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目次
#1
「くーろーくんっ! 見っけ!」
放課後の誰もいない教室。静かに本を読んでいた九郎の背中に、はじめがドスンと飛びついた。
「……暑苦しい。離れろ、はじめ」
「えー、冷たいな。でもそんなクールな九郎くんも、だーい好き!」
はじめは九郎の首に腕を回したまま、満面の笑みで「大好き」を連発する。
彼女にとって、この言葉は挨拶みたいなものだ。
「はいはい。聞き飽きた」
「えっ、聞き飽きた? じゃあもっとバリエーション増やすね! 愛してる! 宇宙一好き! 九郎くんの隣は私の指定席!」
「……お前、語彙力死んでんのか」
九郎は呆れたように溜息をついたけど、本を閉じてはじめの方を向いた。
その瞳の奥に、少しだけ意地悪な光が宿る。
「そんなに好き好き言うなら、これ、全部解けよ。終わるまで帰さないからな」
九郎が差し出したのは、びっしりと数式が書き込まれた数学のプリント。はじめが一番苦手なやつだ。
「げげっ、鬼! 九郎くんの意地悪!」
「嫌ならいいぞ。別のやつに教えてもらうか?」
「……やだ! 九郎くんがいい! やる、やればいいんでしょ!」
ぶーぶー文句を言いながらも、はじめは隣の席に座ってペンを握る。
九郎はそれを見守りながら、はじめが解けないで唸っていると、耳元で低く囁いた。
「ここ、公式間違ってる。……バカだな、お前は」
「うう、バカって言わないでよぉ……」
「でも、必死なところは……まあ、嫌いじゃないけど」
不意に飛んできた言葉に、はじめが顔を跳ね上げる。
「えっ、今なんて!? 九郎くんも私のこと好きってこと!?」
「……言ってない。聞き間違いだろ」
九郎はパッと顔を背けた。耳の先がほんのり赤い。
「絶対言った! ねぇ、もう一回! もう一回言って!」
「うるさい。……さっさと解け。終わったら、購買のアイス奢ってやるから」
「やったぁ! 九郎くん大好きー!」
「……知ってるよ」
九郎は口元を隠して、小さく笑った。
はじめの真っ直ぐすぎる「大好き」に、一番振り回されているのは自分の方だってことは、
絶対秘密にしようと思いながら。
#2
九郎くん九郎くん、九郎くん!」
「……うるさい。一回呼べば聞こえる」
放課後の廊下、はじめが九郎の周りをぴょんぴょんと跳ねながらついて回る。
「えへへ、だって呼ぶだけで幸せなんだもん! 九郎くん、大好きだよ!」
「はいはい。さっきも聞いた」
九郎は前を向いたまま、素っ気なく答える。でも、はじめはめげない。
「じゃあ、九郎くんは? 私のこと、どう思ってる?」
「……うるさい小型犬。アイスがあれば懐くやつ」
「ひどい! 私はこんなに愛を叫んでるのに!」
はじめが九郎の前に回り込んで、通せんぼをした。
両手を広げて、真剣な顔で九郎を見上げる。
「ねえ、九郎くん。一回でいいから。……私に『大好き』って言って?」
「……断る。恥ずか死ぬわ」
「えー! ケチ! 意地悪! ドS! ほら、言ってくれたら、一週間静かにするから!」
九郎の眉がピクリと動いた。「一週間静かにする」というのは、
彼にとってかなり魅力的な提案だったらしい。
九郎は少し考えたあと、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「……わかった。じゃあ、耳貸せ」
「えっ、ほんと!? やったぁ!」
はじめが期待に胸を膨らませて耳を寄せると、九郎の低い声が鼓膜を震わせる。
「……お前、そんなに言わせたいなら、一生逃さねーけど。いいんだな?」
「……ひゃっ!?」
はじめの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。思わぬドSな攻めに、心臓が爆発しそう。
「……あ、あの、九郎くん、今のはズルいよ……。」
「ズルいのはお前だろ。……ほら、言えばいいんだろ」
九郎は顔を背け、片手で自分の口元を隠しながら、消え入りそうな声で呟いた。
「……だい、すき。……だよ。バーカ」
最後は照れ隠しで口が悪くなったけど、その横顔は耳まで真っ赤。
はじめは一瞬呆然としたあと、これまでにない最高の笑顔で叫んだ。
「きゃあぁぁ! 九郎くん、今言った! 言ったよね!? もう一回! !」
「……っ! 二度と言わねーよ! 一週間静かにする約束だろ、バカはじめ!」
逃げるように歩き出す九郎と、それを全力で追いかけるはじめ。
九郎の足取りがいつもより少しだけ早いのは、
ニヤけそうな顔を隠すためだって、はじめにはお見通しだった。
#4
「……もういい! 九郎くんのバカ! 大嫌い!」
教室に響いたはじめの叫び声。いつも「大好き」を連発する彼女の口から出た正反対の言葉に、
九郎の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
原因は、九郎のちょっとした意地悪だった。
テストの点数が悪くて落ち込んでいたはじめに、九郎がいつもの調子で
「お前、本当に救いようのないバカだな」
と突き放したこと。いつもなら「ひどーい!」で済むはずが、
今日のはじめは、本当にもう限界だったようで、
はじめは涙を溜めたまま、荷物を掴んで教室を飛び出していった。
「…………チッ」
一人残された九郎は、机を拳で叩く。
あんな泣きそうな顔をさせるつもりじゃなかった。ただ、いつものように構ってほしかっただけなのに。
次の日。
「おはよ、九郎くん」
登校してきたはじめの声は、驚くほど冷静だった。
いつもの突撃タックルも、耳が痛くなるような「大好き」の連呼もない。
はじめは九郎の隣の席に座ると、教科書を開いて、一言も発さずに予習を始めた。
「…………おい」
九郎が声をかけても、はじめは視線すら合わせない。
「……なんか言えよ。無視か?」
「九郎くん、『うるさい』って言ってたでしょ? だから、静かにしてるだけだよ」
淡々と答えるはじめの横顔を見て、九郎は奥歯を噛み締めた。
(……ふざけんな。こんなの、俺の知ってるはじめじゃねーよ)
放課後。帰ろうとするはじめの手を、九郎が強引に掴んで空き教室に連れ込んだ。
「……何? 離してよ」
「離さねーよ。……謝ればいいんだろ。昨日は、その、言い過ぎた」
九郎は顔を真っ赤にして、絞り出すように言った。
でも、はじめはまだ無表情のままだ。
「……別に。九郎くんの言う通り、私バカだし。もう迷惑かけないようにするから」
「そうじゃねーよ! お前が静かだと、調子狂うんだよ!」
九郎ははじめの肩を掴んで、壁に押し付けた。
「……お前の『大好き』がないと、っ…本の内容も何もかも頭に入ってこねーんだよ。……悪い。俺が悪かったから。だから……」
九郎の声が、かすかに震える。
**「……また、うるさいくらい好きって言えよ。」**
その時、はじめの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれた。
「っ………う、…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! 九郎くんのバカぁぁぁぁ!!」
「……わかってる。知ってるよ、」
九郎は観念したように、泣きじゃくるはじめをぎゅっと抱きしめた。
しばらくして、涙を拭いたはじめが、いつものニカッとした笑顔で九郎を見上げる。
「九郎くん、今の、録音したかった! 『大好きがないとダメ』だって! もっかい言って!」
「……調子乗んな。一回だけだ。……ったく、一生分焦ったわ
#3
期末テストが終わった放課後。誰もいない教室で、はじめは九郎の机の前に立っていた。
「ねえ九郎くん、テストどうだった? 私、数学が壊滅的で……」
「……お前、万年壊滅的だろ。バカが移るから近寄んな」
九郎はカバンを肩にかけ、帰ろうと立ち上がる。でも、はじめは通せんぼするように両手を広げた。
「ひどい! でもね、九郎くんに教えてもらえたら、私きっと頑張れると思うんだ!」
いつもの元気すぎる笑顔。でも、その瞳は少しだけ震えている。
はじめは今日、ずっと決めていたことがあった。
「……あのね、九郎くん。私、九郎くんのこと——」
「知ってる」
食い気味に遮られて、はじめはポカンと口を開けた。
「え、あ、ええっ!? 何を!?」
「お前が俺のこと、死ぬほど好きなことくらい。隠せてると思ってたのか? どんだけめでたい頭してんだよ」
九郎は一歩、はじめに詰め寄る。はじめは思わず後ずさりして、後ろの黒板に背中がついた。
九郎は逃げられないように、はじめの耳元の黒板にトン、と手を置く。
「……っ、九郎くん、顔、近い……」
「……嫌か?」
九郎の低い声。ツンとしてるけど、どこか熱を帯びた視線。
はじめは顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振った。
「き、嫌じゃない……。大好き、だもん……っ」
消え入るような声で、はじめがやっと本音をこぼした。
すると、九郎の口元が意地悪く、でも優しく緩んだ。
「合格。……お前、俺がいないと何もできないだろ。一生俺が面倒見てやるよ」
九郎は空いた方の手ではじめの頬をむにゅっとつねる。
「痛い……。でも、それって……」
「付き合ってやるって言ってんだよ。……一回しか言わないからな。俺も、お前じゃないとダメなんだわ」
最後の方は、そっぽを向いてボソッと言った九郎。耳の先まで真っ赤なのは隠せていない。
「……えへへ。九郎くん、大好き!!」
「……うっせ。……離せよ、抱きつくな」
突き放すような言葉とは裏腹に、九郎の手ははじめの背中に、そっと回されていた。
#5
図書室の隅、放課後
「九郎くーん! 見て見て、これ!」
はじめが古い図鑑を抱えて、棚の影にいた九郎に駆け寄った。
でも、床に置いてあった脚立に思いっきりつまずいてしまう。
「わわわっ!?」
「っ、危ねぇな……!」
とっさに九郎がはじめの体を支えようとしたけど、二人の勢いがつきすぎて、
そのまま床に倒れ込んでしまった。
ドサッ、と鈍い音。
気づけば、九郎がはじめを押し倒すような形になっていた。
「……いたたた……。あ、ごめん九郎くん、大丈夫?」
「……お前、本当にバカだろ。少しは落ち着けよ」
九郎の声が、いつもより低い。
はじめが顔を上げると、すぐ目の前に九郎の整った顔があった。
床に手をついて自分を閉じ込める、いわゆる「床ドン」状態。
「え……あ、あの……九郎くん?」
はじめの心臓が、耳元で鳴っているみたいにうるさい。
九郎は避けるどころか、じりじりと顔を近づけてくる。その瞳には、
いつものクールさの中に、少しだけ意地悪な光が混じっていた。
「……逃げられないな、これ」
「えっ、あ、えっと……」
「お前、さっきから顔真っ赤。……自覚あんの? 今、俺に何されても文句言えない状況だってこと」
九郎の指先が、はじめの耳元の髪をすっと撫でる。
はじめはあまりの近さに、息をするのも忘れて固まってしまった。九郎の吐息が頬にかかる。
「九郎くん、あの……っ」
「……黙れ。……お前が可愛すぎるのが悪いんだろ」
九郎はフイッと顔を背けたけど、その耳は真っ赤。
床についた手には、ギュッと力がこもっていた。
「……一生、俺のそばでドジしてろ。他の奴の前で転んだら、タダじゃおかないからな」
独占欲全開の低い声。
はじめは恥ずかしすぎて顔を覆ったけど、指の隙間から見える九郎の横顔が、世界で一番かっこよく見えた。
#6
「ねえねえ、九郎くん! ずっと考えてたんだけどさ!」
いつものように放課後の教室で、はじめが九郎の机に身を乗り出した。
今日の彼女は、なんだか朝からそわそわして落ち着きがない。
「……何。またろくでもないことだろ」
「ひどい! ろくでもなくないよ! あのね……私、九郎くんのこと、呼び捨てで呼びたい!」
九郎がめくっていた本のページが、ピタッと止まった。
「……は? 急に何言ってんだ」
「だって! 周りのカップルとか、呼び捨てで呼び合ってるし! 私たちももっと、こう……心の距離をゼロにしたいっていうか!」
「……今のままでも十分近いだろ。お前、さっきから物理的にも近いし」
九郎は冷静を装って、はじめの額を指一本で押し返した。でも、実は心臓が少しだけ早鐘を打っている。
「お願い! 一回だけ! 練習させて!」
「……勝手にしろ。どうせお前には無理だろ」
九郎はわざと突き放すように言って、また本に視線を落とした。
「隠れドS」な彼は、はじめがもじもじして赤くなっているのを見るのが、実はたまらなく好きだった。
「……う、うん。いくよ? せーの……」
はじめは深呼吸をして、ぎゅっと目をつぶった。
「…………九郎っ!」
「…………」
静まり返る教室。
九郎は無言のまま。でも、手に持っていた本が指先から滑り落ちて、机に大きな音を立てた。
「……あ、あの、九郎くん? 怒った……?」
はじめが恐る恐る目を開けると、そこには、顔を真っ赤にして口元を片手で覆った九郎がいた。
「……九郎くん?」
「…………っ、うるさい」
九郎の声が、少しだけ裏返っている。
「……お前、……破壊力考えろよ。バカ」
「えっ、破壊力!? ってことは、良かったってこと!? 九郎! 九郎ー!」
調子に乗ったはじめが、九郎の腕に抱きついて何度も名前を連呼する。
「……あー、もう、わかったから! 一回だけって言っただろ!」
「えー、いいじゃん! 九郎、大好き! 九郎、愛してる!」
「……っ、…………俺も」
「えっ、何!? 今なんて言ったの!?」
「……言ってねーよ! ほら、帰るぞ、……はじめ」
不意に九郎から名前を呼ばれ、今度ははじめが真っ赤になって固まる番だった。
#7
昼休み、誰もいない渡り廊下
「あー!もう、九郎のバカ! 意地悪ばっかり言って!」
はじめがぷくっと頬を膨らませて怒っていた。
さっきクラスの男子とはじめが楽しそうに話しているのを見て、九郎が
「あいつ、お前のことバカにして笑ってたぞ」
なんて意地悪な嘘をついて追い払ったからだ。
「……別に。本当のこと言っただけだろ」
九郎は壁にもたれかかって、そっぽを向いている。でも、その目は少しだけ寂しそう。
「嘘だもん! 九郎、私のこと困らせて楽しんでるんでしょ!」
はじめが詰め寄ると、九郎はいきなりはじめの肩を掴んで、自分の方へ引き寄せた。
「わっ……!?」
勢い余って、二人のおでこが「こつん」とぶつかる。
あまりの距離の近さに、はじめの言葉が止まった。
「……。お前、鈍すぎ」
九郎の声が、おでこを通じて直接脳に響くみたいに低く響く。
おでこをくっつけたまま、九郎がじっとはじめの瞳を覗き込んできた。
逃げようとしても、九郎の手が肩をガッチリ固定していて動けない。
「……九郎、近いよ……顔、全部見えちゃう……」
「見ろよ。……お前が他の奴と笑ってるの、俺がどれだけイラついてるか、これで少しはわかったか?」
九郎の瞳は、いつものクールさとは正反対に、熱くて、独占欲でドロドロだった。
「おでここっつん」したまま、九郎がさらにぐいっと自分の額を押し付ける。
「……俺だけ見てろって言っただろ。……バカはじめ」
「……っ。……うん。九郎だけ見てる。……見てるから、そんな悲しそうな顔しないで?」
はじめが九郎の服の裾をぎゅっと握ると、九郎はやっと小さくため息をついて、おでこを離した。
でも、その顔は耳まで真っ赤。
「……。……放課後、アイス奢ってやる。……だから、あいつのこと思い出して笑うなよ」
九郎ははじめの頭をガシガシと乱暴に、でも愛おしそうに撫でて、足早に歩き出した。
#8
図書室の奥、立ち入り禁止の資料棚
「……お前、昨日から浮かれすぎだろ。隙だらけなんだよ」
九郎が低い声で囁きながら、はじめを床に押し倒した。昨日と同じ、完璧な床ドン。
はじめの背中には、ひんやりした床の感触。でも、目の前の九郎の体温は、昨日よりもずっと熱い。
「だって……九郎がかっこいいから、つい見惚れちゃって……っ」
はじめが真っ赤な顔で正直に白状すると、九郎の口元が意地悪く歪んだ。
「……バカ。そういうこと言うから、もっと困らせたくなるんだろ。……覚悟しろよ、今度は昨日より——」
九郎がじりじりと顔を近づけ、はじめがぎゅっと目を閉じた、その時。
***ガラガラッ!!***
「おーい、誰か残ってるかー?」
図書室の入り口から、体育教師のゴツい声が響き渡った。
「「っ!?!?!?!?!?」」
二人の心臓が、恐怖で同時に跳ね上がった。九郎は弾かれたように体を起こし、
はじめはパニックで手足をバタバタさせる。
「や、やばい! 先生だよ! 怒られる、絶対怒られる……っ!」
「……っ、静かにしろ! ……こっちだ!」
九郎ははじめの手を掴むと、狭い棚と棚の隙間に無理やり自分と一緒に押し込んだ。
めちゃくちゃ狭い。はじめの背中に九郎の胸板がぴったりくっついて、
九郎の腕がはじめを包み込むような形になる。
「……動くな。声も出すなよ」
九郎の低い囁きが耳元でして、はじめは別の意味で心臓が止まりそう。
「……あれ? 誰もいないのか。戸締まりしとくかー」
先生の足音が、二人の隠れている棚のすぐ横を通り過ぎる。
はじめは九郎のシャツをぎゅっと握りしめて、震えるのを必死にこらえた。
ふと見上げると、九郎も必死に息を殺してるけど、その瞳ははじめを捉えて離さない。
(……こんな時に、九郎……心臓の音、すごいうるさい……)
先生が図書室を出て、ドアが閉まる音がした瞬間。
「……ふぅ……っ。……死ぬかと思った……」
「……俺もだ。……お前のせいで、寿命縮まったわ」
九郎はそう言いながらも、はじめを抱きしめた腕をなかなか離そうとしない。
「……。……まだ、先生戻ってくるかもしれないから。……このまま、あと5分だけ」
そう言って、九郎ははじめの肩にコテンと頭を乗せた。
ピンチだったはずなのに、二人だけの狭い隙間は、世界で一番甘い空間に変わっていた。?
#9
図書室の奥、棚の隙間
「……チッ、重森かよ。最悪だ」
九郎が低く舌打ちした。重森先生に見つかったら、即「保護者呼び出し」&「反省文の嵐」は確定。
中1の二人には刺激が強すぎる罰ゲームだ
「ど、どうしよう九郎! 私、足が震えて……っ」
はじめがパニックで涙目になると、九郎は「静かにしろ」とはじめの口を自分の手でそっと塞いだ。
ドン、ドン、ドン。
重森先生の足音が、隠れている棚のすぐ角まで来ている。
「おい、誰かいるのか? ……そこに隠れても無駄だぞ。出てこい」
重森の野太い声が、静かな図書室に響く。はじめは恐怖で九郎のシャツをちぎれんばかりに握りしめた。
その時、九郎がはじめの耳元で、熱い吐息混じりに囁いた。
「……いいか。俺が合図したら、反対側の窓から走れ。……俺が囮になる」
「えっ、やだ! 九郎だけ怒られるなんて——」
「……黙れ。……お前を守るのが、俺の役目だろ」
九郎ははじめの額に、コツンと自分の額をぶつけた。
昨日の「おでここっつん」より、もっと切実で、もっと男らしい熱。
九郎の瞳は、恐怖を押し殺して、はじめを真っ直ぐに見つめている。
「はじめ、……行け!」
九郎がガタッとわざと本棚を蹴って、反対方向へ走り出した。
「あ! 貴様、待てっ! 止まらんかぁー!」
重森先生の怒号と共に、足音が九郎を追って遠ざかっていく。
はじめはその隙に、震える足で反対側の非常口へ。
「……九郎……っ!」
夕暮れの校庭に飛び出したはじめ。
数分後、校門の影で息を切らして待っていると、九郎が、走ってこっちにやってきた。
「……ふぅ……っ。……なんとか、巻いたわ。」
「九郎! 大丈夫!? 怪我してない!?」
駆け寄るはじめを、九郎は力いっぱい抱きしめた。
心臓の音が、お互いの胸を通じて響き合う。
「……怖かった。……でも、お前を捕まえさせなくてよかった」
九郎はそう言うと、はじめの頬をむにゅっとつねって、いつもの意地悪な笑みを浮かべた。
#10
テスト期間中、図書室の最奥。
「……九郎、この問題。……また間違えちゃった」
はじめが半泣きで、赤ペンだらけのノートを九郎に差し出す。
図書室はテスト勉強をする生徒でいっぱいだけど、この奥の資料コーナーだけは、
重い空気と古い本の匂いに包まれて二人きりだった。
「お前、さっき教えたばっかだろ。……バカすぎて可愛いわ」
九郎は意地悪く笑うと、はじめのポニーテールを軽く引っ張る。
「いたたた! もう、九郎くんのバカ!」
そんな風にじゃれ合っていた、その時。
「……おい。そこで何をしている」
地獄の底から響くような低い声。
入り口の方から、あの生徒指導の重森が、竹刀(の代わりの差し棒)をペシペシと手のひらに当てながら歩いてきた
「ひっ……! 重森先生……!」
はじめがガタガタ震え出す。重森のモットーは
「男女の不純異性交遊は即・停学」。
勉強してようが関係ない。
「中等部1年か。二人きりでこんな死角に隠れて……。不純だ。不純すぎるぞ! さあ、職員室へ来い!」
重森の手がはじめの肩に伸びようとした、その瞬間。
「……待ってください」
九郎がスッと立ち上がり、はじめの前に立ちはだかった。
いつものクールな瞳が、今は重森を射抜くように冷たく光っている。
「先生、俺たちは勉強を教え合っていただけです。ここが死角なのは、集中するため。……それとも、勉強を頑張る生徒を、根拠もなく疑うのがこの学校の指導方針ですか?」
「な、なんだと……!? 貴様、反抗するか!」
「反抗じゃありません。事実を言ってるだけです。……はじめ、ノート出せ」
九郎ははじめの真っ赤に染まったノートを奪い取り、重森の目の前に突きつけた。
「見てください。この間違いの多さ。……彼女、本当にバカなんです。俺が付きっきりで教えないと、赤点確実なんですよ。……これでも不純だって言いますか?」
「ぶ、不純……ではないかもしれんが……」
あまりの正論(とはじめのノートの悲惨さ)に、重森がたじろぐ。
「……行こうぜ、はじめ。ここはうるさくて集中できない」
九郎はじめの手を強引に引き、呆然とする重森の横を堂々と通り過ぎた。
校舎の影まで逃げ切ると、九郎はやっと息を吐いて、はじめの手を離した。
「……九郎、すごかった! かっこよかったよ……!」
「……。……お前、俺が『バカ』って言ったとき、ちょっと傷ついた顔しただろ」
九郎ははじめの額に、自分の額をこつん、とぶつけた。
「……あれは先生を追い払うための嘘。……。本当は、お前が頑張ってるの、俺が一番知ってるから」
そう言って、九郎ははじめの耳元で小さく囁いた。
「……でも、助けてやったお礼は、テストが終わった後にたっぷりしてもらうからな。……覚悟しとけよ?」