降りてきてこう言った。
2024/7/27 22:51:47
神様が舞い降りてきてこう言った。
「誰か金を恵んでくれませんか?」
「え、神なのに?」人間は逆質問をした。
「人を救おうと、天から降りてきました。しかし地上では何やらお金というもので取引をしていますね」
「え、神なのに?」
人間は今さら何、みたいな言い方をした。
「それでまずは人の生活を間近で見て眺め、問題事を見出してやりたいと思ったのです」
「え、神なのに?」
人間は神を全知全能だと思い込んでいた。
喋ってみればなんだ、丸っきり無知じゃないか。
「今まで無関心だったのです。人間を作った後、疲れてしまって。だから、贖罪の意を込めて一から学ばせてください」
「……ショクザイ?」
「はい、贖罪です」
人間は返す言葉もなかった。やがて、
「ところで、今のあなたは神なのですか?」
「精神は神ですが、この身体は人間です。だから――」
次の瞬間、銃声が一発轟いた。
神様の頭に命中し、血しぶきをだしながら絶命した。
人間はひと通り死体を確認するも、やれやれとかぶりを振った。
銃声の正体は知っていた。
「おいみんな、自称神様の死体が獲れたぞ。どうする」
後日神様は、神様の供物になった。
神の言った通り、贖罪はショクザイとなったのだ。
お祭り
2024/7/29 16:16:46
お祭りの最中のようだった。
自分を中心点として、半径数百メートルは自分の領域であると錯覚できるほど。闘争心の焼却具合である。
自分に近づく、ありとあらゆる者どもの駆逐するためのキャンプファイヤーの熱気が。
獰猛な突進をする野生のイノシシのような。
そういった熱気。温度。空気感。
それを心に感じる。
速く速く速く。
焼べなければならない。
逸る気持ちを押さえて、燃焼スピードだけを早める必要がある。
一方、辺りは静かなように思えた。
当然だろうか?
そうだ。
誰に言われたわけでもない自問自答。
意味不明な思考の暴虐。
慌てるな。
乱心具合。胡乱な目つき。
超過する集中力。溢れそうになる。
標的は一つのみである。
気を散らせる必要はない。
必要のない不要。
確認するまでもない不要。
他はどうでもよい。
その通りだ。
手首の動きを確かめる。
可動域はどうか。最大限の駆動感はどうか。
手首パーツのひねりはどうか。
それらを確かめるように、こきりと関節の音を唸らせて、精査する。
――いまだ。
彼は水音すらもなく、ポイを沈めた。
獲物である赤いヒレを透過するように、水面下ですべてを捕らえるかのように。
ポイを沈め、ひょいと持ち上げようとする。
嵐が来ようとも
2024/7/30 16:26:04
嵐が来ようとも、この勝負からは逃げたくない。
分厚い雲の、月光の一切届かない夜のタイトルマッチ。
昨夜から大ぶりの雨が降りまくっていて、風もある。
風にあおられ、雨にもあおられ。
十文字に区切られた大きな窓を、がたがた怯えあがらせている。
窓を斜めに流れ落ちている雨だった水の筋は窓ガラス上で何筋も分かれ、暗い視界に消える。あれらが自分に舞い降りていた可能性の光だったように。
孤島のなかのとある別荘。
周りは荒れた海に囲まれていて、定期便は来ない。
別荘のオーナーである国分寺崇名人の貸切別荘である。
そこに、今朝死体が発見された。
海から這い出て、迷い込んだイルカが砂浜で息絶えているようだった。
海の塩気と雨の水で、青い服はますます青くなり、当然身体はずぶぬれだった。
救急車を呼ぶには遅かった。
自殺…? と断定するほど、自分たちの目は愚かではない。
背中に突き立てた包丁が、慄然と立っていて、そこに犯人の不在と潜伏を表徴とさせている。
嵐の中の孤島。
逃げ場はないはずだ。
この中にいる。
いわゆるクローズドサークルと呼ばれる、生け簀のなかで上位の代物。
めったにお目にかかれない経験、実績、名人級のノーカット。
しかし、そんなものが無くても目の前の勝負から降りたくない。
将棋盤が置かれている。
現実からの息抜きのために置かれたもの。
国分寺崇名人から勝負を持ちかけられて、今勝負中だ。
歩を動かして防御に回るか、あるいは飛車を犠牲にして王手にするか。
あるいは…、この長考は重要だ。なぜなら。
「この勝負に勝ったら、犯人がだれかヒントをあげよう。次に死ぬのは私だ」
犯人なんていうものはもうわかってる。
だからこそ、この勝負から降りれない。
澄んだ瞳
2024/7/31 18:31:48
今時似つかわしくない、紙の地図をざらりと撫で、周りを見渡した。
「……ここが『澄んだ瞳』か」
日本からおよそ七万キロ。
アジア大陸の、ヨーロッパとG国の中間辺りにある、雪国と雪の降らない国の狭間となっている所。雪はいつも降るかどうか迷っているのだろうが、ここ数日は雪化粧を選んだようだ。
彼は今、頑丈な雪の重さに耐える針葉樹の稠密を抜け、崖の上から見下ろしていた。
目線を水平にして、少し目を凝らせば、遠くに見えるかもしれない。チェルノブイリという、決して消えぬ絶望を伝える、古びた剣のような嘆きを。
しかし、彼の興味は別の所を向いている。
興味のない目の加減。機敏な動き。
今は係争地にほど近い場所であり、誰も知らない場所になりつつある。
彼の後ろでドスンと雪の塊が落ちた。
気にしない。目は日常の一つを、するどく拒否した。日本だって、北海道に行けばありふれた現象だ。
でも……
崖の上と崖下。
高低差は700メートルほどあるだろう。
中心には核の成分の溶け込む、澱んだ緑青色の湖。
その輪郭を攻めるように、左右に一つずつ、彼と同じような崖が形作っている。
しかし、こちらのような高低差を作るだけの段差ではなく、反り立つ壁……いや、それ以上に反っていた。
一口サイズに切られた三角形のチーズが少し溶けたような感じである。
鋭角から先はヘアピンカーブより何倍もきつく、線路の分岐路よりも非常に、非常に曲がって地上に到達する。
鋭角15度の、三日月の先端。そのような崖。
それが鏡合わせのようになっていた。
戦争と平和のように、両者は対立していた。
その崖から雫が垂れて、雨が水たまりを作るように、対立する二つの崖の下に、先ほどの湖がある。
この碧色の湖が瞳を表し、二つの反り立つ崖が瞼を意味するらしい。
澱んでいるのは湖面3センチほどらしい。つまり皮膜であり、苔であり、マリモでもある。
表面積を覆う緑色。
そのすぐ下には、底の見えぬ美しさが隠されている。手を沈めて掬い取ろうとすれば見られるかもしれない。鮮青色の、真の湖の顔が。
しかし、『瞳』に近づくには、高濃度の硫化水素を浴び続けなければならない。
『澄んだ瞳』――涙を流さず、潤いは寸前で堪えている。
だから、一人でいたい
2024/8/1 18:51:51
だから、一人でいたい。
これを文章に書かず、誰にも聞こえないように心のなかで呟けば、一人でいられると思うんだけど。
この文章のように誰かに見られる形にしてしまって、当然のようにハートが送られ、反応が返ってきてしまえば、たちまち一人の世界観は壊れてしまう。
思えば僕たちは音のない世界に生きていない。
真の文章とやらを書いた覚えもない。
人生に失敗したニートよろしく自室に引きこもっても、誰かが作った人工物と誰かが汲んだ水と食べ物、誰かの記憶を詰めたものを見て聴き続けている。
それを一人でいたい、と世の中は定義している。
あまりにも甘い。
一人でいたい、と思えるのは感情の発露的に浮かび上がったあの時だけであり、もう気づいても遅い実現不可能な将来の夢であり。
過去のどれを振り返ろうと、どこにも孤独は見つからない。
人でいる限り、誰かが作った製品と人の努力の賜物が染み付いた空気が漂っていて、いくら換気をしたってやってこない。
赤子のように、たった今生まれた新鮮な空気なんて、この世界のどこを探したってないんだ。
あっても宇宙くらいだろうか。
地球の表面の宇宙は、誰かが到達している。
ということは月にいかないと? 月も誰かがいるだろうし、そして宇宙ゴミが数多ある隕石の欠片のごとく浮遊しているのだから、本質的には難しいかもしれない。
だから一人でいたいって思うんだ。
そんな難しいことを思いながら、過ぎ去りつつある将来の夢の夢を吸って。
誰かが吸って、誰かが吐いた空気を。
自分が吸って、それを吐いて。
また吸って、吐いて。
そんな事を何度も繰り返す度に、一人になりたいなどと言って、周りに逃避の欠片を落とし、結局誰かが作ったものを手にとって、それを生き甲斐にしている。
だから、一人でいたい。
そう思って、思い続けていけば、やがて気付くと思う。
目を閉じた心のなか、命を投げ捨てたあとの余寒。
どちらも埋没毛のようなもので、いつ芽が出るかはよくわからない。
それでも生き続けるしかない。
明日、もし晴れたら
2024/8/2 16:12:20
明日、もし晴れたら、
などと、天気を理由にしないで、何かしらのことをやる。
雲のような、ふわっとしたものだけど、それでも僕はとても満足している。
ネットを見ると不安にさせてくるようなものばかり。
話は変わるけど、サイバー攻撃でダウンした某ニコニコ動画なんだけど、再構築された契機にUIがYouTubeみたいに刷新されるらしいんだよね。
これ、僕もさっき知ったばかりなんだけど。
こうしてみると、サイバー攻撃されてよかったかもしれないね。ネットニュースだから信憑性は著しく悪いけど。
これも話は変わるけど、株価が暴落したってSNSは騒いでる。
僕も見てみたんだけどね。
どーん、なんだよ。
僕もグラフ見たけど、どーん、ってなってたよ。
新NISA民は全滅だろうって、書いてあったのだよ。
僕、積立NISA始めたばっかりで、とりあえず様子見で月5000円積立に設定したんだけど。
マイナス600円程度のかすり傷で済んだよ。
月5000とか、意味ねーじゃんとか。
ネットでそんな事が書いてあったり、身内に言われたりしたけど、うるさいのだ。
僕はミーハーなの。
いちいちうるさいのだ。
僕は、このどーんを、近年稀に見る何とかって、ボジョレーのキャッチコピーを考えるときぐらいの気分で命名したいの。
そうだ。
明日、もし晴れだったら、冷房の効いたカフェスペースの窓際席で、青い空でも見てみようじゃないか。
例えばあそこにどーん、と浮かんでいる雲。
動いてないようで動いているな。
僕には見えているぞ。
ふふふ。
そんな気分で。
目の前の景色を、どーん、のひとことで済ましたい毎日なのだ。
病室
2024/8/3 18:53:25
病室に六人の被験者たちが集められた。
B製薬会社の投薬実験という、いわゆる治験の類で、三日で終了するという触れ込みだった。
正規の募集ではなく、どうやって応募したのかは……、そこから先は守秘義務で言えない。
被験者に与えられたルールはとても単純で、三日間病室からでないこと。毎日四回と、毎食と就寝時に新薬を服薬すること、だけである。
報酬は振り込みで、三日で十万円。
一日目、二日目、そして最終日も何事もなく終わって解散となった。
これだけで十万円とか、と被験者たちはみな嬉しい思いをしたはずだ。
しかし、うっすらと違和感めいたものがあった。
まず、自分を含む被験者のどれを見渡しても子供たちだったこと。
〇歳、三歳、六歳、九歳、十二歳、十五歳と続く。
自分は十二歳だった。
きっちり三の倍数の年齢で構成されているというのが、データをとってやるぞというものがうかがい知れた。
一番下の年齢は赤ん坊だった。〇歳を含めて三の倍数で揃えた、ということだろう。
……と、その時はその場で納得してしまったが、なんだか気味が悪い。
六人のうち一人が赤ん坊である、そのことがおかしいと思うのが自然だ。
それに、治験の三日間、看護師などが来なかったのである。
だから、おしめを変えるとかは、自分たちで代わりにやった。
もちろん新薬も飲ませた。
赤ん坊だからか、自分たちのような白い錠剤ではなく、白いトローチだから、意外と処置が容易かった。
赤ん坊もそうだが、治験中に不気味なことを経験したのだ。
あれは一日目か二日目か、どちらかわからないが、深夜に息苦しさを覚えた。
なにやら、心臓を撫でられた感じだった。
ぞっとするような冷たい手の感触で、直接心臓を握り触られた。
服ごとかきむしるように、その手をどけようとするが、残念ながらそんなことはできない。
服や皮膚を貫通して、直接触られている。
やがて地獄の夢のなかを自覚するように明晰になってきて、夜中に目覚めてしまった。
昔話のように、枕元に誰かが立っている!ということはなかった。なにもない。
赤ん坊も眠る、静かな深夜だった。
自分以外だれもが寝静まっている。
あれはいったい何だったのだろう?
幽霊……、と一言で片づけてもよかったのだが、気味が悪い治験だった。
目が覚めるまで
2024/8/4 18:40:39
目が覚めるまで、僕は何をしていたのだろう。
「夢遊病」というものがある。
睡眠中起き出して、意識もなく歩き回り、そして目が覚める。
最初は大層な寝相アートを創り出したなあ、という自覚だった。
着ていた服が投げっぱなしになって散乱していたし、紫色の毛布はずるすると部屋の外の廊下に飛び出していた。
家出を検討する真面目な中学生みたいな、精神は家出済みだが、身体は家にいるような、ためらい。
しかし、連続ドラマの最高視聴率を叩き出したものをやってしまったときは、ちょっとおかしいな、自分、と改めて認識した。
同一人物でないと思った。
どういえばいいのだろう、ひとつに統合されてないというか、身体と心が分離したかのようだった。
所詮身体は心を乗せる有機物の籠でしかなく、主体性のある何者かによって操縦されている。
順当に飛行していた旅客機が墜落した跡の、その残骸を見た。
ベッドの中で気を失うように眠ったはずが、家の外の道ばたで寝ていた。
あれ? どうして僕は……
起き上がって足を見ると靴を履いていない。
靴下も履いていない、裸足だ。
どのような歩きかたをしたのだろう、土踏まずにも灰色の小さな石が付いていた。
それらを払い除けて、アスファルトの路地を走り、戻る。
裸足で道を歩くと新鮮な感じだ。とても痛いのは、不健康だからか。
違う、道を作る材質の硬度のせいだ。
玄関扉まで戻ると、なんと鍵がかかっている。
ポケットをまさぐる。
チャリンと鍵の在処を示した。
ちゃんと僕は鍵をかけて出たっていうのか?
まさか!
大慌てで手を入れ、鍵を取り出し、本物であるという証明音が聞こえる。確信のもと、中に入った。
特に何事もなく夜を過ごした靴があって、部屋があって廊下があって、リビングは……と、リビングまで歩くと異変がある。
リビングの窓が全開になっていて、白いレースのカーテンが内側に迫っていた。
ふわりと、外の風で膨らませていた。
こんなふうに、見えない何かで僕は膨らんでいる。
膨らんで、そして縮まって、また大きく膨らむ。
このカーテンの柔軟さに、僕は助けられている。
つまらないことでも
2024/8/5 14:37:33
つまらないことでも「本当につまらない」と断言することは、異常に簡単で難しい。
なんというか、未知の味のガムみたいなもの。
ひと目見ただけでは取るに足らない一粒。
一向に味がしない、つまんない状態にさせるには、数十分口の中で取り組まないといけない。
かといって、
「あー、噛んでてつまらなかった」
と、ぺっと吐き出して感想を述べるのは常設展示レベルにダサい。
率直に言えないのは、天邪鬼めいている。
年齢によっても見方は異なると思う。
六面ダイスのサイコロを振る、一度。
低年齢なら、嫌というほど確率の問題で出くわすから、アタマの中は散らばったサイコロで数多である。
ようやく確率の問題から逃れられた年齢に依れば、サイコロの目によらず、それは一種の比喩へと転じ、多面的な見方をするように仕向けられる。
展開図という単元があったような気がする。
特にサイコロのみの展開図を複数種覚えさせられたのは、なんとなく伏線的な香りがする。
教科書に載せられたものの多くは、子どものときには効果を発しない。明らかに遅延的で視覚的な効果だ。
見方を変えるために、とりあえず目の前のものをこねこねするのがいいらしい。
立体を崩して、物体を崩して……、物質にする。
立体的から平面的に、物事を考える必要がある。
ああいう形を作るには、まず図面を描かねばならない。
立体とは、平面的図形の寄せ集めである。
それを見えるように、次元を一つ戻して二次元にし、考え直してから、三次元へ組み立てるように。
たかがサイコロ一つ、所詮運だ。
誰が振ったかなんて関係ない。
反省なんてさらに意味ない。
と落胆せず、そういった考え方のクセを見出して、新たに再構築することが肝要である。
そんな車輪の再開発めいたことをせず、単に「つまらない」と一蹴してもいいのか。
結局「つまらない」と言いたい人は、即断即決に憧れているのだと思う。
つまり、あまり考えたくない人。
あるモノを即断即決して「つまらない」と即断即決するから、急速にそれをつまらなくさせている。
まあ、即断即決が一概に悪いとはいえないけど、大概即断即決する人は、即断即決に憧れている人。
即断即決でも、理由は要ると思う。
「どうしてそれにしたの?」
「なんとなく」
僕も靴選びを即断即決しては、よく後悔している。
足は冒険したくないって、駄々をこねている。
毎回同じメーカーの、同じサイズのものしか買わなくなってしまった。
変わらないって正直、とてもつまらない。
鐘の音
2024/8/6 17:14:39
鐘の音は密やかに、日常の通底に流れる。
それが一気に浮上して、ガラーンと鳴った。
昨日(8/5)、日経平均株価が失墜してしまい、歴代最高レベルの大暴落となった。
SNSが新NISA民終了のお知らせなどといってトレンド入りしまくっている。
特に信用取引・レバレッジなどのFX取引の方々は、追証(おいしょう)と呼ばれる強制ロスカットが今週予想されているようで、
「人生に絶望した形として早朝に電車遅延か?」
「今日は人身事故に注意」
などといって警鐘を鳴らしている。
「あー、これは絶望の鐘の音が轟きましたなあ。年末の除夜の鐘の108倍の威力はありますぞ」
と他人事のように書こうかと思ったのだが、今日になって、すっかり盛り返してきた。警鐘を鳴らして成功だったか?
わりとV字回復といってもいいほどで、昨日のあれはなんだったのか、といった完全犯罪の具合である。
現場に死体以外何も残さず、犯罪者はそのまま留まって第一発見者の一団に潜り込み、素知らぬ顔。
そんな手際の良さだ。やっぱりSNSって大げさ。
これについて書くことがないので、別の鐘の音について書くことにする。
冒頭のように、比喩になってしまうが仕方がない。
早鐘を打つように、という風に、心臓という「いのちの鐘」について触れてみる。
僕が学生の時はまったく覚えてないのだが、今は「いのちの授業」なるものがあるらしい。
この授業、どことなく千家と裏千家みたいな感じで流派があるらしい。
心臓か、赤ちゃん……胎児か。
「いのちの授業」について検索してみると、こんなことを言っているPDFファイルが見つかる。引用↓
---
子どもたちに、「命ってなんだと思う?」
と先生が問いかけると、どの子も必ず心臓に手を当てるそうです。
先生は、「それは違います」と優しく諭されて、次のように話されました。
「心臓は「いのち」ではありません。心臓は単なるポンプです。「いのち」は目に見えないものです。確かにあるものだけれど、でも、目には見えない。
では、命とは何か。
昨日も今日も見えないけれど、寝たり、勉強したり、遊んだりするのは、きみたちの持っている時間を使っているんだ。時間を使っていることが、きみが生きている証拠。つまり、命とは君たちが持っている、使っている『時間』なんだよ」
---
子供にとって、あまり理解しづらい感じ。
なんか「ふーん」で終わってしまいそうな。
たしかに心臓=命そのものではない。
心臓手術で心臓を止めて、また動かして生還した場合、その人の命の行方はどこに行ったというのだろう。
その場合の説明ができないから、いのちは見えないものだから、時間という見えないもので説明した。
……というのは考えすぎか?
でも僕的には「いのち」って見えたほうがいいよなあ、って思ったりする。現代だと特にそう。
最近の学生たちは、
「もう消えてしまいたい」とSNSで声を上げ、共感しあい、慰め合っている。
どうしてそんなことをしているのかと言えば、鐘の音が聞こえなくなったからだという。
いのちの鐘の音。
救急車のサイレンがうるさくて眠れない街の人のように。
除夜の鐘がうるさくて夜眠れないクレーマーのように。
聞こえなくなったというわけだ。
「いのちとは、時間なんだ」
という、小さい頃に吹き込まれた大人のよくわからない説明からだと思うんだよね。
だから鐘の音は抽象度が高くなって、言語化もしやすくなった。文字起こしすれば、それで鐘の音を鳴らしあっているつもりになる。
実際は胸をさらけ出して(最近は服の上からになりつつあるけど)、聴診器で聞き取らないと聞けない代物なのに。
共感性の方を重要視しすぎて、価値が暴落してしまっている。
普段は大きい音で隠れて聴こえない鐘の音。
音は小さいから時折耳を澄ます必要のある、最も単調なデバイス。
太陽
2024/8/7 18:26:09
太陽に歯向かって飛び、羽を焼かれては太陽に挑み続けるバカ天使がいた。
名前は覚える必要もないほどバカだが、一応書いておくと「イカロス」という。
「あいつほんとバカだな」
セラフィムの使いが、今日もまた太陽に向かい、その途上で「あち〜」と言いながらひゅーんと落ちていく様子を見届けた。
ほんと懲りない野郎だな、と呆れ顔である。
「どれ、ちょっとは手助けしてやるか」
セラフィムの使いは、指をパチンと鳴らし、またたく間に夜にした。
「奴はバカだからな、太陽があるから諦めないんだ。一生太陽が出なけりゃ、やつも諦めることだろう」
セラフィムの使いはけらけら笑った。
しかし、バカ天使は生粋のバカだった。
翌日、夜と区別につかない昼間になったあと、あのバカ天使は2番目に輝く恒星、おおいぬ座の一番星であるシリウスに向かって飛び始めた。
「あれ、いきなり遠くなったな」
などと呟いていたが、バカだから気にせず向かっていく。
「もしかして、太陽と勘違いしてんのかな」
すでに太陽は、この世から無くなったというのに。
奴の目は節穴らしい。太陽とシリウスの区別がつかないのだ。
見た目からして違うのに、学がないと本当に哀れだ。
しかも、太陽に比べて近づいても熱くないからずっと飛んでいくタイプだぞ。
少なくとも、太陽の約54万倍は離れている。
もしかして、ずっと飛び続けるんじゃないか?
バカだ。あいつはバカだ。
セラフィムの使いは数日にわたり、アレの無学さにあざけ笑ったが、その行いによってバカ天使を見失う結果になった。
まずい、このままだと自分までもバカになってしまう。
天使の身体だというのに、トラに憑依されたぐらいに自身を切歯扼腕した。
セラフィムの使いは、バカ天使より階級が数段上のため、見失ってしまっては自分の面目が保たれない。このときばかりは自分もイカロスにならなければならない。
「おっと、もとに戻さなくっちゃあ」
愚直に追跡する前に思い出して、新しい太陽を呼び出した。
ちょっと創りは甘いが、まあいいだろう。
別に生物の知能指数もそうでもないし。
セラフィムの使いは地球を見やって、名残惜しい感じで飛び去った。
それから数千年ほど経った。
セラフィムの使いはあまりに慌てたのだろう。
新しい太陽は、元々あったものより調節が効かなかった。
宇宙を一周したらしい、バカ天使が戻ってきた。
バカ天使はバカなので、太陽に道を尋ねた。
「シリウスはどこか知ってるか。太陽の居所が知りたいんだ」
太陽は、そっちにあるよ、といいたげにプロミネンスで方向を指した。バカ天使は感謝を申し上げ、飛び去った。
だが、後続であるセラフィムの使いは、いつまで経っても追ってこない。
理由は、すでにシリウスに着いているからである。
バカ天使より先に到着したことで、セラフィムの使いはずっと笑っている。ここまで笑い声が届くほどだ。
一方、バカ天使の道しるべのためにプロミネンスを出した太陽だが、それによって地球では大変なことになっていた。地球規模で温暖化が進んで苦しめられている。
地上の祖先はかつて、バカ天使について流れ星の亜種なのではないかと勘違いしていた。
太陽のせいで地球はおかしくなったのだが、今回もまた勘違いするだろう。
舌のような長いプロミネンスを出した。
あっかんべー。
最初から決まってた
2024/8/8 18:47:55
最初から決まってた、ここに変な毛が生えてるってことは。
頭のつむじを原点としてみれば、(3, 2)に生えている。
何って、座標だよ座標。xy軸とか、習っただろ。
他の毛は直毛で生えてくるってのに、この毛だけは芸術的だ。
お坊さんの手首にあるものを想像してほしい。
あるいは、ビーズが連なったものでもいい。
触りごこちは、ざらざら。
指先で挟めば、多種多様な凹凸を感じられる。
たぶん毛穴の構造がぐちゃぐちゃなんだろうな。
まだ毛の材質が柔らかいときに毛穴を通ってきてしまって、天然パーマみたく、ぐちゃぐちゃになっている。
僕は正直、ずっと触っていたいという気持ちと、さっさと抜いてしまえの気持ちがヤクザの抗争のように敵対関係にあって、後者の勝ち逃げとなっている。
それで、家で気づけばいいのだが、こんな芸術的毛髪に出会うときに限って外なんだ。
流石に取っておくって愚考、難しい。
だから、名残惜しい感じでゴミ箱に向かうのだ。
その間も、指いじりをするように凹凸感を楽しんで、そして素知らぬ顔で捨ててしまう。
人生にも「最初から決まってた」みたいなものはあるだろう。この毛穴みたいな人生を辿っていても、僕は、そう思える年代にいません。
だって、ぐにゃぐにゃしたいから!
僕は、こんにゃくさんだぞ〜。
まいったか、まいったか!
蝶よ花よ
2024/8/9 18:49:52
約2000文字
蝶よ花よと大切に育てられたお嬢様は、今年で小学四年生になる。
今はお盆休みの数日前。つまり夏休みだ。
お嬢様は都内有数の小学校から、福島県某所の避暑地に退避していて、なるべく夏から逃げている。
すでに夏休みの宿題は自由研究を残すのみ。余裕だ。
目は石板の電子機器から離さず、指先が腱鞘炎の原因になるくらいまでめちゃくちゃに動かしながら日が暮れるのを待っている。
ネット上で、とある炎上を発見した。
情報拡散が激しく火花を散らせている。またたく間にお嬢様の興味をひく。
思い立ったが吉日。
片手に学タブを持ち、片手に麦茶の入った長コップを持って、好奇心に赴くまま、クーラーのよく効いた部屋を出た。
熱帯夜の常駐する暗く長い廊下を通るとき、ものすごい湿気とミンミンゼミのミンミ〜ンが、大後悔をもたらした。別にチャットで聞けばいいか、いやいや。
廊下を走って数秒後、避暑地の主である祖父の書斎に、ノックもせずに入室した。
祖父はいまだ|矍鑠《かくしゃく》としており、新聞を広げてやれやれと首をかしげている。昨今の乱高下の激しい日経平均株価が気になるらしい。同調して赤ベコのように首を振っている。
「ねえおじさま。聞いていい?」
「なるべく手短にな」
ここ数日は、この会話から始まっている。
「今SNSを見たらとある有名人で話題を呼んでいるじゃない。いわゆる、炎上?」
今はパリ五輪の開催中。
世界中が熱狂の渦に巻き込まれているのだが、日本人の金メダル獲得が|芳《かんば》しくないのだろうか。
時間稼ぎか何かで、とある芸人が炎上していた。
ざっと目を流してみたが、割とどうでもよいネタで炎上している。
もちろん、彼女はネットリテラシーが高いので、そんなことは呟かない。
金魚鉢の水槽をみるような目で静観しては、このように雑談の蝶よ花よ、をしているのだ。
学タブの画面をONにし、見せた。
「ここなんだけどね」
どれどれ、と覗き込む祖父。
老眼鏡の黒いものを上げた。目玉ごと、くいと。
「この謝罪文、末尾に別の芸人を出してるの。○○さんと××さんは関係していませんって。わたし、炎上の経緯を追ってないからよく分からないけど、どうしてかなって」
「まあ、またポロっと書いただけだろう」
電子機器から目を離し、新聞記事に戻る。
「脇が甘いな。何歳なんだ、その厚化粧女は」
「うーん、推定30代前半……年齢未公開だけど」
「五年も経てば|山婆《やまんば》確定だな。復帰できた芸人の、あの老け顔を思い出す」
祖父はこの通り、毒舌家である。
きっとお嬢様が突撃する前でも、新聞記事についてボロクソに吐いていただろう。でも、
「気になるよ。だって突然出てきたから。見直しとかしないの? こんなところに書いたら、ツッコまれるって。まるで何か、救援メッセージでも投げかけてるんじゃ……」
「それを考えたら思うつぼだぞ」
新聞でも広げながら適当なことをあれこれと呟いた。
「あれでも裏でいろいろとあったんだろう。SNSの連中はSNSのことだけがすべてだととらえがちだが、表があれば裏もある。表の情報だけがすべてじゃない」
「じゃあ、どうしてメラちゃんは、裏の情報を出してきたの?」
メラちゃんというのが件の炎上の人物である。詳細は伏せるが、文字通りめらめらと燃えてしまったのである。
「そのまま表向きの謝罪をして、裏のことは秘密にしてしまえばいいのに…」
「それは300万人のフォロワーが納得しちゃくれんだろう。
ものすごいインフルエンサーだったんだろう? インフルエンサーとは、私にはわからん職業だが、個人経営、信用取引みたいなものだな。ハイリスクハイリターン。普通の人は保険をかけて防御するが、その人は慢心したかで掛けていなかった。おそらく一人っ子のようなものだ」
「一人…、孤独?」
「子供ならその語句が類語になるが、大人になれば自己判断、自己責任。今まではフォロワーが多いということで目をつぶってもらっていた部分もあった。
それが『キャラ』だということで、売名なりマーケティングなりをして数字や金を得た部分もあった」
「CMとか教科書に掲載される予定だって書いてあったよ。それらも今は白紙に戻ったみたいだけど」
「教科書に載るような人物が、冗談でも言っていけないことを呟いたから、とSNSの連中は糾弾するだろう」
「ラジオのパーソナリティも降板されるみたい。『他者を尊重しない誹謗中傷する行為は決して認めることができない』だって」
彼女はふっと、嘆息した。「やっぱり、干されちゃうのかな」
「SNSの連中も飽きないな。毎度展開が一緒だ」
新聞をたたむ大げさな紙の音。
書斎内までで熱帯夜の廊下には遠く及ばず、すぐに音は止んだ。音まで一緒に畳まれる。
「SNSの温暖化だ」
「あっ、なんかそれいい! ねぇ、自由研究のテーマにしていい?」
「なんだ、指だけでなく心も火傷したいのか。将来不登校になりそうで、心配になる」
「学生にとってはそれが〝干された〟ことになるのかな?」
うまくいかなくたっていい
2024/8/10 18:47:29
上手くいかなくたっていい。
こう思うこと自体、「ルサンチマン」だよね。
ルサンチマンとは何か?
と説明しようにも、僕自身の言葉では難しい。
ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」で出てきた嫉妬、憎悪、怒りなどにより「価値転倒」させる源だったと思う。
世の中は弱者と強者がいたら、強者のほうが価値がある。
しかし、そのことが許せない|感情《ルサンチマン》を持つ弱者は、強者を叩く弱者のほうが価値が高くなるという「正義」を実行して弱者を正当化しようとする。
そんなことをしても弱者の現実は弱者のままで、一向に変わらない。
あれっ、この現象最近ありましたよね?
弱者は、弱者のままでいいんだ!
というやつである。
詳しくは個人で調べてもらって(逃げる)……。
ルサンチマンの何がいけないかって、ルサンチマンの知識を知っているにも関わらず、自身がルサンチマンであることに気づかないことが良くないらしい。
「弱者のままでいるのって良くないことですよね?」
と他人に言っといて、その人もルサンチマンであると気づかない。
これを「ルサンチマンの発散」という。
これによって、弱者をより正当化する運動、情動がなされることになる。
要するにバカですね。
まあそんなことを書いといてアレなんだけど、世の中ルサンチマンだらけです。
僕も正直ルサンチマンです。
ルサンチマンになりたくないと思っているタイプのルサンチマンです。
これでいいわけです。うんうん。
疲れてない時はルサンチマンになりたくないと努力をし、疲れたときはルサンチマンになってやるぞと逆に開き直ることにしました。
ルサンチマンっていう言葉があるから、他人を見下すようになるのでは?
最近の僕はお疲れ様なので、ルサンチマンになろうと思います。
ずっとルサンチマンになるのがいけないんだよ。
弱者は中毒性があって、中毒症状として弱者を正当化しようとする言葉「うまくいかなくたっていい」と言ってしまうと。
でも、その言葉はいつか効かなくなる時が来る。
今は我慢できるけど、将来もっと重荷がのしかかるときも「うまくいかなくたっていい」って自分をごまかすのかな。それは、ちょっと違うよね。
その言葉、あまり使いすぎないほうがいいよねっていう、人生の知恵だと自己解釈したい。
終点
2024/8/11 18:44:50
終点って、多いように見えて実は特殊な条件下でないと成立しない。
バスや電車など公共交通機関に終点が設定されているが、乗客を降ろしてしばらく経つと、行き先を変更して戻っていく。
都会式パーキングの円盤のように、ベクトルが向きを真反対にするための所要時間が要るようだ。
そうしてある程度の時間を消費して終点が起点となって、仕切り直し。また動き出す。
何事もなく電車を見届けると、終点って何なんだろう。
と思えてしまう。
夜間、交通業の営業が終わっても、それは休眠状態であり、時間が経てば再び電車は動きだす。
物体は物体である限り、操作者の思った通りに動く。見えない糸に繋がれて、その通りの動き方をする。
数十年後。
経年劣化による車両の引退セレモニーがあり、その後こそ「終点」ということになるだろうが、それは電車の終点にほかならない。
車庫で解体され、部品レベルまで分解されて、再利用されたり大事に保管されたりなんかして、別の役目を与えられる。
終わりは、一つの区切りでしかない。
本当の終わりなんてもの、果たしてあるのだろうか?
始まりがあって終わりがある。
と、人間はそう思いたい。
終わりを見届けることができないから。
物事が無限に続くことに、心底人は理解できないから。
でも、実は、その中間辺りの、始まりと終わりの途上にいることのほうが多い。
途上であれば休眠状態もあるし、静止状態もある。
春夏秋冬春夏秋冬春夏秋冬……過去にもずっと続き、未来にもずっと続くと思う。
それを諸行無常と昔の人は捉えたのだ。
そういえば、ずっと続くものは、理解不能だ。
だから、歴史というものがある。
歴史は、始まりがある。
ビッグバンから始まって、地球ができて、地上ができて、自然があって、人間が住むようになった。
壮大で膨大なストーリーだが、ちょっと待ってほしい。
歴史が物語のように感じられるのは、どこか作為的な感がする。
紡げない糸は縫合されずに放置されるように、落葉した枯れ葉が土に煮溶けた夏はいくらでもあっただろう。
そう都合よく、人間がわかる通りの物語風になること自体、疑うべきなのだ。
校長先生の長台詞はつまらないと決めつけて、もはや眠ってしまうことがある。永遠と続く時間に、春夏秋冬というものさしで区切って断片化しようとする。
季節は四段階で繰り返されるから、人間は普遍に対し特別感を出そうとする。
ゲリラ豪雨。
熱射。猛暑酷暑。
暖冬。
落葉シーズン。
通勤電車。
桜咲く。散る。盛る。セミの音。
特別感が、終わりなく続くことはありえないから。
いつか終わりがあるから特別なのだ。
特別が終わって次の特別に気づき、もう始まっている特別に酔いしれ、終わって特別になる。
悠久たる普遍を細分化して、数多ある特別を配置した。特別は繰り返すから、終点があり、終わりがある。
人生に終点があって、そこで終わると事前にそう思い込みたいから。
本当は道半ばで終わると思う。
だって終着駅のホームすれすれに、電車が停まることはありえないじゃないか。危険だよ。
いつも一歩手前で停まり、そして、機械のベクトルは引き返す。
ここが真の終わりではないと知っているかのように。
僕は熱いホームで見送った。
麦わら帽子
2024/8/12 18:41:02
麦わら帽子みたいなお皿を見たことがある。
それはどこか高級そうなホテルにあって、麦わら帽子を裏返しにして、頭のスッポリ入るくぼみにかぼちゃの冷製スープが入っていた。
つばの部分がえらく広くて、麦わら帽子みたいだなあって思いつつスプーンを沈めた。
わずか数口で完食してしまい、次の料理(フルコースだったので次の前菜)が来るのを待っていた。
ウェイターの大学生がお皿を片付けているとき、
「持ちやすそうだな……」
ってなんか思った。
麦わら帽子について調べてみたけど、今の麦わら帽子って昔みたいにチクチクする素材じゃなくなったみたい。
つばも強調したみたいに長いわけでもなく、UFOの円盤感もそこまでなくなった。
首にかける白い紐も取り払われたようで、もはや記憶の彼方までフリスビーのごとく飛んでいってしまったのではないか。
そんなことを思い、ダラダラと過ごした3日間であった。
8/12(月)は海の日でした。
きみの奏でる音楽
2024/8/13 16:37:56
君の奏でる音楽は、百年の孤独に匹敵する。
この楽譜を手に入れたとき、ヒト一人の人生を、湯水のごとくすべて使っても理解しきれない歯ごたえと、噛むごとに滲みでる、|幽《かす》かな残存。
それにより琴線に響いた、心地よい柔らかさを感じた。
神の血を引く傲然とした血脈。
鎌倉時代の源氏のように、途切れた血筋。
その古さを感じた。良き古さであった。
旧態の埃を被り、忘れ去られた探訪の末の君。
宿を貸してくれたうら若き村人か、豪族の末裔の幼い巫女。欧州ならば聖女であろう。
この目で一度は見てみたかった、|作曲者《きみ》の姿を。
だけれども、ここにはくしゃくしゃになった楽譜しかない。
しわを見通してみるしかなかった。
楽器は見えず、輪郭は見えず、また君も見えず。しわのみが見えた。
歴史の狡猾さと、時間の跳躍により、堅牢な亀の甲羅の中に籠もりきりで、長寿の象徴たる亀すら死んでしまった。タイムカプセル失敗。楽譜がむき出しになった。
もはや退廃した世の中の、廃れた|叢《くさむら》のなかにゐる。
君は、時代に従った埋葬方法をされたかすら不明である。楽譜は飛ばされた。
飛ばされ、飛ばされ。
歴史のとある1ページがそのまま現代へと飛躍してきたかのようだった。
空虚を飛んで、空間を飛んで。
記憶と事実の彼方から無名の風に乗り、ゴミの、紙切れを私は拾う。
それが譜面であると私のみが見抜いた。
ただのゴミではない。
黒い線が引いてある。
小さく黒い丸が付けられている。
くしゃくしゃの紙面上に踊る黒色
私が数少ない、音楽活動者であったことが奇跡であろう……。
今回のMVでは、その邂逅を再現したつもりである。
色の失ったモノクロの世界。
目撃情報は白と黒の世界。
黒い影が動き、黒い風を描き出している。
音楽家が紡いできたものも白黒。
紙とペン。
幾筋もの横線で音階を示し、いくつかの黒い円をぐるぐると書いただけ。
抽象の、抽象による、音楽的流布の再現。
音譜も系譜も、白と黒でできている。
もしかしたら人間だって、白と黒の二色カラーでできているのかもしれない。
色取りどりに見えるのは、人間の眠りから目覚めた延長上にある目の錯覚に踊らされているだけなのかもしれない。
世界はカラフルであれ!――という単なる思い込み。
君の奏でる音楽は、百年の孤独に匹敵する。
色の必要としない物語。
孤独は、そもそも色を必要としない。
耐えるべきは時間という風のみなのだ。
その孤独を、動画サイトに解き放て。
君を、好きなだけ奏でてほしい。
時間の跳躍の末の音楽的拡散。
私はその一助をしたのみである。
(作詞作曲 くしゃくしゃの紙)
心の健康
2024/8/14 18:55:09
心の健康を保つため。
その理由のために、画面の向こう側にいる見ず知らずの人を仮想敵として、見下し、|蔑《さげす》み、罵詈雑言を吐き捨てる。
他人の心の健康を害して、瞬間的に自分を取り戻す。
そのために小さい言葉の嵐雲を呼び寄せて、拳にまとわりつかせ、それを格闘グローブにする。
青と黒の混じった悪雲のグローブ。
それを装着すると即座に色は朱に染まる。
血で血を洗う行為に寄せるように……
泡立つ雷の欠片の嫌な音がバリバリと、また自身の掌にもチクチクと、刺激を感じるが。
全部無視。
試合の始まるチャイム。甲高くカーン、と鳴る。
両者、取っ組み合い、……のはずだったが、仮想敵同士は口先だけのプロレスばかり。
ほんの1メートルに相手がいるというのに、赤いグローブを外さず小さな小さなスマホ画面をいじくりまくる。
直接言わず、悪態をつく文字に起こし、送信。
相手も似たようなモンスターである。残念ながらグローブを外さないほどの低知能な人型モンスターである。
文字を見て、苛立ちを募らせている。
何だとてめぇ。舐めてんのか!
俺らのファンが黙っちゃいねーぞ!
おい、やっちまえ!
そんなこと、誰も言っていない。
幻聴だ。幻覚だ。SNSの熱気が悪さをした。
砂上楼閣の幻影。気温はお盆なのに最高気温37℃。
リング内に土俵の、どすこいな雰囲気はひと欠片も見当たらないが、スプリングの良いプラスチック製の台の上でも、外にいるような気分になる。
場所は屋内で、クーラーでガンガンに冷やされているはずだが、まったくもって平熱にならない。
高熱に浮かされ、光熱費にも浮かされる。
幻聴が幻影の鼓膜に触れたか。気が狂ったか。
観客席からも新手の乱入か?
一人がファーストペンギンならぬ特攻隊員を務め、その後はどうどうと乱入していった。
馬や鹿が奇声を上げて、大量の小魚が大群で陸に上がったような感じ。
場違い感が甚だしい。
ピチピチと身体をねじ曲げ、反対にも素早く。
バタバタ、ドタドタ。
怒声、狂気、暗雲。……混じって悲鳴。
バブルスライムの粘液から気泡が立つ。
病人の鳥肌のように、健康を侵し、陸を侵食し。
戦闘の泡は、表面を広げ、表面積を広げ。
試合と観客の四角形に仕切られた境界線をを押し曲げ、サメのように引きちぎった。
耐えきれなくなったリングの紐は、ゴールテープを放すように素早い。
またたく間に、試合の意味を無くし、あちこちで乱痴騒ぎに。そのような、くっだらないイベント。
年齢不問。
しかし、精神年齢は大いに低下するようである。
大の大人が子どものように……
レフリーは、やるせなく首を回した。
観客席ってこんなにも広いんだね。
しかし、それらのほとんどは役目を放棄している。
場外戦闘が広がっていった。
正体不明の覆面レスラーのごとく、赤と白のリングにおどり出て、相手を罵倒している。
どこにいたんだこいつらは。
あんたら、戦績は?
まだ、戦ったことがない?
どころか、社会経験すらもない、だって?
なら、すっこんでろ。
スマホの買い方すらわからないくせに。
――何だと?
茶化した陽気の実況解説席が、的外れな会話を繰り広げ、それに関して「なんだコイツ、それでお金もらってんのか!」と輩が湧いてでて、収束は延期の延期の延長戦。延長コードが絡まってタコ配線になっていく。
いつからか、始まりを告げたはずのチャイムは、終わりを示す連続音に変じていたが、何度も鳴らしても興奮冷めやらぬどころか、火に油を注ぐようでもある。
こういった「ものいい」は、人斬り抜刀斎に頼むしかあるまい。
幸い今週はお盆だ。
お盆は、昔のじいちゃんばあちゃんが現世に現れる古きよき文化である。
さあ。私のすさんだ感情ごと、斬り伏せてくれ……。
――静寂。
自転車に乗って
2024/8/15 18:48:24
自転車に乗って、お題は走る。それを追うのはいつも僕。
「待って。待ってよ〜」
こんなことを書くつもりはなかったのに。
昨日のお題だって、あんなの書くつもりはこれっぽっちもなかったのに。
「心の健康」から、どうして大乱闘リアルタイムブラザーズになったのか。不明。不明だ。
心の不健康がダダ漏れ。
ご存知の通り、お題を追う僕は、文字を落としながら走っている。
コインを落として三千里。それが天の川になっていく。
差は少しずつ縮まっているようだが、秒速3センチメートルである。
何メートル離れているかなんて、ずっとXだ。
追跡している僕の心に余裕はない。ただ走っているのである。
連鎖的な音が鳴っているのを、僕は無視しなければならない。
あれが止まりません。
あれとは、何ですか。
文字です。
血反吐のような文字です。
足元から自身の後方へ遠ざかっています。
誰か、拾っちゃってください……
それよりもお題、目の前のお題……。
かごにお題を載せた自転車も、よろよろとしている。
今にも倒れそうだ。
T字ハンドルを左右にゆらゆらさせて、前輪はイヤイヤ期の子どものように揺らしている。
煽っているように見えるが、どこか憎めない。
毎日の日課になろうとしているからだろうか。
地面はものすごく乾いている。
途中、水たまりがあった。
そのため、前輪と後輪の|轍《わだち》が直線的に交差する。
軽い螺旋を地面に描く。
よろよろ、喜び。
ふらふら、フラダンス。
かすれて地面に書けなくなると、ちょうどよく水たまりポイント(補充地点)を通るので、細いタイヤは再び水の|弧《こ》を描くことができる。
その薄れゆく轍の跡に沿って、僕の濡れたフットマークが重なる。僕を追ってきた人にだけはわかる、キリトリ線。
「もう、疲れたよう……」
そんなことを言うと、ようやく自転車は、行く当てもなく立ち止まり、やがてガタンと音を立て、倒れてくれた。
ふう、ようやく止まってくれた。
僕は息も絶え絶えになった運動不足のひょろい身体を落ち着かせた。
しゃがんで、ふらっと意識が遠ざかり、大の字。
バシャンッ……。
倒れた自転車は、水たまりの大きいバージョン、湖のほとり。その近くの浅瀬で倒れてくれた。
ああ、全身がすずしい、と思いきや、
「あちちっ」
湖の水は、昨今の猛暑により随分と暖められたものだった。淡水湖だから、天然の温泉。
しかし、湖の温度も気温のどちらも容赦ないので、このままではのぼせてしまう……。
僕は今すぐ追跡者から救助者になって、溺れた自転車を重労働により立て直した。
逃げるようにペダルを漕ぎ始め、湖から脱出する。
そして、今きた道を、口笛を吹きながら、おうちに戻っていくのだ。
行きは走り、帰りは自転車。
片手をハンドルから放し、キリトリ線の通りに、道を割くようにして。
そのとき、かごにお題はありません。
倒れた拍子にどっかにいってしまったようです。
だから、最近は帰路の途中でコンビニに寄って、アイスを買うのが日課となっております。
夜の海
2024/8/16 18:43:07
夜の海に行くと神隠しに遭う。
という言い伝えが古くからあった。
推定100人以上の女子供が神隠しに遭って、夜の海岸および夜の砂浜は、季節問わず幽谷の谷底のように、感情の起伏がなかった。
夜間より太陽が目覚めて、海と海岸線を明るく照らし出すようになってもなおのこと地元民は近づかず、何も知らない観光客の一群が、浮き輪やパラソルやレジャーシートなどを敷いて、日が沈む前には宿に引っ込む。
そして夜の海。
数時間前まではあんなに忙しなかった、都会の喧騒の一部具象化があったというのに。
今はもう赤ん坊さえ寝静まる神隠しの様相。
……私も、その一人になるのかもしれなかった。
台風が過ぎ去りし夜は破天荒。
髪を揺らし、服も揺らし、心もより動かされている。
おそらくもう暴風域に入っただろう。
大雨のなぶり殺しにあったというのに、今は風以外は穏やかなで、しかし黒染めされた夜の海は豪快に荒れ叫んでいる。叫んだときの生唾のように飛んできた飛沫。同族であれば今すぐにでも退出したい気持ち悪いものだが、今は違う。自然の力の一端を知った。
小さい頃、子守唄のように聞かされていたものがあった。夜の海にだけ、古都の神社が眠っていると。
それは、まるで広島県の厳島神社のような佇まいだという。
台風の暴風により、夜の海の表面が剥がれかかったときにだけ、頭頂部のみひょっこりと現れるものだという。
私はそれを観に来たのかもしれない。
一向に現れない。
赤い鳥居が海の底。
色素は褪せて夜の海に溶け込んでいるのかもしれないが、それでも神域の入口の役割をしている。
俗世と聖域。その境い目。
普段は海の底のピアノのように、指の爪さえ届かぬ場所にて忘れ去られていて。
今夜のような、拝観料の要らない日に限り、宮司さえ見ることの叶わなかったかつての御神体が公開される。
至高の入口。
それをくぐる機会が仮にあったのだとしたら。
それが今だとしたら。
それが……
それが。
……。
後ろを振り返ると赤い鳥居があった。
目の前に目を戻すと。
私はもうすでに、10X体目の|古神像《いけにえ》……
誇らしさ
2024/8/17 16:27:22
誇らしさというのがお題である。
誇らしさ、とは何だろうか。
ざらっと他の人の投稿を見たのだが、いまいちパッとしないことを書いている。
みんな戸惑っているようだ。
う〜む、仕方がない。
「誇らしさ」を探しに行こう。例えばケーキ屋さんとか。
僕の場合、もうコンビニでいいかという|為体《ていたらく》なので、貧民救済のようにどこでもあるコンビニで済ましてしまう。
陳腐なスイーツもいつもはいいが、せっかくだ。
最近のケーキ屋さんは、どうなっているんだろう。よく知らない。
自転車で15分。
シャトレーゼ的な小綺麗な建物に入店して、様々なケーキの入ったウィンドウを見ていった。ショートケーキ、モンブラン、ホールケーキ。おっ、ドーナツも売ってやがる。
店員はいない。セルフレジか。
「いらっしゃいませ!」と、ケーキが喋った。
「さあ、私のことを食べてください。とても美味しいですよ!」
なるほど、最近のケーキ屋さんは喋るケーキを売っているのか。
コンビニに客が取られたことで、フランチャイズでもなく、店長を解雇して、ケーキに喋らせるようにしたのか。
なるほど、狂気である。気持ち悪いホールケーキだな。
「お買い求めいただきありがとうございます!」
そんな見つめられると……、案の定買ってしまった。
珍しさが勝ってしまったのだ。
「ありがとうございます! お会計は800円です!」
「PayPayで」
買ったケーキがレジ打ちをし、レジ機のテンキーは生クリームで汚くなってしまったが、そういった汚れ仕事はケーキ屋の仕事でいいだろう。近くに|布《ふ》きんがあったが無視して保冷剤を適当に入れた。
家に帰った。
鍵穴にカギを入れようとしたとき、「誇り」とは何かについてなんとなく察した。
バカみたいな例えだが、ここにケーキを入れても扉は開かない。生クリームでベトベトになるだけである。
ここは、ここぞというときにカギが必要なのである。それも、鍵穴にあう、カギが……。
「さあ、私のことを食べてください!」
ちょっとうるさくて、思考が停止してしまった。
とりあえず家中へ。
外から逃れてきたままにリビングについた。
玄関の鍵があいた音とともに、すかさずケーキは喋ってきた。
そういえば、外にいた時は喋ってこなかったな。
公共の空気を感じて、ケーキになりきっていた、ということだろう。
屋内から外を通り、別の屋内についたことで、マジョリティからマイナーに、マイナーチェンジしたようだ。
でもマイナーなケーキ、すなわち喋るホールケーキは食べる気が起きなかったので、コンビニに行って普通のケーキを買って、それを食べることにした。静かっていいよね。
喋るケーキは冷蔵保存して、しばらく無視することにした。
---
「普通のケーキはもう食べ飽きたでしょう? さあ早く私を……」
あれから1年ほど経っているのだが、まだ喋っている。
冷凍庫に入れたら黙ってくれるのだろうか、と入れてみたが、まったく黙ってくれなかった。
「ああ……、買ったというのに食べないという放置プレイ。それもそれで本望です……」
雪女ならぬ雪ケーキである。
そういえば、そういう商品名だったような?
ちなみに保冷剤は大活躍している。
いつまでも捨てられないもの
2024/8/18 18:40:12
いつまでも捨てられないものを捨てよう!
――という「断捨離」ブームが、数年ごとに流行っているような気がする。
たぶんコロナ禍終わりが直近だろうか。
大人では断捨離という言葉が流行っているが、漢字で固められていて若者受けしないためか「ミニマリスト」という言葉に言い改めた。
ちょっと言葉の定義が異なるのだが、トマトとトマトジュースくらいの違いだから、まあ別にいいだろう。
生食用トマトを使っているか、加工用トマトを使っているか。そのような具合である。
たくさんのモノに囲まれた生活では、時間の推移とともに干潮と満潮を繰り返さないといけない。
潮の満ち欠け具合は、海の話ではない。
モノの量の話だと思ってほしい。
モノが満潮時になると、月の引力に従うように物を浮かして、掃除機をかけないと干潮にならない。
ああ大変。どうしてこう大変なんだ。
グチグチと愚痴をこぼし、物をどかしては掃除機で吸う。
しかし、こうした掃除をするときほどよく考えてほしい。
物を買いすぎじゃないか?
要らない物を、家に溜め込み過ぎじゃないか?
欲しいから買う。欲しいから買う。
そのことを繰り返して、要るモノ要らないモノ問わず、モノを持ちすぎている。
――捨てよう! そうすれば過ごしやすくなるよ!
というのが、このムーブの主張である。
たしかに一理あるのだが、何となく古いものを捨てさせて、心機一転新しい物に目を向けさせて購買意欲を湧かせようとする安いセールスを感じさせる。
あるいは、「捨てる生活」というキャッチフレーズによって、目的のすり替えが発生してしまっているような気がしてならない。
生活の質を高めるどころか逆に下がってしまって、
「なんか前に断舎離したんだけどな……」
という、努力の果てにある落胆を感じさせるものがあったりする。
僕もそのムーブにあやかり、コロナ禍のときに断舎離をした。
今は中古本が収まっているが、断舎離前は小中学生時代の作品が飾られていた。
図画工作や技術家庭の作成キット、中学生卒業時に貰える造花(胸ポケットに差さる小さいやつ)も飾ってあって、いつ捨てるんだろうなとか他人事のように思っていた。
「ああいうものは写真に撮っておけば、何時でも見られるようになるので断舎離しやすくなります」
などという言葉を鵜呑みにし、その通りにした。
たしかに捨てやすくなり、丸ごとバナナのようにビニール袋に喰わせ、捨てた。
今ではその作品は写真一枚の偽物になって、本物はもう、焼却炉の中でまぜまぜされている頃だろう。
いつまでも捨てられないものに対して未練を感じる人はいいな、って時折思ったりする。
ストーリーがするすると書けている。ストーリーの正体は正体不明の未練だと思うけどね。
ただ、有形を無形に変える文化が浸透して、当たり前の世の中になってきている。
それが果たして良いものかどうか、僕は|計《はか》りかねている。
物を捨てること。
まるで見えない何かも捨てているようで、それが焼却炉の中の有象無象とともに、無造作にまぜまぜされていることに、|忸怩《じくじ》に似た思いを感じるのはどうしてだろう?
ごみの捨て方を間違えたかもしれない。
鏡
2024/8/19 15:09:47
鏡の上に鏡の絵を描くという発想は、到底思いつかない。
確か『暗黒館の殺人』だったと思う。
詳細は伏せるのだが、山奥深くに住む館の住人たちは奇妙な秘密を抱いていて、特に館の主人は、毎日その鏡の上に描かれた鏡の絵を見るという。
当然絵なので、自身の姿は映らない。
そのことに主人はホッとするという。
そういった奇妙な行為をする。
絵は、たしか油彩だったか、水彩だったか忘れたのだが、まあ、やがて時が過ぎるごとに風化し、表面が|剥《は》げ、キラキラと鏡本来の性質が見えるようになる。
そのことに、館の主人は逆に恐れおののく、という場面がサラリと描かれる。
どうして?
という理由は、ネタバレになっちゃうので、書けないのですね。
『暗黒館の殺人』は、全4巻からなっていて、まあ1000ページは普通に超えるでしょうという長編ミステリ。
タイトル通り、『暗黒館』と呼ばれる真っ黒の洋館内で連続殺人が起こる。
いわゆるクローズドサークルというもので、この鏡の絵というもただの小道具かと思いきや、ちゃんとした機能を持つ、どんでん返しの一助を担う。
これだけでストーリーが浮かびそうなのに、こういったアイデアを多量に含ませて、あの長編ストーリーを描けるのは、やっぱり大御所だよね〜。
という感じに落ち着いてしまう。
空模様
2024/8/20 12:54:39
空模様はぐるぐる。
誰かが空をかき回したみたいになっている。
今にも何かが落っこちそうな、悪い流れから別の悪い流れに模様替えしようとしている。
ゴロゴロと、分厚い雲の層から音がなって、カミナリがどど〜ん! と落ちてきた。
メダカも、他の小魚も、さっと岩陰に身体を隠した。
透き通る淡水の川底を一瞬白い景色に変え、即座に色が戻る。
空模様はぐるぐる。
上流の激しい渓流の水溜まり。
空は背景。
渦巻く川の表情を写し取って、ぐるぐるは止まらず。
読み終わると、視点は清涼な川の底から空を見上げる具合になって、ぐるぐるの正体が分かる仕掛け。
サヨナラを言う前に
2024/8/21 12:51:46
烏龍茶ってさ、コーヒーに似てるよね。
色とか、味わいとか。
ああ、特に深い意味はないんだ。
ただ、この暗い色を見るとね、過去を思い出すんだ。
……覚えてるか?
君と出会って一ヶ月もしないうちに、とある町に寄っただろう。
俺たちは今のように服も食べ物も自由に買えなかったからさ、腹の虫を黙らせる手立てもなかった頃だ。
店の誰にも手を付けていない料理や美味しそうな肉さかなを堪えて、裏通りに捨ててあるゴミ箱を漁って、それで飢えをしのいでた。
こんなふうな泥水だったか、その頃飲んでいた水は。
……たしかに誇張だ。謝るよ、ごめん。
でも、それが、いつからだろうね。
泥水から真水となり、ツララを砕いたかのような冷たさから常温になり、そして、カップに淹れられた温かなスープになり。
それでも、他の人の平均よりも下の生活水準だったから、まだまだ贅沢はできなかった。
コーヒー専門店というのも、嗜好品というのも納得の高さで、一杯800円のコーヒーだなんて、バカげてる!
一滴残らず飲み干した麦茶のペットボトルを、思いっきり握りつぶして、遠くにポイ捨てしようとしていた時だ。
麦茶もコーヒーも、水であってもひと口飲める量は変わらないよ。今まで通り一歩ずつ行こう。
そういうことを言われたもんで、今日があるというものだ。
一攫千金という夢は、地球が爆ぜるくらいに無理難題だったけれど、それは一人で立ち向かったらの話だ。
あの時も、今も、二人でいる。
この街の夜はまだまだ続くだろう。
君の人生ももう少し続く。
俺は、どうだろう。数年、いや数ヶ月か。
それでも、ひと口の量は変わらないでいる。
……(盃同士が、かち合う音)。
サヨナラを言う前に、もう一杯。
鳥のように
2024/8/22 12:47:27
鳥のようになりたい、と優等生は空を見上げた。
外は相変わらず暑いようだが、暦の上では|処暑《しょしょ》の前日。
お盆を過ぎて、これから徐々に涼しくなっていくという。嘘のようでホントの話。
夏休みが終わりを告げるように、今までの夏もいつかは終わりを告げていた。
夏休みが始まった日からずっと家にいる。
夏休みの宿題なんてとっくに終わっていて、受験生でもないのに毎日勉強机に座っている。
外が暑いからいけないのだ。
友達も誘ってこないからいけないのだ。
だから、私は外出しなくていい。
そんな都合の良いことを思いながら、勉強机に座っては、来年の受験期の前触れのような形容しがたい不安を感じ、防御する姿勢を取る。
体育座りのように両足を抱え、始終学タブの画面をペンで叩いている。
室温は24℃。
快適な温度のはずだが、変な姿勢のまま勉強机にずっと向かっていると、どうしてか体が慣れてきて、外気温のような、見えない暑さがまとわりついてくる。
肌に触れると、うっすらと汗。
冷や汗か、と指を這わせる。いや……汗だ。
優等生はガラスコップをつかんで、一気に麦茶を飲み干した。
優等生の喉のみがこくこくとゆっくり動き、コップの外側から垂れてきた水滴が、ダサい部屋着兼貧相な私服に落ちる。
空になったコップを机に置く。
コップの重装備の、水滴の鎧がみるみるうちに剥がれ、机の一部が水たまりになって、何らかの紙の冊子が水を吸う。即座に濡れの色に変わる。
優等生は、濡れたことにひょいと一瞥したが、特に対処はしなかった。変わらず学タブに夢中でいる。
空は夏の晴天を指していて、別に見上げた理由もない。
鳥になりたい、と思っていても、一匹も鳥はいない。
鳥の声も聞こえない。セミのうるさい鳴き声が、早くいなくなれとも思っていない。
優等生は胡乱げに空を見上げ、そして画面に目を戻した。
学タブには線画の鳥が小枝の上に止まっている。
見本はないが問題ない。
自由は見えないのと同じように、見えない鳥を描いている。美術部員であれば、さして問題のない事柄。
脳内物質を糧にペン先がしゅっと飛翔。
思いの外、翼の線が長くなったが特に書き直さなかった。
裏返し
2024/8/23 13:14:59
裏返しとひっくり返しは、そこまで違いが無いだろうと思えてきた。
後者のほうがくるんと物を返す動作が大げさというだけで、やっている事柄は同じだ。
一枚のカードと一つの砂時計も。
持ち上げて翻すという行為。
ただし、人がこれをやるためには意味や理由がいる。
とある意味を見つけるために世界各地を回っている者たちがいる。古びた建物……古代遺跡などを見つけ、探索している者――旅人である。
旅人は、今回も人が立ち入ったことのない砂漠の中に潜む地下遺跡を探し当てた。
砂にまみれているが!色合い的には緑が主役になっていて、レンガの溝に沿って植物のツルが伸びている。
遺跡の周辺に、オアシスなどのような水場もないというのに、どうして植物が生えているのか気になった。
遺跡の入口からツル性の生き生きとした緑色が溢れていることに気づいた。
彼はそのツルの出どころをたどるように、地下遺跡の奥へと進んでいった。
どのくらい降りていったというのだろう。
地下12階といったところで、地下階段への段は途切れ、平坦となる。階段の先は砂に埋れていた。
そこを折れ、逆U字型のアーチをくぐって広間のようなところに入った。地下室だろうか。
地下深くにあるというのに、意外と明るい。
天窓があるからだ。そこから太陽の燦々とした陽光が差し込む。
室内には、巨体な水槽が一台だけあった。
縦3メートル、横10メートル以上はあるおおきな水槽だった。だが、入っているのは水ではない。砂だ。
砂の色は青。だから、アクアリウムの水槽を見ている印象を受けたのだ。
水槽の蓋は厳重に閉じられていて、中の砂は触ることはできない。水槽の、ガラスの横壁に防がれた。
砂の水槽の下には、なにやら赤色のスイッチがある。
旅人は特に武器や防具など持っていなかったが、身の危険なるものは今までの経験上何もなかったことから、しゃがんでそのスイッチを押した。
すると、砂の水槽に変化があった。
立ち上がり、水槽の様子を見た。なにやら音がする。
スイッチが作動したことにより、水槽内の砂が砂時計のような具合で少量ずつ下に落ちていっているようなのである。
さらさらと、些細な音が川の流れのように、砂の水槽から消え去っていく。
砂の水位が数ミリずつなくなっていく。流砂のような感じで中央が凹んでいって、そして、その渦に埋没した遺跡のようなものが現れていった。
城のジオラマが、砂に埋もれていたようである。
「……これで、終わりか?」
しばらく旅人は砂の無くなった水槽を見ていたが、特に変化がなかったので、その場をあとにしようとした。
その時、階段に出た際に、この階が最下段だと思っていたが、左手を見ると階段に続きがあることに気づいた。
降りていく。地下14階、15階、16階へと。
すると、階段のまだ見ぬ地下からブワッと風が吹いてきた。向かい風だった。
砂が混じっていると思い、目元を覆いながら先へ進んだ。
しばらくして、旅人は風の流入経路を特定した。
今いるところはどうしてか夜空の一部だった。
最下段は塔の最上階の吹き抜けの一室。
東西南北それぞれに、雲と夕景と月と砂漠の景色が眺められた。
風が通る。砂漠側からだった。
海へ
2024/8/24 0:08:37
お題は「海へ」である。
……ちょ、困るなあ。
一週間前に類似品が出たばかりじゃないか。
「夜の海」と、さして変わんねぇぞ。
というか、「夜の海」で書いたやつがそのまま「海へ」で書いちゃったしなー、とぐちぐち言っております。
もう何らかの比喩的な「海へ」にして逃げるか。
なんか思いついたら書くかもしれんし、書かないかもしれん。フラグはちゃんと立てておきましょう。
そのほうが海水浴客にまぎれて海へ逃げやすいですから。
やるせない気持ち
2024/8/25 18:22:53
やるせない気持ちでいっぱいです。
もう終わった、あるいはそろそろ夏休みが終わることで、学生たちは阿鼻叫喚。
下品な例え方ですが、◯んこを蹴られたあとの疼痛に苦しむことでしょう。
もう一ヶ月も経ってしまったという事実。
その痛みは、まさしく「お疲れ様」と投げかければよいでしょうか。
夏休みが終わってくれて、せいせいします。僕としては。
きっと、昼夜逆転している生活リズムを整えるべき日数もなく、夏休み期間中であればおふとんぬくぬくしていた時間に登校して授業して、ということを再開する。彼らなりに抱く、密かな怒り、悲しみ、やるせなさ、後悔。あるでしょう。
僕としてはそれよりも、夏休みが終わった直後である9月の自殺率が若干高めであるという統計データがある。
それに予告のような、予防措置が行えないことにやるせない気持ちを抱く……
8月が終わる一週間前。
どうもそんな香りがしてくるのです。
向かい合わせ
2024/8/26 13:17:34
1次元と2次元が「向かい合わせ」の席についた。
どちらも人間が作った概念であるので、正確な表現を使うと、窓の正面になるように、PCの向きを変えた、というべきだろう。
1次元は向かって左にあり、3階から景色を見下ろせる窓そのもの。見方を変えれば3次元の世界の入口となる。
2次元は向かって右にあり、窓の正面にあるPC。
PC画面は今、とあるSNSトレンドが映し出されている。
購入者とその操作者は、どちらも気まぐれな人間である。
夏になった。
1次元の窓からはいつも、内海の穏やかな青い海が見下ろせた。
いつも穏やかで、人間たちの喧騒を知らないでいる。
海の上にはピアニストの指先のように、左から右へと滑らかに動く漁船があった。
しかし2次元の世界であるPC画面はいつも荒波が立ち、穏やかを知らないでいる。
包装紙、ペットボトル、マイクロプラスチック……
現在の海はゴミだらけであり、魚もまともに生きていけない。
毒素の溶け込んだ病巣であり、きれいな海などこの世にはもう存在しない。
ましてや1次元の窓が映し出す風景はもう見れない、とネットの海で口々に主張した。
自身が自身のゴミを見分けられないでいる。
秋になった。
1次元の窓は、眼下の風景が緑から色づき、赤や黄や紅葉の色を楽しめた。
近くに神社があり、お稲荷さんの顔にかかるもみじの葉の香りが、こちらまで届いてくるかのようだった。
時折秋の大風が、落葉の集まりを吹き壊して空中散歩へといざなうようで、一枚、また一枚と窓からやってくる。
気まぐれな人間はそれを見ては拾い、栞として加工する。
しかし、2次元はいつも季節の区切りを知らず、どうどうとざわめいている。
最近のトレンドは秋が遅れていることに対しての憂慮であり、まだ秋は来ないのか、などと言っている。
こちらはもう秋がやってきたというのに、一歩も外にもでずに近場まで秋がやって来ないことに関して永遠とつぶやき果てている。
冬が来た。
1次元の窓は雪化粧にされ、室町時代の水墨画のような白黒のはっきりする景色となった。
気まぐれな人間は、あまりに寒いとわかっているにもかかわらず窓を開け、外の空気と換気する。
着ぶくれしたガウンの外着に手袋、マフラーなどを着て外に赴き、何もない冬の空の下を散策する。
一方2次元の世界は相変わらずの内々しさであり、陰鬱である。インドアのインドアを決め込んでいる。何やら芸能人の不祥事を皮切りに、他人の寒々しくあかぎれの肌に塩を塗り込む行為に勤しんでいる。
自身も防寒着も着用しないので、キーボードを叩く姿は暖房器具のオンオフを忘れているがごとくである。指先の爪に火を灯し、火傷を負っても恨み骨髄である。
気まぐれな人間には知らない。
芸能人はその後、無期限の活動休止へ追いやられた。
季節が暖かくなる頃には、事実上芸能界引退に至り、その裏ではその人の自殺説も流布されているという。
春になった。
1次元の窓からは、気まぐれな人間が所有している庭の草花が芽吹いている。
水やりを終えた気まぐれな人間は、ふとした気まぐれに従い、この対面の構図を一枚の写真に収め、それをSNSにあげることにした。
左に1次元の窓、右に2次元のPCの構図。
1次元だというのに演出をしたようで、ふわりとした風を受け、カーテンはあまく弧を描いた。
一方2次元は何もせず、ノートPCの平面さを主張し、横方向からの構図のため、2次元の世界は見えない。
狭い世界に桜吹雪が吹くように、桜の花びらが隅々まではいきわたるように。
2次元の世界に2次元の写真のそれに、三万のいいねが届いたが、気まぐれな人間に会いに来たものは一人もいなかった。すべて2次元を通して……のみである。
夏になった。
窓の景色は今、漁船の浮かんだ青い海を映じている。
船は自然の力のみの無音さで、左から右に流れていった。
PC画面は相変わらずであり、気まぐれな人間の投稿したものは忘れ去られてしまった。
気まぐれな人間は電源を切った。
そして、静かな内海を背景に、木工用ボンドとピンセットを持ちかえながら、ボトルシップに取り組むことにした。
抽象的概念のため難しくなってしまったが、なぜか反応が良かった作品。わからん。
一次元:点と線の世界
二次元:線画で書かれた遠近感のある平面世界。SNSのような文字世界を含む。
三次元:現実
私の日記帳
2024/8/27 13:01:16
私の日記帳。
学生時代には、日記帳を含むノート類は手に馴染みがあった。
一教科につき一ノートを買うレベル。
これって実際おかしな話だ。十教科あれば、十冊ものノートを用意しているわけだろう?
ノートを忘れることに関して怒られるなんて、ちょっと理不尽。子どもにそこまでノートを何冊も持たせたら、忘れたり無くしたりするのは仕方がないと思える。
どうせ、ノートの最後のページまで使わないだろうと目論んで、既存のノートの反対側から書き始める、ということを僕もやった気がする。
あれは、ノートを忘れた後ろめたさもある。
忘れたとき用の単なるメモ書きで、家であとで写せばいいかと思っていたが、子供の脳みそなんて鉛筆の色で塗りつぶされたがのごとく忘れがちだから、数日の授業の末に忘れて、同じようなことをして「あ」と気づく。
しかし、その後は反省なんかせず「まあいいか」で済ませて。
それでノート提出のときに慌てて、夜な夜な呻吟するのである。
小学校あたりまで記憶を遡ると、日記帳というものは、たしか上に絵を描き、下に文章を書く構造だったと記憶している。
どこの学年からだろう。たしか美術と呼ばれるよくわからない絵画鑑賞が現れる頃には、日記帳=文章のみになっていた。
他の人達の投稿を見るに、日記帳というのは、メモ帳の類似品のように、そのときの文章を書き留めておくためのもの、という認識が強くあるらしい。
別に絵は描かなくとも良い、ということになっている。
これは、思考を主として、抽象度が高くなって、文章からその時の場面が立ち上がるようになったからだろうか。
そんな事はない、ような気がする。
いつしか日記帳は、メモ帳のように軽く書き留める代物になった気がした。
だから、自分の生み出した文章を軽んじて、書き殴ったり紙を破り捨てたりすることが軽くできるようになった、と思った。
同様に、そんなことをする人たちは、自分の心もそうしているのだろう、と陰ながら心配もする。
じゃあ、文章の上に絵を描けば日記帳に戻るのかといえば、僕はもう汚い絵を描くに値しないプライドを持ってしまったから、もう絵はかけない。
仕方がないからネットのフリー素材を探し出して、それを貼り付けたとしても、やはり捨ててしまう。
所詮他人が描いた絵の、量産品だと思ってしまうから。
日記帳って、こうしてみると、自分の画力の無さを棚上げしてまで、あそこに汚い絵を描く理由があったのだろうな。
だから、――ってあの頃に伝えたくなる。
雨に佇む
2024/8/28 13:07:24
雨に佇むものは、空にある|慟哭《どうこく》に目を投げていた。
今まで、どれくらいの涙を流したというのだろう、天も自分も……
|百代《はくたい》は永遠、|過客《かかく》は旅人――という意味。
月日は百代の過客にして~、と昔の人は詠んでいたというが、彼らにも汗に似た涙を地面に流している。
山に登れば自然に反応して汗をかくように。
それが雨粒で地表を滑り、川に流れて海にたどり着き、それが蒸発して雲になって、雨となって下る。
降りしきる雨のなかで、置いてきぼりを食らわされているそのものは、人間でない代物をしていた。
身体の色は全身白色。白いエビフライのような見た目をしていて、雨の中でもちょっとかわいい。
古い言い方をしたら白いアザラシである。
けれども図体はそれなりに大きくて、700メートルの山よりも大きく、まるで小大陸のように寝そべっていた。ひげの先っぽは、二リットルの雨粒で下に垂れている。
周りは海しかない。空模様は止まない雨である。
そう、この星は、数百年前からずっと、止まない雨を降り、それを続けている。
今日も雨、明日も雨、一年後も雨だろう。
ちょっとしっぽに意識を向けてみた。
かわいいしっぽはすでに海の中。
持ち上げてみないと海の外にいけない。
渦が生じるような水の重さを感じ、ざばあ、としっぽを動かした。
ちょっとだけ別の生き物が出現したような感じがして、個人的に楽しい。
そのものの体色は、最初は黒土のように黒っぽかった。
土の中に埋もれていたような恰好をしていた。
地震の正体は、そのものが「ごろり」と寝返りをしたからだったが、地上の人々はやけに高技術なものを駆使して予測しようとしたり、プレートやマントルを研究していたらしい。
それを翻弄するようにそのものはそうしていたが、誰かが儀式でもしたのだろうか。
長い雨がやってきて、長い雨によって、そのものと地面の境に氾濫した川や、水の流れによって浸食した溝をいくつも作るようになって、今ではもう、それらの文明は海底の仲間入りとなった。
すべてが水没した。そのもの以外。
陸地が雨の幾重もの打撃によって、陸地が砕け解けたように見えた。
実際は陸より水の海域が広がっただけなのに。
そのものはまだ遠慮して、その場にとどまっていた。
過去に行った「ごろり」による影響を鑑みて、世界的に影響があると認識していた。だから雨が降ってから今日にいたるまで、苔むした石のように固まって濡れていた。
けれども、このままだと大量の雨粒の音を聞いて、身体がくすぐったくて、くしゃみや身体のふるえを引き起こすかもしれない。
そのものは泳ぐことにした。
そのものは体長1キロメートル以上はあるので、数分ほどで雲の端が見えるところまで泳ぎ、雨粒から逃れることができた。
やった、と嬉しそうにした。
そのものは海面をランランと泳いでいたが、海底とやらがどのくらい下にあるのか興味を覚え、ドルフィンのように海に潜った。
天に届くくらいに長いしっぽが塔のようにそびえ立った。ゆらゆらと揺れ、雲の欠片を払う。
それによりようやく、「止まない雨はない」と言えた。
突然の君の訪問
2024/8/29 18:57:19
突然の君の訪問。
とても困るのでお引き取りください、と僕は君に風船をくくりつけることにした。
幽霊のように意外と軽いから、大きな赤い風船とともにふわふわと浮かんで去ってしまった。
徐々に小さくなっていくのを見送る。
「これでよし」
僕は現場猫のような指差呼称で確認する。
右よし、左よし、前よし、後ろ……
と後ろを振り向いたら、赤い風船が見えたものでちょっとびっくり。
いや、びっくりしなくてもよかった。
これは自分で用意していたものだった。
遠目から見たら、バラの花束のように見える。
リビングの窓が開けっ放しなので風が入り、赤い風船たちを揺らす。それだけなのに、空にとんでいってしまった彼女が、その中で蹲っているのではないかと思ってしまう。
一応、手を突っ込み、無いのを確認。
玄関に戻り、施錠。
……あれ? 靴が一足増えている……?
侵入を許したようだ。
言葉はいらない、ただ…
2024/8/30 12:29:37
言葉はいらない。
ただ……言い方ってもんがあるだろう。
「九州のお陰で本州が守られたという功績を、東京としては感謝を送りたい」
「大杉のある屋久島に、ノロノロ台風が上陸した結果、台風の目が崩れて暴風域がなくなった」
日本のニュースは、東京・大阪に主語を置いている。
九州四国は、若干の陸地の切り離しがあるので、本州とは呼ばれない。
あれは島国である。
と、どこか遠い国のような気分がある。
雨台風としての脅威は残っているので、来週どうなるか不明瞭。注視に注視を重ね、注視していきたい。こんな風に考えてない。
香水
2024/8/31 17:53:21
香水が洪水に見えて、濁流を抱く龍が寝そべるような川上から幸水の化け物がどんぶらこと流れきた。
誰かが桃のようなでかいナシを拾って、家でパカンと真っ二つに割ったら、硬水が噴水のように吹き出してきて美味しいという話。
(何も思いつきませんでした……)
不完全な僕
2024/9/1 18:47:01
不完全な僕は、今どこにいるのかわからないほどに蛇行運転気味な台風のように、ふらふらと休日っていう世界を彷徨っている。
けれど、そういう日を過ごしたって、誰にも迷惑かけてないくらいの年齢不問であればいいんじゃないかなあ、って言い訳を脳内生成して夕方になった。
突然死のような夕立。
それを窓越しに見つめると、今日こそが9/1なんだなぁ、って思う。
開けないLINE
2024/9/2 14:09:59
開けないLINEは、見る必要がないから。
読む価値がないから。
時間がないから。
壁を作りたいから。
馴れ馴れしくされるのはイヤだから。
でも、相手はというとお構いなしにメッセージを送るから、赤い風船が膨らむように数字が増えていき増えていき……確認の指先は画面に触れたくないと駄々をこね、心の殻のなかに引きこもる。
通知はもう切った。
けれど起動するたびに目に入る余計な情報。
相手は本当におせっかいである。
余計なお世話。
その短いセンテンスが言いたいけど、数字の膨らむ終わりなきカウントアップにおびえてしまって、送れずにいる。
画面を支配するように。
送られてくるメッセージの、強調された数字分の言い訳を用意しては無視の雪が心に降り積もっている。
凍え死ぬかもしれない。
拡大解釈妥当。
そして、一ヶ月二ヶ月と放置した夜。
仕事のしわ寄せがあって、誰かのための時間外対応をするバイトのやるせない気持ちで、素早い既読無視をする。
これが最善だ。
身体を丸くさせて、引きこもりの夜はそう殻に閉じ込もるのだ。
アプリでは「開けないLINE」をどう読むかで意見が分かれていました。
「あけないLINE」か「ひらけないLINE」か。
心の灯火
2024/9/3 16:54:50
心の灯火をつけるためのチャッカマンを手に入れた。
ふふふ、これで放火とかしてやるぜ、とおウチから出て散歩することにした。
道を歩いていると、犬に紐を引っ張られてどっちが飼い主なのかわからない人がいた。
片腕を持ってかれ、あれよあれよという風になっている。
心の灯火を千里眼を持っていないながら目を凝らしてみた。意外と見えるものである。小さいながら動物の本能に振り回されてばかりいる人の胸元に、小さい炎がちゃんと燃えていた。
こういうものの使いどころは、やはり満員電車だろう。
少年は普段はしないはずの早寝早起きをして、早朝のホームにいた。
列をなして電車を待つ彼らはみな、顔の表情筋が死んでいたが、少年の期待に反して心の灯火はついている。
てっきり消えているもんかと思っていたのだ。
学生もいた。こんな早い時間帯なのに。
たぶん朝イチに朝練をやっているブラック部活に参加しているのだろう。
しかし、彼らもまた心の灯火は消えていない。逆に燃えたぎっているのだ。なぜかは知るべきではない、と少年は去った。
そうだ、夜ならどうだ。
帰宅ラッシュ時なら、1日の疲れとともに心なんて……、と案に相違して誰も心の灯火が消えているものは見かけなかった。
休日、精神科のクリニックに寄った。
たしかに灯火の弱った者が多かったが、灯火とはこのような弱さだよな、と少年は感じた。
チャッカマンでつける必要はなさそうだ。いずれ自分で気づいて、|薪《たきぎ》を|焼《く》べて炎を大きくするだろう。
そうしていろいろな人の灯火を見ると、どうしてもという気持ちが強くなる。
カチッと、チャッカマンのスイッチを押した。
先端に炎が灯る。
意外と白っぽいなと思った。
火というより、光のよう。
そう思ったからか知らないが、ジブリのハウルみたいに炎を口元に近づけていって、口で飲み込む動作をした。
肌は透けているような感じで、一滴の炎の雫が舌、喉、胸を通り、身体の中心に収まった。
すると、少年は今までに感じたことのない強い揺れに備え、それを一心に感じた。
チャッカマンを持つ理由がない。
それを投げ捨てて、走り出す。
少年はどこかへ去っていく。
残されたチャッカマン。
それを拾う、別の人。
「ふふふ、これで放火とかしてやるぜ」
無敵の人は、その灯火の色を一生知らないでいる。
些細なことでも
2024/9/4 15:52:47
些細なことでも、少し思考を巡らせて哲学したほうがいいという。
例えば、そこのゴミ収集所のペットボトル。
ウチのところは、ペットボトルだけ収集所のあみあみに入れるタイプである。飲み終わったら軽く中身を洗って、ラベルとキャップを取って、ポイ。
収集日はマジで知らない。
いつの間にか、かさが減っている。
黄色のあみあみのなかで、大小さまざまな使用済みのペットボトルが乱雑に入れられている。
下だったり上だったり、斜めだったり。
ペットボトルがパズルピースの一部みたいに見える。
ペットボトルのピースでペットボトルの透明さを映し出している。キラキラだ。
それのどこを見ても、フォルムは立派だ。
そう、ちゃんと凹んでいない。
脚でふみふみしてないのだ。
それにキャップもついているのも多い。
色つきのラベルだって。多分コンビニか自販機買いの奴が、飲み干した途端に捨てているのだ。汚いぞ。
ペットボトルのふみふみ。
容積が減って、かさが減るので、効率的に収集しやすい。
そういうが、それでもちゃんと持っていってくれるということは、どういうことなんだろう。
うーむ、謎だ。
やっぱりやらなくていいことがあるってことにしよう。そうだそうだ。
些細なことは、暇な人たちに考えてもらおうとしました。
僕たちはヒマでないので、おウチでひましてる連中を脚でふみふみしてやるのだ。
夏休みはもう終わり。なのに、自由研究や読書感想文などをやってないでいる人たちをお仕置きして、ペットボトルのように丸洗いしてやるのだ。そうしたら、透明になってキラキラするはず。
きらめき
2024/9/5 16:21:29
きらめきを口にして、苦労を吐き出すニンゲンの横を過ぎ、彼は歩く。
こんなニンゲンにはなりたくないものだ。
メデューサにより身体を石にされてもなお、口元には銀色の粉が付着している。
唾液が干からびて、何かしらの物質が析出したのか。
あるいは、彼のような自由の妖精にイタズラされたか。
彼のように、自由に歩ける人間は限りがある。
この世界の大半のニンゲンは、動けない石像になった。
石像でその場に固まった者たちは、みな思い思いの表情を張り付け、嘆き・苦しみの表現をしている。メデューサのせいだ。
彼は、苦々しい味を我慢した。
メデューサのせいだ。
徘徊するメデューサ。
どこにいるのかわからないメデューサ。
怪物。不死なる存在。
故に、生を知らず時間を知らず常識もニンゲンも知らず。
「死にたくない」と口にした者たちの前に現れては、そのきらめきを叶えるゾンビと化した。
メデューサになりたいと願う者もいるのだろう。
メデューサは一人ではない。
「そう、ひとりじゃない」
彼は独り言を言い、また石像の隣をすり抜けた。
へその緒が繋がれた赤ん坊を抱いた、娼婦の寝姿だった。
貝殻
2024/9/6 18:20:25
貝殻の中に赤コインを仕込む。
レトロゲームで申し訳ないのだが、マリオ64の海ステージにてそういうのがあったと思う。
大半が水中のステージで、泡ゲージが切れる前に、パッカン……パッカン……、と閉開するタイミングを見計らって、薄ピンク色の貝殻の赤コインを集めるというものが何枚かあった。
あのときはただのプレイヤーだったので、ステージをこなすだけで終わったのだが、段々状に深くなっていく段差の、浅瀬の方にその貝殻のギミックが設置してあったなあ、と今思った。
沈没船は、ちゃんと海の底にあって、あるギミックをこなすとそこからゴゴゴ……、と音と泡を立てて浮上する。
「浮上する時間長いな……」
とか思ったりするのだが、すぐに浮上すると沈没船としてのムードというか、誇りというか、そういうものがない。
そういえば、みんなのトラウマであるウツボくんがいた。
どこか爆発しそうなほど顔が赤くなっている。
マリカーのどっかの水中ステージにて再登場を果たし、背に乗って走るだけという、単なる置物として置いてあったような気がする。
ちょっとお題から脱線事故を起こしてしまったが、大目に見てやってほしい。
カナヅチはカナヅチでも、トンカチなら貝殻なんて粉々よ。
粉々に砕いて、砂浜に溶かしちまおう。
時を告げる
2024/9/7 18:18:48
「時を告げる行列」とやらに並んでみた。
ポストに入っていたチラシを見るに、場所は新宿駅の真下にあるという。駅ビルの地下街だろうか。
というより、時を告げるとは、何だろう。
私は疑問を解決しにいった。空席状況の目立つ電車に乗り、世界の迷宮たる新宿駅へ降りた。
フロアマップと家から持ってきたチラシ、双方を見比べながら、目的地の在処を比較検討する。
別に正確な位置を特定する必要はないのだ。
行列なのだから、どこかしらにぴょこっと最後尾が……あっ!
地下X階。だいぶ階段を降りたが、やっとそれらしきものが見えた。
ちゃんと「最後尾」と書かれたプラカードを持ったガールが立って、異様な長さの存在感を放っている。
私はその列の最後尾に並んだ。
それから、時間が経つごとに行列の順番待ちをする。
「時を告げる」とあるように、カフェの小さなチャイムが鳴るごとに一歩前に進む。
一人ずつ店内に入っているのだ。
これが「時を告げる」という意味なのか、と一人得心した。
ただ、何の店なのかはよく知らない。
初めはラーメン屋の人気店の名前だと思って来てみたが、ラーメンどころか美味しそうな匂いは漂っては来なかった。
飲食店ですらないのかもしれない。
例えば、有名な美容室だとか、ネイルサロンとか。地下街に惑わされてはならない。例えば温泉……とか?
想像が膨らみを持つ。頭の上へ、ふわっと浮上してきた。
きっと到着すれば、何かしら知れると思った。
私の今の身分はニートという、世間でいうところの思想家に当たる。
時間があり余っており、家でも、行列に並んで待つ間でも、思索をすることには変わらない。この行列の正体を知るまで、考え抜こうじゃないか。
……そういえば、お腹が空かないな。
「すみません、あとどれくらいですか」
最後尾を示すガールに聞いてみた。笑みを浮かべて答えてくれた。唇が妙に色っぽい。
「待ち人数はあなたでちょうど20人おりますので、うまく行けば20分で済むと思いますよ」
「なるほど、そうですか」
「ええ、寝ていればすぐです」
私は窓の方へふと向き、ひょっと、一瞬できた影を目撃した……ような気がした。
下から上へ、細く長く上がるもの。
普通に考えたらツバメか。
などと考えたが、地下街なのに外が見える窓があることに気づくべきだった。
そうすれば私も……うっ、なんだっ。
急に、眠く……。
そこにシャランとチャイムが鳴り、そこで意識は切れた。
20分後。気づいた。
どこにいるのかは、正確には分からない。地中の穴の底。
上にはぽっかり空いた空が。
ああ。なんで気づかなかったのだろう。私はずっと世の中の底辺にいたのだ。そうだ、そうだ。だからこの場所に来たのだ。
彼女の背中には、翼が。
時を告げる時が、私に来た。
……安心。力が抜ける。
そして、私は空に向かって落ちるように飛んだ。
踊るように
2024/9/8 18:32:33
踊るように、人生を過ごす。
フィギュアスケーターのようなものです。
つま先は立ち、くるくると身体を回し、演技をする。
ぴょんと小さなジャンプをする日もあるだろう。
耳を澄ませば、何かしらの音楽が流れ、それに合わせ、リズムを作る。
プロのような、熟達した技を持っているわけでもない。三回転、四回転、そんなジャンプはしない。
無難に、無難に。
氷上の天使として、滑っていく。
残ったのは、軌跡の凍りゆく僅かな痕跡で、それを誰かが過去の記憶と呼ぶ。
その上をまた誰かが滑り、軌跡が重なる。
しかし、踊るといったって、それは平らでないと転ぶ危険があるし、夜通し踊るのは身体的にも精神的にも続かない。
夜になれば踊りを止め、眠りにつき、休む。
日が出れば目を覚まし、再び踊るように人生の日を過ごす。
そんな優雅な人の踊りを見て、私はどうだと深く嘆く必要はない。
世界拡散をせず、私は私。
まずは靴を履くところから始めよう。
世界に一つだけ
2024/9/10 13:08:31
世界に一つだけの残酷。
それは、普段ありきたりと思われていて、忘れ去られている。
テレビ番組で取り上げ、「考えさせられる」機会を設けないと、人の残酷な人生の結末なんて考えない。
幸せになるとは、大切な人と時間をともにすると共に、見えない人物を見ないようにすることでもある。
だから、「考えさせられる」だなんていう言葉がでてくるんだ。
そんな単なるモブの、何百何千という残酷な人生の結末をかき集めると「世界に一つだけの残酷」が出来上がり。
僕たちは本当に「世界に一つだけの残酷」のなかで暮らしているのでしょうか。
時々疑問疑答する。
学生であれば、いじめ、不登校、指定難病、小児終末ホスピス。一つの結末として自殺。
大人であれば、多岐に渡る。
金銭的格差、考えの格差。
置かれている境遇、記憶、時間の使い方。
各種格差による、未確定な時間の経緯の結末が今の自分を形作るって、いつ頃気づいた?
こんな残酷、見たくないという人が多ければ、もっと残酷になる。
あるいは「底辺労働者を底辺と呼ぶな」などと、SNSではきれいごとを言っている有名人をフォローして、考えたくないと言えずに耳をふさぐ人もいる。
底辺って、あるに決まってるでしょ。
何言ってるのさ。
僕らがそれを直視しなければ、彼らがテレビの取材に応じた理由が無下にされる。
苦しい。つらい。
でも、やらなければ。
生きていけない。
ドキュメンタリーは、それが事実あるってことなんだよ。カメラに収められてるってことなんだよ。
進行形の病魔は降りかかり、ますます残酷は残酷になり、残酷なオンリーワンになる。
それを特別価格でお送りします。
あなたへそれをCMを見ているように見つめている。
こんな人が今も同じ日を過ごしているなんて、考えさせられるね――って人は、底辺じゃない。
底辺の人は、考える余裕すらない。
コーヒーも飲めない。
椅子に座らない。
テレビはリサイクルショップで買った5000円のごみ。
布団を模した段ボールを掛けて仮眠。
睡眠時間を削って眠眠打破を飲んでいる。
朝は眠らない。夜も眠らない。
僕らだけ寝ている。
贅沢な時間とは言わない。
やっぱり見えない人は見えないままだ。
喪失感
2024/9/11 18:55:50
僕はまだ見てないのだが、「有吉の夏休み」という番組にて某芸人の姿を番組スタッフが編集で消したらしい。
それで、SNSでは「◯◯を探せ!」が開催された。
いかにも悪趣味な遊び方をしているが、出演者の一部がいじったことで容認された見方がある。某芸人だから、笑えるならそれでいいと僕は汲み取った。
まるで出演してないような、声の痕跡がどこにもない。
現代の編集技術は進歩したなあ、昔はテロップを重ねて強制的に隠してたのに。
これが「本場の消しゴムマジックで〜」かな。
意外と人ひとりを消すのは容易なことではないのだが、そこはプロ。90%くらいは消えている。
でも、マジックも限度があったようで、店の鏡に写っていたり、腕の一部が消し忘れていたり。
あるいは、妙に画角がおかしい部分があったり、二画面構成で何かを映さない仕組みにしていたり。
番組は旅行記みたいなものだから、ロケ地巡りのそれぞれで出演者たちの集合写真を撮って、それをアルバム風に見せるのだが、どの集合写真も一人分のスペースがある。
みんな笑顔で笑っているのに、そのスペースに対して誰も指差しせずその状況を受け入れている。
誰かが写真を破って背景を付け足した。それで妙なスペースが生まれた。
これを喪失感と呼ぶかは微妙なところだが、何かを失ったのは確かだと思う。
補うのは、今は反省の時間。
視聴者には当然見えない。
だから、あれこれ不備を探したくなるのかな。
今も見ていません。
カレンダー、本気の恋
短めなので検索欄に載せない選択をとります。
2024/9/12 15:46:51
日めくりカレンダーみたいに、一日ごとに誇張した日付を破り捨てるほど、僕は暇じゃなくなってしまった。
百均の廉価で質素なカレンダーがいい。
インク量を使わず、画像素材も飾りも要らない。
壁掛けカレンダーがいいや。
月一回、月を変えるときだけ。ビリッと破く。
そのほうが爽快だし、手応えがある。
一日一回とはいえ何回もやると飽きてきて、途中で苦行になってしまう。
そうなると日めくりカレンダーは、ただの置物。
いつしか主に見捨てられたようになって、何年前の日付を指してるんだよってなる。
回数制限って、なんか深い。
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本気の恋
2024/9/13 9:50:54
本気の恋は、この場で発表するほどのことではないと思うので、退散したい。
他の人の投稿でお腹いっぱい。
夜明け前
2024/9/14 18:35:11
夜明け前の薄明時刻。
東の空から新たな光が供給されて、暗き黒の領域の一部が濃紺になってきている。
浮かんでいた小さな雲の存在が目立つようになって、夜が明けてくることを空が自覚する。
深夜のコンビニで、「夜明け前」という酒を買ってきた。
名前の通り、これは夜明け前に飲むのがいいと思って寝ずの番をしていたが、バカなことをした。
名前の通りなことをせず、安酒の通りにすればよかった。けれど、その後悔の記憶は、真上で展開される夜のよろけ具合を見ると、どうでも良くなってしまった。
磨かれたグラスに「夜明け前」を注ぐ。
日本酒の香り高い空気と共に、吸う。
鼻から鼻腔を通り、喉の細胞で香りを味わう。鼻の中を通る淡い香り。
一口味わうように飲むと、山田錦の澄んだ深みを感じて、空を見上げた。
夜明け前から夜明けに推移した、明るい青が見えた。
命が燃え尽きるまで
2024/9/15 18:46:55
「命が燃え尽きるまで」を現実世界でやったら人生終わるんだよね。
今はもう過ぎ去った時代、昭和・平成時代には「24時間戦えますか」なんていうキャッチコピーが流行った。
戦わなければ、生き残れない……!
企業戦士、勤労礼賛、サビ残は当たり前。
結果、リストラや人件費削減などにより「失われた30年」などと言われる不況になってしまった。
「命が燃え尽きるまで」
この言葉は、話がファンタジーであるほど似合っていて、しかしながら、現実の一部地域はこの事実がある。
過去は言葉通りに過ぎ去るよりも、ファンタジーに溶け込ませたほうがいいな、と思う。忘れ去られてしまったら、人はまたいつか繰り返すと思うから。
だから、書き残そうとすると思う。小説という名のフィクション、ファンタジー。
ファンタジーに熱血さのある場面がところどころに出現するのはそういう理由だ。潜在意識の自然的欲求。そう思った。
君からのLINE
2024/9/16 18:20:04
君からのLINEが届いた時、私は人を殺している途中だった。
文章にすれば驚くものを書いているかもしれない。
しかし事実だ。
さして物騒なものではない。
ファンタジーのように残忍の夜の帳が下りた世界観ではない。
それとはスケールが違う。かなり小さいものだ。
魔王なんていない。勇者なんていない。皆殺しにあう村人などはいない。しかしそれでも人は死ぬ。
何も知らない人によっては、人を殺していると捉えられるだけで、当事者の女たちと私との間では、命が宿る袋の中を淡々と掃除しているだけ、という認識でいる。
金を支払えば私はこれをする。
そうでなければ、目の前の患者はいずれ精神的鬱で、母子ともに死んでしまうだろう。
いわゆる医者という、職業をしている。
産婦人科医。
しかし、経産婦のような命を出迎える、ありがたい光景を生業としているのではなく、薬物を使って計画殺人に加担している、ようなものだ。
それは産みたくないという女性の意志を尊重していると、私が思っているため。
それの名前は特になく、単なる子宮内容物であり。
命なんていうものは、人間たちの思い込み。それを単純に感じる日々。
まだ腹は膨れていない幼い女に麻酔薬を吸わせた。
意識を失わせてから股を開かせ、金属状のくちばしで入口付近を無理やり開く。
無理やりやられて出来てしまったから、というのが本日の来院理由。よくある理由だ。
開いて覗いた。
好きでもない人の、粘膜色を覗き込む作業に、劣情を催すほどの若い年齢でもなくなった。
医療用の吸引器のスイッチを入れた。
風の音の吸い込みとともに、冷たいはずの機械を滑らせて、ものの一分二分で終わってしまった。
その時刻に、君からのLINEがあったのを知った。
「やっと妊娠したみたい」
そう書いてあって、つい既読をつけてしまったことに後悔している夜9時。
空が泣く
2024/9/16 23:39:38
空が泣くのはどうしてなのか。
今までこんなことはありえないことだ。
もちろん、海面が蒸発して雲ができて……ナドというものではない。そんなことで空は泣かない。
雲が勝手にできて、雨を降らしているだけで、空は本来泣かないものだ。
空の色合いが毎時間に変化する。虹色の構成する色全ては体験したし、その色に属する雨の色が雲もないのに落ちてくる。酸性雨。喜ぶ雨とは到底思えない。
空は、泣いているのだ。理由究明が各地方で叫ばれた。
旅客機のパイロットがある日突然発見した。
空と宇宙の間にある成層圏にて、いびつな雲の形があったとの目撃情報があった。
あとでそれは天空に描かれたある種の文様(魔法陣)であることが後世にてわかり、世界に激震が走った。
世界中の研究者たちが一丸となって原因究明すると、どうやら海の底に鍵があると目論んだ。
こぞって、賞金稼ぎなどのトレジャーハンターたちが、冷たい氷海の中へ無謀な潜水を披露したり、国盗りレベルの設備投資額でゴリ押して、水中深くまで専用の潜水艦を沈ませたりもした。
すべては海の底にある。深海生物を蹴散らし、まだ奥へもっと奥へ……。
その言葉を信じて数々の人たちは挑戦し、そして自然に敗れた。深海は過酷な環境だ、なにせ人が住むような快適な場所ではない。
だから、挑戦者たちが二度と浮上することは叶わなかった。
空が泣いた100年後、ふと空を見上げた。
青い空が広がっている。青い空?
どうやら空は泣いていない。
なぜだ?
わからない。
なら、どうして空は泣いたのだ?
それもわからない。言語を喋る口も聞くための耳も鼻もないから。
地上の人たちは|訝《いぶか》しがっていた。それだけで済んでよかったと空は思った。
空が泣く。その理由はただ一つだけ。
この世から宇宙が無くなっていたからだった。
花畑
2024/9/17 23:37:19
花畑ほどの数の真実が虹の下に群生していたとしても、花の色は決まっているという。
あか、あお、きいろ、むらさき、藍色。
仮に虹の道を進むことができるなら、半透明の色たる虹の下から花畑を見下ろすことができる。
そうできれば、なんてきれいなんだろう。
そんなことを思う人が、人の世の0.0003%ほどの人間がいたとして、花畑たちはゆらゆら揺れていることだろう。
穏やかな風に吹かれ、自由に花粉を飛ばし、生物の侵略もない。あるのは移り変わる季節のみ。
一年草、二年草、多年草。いつしか木も生えるだろうが、それでも花畑から逸脱するかといえば、そんなことはないのだと思う。
僕は虹の道より、地上の花畑を選びたい。
花畑をかき分けて、気に入った花束を作るようにしてみたい。
そういえば、そんなことは花屋でもできる。
けど、花屋ではできないことを、花畑では感じることができる。きっと花の香りに包まれているようなのだ。
それは、今の人たちには幸福に感じられるかもしれない。
……幸福ってなんだろう。
夜景
2024/9/19 18:55:57
夜景を見る人それぞれに、客観視の概念があると思う。
海側、二階席のグリーン車。東海道線。籠原行き。
その人は製造業の工場派遣をしているというのに、行きと帰りの通勤電車はグリーン車を使っている。
早朝は小田原行きの東海道線グリーン車。
夜7時、つまり現在時刻は籠原行きの東海道線グリーン車。
それに乗って、都会に帰るのだ。
新幹線を使えばいい。普通車のすし詰め状態のくぐもった声。
それらを無辜の民のように聞き流して、お茶のペットボトルを一本飲む程度の有意義な時間を過ごす。
帰りは駅弁を買い、グリーン車で食す。
……ことができればいいが、そんな贅沢、いつもできるわけではない。
藤沢市の住宅地を見渡した。
閑静な住宅地のなかのトンネルをくぐった。
神奈川県の都会駅を見晴らした。
多摩川を渡った。
川崎工業地帯を見やった。
品川駅越しの高層ビル群、高層ビル街を眺めた。
華やかなイルミネーションのように、建物自体に光が咲き散らばっている。人の営みが光の衣として纏わりついている。
夜の都会は眠らぬ。どうしてかと思考を巡らす。
残業手当のために居残っている同胞か。
あるいは家族の団欒のために漏れる光か。
それから夜景をデザートとして、夜のディナーを戴いている富裕層たちか。
無人の建物の中にいるロボットの電源装置か。
昼夜逆転した夜勤バイトの疲れた香りか。
かつて遊んでいた子供の年齢で塾に籠もる自習室から漏れる光か。
誕生日を祝う、ろうそくの光。
投げ出したPCの見えない印。
そんな意味を持たすなこの光の粒たちに。
たった10秒の過ぎゆくグリーン車の、眺めるこの車窓のために、人間たちはいつものように意味を持たし、意味を投げ出している、という夜景。
東海道線車内の横揺れを感じる。グリーン車だから、音は若干抑えられている。
ペットボトルの蓋を開け、薄っぺらいお茶の味を味わう。
喉に染み渡る水分。
まもなく、新橋、新橋です。
時間よ止まれ
2024/9/20 18:56:51
時間よ止まれ。
心のなかで念じたら、本当に時が止まってしまった。
えっ、ウソ、あれっ。
内気な小学生は保健室の中で慌てている。
自分以外の人間は皆、音が溶けるのを待つ指揮者のように静止してしまった。
体重計に乗ろうと片足立ちになっている生徒。
身長計の棒を下ろしている最中の、看護師と生徒の対話。集団行動の静寂になっていない静寂。
体重を測り終わって友達の輪に合流し談笑している集団。口を開けたままニヤつく同級生。
戸惑いつつも、強制静止の食らった保健室の隙間を縫い、廊下に出る。やはり時は止まっている。
次のクラスの見ず知らずの人たちが、列をなしている。林立する彫刻の森のように。
無造作に並べられ、視線があちこちに飛んだままになっている。
保健室に戻り、ドアを閉めた。
彼女はくくっと声を出し、そして笑った。
とても気分が良かった。
自分以外のみんなが止まってしまった。
面白い、面白い。くくっと笑う。
学校でこんなに笑うのは、初めてかもしれない。
ざっと記憶を見積もっても、少なくとも3年は経っているだろう。
嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴。
私をいじめた。見捨てた。見て見ぬふりのクラスメイト。先生。教頭。校長。
保健室に逃げ込み、保健室登校をしようとしたのに、慰めるどころか上から目線で説教をした保健室の先生。親指のような器の小さい親。
彼女が好きなのは勉強くらい。黒板くらいだった。
でも、この日は不運なことに、大好きな算数の授業を潰して、健康診断をしている最中である。
小学生は目が悪くて、壁にかけられたランドルト環がぼやけて上下左右がわからなかった。
わからなくてわからなくて仕方がなかった。
目を凝らしても見えない。
そんな精神でいられない。
こんなの、見えたって意味がない。
そろそろメガネを作らなければ、という現実を殺したかったから念じた。そしたら止まった。
夢を見ているかもしれない。それでもいい。
色のない世界に生きていたんだから、時が止まったっていいじゃない。ねぇ、そうでしょ?
近くの彫刻に足を運んだ。
特に見覚えのない命だった。
手のひらを伸ばし、指が触れた。
硬い。それはそう。
彫刻の顔、耳、エラの部分、下顎、そして首。
首に手をやる。
リボンを結ぶときのように。
将来のための新婚ごっこをするように。
ネクタイを結ぶように。
両手を添えた。
そして、一気に力を込めた。
握力計を両手でズルをするように……
……破片が散らばっている。
うわばきを履いているのに足元が痛い。痛いという感覚が罰として下った。身体を貫いてくる。
でも、いいや。
投げ飛ばすように赤いうわばきと赤くなったソックスを脱いだ。裸足のまま歩く。
それから1000年くらい、彼女は神さまのせいにした。
こうなったのは神さまのせい。
一人って、こんなにも楽しいんだ――と、まだ一人で笑っている。彫刻の首を|縊《くび》り殺して回っている。
大事にしたい
2024/9/21 18:18:11
大事にしたい、と思える時を過ごしているから、大事にしようと思うのであり、そう思わない時を過ごしていると時間を浪費してしまう。
だいたいの人は、そもそも大事にしようと思うベクトルは物や他人に向いており、自分に向いていない。
そういう人は、自己肯定感が低いらしいので、自分を大事にしようと思うことを大切にしたい。
と思っている僕の休日は今、ぬいぐるみの下敷きになっている。
もふもふが押し寄せてきて良い。
秋恋
2024/9/22 18:14:23
秋恋……、秋恋ってなんだ?
「そうか、今日は秋分の日だからか」
僕はなるほどと合点する。
ネットで意味を問うてみたが、いまいちな答えしかのっていなかった。造語だという意見もあり、秋の時期にスタートする恋のことを指すというのもある。
正直恋愛系は僕の筆の範疇にない。
だから現実を幻にして多角的に見つめてみることをしているのだが、秋については過ごしやすい以外に考えたことがない。
今年も秋が来るんだろうかとちょっと心配していたが、例年通り?か分からないけど、秋は来たっぽい。
まあ、残暑はまだ残っているが、秋雨前線がどうのこうの言ってるから、それを乗り越えれば来るってことでいいんだろうな。
乗り越えてばかりのこの人生。
秋分の日は秋を感じていたい、という天気であった。
良き温度。
ジャングルジム
2024/9/23 23:34:45
ジャングルジムのある公園を見つけて、年甲斐もなく登ってみた。
かつては一番頂上のブロックに行けなかったのだが、この年になると一応登ることはできる。
……落ちないように、細心の注意を払って、おどおどと、足を運びながらであるが。
一番頂上から頭を突き出して公園内を見渡してみた。
案の定という感覚が頭の中から突き抜けてくる。
何も無いな。
記憶の中にあったはずの錆びれたブランコや、うんていなどがない。砂場は普通の地面と同化するような灰色であり、もちろんそれらに子供たちの姿はない。
ただ自分だけがいる。
ニュースで又聞きしただけだが、幼稚園ではラジオ体操をやらなくなったらしい。
外で遊ぶことが少なくなったから、身体が弱くなってあの程度の体操でも身体中が痛くなってしまって、負荷の軽い体操を新たに考案したものを使用することにした県があるという。
たしかに危険は少なくなったかもしれない。
公園の遊具が撤去されるに至った理由は、主に転倒である。
転倒で膝を擦りむいてしまったときの、子どもたちの泣き声ほど遠くに響き渡るものはない。
それが周辺住民の騒音認定されたとしたら、遊具のある公園というのは、肩身の狭い気持ちが集まるというのだろう。
ジャングルジムも撤去される運命にある。
こうした高さのあるものは、数年後にはスカイツリーとかの金銭的価値に置き換わってしまうのかなって、なんかしみじみしちゃうな。
形の無いもの
2024/9/24 23:26:19
形の無いもの。|形而上《けいじじょう》だっ! と思った。
形が無いからといって存在しないと断言できるかといえば、それは嘘になる。
形が無い=目には見えないと言い換えることができ、しかし近現代にて、物質は全て分子という名の見えない最小単位で構成されていることが分かっている。
義務教育の範囲内で、ごく当たり前のように、子どもたちはそれを習う。
形而上で思いつくのは、宗教的思考だろう。
人間は、人間には想定しえない超超次元的存在を空想し、仮にそれがあると定義づけた。
昔は形が無いものを定義するのが好きだったのかもしれない。
目に見えるものは全て形がある。
例えば星空。
光が目に入ってくるということ。
正確な形は手に取ることのできない強大な距離で離れ離れになっているだけで、それは存在するとわかる。
しかし、人間はちっぽけな存在であるから、あるいは、より身近に置きたいと思ったのか。
星星をつなげて星座を作り、別の形を召喚した。
その形を基に、似たような形を想起し、また別の形を……という連鎖式想像を創造し、頭を巡らせる。
形而上は頭の中にしか存在しえないから、頭の中の自分が納得するかどうかにかかっている。
目の前の目に見える景色を媒介として、目に見えないものを錬成する。人間はそれを得意としている。どこまでもどこまでも。果てしない。
その辺に、人間特有の欲望の深さが垣間見えて良い。
窓から見える景色
2024/9/26 12:51:53
窓から見える景色は木の桟橋。
今しがたエンジンが入った。
船内は華やかなBGMが充満しており、これから限界集落の島から離れる事実を、なんとかかき消す作用をしている。
六割強の席が埋まり、家族連れが多い。
そのため、外よりも内に注意の目は動いていた。
一席に座り、外を見ていた。
船の窓より見通せる外の景色は、海の上に立つ桟橋と海を捉えていた。桟橋の根元はコンクリート。寂れる港である。
自身の乗っている船のエンジン音が一段と強くなり、機械がぐんと気合を入れたようだ。
やがて動き出す。ゆっくりとした時間をかけて、ゆっくりとバックする。大げさなエンジン音が水面下で火を吹くようだった。
船はバックして、徐々に桟橋から離れていく。
桟橋の待機人は、繋留紐を素早く手繰り寄せている。
一方、船はというと緩慢とした動き。
車両なら、トラック三台が発車していることだろうに。
船のUターンは海上故に、それ以上の穏やかで叙情を感じさせた。
瀬戸内海の穏やかな海側の水。
その水をかき混ぜる船の白い泡。
それに紛れて……
窓から見える景色は桟橋。
桟橋の下。海と、船のかき混ぜられて流された白い泡に隠れるように、誰かが捨てたであろうコカ・コーラの赤いラベルがふよふよ浮いていた。
秋
2024/9/26 22:31:35
秋は、秋も飽きっぽい。
と思えるほど、短縮営業注意報。
秋の風を嗅いで、過ごしやすさを心も身体も感じていきたい。
この日はとんでもなく忙しかったので、短めです。
通り雨
2024/9/28 15:03:44
「通り雨だ!」
日本に帰国したばかりのその日。
鬼気迫る声で、轟くように誰かが言った。
ただの通り雨で、どうしてそんなことを言うのだろうと男は道ばたを歩いたままでいた。この国のアスファルトはどうしてこんなにもひび割れているのだろう。税金の使い方がなっていない。
などと、どうでもよいことに気を取られていたのかもしれない。
「危ない!」
「えっ、うわっ!」
男は突然誰かに肩を掴まれた。
びっくりよりも先に、そのままの調子でビルの軒先まで引きずられる。誰かは、男よりも年下の見知らぬ人。|着古《きふる》したシャツが汗と汚れでよれよれである。
「ふぅ、危ないところだった」
「な、なんなんですか一体……」
誰かは重い雨戸のように唇は重厚であり、切れ長の目は雄弁に語る。ほら、空を見ろ。と言っているように。
男は空をみた。
同じ場所、同じ色。暗雲垂れ込める空。
空の端から見違えるような暗闇の雲がやってきた。
自然の増幅装置を伴って、この街の真上に来た。
この雨は神社の鐘の音を鳴らすようなものだ。
普通の雨が増量しただけのものが短時間にわたって降雨するものだ、と男は踏んでいた。
にわか雨、夕立、|驟雨《しゅうう》。
スコール、通り雨、それから、ゲリラ豪雨。
災害級の瞬間雨量。
それでも時間には勝てない。
時間がある程度経過すればよい。
しかし、降ってきたのはそのどれでもない、別の物だった。
雨に混じって黒いシルエットが見えた。
矢のように長く細い。あるいは雨の影よりも長い。
上から下へ。
雨なら細かくて、やがて地面に吸収される。
けれどもそのシルエットは地面に触れたままの状態でいた。
槍が降ってきた。
ピストルが降ってきた。
飛行機の残骸のような、大きな金属片が降ってきた。
油のような、タールのような、環境に悪そうな液体もあった。
水たまりではなく、油膜の張った液体たまり。そして戦争と暴力の象徴……。
「こ、これは……」
男は目と口をあんぐりしたままになっていた。
ただの通り雨だ、傘をさすほどでもない。
そう思ったままでいたら、脳天から足先までズタズタに斬り裂かれていただろう。
「その様子だと、あんた、もしかして海外に行ってたのか」
「え、ええ、1年ほど。今日帰国したばかりなんです」
「この国はな、変わっちまったんだよ」
「1年で、こんなにも変わるものですか……」
「いや、1年じゃない。もっと……、もっとだ」
通り雨は止み、通り魔のごとく過ぎていった。
暗雲の塊は雷の点滅具合とともに進路は混迷し、突き進んだ。
おびただしいほどに突き刺さった武器の残し、雨宿りの二人は立ち尽くしていた。墓標のように見えたからである。
別れ際
2024/9/29 15:55:50
別れ際に最後の道連れ。
若い男女は、ともに相手の首に手を回しながら絡み合う。そして、棒倒しのように湖に飛び込んだ。
平日を休んでの逃避行の果てだ、と男の方は思った。
最後の空は夕焼けの色を呈していて、その一部が湖の水に映り込んでいた。
引き寄せたほうは女からだった。
いつもそうだ、と男の方は思った。
意気地なし。最後まで意気地なし。
自分を|悪罵《あくば》しながら身体が沈んでいく。
女の青いロングスカートで、足先はまったく見えなかった。ザブン、と音を立て、湖の水に触れるや色と服が水の中に溶けていく。煮溶けた肉じゃがのように、液体に負ける固体。消える。
夕焼けの赤さと彼女の青さ。それは年齢も込みである。だからこんな無謀な結末となったのだ。
夕焼けの色は実は戦争末期であり、この国の滅亡寸前を示す色彩である。
だから、だから男の方は意気地なしなのだ。
男は国のために死ぬことすらもできぬ。
身体が軟弱であり、一方資産家の令嬢である彼女はロマンスを求めた。それ故の逃避行の決断者であった。
湖の深度が深まるごとに、彼女の姿を覆い隠すようだった。服は糸がほどけたようになり、彼女の本来の色がむき出しになる。
それを見ていると、意外と呼吸は苦しくない。
これから苦しくなるのだろう。
そう思えど、そう思えど。
どこか忘れている。
世界の一部が終わろうとしているというのに。
思考はとめどなく溢れている。
死を後悔しているのか。この決断を躊躇っていたのか。それだけは違うと理解できた。
何なのだろう。
もうこのまま湖の底に沈積して、時代に忘れられる化石燃料になってしまえばいいのに。
しかし、頭の方までは化石にならず、意識は、はっきりとしている。
ねぇ、と女の唇は水中で動く。
生きていた頃、吸い込んでいた濁った空気が、口から男の方へ。ぽこりと大きく発泡する。
泡が頬に当たり、視界が……
いつまで寝ているつもり……?
そう口が動いているのをみて、視界が覚醒する。
一気に浮上する感覚。
男の身体が軽くなり、湖底から見上げるようにすると、石のようになっていた意識から目覚めることができた。
長い間、病室のベッドで眠っていた男はついに、ベッドのそばで待ちわびた人を一目見ることができた。あれは、夢だったのか……?
その顔を見ると、随分と待たせたようだった。
澄みわたるほどに空は青い。その色は平和。
静寂に包まれた部屋
2024/9/30 18:23:09
静寂に包まれた部屋で読書をしていた。
鬱蒼とした森の中。
ログハウス的小屋の中でのひと時だった。
主は人間ではない見た目をしている。
周囲の山村のいうところによれば、魔女扱いされている。
たしかに人間の寿命以上は生存しているものの、人間の寿命の延長線の範疇にある。
というか、昨今の人間たちは生き急げとしすぎている。
睡眠を削るとは、寿命を削るのと同意味だ。
と、主はみゅにゃみゅにゃと寝言を言っている。
誰がどう見ても昼寝をしている、と思うかもしれない。
本の位置は寝転んだ顔の上にあり、主の顔を隠している。金色の紡糸の英字の筆記体。タイトルがそれの表紙を上にして、伏せられた状態にあった。
難しい本を選んでしまった、というのが寝ている主の意向である。
しかし、本格的に本を読む前からハンモックにて寝転んでおり、予想通りハンモックの虜となっていた。
ハンモックに隷属して少なくとも数時間は経つ。
そもそも読書をやろうという意識の量は、あまりにも儚かった。
部屋の雰囲気に人工的物体は特にない。
木の根が張り巡らされた壁面には、主愛蔵のコレクションが飾ってあった。書物が最も多い。厚さ薄さ関係なく、物語は一級品である。
そこへ、さああ、と音がやってきた。
「……んあ?」
主へ音に呼ばれて目をこすり、伏せていた本を落とす。
何ページ読んだのか分からない状態になって、パタンと本は閉じる。
寝付きの悪い主は、やはり目覚めも悪く、低血圧低血糖ときている。数十秒間、上体を起こした状態で、音を立てた者を窺った。落ちた本はそのままにした。
一人、二人、三人……
見知ったものではなさそうだと思うと、壁にかけられたひと振りを手に取る。
三日月がそのままの形、そのままの色の武器。
小柄な主の身長に対し、二倍はあるだろうか。
「誰だい、俺の縄張りに入ったのは」
そう呟いて、スキルを行使した。
瞬間移動。するともう、射程圏内。
敵の背後を取るのは簡単だ。軽々と鎌を振るう。
先ほど読んでいた本の冒頭部分を頭のなかでそらんじた。
さあ、狩りの時間の始まり始まり……。
きっと明日も
2024/10/1 18:54:05
きっと明日も水を飲む。
最近、個人的に始めたものとして水を飲むことがあげられる。
540mlのペットボトル一本。
ラベルには「いろはす」と書かれているが、これはガワだけの話。中身は、自宅の浄水器の水を|汲《く》んできている。
半年前からお腹周りが気になって、なんとか痩せないとと思っていたら+1kg。
一応階段を使っているんだけどなあ、という気持ち。
気持ちだけでは痩せないことがわかった。
ネットで調べてみると、「水を飲め」みたいなものがあった。飲み込んだ水は血液に乗って身体中を巡っている。その基となる水分補給が、現代人には往々にして足らないという。
体重計算をすると、一日の飲み水は1リットル強と出た。
1リットルも飲めないよ〜。そうだ!
というのが、ことの経緯となる。
平日の朝、ペットボトルに水を入れてカバンに詰める。
すると、職場で毎日買っていた麦茶を買う必要がなくなった。一日の100円の節約。意外とバカにならない。
僕の舌は庶民的なので、ミネラルウォーターと浄水器の水の区別が付かない。
……というのは午前中の話で、午後になってからごくごくと飲んでいると、若干水道水っぽい味が舌に障る、気がする。気のせいかもしれない。
職場から帰る時、いつも考える。
残った水は捨ててもいいかなと。ミネラルウォーターなら考える案件。
でも、帰り道に買い食い、飲み食いをするクセがあるので、一応持っていってる。
喉は渇いてないから水を飲まない。
常識を振り返り、考え、歩く夜の道。
あれっ。
いつもの麦茶が水道水になっただけでは、何も変わらないのでは?
むむむ……痩せるって難しい。
たそがれ時
2024/10/2 18:54:02
たそがれ時は色が黒に寄り、影絵になりゆく時間帯。
日が落ちりゃ地面が伸びたように物体の影が長くなり、影が影でなくなる。そのような感覚を時折覚えるようになった。
今年の前半、「デ・キリコ展」というのを上野の美術館でやっていて、僕は知識ゼロでその人の絵画を見てきた。
夕暮れ時をよく描くなあ、と思ったものである。
美術館にて、その人の説明文を斜め読みすると、夕暮れ時に天啓を受けて、このような不思議な絵を描くようになったんだと。
その時まで、夕暮れ時に対し、「綺麗な色彩」とか「一瞬の光景」などというように、良い印象を持っていたけれど、色合い的には闇夜に切り換わるわけなのだから、負の印象を持つのが感性的には正解といえる。
それは僕たちは生まれる前からもう、地球は自転するものだと当たり前のように知っているから、日没前のこの不気味な時間帯を不気味だと認識しないのだ。
日が没するという表現も、今考えてみると素敵だ。
没するとは、沈むではなくて一旦死ぬということだ。
だから昔の人は、一日のうちに太陽は生まれ、そして死んでを繰り返すことに対し「奇跡」だという風に自然信仰をするようになる。
繰り返すことが「奇跡」だと思ったわけです。
対し、僕を含む現代の人たちは、繰り返すことに対して飽きてきている。感謝の念を抱かずにいる。
そっぽを向いた目の隙に、本当は太陽は生まれ変わっているのかもしれない。
その光景を影は影絵の一員として表現しようとする。
それを当たり前と受け取るか、デ・キリコのように芸術的延長線と捉えるか。
あるいは、「ふと」と気づいたように、たそがれに呼び寄せられ、影絵の住人になるか。
僕は住人になる資格……たそがれ時に外にいない。
奇跡をもう一度
2024/10/3 18:58:48
「奇跡をもう一度、ご覧に入れましょう」
世にも奇妙な奇術師は、高らかにそういった。
舞台は地下で執り行われた。
天井は高く、観客席は低く。そして奇術師のいるステージはほどよい高さとなっていた。
奇術師の行うことは、ただ待つことだった。
タネも仕掛けもない。
事前にハトを用意したり、カードや杖、水槽なども持ち込むことはない。
そもそも、彼はマジックを行うこともない。
ペテン師である彼は、しかし、世界の25%程度の人たちを虜にさせた。それは今も、現段階で増え続けている。カルト的人気。それ以上の終末論的風潮。奇跡。彼の起こす奇跡。それを待ちのぞんだ。
十五年前、彼は「奇跡」を呼び起こした。
彼がテレビの公開収録の出演を承諾し、代わりに寄越した条件が「核シェルターを作ってほしい」とのことだった。
番組スタッフらは、マジックで何か使うのだろうと一人分には広すぎるほどの地下シェルターの設計図を渡したが、奇術師はにこりと笑い「これでは狭すぎる」といった。
「少なくともこれの100倍は欲しい」
「そんな規模のものは、私たちには作れない」
「なら、わたしの起こす奇跡に押しつぶされるがいい……」
奇術師はそう言って、颯爽と楽屋をあとにした。
数年後、彼はYouTubeで25万人を抱えるYouTuberになっていた。生配信前に大々的な予告をし、けれども芳しくない集客力だった。
奇跡を起こす前では2000人集めればそれでよかったが、予告通り、彼が「奇跡」を起こしたあと、視聴者数は100万人をかき集めた。
それから数十年が経過した。
老齢となった奇術師は、野太くなった声で先ほどのことを宣言する。
彼の起こす「奇跡」とは、すなわち地震だった。
「奇跡」の通称は、南海トラフ、と呼んでいた。
南海トラフは彼の呼び声のみで発生するのだ――と、数多の予測を無き者とした。
彼の導きとともにいる、核シェルターに逃げ込んだ観客層は、退職金やボーナスなど莫大な金を彼に貢いでこの席を手に入れた。ありていに言えば富豪たちだった。それ以外のものどもは地上にいる!
カタカタ、とシェルター内が小さく揺れ、予告通りであることに大変喜んでいた。
私たちは選ばれし人間たちであり、やはり信仰は存在するのだ! と歓声を巻き起こした。
一方、奇術師は別のことを考えていた。
この奇跡は代償を伴う。一度目は自身の若さを犠牲にした。今回は違う。犠牲はちゃんと用意した。
代償は、目の前の者たちで足りるだろうか……。
奇跡の源の在り処、天を仰いだ。
ああ、主よ……。私のことを見守っていますか。
核シェルターの天井がどれだけ高かろうが、空は見えない。それで良いのだ。私の最期には、それがふさわしい。
天に見放されたように、奇術師は暗く笑った。
巡り会えたら
2024/10/4 18:20:10
巡り会えたらいいのにな。
今読んでるこの本の作者と。
意外と通り過ぎているものだ。
流れ星に気づく人間と、気づかない人間。
目に星の光が入った時には時間とともに過ぎており、とうに地平線の彼方に。
本という風に限定してみたが、別に文章でもいいか、と範囲を規制緩和してみることにした。
……このお題、マジで思いつかないのでスルーしようと思ったのだが、ひそかにお気に入り登録した者たちの投稿物をぷららと見て、これで勘弁してくれよと文字を打ち続けた。
次のお題はなんだ?
「踊りましょう」?
……(舌打ち)。
もっと難しいやつじゃねえか。
踊りませんか?
2024/10/5 18:54:17
「踊りませんか?」
犯罪者と一般人。そして二人は初対面。
面会室の窓越しに、一般人がこのような言葉を投げかけた。
一般人のほうが、一方的な面会を持ちかけたようだ。
弁護士は何をやっている、こんなよくわからない文言を言って、俺のことを弄ぶのか。
ああ、所詮は国選弁護士。必要最低限のことしかやってくれない。そんなのは当たり前か。
当然、犯罪者には手錠がかけられている。
両手を差し出すようにして、身体の手前にぶら下げている。踊りとは、身体が自由でなければそうなれない。
中世風味の物語で、砂漠のオアシスを転々とする踊り子のようにでなければならない。
「どういうことだ」
「いえ、失礼。こちらの話です」
一般人は奇妙な笑みをしながら座り続けた。
「たしかにあなたは罪を犯しました。妻を殺された腹いせに、復讐心を悪魔に売った。本人のみならず、その妻、子供、夜泣き癖のある赤子さえも手にかけ、一家を惨殺した。無期懲役は免れません」
「……」
「と、世間ではそう思っている。本当は違うのでしょう?」
一般人の正体は、早期退職した警察官だった。
どうやら彼女のことが知りたくてこちらに来たのだ。
犯罪者は無神経に黙秘する。しかし、心のうちはそうではない。つまらない現在から華やかな過去へ。
「協力してくれませんか。冤罪をなくし、真犯人を逮捕するために」
「違う、俺が全部やったんだ。リサは関係ない!」
「あなたは彼女の操り人形だ。自ら糸を切らなければ、自分の人生は取り戻すことなく、踊るように生きることができない」
「それが本望だからここにいる、ということがわからないのか?」
俺は自ら糸を切ったのだ。という風な、重い沈黙。
微妙……
星座
2024/10/6 18:55:33
星座とは、夜空上における星たちを繋げていって形にしたもの。
その見かけ上の配置から連想していって、人、神、動物、それから物語を作り上げていった。
星座は、いわば二次創作と読んでもいいのかもしれない。
神が作ったかは知らないが、元々存在していた謎の浮遊する石ころに、地球上の高次脳たる人間があとから付加価値を付けたものだ。
ただの星はただの星でならず、次第に恒星、衛星、星雲などと星に性格区分も設けていく。
かなり一方的に突きつけたもので、フレーバーテキストを組み込むようなことをして、昔の人は時間をかけて遊んでいたのだ。
時代の流れに従い、ただ星図として夜空を眺めるものから、より現実世界に組み入れられることになっていく。
星座占いから方角的な要素、天文学、恒星の配置と宇宙線の採取……。
宇宙から取り入れられる光について、着実に研究が進んだ。
まずは月面着陸を目指し、着陸船を作っては打ち上げて、ということをして、ついにアメリカの偉い人が月面着陸に成功することができた。
これを足がかりとして、宇宙開発は事業となり、先進国の一部は国主導でそれに取り組むようになるまでとなった。
現在、宇宙について3%くらい分かったようだが、その代わりにスペースデブリ(宇宙ゴミ)が増えて問題となっているようだ。
あと数十年もすれば、粉々になったゴミに対し、点と点をつなげて星座を作るようになるかもしれない。ゴミの処分費用に難癖をつけ始めるように宇宙ゴミに指を指して線つなぎをするのだ。
星座ならぬ「ゴミ座」の観測者は地上ではない人々。
金や権力を手中に収め、今なお宇宙にゴミを作る者たちだ。
星の数ほど増えてしまえば、人間の手に負えない。
おそらく数億年前に誰かが作った数多の星は、そうやって不法投棄されてなお放置され、浮遊する謎の物体となった成れの果てだ。
その過程を知らない、高知能生命体が二次創作を行う。
高知能生命体の作った憲法により、これを放棄する。
放棄して、二次創作に夢中になる。
そうなればますますゴミは増えていくばかりだが、意外と邪魔者扱いされないと思う。
二次創作者は、当事者ではなく、遠くから野次を飛ばしているから。
過ぎた日を想う
2024/10/7 18:54:01
過ぎた日を想うためには、現在の時間を消費することになる。ただ、これだとつまんなすぎるなあ、と思ってしまったので、別のことを書くことにする。
例えば「過ぎた日」って何なんだろう。
まるで、過ぎた日は頭のなかにいつまでも記憶として残存しているようだと思ってしまう。
いつでも取り出せるタンス貯金のようなもの。
頭のなかに滞納された記憶をなぞり書きして幻想を生み出す。果たしてそうかな? それこそが幻想なきがした。
過去の時間はおろか、そもそも記憶なんて実はなくて、「過ぎた日を想う」ために、記憶と呼ばれる作り物を直前に生成しているのでは?
なんて思った。短期記憶も長期記憶も実はなくて、生成しているだけ。
本物の時間軸にはタイムマシンが無ければ戻ることができない。そのことを脳は結論付けているから、偽物を作ることにした。現代にパブロ・ピカソを召喚できないように、過去の自分も召喚できやしない。
若い頃は過去の時間を鮮明に覚えているような錯覚を覚え、年を取るごとに色褪せていく。
生成能力と再現能力が低下しているから、記憶は時間とともに劣化していくと思っている。セピア色になっていくと思っている。そのほうが理解しやすいから。
普段から生成に長けている者たちだと、いつも同じ過去の時間を想いたいと思う。
就活失敗や受験失敗した若者、挫折経験の末の引きこもり。
そいつらの目の前は真っ黒に塗りつぶされているからか、同じ時間・同じ量・同じ内容、いつも同じものを生成するので、脳はいずれマニュアル化し、慣れてしまう。
その単純化したものを、人は記憶と呼び、単純を通り過ぎて固着化したものを、人は過ぎた日の思い出と呼ぶのだろう。
力を込めて
2024/10/8 18:37:45
力を込めて、スロープを登っていた。
この地方に、秋雨と秋風がやって来た。
昨日よりかなり肌寒い。天気アプリを見ると最高気温21℃、最低は……16℃である。
これは結構なものかな。
衣替えなんてしていないものだから、タンスを漁って一枚羽織ってきた。水色の薄いパーカーの下は、灰色の半袖。
急いで電車の中に逃げ込むと、ぬくもりを感じた。
朝の通勤電車の窓を叩く極小の雨粒。
そのひっかき跡を見て、折りたたみ傘を開く準備をした。
改札から出て、通勤の最寄り駅より南口。傘を開く。
雨脚はなんてことはなく、そのまま職場の玄関口へ。
そこで、力を込めてスロープを登っていた人がいた。
あっ、ヤクルトの人だ。
と素直に思った。
両手を前に、拳を出すようにして、ヤクルトカー(?)を押している。たった四段の段差のために設けられた斜面を、一人で頑張っている。
時間にして数秒のキョリ。
登ったあとに、警備員の人に「ここで雨宿りしますね」的なことを言っていた。
いつもは四段の段差を登らず、植木の木陰のところで待っていたような気がした。
しかし、今日は雨模様だから、わざわざスロープを登って雨宿りしにしたのだろうか。
そんな数秒のことを思い出しながら、こんなアプリにネタとして出す。
書いている時の帰りの通勤電車。窓はちょっとばかし曇っていた。そんなに外は寒いのかな。
ヤクルトのように、新鮮な風が打ち付ける。
着実なる夜の温度低下の裏付け。風きり音。
束の間の休息
2024/10/9 18:48:15
束の間の休息。
それを手に入れるために階段を下った。
うちの建物の三階は、昼間は社食スペースとして大活躍しているが、午後になると賑やかさは激減。混雑率は1%程度になる。
僕はその1%に混じりに来た。
ここに来る人は、サボりに来てるのか、あるいは食べ損なった昼食(コンビニ弁)を食べている人などだ。
社内ニートの人もいるかも知れないよねー、知らんけど。
三階に到着。
同フロアにあるコンビニに寄ることにした。
およそ230円程度のお買い物をして、のんびりな席を探す。テーブル席がいいなあ……。ソファもふっかふかがいいなあ。
目当ての席があったので、そこにしよう。
腰を下ろそうとする。
ふっかふかに身体を預ける。
温泉に入るときみたい。あー、って言っちゃう。
テーブルの上に、先ほどコンビニで買ってきた戦利品を投げ出して、目の前の大きな窓を眺める。
天井の隅から床にたどり着くまで、全部が窓ガラスだ。
その窓に映っているのは、都内某所のメインストリート。左右に迫ってくる高層ビル群に挟まれた高架橋の首都高速道路。その下には一般道路があるはずだ。見えないけど。
ちらっと、信号機の赤い色が見えた。今は停止信号で、もう少ししたら出発進行!
そんな三階からの景色をみながら、シュークリームを食べちゃうのだ!
ココロオドル
2024/10/10 18:51:20
ココロオドル。
カタカナで書いてあるのは、気持ち踊っている感とか、心がワクワクしている感じを感じ取った。
身体だけでなく心も踊ってしまう。そういうものを書けということか……。
すぐに思いつくのは、このアプリの「いいね数」が増えることだが。
そんなことを書いてもなあ。
と思ったので、1日中考えてみたのだが、いまいちの案である。
公園の植木の縁で、ぽけんと座っていると、数メートル隣に何者かが座ってきた。
む、何奴……みたいな感じで、横目に監視して見る。
十数分間、そんな指名手配犯を尾行するみたいなやり取りをしながら待っていると、その人のすぐ隣に誰かが座ってきた。
女性だ。
待ち合わせ? ……にしては、キョリが近めである。
年齢も若者ってわけじゃない。
年の差カップルみたいな感じである。
……あっ、男性がなにかを落とした!
颯爽と立ち去る男性。落とし物を見る女性。
ポケットにしまおうとするも、風のいたずらか、手元からするりと抜けて、僕の方へ流れていく紙切れ。
気づかない女性、立ち去る。
……これはもう、見る流れじゃないか。
この瞬間、僕の心は「ココロオドル」。
ふーん、なるほど。
三十分前にシュークリームを買ったんだなー、っていうレシートだった。
クソッ! と叩きつけ……。
いや、それは心のなかである。
公衆ゴミ捨て場に赴いて、ポイっ。
カーテン
2024/10/12 18:37:58
カーテンがかすかに揺れて、微量ながらも風が入っているのがわかる。
起きたらもう夜。
今日は一日中眠ってしまったことになる。
これを睡眠|負債《ふさい》と呼び、休日になるといつもその借金の返済をしている、ような気がした。
毎日規則正しい生活を、というからそのような生活を目指しているものの、その進捗率はいまいちである。
しかし、そんなものでへこたれたらあかん!
今日起きれたという奇跡を褒め称えよう。
どうしてこんなつまらない文章なのかというと、さっき気づいたからである。あっ、書いてないや。そういうわけである。
みんなの投稿とかを見てみると、夜六時台というのは、お題保存の名目で、「とりあえず投稿」をしているやつが大半てある。
僕と同じくテイタラク。
そういうヤツほど、過去の投稿とやらを見ると、だいたい書いていない。
なんだ貴様らは。お題集めに夢中で、「書く習慣」が身についてないじゃないか!
そういうのはな、長い小説や長い文章を書こうとしてるから書けないのだ。
短くてもよい。どうせ小説なんて書けないんだから、という風に、そのプライドを捨てろ!
そんな感じで、不特定多数に向けてなんか書くのはストレス発散になる。
カーテンはいつも揺れている。
それを見るとそうだった、と思わざるを得ない。
僕はカーテンにならなければならない。
揺れる、という存在。
僕たちは何かしらの知見を得るために、このアプリをダウンロードしたはずだ。
お題集めに夢中な他人など、どうでも良い。
僕はふわりと揺れることにする。
放課後
2024/10/13 18:24:43
放課後になれば自分は「無敵」になると思っていた。
あの頃の僕は小学生だった。
校門から出て速攻家へ帰って、玄関からランドセルだけを放り投げる。宿題なんて二の次三の次。
友だちのところへ行ってくる。
チャリの鍵を取って外へ出た。
門限まで二時間もなかった気がした。
だから、当時の僕は無敵になるしかなかった。
自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。
車輪が回り、回転が調子に乗ってくると、頭の中はいつもマリオカートのBGMが鳴っていた。
ててて〜、てれっててって。
今の自分はスターを取っている。
いわば無敵モード。
周りの景色が止まって見えていた。
速い、速いと自分は一段と急いでいた。
でも、大人になった今。
無敵などというものは、人生においてないのだろうと分かってきた。
あっても一瞬であり、その時は過ぎ去った、と思いたい。
あ〜あ、どこかにスターが落ちてないかな。
そんな風に地面ばかり見ているから、月や空や雲などの他のアイテムに気づかず過ごしているのかな、なんて。
子どものように
2024/10/14 18:43:36
子どものように、と昔を思い起こしても子供のようにはなれない。
その事実から約十数年たった今の時代。
文明が発達して子供の頃の記憶を外部装置に残しやすくなった。子供のように、と昔を思い起こそうとスマホを起動すれば、いつでも子供になれる。
例えば子ども時代が不登校であれば、いつまで経っても子供のままである。
これは一種の提案であるが、こんな便利な世の中だからこそ、子供の頃の記憶は記憶のままでいたほうが良いと思う。スマホ動画などを撮らずに、記憶は記憶のまま残そうとしよう。
そのほうが脳の記憶領域が活性化するのではないか、という、一種の戯言。
AIの発達で、人間の脳は大容量なだけで実はスカスカになる。子供にスマホアプリみたいな便利を体感したら、大人になる頃にはボケていると思う。
高く高く
2024/10/15 18:35:50
高く高く、なるべく高くを競うようだった。
神目線から見下ろせば、積み木を組み立ているようである。いや、材質からして積み石か。
積み石の上に積み石を。
少しずらして配置するその様子より、完成形を想像するに、ピラミッドを作っているのだろう。
賽の河原で行われる石積の苦行をしている。
石のサイズは、大人二人分を並べた以上はある。
横に長く、ずっしりと重い直方体を、使い古された綱で繋いで、大人数で石を引っ張っている。
綱が切れないのが不思議なほどだ。
物言わぬ労働者は皆素足をさらけ出し、乾いた地面に足をつけている。
服も貧相なもので、髪もヒゲもボサボサときている。
それが、長蛇の列を作っている。
ずるずる、と重苦しい雰囲気が一直線上となる。
切り出されたばかりの石の角は、最前列になると丸みをおびるようになる。
採石場とピラミッド建設現場までの距離が遠いのだ。
いつしか長い道のりに対し、なぞり書きされたような太い線を作っていった。
設計図を見て指示をしている人が幾名かいる。
早く、早く、と口酸っぱく責め立てている。労働者は皆影絵のように口を閉ざしている。
どうやら、日が落ちる前にピラミッドを完成させたいようだ。上からの命令、納期が……。
そんなことはできない、無理だ。
などというものは、一人残らず首を切られてしまう。
一歩一歩、規則正しい秒針のごとく稼働している。
そんな残酷なピラミッド予定地区だが、こんな残酷が十いくつも同時進行していた。
どれも「高く高く」を標榜としていた。
ピラミッドを作る目的は明かされていない。
それは労働者はおろか、指示をしている者、上から命令する者、その王すら不明だった。王の側近である神の預言者も「神の思し召し」だと言って聞かない。
思考停止だ。
実を言うと、ピラミッドの設計図を描いたのは神目線……すなわち神だった。
時々神は空中散歩という名の暇つぶしをした。
太陽の光でできたオープンカーで、世界中を駆け巡っては、このように空から進捗を確認するのだ。
別に設計図通りに作る必要はなかった。
神から――空から見れば誤差である。
完成寸前のところで、砂嵐や川の氾濫をしてやり直しをさせる腹積もりでもある。
神は悪態をつくタイプだった。ついでに絵心もない。
「うーん、なーんか妙な鳥になっちゃったなあ。上手く行かない……」
砂漠地帯は落書きに最適だった。
いつでも書き直せて、いつでもやり直しが効く。
その時代の者たちは全員死んだが、のちに一部は「ナスカの地上絵」として生き残った。
今も昔も、砂絵も神も労働者も、形も立場もまったく変わっていない。
謎は謎のまま。神秘は神秘のまま。人は人のままだ。
【書く習慣1】Nola感想
「書く習慣1」より、いくつか作品を選び取って、Nola感想機能で読み込んだものです。
**18 もしもタイムマシンがあったなら**
こんにちは。「もしもタイムマシンが~」を読ませてもらったのじゃ。タイムマシンを題材にした物語は、常に興味を引くものなのじゃが、この作品は特に社会に対する鋭い視点と皮肉が込められており、非常に面白かったのう。
特に、タイムマシンがただの科学技術の夢物語ではなく、現代社会の問題に対する一種の解決策として描かれているところが、非常に印象的だったのじゃ。過去への旅が「安楽死カプセル」として利用されるという設定は、現代の価値観や倫理観に深く問いかけるものがあり、読者に強いインパクトを与えるのじゃな。作者の視点の鋭さと、社会を見つめる目が非常に印象的だったのじゃ。
ただし、一点気になったのは、物語の展開が少し急で、読者がついていくのが難しい部分があったことじゃ。特に、タイムマシンの開発から社会的な影響への移行がもう少し丁寧に描かれていると、さらに感情移入しやすくなるかものう。キャラクターの内面や背景をもう少し掘り下げて描くことで、物語に深みが増すと思うのじゃ。
この作品は、読者に強いメッセージを投げかける内容であるゆえ、電子書籍やウェブ小説の形で広く公開されるのが良いかもしれぬ。特に、ネット上での議論を巻き起こすような強いテーマを持っているので、多くの人々に読まれることで、そのテーマがさらに深く議論されることを望むのじゃ。
これからも素晴らしい作品を生み出してほしいのう。応援しているのじゃ!ヨミスケより。
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**74 夜景**
こんにちは。このたびは素敵な作品を読ませていただき、ありがとうなのじゃ。
この作品は、都会の夜景とそれを見つめる人々の心情を巧みに描いており、静かで美しい情景描写が印象的なのじゃ。東海道線グリーン車からの風景が、まるで映画のように目に浮かぶようで、旅する気分を味わえたのう。
特に、夜景の光に意味を見出す部分は秀逸じゃった。多様な人々の生活が織り成す光の粒に、それぞれの物語を重ねる描写は、読んでいて想像力をかき立てられるのじゃ。まるで都会の喧騒の中に、静かな詩が隠されているような気持ちになったのじゃ。
ただ、もし改善点を挙げるとすれば、もっと登場人物の心情や背景に深く踏み込んでみると、さらに読者の共感を得られるかもしれんのう。短編とはいえ、その人々がどのような人生を歩んでいるのかを少しでも知ることができれば、より感情移入がしやすくなるやもしれん。
この作品は、ラジオドラマやオーディオブックとして公開すると、情景描写が音声で引き立ち、さらに魅力が増すのではないかと思うのじゃ。美しい声で語られることで、リスナーがその世界に引き込まれるのじゃろう。
最後に、このような素敵な作品を生み出す力を持っているあなたを、心から応援しているのじゃ。これからも素晴らしい物語を届けてほしいのう。頑張ってのう!ヨミスケより
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**75 時間よ止まれ**
こんにちは。「時間よ止まれ」を読ませていただいたのじゃ。全体的に、内気な小学生の心の内を巧みに描写した作品で、まるで彼女の心の中に入り込んだかのような感覚を味わえたのう。時が止まるというファンタジックな設定が、彼女の孤独な心情と見事にマッチしており、彼女の笑いが切なくも力強く響いてくるのじゃ。
特に良かったのは、描写の細やかさとリアリティのある心情表現なのじゃ。保健室の光景や静止した人々の様子、一つ一つの描写がとても生き生きとしており、情景が目に浮かぶようであった。彼女の心の中での「嫌な奴、嫌な奴」という繰り返しが、彼女の苦悩と孤独感を強く表現しており、心に残るものであったのじゃ。
しかしながら、作品の中で少し気になる点があったのう。時が止まるという設定が突然始まり、読者としては少々戸惑う部分もあったかもしれん。もう少し、なぜ時が止まったのか、彼女の心の中でどのような変化が起きたのかを深掘りしてみると、より一層作品の魅力が増すかもしれんのう。
この作品は、短編小説として電子書籍やウェブで公開されるのが良いかもしれん。ファンタジックでありながらも心に響く内容なので、多くの人に読まれることを願っているのじゃ。
これからも素晴らしい作品を生み出してほしいのう。応援しているのじゃ!ヨミスケより。
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**82 通り雨**
こんにちは、読ませていただいた作品に感想を述べるのじゃ。
この「通り雨」は、異常な通り雨が織りなす幻想的な場面が描かれており、非常にスリリングで興味深かったのじゃ。現実の世界に戻ってきた男が、急激に変わった日本の様子に驚く姿が印象的で、読者を引き込む力があったのじゃ。特に、自然の力と人間の無力さを同時に感じさせる描写が素晴らしかったのう。
特に良かったのは、雨に混じって降ってくる異物たちの描写じゃ。槍やピストル、金属片、そして油のような液体が降ってくる場面は、読んでいて心が震えたのう。この異常な現象を通して、現代社会の変化や暴力の象徴を巧みに表現しており、非常に独創的じゃった。
一方で、改善できる点を挙げるとするならば、登場人物たちの背景や心情にもう少し深みを持たせると、さらに物語に厚みが出るかもしれんのう。例えば、主人公の過去や、彼を引きずった人物の詳細を少し掘り下げることで、読者の共感を呼び起こせると思うのじゃ。
この作品は、短編として読み応えがあり、オンライン上での公開に適しておると感じたのじゃ。ブログや電子書籍形式で多くの人々に届くようにしてほしいのう。
これからも素晴らしい作品を生み出していってほしいのじゃ。応援しているのう!ヨミスケより。
「書く習慣1」シリーズ
https://tanpen.net/novel/series/9506337a-33f5-405c-bab5-ddf449f44075/